いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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ちいさくて母。

母を見舞う。

「通院するのは大変なので」「ちょっとの間」「大事とって」の入院らしく、大丈夫だろうとは思ったんだけど。
なんというても高齢だし、何より環境が変わって不安がっているかも~と、つれあいと二人で朝から病院にむかった。

その日はまだお盆休み中のことで、天気予報は午後から雨の確率70%ながら、街はどこも人がいっぱい。電車の特急券売り場にも国内外の旅行者で長い列ができていたのは、ふだん外出しないわたしの予想外のことだった。いつか観た古い映画の田舎からでてきた老母のごとくオロオロ。予定の電車に間に合うかひやひや・・・というわけで車内でお昼に、と先にパンを買って行ったんだけど、あとでと思ってた缶コーヒーも買えないまま乗車となった。

色とりどりのキャリーバッグが棚の上や座席にいっぱいの車内で、わたしらもちょっと旅行気分でパンをかじる。(のみものがなくて喉がつかえたけど)やがて目的の駅に到着したと思ったら、こんどは駅から乗ったタクシーが渋滞でなかなか前に進まない。
予報通り途中から降り始めた雨はだんだん雨足がつよくなって。見るともなしに雨粒の車窓から外を眺めて見覚えのある通りの様子に、そういえば以前もやっぱり母の見舞いでこの道通ったよなあ~と話す。

かつては働いて働いて、寝込んでいるところなんて見たことのない母ながら、ここ十数年の間には何度か入院もして、そうそう信州のころは下の子の心配もあったから、木曽から日帰りでせわしなく奈良市内の病院を見舞ったこともあった~と、思い出してるうちにようやく病院に着いた。

受付で聞いた部屋を探していたら、廊下のむこう~看護師さんに付き添ってもらってトイレから出てきた母と目があった。思いもかけない(たぶん)わたしらの姿にびっくりしたのか、恥しいのか、照れ笑いしてる。よかった。なんとか歩けてる~。

それでもパジャマ姿だったからか、点滴のスタンドと押し車のせいか、いや、病院という背景ゆえか~先月ホームを訪ねたときよりも、母はちいさくて頼りなげに見えて。いつものように、おもしろいことのひとつでも言うて笑わしてやろう、とおもったのに。「来たで~」と言うのがやっとだった。

ホームの職員さんが着替えを持って来てくれたり、つれあいが足りないものを階下へと買いに行ってくれる。そのつど「ほんまにすんませんなあ」「ありがとう」をくりかえす母。点滴を確認にきた若い看護師さんが「◯◯さん、娘さんらも来てくれはったんやし、元気だしてや~」と奈良弁で(←大阪弁と微妙にちがう)声をかけてくれると、こどもみたいに「はいっ」といい返事しており、そんな母がかいらしくて、そしてちょっとせつなかった。

先日、母のすきな曲集めて二枚目のCDを送ったとこなんだけど、届いたその日に入院になったようで。
「一曲目はユモレスク、二曲目はトロイメライやで。乙女の祈りもエリーゼのために、も入れといたしね」と言うと「帰ってから聴くの楽しみや」と一気に顔がぱあっと明るくなった。

母は娘がだれもちゃんと弾けなかった(苦笑)ピアノを65すぎてから習い始めて「エリーゼのために」がゴールだった。
「わたしはいっこも母親らしいことできんかったのになあ・・・ユモレスク好きやねん・・あんたはわたしの好きな曲まで覚えてくれて。ほんまいつもありがとうな」と半泣きで別れのあいさつみたいにしゃべり出すのでこまった。いや、ちいさい頃からわたしに音楽の入り口を用意してくれたのは、誰でもない音楽がすきなあなたやったんですよ~と思うてるのだけど。とっさにそんなことばは出てくるわけもなくて。

▲帰りは電車の連絡がうまくいかず、急行や普通を乗り換え乗り換え。車内で病室の母のことを思い返す。「ほな、帰るし」と言ったとき、目をぎゅうっとつむってこっちを見ないで手を振ってたっけ。

窓の外はのどかな田園風景。雨あがりの畑に赤い鳳仙花がひとかたまり咲いてるのがみえた。

「子のように母ちいさくてホウセンカ」(しずか)

むかいの席の母子は田舎にでも行って来た帰りだろうか。ママも、抱っこされた赤ちゃんもその横のリュックに埋もれるように寝入った女の子も皆くたびれ果てて眠っている。おにいちゃんだけは膝に真新しい虫かごを置いて、ときどき蓋をそろりと開けてカブトムシをつまみあげては、ちょっと手足を動かす様子を見てまたカゴに戻している。わたしと目が合うと恥しそうに、でも得意気にまた蓋を開ける・・をくりかえして。「あああ、そこで、おがくず、ひっくり返えさんといてや~」と、おば(あ)ちゃんはハラハラしながら眺めてたけど、かれも又そのうち眠りの国の人となり。

▲ようやっと最寄りの駅に着いたらまた大雨だった。なんせ70%やしね。デパ地下で鴨のスモークをふんぱつして、ビールビールとおもいながら帰宅。

長い一日でした。


*追記

その1)

昨夜、ネットで脚本家の山田太一氏の断筆を報じるインタビュー記事を見つけて、読みました。山田太一脚本のテレビドラマはリアルタイムでずっと観てきて、そのつどその頃の思い出や思い入れもあって「すき」と一言で言えないくらいなのですが。
氏は今年はじめに脳出血で倒れはって、退院後言語機能は回復しつつあるらしいのですが、もう脚本家として書ける状態ではない、と言うてはります。とても残念だけど、これまで観たもの、読んだものは自分の中でふかく残っています。

インタビュー記事を読んでいると、最近の母のことばと重なるところがいくつもありました。

「時々記憶が、飛んでしまう」「思ったことを上手く表現できない」「生きているということは限界を受け入れることであり、諦めを知ることでもあります」

それでも、氏はそれを「ネガティブなことではない」と言い切ります。「諦めるということは、自分が”明らかになる”ことでもあります。良いことも悪いことも引き受けて、その限界の中で、どう生きていくかが大切なのだと思います。」(*週間ポスト2017年9月1日号 より抜粋)


以前、山田太一さんが『こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス 鹿野靖明とボランティアたち』(渡辺一史著)という本の解説を書いてはって、その中で「尊厳死」について言及しておられます。こちらもあわせて、ぜひ→

(この本のことはここにわたしも以前書きました)


その2)
お盆の前後は墓参にでかけたり、息子2が帰ってきてたり、今日書いたように遠方の病院に行ったり、で、本も読みかけのまま、映画(DVD)も観たのに(『めぐりあう日』『灼熱』『ライフ・ゴーズ・オン』)わすれてしまってるという体たらく。
あ、そういえば『サンダカン八番娼館 望郷』(熊井啓監督)という古い映画をめずらしく息子と一緒に観ました。「からゆきさん」だったおサキさん役の田中絹代は素顔でボロ布纏ったような姿でしたが、きれいなひとやあと思いました。山崎朋子の原作は出版当時~高校生のときに読んだきりで、忘れてしまってるところが多かったのですが。その頃からひとつ忘れないでおこうと思った一節があって。


それは山崎氏が研究のための聞き取りだとは明かさず、おサキさんの家でしばらく寝起きを共にしてきて「どうしておサキさんは、見ず知らずの私なのに、何ひとつ素性を聞こうとしないの?」とたずねると、おサキさんはこう応えるのでした。

「誰にでも事情っちゅもんがある。相手が自分から喋るならまだしも、当人が何も言わんものを、どうして聞けようぞ」


その3)

今日は、やっぱりこれを聴きながら。

Kreisler plays Dvořák Humoresque



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# by bacuminnote | 2017-08-18 12:12 | 出かける | Comments(0)

もう8月やなんて。
ああ一ヶ月早かったなあ~と、カレンダーをめくりながら毎月お決まりの台詞である。

買い物に行ったら「夏のギフト」の横に「お盆のお土産」のポップ~次から次へと。ゴールの「年の暮れのご挨拶」「迎春準備」まで。

▲「買え」「買え」と宣伝する方もつみぶかいと思うが、そんなもんに知らんまに追われてしまうわたし(ら)もどうかしてる。なんで、もっとどっしり構えていられないか、自分流を貫けないのか。なんで、目新しいことにとびついて、じっくりものごとを考え続けられないのか。

ため息つきつつ自問しつつも、今日は木綿豆腐と大根とバゲットを買う。

帰り道~遠くからうぃーんうぃーんと草払い機が唸るのが聞こえた。この炎天下、街路樹周辺の草刈り作業の人らがお仕事中。もわーんと熱気のなか草のほこりが舞い上がる。作業員さんら、みな汗で作業服がぐっしょり濡れているのが、道を挟んでもわかる。

▲小学生のグループが、だだだだっと、おばちゃんを追い越し走ってく。塾の名前入りリュックを揺らし、保冷のお弁当バッグとお茶をぶらぶらさせながら。まるでプールに行くが如く、公園に集合するが如く。わいわいはしゃいで走ってる。いまや塾というところはそういう場所なのかな。

買い物行って郵便局と図書館寄って、たったそれだけで、今日一日分のエネルギー使い果たしたみたいに、とろんとろん溶けそうになって帰って来た。ああ、暑いときに熱いものを、とクーラーのよく効いたスーパーで思って、重たい大根一本買ったのだけど。とても煮物する勇気がわかない。

こんなふうに「暑い」とぼやいてばかりの毎日だけど。それでもおもしろくいい本にめぐりあえて、読む、読む、読むの夏だ。
前回からリニューアルした「ち・お」116
『親になるまでの時間 後編』(浜田寿美男著)がカライモブックスから届いてさっそく読む。今回はこどもの学齢期からの話なので、当然だけど学校の話題が多かった。

わたしの周辺のひとたちは、こどもがちいさかったときの話をするとき、保育園のころのことは、こどもの病気や予防接種のことや、自身の仕事など大変な時期だったにもかかわらず、そろって皆いきいきと語る。週明けに園に持ってゆく大量の着替えも、重い絵本袋も、お昼寝布団も。

▲顔をくもらせるようになるのは、たいてい学校が始まってからで。その辺に学校とはどういう場所かという答えも潜んでいる気がする。もちろん、心配なことや悩みが、年齢とともに複雑になってくるっていうのもあると思うけれど。それに、いつまでも一日かけまわって遊んで昼寝してるわけにはいかないから。生きてゆくにはそんなわけにはいかないから~という声も(せやからガッコにはちゃんと行かせなあかん!と、よく言われました)あるのだろうけれど。

ウチはふたりともいわゆる義務教育期間にガッコに行かなかった時間が長くて、「学校が生活を制圧」(p58)とはならなかった。いや、親としては家が学校に侵食されるのが(*「学校が生活を侵食して」p56)たまらんかったから、こどもらの「行かない」をむしろ歓迎した。それは当時わたしたちは田舎の小さなパン屋で、親はそれほど忙しくもなく(苦笑)一日中在宅しており、親も子も「いつも通り」でいられたことも大きいかもしれない。

けど、ふりかえって考えてみるに、こどもらにとってその頃~ガッコに行かないあいだ「家」での時間がたのしかったかどうかはわからない。あたりまえのことだけど、家には家の鬱陶しいこともいっぱいあったはず。何より自由でいることって、つねに自分で何をするか、何がしたくないか、向き合うことにもなるわけで。それは単純に気楽というわけにもいかなくて。

ただ、退屈するほどにいっぱいの時間があったのはよかったとおもう。彼らの芯のところにあるのは、その長い時間「わからなさ」に、たちどまり、地団駄を踏み、なやみ、考えた(続けた)ことだと思う。いま大人になった息子らを見ていてそう思う。いや、でも、こういうのもぜんぶ親のわたしが勝手に思ってるだけかもしれない。なんせ、こどもは親のきゅうくつな思いなんか蹴飛ばして大きくなってくれる。

▲【学校というと、どうしても、なにか将来のために「力を身につけていく場」だというイメージがあります。保育所、幼稚園で力を身につけて小学校、中学校、高校へ、そして高校までに身につけた力で大学へ、さらに大学で力をつけて社会へ、という感じです。だけど、この発想をつきつめれば、園は学校へ行くための準備、学校は社会に出るための準備ということになります。そんなふうに見れば、なにか、いつも将来のために準備ばかりしていなければならないような気分になってしまいそうです。

よく考えてみれば、人生に準備の時代など、ほんらいはないはずです。】(p22p23

▲ここまで書いて、ふとデパ地下やスーパーのポップを思い出す。次から次に「準備」することに気を取られていると、たちどまって考えることがなくなってしまうんやないかなあ。くわえて、忙しくすることで考える時間をなくすことも。

この本、学校の話だけじゃなく思春期の話(第四章 思春期はややこしいもの)もあり今回も読み応えじゅうぶん。おすすめです。

▲さて、もう一冊は図書館の児童書コーナーで出会った写真絵本『おじいの海』(濱井亜矢 写真・文)この本は福音館の月刊『たくさんのふしぎ』2004年5月号~タイトルから想像つくように沖縄の海と「おじい」と呼ばれる仲村善栄さんのお話。

▲仲村さんは1917年(大正6年)沖縄生まれの沖縄育ち。本が出たころは86歳の海人(うみんちゅ)。小さいころから海が好きで12歳のとき父親について漁を始めたそうだ。54歳のとき病気になった仲村さんは入院先の医師に「もう海に潜ってはいけません」と告げられて。仕方なく海の上でできる仕事をしてたんだけど。

【ちっともおもしろくありません。船の上でじっと待ってることができなかったのです。やはり海の中にはいって、魚を追いこんでいくのが性にあっていました。そこで、自分のペースでできるよう、ひとりで追い込み漁をはじめたのです。】

この一人追い込み漁の「おじい」のかっこいいことというたら。麦わら帽子に白いシャツ~強い風でも吹いたら飛ばされそうな痩せて日焼けしたおじいさんが(すみません)ゴーグルつけてウエットスーツ着るや、いっぺんにスーパーマンの如くしゃきーんと変身。ああ、もう、このひとはしんそこ海がすきなんやなあと、海中の写真など、ほんまかっこよくて惚れ惚れするようで。

でも、家族はみな高齢で海に出る「おじい」が心配。だから【海に出るときのおじいは風のようにすばやい。だれがなんと言おうと、おじいはあっという間に準備して、「一時(ちょっと)行ってきよーね」と、にげるように海へ消えていきます。】~ちょっと俯きかげんに出てゆく「おじい」の姿は親に叱られながら、遊びに行くこどものようでかわいらしい。

▲この本を読んだあと、わたしはふと母のことを思う。

始まりは、ただ親の言われるままに結婚した相手の家の仕事にすぎなかったのに、ろくに包丁も持ったこともなかったのに。川魚を捌き、へついさん(おくどさん)で次々炊き上がってくる5升釜のご飯を、大きな飯台にうつし、酢飯をつくり。旅館のおかみさんもして、働いて働いてきたから。いつのまにか仕事が自分の背骨みたいになってしまったんやろなあ。

いまあり余る自分の時間が、しみじみさみしいという。日々できなくなることがさみしいという。「せやから、できんようになること増えても、まだ、なんとかできることで、わたしは役にたちたいねん」という。
そう思ったらじっとしてられず、さっそく今いるホームの職員さんに「何でもわたしにできる用事言うてちょうだい、っておねがいした」そうで。

そんでな、レクレーションに使う輪投げの輪作りを、手伝わせてもらってん。「さん、仕事早いねえ。もうちょっとゆっくりしてよ~」と職員さんに言われてん~と得意気に話す母。ところが、がんばりすぎたのか、くたびれたのか、かんじんのレクレーションの時間に熟睡してた、というから、いかにもお母さんらしいな~とつれあいと大笑いした。

▲話そうと思うことばがすっとでてこない、話してる途中で次のことばを見失う。歩くのもおぼつかなくなって・・と最近元気のない母にも、着せてやれる「おじいのウエットスーツ」はないものか、とかんがえる。(とりあえず今日つれあいとCDプレイヤーを買ってきた)

▲そうそう、これを書きながら『おじいの海』の仲村さんのことが気になりネットでみたら、20105月に急性心不全で亡くなってはることを知る。「4月下旬、久しぶりに次男の茂さんと共に漁に出た際海中で心肺停止となって・・」と新聞記事にあった。そうか~ほんとうに最後の最後まで海人やったんやなあ。94歳だったそうだ。

*追記

その1

『おじいの海』作者のブログ

「おじい」亡きあとのエピソード~とてもいい記事です。


その2

書きそびれた本

『俳句と暮らす』(小川軽舟著 中公新書)


その3)

今日はこれを聴きながら。
まだまだ暑い日がつづきますが、
体調くずさないように気ぃつけてくださいね。

Keaton Henson - Nearly Curtains


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# by bacuminnote | 2017-08-02 21:24 | 本をよむ | Comments(2)

ひきだしをあける鍵。

▲蝉の大合唱と、パジャマの襟の汗のつめたさに、今朝もアラームの鳴る前に目が覚めてしもた。夜中には暑いのとトイレで何度も起きたから。寝不足でぼぉーっとしながら雨戸を開けたら、思いがけず涼しい風がすいーっと束で入ってきて、ああ、ええきもち~と深呼吸ひとつ+大あくび。

洗濯物を干していたら、百日紅の花がいっぱい咲いているのに気がついた。

前は、昔の絵葉書みたく濃い青空を背景に、やっぱりつよい色調のピンクの花が苦手やったから。なんでお義父さん、こんな木植えはってんやろ~と思ってたんやけど。いつのまに、いつからか、気になる花になって。
「さみしさは空の青色さるすべり」(拙句なり~)

そういうたら、いま読み始めた『俳句と暮らす』(小川軽舟著 中公新書)の冒頭「金盥(かなだらい)傾け干すや白木槿」(軽舟)の一句のあと、「俳句とは記憶の抽斗を開ける鍵のようなものだ」ということばに、そうそう!と声をあげる。この白木槿からも、ウチにもあった木槿の~高いとこで咲く花をいつも首をぐっと伸ばして見上げてたこと。根腐れして植木屋さんに切ってもらった日のこと。義父のすきだった木槿や百日紅の花や俳句・・と抽斗の中にいろんなものが詰まってたことに、この一句から気づく。

▲さて。
大阪の日中の暑さは日々もうハンパなくて。いつも通る歩道橋でも立ち話してる人はだれもいない。顔見知りに出会っても、みなさん立ち止まることもなく「暑いねえ」「ほんまになあ」で済ませてはる。きもちのええ季節やと「もうちょっと隅でしゃべって~」と思うほど、老若男女「立ち話のスポット」(苦笑)なんだけど。


信号待ちの横断歩道では、じりじり照りつける暑さに堪えてか、口をぎゅっときつく結んでる人、あくびしてはる人。そんで、そんな知らない人らにさえ、つい「たまりませんねえ」と同意を求めたくなるような(実際求められることも時々ありマス)毎日である。ということで、こころから暑中お見舞い申し上げます。

そんなどこにも出かけたくないよな暑さの中、この間ひさしぶりに隣町のレンタルショップまで足をのばした。

『みかんの丘』(ザザ・ウルシャゼ監督)と『とうもろこしの島』(ギオルギ・オヴァシュヴィリ監督)は上映時に行けなかったので、二枚とも棚に見つけて小躍りする。そして、これまたひさしぶりに、フウフで(各自!)鑑賞のあと、食べながらのみながらの感想大会となった。

映画のチラシには二作とも「世界は閉じたままで、いまだに出会うことがない」と大きな文字が入る。どちらも簡単に言えば傷ついた兵士を匿って世話をすることになるんだけど。戦争に「簡単に言えば」はなくて。つねに複雑で理不尽で不条理の世界だ。

▲どちらも、深くいい映画だったけど、きょうはそのタイトルからもよい風の吹いてきそうな『みかんの丘』の感想を書いてみようとおもう。この映画は木工の場面から始まる。
ジョージア(グルジア)のアブハジア自治共和国でみかん栽培の村は、エストニア人の集落だったが、ジョージアとアブハジアに紛争が起きて、殆んどの人たちは帰国。居残ってみかんの木箱を作るイヴォ(これが冒頭の場面!)と、みかんの収穫をする友人のマルガス。

ある日彼らは家の近くはげしい銃撃戦で負傷した二人の兵士(亡くなった人たちには、土を掘って埋葬する)を、自宅に連れ帰り手厚く介抱する。

この二人の兵士、一人はチェチェン兵(アブハジアを支援)のアハメド、もう一人はジョージア兵のニカ。

瀕死のときは、まさか同じ家に「敵」がいるとは知るよしもないけれど、少し怪我が落ち着いてきてそれを知ったとたん、お互いに殺意をむき出しにするのだった。そこで、イヴォはこの家の中では絶対に戦わせないと宣言。

画面のむこうのやりとりを見ていると「敵」って何なんよ?と滑稽ですらあるんだけど。それでも、ちょっとしたこと(本人たちには「ちょっと」ではないのだろ)で、文字通り一触即発状態が続く。

マルガスには、とりあえず今はみかんを収穫したいという理由があるものの、イヴォの家族はすでに帰国しているようなのに、なぜ彼はひとりこの地に残って、みかんの木箱を作り続けるのか~よくわからないまま物語はすすみ、終盤アブハジアを支援するロシア兵たちがやってきて、また銃撃戦が始まる。


採る人をなくした鈴鳴りのみかん。死んでしまったひと。遺されたひと。少しずつ解ける謎も、やっぱりわからないままのことも。最後はみかんの黄色が悲しみの中でわずかに希望のようにも感じる。

わたしはずいぶん前に観た『ククーシュカ ラップランドの妖精』という映画を思い出していた。この映画も夫をなくし一人暮らしのサーミ人の女性が、それぞれの事情でそこに置き去りにされたフィンランド兵とロシア兵を助ける話だった。

大きなちがいはククーシュカ・・の三人は言葉もフィンランド語、ロシア語、サーミ語と、まったく通じなかったこと。勘と諦めの中で(あとセックスが介在すること。これがじつにおおらかでええ感じ)ぶつかり、わかり合えないながらも奇妙な三人の共同生活が始まって、(ここにも少し書きました)そして最後はそれぞれの地に戻ってゆくんだけど。

いつも思う。そう簡単にはいかん、ともうひとりのわたしが強く言うんだけど。ひととひとは仲良くわかりあって暮らせるのが一番。でも、その難しさは夫婦だって親子だって、そうそう簡単なことじゃないことぐらい皆わかってる(はず)。まして育ってきた環境も言語も宗教もちがえば、当然価値観も大きく変わってくるだろう。

それでも。
あるキョリを持っての暮らしなら、多少のぶつかり合いや揉め事もありながらでも、やっていけるんやないか~と。じっさいやってきた歴史があるんやないか、と。世界が開けるときがあるんやないか、と。いちばんの問題はいつもそこに他所から「介入」してくる大きな力が在ること。そこに支配や搾取や権力が大きな顔して居座ること。

「王様のなんにもしない涼しさよ」(火箱ひろ)

*追記

その1)

わたしは2010年からはじめたTwitter~すてきでおもしろい友だちといっぱいであえました。で、つねづね「北の友」と呼んで、リスペクトしている(けど、まじめな話から昔からの友だちのように映画に本に音楽に・・と、なんでも話してる)詩人 番場早苗さんがこのたび個人誌『恒河沙』(ごうがしゃ)を発刊されました。


その中~34頁にわたる論考「砂州をこえて 佐藤泰志「海炭市叙景」論」はわたしたちが知り合うきっかけにもなった『海炭市叙景』(佐藤泰志著)についての力強い、そして彼女ならではの視点(くわえて同時代に佐藤氏とおなじ砂州の街で生まれ育ったひとの眼)で丁寧に綴られた力作なのですが。


あろうことか、わたしにも「なにか」とお声がけくださって。

からだはデカイがこころは極小(ほんまです)のわたしは尊敬する番場さんの誌面をわたしなんかが・・・と後ずさりしつつも、このブログの続きみたいな感じの一文「映画の時間」というエッセイを載せてもらいました。


くわえて。

十代のおわりからの長いつきあいで、ふだんはあほなことばっかり言い合うてる旧友で漫画家うらたじゅんが、同誌にとびきりの絵を。彼女のひさしぶりの白黒の絵は、架空のまちの映画館ナポリ座と市電とチャンバラ好きのこどもらが、こちらに語りかけてきます。そんなにぎやかな声まできこえてきそうな温かな、うらたじゅん渾身の一枚であります。


そんでまた、たまたまなのですが。
今月からその
うらたじゅん個展が、番場さんのホームタウン函館で開かれるという。件の映画館の原画も展示されるという・・・

いやあ、ほんま ひととひとが出会ったときにおこる波は刺激的でうきうきします。波というのは、うまく、たのしく乗れるときばかりやないけど。波乗りはやっぱりおもしろいです。(ほんまの波乗りは未経験!)

『恒河沙』 ~すてきな表紙絵は作家 吉村萬壱氏によるもの。


その2

『真ん中の子どもたち』(温又柔著)読了。

残念ながら芥川賞受賞にはならなくて。別にとれなくてもええやん(すみません!)~とか思ってたんだけど。発表後温又柔さんのツイート読むと、せやなあ。取ってほしかったなあ、と改めて。

【日本語は、私たちの言葉でもある。日本は、私たちの国でもある。政治家がそれを言えないのなら、小説家の私が言う」。今夜、テレビで、そう言いたかった。それが叶わなかったことだけが、少しくやしい。だからこそ、これからも書き続けます。今までと変わらず。だれに頼まれなくとも!

その3

きょうはこれを聴きながら。

『みかんの丘』で流れてた曲。 しみじみ いいです。

niaz diasamidze - mandariinid (soundtrack)→


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# by bacuminnote | 2017-07-23 21:51 | 映画 | Comments(2)

濃い色から淡い色に。

空が急に暗くなったので、軒下の洗濯物を家の中に入れた途端、雨が降り始めた。いきなりの大雨と雷は空が割れるんやないか~と思うほど大きな音で、洗濯物を腕にいっぱい抱えたまま立ち尽くす。ちょっとした雷でも、きゃあきゃあ大騒ぎするこわがり(←わたし)は、こわすぎると逆に無口になり、くっと息を潜めて「嵐」が通り過ぎてくれるのを待つのだった。

▲幸いはげしい雷雨はいっときで終わって、雨のあがった後、辺りはしーんとしてる。短時間とはいえ一気に水浴びした緑たちが、薄暗い庭のむこうで、今にもごそごそと動き出すんやないか、と思うほど生物(いきもの)らしい表情を見せており、ちょっとこわいようなうつくしさに見入っている。窓からは涼風(すずかぜ)がすいーっと入って来た。

▲ぼんやりしている間に7月になった。
ケッコンしてから7月は二人の母の誕生月になり、いつも何を贈ろうかとあれこれ悩んだものだった。
義母に初めて誕生祝いをしたとき~たしかそれは白地に紺のシンプルな幾何学模様のブラウスだったとおもうんだけど~包みをバリバリと開け(義母はいつもゴーカイに包装紙を破き、リボンでくるくる巻いてゴミ箱に。母はというと、留めたセロテープさえも爪の先でそろりと剥して包装紙もリボンもぜんぶ取っておくタイプ)ブラウスを胸に当てるや「うれしい」と泣き出さはったんで、びっくりしたりカンゲキしたり。

母の誕生祝いを娘らが贈るのはごく自然のことだったけど、義父もつれあいも義母にそういうことはしたことがないらしく「ウチとこは、だーれも祝ってくれへんから、わたし自分の誕生祝い用に毎月掛け金してたんよ。一年たって満期になったら、それで自分で何か買うてお祝いしててん」と泣き笑いしながらその場ですぐにブラウスを着てみせてくれて、うれしかった。

▲なんというても「自分のための掛け金」というのが新鮮で。なかなか「自分のため」にお金を使わない母にも教えてあげなあかんなあと思ったものだ。そんな義母の誕生祝がいらなくなってもう三回目の7月だ

そういうたら、母のことは「母の日」に誕生日に、と忘れたことなかったけれど、父のことは時々知らん顔で過ごしたっけ。とりわけ「母の日」には娘らから何やかやと送ってくるのを「おまえはええなあ」と羨ましがっていたらしく。いつだったか母から「(お金は)わたしが出すし、お父さんにも父の日に何か贈ってやって」と電話がかかったことがある。

果たして、そのとき父に何か買うて送ったのかどうか全く記憶にないんだけど。母が娘らからの贈り物の包みを開けるそばで、拗ねたように新聞読みながらその様子をちらちら見ている父の姿が浮かんで、今更ながら笑うてしまう。

この間、三番目の姉がこどものときの写真をメールで送ってくれて、その中の一枚はわたしもだいすきな写真なんだけど、残念ながらわたしと母は写っていない。(わたしが生まれてまもない頃やろか)コート姿の父がしゃがんで、姉二人が両脇に、三番目の姉が父の膝に小さな片手を置き座って笑っている。父は若いときの佐田啓二みたいに、ちょっとおとこまえで「マイホームパパ」みたいにやさしく微笑んで。姉と「写真はうそつきやなあ」と笑う。


▲時代も家業も「成長期」で、とにかく年中忙しい家やったから、お客さんや近所の人に娘四人のことを「お嬢ちゃんばっかりで、にぎやかでよろしおまんなあ」とか言われると、いつも「つまらんけど、まあ、女の子やさかいに(家業や家事手伝いに)よう間に合いまっせ」と、父が答えていたのが、こども心に腹立たしかった。

▲思春期になると「待ってました」とばかりに父に反抗しては、そんなとき決まって返される「だれのおかげで学校に行かせてもろてるねん!?」には、よけい反抗心を燃やしてた。(一度「お母ちゃん!」と応えて、激怒されたっけ)

先日、是枝監督のエッセイ「父の借金」を読んだ。(是枝裕和対談集『世界といまを考える』第三巻 PHP文庫 所収)

是枝氏がお父さんのことを語っている文章は何度か読んだことがあって。だから【台湾で生まれ、従軍し、満州で敗戦を迎え、進駐して来たソ連軍に捕虜にされ極寒のシベリアに連行された。そこでの三年近い強制労働を何とか生き延びた末に初めて本土の土地を踏んでいる】(p385)ということは知っていたのだけれど。

タイトルにある「借金」の大変さは、だれよりも氏の母親が何度も味わうのだが、大人のしんどい状況は、たいていこどもにとっても辛い状況なわけで。ふいっといなくなる父親と、借金の不安はいつまでも消えない。そうしてお父さんは八十歳のとき、自宅からバス停に向かう道で突然倒れて亡くなる。

遺族にとって、一番心配だったのが、どこからか大きな借金が出てくるのではないか?ということだったそうで。母親には内緒で氏はお姉さんと父親の持ち物を探り、一枚の消費者金融のカードをみつける。

▲借り入れ額は、意外に少額で146130円だったらしい。ところが7年ちょっとの間に200回以上も返済と借り入れを繰り返してることがわかる。八千円返済して同時に五千円借りて。九千円返して六千円引き出し。九千円返して一万円借りる・・・というふうに。

▲消費者金融の分厚い明細を首をかしげながら息子が繰ってるようすは、なんだか是枝監督の映画の一場面を観ているみたいだ。可笑しいような哀しいような。それでいてやっぱり訳わからんお父さんのエピソードだけど。ひとはわからなさの中で生きているんやろな~としみじみ思う。他人のことも自分のことも。

そうしてわたしが父親にたいするきもちも、訳わからんまま、許せないと赦すを行き来しつつ、でも少しづつ色が変わってきてる気がする。寒色から暖色に。濃い色から淡い色に。

【僕が描いてきたのは、不在の父の役割を担い、子供時代を奪われたまま成長する少年や、家の中での居場所を失い、自分が稼いで建てた家を孫からは「おばあちゃんち」と呼ばれることに不満を抱く引退した医者の父でしかない。父は常にどこかで屈折し、居心地が悪い。そして、そんな父の苦悩は周囲からは理解されず、謎として処理される。それが、僕の父に対する実感なのだと思う。】(p384

【僕の父は死してなお謎のままではあるが、しかし、それは闇の中に不安や恐怖とともに存在する謎ではもはやなく、どこか暖かさを感じる光のようなものに変質している。それは僕が父になったこととどれ程関連しているのか?僕自身にも未だわからない。】(p392


*追記

その1)

是枝監督の対談集は1~3まであって、対談の相手もさまざまでおもしろく読んでいます。今回エッセイ(初出は『考える人』2015年冬号)にはお父さんの話にビクトリ・エリセ監督の『エル・スール』(←だいすきな作品)を重ねていて、この映画もまた久しぶりに観たくなりました。

この第三巻の最後は鴨下信一氏との対談「ホームドラマにおける芝居とはなにか」には、山田太一脚本の『岸辺のアルバム』から懐かしい『天国の父ちゃんこんにちは』まで語られていてうれしかったです。


『天国の・・』は1966年から放映されていた連続ドラマで、わたしは小学生の頃観ていたのですが、大人になって、「ひととき会」(朝日新聞「ひととき」欄に掲載された人たちの会)に一時期入り名簿に原作者の日比野都さんのお名前を見つけて、おお!とカンゲキしたことを思いだします。

ドラマのなかで何度も出てきた詩(主人公の「パンツやのおばちゃん」が亡き夫からプロポーズされたときの詩)もよく覚えています。

*このテレビドラマの一部(動画)を見つけました。劇中(3分あたりから)~園佳也子さんがこの詩を朗読してはります。→ もう主演の森光子さんもこの園佳也子さんも故人となられましたが。


【貧しいから あなたに差し上げられるものといったら

やわらかな五月の若葉と せいいっぱい愛する心だけです。

でも、結婚してくれますね。】


その2)

ペーター・ヘルトリング が亡くなられたそうです。

大人になってから、こどもの本を読むきっかけになった作家でもあり、いっときはわたしだけやなくて、息子も夫もよく読んでいました。『ヨーンじいちゃん』『ヒルベルという子がいた』『ひとりだけのコンサート』『クララをいれてみんなで6人』・・・と思い出す本がいっぱいです。(ここで少し書いたのは彼の自伝的な本『おくればせの愛』→


その3)

今回書けなかったけど読んだ本。
『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女』(上間陽子著 太田出版)→


その4)

観た映画。(よかった!)たいてい観たいと思う映画は、わたしが諸々の事情で行きにくい映画館でかかってて、いつも諦めてるのですが、これはわたしでも「行ける場所」だったので、迷わず行ってきました。

「トランプ政権がイランをふくむ特定7カ国へのビザ発給制限と入国の一時禁止を検討しているとの報道を受けて、主演女優タラネ・アリドゥスティとアスガー・ファルハディ監督も〈もし私の渡航が例外とされても到底許せない〉と声明を発表」~授賞式を辞退ということで話題にもなりましたが。

『セールスマン』


その5)

きょうはこれを聴きながら。
Patrick Watson - Shame


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# by bacuminnote | 2017-07-11 09:21 | 本をよむ | Comments(0)

たっぷりと水をかけて。

ひさしぶりに墓参。
今春は京都大谷さんへの納骨からはじまって、身内の入院、母のホーム入居と続き、さすがの出無精(わたし)も毎週のように、あっちこっちに移動することが続いて、いつになく電車もバスもタクシーもぎょうさん乗って。

▲その合間に膝痛がぶり返したりおさまったり。よりによって、こんなときにどこからか水漏れで、水道工事は入るわ、PCのバッテリは交換せなあかんわ・・・。なんせ一日1イベント体質()なもんやから、日々おたおたとしながら過ぎて。

気がつけば6月もあとちょっとでおわり。
まだ堀ごたつのヒーターも片付けてないし、ダウンジャケットの洗濯もしていないけど。とりあえず晴れマークあるうちに~と、久しぶりのお墓掃除に出かけたのであったが。

梅雨時に雨の心配をしなくてよい真っ青な空はありがたかったものの、まあ、この日の暑かったこというたら。

近いようで遠い隣市の墓地までは、いつものように、時間はかかるけど、安うて乗り換えなしのバス~始発から終点まで約一時間。その間(かん)どれだけ停留所があるのか。いっぱいありすぎて数えたこともないけど。

それでも「次は◯◯~」というアナウンスに、降りたこともないのに、何回も乗ってるうちに耳になじんだ停留所のなまえが、その自動音声の妙なアクセントすらも、なんだかやさしくなつかしく聞こえて、自然と頬がゆるむ。

平日の午前中ということもあってか、車内はみごとに6080代で埋め尽くされている。後ろの席から押し車や杖を眺めつつ、買い物袋からはみ出た牛蒡や葱に、このひとらも又ウチみたいに早い時間に夕ご飯やろか~とその食卓に並ぶあれこれを想像したり、そや、今夜は牛蒡の時雨煮もええな~とか思ったり。

ようやく終点に到着して、近くのスーパーでお花を買う。
学生時代に、九州出身の友だちがこの「仏花」と名付けられた花と樒(しきみ)の束を、関西に来て初めて見てびっくりしたと言うてたのを思い出す。いわくジッカ周辺ではたいてい畑や庭に、仏壇やお墓用の花を何かしらは植えていて、適当にそれを切って束ねて生けたから、こっちみたいに、みんな揃いの短い丈のお花やないんよ~と。

わたしはこどもの頃から樒を後ろに当てたお花をひとまとめにして、花屋さんで作ってもらったり(出来上がりを)売ってるのが、仏壇や墓参用のお花~と思い込んでたけれど。考えてみたら、そこに咲いてるお花をお供えする友だちの郷里のほうが自然でええよなあと思ったり。
売り場の仏花の容器に「関西仏花」と書いてあったから、お墓の花も地域によってさまざまなんだろう。

▲そういえば、信州に暮らして初めての冬~雪に埋もれそうな墓石に、はっとするような赤や黄色が見えてびっくりしたことを思い出す。厳寒期にはマイナス20度をこえることもある地ゆえ、花も水もいっぺんに凍るから造花を入れてはったのだった。自然の中の作りものの鮮やかな色は、なんだかせつなくて忘れることができない。

さて、駅で乗ったタクシーから降りたら、とたんに地面から熱気がもわーんと立ち上がる。墓地にはすでに何人かお参りの人がいて、皆さん帽子と首にはタオル。どこもかしこも草ぼーぼーで、墓石が草に埋もれてるところもあって。入り口で背伸びして「ウチとこ」のを目視。「ひさしぶり」分の草の成長ぶりを確認。ため息。

さっそく花入れを洗い、ふうふう草抜きをしながら、ケッコンしたころ義父母に連れられて墓参したとき、知らんひとばっかりやった「ここ」に、今はもう、おばあちゃんもおとうさんもおかあさんも居はるんやもんな~と改めてケッコン39年という長い時間に感心して(苦笑)で、感心してる自分がまたおかしくて一人笑う。(あやしげなおばちゃん)

▲わたしはあんまり汗かきやないけど、この日は動くたびに文字通り「滝のような汗」が流れ落ちる。
夏に義母と墓参に行くと、きまって「おじいさん、おばあさん。坊(←つれあいのこと!)のおヨメさんと来ましたで~暑うおまっしゃろ~」とか言いながら、墓石にじゃぶじゃぶ水かけて。

「ああ、暑う。ウチも暑うてかなわんわ~」と柄杓を持ったまま首からかけたタオルで汗をぬぐってはったから。わたしもたっぷりと水をかける。
義母が逝って、ああもう二年たった。また暑い夏がはじまる。


*追記

その1)

暑いのんと、中腰で(膝痛でしゃがめないので)草抜きをしたので、ふらふら。ぐったり。「墓掃除一途になつてをりにけり」(岡本眸)~である。

で、駅についたらソフトクリーム、ソフトクリーム~とそればかり思って歩くも、駅の木陰でおにぎり食べたとこで時間切れ。バスが来てあわてて乗車することに(泣)


でも、帰りのバスは空いていて、バッグも横に置いて涼しい中で読書。ああ、ゴクラクゴクラク。この日はリハビリの帰りだったのでバッグに入ったままの本『ボーイズイン シネマ』(湯本香樹実)を。「シベールの日曜日」というフランス映画についてのエッセイを読みながら、途中出てきた寺山修司のことばについて、考えているうちによだれたらして(!)爆睡。気がついたら終点でした。
【人々は、自らが記憶し得た過去の情報の量を味方にして、現代の桎梏(しっこく)から身を守ろうとする】(寺山修司)

(同書p65 より抜粋)


その2)

いま読んでいる本→『子どもたちの階級闘争 ブロークン・ブリテンの無料託児所から』(ブレディみかこ著 みすず書房刊)

ブレディみかこさんの文章は以前からネットでも本でもよく読んでいましたが。あとがきにもあるように【政治は議論するものでも、思考するものでもない。それは生きることであり、暮らすことだ】(p282より抜粋)を、実感しつつ。この本のことはまたこんど書きたいです。

その3)

読んだ絵本→『先生ががんになっちゃった!』(宇津木聡史 文 河村誠 絵 星の環会刊)

これ、「学校の保健室」というシリーズの一冊みたいです。こんな本が出てるんや~とびっくりしましたが、ほかにも認知症やインフルエンザの巻もあるようです。→

この本は5年2組のみんなから慕われてる大野先生ががんで入院する、という設定で、心配でならないクラスの美咲と大輝は保健室の先生にがんという病気のことについて、質問して、それを探るべく体内への旅にでます。がん細胞の特徴、免疫細胞のこと。治療法では手術のほか抗がん剤から分子標的薬、放射線のことまで。思いの外くわしく書かれていて、正直なところ(こども向けやから、という先入観があったのやとおもう)おどろきました。からだのしくみを知ることはもちろんですが、「わたしたちには何ができるの?」という自らへの問いかけもあって内容はけっこう深いです。


(一晩考えてやっぱり~と書き加えました↓)

*気になったのは、本の最後の参考文献が二冊だけだったこと(内一冊はおなじ出版社の本)。医療関係者の監修がなかったこと。それから、わたしは絵のふんいき(これはとても大きいとおもう)が表紙もふくめて教科書の副読本的で、にがてでした。


その4)

そんなこんなで、映画もDVDも全然観てません(観たいのんいっぱいあるのに。残念!)それに、気がついたら本も、なんでか小説が全然読めないでいます。(読みたいのんいっぱいあるのに。残念!)


きょうはこれをひさしぶりに聴きながら。じつは"reticence"の意味もわからず、ずっと聴いてたけれど。「無口」といま知って、無口になっています・・。

Reticence- Ketil Bjørnstad  Svante Henryson →




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# by bacuminnote | 2017-06-27 18:47 | 出かける | Comments(0)

▲6.15なんという一日のはじまり。

いつもコンセントも抜きっぱなしのテレビに、それでも受信料をあえて払い続けているのは、国会中継など「ここ」というとき観たいからなのに。NHKは今回(も)中継をしなかったから。朝いちばんの珈琲も淹れずにパソコンの前に座った。

何もかも念入りに仕組まれた、でも、ちっともおもしろくないドラマを見せられている気分で。むかむかする。いや、ドラマだったら画面の向こう側で何が起きようが、気に入らなければスイッチを切ったらそれで全部お終いにできるけど。もはやそんなのんきな話ではなく。

前にも読んだ『茶色の朝』の恐怖を思いだしながら(ここに書きました )この本の解説にあった高橋哲哉氏の【やり過ごさないこと、考えつづけること】を自分に言い聞かせる。

そんな重いきもちとは裏腹に、梅雨ながら毎日ええお天気がつづいて。今日も又すきとおった青空がひろがる。刷毛で掃いたような雲が「何あほなことばっかしやってるねん!」と人間を笑い飛ばしてるみたいに見える。

庭の緑は(草のことデス)このまえ刈ったとこなのにもう伸びて。ぐんぐん伸びて。「七月や既にたのしき草の丈」っていう日野草城の句があって。最初「たのしき」やなんて。よう言うわ~(苦笑)とか思ったのだけど。

後日この句が草城の晩年に近い時期、病気療養のさなかの作句と知って、そうか。せやったんか~草の勢いに「生」を思ってはったんか~としんみりする。けど、ふりかえってみるに、わたしも友人たちも若いときは快活とか、精気みなぎる~みたいなのはなんか恥しいと思ってて。服装でも生き方でも、ちょっと草臥れたような、枯れてるのが、かっこいいと思ってた気がする。

▲いまはもうみなぎる精気などはないから。映画館のシルバー料金をなんの証明も要らないことにちょっと不満なおばちゃんであり。若い日の老成のフリが愚かしくもあり、いとおしく思える。

さて、晴天続きってことで、午後に買い物や用事に出ると保育園のおさんぽや小学生が校外学習?から学校に戻るところに、たびたび出くわす。ぞろぞろ、ぞろぞろ長い列だ。暑いし、だらけてる。あっち見て、こっち見て。歌をうたう子、大きなあくびの子。前とうしろで、足を蹴った、蹴らないで、けんかする子。通りすがりのおばちゃん(わたし)に手をふってくれる愛想よしから、口をぎゅっと結んだ不機嫌な子も。

ああ、にぎやか。皆それぞれ、ばらばらで。センセはさぞかし大変やろけど。ええなあ。こういうのすきやなあ~と後ろ姿を眺める。そしてその後ふと、この子らにあんな国会のようすを、嘘と詭弁にまみれた政治家たちのうす汚れたことばを、大人たちはどうやって説明できるんやろ、と思いながら、歩く。

この間からリハビリの待ち時間に『ボーイズ イン ザ シネマ』(湯本香樹実著 キネマ旬報社)という本を読んでいる。わたしの持っているのは初版1995年刊なんだけど、初めて読んだのはずっと後。だから中に紹介されている映画の上映が終わっているだけじゃなくて、DVDにもなっていないものが多くて、観る機会がないのはとても残念。(本も絶版のようで残念)

それでも、ふしぎなことに観たいくつかの作品についてのエッセイより、むしろ観たことのない作品について書かれたものが印象に残って。文章から想像してちょっと「観たような気になってる」ものの、実際には観ていないからそのうち忘れて。しばらくしてまた初めて読むきぶんで本を開く・・というようなことを繰り返してる。ああ、これこの前も読んだなあと思いながらも、書かれている著者のこども時代のエピソードがそのつどたのしい。

そのなかの一篇『アーリー・スプリング』は、【ある日、私は穴を掘りはじめた。穴のなかに秘密を埋めるのだ】と、始まる。いや、これも映画の話じゃなく著者のこどもの頃の話なんだけど、気になる書き出しだ。(この方の「始まり」はいつもええ感じ)

最初は母親にもらったクッキーの缶にだいじなものを入れる。字はまだ書けなくてりんごの絵を描いてハサミやのりやガラス玉のついた指輪や牛乳瓶のフタを入れて。そして、それをどこにでも持ってゆく。これ、たぶん女の子でも男の子でも覚えのあるシーンだと思う。

つぎに母親の鏡台の抽斗のひとつを専用の抽斗にもらうことになる。鏡台の抽斗と聞いただけで、わたしも当時母のつかってた乳液の瓶やヘアーブラシが浮かんでくるようだ。うれしくて、著者は大好きなワンダースリーのシール(手塚治虫のSFテレビアニメ)を貼って、いきなり母親に叱られ断念。次に思いついたのが、だいじなものをクッキーの缶に入れてそれを「埋める」という方法で。著者はいっとき家の庭じゅうを掘って掘って掘りまくるんよね。

そういうたら、わたしもラムネの瓶から取り出したビー玉を姉からもらって、庭に埋めたことがあったっけ。はじめは、毎日のように場所をたしかめて、追加にボタンや川原で拾ったきれいな石とかも入れたりしたのに。そのうち確認を怠って(苦笑)はっと気がついたときは、どこかわからなくなってしまった。
だいじにしなければ、と思うものはだいじにしすぎて(?)仕舞いこんで、それがどこだか忘れてしまう~というこまった癖は未だ治ってないんだけど。

▲やがて著者は中学校に入って、鍵のかかる抽斗のついた机を買ってもらい「秘密を隠す場所探し」はとりあえず終わることになる。
【私はいつも、その鍵を持ち歩いた。ひきだしの中身より、鍵が宝物みたいだった】(p16)この感じよくわかるなあ。わたしの場合は鍵付き日記だった。あこがれのそれを初めて手にしたとき、こんなのでちゃんと閉まるのかと思うくらい錠前も鍵も小さくて。指先でつまむようにして鍵をもって鍵穴に入れて回すと、カチッと錠が開いて。そんなん当たり前やのに、そのことにカンゲキして、中に何書こうかとドキドキしてた。

▲こんなふうに本を読みながらわたしは著者の思い出話から自分のこどもの頃へと、何度も何度も飛んで行ってる。すっかり忘れてしまってたようなことが、ふいに目の前に現れて。しばしタイムスリップしたみたいに「そのころ」を歩いてくる、というトリップを楽しんでる。たまに思い出したくなかったことも見えたりするんやけど。

そうそう映画のことは、最後の6行に書かれているだけ。湯本香樹実さんのこのセンスだいすき。(いつも長々しゃべりすぎのわたしのあこがれ)
この映画観たいなあ。(予告編

【『アーリー・スプリング』のエスターを見ていると、心のなかの秘密のひきだし、そこにおさめられた秘密ののぞみ、そんなものが世界の半分を占めていた頃のことを思い出す。少女のリアリティが心身両面から立ちのぼってくる、素敵な映画。エスターが駄菓子やパン類を頬張っているシーンがたくさんあって、そういうところもなんだかうれしくなるほど女の子そのものなのだ。】(同書p1617より抜粋)

*追記

その1)

思春期の鍵付き日記はともかく。社会にむけて自分の思いや考えに鍵をつけなくてはならないなんて、とんでもないこと。まして、その鍵をだれかに管理されるなんて、あってはならないこと、と思います。

その2)

このあいだ、本屋さんの絵本のコーナーに行ったら『たねがとぶ』という本と目があいました。どこかで見たことのある本だと思って奥付をみたら1987 年発行の「かがくのとも」(福音館書店)とあったから。探せば家のどこかにあるはず、と買いたい気持ちを抑えて帰ってきたのだけれど。帰り道もずっとタイトルの「たねがとぶ」が残っており。あらためて、ええ題やなあと思う。自分がずっと思ってることはこれやな、と思う。

道端の草に花が咲き、花のあとに実をつける。実のなかには種がある。


【たねは、くさの つくった くさの こども。

 やがて、くさの こどもは たびに でる。

 あたらしい ばしょに なかまを ふやすために。

 かぜに ふかれて そら たかく

とんで とんで とんで とんで、つちにおちて

めをだして おおきく なって、また たねを つくる。】

p1619

その3)

前回更新から16日も経ってしもて。長い休憩でした。休憩の間に、ここに来てくださった方、「なんかあったの?」と心配して尋ねてくださった方、ありがとうございます。わたしは元気ですが、これまでは年にほんの数回しかなかった遠出がけっこうあったり。いっぺんに複数のことができない不器用モンで、自分でもなさけなくなります。

そういうたら、昔パン屋のころ(前にも書いた気がしますが)一次発酵後のパン生地をスケッパーで分割して計量して、作業台で向き合って立つ つれあいがそれを次々丸めて天板に並べてゆくのですが。最初は寝起きということもあり(つれあいは午前2時半頃起床。わたしは一次発酵が終わった数時間後に起床、でした)無口なわたしも、だんだん調子づいて、しゃべりながら作業するわけです。

と、しらんまに話すことに熱心になり(苦笑)手がお留守になって、よく怒られました。この行程は、というか時間配分は発酵、焼き上げに影響するのでとても大切なのでした。で、しばらくはしょんぼり黙々とスケッパーで生地切る音だけが小さく響くのですが。が、またそのうち忘れておしゃべりを始めるんですよね。これが。(そして、今もかわらず・・)

その4)

きょうはだいすきなこれを聴きながら。

take a walk on the wild side・・

Lou Reed -Walk On The Wild Side→


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# by bacuminnote | 2017-06-17 10:56 | 本をよむ | Comments(0)

今月三度目の遠出。
いつも家に篭ってるから、外出が続くと自分やないみたいで、なんだか落ち着かないんだけど。この季節の吉野方面への道中は車窓からの景色を見ているだけで、緑がからだの中に入ってゆくというか、自分がどんどん緑になってくようで、気分が昂揚してくるのがおかしくて。
窓に額くっつけてひとり、くくくと笑うてしまう。いま暮らしてる町もけっこう緑は多いんだけど。ここ通ったあとに見たら、きっと映画のセットみたいに感じるやろなあ。

今回はつれあいとふたり。彼もまたこの前の息子みたく久しぶりの近鉄南大阪線~吉野線の景色にじっと見入ってる。
窓の外、ぽつぽつ見える建て替えの新しい家がある他は、わたしの高校の電車通学のころ(1970年代)とほぼ変わらず。ただただ山と少しの畑がつづく景色が沁みる。

いや、走る電車の中から通り過ぎる景色に、余計なものが何もない、と感動してるのと、そこで留まり暮らすひとの思いが重なるか、というのは、幾度か経験した田舎暮らしで少しは想像できるから。ときに「余計なもの」も生活を潤わせてくれるから。単純に「田舎はいいなあ」「住んでみたい」とは言えないんだけど。それでも。やっぱり、ついつい、なんべんも。「ええなあ、ええなあ」とつぶやいてしまう。

見舞いに行った先の病院もまた緑緑緑のさなかにあり、病窓から山の稜線がそれはみごとで、きもちがしんとする。
携帯用の絵の具セットでそんな山々を描いてるらしいと聞いてうれしかった。
そのむかし辰巳浜子さんの料理本でおいしいもんを拵えてくれたひとに、その娘辰巳芳子さんのスウプの本をもって来た。「ほな、またね」と握手(おもいきりハグしたいとこやけど傷口に堪えるし)して。お見舞いのつもりが、山々と澄んだ空気に見舞ってもろぅたきぶんで病室をあとにする。

オンバサラダルマキリソワカ。
(まえに旧友jと行った京都三十三間堂でであった真言。「いのりましょう。大切な人のために。そして、生きとし生けるもののために。」

次はいま走ってきた電車で何駅かもどって母のホームに。

午後のホームも電車もがらーんとして。停車のたびに車内をええ風が通ってゆく。なつかしい駅名に、ここからはあの子、次の駅ではあの子、と電車通学のかつての同級生の名前が(もうすっかり忘れていたのに)自然に口をついて、おどろく。
さてようやく最寄り駅に到着するも、タクシーも出払って、バスも次の出発まで45分もある。困った。つれあい一人だったら歩いて行ける距離なんだけど、わたしにはちょっとキツイんよね。

しばらくの間、母に要るもの聞いてコンビニで買い物したり、その辺うろうろして待ってみたけどタクシーは戻ってくる気配がない。

結局、停車中の行き先のちがうバスの運転手さんのアドバイスで、ひと停留所分そのバスに乗って残りふたつ分を歩く、という方法をとることになった。

その日は夏みたいに暑くて、ふたつめの訪問ということもあって、がっくりきてたけど、バスに乗るや「あ、やっぱり歩かはりまっか?」と運転席からバックミラーをみて運転手さんが声をかけてくれて。「他所から来た人」と思わはったんやろね。続いて「◯◯☓☓カードは持ってはりますか?なかったら、190円まわりしといてくださいや」と。

その親切な応対もうれしかったけど、何よりわたしは「まわりする」に、じんとくる。「まわりする」とは奈良県(主に南部?)で「支度すること」なんよね。ここでこんななつかしい言葉聞くとは思わへんかったから。一気に疲れがとんでいくようで頬がゆるんだ。
バス停ひとつ分はあっという間にすぎたけど、坂道だったので助かった。降りる時も「この道、まーっすぐ、まーっすぐですさかいに」と教えてくれて「おおきに~」と下車した。

部屋でじっと待ってられへんかったのか、母は押し車を押して玄関ホールまで降りてきており、苦笑。そういうたら、つれあいのお母さんもわたしらが滋賀や信州の家から車で帰省のおり、何度も玄関の外まで出て(携帯電話のない頃やから何時に着くかもわからへんのに)待ってはったようで。
そんなお義母さんをみんなで笑うてたのに、今はわたしが息子らが帰ってくるとき、おなじようなことをして「いさこさん(義母のなまえ)現象」と家族にからかわれている。

長生きしてよかったことも、しんどいことも。母の喜怒哀楽も日替わりだけど、ここに来てもやっぱり好奇心旺盛で、若いスタッフに「ずっとこの仕事してはるの?」とか話を聞いたりしてるようで(苦笑)。
「なんか営業の仕事してたらしいけどやめて、僕には介護の仕事が合うてると思います~って、言うてたわ」とか「今日は100歳のひとが前に座らはった。100歳のひとなんて初めてや」とコーフン気味に話す母も、一ヶ月後には94歳になる。自室の壁には、わたしが出したポストカードと、習字教室で書いたというじまんの一枚(たぶん)が貼ってあって。「五月晴れ」と書かれてた半紙が風でゆれていた。

*追記(いつものことながら、長いです)

その1

この日のおともは『もういちど自閉症の世界と出会う 支援と関係性を考える』2016年刊)という本でした。この間読んだ『ち・お115号』「親になるまでの時間」前編(浜田寿美男著)がとてもよかったから、自分のなかで反復したり、書かれたことについてつれあいとご飯たべながら、のみながら、話したりして。いろいろ考えていたとこに、ツイッターでよくやりとりしてるkさんがこの本に言及されていて。ああ、その本つれあいが買うてウチにあったなあ~と思い出して、読み始めたのでした。

ツイッターのたのしいところは本や映画をきっかけに、それが広がり深まる「きっかけ」を得られるところ。あとは自分しだい。そのまま忘れてしまうこともあるし、本や雑誌なんかは知って、「おお!」とおもって即注文、ってこともある。自分では用意できなかった種をもらってる感じ。

『もういちど・・』は何人かのひとが書いてはるんだけど、とりあえず関心をもった浜田寿美男氏の頁(第三章 自閉症という現象に出会って「私たち」の不思議を思う~わかりあうことの奇跡と わかりあえないことの自然)から読み始めましたが、車中で何度も隣席に「ちょっと聞いて」と読み聞かせ(笑)をしました。このことは(さっき書きかけたけど、めちゃ長くなりそうやから)次回に書こうとおもいます(つもり・・)

そのまえに『ち・お115号』です。

いくつかこころに残ったところを書いてみますが、ぜひ読んでみてほしい一冊です。7月には116号がでます。たのしみ。

【あえていえば、人は発達のために生きているのではありません。どんなにささやかであれ、手持ちの力を使って生き、それぞれの生活世界を広げていく。新しい力が生まれてくるとすれば、それはその結果でしかありません】(p37

【実際、ことばが出てきてはじめて人同士のコミュニケーションができるかのように思われがちですが、ことばはむしろことば以前の身体でのコミュニケーションがあってはじめて出てくるもの、それを逆立ちして考えてはいけません。】(p46

【ことばを乗せるコミュニケーションツールが地球規模で蔓延するいま、ことばの空回りもまた蔓延しています。人類はどうしようもなくおしゃべりなのです。だけど、おしゃべりがほんとうに意味をもつためには、そのおしゃべりがテーマとする現実世界を、まずは身体で共有すること。そのためにはときとして沈黙して、互いの身体を見つめ、その表情を読みとることも大切ではないかと思います。】(p48

その2

引用文のなかの「そのためにはときとして沈黙して・・」は「どうしようもなくおしゃべりな」わたしに沁みることばでありました。

そういえば、そんなわたしがほんまにしゃべることができなくなった時があります。

時期的にいえば、下の子が小学校入学前だったことから、耳鼻咽喉科ではあっさり「ストレスかなあ」とドクターに言われたのですが。自分では保育園と小学校のちがい(たとえば食物アレルギーでお昼は別に作って持って行ってたことも、本人が入学前から「ぼくガッコに行かんとこかなあ」と登校に乗り気やなかった!ことも、保育園のときから「引き続き」という感じやったし)への不安も特別なかった気がするのですが。


何より、風邪でもない、扁桃炎でもないのに、なぜ声がでないんだろう。ていうか、ふつうはどうして声が出るんだろうと、生まれて初めて「しゃべる」ことへの疑問をもったことを思いだしました。

結局わたしの場合「声帯に隙間ができて震えない状態」やから声(音)にならないのだろう」ということで、一応なんか薬は出たけど、ドクター曰く「一番有効なのは沈黙です」とのことでありました。

これ、なかなか苦行やったんですが、黙ってると見える(感じる)こともあって、ええ経験でした。(しらんうちに治ったので、また忘れてしもてる・・)

その3

ここ二ヶ月ほどいろいろあって、容量のちいさい頭とこころがパンク寸前でしたが、ようやく山ひとつこえたかな、というとき。おもいきって映画館に行ってきました。たった2時間ほどだけど、暗闇で、ひとり、黙って(!)観て。
とてもとても佳い時間でした。映画館でたあとも、エンドクレジットのバックで流れ続ける海の音がずっと耳元で聴こえてた。ああ、海のそばに行きたくなりました。

『マンチェスター・バイ・ザ・シー』


その4)

『図書』(岩波書店)前からの連載(梨木香歩「往復書簡」)も、新連載(ブレディみかこ「女たちのテロル」などなど)~おもしろいです。4月号は本屋さんで本買ったときもらって、5月号はもらいそこねて図書館で借りて、6月号からとうとう定期購読注文。はやく届かないかなあ


その5)

長くなりました。さいごまで読んでくださって、おおきにです。

もう、日々煮えくり返るようなことばっかりですが。知る、考える、怒る、は手放したらあかんと思う。
きょうはこれを聴きながら。

Max Richter - Dream 1 (Before the wind blows itall away)



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# by bacuminnote | 2017-05-31 18:53 | yoshino | Comments(0)

雨戸を開けたら、朝のひかりのなか雨あがりの新緑がまぶしい。一雨ごとにボリュームアップしてる木々。
毎年のことながらこの時季の草の成長ぶりもまたみごとだ。とりわけどくだみの勢いというたら、ほんま笑うてしまうほどの繁殖力で。濃いハート型の緑はじわじわとかくじつに庭を覆ってゆく。

梅の木はちょっと見んまに実がなり始めて。木の下にはちっちゃな青いお臀がいくつも落ちているのに気づく。わさわさ黄緑色の薄い葉っぱも、すきまから見える空の青もすがすがしくて。首がいたくなるまで上をむいて「そうだ」とひと枝切って、ガラスの一輪ざしに活けてみる。
母がここに来たとき、おなじように空を仰ぎながら「梅の木があるのはええなあ」と言うてたことをおもいだす。八十代のころは何日も泊まりに来たこと、あったんよね。

「新緑やうつくしかりしひとの老」(日野草城)

そんなこんなで、ちょっと母の声が聞きたくなってホームに電話したら「きょうはな、朝食のときカーネーションを一本づつもらってん」とうれしそうに言うので「よかったなあ」とこたえる。いちおう「その日」が「ちょっとは気になってた」娘なのだ。

▲気にはなっていたけれど、あまのじゃくやし、くわえて亡き義母のホームでも毎年「母の日」にはお花の宅配便がいっぱい受付に届いていたのを思いだしたりして。この、同じ日にいっぺんに同じような贈り物の届くシステム(苦笑)がなんだかなあ~と思うのであった。届くひと、届かないひと。それにあたりまえのことながら母でないひともいて。いろいろ考え出すとついつい足ぶみしてしまう。

▲なにより、お正月の迎春商戦がおわると節分、バレンタイン、ひな祭り、ホワイトデー、イースター、こどもの日、そして母の日や父の日と・・・続いて。いつのまにか「~の日」は「なんか買う(買わされてる)日」になってしもてるのも気にいらん。
そんなカタク考えずにもっと気楽に贈り物しあったらええやん~と、もうひとりの自分がつぶやく。いやいや、贈り物はおくるのも もらうのも(!)大すきなんだけど。
踊らされるのは大がつくほど嫌なのであって。

先日、旧友Jと会った。何年も会えなかった時期もあるけど、こんなふうに、毎月のように会うて「つもる話」ができるのは、ほんまうれしい。

そういうたら、ケッコンして一年半ほどはJの家の近くに住んでいたんよね。(ていうか彼女の暮らすまちにわたしらが越して行った)
今おもえば、学生のころのように気楽で夢のようにたのしい時間だった。こどもの誕生後もしょっちゅう遊びに行って、いっしょに銭湯に行き、二家族で夕ご飯を食べた。

▲そうそう、この日はわたしが家を出た記念日で。そんなこと思いもよらずに会うたんだけど、ケーキセットにて(何にするか、きゃあきゃあ言いながら)祝った(笑)(*あ、イエデのことはここにも書きました)

あの日から早や38年である。20代やったわたしらも60をこえ、お互いのこどもらもええ歳になり、彼女は「おばあちゃん」にもなった。

▲ウチに寄ってくれた彼女にそのころからずっと使ってるフライパンを見てもらう。それはアパートを決めた日、彼女に連れて行ってもろた店で、ちょっと張り込んで買ったもので。近頃は重くかんじる鉄のフライパンを持つたびに、狭いだいどこに立って、なんでもかんでもこれ一つで作ってた頃をなつかしくおもいだす。

このあいだ『くらす』(文・森崎和江 絵・太田大八 復刊ドットコム)という絵本を読んだ。(この本は1983年に訪問販売でのみ発売されていたシリーズ本だったのを、2015年復刊ドットコムから出版されたものらしい)

小さな漁師町に暮らす人たち。両親と結婚がきまったおねえちゃん、年の離れた弟ひろしの四人家族の一日を、ひろしが語る。

〈あさの さんじに おきました そとはまっくら〉軽トラにいっぱい積み込まれた花。車のむかう朝市にはお店がいっぱい。

おとなりのおばあちゃんと猫。村のみんなで道路の大掃除。連絡船の船長さんはおねえちゃんの「こいびと」。船大工のおじさんの仕事場。畑帰りのおばさんは娘のゆみちゃんの車椅子を押してあるく。
〈ひろしちゃん あおぞらがいっぱいね〉〈むこうに あかとんぼがいたよ〉

〈ゆうごはんが すんで おかあさんが おふろで うたっています「ながいおふろね」とおねえちゃんが わらいました〉

いつもの毎日。あたりまえの暮らしのスケッチ。それなのに、なんでこんなにひとつひとつの場面に、その短い文と素朴な絵に、じんとくるのだろう。

▲いっしょに本を読んだJが「出てくるひとらの表情がええなあ~」と絵描きの眼で言うてたけど。そしてそれはもちろん太田大八さんの絵の力によるところが大きいのだと思うけれど。当時の(モデルになった)村のひとたちもまた、ひとりひとりちがうええ顔してはったんやろなあと思う。と同時に、いつのまに皆のっぺりと同じ顔になってしもたんか、と唸るのだった。

▲せやからというて、あっさり「昔がよかった」になるのはごめんだ。古く「悪しき」ものは終わりにして「良き」ものを残してゆくにはどうしたらいいか~「便利」にはかならず落とし穴があることをこどもらに(大人にも!)伝えるのにはどうすればいいのか。ああやっぱり、最後には「それは教育」と思うのだった。(以前ここにも少し書きました)


*追記

その1)

最近やっとすこし本が読めるようになりました。

いろいろ気掛かりなこともあるのですが、思うても詮ないことをぐるぐる考えてるより、本を読む時間がそんな「ぐちゃぐちゃ」から抜け出せる時間にもなる、と今更ながら気づいたりして。


『太陽と月と大地』 (コンチャ・ロペス=ナルバエス作 福音館書店刊)あの宇野和美さんの訳、あの松本里美さんの銅版画ということで、出版をたのしみに待っていました。カバーの絵も挿絵も、装幀もとてもすてきです。いちばんに頁を繰って挿絵を探してうっとり~なんて、こどものとき以来やなあ。

そして次に読むのが「訳者あとがき」です。(本編あとまわしになってすみません)宇野さんの「あとがき」にはいつも、著者のことだけでなく、物語の背景となる国の歴史や政情まできちんと書かれていて、ええなあと思います。ひとの暮らしのバックには、必ず歴史や政治があるわけで。物語にそれが直接描かれてなくても。登場人物や背景の理解が深まり、また次の「知りたい」につながってゆくから。


物語は16世紀のスペイン。キリスト教徒の伯爵令嬢と伯爵家に長年仕えてきたイスラム教徒の家に生まれた少年。両家の人々も、そして淡い恋心を抱くふたりも、宗教や民族の対立に巻き込まれてゆきます。
180頁の薄い本ですが物語は重厚です。最初は登場人物のなまえや地名がわからず戸惑いましたが。でも、
だいじょうぶ。ちゃんと最初に絵入りの人物相関図と地図がついています。


〈人が豆つぶのように小さく見える。遠くから見れば、キリスト教徒もモリスコも区別がつかない。みんなただ、人間というだけだ。〉(同書p113より抜粋)*モリスコというのはキリスト教に改宗した元イスラム教徒のこと。


〈しかし人が自尊心を持てるかどうかは、ほかの者が自分をどう見るかではなく、自分が自分をどう思うかで決まるのです。〉(同書p156 より抜粋)


その2)

観た映画(DVD)

「禁じられた歌声」

「永い言い訳」

「ブルゴーニューで会いましょう」 

「淵に立つ」


その3)

きょうはこれを聴きながら。

Stefano Guzzetti-Mother →






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# by bacuminnote | 2017-05-16 14:23 | 本をよむ | Comments(0)

▲もう5月だというのに、朝晩の家の中はひんやりとつめたくて。

パジャマ姿で起きてきた帰省子は(←これ、夏の季語らしい)「この家、ほんま寒いなあ」と首をすくめてウインドブレーカーのファスナーを上まであげる。
というわけで、わたしも相変わらず冬とあんまり変わりない格好のまま過ごしているんだけど。

ひるま買い物に出て、ウインドウに映った自分の冬っぷりに苦笑。いやいや、季節の先取りは若いひとらのもの。わたしは「ぬくい」がいちばんいちばんと背筋をぴんとのばしてみる。
そのくせ、帰り道の上り坂では汗ばむほどで。ほんま今時分の一日の温度差の大きいこというたら。風邪ひかんように気ぃつけんとね。

春になると早足でいってしもた友人らのことを思い出したりして。待って待って待ちかねたはずの春は、しかしいつもすこし憂鬱だ。くわえて寄せては返す大波小波。

そんなこんなで、こどもの頃すきやった爪楊枝の先でつついたら、ぷちっと弾けるまぁるい羊羹みたいに、ここんとこ「きんきん」なきもちを持て余し気味なんだけど。
あかんあかん~ごちゃごちゃ思うてないで、熱いお茶でもいれて、くるんと剥けた羊羹をぱくりと食べようやないの。

▲このあいだ図書館の児童書コーナーで、お年寄りの写真が表紙の絵本と目があった。その本『さいごまで自分らしく、美しく』 (写真・文 國森康弘 農文協)副題にはともにすごした「夢のような時間」とある。

表紙の老婦人は清子(せいこ)さん。夫を癌でなくしてから自宅でひとり暮らしをしていたんだけど、やがて介護が必要になって、娘さんの空美(ひろみ)さんらが週一回泊まりに来るようになり、とうとう2階に一家で越して来てくれる。

余談ながら「空美」という名前はお母さんの清美さんが出産のとき、お父さんが「助産師さんを呼びに走りながら見上げた夜空があまりにもきれいだった」からやそうで。このエピソードからも、仲のよいご夫婦やったんやろなあと想像する。
老いてなおチャーミングな清子さん~若いときは「銀座のOL」で。職場で出会ったおつれあいは、満員電車で押しつぶされそうな清子さんを守ってくれたそうだ。

空美さんは脳梗塞で半身まひしたお母さんの介護をする生活になるんだけど、仕事や家事をしながらのお世話が、だんだん大変になってきて。もう無理かも、というときにホームホスピス『楪』 (ゆずりは)の存在を知るんよね。そうして「楪」へのお母さんの入居が決まる。

「ここにきたときは、家を追い出されたように感じたわ」
「あたしのパンケーキがくずれていただけで、職員さんに文句いっちゃった。胸の奥でね、言葉にできないいろんな気持ちが、ぐるぐるまわっていたような・・・」
清美さんはそのころを振り返ってつぶやく。

人見知りはするし、人前でむじゃきに笑うのも苦手なの」

「気むずかしい人と、思われてるかもしれないわね」

初めて「他人と暮らす」毎日。けれど、そんな共同生活の中で清子さんは喜代子さんというかけがえのない友だちを得るんよね。

年老いて「出会えた」友だちとは「娘にいえないことまで話しちゃう」関係に。ふたりが話し込んでる写真は、ほんまにええ感じ。いくつになっても友だちってええもんやなあ。よかったぁ。よかったですねえ~と声をかけたくなる。

でも、そんなふたりにも別れの日は来て。
ねむる喜代子さんの手をにぎり「もう、お別れしなくちゃならないの?」と洟水の清子さんの写真がつらくてせつなくて。図書館ということもわすれて立ったまま泣いてしもた。
やがて清子さんも、とわのねむりにつく日が来て。娘の空美さんが狭いベッドに添い寝する姿に胸がつまる。

▲図書館からの帰り道も、家に着いてからも、この本の写真やことばが忘れられず、翌日もまた図書館に。おなじシリーズの『月になったナミばあちゃん』~「旅立ち」はふるさとでわが家で~も見つけて二冊借りてきた。

『月になった・・』は、かつてわたしらがパン屋をはじめた滋賀・愛知川(えちがわ)の、川の最上流にある君ヶ畑という集落で生まれ育ったナミばあちゃんが、ひとり暮らしの後、娘さんの家にひきとられ、ふたたび君ヶ畑に戻って旅立つまでの記録だ。

▲歳とって人生最後の住処が施設でもふるさとでも。見守ってくれるひとが娘や息子でも、友人でも、他人であっても。ふたりのおばあちゃんのお顔の清らかなこと。

この写真絵本をこどもたちはどんなふうに見るのだろうか。
生まれてやがてはだれもが死んでゆくひとの一生を、わたしがちいさかった頃みたく、こわいような物語の世界のような温いような冷たいような、ふしぎな感覚で読むのかなあ。

▲いや、そのまえにわたし自身が経験することであって。

そう思うと、ふだんは「じきおむかえがくるの、こないの」「おとうさんがなかなか来てくれへんし」とか、母と冗談言い合って大口開けて笑うてるくせに。本を読んだあと、胸の底からゆさぶられてる自分にちょっと戸惑うている。おとうさん、呼びにくるならゆっくりにしてね~

【いつか死ぬ。それまで生きる。】
『父の生きる』伊藤比呂美著 光文社刊 ~帯の惹句(以前
ここにも)



*追記

その1)
清子さんと喜代子さんの友情はやがて、喜代子さんの娘・恵子さん、そして空美さんと恵子さんの関係もいたわりあう仲になったといいます。このあたりのお話は10巻におさめられてるそうで、ひきつづき読んでみたいです。→

その2)

前回につづき、あまり本も読めていないのですが、「待っててね」とねかせてる(!)本を何冊か書いてみたいです。
『ちいさい・おおきい・よわい・つよい』115号の「親になるまでの時間」(浜田寿美男著)『ちいさい・・・』(略して「ち・お」といいます)の発刊は息子2がうまれた年なので、よく覚えています。それまでにない雑誌だったからです。育児雑誌というのはあったけど、こどもをとりまくいろんなひとたち、親や保護者も、そうではないひとたちも共に考える雑誌やったから。

今回はだいすきな古書店カライモブックスの奥田直美さんが編集人となった記念すべきリニューアル第一号で、その姿カタチもみごとな変身ぶり。かろやかなイエローのカバーもすてきです。雑誌というより大きなひとつのテーマの単行本のスタイルです。ふろくの「chio通信」というのが、附録なんて言うてええのか?というくらいのボリューム。ずばらしい。おすすめです。くわしくはカライモブックスのブログで→


『ちいさい言語学者の冒険』(広瀬友紀著 岩波書店)→

『ウィル・グレイソン、ウィル・グレイソン』(ジョン・グリーン、ディヴィッド・レヴィサン作 金原瑞人、井上里 訳 岩波書店)→

映画も観たいし本も早う読みたい。

その3)
今日はこれを聴きながら。フランス語はぜんぜんわからへんけど、聞いてると映画観てる(わかってる)気分になったりして(苦笑)カナダのケベックのバンド~ギターとヴォーカルはユベールとジュリアンのチアソン兄弟。
↓うたは英語。2'30"くらいから始まります。

The Seasons - Apples→






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# by bacuminnote | 2017-05-02 22:02 | 本をよむ | Comments(0)

小鳥くる。

▲めずらしく本を読まない(読めない)時間がここしばらく続いている。
それでも、こどもの時分からの癖で毎晩本を持って布団にもぐりこんで。目をとじる。眠れなくて目を開ける。ふたたび目を閉じる。
いつも枕元に本があるのは、たぶんわたしの安心のしるし。読んでも、読めなくても。

▲このあいだ(というてもだいぶ前になるけど)思い立って友人とドキュメンタリー映画『人生フルーツ』を観に行って来た。この映画のことは、もうずいぶん前からあちこちで、とりわけわたし位か、もう少し上の世代の人がブログなどでこぞって絶賛してはって。ほんま言うとね。それを読んだだけで、もう「観なくてもわかった」的気分になっており(すまん)。それに「おだやかにていねいに暮らす」とか言われたら尚のこと、背をむけたくなる天邪鬼も自分のなかにいたりして。

▲そのうち上映館も一つ減り二つ減り、まあいつかDVDになったら~とか思ってたんだけど。観てきた友だちが言うてた「二人、ほんとに仲がいいのよねえ」のひとことがずっーと残ってて。つまり「仲のよいフウフ」に引っかかってたもんで。「今さら」と思いつつ、公式HPみてみたらまだ上映館があることを知ったのだった。

▲ケッコンして40年近いというのに、いまだにかんかんがくがく、けんけんごうごう(苦笑)な自分たちをおもって、わたしは時々ふかーくため息をつく。
「あんたら若いなあ。わたしらそんなんとっくに諦めたわ」「もう今さら、人は変わらへん、って」と、センパイ方は言わはるんやけど。

▲「諦める」とか「言うても仕方ない」やなくて。
どうしたらフウフなかよく(いや、ウチも仲が悪いというわけでもないけど)何より、おだやかにすごせるのやろ~と。農的生活や「ていねいな暮らし」にスポットライトのあたるこの映画に求めるモンが「そこか?」と笑われそうやけど。けっこう真剣にそこのところを観て確かめたかったんよね。

▲その日は友人のやさしいエスコートで、エスカレーターやエレベーターを使って(方向音痴のわたし一人だと探すのにくたびれて仕方なく階段を昇降することも多いのデス)すいすい目的の映画館に。
お客さんは中高年の女性が多かったものの若い人らもけっこういて。
ひさしぶりに来たけど、ここはやっぱり上映してる作品がすきなものが多くて『草原の河』なんかはもう予告編のみじかい時間だけで、ぐっとひきこまれて観たくなる。
やっぱり、たまには「街」に出てこんとあかんなあ。

▲さて、本編である。建築家の津端修一さん(撮影当時90歳)は、愛知県春日市の高蔵寺ニュータウンの一隅に樹木と畑に囲まれたお家に妻・英子さん(87歳)とふたりで暮らしてはる。

▲修一さんはかつて阿佐ヶ谷住宅や多摩平団地などの都市計画に携わる。
そして1960年代 伊勢湾台風の高台移転として当時住宅公団のエースだった修一さんが高蔵寺ニュータウンの設計を任されることになって。

▲彼は風の通り道になる雑木林を残し、自然との共生を目指したニュータウンを計画するんだけど、経済優先の時代の波にのみこまれ、結局完成したのは理想からほど遠い四角い建物がずらりと並ぶ大型団地で。
その後修一さんはそれまでの仕事から距離をおき、自ら手がけた高蔵寺のニュータウンに土地を購入して家を建て、みんなにも呼びかけて雑木林を育て始め、里山再生のローモデルとして提唱し続ける。

▲「平らな土地に里山を回復するには、それぞれの家で小さな雑木林を育てる。そうすれば一人ひとりが里山の一部を担えるのでは」というわけだ。
映画の中でも「ドングリ作戦」と称し、開発でハゲ山になってしまった高森山に樹木を植える運動が当時の写真と共に紹介されるんだけど、氏の熱のようなものが伝わってくる。

▲彼の師アントニン・レーモンド氏の自邸に倣ったというおふたりの家は、木造平屋で台所と30畳の広いワンルームである。
大きなダイニングテーブルのうしろに、修一さんのデスクがありベッドもふたつ並んでいるのが見える。天井はなく、光の入る高窓を長い棒を使って開閉する。玄関もなくて、庭からそのままあがる。センスはいいけど、気取りのない、居心地のよさそうな家だ。

▲せやからね。
映画で映し出される二人は、ほぼこのダイニングテーブルの前に腰かけてはるか、台所か、70種類の野菜が育つ畑と50種類の果実が実る木々の辺りで土をさわってはるわけで。

▲そうそう。
あるとき「このテーブルから庭を見るのが気に入ってる」というような話になって、季節でテーブルの位置を少しずつずらしたりしてると二人が言うて。
「この位置がいい」という修一さんに、すかさず「わたしは、ほんとはもうちょっと◯◯のほうが好きなんですけどねえ」と英子さんが返してはって。
「お、いいぞ、いいぞ」(苦笑)とにんまりする。

▲津端さん夫妻は年齢的にはわたしの親世代であり。
母がそうだったように英子さんもまた夫・修一さんに話すのはキホン敬語である。でも、語り口は敬語だけれど、彼女は思ってることはちゃんと夫に言うてはるんよね。
なんども出てくる食事風景(畑のものを存分に使いおいしそう!)の中、朝食に修一さんにはご飯。英子さんはというたらパン~というのが印象的だった。ゆるやかに、しかし「自分流を通す」ということか。

▲で、わたしやったら、と考える。
和洋二種類も作るのフケイザイだの、めんどくさいだの~と、こぼして(自分のすきなものを)がまんしてつれあいに合わせるか、あるいは、つれあいに「今日はこれにしとき!」と押し通すか(苦笑)どっちかになりそうだ。(もちろん彼が自分で拵えるという選択もある)
でも、ほんま言うとこういう日々の一見「小さながまん」は積み重なると、思いのほか大きく膨れるもんなんよね。手間をおしまず「通す」英子さんはすごいなと思う。

▲そして、映画に映る修一さんはいつも笑顔だったけれど、かかってきた電話に(なんと黒電話!)講演だか取材だかの仕事を「わたしももう90歳だから自分のために時間を使いたい」ときっぱりと断ってはったのも残っている。

▲おだやかで豊かな暮らしやから、単純に好々爺みたく思ってしまいそうになるけど(そういうたら、いま「好々爺」に値する「好々婆」ってあるのかな、と調べてみたけど、なかった。気のいい爺さんはいるのに、婆さんはいないのか?と、愕然とする)その底辺には、厳しい「NO!」の思想が流れていることを。お二人ともそういう思いを共有してることを、あちこちでつよく感じた。

▲いろんなひとがブログなどで言うてはるから、ええかと思って書くけど、この映画の撮影中におもいがけず修一さんが、昼寝したまま起きてこなくなるのであった。ふたりはいつかひとりになるのであった。

▲毎年、障子の張替えをするのに、外で戸を洗うのが修一さんの役だったようで。わたしもまた、そのむかし信州の山ぐらしのころ、外で10枚以上の障子戸を洗って干して、障子紙を張り替えたときのことを思い出す。
英子さんは夫、修一さんから「自分ひとりでやれることを見つけて、それをコツコツやれば、時間はかかるけれども何か見えてくるから、とにかく自分でやること」を教わったと言う。

▲そうやよね、コツコツ、コツコツと続けることで見えてくるものがあるよね。そして、気がついたのは、互いのちがいをわかった上で同じ方向むいて暮らしてはったんやな、ということ。
結局のところ、わたしらは相手のちがいを未だ(しぶとく?)受け入れてないのかもしれなくて。この映画鑑賞後も、やっぱり相変わらず「なんで(わたしの/ぼくの言うことが)わからへんねん?」が続いてるけど(苦笑)

▲映画の中ではけんかもなく波風もたたず。修一さんの死の後もしずかで。そのころ雑木林にあった野鳥たちの飲み水の大きな鉢が割れてしまうんだけど。がっかりする孫たちに英子さんは淡々と言う。「しょうがないよ。いつかは壊れるんだから」と。
エンドロールのテロップにあった「すべての答えは偉大なる自然の中にある」(アントン・ガウディ)のことばを今あらためてかみしめているところ。


*追記

その1)

割れてしまった小鳥の水鉢はその後、お孫さんたちが修理して復活することになります。鉢のなか、きらきら光る水に、小鳥たちのすがたにほっとする思いでした。
「小鳥来るここに静かな場所がある」
(田中裕明句集『先生からの手紙』)

そうそう、映画をみたあと、とりあえず暖かくなったら、ひさしぶりに障子戸を外で洗って、障子紙の張替えをしようと思いました!

その2)

この間発売のその日に本屋さんに走った本。
ここんとこ、いろいろいっぱいあって。唸ったり考え込んだり沈んだりしてたけど。そろそろちょっとづつ浮上中。また寝床読書が再開できるかな。

『離陸』(絲山秋子著 文春文庫)の解説は池澤夏樹氏「この友人たちを得ること」という副題がついており。 【読んでいて気持ちがいい理由の一つは、この作家は自分の小説に登場する人物を愛していることだ。そんなことはあたりまえと思う人は多いだろうが、しかし世の中には(名は挙げないけれど)登場人物を将棋の駒のようにあつかう作家も少なくない。彼らは作中の彼ら彼女をぱちんぱちんと盤面に叩きつける】
(同書「解説」池澤夏樹 p422より抜粋)

その3)

ふたりといえば、このひとたち。音源のなかではいつまでもふたり。

Lou Reed andLaurie Anderson - Gentle Breeze→


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# by bacuminnote | 2017-04-17 09:40 | 映画 | Comments(2)

電車は臙脂色で。

夕方、母に電話をかける。 デイサービスに行く日は、母が家に帰って一息ついてる頃。家にいる日は、所在なげにベッドにごろりと横になってるであろう頃。そして、わたしは夕飯を拵え始める頃。おどけて”Hello! ”と声をかけるときもあれば、「今日はどんな感じ?」で始めることもある。

その日のお天気、母の健康状態、家族やご飯の話・・・と、たいていは、とりとめのないことを、菜っ葉茹でながら、煮物しながら、ちょっと一杯ひっかけながら、聞いたり、しゃべったり、笑うたり。
ときには母が興味もつような記事や、本の中の一文を電話口で読み上げることもあるし、このブログを更新すると「朗読劇場」と称して(笑)読んでみたりもする。

最近は活字を読むことが苦になっているようす。でも、まだまだ好奇心旺盛な94歳(誕生日までは93や~と返される!)が受話器のむこうで、前のめりになって「聞いてる」のを感じると、うれしくて頬がゆるむ。
自分の母親ながら、いくつになっても、知らないこと、新しいことを吸収しようとするところは、ええなあ、すごいなあとおもう。

で、その朗読劇場の最初のうちは「はいはい」「ふーん、そういうことか」という相槌に「あんた、うまいこと言うなあ」と、褒めことばもあったりで、ちょっとええ気になってると、そのうち「ふううう~」と長いため息が漏れ聞こえてきたりして。やがてガサガサと何かやってる音が聞こえ始めたりするんよね(苦笑)
たった一人のリスナー(!)が、うわの空なのがまるわかりなんである。

そのあまりに正直な反応に、拗ねるというより笑いがこみ上げてきて。そういうときは早々に「ご清聴ありがとうございました」と朗読劇場をお終いにする。すると「なんや?今日はもう終わりでっか~?」と返ってくるけれど。
母よ、それ、本心やないよね(笑)

でもでも。
やっぱり、声だけではね~ってことで、きのうは顔を見に、息子2と二人でよしのにむかった。そんなふうにしょっちゅうしゃべってるから、久しぶりの気がしないんだけど、考えたら半年ぶりだった。(すまん)

いつもの時間の特急はいつのまにか「青のシンフォニー」 とかいう特別観光列車になっており。その名前も姿もちょっと気恥しくてまよったけど、ちょうどよい時間に着くのがなくて「これで」と窓口で告げる。が、即「満席です」と言われてびっくり。「この電車は一ヶ月前から予約が入ってますからね」自信たっぷりの返事がかえってきた。

しかたなく次発の急行に乗ることにして、分着、となんども時計を眺めながら待っている(はずの)母に変更をしらせる。
臙脂(えんじ)色の近鉄電車に乗るのは久しぶりだ。昔この駅で高校の制服のまま友だちと(よしのから高校のある駅までの定期券はあるので)一駅分の切符買って、改札入ったとこで駅員さんに「キミらどこまで行くの?」と呼び止められたのだった。

その後、構内を見渡せる高いとこにある部屋に案内され「キミらのその制服は高校のやね。これからどこに行くの?」と再び聞かれ、おろおろと、しかしとっさに券売機でみた一駅むこうの駅名思いだして応えたんだけど。

そうして生まれて初めての「きせる」は未然にあっけなく失敗し、たまたまジッカのこともよく知っていると言う駅長さんに「お父さんが泣かはるで~」とお説教されて。定期券のある駅までの乗車券を買い直した(乗る前やったし、罰金はなしってことで)。ガッコ帰りに(反対方向の)大阪に出て高揚してた気分も一気にダウン。友だちとふたり、しょんぼりと吉野行きの電車に乗ったんよね。

駅長さんと知り合いとわかったから、あとで怒られるより、と思って家に帰って父親に話したら、あんのじょう顔まっかにして「あほか!」と大声で怒鳴られた。その父が亡くなってもう30年になる。あの日の帰り道は半泣きやったのに。あとで思い出すたびに大笑いした友だちも去年かえらぬ人となってしまって。しみじみさみしい。
けど、臙脂色の電車は今もかわらず走ってる。


▲これまで吉野行き特急に乗るときは(「シーズン」以外は)空いてることが多いから、いつも息子とは各自別席に座り、目的の駅に着くまで、ゆったり座席で本読んだり寝たりするんだけど。
きのうは急行の長椅子に横並びに座って、ぽつりぽつりと映画の話や本の話をし始めた。お互いこの間観たところやった『オーバーフェンス』
での蒼井優の話から息子が「いちばん」という『そこのみて光輝く』、わたしが「やっぱりこれ」という『海炭市叙景』へ。ドキュメンタリーは『Fake や『はじまりはヒップホップ』 のことなど。

電車が停まるたびに駅名をたしかめた。
「尺土(しゃくど)」「葛(くず)」「薬水(くすりみず)」「大阿太(おおあだ)」・・と、改めて駅名(地名)の語感をたのしむ。わたしには馴染み深い駅名も彼には初めてのようで。
そういうたら「浮孔(うきあな)」って駅から乗ってくるクラスメイトもいたなあ~とおもいだす。

車内は中高年のハイキング客のグループが乗ってはる他は空いており。
そのうち緑濃いまちへと入って。家を出るときは青空やったのに、どんどん灰色のしずんだ空にかわってゆく。ときおり見える山のなかの桜のほんのりピンクとか、薄曇りの吉野川とか。ちょっと時間はかかったけど、わたしのすきな風景とともに思いの外たのしい道中となった。

母は会うたびに小さくなる。

電話でしゃべってるとき、わたしはもうちょっと若いころの母を思い描いてるんやな、と気づく。背中はまるく、歩幅もせまくなって、手がつめたくて。椅子にちょこんと俯きかげんに座ってるのをみると、なんだかせつなくなる。

部屋のベッド脇の壁にはわたしの旧友の描いた絵が掛けてあった。
そのむかし「あんたも、あんたの友だちも変わってる」と苦笑いしてたその友だち(
うらたじゅん)の作品「中之島図書館」だ。じぶんの娘のように母が彼女の画業や手紙のことを、誇らし気に話すのを聞いてうれしい。

70歳のとき、13年ぶりに10人目の孫(つまり息子2)が生まれて。世話をしに厳寒期の信州 開田高原に来てくれたときの話は、会うたびに登場する。
何回も何回も聞く「ほんま寒かったなあ」という思い出話は「あの廊下とトイレの冷えたこというたら」「この子ほんまにかいらしかったなあ」「大きいなったなあ」「元気にしっかりきばってや~」とつづくのであった。

▲やがて帰りの電車の時間になって、わたしも、息子も母とハグ。「送っていきたいけど、ここでごめんやで」と別れる。そういうたら、この家に越してきたころは橋を渡ったとこまで歩いて送ってくれたんよね。

玄関を出て、ふと上を見上げたら2階の窓から身を乗り出すように母が「気ぃつけて帰りや~」と手を振って。庭の桜古木はまだ蕾だった。

*追記

その1

今回のよしの行きでは、もうひとつ「ええ時間」がありました。
2
年前、中学校カンレキ同窓会で40数年ぶりに再会したクラスメイト~なんとその息子さんと、SNSを通じてつながって何度かメールのやりとりをしたのですが、ふと思いだして某所をたずねたら会うことができました!

共通項は音楽で。

初対面で243262歳が「話せる」んやから、音楽ってすごいね、ええねえ。うれしい。おおきに。よしの行きのたのしみが増えました。

その2

帰りの車中ではふたりとも爆睡。
途中駅で息子は京都に。わたしは何度目かの『トリエステの坂道』
(須賀敦子著 新潮文庫)を。読みながら坂のある街で育った遠くに住むふたりの友人のことを。それから、須賀敦子や内田洋子の本がすきやったイタリア好きの高校の友だち(前述の)を思っていました。

【丘から眺めた屋根の連なりにはまるで童話の世界のような美しさがあったが、坂を降りながら近くで見る家々は予想外に貧しげで古びていた。裏通りをえらんで歩いていたせいもあっただろう。(中略)
軽く目を閉じさえすれば、それはそのまま、むかし母の袖につかまって降りた神戸の坂道だった。母の下駄の音と、爪先に力を入れて歩いていた靴の感触。西洋館のかげから、はずむように視界にとびこんできた青い海の切れはし。】
(同書 表題作p1920より抜粋)

その3

↑にも書いた映画『はじまりはヒップホップ』~

「音楽」や「ダンス」で、自分を表現すること、それを観て(聴いて)もらうことで、若いひとたちとも同じ場所に立ってつながってゆける~まえに観た(よかった!)『ヤング@ハート』のようなドキュメンタリー。

印象にのこったのは、メンバーの中、最高齢(94)のメイニー。シングルマザーで5人のこどもを育てた彼女~若いころ核武装に反対のピースウォークにNZワイヘキ島から500人を連れてアメリカ・ワシントンDCに行ったというエピソード。頼もしい!
公式HPのなか「登場人物」を見るだけでも、ほんまにいろんなジンセイがあるなあと思う。おもしろいです。


その4)

地下鉄にのりかえた頃からぽつりぽつり雨で。この動画おもいだしてた。(前にもはったことあるけど再度)

Sparklehorse - Apple bed


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# by bacuminnote | 2017-04-01 11:04 | yoshino | Comments(3)

図書館からの帰り、うしろで道を尋ねる声がした。
はっとして振り返るも、わたしに聞いてはるんやないとわかって、ほっとしたり。ちょっと物足りなかったり(←しょっちゅう聞かれる身としては。笑)・・・で、つづいて
「えーっと、そのときはね、救急車やったもんですから、病院の場所とかようわからへんでねえ・・・」という声が聞こえてきて。

ことばの端々から察するに、救急搬送されたご家族を見舞うため病院に行く途中、道に迷わはったみたいで。
「そうですねん。もう大丈夫なんですけどね・・・ああ、そうですか。ようわかりました。ありがとうございました」と明るい声が聞こえて、知らないひとのことながらよかった、よかった。

見上げると、きもちよく晴れわたった空がほんまにキレイ。
とはいうても、3月の風はつよくて、つめたくて。家を出るとき、ぽかぽか陽気をイメージして、マフラーをしてこなかったもんで、寒いこというたら。
けど、すぐそこに春が待ってるからね。ま冬の寒い日とはちがって、首すくめながらも気分は明るい。


袋をもちあげると微かににおう桜餅に「帰ったら、とりあえず熱いお茶にこれやなあ」と足取りも軽く歩いてたら、うしろの方で「あのーすみません。ちょっとお尋ねいたします。◯◯病院に行きたいんですけど・・」と聞き覚えのある声が。ん?振り返るとさっきのおばさんだ。

つい今しがた「はい。ようわかりました」って言うてたのに。又べつの人にもういっぺん聞いてはる。いやいや、笑うたらあかん。親切に教えてくれはったひとにお礼を言いつつも、あんまり理解できてないこと~わたしにもある。かの変哲サン(小沢昭一氏)だって「道問いてわからぬもよし春一日(ひとひ)」と詠んではるもんね。

▲つぎ又迷うてはったら、こんどはおせっかいでもこっちから教えてさしあげよう(方向音痴でもこの辺のことならわかる)と思うてるうちに、分かれ道に来てしもて、横断歩道を渡ったんだけど。ふと振り返ったら道向こうに、件の病院にむかってはるのが見えた。

▲さて、この間また京都に行って来た。
先週のうらたじゅん個展と、2週続きの遠出だ(おおげさやなあ)。今回は西本願寺~大谷さん(大谷本廟)まで。
菩提寺からの団体納骨で、朝早く隣市にあるお寺に集まって本堂でお参りの後、バスでみんな一緒に京都にむかう。(ゆえに迷う心配はない)

ウチはわたしが代表で(!)参加したんだけど、老若男女二十名ちかく集まってはるファミリーもあって、バスの中はお菓子や飴ちゃん、おせんべいが行き交ったりして、さながら春の遠足のような賑わいだった。
「なんや~ウチとこは、あんた一人かいな~?しゃあないなあ」と、遠いとこからお義母さんが呆れたように笑うてはる気がして。苦笑。

バスは満席で、空いていたわたしの隣席には法務員さん(ご住職のお手伝いをする僧侶というたらええのかな)が座らはった。
今はまだ法衣よりスーツのほうがよく似合ってる若いお坊さんが、本を読んでいたわたしに「何読んではるんですか?」と声をかけてくれた。(一人参加で、なんかさびしそうに見えたんやろか)
読んでいた本というのがたまたま
『宗教って、なんだろう?』 (島薗進著 平凡社2017年刊)だったこともあって、それを機に隣同士ぽつぽつ話し始めた。

ちょうどウチの息子くらいの年格好の好青年で、しゃべってるうちに次々と聞いてみたかったことも浮かんできて、いろいろと質問させてもろた。(こんなおしゃべりなおばちゃんに声をかけて、えらいことした~と後悔してたかも。笑)

なぜ僧侶になろうと思ったのか?から始まって、僧侶(住職)になるには、どういう過程(試験や学習)が必要なのか?とか。彼が大学卒業後通ってたという仏教の専門学校のこと。

お坊さんにかぎらず、常々若い人と仕事について関心があるので、よく行く美容院や服屋さん、整形外科でも、話せるような雰囲気と時間があると、若いスタッフにそんなことをちょっと聞いてみる。こちらからは立ち入ったことは聞かないようにしてるけど。
声をおとして「安い」給料(給料の話が出るときは、ほぼ「安いんです」という展開だ)や待遇のこと、家族やつきあってるひとのことを聞かせてくれることもある。
隣席の法務員さんは想像通りお寺の息子さんで、ごく自然に僧侶になることを決めたそうで、三人兄弟みな同じ道にすすんだとか。

膝の上に出したままの本の「宗教」の文字に、そういうたら「宗教や、◯◯宗の「宗」って、どういう意味ですか?」と尋ねてみる。
曰く、

「ほかにも説はあるかもしれませんが、「宗」は「むね」とも読み、むねというのは「旨」や「胸」「棟上げの棟」といったように、おおむね、中心になる、大事なものとしての意味があるので、そういう教えという意味やと思います。」とのことだった。ほほぉ、そうやったのか~

あんまりしゃべっても、と切りのいいとこで本読みに戻ると、即ポケットからスマホ出してきてはった。(おばちゃんにつきあわせて申し訳なかったです)さて、この本はタイトルにあるように「宗教ってなんだろう?」を始めとする問いかけに著者が答えるという形式になっていて、そのやりとりも絶妙でおもしろい。

▲宗教とはどんなふうに生まれたのか、生贄とは?ブッダはなぜ出家したのか?権力者が宗教を庇護しはじめたのは?というような質問から、宗教って「平和と友愛」「寛容と平等」といった理想があるのに、なぜ暴力的要素がいまのように表に出るようになったのか?
宗教は暴力を超えられるのか?(←このあたりが一番知りたいところ)
「家族はエゴのはじまり」なんていう非常に気になる項目まで。じつに刺激的な展開で。

▲これ「中学生の質問箱」シリーズの一冊なんだけど、中学生にはまだちょっと難しいかもしれないな。(いや、わたしの理解度が中学生に届いてへんのかも~)ただ、難しくて嫌になる本やなくて。そうすんなりとは頭に入らないんだけど、行きつ戻りつ、なんども立ち止まり考えながらの読書は、だからこそたのしい。おすすめです。

そんなわけで、ノッてきたもんやからそのままずっと本の続きを読んでいたい気分だったけど、バスはじきに西本願寺に到着。座ったままだと却って膝によくないので、すこし歩いて参詣。境内のブックセンターに。町の書店にはまず見かけないような本がいっぱい並んでて、おもしろかった。

そして再びバスで、いちばんの目的の大谷本廟へ。ここに来るのは義父の納骨以来だから12年ぶり~パン屋やめて信州から大阪にもどってもう13年やもんね。早いなあ。

「正信偈」(以前ここにも書きました)を読経の間 はじめて義母と会ってからの36年をおもう。

うれしかったことやたのしかったこと。腹のたつことつらかったことも。謝りたいこともみな。いろいろいっぱい。ぐるぐる思いだしてなきそになったり頬がゆるんだりして合掌。


*追記

その1)

バス中で質問した「宗」でしたが、本のあとの方にも『「宗教」の語源』という項目がありました。曰く、日本語の「宗教」という言葉は、仏教のなかにあった言葉やそうで。
【西洋語のreligionに「宗教」という訳語をあてる前に、「奉教」とか「信教」「教法」「法教」「聖道」「宗門」「宗旨」とかいろいろと他のアイデアもありました】
【「宗」は「おおもと」ということです。「教」は言葉にしたteaching(教え)で、「宗」の方は「おおもとの大事なもの」「真理」、まあ「法」(ダルマ)に近い、それを言葉に表したのが「教」となります。】(同書p160~161より抜粋)

とはいえ、こういう語源についても島薗氏ひとりでも論文集が一冊つくれるほどやそうで。【そもそも西洋のreligionという言葉自体にも適切な用語かどうかの議論があって、今でももめています。それを日本語にあてはめる段階でまた問題が生じたということです】・・と、ややこしい(苦笑)いやあ、この本図書館で借りてきたんだけど、買ってじっくり読みます。


その2)
このバスの京都行きは、大谷本廟のあとは精進料理をたべて帰阪~ですが、途中下車OKなので、わたしはお昼はパスして河原町まで出て、久しぶりの本屋さん「メリーゴーランド」へ。

五条坂から祇園のあたりまで、なつかしい町並みは、しかし裏の通りでさえお店ができてたり、ひとも多くてびっくりしました。
もうわたしの知ってる京都やないなあ(まあ、40年もむかしのことやから当然といえば当然ですが)
「メリーゴーランド」でゆっくり本を見るつもりが、足が(それに空腹状態も!)このころになると限界で、松林誠原画展をみて店主の鈴木潤さん(←日記いつもええかんじ!)の書かはった『絵本といっしょにまっすぐまっすぐ』 (これで三冊目♡)をご本人に包んでいただいた後ようやくランチタイムに。(もう1時過ぎてたのにどこも満杯。京都なんであんな人多いのん?泣)


その3)

このほかに読んだ本で印象にのこってるのは『脳が壊れた』 (鈴木大介著 新潮新書2016年刊)いまAmazonで見たらベストセラー一位になってました。
41歳で脳梗塞に襲われたルポライター自身によるルポで、おもしろかった~なんて言うてええんやろか、と思いますが。

カバー見返しにある【持ち前の探究心で、自分の身体を取材して見えてきた以外な事実とは?前代未聞、深刻なのに笑える感動の闘病記】の通りやとおもいます。当事者感覚を言語化する、というのってほんまに貴重なこと。おすすめです。


その4)

あと、まだ読み始めたところなんですが田中慎弥氏『孤独論 逃げよ、生きよ』(徳間書店2017年刊)は『共喰い』で芥川賞受賞の会見のとき「もらっといてやる」と会場をわかしてはったあの方です。
かつて大学受験に失敗したのをきっかけに15年近く引きこもってた、という著者は
【本書でわたしは、日々働きながらもどこかでもやもやと煮え切らない思いを抱えている人に向けて、孤独である」ことの必要性を述べてみたいと思います。いまの世の中、放っておけばいつしか奴隷のような生き方に搦(から)め捕られてしまう。だから、意識的にそこから逃げ出していかなければならない】(「はじめに」より抜粋)と、副題にあるように「逃げよ」と挑発します。

第一章はその名も「奴隷状態から抜け出す」というもので、最初にこのことばが引いてあります。
「自らを尊しと思わぬものは奴隷なり。」(夏目漱石) 

                   

その5)

きょうはこれを聴きながら。

Sally Seltmann - Book Song

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# by bacuminnote | 2017-03-19 00:37 | 出かける | Comments(2)

たぶん、もうじき。

▲ここ二、三日とはうってかわって今日は寒い朝になった。
庭に散った梅の花びらが風でひらひらして。朝いちばん山茱萸(さんしゅゆ)をひと枝切って一輪ざしに入れる。ちいさい黄色の蕾が「モウジキハル」と告げてくれるようで。いとおしい、かいらしい。
でもじっさいには「モウジキ」は、なかなかで。まだまだ行きつ戻りつの「ハル」なんやろうけど。

この間の土曜日、友人の個展 に京都まで出かけた(→うらたじゅん個展「少女手帖」この頃はその日になるまで予定がたてにくいので、相変わらず手帖は白いとこばっかりなんだけど。朝起きて足さすってみて窓あけて青い空みて「さ、行こか」と自分に声かける、そんな気儘な一人の外出もけっこうええもんで。

京都には山田真さんのお話会atカライモブックス)以来やろか。
ついこの前のことのように思ってたけど手帖を繰ったら、なんと一年も前のことで驚いた。早いなあ。一日一日ほんまにゆっくりぼんやり(!)暮らしているのに。なんで一年はこんなスピードで過ぎてゆくのか。なんかもひとつ納得いかへんけど。

ほんで、この調子やったら「一生」というのも、あっという間かもしれへんから。会いたいひとに会い、行きたいとこに行っとかなあかんなあ~とか思いながら地下鉄から京阪電車に乗り換え。
つい目の前の階段を「これくらいやったら大丈夫やろ」と上って、これでお終いかと思ったら、もういっぺん階段があるのすっかり忘れてた(泣)

▲それで懲りたしね、京阪ではエレベーターでホームに下りた。(ほんまに駅は上ったり下りたり、ややこしい)
ホームで並んで待ってたら、2階建て特急電車が到着した。
車内清掃が終わって扉が開き、人の流れのままだだだっ~と乗車すると、なんかわからんうちに階段を上って2階席に行ってしもて(苦笑)

で、2階はちょっと旅行気分やなあ。どこに座ろうかなあ、と迷ってるうち、あっという間に席が埋まってしまい。いま上ってきた階段をまた降りて一階席に移動。足がいたくならへんように、と気ぃつけてるつもりが、ほんまに何をしていることやら。

とはいえ始発駅。まだまだじゅうぶんに空席はあり、ゆっくり腰おろして、バッグから本をとりだす。終点までは一時間ほどあるから、重たいけれど『ボローニャの吐息』(内田洋子著)を持って来た。

この本まだ買ったばかりなのに、しっかりシミ付きで。というのも届いた日に珈琲をのみながら読み始めよう~と本とカップをパソコンのそばに置いたとたん、ひっくり返してしまったのである。

▲咄嗟に本を持ち上げ、ティッシュペーパーで拭きながら、いや、あかん!パソコンが先や!とオロオロ。机の上、散らかってたメモやらノートやらみな水没。布巾を取りに立つ余裕もなく、ひたすらティッシュでカップ一杯分の茶色い液を拭く(というか、吸う)。
幸いパソコンはなんとか無事だったものの、マウスが壊れてしもたり、読む前から本に派手に茶色のシミつくるわ・・で。図書館の本とちがってよかったものの、ほんま何をしていることやら。(こんなんばっかし。泣)

▲内田本は『ロベルトへの手紙』が去年出たばかり(この本のことはここにも書きました)尽きることのない「種」は、著者の人やものに対する好奇心や、向学心、そのおおらかな愛と行動力がハンパないからやろなあと思う。

あたらしい本が出たらすぐに読む。そのうち忘れてはまた初めて会ったみたいに読んで。はじめから、途中から、最後まで通して、なんとなく開いたとこだけ・・と気の向くままに読むのが、内田本とわたしのつきあい方。須賀敦子の本もそんなふうにして、いつも傍にある。
そして、前々から行きたいと思ってたのに、ぐずぐず思案してるうちに、足の不調で、行けないままのイタリアに、たっぷりと思いを馳せる。

さいしょの話は「ミラノの髭」~著者はある日、中学生の友人ラウラから美術館行きを提案される。連休でラウラの友人たちは出かけていない、共働きの両親は夕方まで帰ってこない、そのかん面倒をみている妹弟もその日は誕生パーティーによばれていない・・ってことで、著者に声がかかったらしいのだけど。そのネットワークの広さは著者の仕事柄もあるとはいえ、そっか~中学生からも「誘われる」ひとなんやなあ~としみじみ。

最初は彼女の母親と「バールや信号待ちで頻繁に顔を合わせるうちに」「目礼から挨拶、立ち話からコーヒー、日曜の公園での散歩」と親しくなる。

ここまではありそうな話だけど、あるとき子守りや家事手伝いを頼んでる女子大生が試験前で来れなくなって「しばらくの間、ラウラの妹弟をうちで預かることになった」というあたりは、内田本を読んだことのあるひとなら「おお、またか~」と思うにちがいない。この方、困ったひとを放っておけないほんまに面倒見のよいひとなのである。

まあ、そういう経緯でラウラともなかよくなったんだけど。

で、そのラウラに誘われる数日前の午後のこと。

著者の家にやってきたラウラは
【天板がガラス製のテーブルの下に入るように言う。そして台所からエスプレッソマシーンや茶碗、皿、ジャム瓶を持ってきて、テーブルの上に並べ置く。ぺたんと床に直座りし、一列に並べた物を見ている。おもむろに仰向けに寝転がってテーブルの下に潜り、私を隣に誘った。

「横から見て、上から見て、下からも見る。見えないところも想像し、触れ合ったときに鳴る音を考える。それからスケッチするのが、今日の宿題なの」

いっしょにエスプレッソマシーンの底や皿の裏側を見る。瓶の底から、ジャムの隙間の向こうに居間の本棚が歪んで見えている。いつもそこにあるものなのに、初めて見る光景だ。使い古した日用品にも、それぞれ見慣れた顔と秘した裏の顔がある。「全部合わせて、一つなのねえ」ラウラは天板の下に寝転んだまま、しきりに感心している。】(同書p12より抜粋)

そうして後日ラウラが再びやってきて、学校に提出した二枚の絵を見せてくれるんよね。一枚は内田さんちの台所の物を題材にした静物画、もう一枚はピカソの作品の模写。つまり「横から見て、上から見て、下からも見る。見えないところも想像」はキュビズムを知るための予習だったという。

「人間もあちこちから見て初めて、その人がわかるのね」というラウラに内田さんはおもう。
【突然、周囲の物々や人々が表裏をさらけ出して目の前に迫ってくるような気がして、中学校の美術の授業に畏れ入る】

【毎日の登下校の道がそのまま古代ローマへの道であり、ルネサンスの残り香が漂う広場でボールを蹴っているのである。目の前で幼い子が躓いた石も、古代ローマの一片なのだ。】(p14より抜粋)

▲中学校の美術の授業といえば、薄い教科書の「単元」のところを開き、最初に「模範作品」を見て、センセに言われたように静物画を、風景画を、ポスターを・・と時間内に描いて、描けなかったら持ち帰って宿題やったなあ。それでもわたしは「自習」っぽいその時間は嫌いやなかったんだけど。
中3のとき教育実習で、美術のセンセとしてやってきた姉2が「教科書通りでいっこも、おもしろない」とぼやいてたのを思い出す。

さて、
20頁余りのエッセイなのに本題の「ミラノの髭」までたどりつけなかったんだけど(苦笑)内田洋子のエッセイは思わず声に出して読みたくなる(読みやすい)文章なのに、読むのはけっこう時間がかかる。投げられたボールをただ受けるだけじゃなくて、ついつい、あれこれ思ったり考えて、行きつ戻りつしてしまうから。

このことについては、以前webのインタビュー記事で内田さんが【かつて、俳句に接し「読者の気持ちがあって完結する書き方」があることを知った。通信社業に長く携わる者としての<材料、部品を提供する>という気持ちも、常に頭にある。

と語ってはるのを読んで、ああそういうことかも~と納得した。

はっと気がついたら、どこの駅だったか若い女性が乗ってきて隣りの席に。すぐにバッグから本を出して読み始めた。何読んではるんかなあ~と、気になりつつも不明なまま(苦笑)終点「出町柳」に到着。

ギャラリーはここから徒歩23分だ。
いつもより一枚薄着で来たけど、ちょうどよく。ぽかぽか陽気の中、すれちがったベビーカーのあかちゃんのぷくぷく白い素足がきもちよさそうだった。

ギャラリーに着くと、ウインドウ越しにJが軽やかな春色のスカート姿で、加えてちょっとよそゆきの面持ちで(!)お客さんと談笑してるのが見えて頬がゆるむ。で、ここまでは旧友J。

今回は「少女手帖」というテーマだそうで、もらったDMの絵も辛夷の花や道端にはたんぽぽが描かれており。扉をあけたとたんパステルカラーの中の少女たちに囲まれる。作品を観ているうちに、わたしのなかで友だちのJは知らんまに「うらたじゅん」という漫画家/イラストレーターに切り替わる。

▲パステルカラーの・・・なぁんて書くと「やさしい」「なつかしい」「せつない」という常套句が浮かんでくるけど。そういうのに騙されたらあかん。目を凝らすと彼女の絵には「ふしぎな時間」への入り口があって。少女たちの弾む声も、ぎゅっと結んだ口も。跳ねて走って、佇んで。ときどき、カッパやクマもすまし顔で登場して。そういうとこがすきやし、そういうとこがうらたじゅんの世界やな~とおもう。

そうそう。
話題にのぼるたびに絶版がほんとうに残念だった うらたじゅん作品集
『嵐電』(北冬書房刊)が近々重版~というニュースを聞いて歓声をあげる。うれしいです。

ギャラリーでは、オーナーのY氏とベイキングの話もして(ご自分でバゲットを焼いてはるそうで。ええなあ。)以前からいっぺん会いたかったツイッター友Nさんとも偶然会えて、久しぶりのひとにも、若いころ会ったきりのひとにも会えて。

べつの友人とお昼を食べに入ったカフェでは、隣席に久しぶりの友だちが居てカンゲキのハグ!
ふだんこもってるわたしには一年ぶりくらい人に会うた気分で。
おおきに~「少女手帖」のおかげで少女な時間でした。


*追記 

その1)

個展は今からやと7日(火曜)のお休みのあと、12日(日曜)までopen 。
うらたじゅん在廊は1112日(両日とも14時~18時)やそうです。

お近くの方は(そうでない方も!)ぜひ。


その2)

今回はパソコンの珈琲掛け(泣)で、パニックって、借りてきたDVDも

ほとんど観ていないという(あり得ん!)状況wです。

観たのは『ベストセラー 編集者パーキンズに捧ぐ』一本だけ。


その3)

きょうはエヴァンス聴きながら。

Bill Evans Trio - It might as well be Spring


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# by bacuminnote | 2017-03-06 19:37 | 出かける | Comments(5)

ええ天気やから。

▲朝、雨戸を開けるとき戸の内側がほんの少し温かった。
二度寝して起きるのがおそかったのもあるけれど。がーっと重い戸を引くと「待ってました」とばかり、束になって朝のひかりが飛び込んできて、寝起きでまだ固い体がいっぺんに、ほぐれるような気がした。

▲寒いのとめんどくさいのとで、ここんとこ閉めたままだった雨戸も開放して、窓から身をのりだして空を見上げて、深呼吸ひとつ。

冬の真っ青をバックに、枝垂れ梅の紅い小さな花がその細い枝で持ちきれないほど、いっぱいいっぱい咲いて。ああ、ほんまにかいらしい。

ええ天気の日は用事がすむのも早いんよね。
さっさと洗濯物干して早めのお昼食べて、駅三つむこうの町まで~。近くとはいえ、相変わらず「出不精・方向音痴」が出かけるとなると相方まで巻き込んで。北に、西に、と説明されてもわからず。あまりにトンチンカンなこと質問するもんで「しゃあないな。一緒に行ったろか」と言うてくれたけど。

いやいや「ひとりで行ってみるし」ときっぱり宣言、出発。(←おおげさやなあ)なんせ初めて行く町ではないのだ。
むかし住んだ町の近くでもある。そのころ息子1はようやくベビーカーから自転車の前に乗せられるようになって。
駅前のビルにあった美容院は当時は画期的やった託児ルーム付きで、おばあちゃん世代の保育士さんがお母ちゃんのカットの間、こどもをみてくれたんよね。

子連れでもちょっと遠くまで行ける自転車を買ったことも(今みたいな電動アシストではない,ただの「ママチャリ」)ちょっとの間こども預けてカットしてもらえるのも。ものすごーくうれしかった。家計から考えたら安い美容院やなかったけど、二ヶ月にいっぺん。これだけは自分にゆるした贅沢だった。

当時はビジネスビルが立ち並ぶなか、その煉瓦(っぽい)のビルはシックでええ感じやったけど、久しぶりのそれは古びた上に派手な居酒屋の大きな看板が立ち、美容院のあった上階にはテナントの大きなネオンサインが掛けられて、よけいに老体をわびしくみせている。
もう30年以上も経ったんやもんね。街がじっとしてるわけないのであって。

じっさいわたしたち一家の30年の変化いうたら、このビル以上やん~と苦笑しつつ。そうだ。この隣町で一年半ほど住む間、相方は写真の仕事をやめることを決め、じょじょに田舎暮らしを考えるようになって。でも、まさかパン屋になるとは考えもしなかった頃のことだ。

そんなこんなを思い出しながら、グーグルマップで予習してきた通り(苦笑)歩く。目的地はレンタルショップなのであった。電車に乗ってまで、今はなんぼでも動画配信があるのに・・と笑われそうやけど。わたしが観たい映画を配信しているところがみつからないのと、何よりこうやってお店に借りに行くのは楽しくて。
前もって在庫チェックはしてきたものの、来るまでの間に借りられていたらアウトだから、どきどきしながら初めての道を歩く。

平日のお昼やからか、けっこう広い店内にお客はわたし入れて3人ほど。
初めて来たけどわかりやすいレイアウトで、予定通りの4枚もすぐに見つかって。もし、あれば~と思ってたドキュメンタリーの一本が探し出せず、店のおにいさんに聞く。

(ドキュメンタリーの棚はどの店もたいてい隅っこのわかりにくいところにあるんよね。前に行ってた店はAVの暖簾付きコーナーの手前やったので、わたしみたいなんがどーんと道を塞ぐように立ってると、暖簾をくぐりたいお方は大きく遠回りすることになるのであった)

お、あったあった!と思ったその横に、DVDになったのを忘れてしまってた

ドキュメンタリー『ジャニス・ジョプリン little girl blue』を発見。ところが残念ながら一本きりしかなくて、しかも借りられてたんだけど。

レジに件の4枚持って行って「念のため」おにいさんにカウンターに返却ないか聞いてみたら、探してくれて。・・・あ、ありました!よかった!・・で、思わず二人笑顔になる。本屋さんでも図書館でも、レンタルビデオ屋さんでも、こういう瞬間がすき。

ほしかったモン買うてもろたこどもみたいに、帰り道はスキップ。(←あ、気分だけ。いまはこれができんのがほんまに残念)

ビジネス街で生活臭のない通りやから、一本奥に入ったとこのマンションのベランダに洗濯物がいっぱい干してあるのが見えると、なんかほっとする。
ええ天気やし、今日は一日でからっと乾きそうやね~とだれかれなく話しかけたくなる。

駅に着いて、ホームに立ったら電車の乗降位置案内板があって~エレベーター、エスカレーター、階段、トイレの表示(車椅子対応、多目的トイレも)が各駅の何号車近くにある、他線に乗り換えに近い車両など記されていて、さっそく最寄りの駅のエスカレーター近くの車両を確認して乗る。

▲ああ、こんなんが欲しかった!(ただ、じっさい駅に降りてからの案内板がわかりにくかったりすることもあるのだが・・・。とりあえず、方向音痴+膝痛のわたしには大助かり!)

たとえ近くでも、やっぱり出かけるとあたらしい空気が吸えてええな~またええ天気の日に来てみよう。(ちなみに返すのは「ポスト返却」なり)

その翌日だったか買い物帰りに寄った図書館で、いつもは見ない雑誌の棚で『田舎暮らしの本』 が目にとまって、廃刊になる雑誌も多い中まだあるんやなあ~と思いながら手にとった。「田舎暮らし」を決めたころ居た町に行ってきたとこやからか。朝、パンを食べながら「そういうたら、前は次に住むとしたらどこがええ?って、よう考えたよなあ」とフウフで話したからか。(いま思えば、3.12以前はのんきにこんなことをたのしく話してたのであった)

相方がパン屋修行中は大阪近郊の田舎から、三重、和歌山、遠くは高知や大分にまで行って「空き家」探しをしたけど、当時はまだこういう雑誌は出てなくて。もっぱら『自然食通信』(準備号から購読してましたが、残念ながら廃刊) の「情報交差点」というコーナーがたよりだった。(結局はA新聞「声」に投稿したのを学生時代の友人が読んで、連絡をくれたことで、彼女の知り合いのお家を借りることができたのですが)

▲いま調べてみたら『田舎暮らしの本』の創刊は19879月~わたしたちがパン屋を開業すべく滋賀・愛知川(えちがわ)の民家を借りて転居の一ヶ月後のことだ。その時分から、都会から田舎に~のムーブメントが広がり始めていたのだろう。

そうそう、図書館でたまたま手にしたその雑誌のBNは「住みたい田舎 ベストランキング 」の特集で、総合ランキング(曰く、自治体支援策、利便性、自然環境、医療、災害リスクなど106項目でチェックということらしい←すごいなあ)一位が兵庫県朝来(あさご)とあってびっくり。

朝来というたら、わたしがここにもしょっちゅう書いてる旨い岩津葱の産地で。生産者のI君とおいしい葱を紹介してくれはったのは、ウチのパンのお客さんだったHさんで、おなじく朝来に移住組。
これは次回配達に来てくれはったときに「朝来、人気やねえ!」と言わなければ、と借りて帰って。パラパラみたら、なんとそのI君一家が「移住者探訪」の記事に載っており。

▲そうそう、長いこと珈琲豆を配達してくれたD君とその家族も、今春より就農のため、信州・伊那へ越してゆく。
そのむかし家族で田舎暮らしをスタートしたときの「知らんこと」「わからへん」ことだらけの中、それでも希望いっぱいやった頃のこと思い出しつつ。別れるのはさびしいけど、若い人らが新しい地でも、どうか元気で家族仲よう、ええ空気いっぱい吸うて、畑と共に、「不便」もまた楽しめる暮らしでありますように。よいであいがいっぱいありますように。
春はもうすぐそこやで~



*追記

その1)

今回観た映画(DVD)

「太陽のめざめ」
カトリーヌ・ドヌーブ演じる判事も、育児より自分の青春に走った母親のもと「保護」された少年マロニー、大きくなってからのマロニーも、とてもよかったです。荒れに荒れたマロニーの心を、解きほぐすのは並大抵のことやなく。こういう話を見聞きするたびに胸がいたい。そして現実は小説や映画を越えてもっと苛酷なんやろうし。

ただただ、こどもらを信じること。これができるかということやと思う。
それから施設のありかた~ひとのきもちが近くに感じられるキョリ、少人数が大事なんやろなあと思いました。ああ、でも、どんなにいい施設よりも家庭の(血縁に関わりなく)温もりのあるとこで、こどもは育ってほしいです。
原題”LA TETE HAUTE"は「頭を高く」という意味だとか。誇り高く生きるということでしょうか。バックでながれる音楽もよかったです。


「ジャニス  リトル・ガール・ブルー」
いやあ、レジで聞いてみてよかったです。
ジャニス・ジョプリンは前に「わがこころの」とつけたいミュージシャンです。心身共に悩みも多くコンプレックスのかたまりみたいやった高校生のころ、ほんま擦り切れんばかりに繰り返し聴いたジャニスが、おなじく高校~大学生のころ、こともあろうに容姿でからかわれたりいじめられたりしていたこと知りました。彼女のうたがいつにもまして刺すようにせつなく痛かった。
でもすばらしかった。これはDVDやなくて映画館で大音量で聴いてみたかったなあ。
劇中「フェスティバル・エクスプレス」のいち場面か?同じくらいすきなJガルシアと、ほんと楽しそうに笑ってしゃべってる、ふだんのジャニスがいとおしかったです。


「奇跡の教室  受け継ぐ者たちへ」→高校生たちの表情がよかった!

「神のゆらぎ」→宗教(信仰)について考えました。

「素敵なサプライズ」
思いがけずAgnes Obel の"Brother Sparrow"(←すき)が流れてびっくり。このところ、安楽死をテーマにした映画が多い(気がするけど)のは何故かな。たいていの作品は肯定的なのですが、それゆえに唸るところもあって。まだ考えがまとまりません。


その2)

読んだ本のことが書けなかったけど、一冊、絵本。

「星空」(作・絵 ジミー・リャオ 訳 天野健太郎 )

はじめに真っ黒な頁に白い字で
【顔をあげて、星空を見上げれば、世界はもっと大きく大きくなる・・・・】

つぎに

【世界とうまくやっていけない子供たちに】 とあります。

何か書こうとしたけど。
ああ、やっぱりこの絵本は手にとって観て、読んでほしいです。ゴッホの「星月夜」がテーマになっています。


その3)

「星月夜」といえば、この曲。前にも貼ったことありますが。

Don Mclean(Vincent Starrry Starry Night


そして、やっぱり今日はjanisを。この笑い!!Mercedes Benz


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# by bacuminnote | 2017-02-22 14:26 | 出かける | Comments(2)

ひとりになりにゆく。

その日は、前の晩カッカすることがあって(フウフげんかともいふ)よく眠れなかった。今はもう若いときのような元気はないから。はげしく言い合ったとしても(こういうエナジーはまだあるw)お互いにしんそこ納得してへんかっても、翌日まで「持ち越し」はなくなりつつあるんだけどね。(それゆえに、またおなじことをくりかえすのである。)

▲やがて、ねぶそくの朝がきて。ぼんやりした頭で雨戸開けたら、冬の真っ青な空とか、お陽ぃさんとかが、胸にきゅーんとストレートに来て。
そうだ。映画館に行こうとおもった。

「春昼をひとりになりにゆく映画館」(火箱ひろ)~である。

『未来を花束にして』 のことは上映前からその邦題が「あんまりだ」という声はネット上で見ていたものの、恥しながら原題の「Suffragette(サフラジェット)の意味も、よく知らないままの映画館行きで。

くわえて、いつもやったら予告編も日本版とオリジナル版と必ず両方チェックするのに。今回は日本版しか観ていなかったんやけど。
想像していたのとは違っておもいのほかハードな作品で。でも、うれしい誤算。よかった。

物語は1912年ロンドンから始まる。
主人公はこどもの頃から洗濯工場で働く24歳の女性、モード(
キャリー・マリガン)。同じ職場の夫のサニーと幼い息子と3人、貧しいけれど穏やかに暮らしてる。


ある日モードは街に洗濯物の配達に出た帰り、こども服が飾られた店のウインドウをうっとりのぞいていると、いきなりそこに石が投げられガラスが飛び散って、びっくりして逃げるようにバスで帰ってくる。

これがモードとサフラジェットとの初めての出会いなんだけど。

最初はおずおずと遠くから覗くようにしていたこの運動に、ひょんなことから関わり、もしかしたら「自分にも他の生き方ができるのでは」と思うようになって。
実在の人物で女性社会政治同盟のリーダー エメリン・パンクハースト(メリル・ストリープ)の演説を聴き、モードはやがて積極的に闘い始める。


彼女が「おとなしく」「がまんしている」ときは、やさしかったはずの人(男)たちに、職場を解雇され、家を追い出され、あげく愛しい息子にさえ会えなくなって。

けど、モードはとつぜん変わったわけじゃない。
こどもの頃からの劣悪な環境にも、工場長からの許しがたいセクハラやパワハラにも。いつも、ずっと声を押しころして泣き、がまんしてがまんして。
「怒りの火種」はきっとからだの奥底につねにあったんやろなと思う。

そして、その間(かん)のモードの表情の変化というたら。もう泣きそうになるくらいに、感動的だった。

ひとが自分というものを持ったときに初めて発するもの。

それは親子間にしろ、夫婦間にしろ、「上」から見てたら、もしかしたら鬱陶しいものに映るかもしれないけれど。おなじ線上に立ってみたら、どんなにうつくしいことか。キャリー・マリガンがそれをとてもよく演じていた。

一方で警察権力の弾圧も、それはもうすさまじく。
まだ長い丈のドレス姿の女性たちが殴られ蹴られ引きずられる場面、逮捕の後 彼女たちのハンガーストライキに対する処置として、拘束して強引に漏斗でミルクを流し入れる場面など、たまらず、その間じゅうわたしは椅子から腰を浮かしっぱなしだった。

▲”サフラジェット”は当時あった女性参政権運動のなかでも先鋭的といわれたグループらしく(穏健派はサフラジストと呼ばれたらしい)劇中「言葉より行動を」のスローガンが何度も登場する。

実際、冒頭の投石だけでなく、いくつか爆破場面も描かれるんだけど。
果たしてこれを暴力というのだろうか、と観ている間じゅう(いまも)考えていた。

そもそも、女性が発言できる場も機会も、その権利すら奪われているのである。
政治も社会も新聞も、みな男たちに牛耳られているなかで、どうやったら自分たちの「女性にも選挙権を」と訴えられるのか。注目されるのか。都市部だけじゃなく、その思いや願いを国じゅうに広め、伝えることができるのか。そのためには「言葉より行動」しかなかったんじゃないか。

▲映画ではモードを追う警官と夫の 良心や揺れている内面も描かれていた。
社会の規範でぎゅうぎゅうに縛られているのは(ある意味)男性も同じかもしれない。
ただ、工場長に至っては同情の余地もなく、予告編(日本語版ではカットされてたシーンのひとつ)にもでてくるアイロンの場面では映画館ということも忘れ大きな声を出してしまった。(観客はわたしも入れて6人しかいなかったけど。ほんますみません)

▲それにしても。

女性にも参政権を、という今からしたら「当たり前」と思うようなことだけでも、その権利を獲得するのに、これほどの闘いがあったとは。
エンドロールで女性の選挙権が認められた年と国の名前が順番に流れてゆくんだけど。決して大昔のことではないんよね。
そして、それらは過去形ではなくまだまだ現在もつづいてる。

そうそう、JAPAN1945年~)が入ってなかったのは何故だろう。

家に帰ってからつれあいに映画のことをしゃべりまくる。(前夜のことは棚の上に置いといて・・苦笑)そうして見ていなかった英国版予告編 をふたりで観て、日本版 とのあまりのちがいに驚く。(ぜひ、見比べてみてください。どの場面がカットされてるか、というのは大事なとこやと思う。)

▲タイトル(邦題)だけでなく予告編まで、まるでちがう作品になってしまって。くわえてポスターも色や雰囲気のちがいだけでなく、コピーもまた
英国版は”TIME IS NOW ”(今やらなければ)が、日本版は「百年後のあなたへ」だった。この「時間差」は何なんやろなあ。


*追記

その1

この間『戦争とおはぎとグリンピース  婦人の新聞投稿欄「紅皿」集』→ (西日本新聞社2016年刊)を読みました。

タイトル通り、西日本新聞の女性対象の投稿欄からこの欄が始まった1954(昭和29)年~1967(昭和37)年の「戦争」に関する投稿作を掲載したものです。

このころ、西日本新聞だけでなく、朝日新聞でも1948年「乳母車」を皮切りに1955年には「ひととき」と改称されて「婦人の投書欄」が始まったようです。雑誌でもそういうコーナーが出てきたり。で、【声を発する女性たちの勢いに、「書きますわよ」という言葉が流行したほどです。】(同書「はじめに」より)

敗戦後10年足らずの頃のことで、文章のあちこちに「戦死」「貧困」「母子家庭」「引き揚げ」「墓参」「やりくり」などのことばが出てきます。

書き慣れたひとの文章から、もしかしたら大人になって「書く」のは初めてかも、と思うひとの、しかし力強く緊張感のある文章も。

戦後のきびしい生活を、みな自分の言葉でほとばしるように綴っています。

そして共通するのは「もう二度とこんな思いは」という戦争への強い拒否の意思です。けっこう若いひとの投稿も目立ちます。


心に残ったのは「派出婦日記」という題の1959年の投稿作。
筆者は長崎の方で49歳。20人ほどの女給さんのいるキャバレーで、
そのうち半数以上は住み込みやから、寄宿舎のおばさん、といった感じで炊事や洗濯の仕事をしてはるんよね。

【夜は毒々しいほどの化粧で外国人客などを相手に、踊ったり歌ったりの彼女もたちも、朝はお寝坊女学生と変わりはないし、昼をヒマさえあれば口を動かしている食いしんぼうさんに過ぎない】(p122 )

・・・と、母親みたいな眼差しで女給さんを、というより若い娘さんたちを見つめてはって。

【ウソとチップでかせぐ彼女たちも、同じ働くもの同士ではクロウトなどという呼び方がおかしいほど、素直で女らしいふん囲気をもっているのだ。】と結ぶ、やさしい文章です。(同書p123より抜粋)


そういえば、わたしも「ひととき」には、20代のはじめに初投稿しました。
1980年に『人と時と  朝日新聞「ひととき」欄で綴る25年』という本がまとめられ(1955年~1977年までの投稿作 5835編から421編がテーマ別に編集)そのときのわたしの一文も「人 /結婚」の章に掲載されました。
これ『自身の「女」を生きる』とタイトルだけが突っ走っており
(タイトルは文中のことばを引用して、新聞社の方がつけはるのですが)ひさしぶりに読み返して若い自分に、ああ赤面!


この本のあとがきの文章を読んで、「胸がおどる」ということばに、改めてじんときています。

【「戦後の世の中に少しでも風通しをよくしたい」との意図であったそうですが、二十一年十一月に新憲法が公布され、男女が平等の地位を獲得したとはいうものの、封建社会の中で育った私たち女に、戦後初めて自己を主張できる場を与えられた喜びは、いま思い出しても胸がおどります。】
(『人と時と』あとがきより抜粋)


その2)

今日はこれを聴きながら。

”Suffragette"予告編の最後のほうで流れてる曲。

Robyn Sherwell – Landslide →


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# by bacuminnote | 2017-02-11 21:21 | 映画 | Comments(3)

▲大根を炊いた。きょうは聖護院大根(丸大根)でいつものようにお揚げさんと一緒に。この大根は(ねだんは高いけど)直ぐとろとろに煮えるから、お昼食べた後、片付けしながら(ちょっとめんどくさいのがまんして)拵えておいたら、夕飯にはけっこう味も染みておいしい。もちろん、ゆっくり、くつくつと炊く青首大根もすき。

▲こどもの頃は、近所や友だちん家に行って玄関先でぷーんと大根の炊いた匂いがすると、そのまま引き返したくなるほど、大根が嫌いやったけど。そのころの「遅れ」を取り戻すくらいの勢いで、いまはしょっちゅう大根を炊いている。薄味で煮て、その日は柚子胡椒や柚子味噌つけて。翌日は温め直して何もつけずに食べるのがすき。旨い!

▲野菜嫌いというたら。そのむかし、忙しい仕事の合間に母が「きょうは誕生日やし、あんた何食べたい?」と聞いてくれて。ある時期わたしはずっと「カレイの唐揚げ」と答えてたんよね。

▲黄金色にカラリと揚がったカレイを白い洋皿に盛ると、母は「ここにキャベツの千切りとか、トマトかきゅうりか何か、お野菜添えへんかったら、カッコつかへんなあ・・・けど、あんた、いらんのやろ?」とお皿をのぞきこんでいるわたしを見上げて、呆れたように言うのだった。

▲ふだんは「好き嫌いばっかし言うてんと、青いもんも食べなはれ」と言う母も誕生日なんやから、すきなモンだけでもええやろ~と思ったのだろう。平べったいカレイがペタンと載ったお皿をわたしの前に置いてくれた。そう。キャベツやトマトやきゅうりとか、そんなもん(!)横に添えられたら、せっかくの好物が台無しや~と(そのころのわたしは)おもってたんよね。

▲そんな野菜嫌いが、大根炊いて、食卓には「青いもん」を切らさへんようになったんやから。

ほんま、ひとは生きてる間に何べんでも「変身」してゆけるんやなあと、他人事みたいに笑いながら、大根のにおい充満するだいどこで本を読む誕生日だった。

▲レンタルショップが遠くに引っ越したのもあるけど、ここんとこ読書の時間がふえた。このまえ追記欄に書いた長編『アメリカーナ』(チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ著 くぼたのぞみ訳)も読了。つづいて『夜の木の下で』(湯本香樹実著)を読んで、そうこうしてるうちに注文していた『私が死んでもレシピは残る 小林カツ代伝』 (中原一歩著)が届いて、この本にふさわしく「だいどこ読書」にてその日のうちに読了。

そして、いまは『こびとが打ち上げた小さなボール』(チョ・セヒ著 斎藤真理子訳)を読み始めたところ。

▲読書の秋っていうけど、本読みは冬やよなあ~とおもう。

『アメリカーナ』のような長いのは、本(物語)にむきあう時間長い分、旅の途中にであって親しくなった人みたいなきもちになる。
列車を待つ間も、その長い車中でも、いっぱいしゃべって、やがて駅に着いたときみたいに、離れがたく別れがたくさみしく。ハグしたとき感じた体温をずっと保っていたくて。もう少しここにいようとおもうそんなかんじ。

▲そしてこの本にかぎらず、海外小説を読み終えるといつも思うこと。わたしにもわかることばに訳してくれるひとがいて。手わたしてくれて。ありがとう。

【対話というのは手わたす言葉だ。翻訳もそうだ。】(長田弘著『自分の時間へ』より抜粋)

▲『夜の木の下で』 は、本が出たときにわたしが湯本ファンなのを知ってるご近所さんが、新聞の著者インタビューの記事を切り抜いて郵便受けに入れてくれはったんよね。それを読んでノートに挟んだまま、すっかり2年間も忘れてた。

▲この間、調べたいことあってそのときのノート繰ったら出てきて、びっくり。くわえてその日の午後なんとなく立った図書館の書架に件の本があって、二度びっくり。もちろん、そのまま本の森に入るのであった。

▲わたしは四姉妹の末っ子やから、姉の立場も弟のかんじも、ただ想像するしかないんだけど。しっかり者で、でも繊細なお姉ちゃんと、甘えん坊で何考えてるんだかわからないけど、心根のやさしーい弟は、いつも湯本作品のなかですぐそこに、幼い子の日向くささや、あまいような息のにおいまでして、なつしくて、切なくて、そして痛い。

▲けっして幼い子ばかり描いてないのに、こどもの頃のきょうだいの、たのしくて時に残酷な時間も。目を凝らすとその背景の下に隠れてた絵の具の色がうっすらと見えて、どきんとする。

▲最初の作品「緑の洞窟」も姉弟(双子)のお話で、お父さんに連れてもらって、生まれつき病弱だった弟ヒロオと公園に行く場面があるんだけど。公園の滑り台の上から下を見下ろしてる「私」の描写にたちどまる。

【てっぺんまで来ると、公園中が見渡せた。金属の手摺りをしっかり掴み、おそるおそる背を伸ばし、すると冷たい空気に肺は膨らんで、そのまま体ぜんたいがひとまわり大きくなるかと思われた。砂場で遊んでいる小さな子たちがいた。うんていにぶらさがっている、少し年上の子もいた。けれどその公園でいちばんの高みにいるのはこの私で、しかもベンチでは父が静かに、眼鏡の奥の目を細めて煙草を吸っている。鳥肌立ち、震えがきそうになりながら、私は「早く大人になりたい」と心の中で唱えた。それはなかば習慣化した呪文のようなものだった。】
p11より抜粋)

【「押したのか」父が訊いた。私はだた父の顔に目をこらしていたのだと思う。突然、頬が焼けるように熱くなった。何が起きたのかわかったのは、砂場のそばにいたよその母親たちが、じっとこちらを見ていることに気づいたときだ。だんだん痛みがやってくるなかで、これからどうすべきなのか誰かに教えてほしかったけれど、母親たちは目を逸らしてしまう。父は既に弟の手を取って、公園の出口にむかっている。頭のなかで何かがくるりと一回転して、私は滑り台の梯子段を上った。】(p14 より抜粋)

▲双子とはいえ、弱くてからだも小さい弟を「私」も、そして周囲の大人たちも大事におもってかばう中での「私」の孤独。同書にはこの話をふくめ6編がおさめられている。猫や幽霊、自転車のサドルとの会話なんていう幻想の入り混じった話から、女子高生が白い琺瑯の生理用品入れのなかみを段ボール箱に入れて焼く係の「焼却炉」とか。それぞれの主人公のだいじなひとや物との繋がりが綴られてゆく。

件の新聞記事で著者はこう語ってはる。

【人の心の内には未来も含めてたくさんの時間が等しく会って、いつでもそのままの状態で取り出せるのではないか。ただ懐かしむのではなく『こんな夜があった』とありありと感じる瞬間のように。失ってしまった、と思うことはないとだんだん感じられるようになったんです。】
(朝日新聞「著者に会いたい」201411月?)

「心の中にあるたくさんの時間」~わたしもだいじにしたいと思う。

*追記

その1

『夜は木の下で』を読みながら、どこかで見た光景がずっとわたしを追いかけて。そうだ。樹村みのりさんの作品によく似たにおいを感じたんよね。
ひさしぶりに読み返したいなあと思います。

樹村みのりさんのまんがについて書かれたブログをみつけました。 (ブログ『茶トラ猫チャトランのエッセイ』より)

その2

『私が死んでもレシピは残る 小林カツ代伝』(中原一歩著)のことはここにちょっとレビューを書きました。

その3

この間、福岡の友だちが関西にやってきました。
めったに出かけないわたしがおもいきって会いに行ったあの日
から、もう7年!今回は同様に遠出することの少ない彼女が関西に~

てことで、喜々として伊丹空港までお迎え。まえにも書いたけど「空の港」は、いつ行ってもそわそわ。どこか遠くに行きたくなります。
そうして、窓からは小さく見える飛行機も空港付近の野原では、それはそれは巨大で、ものすごい轟音と強風で頭のすぐ上を飛んで行くのでした。

若いころ友だちに連れて行ってもらって草原に並んで寝ころがって、きゃあきゃあ大声で叫んだことを思い出しました。

ちょうどその後読んだ『ビニール傘』(岸政彦著)にも、その伊丹空港の話がでてきました。
すきな場面です。


【大阪の街のまんなかを分断するように流れる淀川が、雨を集め、真っ黒に濁って、ごうごうと流れている。その上を、伊丹空港に着陸する飛行機が飛んでいる。低すぎて、すぐそこを飛んでいるようにみえる。こちらから見てこんな近いところを飛んでいるなら、機内からも、堤防を歩いてる俺たちの顔が見えてるかもしれないと思う。堤防はほんとうに広くて、対岸がかすんでみえる。俺たちはそれぞれ傘をさして、すこし離れて歩く。】
『新潮 20169月号』p103より抜粋)

その4

・・・とか言いながらDVDは、たまたま近くに来た友人の車でショップまで乗っけてもらって少し借りました。
観た映画の中では『ミモザの海に消えた母』
がよかったです。

以前読んだ『シズコさん』(佐野洋子著)や『おくればせの愛』(ペーター・ヘルとリング)のことを思い出しながら、そして、やっかいなことの多い「親子」(苦笑)について、改めておもっているとこです。(ここに前書きました)

その4

友だちが福岡から遠征のいちばんの目的は、京都であったローラ・ギブソンのライブ。
わたしも一緒に行きたかったんだけど今回はあしに自信がなくて断念。

ちいさい会場でええかんじのライブやったそうです。

今日はそのローラ・ギブソンを聴きながら。

Laura Gibson -Nightwatch→


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# by bacuminnote | 2017-02-01 14:20 | 本をよむ | Comments(6)

ねてもさめても。

▲雨戸を開けたら、待ってましたとばかりに、ひゅうーっと冷気が束になって飛び出してきて。
なんかアラジンのランプから出てくる”魔人”みたいやなあ~と、こどもみたいなこと思いながら、窓から身をのり出して空をみあげた。冬の空の透明な青がものすごくきれいで、深呼吸ひとつ。つめたい空気が胸のおくまで沁みる。1月17日朝に。

▲寒かったり、雪が降ったり(積もったり!)で、足はイマイチだけど、ぼちぼち歩き、読んだり観たり聴いたりの日々。(←つまりいつもと変わらぬ日々)
昨年末、本屋さんでもらった『本の窓』1月号(小学館)を何気なく読んでたら、連載「画家のむだ歩き」(牧野伊三夫)というのがあって。著者が阿佐ヶ谷の四畳半のアパートで暮らした頃のエピソードが綴られていた。

▲アパートには共同のトイレと炊事場があって、しかし「炊事場」というても本来の炊事ができそうにないことを知った著者は(冊子は年末掃除でゆくえ不明につき、うろ覚えなんだけど。たしか住人が流しで半身浴だったか、してはるのに遭遇して)結局自分の部屋で電熱器一台にていろんなものを拵えて食べたという話だった。

▲電熱器というたら、わたしも学生のころ持ってて重宝してたんよね。
同じ下宿(今で言うたらシェアハウスみたいな)の友だちのmは大分の海辺の町の出身で、ときどきお母さんが、鰯の丸干しやめざしを送ってくれはって。冬はおこたの上に電熱器置いて向かいあって座り、手をあぶり暖をとりつつ(石油ストーブ厳禁やったし)炙ってはかじり炙ってはのんだ。

▲苦いはらわたも カリカリに炙った頭もみな 新鮮で旨かった。あとでやってくるモーレツな喉の乾きのことも毎度わすれ、かじった。
いつも食べたり呑んだりは階下のわたしの部屋でだったんだけど、お布団から服からかばんから、部屋のものはぜーんぶ干物の匂いを吸いこんで。
翌朝ガッコで、服に鼻くっつけて「くさー」と二人笑いあった日がなつかしい。

▲著者のことは知らなかったけれど、このエッセイからも「食べる」ことへの思いの深さはじゅうぶんに伝わって。だから昨年末に出た『かぼちゃを塩で煮る』(絵と文 牧野伊三夫 幻冬舎刊)はそのタイトルからして大共感やったし、表紙カバーのかぼちゃの絵もええ感じでさぞ「おいしい」本やろなあと思っていたんだけど。

▲案の定、食欲をおおいに刺激する本で、おまけに合間にウイスキーの話なども登場するので、明るいうちからそわそわしてしまった。
帯の惹句の「台所に立つこと うん十年。頭の中は、寝ても覚めても 食うことばかり」にも、冒頭こどもの頃からのその並々ならぬ食いしん坊ぶりにも(おなじ食いしん坊として)ハートを射抜かれる。
もうぜんぶ紹介したいぐらいやけど、読むたのしみとったらあかんから、ひとつだけ。

▲曰く、土曜日に学校からの帰り道、工事現場の人らが焚火を囲んでお弁当を食べてはる様子があまりにうまそうだったので、家に着いてさっそく弁当箱にご飯とおかずと詰めて弟と二人屋上で食べたそうで。
大人たちがしていたように、コップではなく四角い弁当箱の蓋にお茶を注いですすり、満足気な少年や、なんか訳わからんが兄ちゃんに誘われて外で弁当に浮かれる弟とか(←これはわたしの想像w)映画のいち場面みたいにうかんで頬がゆるむ。

▲前述のとおりアパートで電熱器使って調理してたようなお方やから、とくべつな調理具や、食材を使うということもなく、しかし、ここというとこで手間ひまは惜しまない、という好みのタイプ。(←こういう人、そばに居てほしい。笑)

▲本のなかにお家の台所とおもえる写真があるんだけど、それが、システムキッチンとかやなく、おしゃれにリノベーションした台所でもなく、どこにでもあるような流し台と2口のガスコンロとよく使い込まれた鍋やフライパンのある、ひと昔前のフツーの「だいどこ」で。
いつもは寒い、流し台が低すぎる、ガスコンロが2口しかないとか、文句言うてるわたしだけれど、その写真にはウチのだいどこに通じる空気があって、なんだかほっとするのだった。

▲そうそう、牧野さんはこれに加えて火鉢や七輪も使ってはるんよね。
【夏は羊肉やとうもろこしを焼き、冬は鍋をかけて湯豆腐やとり鍋などをやる】という彼が、炭火をつかうきっかけとなったのは、ある年の冬に九州の温泉宿に泊まったときのことらしい。

▲朝、まだ夜の寒さが残るロビーに行くと爐(いろり)の灰の上に炭が置かれていて。雰囲気を出すための演出かと思ってたら宿の人が来て、炭に火をおこし鉄瓶をかけはった。
牧野さんはそばに座って炭火が燃えるのをじっと待ってたんだけど、なかなか赤々と燃えてこなくて。「これ、消えてるんじゃないですか」と尋ねると、旅館の方いわく「炭はね、そんなに早く燃えないんですよ」。

▲【黒い炭の隅っこについていた赤い小さな火は実にゆっくりと燃えていくのだった。炭はガスコンロの火のようにレバーで火力を調整したり、一瞬であたたまったりするものではないのだ。そして、このとき僕、はっとした。絵を描くことも同じではないだろうか、と。おそらく僕は、絵を描くときも自然の時の流れを受け入れずせっかちにしていたかもしれない。】(同書p90より抜粋)

▲旅から戻った牧野さんは東京でも炭火のある暮らしがしたくなって、古道具屋で火鉢をもとめてアトリエに置くようになったそうだ。
わたしは信州のころの薪ストーヴを思い出していた。
焚き口の窓からみえる赤い炎のゆらゆらも、やかんや煮物の鍋から白い湯気がたちのぼるのも。見るともなしに見ているときのあのしずかなきもち。
暮らしのそばに火があるのはええなあとおもう。

▲本に登場する料理は、おでんに鳥鍋、鴨鍋、鮟鱇鍋・・・と鍋愛好家(笑)としてもうれしいラインナップ。ほかにもペルーのめずらしい料理や、鶏肉をつかった洋風のものもいくつかあって。最初に【この料理を食べるときは、うまくていつも、ふ~んと鼻がなってしまう】ってとこから始まる料理もあり、読んでる方はお腹がなる。
「三分おつまみ集」から「粥」や「ゆで卵」というシンプルなタイトルには、さてどんなこと書いてはるのやろ~とわくわくする。なんと「めざしの炙り方」というのもあってコーフン気味に読んだ。(「めざしの友」mに、久しぶりに電話してみよう)

▲どれも料理の作り方が書かれてるんだけど、気取りなくさりげなく、大雑把なようで気をつけるポイントがちゃんと書かれていて、なるほどと頷く。文章の間から料理をつくる牧野さんが、家族や友だちが飲んだり食べたりしゃべったりしてる声が聞こえてくるようで。食べたくなるし、拵えてみたくなるし、そして、呑みたくなる本だ。

▲巻末、編集者の鈴木るみ子さんによる「眺めのいい食卓」という文章もよかった。
【誰もがおいしいと認めなくていい、それを食べてるあなたの顔が思わずほころんでしまっているもの。そんな「個人的ごちそう」を教えてくださいという微妙な依頼の意図を理解し、ぴたりと望むようなリストを返してくれる人は、その頃少なかった。】(p205より抜粋)

【牧野さんを見ていると、フランス語の bon vivantという言葉を思わずにいられないのだが、ボンヴィヴァン、よく生きる人という意味だ。よく呑み、よく食べ、よく考える。よく夢みるという営みも忘れてはならない。】
(p213より抜粋)

▲シアワセな食卓は、まず自分がおいしいと思うもの。「個人的ごちそう」~これやな、とおもう。
と言いつつ、この「個人的ごちそう」が相方と時々ちがって、しかもお互いなかなか譲らず、バトルとなるのであるが(苦笑)。食べることは生きること。これからもけんかしぃしぃ、あわてんとゆっくりめざし炙って(二人共めざし好き。但し炙り方ではいつもモメるけど)おいしく食べておいしくのみたいと思う。
そして、いつまでも長く 海の幸山の幸を少しずつ分けてもらえるよう。海や山や田畑が、もうこれ以上 人の手や欲で汚されることがありませんように。


*追記

その1)
この間から読み始めた『アメリカーナ』(チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ著 くぼたのぞみ訳 河出書房新社2016年10月刊)は近頃では珍しい二段組の538頁の長編です。
分厚くて重たい本なので、寝床読書には向かず(苦笑)ようやく読書の波がのってきたと思ったら、図書館返却の日が間近にせまり、でもでも。おもいきって(4968円)買おうかな。
この方の『アメリカにいる、きみ』もおすすめです。

この本のことを、いつもええ刺激くれる若い友人にいうたら、著者の講演の動画を教えてくれました。
日本語字幕あり。

”We should all be feminists ”  Chimamanda Ngozi Adichie →

*追記の追記*
このブログコメント欄でlapisさんが教えてくれはった、もうひとつの講演動画チママンダ・ンゴズィ・アディーチェの「シングルストーリーの危険性」おすすめです。ぜひ。→

その2)
『オール・マイ・ラヴィング』(岩瀬成子著)の文庫版 (2010年刊の単行本に加筆修正)がでて、こちらは軽いので整形外科リハビリの待ち時間にちょっとづつ読んでいます。もう何度も読んでるのにそのつど、初めて読むみたいにどきどきするのは、このころ(十代半ば)のやり場のないきもち、自信のなさや、持て余す自意識や、何より”no music,no life! ”な思いに共感するから。そんな思いをみごとにすくい取ってくれる岩瀬成子さんの文章ゆえ。
解説には(前に発表されたものですが)江國香織さんと『ロッキング・オン』の松村雄策さん。

そして、いま、あらためて紹介したいのは、『ピース・ヴィレッジ』です。基地の町に住む小6の楓と中1の紀理、まちの人々・・・岩瀬さんの本に出てくるひとたちはみないつも魅力的です。(ここに感想を書きました。)

【父さんのくばってる紙にはね、
「あなたもわたしも同じ立場にいる」と書かれているの。
「わたしたちは力をもたない市民だ」と。
「だから、政府の力で戦場に送り込まれて、人を殺してはいけない。また殺されてもいけない。わたしたちは一人の市民として、起きていることを知ろうとしなければいけない。自由に自分の考えをあらわさなくてはいけない。人間の誇りをうしなってはいけない」
と、そんなことが書いてあったんだ。】 
本の中、主人公の紀理のお父さんが基地の前で配ってた英語のビラを紀理が訳す場面。

*岩瀬成子さんのこのほかの本の感想はここの追記にリンクはっています。

その3)
買い物帰りのいつものコース、図書館本屋レンタルショップやったのに、先日レンタルショップが閉店。
顔なじみの店員さんが、店のすみにわたしを呼んでそれを伝えてくれたとき泣き出さはった。
作品検索とか、マイナーな作品を取り寄せするのに、面倒な申し込みの伝票書きとか。レンタル開始の前日に入荷段ボール箱の中から探して、一足先に貸し出してくれたり。いっぱいいっぱいお世話になりました。
かなし。
これからどないしょう。
世の中は動画配信の時代やけど、本だって、図書館や本屋さんで「棚」みながら選ぶのと「あまそん」とかで「これを」と思って買うのんと、その楽しみ方はちがうしね。

というわけで、先日は「観たいリスト」持って遠い店舗まで。
相方にナビゲートしてもろて(方向音痴ゆえ)ゆっくり、ゆっくり。途中ランチ休憩もして徒歩にて。でもあまりに長距離(わたしの足にしたら)やったので最初で最後かなあ。
以下備忘録的に。

『好きにならずにはいられない』
アイスランドの映画。寒いとこの映画には弱いわたし。
『山河ノスタルジア』
若干ふまんやつっこみどころもあったけど。ジャ・ジャンクーの映画やなあと思った。
『家族の灯り』
絵画のような画面。もとは戯曲らしいけど、納得。寒く湿気た空気がゆううつ。
『シチズンフォー スノーデンの暴露』
こわかった。ほんまにこわいです。多分そんなもんなんやろうな、とは思ってはいたけれど。やっぱりと「知る」こわさ。
『団地』
藤山直美がすきやから借りたんやけど。この監督との映画ではやっぱり『顔』が圧倒的によかったです。


その4)
きょうも長くなりました。さいごまでおつきあいしてくれはっておおきにです。

きょうはこれを聴きながら。
Stefano Guzzetti- Mother→

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# by bacuminnote | 2017-01-18 11:11 | たべる | Comments(6)

あの日のこと。

▲家の中が温かったので、つい薄着で外に出たら風のつめたいこと!玄関を出たとたん いっぺんにからだがきゅうと音たてて縮むようだった。
期間限定とはいえ、ここんとこ働き者やったのに(苦笑)心配するほど膝が痛まなかったのも、年末年始のにぎやかでたのしい時間と、何より穏やかなお天気の日が続いたからかもしれない。ほんま温いお正月でよかった。

▲それにしても寒い。
もうちょっと厚手のセーターにしたらよかったかな~いや、歩いてたらそのうち温もってくるで~とか思いながら、通りの薬局の大きな硝子戸に映るじぶんの姿勢をチェックしてたら、硝子のむこうから外みてた若い子と眼があって恥しかったけど。(←おばちゃんが鏡代わりにしてすまん)今年は心身共に脱・猫背で まいります!

▲昨日のこと。
ちょっと調べたいことがあって、以前つけていた「10年日記」を出してきた。
これは息子1からの誕生祝いで、1995年1月1日~2004年12月31日の10年。
この前年の暮れには家族で大阪に帰省して、元旦早々に冷え切った信州の家に戻ってきた。
そして、その日の夜からさっそく友人たちとその甥、翌日には息子の友だち、べつの友人のこどもとその友だち・・と次々泊り客がやって来て。

▲民宿かと思うほど、玄関先にはスキーの板から長靴やスノーブーツが散乱して。それは賑やかなわが家の新年が、一日4行の狭いスペースにぎっちり埋まっていて、読み返すと頬がゆるむ。
このころはまだ下の子の病院通いも食事の制限もあって大変な時期やったけど、だからこそ、近く遠くから友だちが来て、わいわい飲んで食べて、泊まっていってくれるのが、ほんまにうれしかったんよね。

▲そういえば、友だちだけやなくて、ウチを初めて訪ねて来た人と珈琲のんで話してるうちに、「夕飯たべていって」「まあ一杯」と、そのまま泊まってもろたことも何度もあって。
仕事もして、夜は下の子のことでなかなか眠れへんかったりしたのに、どこにそんな元気があったんかなあ~と思うけど。それだけわたしも若く、そして、ひとに会いたかった時季やったのかもしれない。

▲ページを繰ると、この年の1月17日には「早朝神戸に地震。息子1がラジオで神戸に地震があったと言っていた。」とある。
そうだった。
わたしらはいつものように、まだ真っ暗な早朝からパン焼きの仕事で、そのときの揺れ(信州でも少し揺れた)は感じたけれど、それまでも御嶽山のふもとの家で揺れることはたびたびあったから。「またか」くらいにしか思っていなかった。

▲くわえて当時テレビはアンテナを立てていなかったので、ラジオと新聞だけがニュースソースやったから、まさかあんな大惨事になっていようとは想像もしなかった。
その日は神戸市灘区のお客さんにパンを送ることになっていたので、宅急便がまた遅れたらかなんなあ~と話してたのを思い出す。
が、実際は遅配どころか、しばらくの間は荷受けそのものが中止だった。

▲そして日を追い、被害の大きさはわたしたちの想像を遥かに越えるものだとわかってきて、そのつど震える思いだった。神戸は相方がカメラマンだったころ通った写真の師のスタジオがある思い出の町でもあり。お客さんも友人も暮らす町だった。

▲その年の10月だったか、
大阪、ミナミの戎橋で寝ていたホームレスの男性を若者たちが道頓堀川へ投げ込み、亡くなるというたまらない事件があって。その事件を考えるシンポジウムが11月12日に大阪であるという某通信を読んだ息子が行きたいと言い出した。
翌日早朝に家を出て、ひとり鈍行を乗り継いで大阪まで。

▲そしてシンポジウムのあと、神戸に行ったようで。
そのころ神戸は復興がすすむにつれて次々とボランティアが撤退して、まだまだボランティアは必要・・・という報道に、「自分も何かできたら」と考えたのだろう。
親しい人に見せてもらった新聞記事をたよりに、被害の大きかった長田区に行き、おもに家の修理をするボランティアグループに参加を決めた、と電話がかかったのだった。

▲代表者の方と相方もわたしも話して、「よろしくお願いします」と受話器を置いたものの、わたしはしばらく心配で生きた心地がしなかったんよね。
結局その日から半年余り長田の町で暮らすことになったんだけど。
年末に地域で餅つき会をするから~と呼んでもらって、帰省かたがた下の子をつれて3人ではじめて長田を訪れた。

▲震災から一年近くたってなお、まだブルーシートがいっぱい被さる町での餅つき会だった。
そんな中15歳の少年が、はりきって立ち動く姿に親ばかながらわたしは胸がいっぱいになった。周囲のひとたちに大事にしてもらってることは、その表情をみただけで伝わってきて。

▲その日は大好きなお兄ちゃんに久しぶりに抱っこしてもらった弟(まだ3歳になってなかった)も大喜びで、相方も杵を振り、つきたてのお餅の入った熱々のぜんざいを町のひとと一緒にごちそうになった。
ええお天気の日やったけど、暮れの風の冷たさに、改めて「1月17日」をおもった。
ひとりで参加したシンポジウムと、この神戸での時間は、その後の彼にとって原点ともいえる大切なものだと思う。

▲いまでも、ご近所さんと話してると時々阪神淡路大震災の話がでてくるんやけど(ここでも揺れは大きく、みんな怖い思いを経験している)遠く離れてその経験のないわたし自身を痛感する。
「あの日」入ったのであろう外壁の亀裂をみるたびに思う。忘れないでおこうと思う。

▲そういえば、奇しくも「10年日記」の最後の年に、わたしたちは信州、開田村(いまは木曽町開田高原)から大阪に引っ越した。
10年というても、熱心に書いてたんは6~7年で、最後の方はほとんど空白なんだけどね。ぱらぱら見てたら引っ越業者の請求書と領収書が挟んであった。
距離:300km。搬出:5月25日、搬入:26日。
2日がかりの引っ越しだったんよね。


*追記

その1)
いつもたのしみに読ませてもらってるブログ『NabeQuest(nabe探求)』に、昨年末 震災の日のことが書かれていて。→
震災当時、神戸にお住まいと言うのは、前に読んでいましたが。長田区だったと知っておどろきました。

ブログ内で紹介されている画家 林哲夫氏の作品『神戸 1月17日』に描かれた、長田の空の色が忘れられません。
文中 長田区の消防署員による手記もリンク貼ってはるので読んでみてください。

その2)
お気づきかもしれませんが、息子が長期ボランティアに参加していたときは一般的にいうと(というのも変やけど)中学生でした。最初から中学校には行かない生活を選んだので、自由な時間はたっぷりあって。(はじめのころはミシガン州のクロンララスクールというところの”ホームエデュケーションプログラム”生として(自宅にいて、日本語で手紙のやりとり。いまはオンラインのプログラムがあるみたいです。その後は家の手伝いをしながら自学自習) ただ、中学生と聞いてびっくりしはったボランティアグループの代表者の方が「私たちは受け入れたいと思うけれど、親御さんの許可を」とさっそく電話をくださったのでした。

神戸での半年のあいだには、うれしかったことも、しんどいことも。当たり前ですが、いろんなことがあったようで。公衆電話から「ボランティアとは?」と、その意義を問うてきたりしたこともありました。
でも終始みんなに鍛えられ、愛され、文字通り一回りも二回りも大きくなって帰ってきました。
そうそう、家にもどって一番にしたのがパン焼きの仕事場~天井の修理。自分の貯金で脚立を買ってパネルを貼ってくれました。彼にとっては街や人が学校やったと今でも感謝しています。

その3)
神戸出身の森山未來と佐藤江梨子が出演した映画。『その街のこども』公式HP→(クリックするとすぐに予告編が始まります)

その4)
今日はこれを聴きながら。
Gabriel Fauré - Requiem : 'Sanctus' →

その5)
ごあいさつが一番あとになってしまいました。
あたらしい年がやってきました。
相変わらず 話があっちにいったり、こっちにいったり・・まとまりのないのブログ~ですが、よろしくおつきあいください。

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# by bacuminnote | 2017-01-07 16:54 | 開田村のころ | Comments(2)

ただの年。

▲12月31日、朝。
ええ天気。冬の青空がほんまにきれいでうれしくなる。
「ふらここや空の何処まで明日と言ふ 」(つつみ眞乃)
ふらここ(ブランコ)は春の季語だけど、年の暮れに空を見上げるといつもこの句をおもいだす。

▲こどもの頃はおこたでテレビ「紅白」につづいて「ゆく年くる年」を見てたから、除夜の鐘の音のあと、司会者の「あけましておめでとうございます」が年を越したという「合図」だったけれど。
テレビの途中トイレに立って、ふと窓からみた真っ黒な空のどこかに線が一本あって、ここから今年で、あそこからは来年、ってなってるんやろか?と、じいっと眺め入ってたんよね。

▲今年はつらいことの多い一年だった。
昨年末から起きた膝痛から始まって(おかげさまでこれはその後だいぶよくなりました)、長いブランクのあと還暦を機に再会した同級生たちが、思いもかけずかけ足で遠いとこにいってしまった。それに、十代のころからずっと聴いてきただいすきな(というかわたしにとって大きな)ミュージシャンも次々と旅立って行った。
ひとにはいつか誰とでも別れがあることは、わかってる。そのつもりやったのに。おろおろしてる自分に「しっかりせんかい」と言い聞かせる。

▲けれど、一方では出会うことの多い一年でもあった。
近く遠くの友人たち、なかにはリアルに会うのは初めての方もいて。愉しくかけがえのない時間をすごした。
そして本も映画も音楽も。しょんぼりするわたしを何度もたすけてくれた。
膝痛がすこし落ち着くと、杖持参であちこちに出かけた。映画館に、講演に、そしてだいすきな人たちに会いに。

▲この国だけじゃなく世界のあちこちから耳に入るニュースは相変わらずひどいものばかりで。
我慢ならないことは、この国の総理大臣というひとが発することば。嘘に嘘を重ねて平然と発するそれは、ことばを冒涜していると思う。
こどもたちが彼のスピーチを聞いて、ことばが本来もつ意味を取り違え、ことばとはなんとあてにならない空疎なものなんだろ、とことばを軽んじるようになるのではないだろか。

▲さて、朝から書き始めたのに、洗濯物ほしたり買い物に出たり、洗い物したり、数の子塩抜きしたり、大量に牛蒡のささがきしたり(今夜は鴨鍋なり)、息子ふうふと、飲んだり食べたりしゃべったりしてるうちに、今日(今年)もあと少し。
結局書きたかった本のことは書けずじまいで、「線のむこう」に行ってしまいそうです。

▲今年もつたないブログを読んでくださって、おおきに。ありがとうございます。
2017年こそ佳き年になりますように。
だれにでも温かいねぐらがありますように。
ちいさいひとたちが(おおきいひとたちもまた)笑顔ですごせますように。

「只の年またくるそれでよかりけり」(星野麥丘人)
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# by bacuminnote | 2016-12-31 23:56 | Comments(2)
▲きのう図書館に行く途中、若い女の子二人組に「すみません~」と呼びとめられた。
道を聞かれることはよくあるのだけれど、たいていは同世代か年配の人で。
若い子にはスマホという便利なツールがあるもんね。
ところが、彼女たちはそのスマホを覗きつつ「あのぉ~駅って、どこにありますか?」と聞いてきた。でも件の駅はすぐ30mほど先なのだった。

▲「すぐそこ」を指さすと「ええっ~?」と悔しそうで。「もうちょっとやったのに。惜しかったねえ」と言って笑い合う。
二人とも笑顔のかいらしい娘さんで、おばちゃんまで若さのもつ軽やかで華やいだ空気に染まったみたいで。
なんかうれしくなって、突然背中をぴんと伸ばしたりして(苦笑)「気ぃつけてね。ほな、いってらっしゃい」とみおくった。

▲ほこほこ気分で図書館に行って、本を返したあと、児童書のコーナーで『ことしのセーター』(石川えりこ 作・絵 福音館書店「こどものとも」11月号)という絵本と目が合うた。
表紙のセーターを抱きかかえてうっとりしてる女の子の顔には見覚えがあり。そうだ。『ボタ山であそんだころ』(前にここにも書きました)の作者や~とおもって本を開く。

▲お母さんらしき人と三人のこどもが押入れから衣装缶(←作者の石川さんはたしかわたしと同じ歳のはずやから。これ、プラスチックやなくブリキの缶やね。絵を見ただけで、あの灰色と蓋のベコベコした感じとか、樟脳のにおいが立ちのぼってくる)を出しているところからお話が始まる。
【きょうは うちの ころもがえ。 おしいれや たんすから きょねん きていた ふゆものを だしています。】

▲お姉ちゃんもわたしも弟も去年のセーターを出して着てみるんだけど、袖が短くなってたり、きゅうくつで大きく息ができなかったり、おへそが見えたり・・・みんな去年より大きくなってるんよね。そんな様子をみてお母さんが「これじゃあ もう ちいさいねえ。みんな ほどいて あみなおそうね」と言う。

▲お祖母ちゃんは毛糸の服の「とじめ」を「ていねいにていねいに」に外して、袖や見頃に分けて。
傍らのこどもらは「たたみの うみに うかぶ ちいさな しまのよう」に置かれた「部位」をとびこえたり、横で寝転んだりして遊んでる。
次に、毛糸をほどいて、お母さんが火鉢に火をおこしてヤカンをかける。お湯がしゅんしゅん沸いてくると、ヤカンの蓋の穴に毛糸を通して、ゆっくり引いていく。

【へやいっぱいに けいとの においが たちこめます。「きょねんの ふゆの においがするね」とおねえちゃんが いいました。】

「毛糸のにおい」なんて、もう長いこと思い出すこともなかったなあ。
なのに絵をみるや、とたんに「におい」が蘇ってきて、自分でもおどろく。

▲湯気で伸ばした毛糸を、こんどはくるくる巻いて。
お祖母ちゃんは買ってきた新しい毛糸を弟の腕にかけて、毛糸玉にする。
お母さんもお祖母ちゃんも、家事のちょっとした合間にも編み棒を動かして動かして、セーターやチョッキを編んでくれるんよね。
あちこちのお家で、ごくふつーに繰り広げられてたこんな光景を、今読む(見る)と「昔ばなし」の世界みたいやなあ。せいぜい50年ほど前のことやのに。

▲こどもの頃、友だちんちに行くと、たいてい部屋のすみの籠に毛糸玉と編みかけの毛糸に編み針が刺さってて。
そんでお正月がすぎて、三学期の始業式には新しく編んで(編み直して)もろたセーターやカーディガン着てくる子が多かった。
ウチでは、家業に追われて母が編み物をすることはなかったけれど、毛糸の湯のしまでは家でやって、あとはだれかに頼んで編み直してもらってた。
ものを長くだいじに使うこと。毛糸をほどいて、伸ばして、巻いて、編み直して、というのを、手伝うたり見たりしてきた経験はしみじみよかったなと思う。

▲一昨日『さとにきたらええやん』の上映会に行ってきた。
前々から観たい観たいと思いつつ、上映会場が遠くて足に自信がなかったり。迷ってるうちにお終いになったりして。最近はもう諦めてたんだけど、なんとか一人で電車のりかえて、行けそうな場での会があることを知り、思い切って夜の外出となった。
ところが当日、近くの友人に言うたら「わたしも行く」という(ありがたい、心強い!)展開に。おたがい家族の夕飯を早々と拵えて、薄暗くなった街を二人そわそわと歩いた。

▲映画は大阪市西成区にある日雇い労働者の街「釜ヶ崎」で38年にわたり活動を続ける「こどもの里」に集まるこどもとその親、そしてスタッフたちを映している。
「こどもの里」がどういう場か、パンフレットに書かれたことばが、まさに「さと」を現しているとおもう。
(ちょっと長くなるけど書き写してみます)

~こどもたちの遊び場と生活の場です~
誰でも利用できます 
子どもたちの遊び場です 
お母さんお父さんの休息の場です 
学習の場です
生活相談 何でも受け付けます 
教育相談 何でもできます 
いつでも宿泊できます
緊急に子どもが一人ぼっちになったら
親の暴力にあったら
家がいやになったら
親子で泊まるところがなかったら
土・日・祝もあいています
利用料はいりません

▲貧困や病気、暴力や虐待のなかでも、こどもらはみな、せつないほど親のことが好きなんよね。どうやったら親が喜ぶか、親を困らせないですむか、親の怒りが鎮まるのを息をひそめて待つ。
せやからね、
「デメキン」(目のおおきい荘保共子館長のあだな)やスタッフが何度も言う「だいじょうぶやで」「しんどいときは泣いたらええねん」「いつでもおいで」「わたしはあんたの味方やで」に、胸がいっぱいになる。
「誰でも」「いつでも」「無料」にじんとくる。
このことばと彼らのサポートで、こどもが(親も)、どれほど救われていることか。
何より「こどもの里」のように「緊急一時宿泊機能」をもつことは、とても大きいと思う。

▲荘保さんたちは「必要としてる子がいるから」と、昼夜なく動いてはるんやけど。
必要な子に必要な支援は、本来行政のするべきことやよね。
けど、大阪市(橋下市長)は2013年で「子どもの家事業」を廃止する。(「学童保育」と事業内容がある程度重なる「子どもの家事業」は利用料ゼロなので「保護者負担に違いがあるのは、補助金制度として問題」と言い、「子どもの家事業」を廃止。有料の「学童保育」に一本化した)

▲学童保育の対象年齢(これは従来の小1~小3年から6年まで広げたらしいが)を越えた子も、障がいがあっても、無国籍、戸籍のない子も、垣根なく引き受ける「こどもの里」のような場は少ない。そのはたらきを考えたら、ほんまは地域ごとに必要と思う。
ここ十年ほどの間に誰が仕掛けたのか「自己責任」とか「自立」とか、いうことばがエラソーな顔して闊歩して、弱いひとを切り捨ててゆく。ひとは一人では生きていけないのに。

【「自立」とは依存しなくなることだと思われがちです。でも、そうではありません。「依存先を増やしていくこと」こそが、自立なのです。これは障害の有無にかかわらず、すべてのひとに通じる普遍的なことだと、私は思います。】(熊谷晋一郎)→

▲上映後、荘保さんの講演。
映画の中で、くも膜下出血で長時間の手術、入院という場面もあって「その後どうしてはるのやろう」と心配だったけど。
壇上の「デメキン」は凛とした佇まいで、黒いベレー姿がかっこよかった。そして「時間が30分しかないから」と、濃いメッセージを早口で発し続けはった。
映画に登場した3人のこどもたちの「その後」の話も、痛くふかく響く。
(映画はおわっても、問題は続いてゆくものね)

▲お話のなかに出てきた「子どもの権利条約」について、あらためてその4つの権利を思う。
1 生きる権利、2 育つ権利、3 守られる権利、4 参加する権利
こどもに権利があるからというて、大人たちが何もしなければ、こんな「あたりまえ」と思えることも、守られへんこどもがいる、ということ。

▲帰り、ロビーにお見かけしたら、画面で観るより小柄な方で。
こんなに華奢なからだにどれくらい社会への大きな怒りと、こどもたちへの深い愛情を持ってはるのやろう、と思った。
「さと」のように、「こどもらが安心してすごせる場」が守られ、増えていきますように。
いや、ほんまは「さと」のような場が必要なくなる社会になったらええんやけど。

▲講演が終わったのは9時半すぎ。
夜道を歩くのも、夜の電車も久しぶりのこと。
友だちが、エレベーターやエスカレーターをいち早く見つけて「こっち、こっち」とエスコートしてくれて、うれしかった。
ええ時間でした。

*追記

その1)
2014年4月2日にNHKハートネットTVで、シリーズ 子どもクライシス 第2回「失われゆく“居場所”」という
番組があったようです。
番組で紹介されたのは、おなじく釜ヶ崎にある「山王こどもセンター」~大阪市の「子どもの家事業」補助金カットについて。→

このことに限らずですが
兆とか億とかいう単位のお金が「不」必要なところにばら撒かれてるのに、「必要」なところにはカットに「削減」!おかしいよ!

その2)
今回書けなかった本。
『神よ、あの子を守りたまえ』(トニ・モリスン著 大社淑子訳 早川書房刊)→
ひさしぶりに行った墓参の道中、バスの中で読みました。
緊張感のある読書で。途中ふと、顔をあげて車窓から外をみて。また本に。

肌の色ゆえに母から拒絶された少女。それゆえに両親の結婚は破綻します。
母親は娘に嫌悪感しかなくて、でも娘は母に触れてほしいために、わざといたずらをして、顔を平手打ちとかお尻を叩いてくれたら、とさえ思うんよね。
しんどい話なんだけど、主人公ルーラ・アンはしんどかった幼年時代から脱して、名前も”ブライド”に変え「自分」を生きるようになる。

表紙カバーの写真、ぽつりと真中に写るパールのピアスがすてき。
このピアスも本文中にでてきます。


その3)
観た映画(DVD)メモ
ヴェルナー・ヘルツォーク監督の作品2本
ヘルツォークはわたしには無理かも・・とか思いながら観ました。
『カスパー・ハウザーの謎』
『小人たちの饗宴』

その4)
まえにも貼ったことあるけど。
ヴィンセントってVincent Willem van Goghのこと。
最初の♪Starry Starry Night〜という歌詞はゴッホの「The Starry Night(邦題:星月夜)」という絵に由来するそうです。

Don McLean - Vincent→

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# by bacuminnote | 2016-12-20 20:41 | 映画 | Comments(6)

「月が変わりましたから、保険証を確認させていただきますね」と医院の受付で言われて、はっとする。
11月は「西向く侍」の最後の月やし(苦笑)ここんとこ気温のアップダウンもめちゃくちゃやったし、早ようから街じゅうクリスマスモードやからなあ・・・と、気づかなかった言い訳をぶつぶつ連ねつつ。ああ、もう12月です。

一日も、一ヶ月もあっという間で、ゆえに一年も過ぎるのがほんまに早い。時季に合わない天候が続いて、なんかわからんうちに次の季節にむかってしまうから、よけいにややこしい。
お天気といえば、年配のひとたちが寄ると必ずお天気の話をしてはるのを以前は「また、始まった~」と半ば呆れて聞いてたんだけど。
痛いとこができてからは、それもわかる気がする。

そもそも天気と元気はその字の姿形からして似ているもんね。空と心身はつながってるんやろな、と思う。

この間『女湯のできごと』(益田ミリ/光文社2006年刊)という本(漫画とエッセイ)を図書館でみつけて、書架の前で何気なく読み始めたらおもしろくて借りて帰った。一年のうちでお湯に浸からない日は、ほとんどないほどの風呂好きだが、すぐにのぼせるので、せっかくの「いい湯」だという温泉に行っても「からすの行水」組である。

せやからね。
よそのお家に泊めてもろたときなど、タオル出してもろて説明聞いて(家によって浴室ルールって微妙にちがう・・笑)入浴するも、ちょっとしたら出てくるもので。「え?もう出てきたん?」と呆れられるんやけど。それでもお風呂はすき。

くわえて、疲れもなやみもストレスもお湯(または水)に溶ける~が持論である。

この本はタイトル通り銭湯の女湯の話だ。

著者のミリさんは大阪生まれの団地育ちで。赤ちゃんのときから二十代半ばでひとり暮らしをするまで、銭湯に通ったそうで。わたしより14歳若い方だけど、読んでいると「せやったせやった」と思い出すことも多くてなつかしかった。

銭湯にはもう長いこと行ってないから、浮かぶのは主に学生時代のころ。いつやったか旧友と京都のなつかしの町歩きをしたときに、当時通った「◯◯湯」が今もあったのがうれしくて、看板の前で記念撮影をした。(笑)

もっとも思い出の「お風呂屋さん」はこの他にいくつもあって。引っ越しの数+姉や友人の下宿・アパート近くの、と合わせると何軒もある。下町の銭湯、学生街の銭湯、団地近くの銭湯、と所変われば、銭湯の雰囲気もさまざまだった。

下駄箱の大きな木札とか、脱衣場ではいつも同じ棚、お決まりのロッカーの場所とかね。学校の保健室にあるような大きな体重計やドライヤー椅子。文中一番ぐっときたのは、銭湯の脱衣場にずらりと並んだベビーベッド(というか赤ちゃん着替え用の台)の話で。


【若いお母さんが、先に洗った赤ちゃんをだっこして脱衣場に出てくると、それを待ち構えていたおばちゃんが「はいはい」と受け取る。茹であがったお芋を受け取るみたいな光景だ。そんなホカホカの赤ちゃんをおばちゃんに渡した若いお母さんは、やっと自分のお風呂タイムに突入するのである。

お母さんが赤ちゃんを洗う、赤ちゃんをお風呂屋のおばちゃんに渡す、お母さんがカラダを洗う。それはテンポの良い流れ作業のようで、わたしは赤ちゃんがお風呂屋のおばちゃんに手渡されるところを見るのが大好きだった。なんというか、「よかった~」という良い気分なのだ。赤ちゃんが大事にされているのを見るのは、嬉しいことだった。】(p67より抜粋)

▲わたしは閉店ぎりぎりに、かけこむことが多かったけど、たまに早い時間に行くと、ちっちゃい子が脱衣場を走り回ったり、赤ちゃんがあっちでもこっちでも泣いてたり。

若いお母さんにおばちゃん、おばあちゃん・・と4世代のひとが入り乱れて。それはにぎやかで、そして温かった。

【おばちゃんが濡れたカラダを拭いてあげ、てんかふんをはたいてあげ、おむつをして服を着せてあげる】
そのうちにお客さんが来て、おばちゃんが番台に戻ると、他のおばちゃんやおばあちゃんも、走り回ってる子らもみな赤ちゃんのことを気にかけて、のぞきこんで。だれかがお風呂から上がってくるたびに、脱衣場は湯気と石鹸のにおいでいっぱいになって。

浴場でも隣どうしで背中の流し合いしたり、洗いながら、浸かりながら裸のままで(あたりまえやけど・・)皆よう喋ってはった。

お母さんがシャンプーしてる間、ちっちゃい子がうろうろしてる内に、同じようにシャンプーしてるわたしの背中に「ママ~」と抱きついてきたことがあって。そら、みな裸やし、泡だらけの頭やし。湯気もーもーやし、誰が誰かわからへんようになるよね。
顔あげたら、見たことのないおねえさんで(←当時はわたしも若かった!)、隣に座ってたおばちゃんが「ママはあっちやで~」と指差さはって。そのときの
女の子のきょとんとした顔が、ほんまかいらしくて、お風呂場にみんなの笑い声が響いたっけ。

赤ちゃん連れのお母さんにとって、赤ちゃんをみてもらって、自分のからだや髪を洗える時間は(ゆっくりはできなかったやろうけど)大助かりやったろうな~と思う。

そして、ミリさんが書いてはるように、身内以外の人たちに「赤ちゃんが大事にされているのを見るのは嬉しい」。

でも今かんがえたら、ああいう親密な雰囲気が苦手なお母さんもいてはったかもしれんし、ときにはヨソのおばちゃん、おばあちゃんらの「大きなお世話」という展開もあったかもしれないなと思う。
赤ちゃん連れて着替えやらタオルやら石鹸やら、いっぱい持って毎日のお風呂行きは、大変だし。第一ええ天気の日ばかりとちがうしね。

せやから、ミリさんもいっぱいの温い話を重ねて描き、そんな光景を懐かしみつつも【別にあの時代が復活すればいいなとは思わない】とつぶやく。

何よりミリさん自身【家にお風呂があったらいいのになあ】といつも思ってたらしく。

中学生のころはお風呂やさんの近くで同級生の男子が何人か立ち話してると、自分ちにお風呂がないのがはずかしくて、のれんをくぐれずに通り過ぎて。しばらくして、その子らがいなくなったのを、見届けほっとして銭湯に入る~というエピソードもあって。定番のフルーツ牛乳やラムネに、「小人」「中人」「大人」の券、電気風呂や水風呂の話に「そうそう!」と、一人盛り上がったあとだけに、なんだかしゅんとする。

それでも【お風呂がなかったからこそ見えた世界もあった、と今では思う】と結んではる。よかった。ていうか、せやからこそ、いま、湯気たつようなお風呂屋さんのたのしい話を描けるんよね。


【裸で思い出したが、先日行ったお風呂屋さんで、わたしはとってもいい光景を見た。風呂あがりのおばあちゃんふたりが、素っ裸のまんま脱衣場のベンチに座っておしゃべりをしていたのだが、そのおしゃべりに、番台のお兄さんが普通に参加していたのがすごくいい感じだった。なんの違和感もなく天気の話などしている3人を見て、わたしは自然と顔がほころんでしまっていた。前を隠すとか隠さないとか、もうすっかりそういうことから卒業している清々しさとでもいうのでしょうか。

いくつになっても女には恥じらいは必要などという言葉が陳腐なものに思えてしまう。わたしもいつか、銭湯であんなふうに番台の年下の男と素っ裸で世間話をしてみたいものである。】
(p28より抜粋)


*追記
その1)

このことに限らず、思い出話をかんたんに「昔はよかった」で、しめたくないなあと思う。思い出の写真には「写っていないもの」がいつのときもある気がする。記憶というのはいつも何か抜け落ちるもんやし。

「記憶ってのはいったん事実をばらして、また組み立て直す機械みたいなものだ。そのあとには、必ず部品がいくつか余ってる」

『トム・ウェイツ 素面の、酔いどれ天使』より

このトム・ウェイツのことばで思いだしたんだけど以前ここ「歴史と記憶のちがい」のことについて書きました。


その2)

今日は先日読んだ『世界を7で数えたら』(ホリー・ゴールドバーグ・スローン著 三辺律子訳)のことを書くつもりやったんですが。いつのまにやら話がお風呂に入って温もって(苦笑)書きそびれてました。

この本、タイトル通り「7」という数字にこだわりのあるウィローっていう12歳の天才少女のお話。

でも天才かどうかってことより(まあ、そこも重要なんだけど)事故で二度目の両親を失うことになったあと、それまで面識もつきあいもなかった人たちに助けられ、まもられてゆくことになるんだけど。

登場人物みな愛すべき変わり者たちで。

一方的に助けるとか助けられるとかいう関係やなく、それぞれが持ってるものをシェアーする~みたいな関わりがええなと思いました。

人間の社会ではその「高機能な」脳と膨大な知識ゆえに、なかなか心休まる居場所がないウィローが、解放される場所っていうのが庭。

両親と共にその庭をこころから愛してた彼女がそれさえも失って、ふたたび「庭」を得るくだりは(とりわけ、ひまわりの種がずらりと並べられたシーンは)常々ほったらかし庭のわたしも胸がいっぱいになりました。

種を植えるところから、ひとの気持ちが集まってくる物語に『種をまく人』重なります。

【階段にもどって、うすく差す冬の陽射しの中にすわっていると、二羽の小鳥が竹のとなりのスイカズラにやってきた。小鳥たちはあたしに話しかけた。言葉ではなく、動きで。命はつづいていく、って。】

(同書p378379より抜粋)

その3

観た映画(DVD)備忘録的に。
『ブルックリン』

『人生は狂詩曲』

『ローマに消えた男』

『或る終焉』

その4

きょうはこれを聴きながら。

Sparklehorse - Apple bed


もう一曲。36年前、12月8日。

John Lenon's life set to Roll On John by Bob Dylan→





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# by bacuminnote | 2016-12-08 19:23 | 本をよむ | Comments(0)

しかられて。

▲めったに外食しない相方が、このあいだ出先でうどんを食べたというので「(味)どうやった?」と聞くと、厨房で店主が母親や従業員を怒り飛ばしてるのがまる聞こえだったらしくて、味がどうのこうのと言う前に「もう食べた気ぃせんかってん」と、こぼしてた。
怒ってたのは、たまたまなのか、いつもなのか。どんな事情があるのかは、「一見の客」にはわかりようもないけど。そういうときの気まずさって、たまらんなあと思う。

▲わたしも、いつのことやったか外出中、お昼を食べそこねて歩いてたときのこと。
おいしそうなにおいが外まで漂ってたから、吸い寄せられるようにある食堂に入った。
カウンターにも、テーブルの上にも丼鉢や割り箸やらコップが散らかってて、昼時の忙しさが想像できたから。「けっこう人気の店なんかもなあ」と、ほくほく店内みわたす。もう2時前で、客はわたしと先客のおっちゃんとふたりだけだった。
わたしはオムライスを注文したんだけど、そのとき威勢のいい店主の返事に被るように小さい女の子のぐずる声がカウンターの中から聞こえたんよね。

▲わたしも旅館とたべもの屋で大きいなったから、その状況はほぼ飲み込めた(気がする)
いっときになる昼のお客さんの波がようやく引いて「さあ、遅うなったけど、わたしらもお昼にしよか」というタイミングに、客が一人入り、娘が拗ねて。「もうちょっと待っときや」となだめられ、こんどこそ自分の番が来た、と思ったのに、またおばちゃん(わたし)が入って来たんやろなあ。たぶん。ごめんやで~

▲母親が「すんません。すぐ下げますんで」と、脇にお盆挟んで布巾片手にテーブルの食器を片付けに来て。女の子も母親のそばにくっついてる。そして「ねえ、ねえ、○○のオムライスは?」と、ぐずったあげく、エプロンの端を引っ張ったので、コップの水が床にこぼれてしもたんよね。
その瞬間「うるさい!二階に上がっとけ!」と店主がケチャップライスの入ったフライパン振りながら怒鳴ったのであった。

▲もぉ、うるさいのはあんたやろ~(と、心の中でいう)
先客のおっちゃんは、素知らぬ顔してスポーツ新聞読みながらラーメンすすってはる。わたしのんは後でええし、早うこの子の作ったげて~と(心の中でいう)
けど、ほんまに言うてみたとこで、そんな申し出を受けることはないやろしなあ、と思いながら、わたしは俯いて飲みたくない水をのんでオムライスが出てくるのを待った。

▲スーパーのお菓子売り場の前で、レジ前で並んでるときも、エレベーターの中でも、しょっちゅうこどもは親に怒られてる。いや、こどもだけやなく、妻が夫に怒られてるとこも、この間はパパがママにぼろくそに怒鳴られて、間でこどもがオロオロしてるとこも見たけど。
どんなときも、自分が怒られてるみたいにしょんぼりしたり、腹が立ったりする。かと思ったら「ちゃんと怒らなあかんやろ」とおもうこともあって。「叱る」というのは、ほんまむずかしくて、ややこしい。

▲「叱られて次の間に出る寒さかな」(各務支考『枯尾花』所収)というすきな俳句がある。
これは江戸期の「かがみ・しこう」という俳人の作なんだけど、こどもの頃親に叱られて、その場にいられず、となりの部屋に出たときのひんやり畳のつめたさが浮かぶようで。
せやから、ずっとこの句はこどもが怒られてる俳句とばっかり勝手に思いこんでたんだけど。

▲今回しらべてたら、この句は芭蕉死去の前日、元禄七年(1694年)10月11日大阪御堂筋の花屋の貸座敷、師の病床につめていた門弟たちが夜伽の句を詠んだ、その一句やそうで。ある方のブログにその時の様子がこんなふうに綴られていた。
【当時、三十歳の支考は、伊賀から芭蕉に随従しており、師が病床に臥してからもまめまめしく看護に尽くしていた。 が、時には芭蕉の機嫌をそこなって叱られることもあったのであろう。そうした折、師の枕元からすごすごと引き下がって次の間へ出てゆくと、夜の寒さがひとしお身に沁みる、という句である。】
(ブログ「壺中日月」→より抜粋)

▲そうか~支考さん、病床の師匠から叱られはったんか。
こどもが叱られるのもせつないけど、大のおとなが叱られるのも、つらいなあ。そういえば、わたしも父のさいごの入院中、見舞うたび、ようおこられたなあ。

▲そのころ病室を訪ねるのはパートの仕事が休みの土曜日で、朝ゆっくり目に大阪を出て着くのは、お昼すぎ、父が見るともなしにテレビつけてる頃で。
その日は好物の木村屋のあんぱんをおみやげに、エレベーターが来るのも待ちきれず、三階まで階段をかけあがり、はあはあ言いながら病室のドアを開けた。

▲ノブを持った手をぱっと離すと、思いもかけずバターンと大きな音が響いてドアが閉まるのと「だれやねん!」と父が怒鳴るのが同時だった。
まさか前夜不調であまり眠れず、やっと寝入ったとこ・・・やなんて、知らんかったしね。
水差しから水をのませるのも下手やったから、むせて真っ赤な顔してものすごく怒ってたし。初めて尿瓶をもっておしっこの手伝いしたときも、布団にちょっとこぼして怒られたなあ。

▲いまはもう目ぇ大きいして怒ったその顔さえ懐しく、父との思い出のだいじな時間になってしもたけれど。
当時は、わたしもまだまだ若く、傷つきやすく。
病室ではようしゃべってよう笑ったものの、そんな日は、父のわがままにがまんがならず、何よりじぶんの不器用さが腹立たしく。しんそこ悔しくて泣いたりもした。

▲この間『みまもることば~思春期・反抗期になっても いつまでもいつまでも』(石川憲彦著 ジャパンマシニスト社2013年刊)という本を読んだ。この本のなかにも何度も「叱る」ということばが出てくる。こどもを育てるなかで「叱る」は避けて通れないしね。まったく叱らない親も、叱りすぎの親も、かなんなあと思うけど。大事なことはこれ↓に尽きると思う。

【こどもを最低限かつ絶対的に、叱り教えていかなければならないことは、「自他の命を傷つけない」、「弱いものをいじめない」こと。これだけは、あらゆる手段を駆使して伝えていく必要があります】
(p143~144より抜粋)

▲そうそう、この本のなかに石川氏が小さいとき、どうしてもほしいものがあり、自分でお札作って(!)買いに行ったというエピソードが語られていて。
案の定、店のおじさんにものすごい勢いで怒られ「警察に連れて行く」とまでいわれて、ほんとうにこわい思いをして、結果「社会のルールを骨身にしみて理解することができた、とあったんだけど。
「警察に~」とまで言われるほど、自作のお札が精巧な出来やったんやろか?(苦笑)とか、思ったりしつつ。

▲以前ここ(2012.8.28)に書いた井上ひさし氏が中3のとき、本屋で万引きが見つかったときの話を思いだしていた。
本屋のおじさんが「警察に・・」というのを制して、おばさんが井上さんをどんなふうに叱ったか。
その深い知恵とやさしさを、ほんとうにすごいなあと思うし、あらためて「叱る」ことの意味を思うているところ。
(未読の方はぜひ、すでに読んだ方ももういっぺん読んでくださるとうれしいです。)


*追記
その1)
↑で書きそびれてしまったけど、『みまもることば』の中に「約束」について書かれた一文があります。ちょっと長くなるけど引用してみます。

【こういうと、「約束を守るのは最低限のしつけ」という人もいるかもしれません。でも、約束とは、対等な力関係のなかで成り立つもの。少なくみても七歳ぐらいまでは、親子関係は対等ではありえない。親は絶対的な権力をもっている。「約束」とはじつは、親の一方的な押しつけです。力ある者におとなしくしたがうか、たくましく反抗するかは、そのこどもの個性、性格によるもの。
さらにいえば、おとなしくいうことを聞いたとしても、それは、親が期待するような「約束を守る」という論理ではありません。「どうも、この雰囲気では要求しないほうがよさそうだ」という、いわば「生き物」としての、身を守る感覚で行動しているだけのことです。】(p86より抜粋)


その2)
しゃがめないので、先日迷ったすえ安くて、けっこうパワーのある草刈り機を買いました。うぃーんうぃーんと機嫌よく草刈りしてたら、あとでおもいっきり筋肉痛と膝痛になってしまい。
腕の筋肉痛はすぐ回復したものの、膝痛がぶり返して凹んで、こもっていましたが。
ちょっとましになってきたので、たまには出かけようと、この間ええお天気の日におもいきって映画(『この世界の片隅に』)を観に行ったり、べつの日には絵本作家のあべ弘士さんのお話を聴く会にも出かけてみました。

チェンバロの演奏(カッチーニのアヴェ・マリア)をバックにあべさんの朗読で聴く『旭川。より』(宮澤賢治の「旭川。」をモチーフにした絵本)が、じんとしみました。あべさんというと動物の絵本、の印象しかなかったのですが、この本にであえてうれしかった。


その3)
今読んでいる『現代思想』10月号(特集・相模原障害者殺傷事件)→のなかで熊谷晋一郎さん(以前、ここにも書きました→)が、この事件のあといただいたメッセージの中、カナダのライナスさんという方から寄せられたものを紹介してはりました。ライナスさんはご自身も慢性疼痛繊維筋痛症という慢性疼痛を持っているソーシャルワーカーをしてはる方だそうです。

そのなかでも【There was no others in this community】をあげて
【私たちが住むこの社会には他者は存在しない、全てが他者ではない、我々なんだっていうふうなことを述べているんですね。】(同書p68~p69より抜粋)とあり、心に残っています。

その4)
観たDVD『メニルモンタン2つの秋と3つの冬』~なんてことないけど、よかった。


その5)
きょうはこれを聴きながら。
スミ・ジョーって、最近どこかで聴いた(観た)気がしたなあ、と思ったら、映画『グランドフィナーレ』最後に"Simple Song #3"をうたいあげてた方でした。

Sumi Jo - Caccini (Vladimir Vavilov) - Ave Maria→

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# by bacuminnote | 2016-11-27 20:43 | 本をよむ | Comments(0)

かさこそと音がする。

▲ りりィの訃報におどろいた次の日レナード・コーエンが、そして一昨日はレオン・ラッセルが亡くなってしまったと知る。
十代のころから今に至るまで、聴いたり観たりの人らの訃報に、しょんぼりしてたら、ひさしぶりに幼なじみから電話がかかった。
てっきりロック好きのかれのことやから、レナード・コーエンやレオン・ラッセルを偲んで・・の話かなあと思ったら、思いがけず中学校の同級生の死を知らされた。

▲そうして、今日出かけるまえ何気なくのぞいた郵便受けに「年賀欠礼」のはがきが入ってた。
パン屋のころのお客さんのおつれあいからだった。
パンから始まったけど、パンをこえて~こどものこと、食べもの、福祉や原発のこと・・・手紙をやりとりもした方。わたしらが店を閉めてからも、毎年グッドセンスな年賀状にご自身の活動やご家族の近況をユーモアたっぷりしらせてくれて。いつもたのしみにしてた。一度もお会いすることはなかったけれど。さみしい。さみしいです。

▲11月は義父が急逝し、パン焼きをやめてしまった月でもあり。
人には誰の上にも、いつか終わりがくるのはよくよくわかってる。(つもり)
けど。みんな早すぎるよ~
紅葉した街路樹の脇を歩いてるといろんなことを思いだして、足元に散らばった葉っぱみたいに、心の中にも、かさこそと音がして。
なんども立ち止まっては、そのつど見上げた空がどきっとするくらいにきれいな青色やったから。よけいに胸がつまった。

▲いっぽう、11月はだいじな人たちの誕生月でもある。
友よ、姉よ、みんな。ばあさんになっても、いつまでも少女のようにうきうきと互いの誕生日を祝おうね。
なぜか出会えたわたしたちの「偶然」になんべんでも乾杯しよう。

「歯が大事友だち大事冬林檎」(火箱ひろ)

▲・・というわけで、11月生まれの一人、旧友Jはいまから3ヶ月近くはわたしよりひとつ年上となる!(笑)
赤ちゃんのころの3ヶ月は大きいけど、ええ歳してそれくらいの差が何やねん!・・・やけどね。こどもみたいにムキになってそんな話ができるのも、またたのし。

▲そういうたら、この間読んだ『ハルとカナ』(ひこ・田中作/ヨシタケシンスケ絵/講談社2016年刊)にも、そんな場面があった。
主人公はタイトルの通り、八歳、小学二年生のカナとハルだ。
カナのなかよしのユズは、ハルのことを「かあさんのおなかの中にいたころからの知り合いなんだよ」って言うんけど。
ユズはハルより25日 先に生まれており。
「じゃあ、ユズちゃんは二十五日間、ハルくんより一歳年上なんだ」とカナが言い、
ハルは「そう、ぼくはユズちゃんより一歳年下のときが二十五日ある」と返す。

▲こういうやりとり、たのしいなあ。
そのむかし、四姉妹で、だれが何歳年上で、いくつ年下だのとよく言い合ったっけ。姉たちはいつも自分の方が○歳も年上だといばってたけれど、今では末っ子(わたし)がいちばん若いといばってる(笑)が、オール60代となっては、オールおば(あ)ちゃんなのであって。

▲この本は8歳の女の子カナと男の子ハルの、ちいさな疑問や気づきや思いが、なんてことのない日常のなか描かれるんだけど。
けっこう覚えてるつもりでも、忘れてしもてる「こどもの時間」を、あちこちでみつけては、ほっぺたがぽぉーっと温うなる。
【音楽の時間。『ドレミのうた』をみんなで練習した。カナは、ハルの声はどれかなとさがしていた。】(p110)というとことかね。
お互いになんかわからへんけど、ちょっと意識してしまうとことかね。かいらし。

▲あと、ベランダで洗濯物を夜干しする両親をリビングのソファーでハルがねころんで眺めてる場面がすき。

【ハルがいちばん気に入っているのは、夜の洗濯物干し。すこし冷たい風が吹くと、頭の中がすっきりする感じがして気持ちいい。あちこちの家の明かりがキラキラともっていて、とてもきれい。(中略)ガラスのむこう側。ふたりはハルに背中をむけながら、いっしょに干していく。洗濯物をわたすときとうさんが何かをいって、受け取ったかあさんが返事する。ふたりの笑ってる横顔が、ときどき見える。】(p14)

▲ええなあ~おかあさんとおとうさんが、”○○してくれへん?” でも ”○○してよね!”・・でもなく(苦笑)ごく自然にふたり並んで家のコトしてる姿。(ひこさん本にはこういう場面がさらりとでてきます)
もちろんフウフ(ハルにとっては親)って、こんなにヘイワな時間ばっかりやなくて。
(ふたりは)「顔を見ないで話すことがある。何かいいかけてやめることもある」(p8)んだけどね。そりゃ、大人にもそのときそのときの事情や機嫌や体調ってもんがあるから。
けど、そういうときのふたり(親)の話し声が、微妙に高かったり低かったり・・いつもとちがってることも、こどもはちゃあんと気がついてるんよね。

▲こどもの時間、といえば、いま『8歳から80歳までの世界文学入門』(沼野充義編著/光文社2016年刊)という本を読んでいるところなんだけど、そのなかに「シリーズ 文学のなかの子ども」というのがあって。沼野氏が三人(小川洋子・青山南・岸本佐知子)の作家や翻訳者とそれぞれ対談をしていて、これがとてもおもしろい。
とりわけ小川洋子さんとの話が印象深かった。

▲こどもの頃や若い頃に、一度だけ読んだものや教科書で一部だけ読んだ古典とか(小川さんがやってる本を紹介するラジオ番組で)読み直す機会があって、それはとてもいい経験になっているという話。
【沼野先生がおっしゃったように、文学遺産と呼ばれるものは、何回読んでも、そのときの自分の心の状態や年齢によって、あらたな側面を見せてくれる。えーっ、こんな宝石を隠していたのか、と言いたくなるような発見がしばしばあります】(p75)

そして、過去に読んでその記憶にたよってるけど、そもそもその「記憶を捏造していたということがある」というのも共感!
『走れメロス』がハッピーエンドやったことや、小川さんが長いこと『フランケンシュタイン』を怪物の名前やと思いこんでいたこと(わたしも長いこと誤解したままでした!)

▲【小説との出会いが、その人の中でいろいろなものを発酵させて生み出している。何年もたって読み返してみると、また違った発酵が起こる。でも、そうなるためにはやはり、小さい頃から本を読んで、発酵のための糠床を用意しておく必要がありますね。素晴らしい児童文学を大人になって初めて読むときに、「あっ、これを、十歳のときの自分に読ませたかった」と後悔することがしばしばあります。】(p77)

▲せやからと言うてガッコや家で「押しつけ」のような読書はおもしろくないもんね。
どうやったら、こどもらに「届く」かなあ~といつもおもう。でもウチの息子たちも、聞くと相方も、十代のはじめ頃までは自発的に本を読んでなかったのに、ある時期から(各自決定的な出会い~があって)モーレツに読み出したみたいだし。

▲小川洋子さんはこどもの頃からほんとうに本好きな少女だったんだなあ~というエピソードがいくつか対談中にも出てくるんだけど、いちばんすきなんがこれ。
学校の図書室で本を借りてきた帰り道~
ランドセル揺らして、はあはあ言いながら走る少女の姿がすぐそこに見えるようで、うれしくなる。

【早く読みたくて走って帰る。するとランドセルの中で本が、急かすようにカタカタ鳴るんです。その音が、子ども時代の幸せを象徴するものの一つです】(p74)


*追記
その1)
りりィ~このひとの声も歌もすきだけど、映画に出てはるときも、目立たない役なのに強い光を放つとこがかっこよかった。『リップヴァンウインクルの花嫁』(岩井俊二監督」の母親役をみたのが最後になってしまいました。

レナード・コーエン~若いときからよく聴いてるけど、歳とらはって枯れた感じが渋くてよかった。せやから、かっこいいじいさんのまま、ずっといいうた聴かせてくれる(じっさい、ついこの前新譜が出たとこやし)と思ってたから。ショック。以前(ここには須賀敦子さんの本にでてくるレナード・コーエンのこと書きました)

レオン・ラッセル~このひとの”my cricket”は大すきな曲→
いつだったかここ「追記」にutube貼ったことありました。

高校生のころのわたしはピアノとうたでは、レオン・ラッセルよりエルトン・ジョンの方をよく聴いてたんだけど。この間ものすごく久しぶりに”a song for you”を聴いて泣きそうになりました。ええ声や。
そして、そのふたり→

その2)
この間から観た映画の中からふたつ。

『孤独のススメ』 (原題「Matterhorn」)→ディーデリク・エビンゲ監督、初の作品やそうです。オランダの緑多い田園地帯にひとり暮らす初老の男性。毎日きっちり6時にお祈りをしたあと夕飯を食べる。日曜にはスーツを着て教会に行く。

この主人公フレッドも、突然どこからか現れることばもろくに話さない無精髭の身元不明な男性も(ほかの登場人物も)どこかなんかヘンな感じなんですが(北欧の映画っぽいふんいき←すき)成り行きでそんな2人が同居生活を始めることになって。フレッドの型にはまった生活が少しづつ侵食されてゆくんだけど。

常識や他人の目やちっぽけなプライド、そして性別・・・いろんな縛りから解放されることで、人は人とむきあえる(愛しあえる)と思いました。寓話的?とおもえる場面もいくつかあって、86分と短いけど、ふしぎな魅力にひっぱられ、観終わったあともしずかな余韻がずっとのこる映画でした。

『ハロルドが笑うまで』(原題”Her er Harold”)
あ、これもさっき書いた北欧の作品です。
こだわりのある家具屋を営んでいた老店主が、店の前にできたノルウェイの(というか日本でも有名ですが)大型家具店IKEAの創業者であるイングヴァル・カンプラードの誘拐計画を決行する~という、やっぱりちょっとヘンでふしぎな、そしてこれまた成り行きで若い女の子(よかった!)も誘拐に加わって。

その3)
そして、きょうはやっぱりレナード・コーエンを聴きながら~R.I.P.
Leonard Cohen - Bird on the Wire 1979

こっちは歳とらはってから。2013年のライブ版。ええなあ。

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# by bacuminnote | 2016-11-16 09:20 | 本をよむ | Comments(4)
▲夜中に何度も目が覚めるのは歳のせい、とばかり思っていたけれど。この間から「おこた」を入れたら、時々寝過ごしてしまうほどよく眠れるようになった。
朝夕にはストーブも点け始めたし、ニットも肌に馴染んで、熱いお茶がしみじみ旨い。

▲もう「秋仕舞う」頃?いや、もうちょっと居てよね~とか思いながら、一昨日ようやっと扇風機の羽根やカバーを洗って片付けた。
ウチは夏の間エアコンをほとんど使わないかわり、新旧混ぜてぎょうさんある扇風機は、あっちこっちで文字通りのフル回転(笑)
物入れから調子にのって次々出してきては、毎年この時期にため息をつくことになるのだった。

▲そういうたら、寒くならへんうちに障子の張替えもするつもりやったし、たまりにたまった本類・紙類の整理も、要らんもんも片付けて・・・と、暑くなく寒くなくの秋はいつも予定満載なんだけど。
自分のすきなことなら行動早いわたしも「さしすせそ」(探す・仕舞う・捨てる・整理・掃除)は「明日しよう」「また、こんど」と延期と休憩を繰り返したあげく「まあ、ええか」で、越年というパターンだ。(あ、この↑「さしすせそ」はさっき思いついて書いたけど。いまネットでみたら「家事のさしすせそ」というのがあって。曰く「裁縫・躾・炊事・洗濯・掃除」ということやそうです。ううむ~どっちの「さしすせそ」も苦手なり。ていうか「躾」って何なん?)

▲そんなスローペースなわたしとは反対に、街は年々せっかちになって。クリスマスに年賀状、おせち予約に(これは10月から始まってた!)、今日は美容院の前を通ったら「成人式着付けご予約は早い目に」と書いてあった。
むかし(←1973年のことやったらしい)「せまい日本そんなに急いでどこへ行く」という交通安全の標語があったっけ。
ハロウィンやクリスマスやお正月や~と相変わらず商業主義に踊らされるのもつまらんけど。それより、何より原発再稼働、沖縄の米軍基地、TPP 、あれもこれも。この国はどこにむかって急いてるのか。こわい。

▲この間『へろへろ 雑誌『ヨレヨレ』と「宅老所よりあい」の人々』(鹿子裕文著・ナナロク社2015年刊)を読んだ。
どんな本かもよくわからへんまま、いかにもスローなにおいのする「へろへろ」と「ヨレヨレ」というタイトルに、表紙カバーの絵(奥村門土君という少年が描いたらしい)と、「そで」にあった一文
【根拠なんか別にない。ただ、やれると思う気持ちがあるだけだ。 新しいことはいつだって、無謀で無計画で、前例がなくて保証がないところからしか生まれてこないのだ。】 に、ひっぱられて手にとったら、これがもうおもしろくて一気に読了。

▲著者はこの宅老所の職員でもなく、介護の世界に詳しいライターというのでもないらしいが、ひょんなことから「宅老所よりあい」の村瀬孝生という人に会って仲良くなって、知らず知らずのうちに世話人会のメンバーになり、やがては雑誌『ヨレヨレ』を作る人になったらしいんだけど。

▲「よりあい」は最初マンションにひとり住む何かと問題の多い、しかし夫亡き後も気骨一本「毅然として、ぼけた」ばあさまのケアをどうするか、ということから始まる。
【なぁんが老人ホームか!あんたになんの関係があろうか!あたしゃここで野垂れ死ぬ覚悟はできとる!いらんこったい!】と激しく言い放つばあさま。そして、そうと聞いては放っておけない介護専門職の下村さんと仲間たち。

▲が、マンションの一室という閉ざされた空間で展開される「一対一の関係性」ではなく、もっと開かれた世界を~と、下村さんたちは
ばあさまの新しい居場所を探すことになる。
ところが、どこも「そんな超ものすごいばあさまじゃ困りますね」「他の利用者さんにも迷惑です」と門前払いされるしまつ。

▲「ああ、もうわかった!もう誰にも頼みゃせん!自分たちでその場ちゅうやつを作ったらよかっちゃろうもん!」と、イカル下村さんは
お寺の茶室を借りてのデイサービスをスタートすることになるんよね。そこで、お寺に目をつけた下村さんもナイス!と思うけど、快諾しはった伝照寺というお寺さん(浄土真宗本願寺派)も、すばらしい。そういうたら、もともと寺院って布教の場だけやなく、地域の福祉、文化、教育の拠点を担う場でもあったんよね。

【制度があるからやるのではない。施設が作りたいからやるのではない。思いがあるからやるのではない。目の前になんとかしないとどうにもならない人がいるからやるのだ。その必要に迫られたからやるのだ。それは理念ではない。行動のあり方だ。頭で考えるより前にとにかく身体を動かす。要するに「つべこべ言わずにちゃっちゃとやる!」なのだ。】(p17より抜粋)

▲これだけでもすごいなあ、と思うのに、お寺からこんどは住宅街の民家に場を移してグループホーム、やがては、住み慣れた地域で「ボケても普通に暮らせる」施設づくりに、乗り出すことになる。
なんて書くと、次々新たな目標を掲げて邁進、みたいやけど、いずれのときも、次を目指して動いたわけじゃなく、そうせざるを得ない状況になってゆくからで。

▲しかし、こんなふうに切羽詰まって動くときも、終始「正義の味方」ヒーロー風でないとこが「よりあい」のええとこやなあと思う。博多弁のもつ魅力もあると思うけど、著者をふくめ、介護の世界にまるで無縁だった人たちまでどんどん巻き込んでゆくパワー(その源は、高齢者ケアとかいうんやなくて、人間への愛やとおもう)と、笑い、はちゃめちゃぶりが、おもしろくて、そんで温かい。

▲常時資金不足の「よりあい」にあるとき、ドキュメンタリー番組の取材依頼と新聞連載のオファーが村瀬さんのところに来て、著者は世話人会で「これに飛びつかない手はないんじゃないですか」と発言するんよね。
テレビに新聞ときたら、寄附の申し出もたくさん来るだろうし、いいことづくめじゃないか、と思うのだが。下村さんはぴしゃりと言う。
【世の中には、もらっていいお金と、もらっちゃいかんお金がある!】(p110)

▲またあるときは、資金集めのバザーがおわってその売上金の入った袋を持った著者に、こうも言う。
【ね、重かろうが。小銭はホント重いっちゃん。でもこれがね、お金の重みなんよ】(p265 )
「もらっちゃいかんお金」をあちこちで仰山もらい、市民の税金の「重み」もわからず浪費する政治屋たちに聞かせたい台詞だ。

▲新しく建てる施設はどういう建物がいいか、みんなで何度も話し合う中で、大事にしたいのは【管理と監視から自由であること。支配と束縛から無縁であること】(p196)とあって。
これ、特養に限らず、施設や学校でも、、ひとが暮らしてゆく上でほんまに大事なことやよね。
そうそう、わたしが一番ええなあと思ったのはキッチンをどうするかという話。「食べる」は「生きる」の基本やからね。それでも、求めてるものは、ごくあたりまえの、ふつーのウチの「だいどこ」と一緒だ。

【作る人の顔がちゃんと見えること。何を作っているのか、のぞきに行きたくなること。そこで会話ができること。料理をする音が聞こえて来て、食べ物のいいにおいがすること。ちょっとつまみ食いがしてみたくなること。そして、そこで、笑えるひと悶着が起きること。】(p205)

▲それにしても。
こんなあたりまえのことが「効率」という名のもとに、あたりまえじゃなくなるのは、どう考えてもおかしいよね。
みんな歳とってゆくのに。できないことがふえてゆくのに。本来、国や行政がやるべきことを、「へろへろ」になって薄給で、やってくれる人に押し付けてるのは、おかしいよね。


【思えば、「自己責任」という言葉が「老い」という不可抗力の分野にまで及ぶようになって以降、人は怯えるようにしてアンチエイジングとぼけの予防に走り出した。
のんびり自然に老いて、ゆっくりあの世へ行く。それを贅沢と呼ぶ時代が来てしまったのかもしれない。とにかく国は生存権に帰属する介護問題を、サービス産業に位置づけ、民間に託して解決を図る道を選んでしまった。
その結果、畑違いの企業、たとえば不動産会社や建築会社、居酒屋チェーンまでもが、介護事業に乗り出し始めた。その政策はもう後戻りすることはないだろう。すべては追加オプション式の明朗会計。介護の世界でも、それがこれからのスタンダードになることだろう。サービスとはつまり、手間という手間をひたすら金で買い続けるしかない代行システムのことなのだ。】 (p187~188)

追記
その1)
雑誌『ヨレヨレ』→も、パワーのあるおもしろそうな冊子みたいです。読んでみたい。

その2)
雑誌といえば、ひさしぶりに『Chio』を。その昔わたしが定期購読してたのは創刊のころで、当時は『ち・お』(ちいさい・おおきい・よわい・つよい)という誌名でした。たしか創刊は息子2がうまれた年やったから、息子とこの雑誌は同い年。
今回は京都の古書店・カライモブックスのおふたり(だいすき)が載ってるというのもあって購入したのですが、特集『わたしは「差別」しているの?』は、最初から最後まで、どの頁も飛ばし読みのできないものばかりで。当初のお目当てだった(!)カライモさんたちの頁までたどり着くのに時間がかかってしまいました。

久しぶりの「ち・お」は「Chio」になってたけど、あの頃と変わらず深く地味で媚びず、誌名通り「おおきい・つよい」によりかからず「ちいさい・よわい」ものへの温かい視線も。
そして「子育て」してる人たちだけの本やないことに、ほっとしたような思いで読みました。
おすすめです。

そして、なんとカライモブックスのNさんがChio 4代目編集人にならはるそうです!たのしみ!

いま読んでいる児童精神科医の石川憲彦さん著『みまもることば』~思春期・反抗期になっても いつまでもいつまでも~も、↑と、おなじくジャパンマシニストの本です。

その3)
今日はこれを聴きながら。
ドキュメンタリー『子供たちをよろしく』(監督マーティン・ベル/原題"Streetwise")
残念ながら未見なのですが(観たい!)この映画、はじめとおわりの音楽はトム・ウエイツ!
Tom Waits - Take Care Of All My Children / Rat's Theme →

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# by bacuminnote | 2016-11-03 19:05 | 本をよむ | Comments(0)

空の港に。

▲いつものように、夕飯を拵えながら、ちょっとひっかけながら(!)母に電話をかけて話してる間に、その日が父の命日だと気がついた。
「せやから電話かけてきてくれたんか、と思ったのに・・・」という母に「ついこの前まで覚えててんけどなあ~いつのまにか忘却の彼方や」と、言い訳して笑う。
ていうか、もうそんなふうに笑えるくらい時間がたったんよね。
あの日から30年~いつのまにか父の享年に末っ子・四女のわたしが近づいている。

▲その数日前のこと。
帰国中の友人に会うべく伊丹空港に行ったんだけど、モノレールに乗りながらふと父のことを思ってた。
伊丹発の早朝の飛行機に乗る、というので父が前日わたしらが住んでたアパートに泊まったことがあって。父が娘のとこを訪ねることも、まして泊まるなんてことは、姉たちも一度も経験がなく。

▲どうしてそういう展開になったのか、よく覚えていないんだけれど、相方がホテルに泊まるより「ウチに来てもろたら?」と提案してくれたのだと思う。そして父もまた彼のことばがうれしかったのかもしれない。
息子もまだ小さかったしわたしは家で待ち、彼が地下鉄で天王寺駅に父を迎えに行った。

▲ところが、食べものも好き嫌いが多く、病弱だったこともあって母を始め周囲がさんざん甘やかしたわがままな人やったんで。父が来てすぐわたしは招いたことを後悔した。
そもそも、衝突ばっかりの父娘やったのに。
ケッコンして家を離れて、父も娘も、お互いちょっとやさしい気持ちになったんが間違いやったんよね~(苦笑)

▲なんどとなく「ほんまにもぉ~」というきもちをしずめて、翌朝「いってらっしゃい」と相方の車で空港まで行く父をぶじ見送って、しんそこほっとした。
その後、海外に行く体力もなくなったのか、父が娘のところに泊まったのは、後にも先にもそのとき一回きりになったから。記念すべき一夜ということになるんやけど。

▲あの日、初めて下ろしたふかふかの客用布団も今ではすっかり「せんべい」になってしもたけど。薄いブルーのそれを干すたびに、父が「寒い、暑い」とうるさかった夜をおもいだす。
夕飯には何を拵えたのか、すっかり忘れてしもたけど、わたしが淹れた甘い紅茶だけは「うまいなあ」と言うて、飲んでたんをおもいだす。
おとうちゃん、そっちの紅茶も あーまいか?

「秋の夜や紅茶をくぐる銀の匙」 (日野草城)

▲さて、モノレールで空港行きは旅行気分だ。
「空港」って”airport“そのまんまの訳やったんやろけど、「空の港」とは、なんとすてきなことばなんだろ。行くあてもないのに、窓から見える飛行機にわくわくして、空港内を大きなキャリーバッグ押して歩いてる人らをつい立ちどまって眺めてしまう。

▲待ち合わせのカフェで、先に来ていた友人が「こっち、こっち」と手を振ってくれる。
旧友のごとく再会をよろこびあったが、会うのはまだ二度目なんである。そして、初対面のそのときもこの空港だった。

▲インターネットなんか、と思うときもあるけど、ネットのおかげで出会えたかけがえのない友人は少なからずいて。そうでないと、こうやって海をこえ、うんと遠くに暮らす彼女と、むかしからの友だちみたいに、楽しく尽きることのないおしゃべりは叶わなかった。
つないで、つないで、つながった線に、そのふしぎが、おもしろい。そんでその「偶然」のおくりものに、心からおおきにと思う。

▲豆腐料理をたべながら、近況報告のあと、いまの英国の政治や福祉、医療、NHSなどの話を聞く。弱者切り捨ての政策は、この国が着々と後追いしてるかのようで、あらためて暗澹とした気持ちになる。
話したいことも聞きたいこともいっぱいあって、しゃべる、たべる、わらう、しゃべる・・・であっという間にバスの時間になった。

▲そういうたら、彼女が今回空港内ホテルで二泊して、空港で暮らしてる気分だった~と言わはって、「そんな映画あったよねえ」という話になったんだけど。
『パリ空港の人々』と『ターミナル』やね(その場で、すっとタイトルが出てこないお年頃・・・苦笑)

▲『パリ空港の人々』はモントリオールの空港で居眠りしている隙に搭乗券以外の所持品すべてを盗まれてしまったという男性が、パリのドゴール空港で拘留され、そのまま空港内トランジットゾーン(外国人用処理区域)で同じ境遇の人たちとであい、そんな空港の中で共に「暮らす」話なんだけど。
もともと、ひとは国籍も人種もなくただの「人間」でしかないんよね。
空港という場所が、本来の意味どおり、だれにでも、どこにでも開かれた港であったらええのに、と思う。

"Love Actually"opening scene : heathrow airport
落ちて行く機内で「 Head down! Stay down!」と

*追記

その1)
その数日後、急におもいたって観て来た『ハドソン川の奇跡』(原題”Sully”クリント・イーストウッド監督)→は、空港に行ったからというわけやなかったんだけど。
実際に2009年1月に起きたNYハドソン川に不時着水した航空事故の話で。機長のサリーをイーストウッドが、静かに淡々と描く。乗客全員助かることはわかってるのに。head down! stay down!というスタッフたちの声に、どきどきした。

『ターミナル』~そういえば、この映画も『ハドソン・・』同様 主演はトム・ハンクス。あんまりすきやないけど(すまん)芸達者な役者さんやと思います。予告編(字幕なし)→

おなじ空港の物語ではわたしは『パリ空港の人々』のほうがすきですが、予告編探したけどみつからず。以前すこしここにも書きました。(追記の欄です)→

その2)
昨日から読みはじめた本『台湾生まれ日本語育ち』はタイトル通り台北で生まれ、三才まで台北育ち、その後は日本で暮らす温又柔さんのエッセイ。図書館でリクエストいれて待ってたけど、順番を待ちきれず購入。

この本、さいしょ「はじめまして」のあと
【姓は、温。名は、又柔。合わせて「おん・ゆぅじゅう」と言います。続けて言うと「おんゆうじゅう」。ちょっぴり、おまんじゅう、に似ているのが自慢です】とあって。
webで拝見した写真をおもいだして、温又柔さんのまぁるい温かな笑顔が浮かんで、頬が緩みます。

台北といえば、わたしの初めて海外旅行は、二十歳のころ母と行ったシンガポール・マレーシア・台湾への旅でした。レストラン関係のメンバー十数人の小さなツアーだったので、「食べる」ことには屋台から高級レストランまで、食いしん坊には大満足の旅で。台北では最初に圓山大飯店に行きました。
そのあと母とふたりで街に出て、うろうろして一軒の古びた町家風のお店に入って、お茶をのみました。お店のおばあちゃんが出て来て「日本語」で話しかけてくれはったことを思いだします。日本語を教え込まれた世代ですよね。

そうそう、温又柔さん、このまえここに書いた『屋根裏の仏さま』のレビューでこんな風に語ってはりました。

【私の場合、母のことばを忘れることとひきかえに覚えたことばは、オバアチャンのことばだったのです。台湾人の私の母は、中華民国の国民として中国語を学びましたが、日本統治下の台湾で少女時代を過ごした私の祖母は、中国語ではなく日本語を教わりました。
 そのことに思い至り、アメリカで故郷のことばとしての日本語をどうしても忘れられなかった女たちの声と、台湾で宗主国のことばとして日本語を学ばなければならなかった女たちの声とが、胸中でにわかに交錯するのを感じ、眩暈をおぼえます。】 
(『をちこちマガジン』~台湾系日本語人がゆく Japanophone Taiwanese, That's What I Am!~ ”『屋根裏の仏さま』を読みました(前篇)”より抜粋)→

その3)
台湾というたら、きのう”原発全廃へ 福島第一事故受け、25年までに停止” のニュース!→

その4)
今日はこれを聴きながら。
映画『ハドソン川の奇跡』より。

Flying Home Sully's Theme→

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# by bacuminnote | 2016-10-23 22:13 | 出かける | Comments(2)

ときどき子どもは。

▲目が覚めたら、秋になっていた。
布団から首だけ出して目覚まし時計を見たら、今朝もまたアラームが鳴る前で。これ、きっと「歳」のせいやろね。
この間友だちと夕方から会うたときも、6時すぎるとお腹が鳴り始め、「外が暗うなったら、目ぇがしょぼしょぼするよなあ」と笑った。

▲そのかわり。
もう誰に起こしてもらわなくても、ちゃあんと朝早く目が覚める!起こされても起こされても(「ええかげんにしぃや!」と怒られても)すぐまた眠りにおちた若い頃がうそのよう。
ほんま、歳とるって、なんかすごいなあ~とか思いながら、ベッドから相方を見下ろすと(かれは畳の上に布団)この前まで蹴飛ばして足元でぐちゃぐちゃになってた布団を細いからだにぴったり巻きつけて、ミイラみたいな格好で(!)寝てる。

▲夏じゅう、そしてついこの間まで大活躍だった扇風機二台(各自 強さ・角度・高さを好みに合わせて使用)が、部屋の隅に並んで立ってるその姿さえ寒そうに見える。
まだ薄物に薄物を重ねて、しのいでるけど。そろそろ「温いもの」を用意しないとなあ、とおもう「寒い朝」だった。
毎年この時季にはきまって書いてる「秋立ち、秋欄(た)て、秋仕舞う」~だいすきで、待ちに待った秋の訪れやのに、ぼやぼやしてたらお仕舞になるからね。さあ、重い腰あげて、秋をたのしもう。

▲このあいだ読みたい本があって。
「ないやろなあ」と思ってた近くの書店に、念のため問い合わせたら在庫があって(すまん!)取り置きしてもらって即買いに走る。いや、残念ながら「走る」のんは気分だけやけど。
本屋さんに行くときいつも『柔らかな犀の角 山崎努の読書日記』の一節をおもいだす。
【一刻も早く手にしたい本があって書店に向かう。気が逸(はや)って急ぎ足になる。読書の快楽はもうその時から始まっている。歳甲斐もなく、というか歳のせいというか、息を弾ませて店に入る】

▲ふふふ~急ぎ足も、息弾ませるのもまた「歳のせい」と聞くと、ますます「歳をとる」って、なかなかのもんやなあと思うのだった。ていうか、ええよね。しびれます。山崎サンの「読書の快楽はもうその時から始まっている」というフレーズ。なんかウヰスキー(え?本やなくて?)のCMに使いたいような。もう絵が浮かんできますよね。

▲この「快楽」は”密林”で買うのでは得られないもの。帰途がまんできずに、木の下にて読み始める~なんてこともまた。
というわけで「ちょっとだけ」と木の下読書を始めたら、この本『マルの背中』(岩瀬成子著 講談社刊)はまさに木の下の場面からはじまった。
【足がしびれてきたのでわたしは立ちあがった。そばの木の幹を手のひらでざりざりとなでた。】
「ざりざり」ということばだけでも、この子の感じがつたわるようで、わたしもそばの木肌をなでてみる。

▲木の下に隠れる前のこと。
母はブルーハーツの歌を口づさみながらお茶碗を洗ったあと、寝転がってた少女に「亜澄、やっぱり母さんと一緒に死んじゃおうか」と言うんよね。母に「死のうか」と言われたのは夏休みに入って三度目で。亜澄は「ちょっとマル(近所の猫)のところに行ってきまーす」と家をでて桜の木のところに行くのだった。

▲ふうう。
いきなり「死のうか」という話が出て、わたしは「ちょっとだけ」の時間をおしまいにして本をリュックに入れて歩きはじめた。
岩瀬成子さんの本に登場する子どもは(大人も)、いつもみな何か問題を抱えてる。でも考えてみれば「何も抱えてない」ひとなんか誰もいなくて。
それでも、大人はともかく、子どもだけは無邪気で明るくあってほしいと~自分が子どもだった頃、結構大人の世界のことも「わかってた」のも忘れて、つい大人が思う「子どもらしさ」を求めてしまうんよね。
前に読んだ『だれにもいえない』(岩瀬成子著 網中いづる絵 毎日新聞社2011年刊)の中で主人公の女の子が言う。

【子どもはときどき石みたいにしてなきゃいけないときがある。大人同志が礼儀ただしいあいさつをしているときや、声をひそめて話しているときや、知らない家に連れていかれたとき。なにもきいていないような顔をしてなくちゃいけない。大人の話がわかるような顔をしちゃいけない。お行儀よく、ただじっとしてなくちゃいけない】
(同書p36より抜粋)

▲家に帰って、買ってきたものを冷蔵庫に入れて、洗濯物を大急ぎで取り入れて、ふたたび本を開く。本屋さんではすぐにカバーをかけてもらったので、表紙をきちんと見てなかったけど、表紙カバーの絵は酒井駒子さんだった。膝を抱えた女の子が白い猫をじっとみてる。裏は、赤い長靴を履いた弟を見守るお姉ちゃん。儚げな横顔も後ろ姿もせつない。

▲主人公の亜澄は小学三年生。
両親は離婚して、弟は父のもとに。亜澄は母と2人市営アパートで暮らしているんだけど。母は給食調理室のパートの仕事が夏休みの間なくなって、コンビニの仕事だけになってしまう。
そんなところに、家賃を滞納して二ヶ月以内にアパートを出るように知らせを受けて。電気も水道もガスも、食べるものも、切り詰めて切り詰めて暮らす母子だけど、家賃が払えない。

▲母の「死のうか」は、そういう背景のもとで出たことばなんだけど。
自分の親に「死のうか」と言われた子どもの胸のうちを思うと、やりきれない。
亜澄はそんな母のことばを「いやだよー」と軽く交わす。それでも心のなかでは大きく波立って・・・冒頭、木のそばにしゃがんでたのは、そんな母のことばから逃げて隠れるためだった。

▲あるとき、亜澄たちのアパートの近所で、子どもらが「ナゾの店」とよぶ駄菓子屋さんのおじさんが飼ってる猫のマルを、おじさんが帰省するあいだ亜澄が預かることになる。
この「ナゾの店」周辺のひとがおもしろい。
いつも棚の前の丸いすにすわって本ばかり読んでる店主の「ナゾのおじさん」や、店によく来る「一見若い身なりなのに顔はかなり年取った感じ」の(苦笑)絵描きのスドウさんと、その母親。教会の牧師さんと信者さんとか、あ、蝉の抜け殻集めてるシゲルくんとかね。

▲『オール・マイ・ラヴィング』のときにもおもしろい(ふしぎな魅力の)人たちが登場してたけど、親子というやっかいで濃い関係のほかに、こういうかかわりは、ええ風が吹くよね。みなちょっとクセがあって。子どもに対して愛情があるような、ないような。ないようで、あるような・・うまく言えないけど、愛情みたいなもんがあったとしても地味でそれが重くないかんじ。

▲そうして、いちばんの救いは猫のマルだ。それから、亜澄の弟を思うきもち。弟がこまったときにいう、かれだけに見えるらしい「ゾゾ」の存在。
そうそう、忘れたらあかんのんが、ナゾのおじさんから、マルをあずかったお礼にもらった駄菓子。ナゾの店先が浮かぶような、「亜澄ちゃん、よかったなあ!」って声かけたくなる、みごとなラインナップ!に頬が緩む。
生姜せんべい、チャイナマーブル、金平糖、ゼリービーンズ、うまい棒、ベビースターラーメン、チョコ大福、ペンシルカルパス、するめソーメンに、ねぎみそせんべい・・・。あと、コーンアイスにもなかに雪見だいふく、もね。

▲お菓子は亜澄が子どもでいられる時間。
それでも、独り占めせずちゃあんとお母さんにも残しておいてあげる。
ほんま子どもって親がすきなんやなあ。そんで自分のこともすきでいてほしいんよね。
本を読みながら、何度も「そう、そうやねん」と、むかし、子どもだったわたしが心のなかにあったきもちを、ことばにはできなかったそれを書いてもろてる気がして、鼻がつーんとした。
ずっとこらえてたけど、アイスクリームをたべる場面でとうとう落涙。

【わたしは台所に行き、冷凍庫を開けてコーンアイスを取り出した。流しの電気の下で、包み紙をはがして食べた。甘い塊が口の中で溶ける。こんなおいしいもん、ずっとずっと食べていたい。ぺろぺろなめて、ちょっとかじって、コーンもかじって、ちょっとずつ食べる。もなかはあ母さんにあげよう。雪見だいふくは半分こして食べよう。口の中が冷たくなって喉も冷たくなって、舌がしびれた感じがする。大事に食べたけれど、アイスクリームはなくなった】
(同書p151より抜粋)



追記
その1)
岩瀬成子さんの本のことはたびたびここでも書いています。
と言うても、例によって横道にそれっぱなしの短い感想ですが。
『きみは知らないほうがいい』
『蝶々の木』
『くもり ときどき 晴レル』
『なみだひっこんでろ』
『ピース・ヴィレッジ』
『オール・マイ・ラヴィング』

その2)
この間から観た映画(DVD)がたまたま2本とも高校生の女の子が主人公のものでした。
ひとつは『私たちのハァハァ』(松居大悟監督)”クリープハイプ”というロックバンドが好きで、福岡でのライブに行って「出待ち」してたとき「東京のライブにもぜひ」と言われたので、よし東京に行こう!と女子4人自転車で北九州(監督自身、北九州出身らしい)を出発、東京にたどり着くまでの物語。前情報もなく、なんとなくショップの棚から手にとった作品でしたが、おもしろかった。

もう話し言葉に方言はなく(これは意識して、そうしたのかもですが)いまの若い子のテンポのいい言葉、そしてスマホ、LINE、動画。好きでたまらない音楽、ミュージシャン。友だち。
もう走って走って走るすがたに、おばちゃんは胸がきゅんきゅんします。

もうひとつは『無伴奏』~小池真理子原作(半自叙伝的作品やそうです)1969年~の高校生が主人公。「無伴奏」というクラシック喫茶(仙台に実在のお店らしい)での出会いから始まるのですが。管理教育に疑問をもち、かばんにはいつもノートとペン。珈琲と煙草。『アデン・アラビア』の冒頭句。クラシックとジャズ~自分の十代と重なるところもあるのに、登場人物の話し言葉が、どうも気取って聞こえてとうとう最後まで入ってゆけませんでしたが。(池松壮亮クンはどちらにも出てたけど、「ハァハァ」のほうがよかった)
というわけで、ふたつの映画にあらためて、若者の「話し言葉の変化」に興味をもちました。


その3)
『吉野葛』(谷崎潤一郎)再読。(青空文庫でも読めます→
前に読んだのはいつの頃だったのかも忘れてしまってましたが、なつかしい地名に、もう長いこと行ってない吉野川の上(かみ)の方を訪ねてみたくなりました。この本の中 吉野・宮滝というところで「ずくし」(熟し柿)をよばれた「私」のことばにじんときました。

【私がもし誰かから吉野の秋の色を問われたら、この柿の実を大切に持ち帰って示すであろう】
(同書「初音の鼓」より抜粋)

その4)
きょうはこれを聴きながら。
Fávitar - Benni Hemm Hemm→

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# by bacuminnote | 2016-10-13 13:53 | 本をよむ | Comments(0)

会ひたき人に。

▲久しぶりに母の顔を見に。
母の体調、わたしの足調(苦笑)、温くうなってから、涼しいなってから、とか何とか。お互いにいろいろ言うてるうちにあっという間に半年(以上)経ってしまって。
しょっちゅう電話で長話してるしね、そんなに時間がたってるとは思いもしなかったんだけど。
今回はわたし以上に「おばあちゃん」に会うのんは、ひさしぶりの息子2も途中合流しての吉野行きとなった。

▲「秋晴れや会ひたき人に会ひに行く」(西村麒麟) ~なぁんて思ってたのに、この日もあいにくの雨。
しかも家を出るときはけっこう強い降りだったけど、ジッカのある駅近くになると、灰色の雲と雲のすきまから少ぅし青空が見え隠れし始めた。
近鉄特急は吉野に近づくと、カーブの多さもあってキューガタンガタンと、特徴のある電車の音が響くんよね。線路際にも、線路内にも、彼岸花の束がぽつぽつ~敷石の茶色や灰色に、彼岸花の赤が妙に映えて、そのうつくしさにどきっとする。
駅に着くと、迎えに来てくれた姉が車から降りて「こっち、こっちやで」と大きく手を振ってる。 Y姉ちゃん、ただいま~。

▲川沿いの道を走りながら、前回ここに台風のことを書くのに、ネットで見た伊勢湾台風の被害の写真を思い浮かべてた。
あのころ(というかわたしの子どものころ)から思えば、うんと水量の減った吉野川は、川原がどんどん広くなって。ああ、この橋もあの橋も崩壊したんやなあ~と改めて、しずかで寂れた感じの川に見入る。

▲お昼は息子とふたりで、焼き鮎ずしとおかいさん(茶粥)を食べた。
ふたりとも好物の焼き鮎ずしはもちろん、久しぶりのおかいさんがしみじみと旨かった。
ふだんは無愛想な息子やけど(!)このときは終始えがおで、何べんも「うまい」「おいしい」と言い合うては、おかわりした。

▲ウチにもかつて母が縫ってくれたサラシの「ちゃんぶくろ」(茶袋)がある。いま吉野に住んでる人たちだけやなくて、郷里が吉野の人はどのお家にもあるのとちゃうかなあ。
この袋に番茶(粉茶)を入れて炊き出すから、使うごとに深いええ茶色に染まるんよね。息子が小さかったころもよく拵えたっけ。
子どものころから食べてきたもんの記憶って、ふしぎやね。長いこと食べてなくて、すっかり忘れてても、口にすると一気にからだじゅうのスイッチ入るみたいな。
また、ちゃんぶくろ出してきて拵えよう。

▲家に入ると、母が立って迎えてくれた。きっと今か、今かと、待ってたんやろね。
息子2は母が70のときに誕生したラスト(!)10人目の孫で。お産のあと厳寒期の信州・開田高原に、しばらく手伝いに来てくれたときのことは、今でもよく母の話にでてくる。
曰く、えらい寒かったなぁ。-20℃越えた日もあったなあ。雪もすごかったし。薪ストーブのそばから離れられへんかったなあ・・・。(←思い出のほとんどが「寒かった」~よっぽど堪えたんやろね)
48で初めて「おばあちゃん」になってからも、母はつねに、ずっと、先頭に立って仕事して来たから。なかなかできなかった「孫の沐浴」もこの子のときには毎日してくれたのだった。

▲ふだん電話でしゃべってると、頭も口も冴えわたってるけど(苦笑)、じっさい会うてみると「会わなかった七ヶ月分」母は歳をとっていて。ちょっとせつなかった。(もっとも、わたしだってプラス七ヶ月分だが・・)
部屋に入ると、作ったもの書いたもの描いたものが一杯あって。
ふと、棚のところに貼った半紙が目に入る。書道のすきな母がいつも何か書きつけていて、たしか前に来たときは芭蕉の俳句だったんだけど。

▲今回は、また新しく書き直したみたいだ。
ん?あれ?これ、どっかで・・・ひゃあ!!そして、ごていねいにこの駄句の作者の名前まで最後に書いてあって。
前に電話で「わたし今日こんなんつくってん」てな感じで、調子にのって言うたんやろけど。まさかそれを書き残してたとは。まさか芭蕉大センセのあとに、こんなもんが登場するとは。びっくりしたなあもぉ。
なんちゅう親バカぶり(苦笑)。ほんで、もうほんまにあほらしすぎて、大笑い。

▲わたしが姉フウフとしゃべってる間、母は孫に漢字ドリルを見てもろて。(母の方が息子よりよう知ってると思うけど・・)それから息子のガッコの話をうんうん頷いて聞いている。若い子の話聞くのが好きやからね、母のうれしそうな顔をちらちら見て、わたしもうれしかった。

▲とはいえ、母に会うたら、あれしよう、これしたろ~と思ってたこと、いっこもできんまま電車の時間がきてしもた。帰りは義兄が駅まで送ってくれることになって、外に出たら雨がぱらぱら降り始めてた。
車窓からみえる川と辺りの山々が黒くさびしくて、わびしくて。そんで、きれいやった。
おおきに。また(帰って)来ます。つぎは晴れた日に。




*追記
その1)
息子とは会うなり、この間観た映画『怒り』の話に。そもそも、こわがりのわたしが殺人事件をもとに・・とかいうストーリーそのものが、ふだん観ない映画のジャンルなのですが。
パンフと原作本(上下二巻)持って来てくれたので借りて、帰り、息子が別の線に乗り換え、一人になってから読み始めました。

映画を観たあとに原作本読むのと、本読んでから映画観るのとでは、おもしろさがちがうよね。
監督がどの場面をカットしたのか、ふくらませたのか、とても興味深く。この上下巻の長編を一本の映画(それでも2時間20分と長いですけど)にまとめる力もセンスも。出演者の演技ももみなすごかったし。もちろん、すべての基になってる原作の(ことば)の力も。
何を今更と言われそうやけど、いろんな「表現」が詰まった「映画」の世界を、あらためて思いながら読んでいます。

『怒り』は東京、千葉、沖縄と三ヶ所でそれぞれのストーリーがあるのですが、どれもが一話でも作品として成り立つ深さがあり。そのどれもが底に怒りや痛みが在って。知らんふりができなくて。おまえはどうなんだ?と突きつけられてるようです。
とりわけ沖縄編のことは今もなお。

帰途バスの車窓から見える景色が、行きとちがって見えたのは、時間の経過だけやなくて、映画を観たあとやからやね。
長時間おなじ姿勢で座ってると膝と腰が堪えることもあって、いつもはDVDやけど。
映画館の帰り道のような時間は、映画館に行かないと得られへんよなあと思いながら。
また、行ってみよう。(ところがバス一本出いける映画館にはわたしが観たいのんが、なかなか掛からへんのです~無念じゃ)

その2)
『選んだ理由』(石井ゆかり著 ミシマ社刊)→
石井ゆかりさんによるインタビュー集。
【どういう仕事に就くか、誰と一緒に生きるか、どこに生きるか、どう生きるか、誰もが、人生で幾度も選択を重ねていく】(同書p3より抜粋)

一番印象に残ったのは写真家の「吉田さん」(Akihito Yoshida→)の巻。

【多くの人が、「やりたいこと」を探す。「何がやりたいか解らない」と悩んでいる。でも、本当に見つけていなければならないのは、「やりたくないこと」なのかもしれない。自分の中の「NO」を知っていることが、羅針盤となることもあるのだ。】(同書p132より抜粋)

番外編いれて8人の「選択」を、わがジンセイの幾度もあった(苦笑)選択期を思い出しつつ、おもしろく読みました。


その3)
今日はこれを聴きながら。
Gallo Rojo - Sílvia Pérez Cruz→
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# by bacuminnote | 2016-09-30 23:42 | yoshino | Comments(4)

大きな硝子戸から。

▲朝、目がさめたら窓の外が薄暗かったので。
えっ?もう夕方なん!?と、ねぼけて一瞬あせった。けど、じっと耳をすますと幹線道路を走る車のしゃーしゃーという音にぽつぽつと雨音が重なり。昨夜みた台風のニュースを思いだしてなっとく。湿気て重たい雨戸をいちにのさんと勢いつけて開ける。

▲窓の外~雨にうたれた木々と草ぼーぼーの庭はじつに緑あざやかで、なんやズームアップしたみたいにせり出して見えて。灰色の空の下、大きくなった緑たちが今にも歩き出しそうで、どきんとする。
そうして、あらためて、植物は生き物やなあとおもうのだった。

▲川のそばで大きいなったから、台風は思い出というより、いつもその背景のようにわたしの中に在る。雨が降りはじめ、急に空が暗くなり、そのうち雨脚が強くなって、ガッコは給食を食べて早帰りの集団下校になるんよね。その時点では、午後からの授業のないことを子どもらは、無邪気によろこんで列に並ぶんやけど。

▲家に帰ると、親も従業員の人らも台風で家業は暇かと思うのに、なんやバタバタしており。うれしかったはずの早帰りやのに、わたしはじきに退屈を持て余し、放課後に対戦のやくそくしてたドッジボールができんかったことばかり思ってた。

▲当時旅館やったウチは、台風が近づくと、川辺に繋いである鮎舟が流されんように、河川敷に上げるのが定例で。(このことは前にもここで書きました)10人乗り、16人乗り、20人乗りの舟と鮎漁用の舟と合わせて5隻。川辺にあった大きな欅の木2本に、太い麻縄で繋ぐんやけど、小さい舟も引き上げるとなると力持ちが10人がかりやったそうで。

▲そうは言うても、台風前の(どこのお家もたいてい川べりで慌しいときに)その10人余りの人を集めるのが大変やったようで。そのたびに「無理言うてすんまへんなあ。ほんま、すんまへん」と、船頭さんしてもろてる人たちに、電話にむかって何べんもお辞儀してた母の姿が浮かんでくる。

▲旅館は川に沿うように客室が並び、途中長い渡り廊下の間に大浴場や娯楽室があって。その廊下の行き止まりには二階建て~上下三室ずつの客室があったんだけど。
いつだかの台風がきたとき、母たちが舟の引き上げに外に出ている間(たぶん、じっとしときや、と言われたんやろけど)わたしはそこの二階の踊り場に走ったんよね。

▲川に面した大きな硝子戸からは、眼下に怒り狂ったように、ごぉごぉ音たてて波高く流れる濁った川が間近に見えて。倒れた木や、大きな枝、畑の作物、一斗缶に箪笥や自転車まで流れてきて。
夏じゅう泳いで遊んだときとはまるで違う川のその顔つきも、覗き込んでたら飲み込まれそうな濁流も、しんそこ怖かった。

▲わたしの記憶では、これまで台風でジッカやご近所さんが大きな被害をうけるということはなかったと思う。ただ伊勢湾台風のときは橋が崩落し、町なかの家の崩壊もあって、それは大変やったらしい。そのときわたしは四歳で、家の中でも外でも大人たちがバタバタしてた様子の記憶しかないんだけど、ずいぶんあとになって当時の写真をみて、改めてその被害の大きさに驚いた。

▲さっき、これを書くのに確かめたいことがあって、母に電話したら、当時の舟や船頭さんのこと客室の位置やなまえ・・・と、具体的な数字まですぐに返ってきてびっくりする。「すごいなあ」というと「そら、わたしの命みたいなもんやからなあ」と言うて、すぐにそのせりふが恥しくなったのか「あはは」と照れ笑いしてたけど。

▲「いのち」と聞いたんは初めてだったので、そうかぁ、としみじみ思う。
相手(つまり、わたしの父親)のこともロクに知らずに、お見合いのあと一回か二回会うただけで、親や周囲の勧められるままにした結婚はイコールそのまま「嫁ぎ先」の働き手で・・。それでも当時は多くのひとがそんな結婚やったのかもしれないけれど。

▲そういえば、相方のお母さんもまたそんな一人で。
「わたし節分に結婚したんやけど、それまでいたお手伝いさん、おヨメさんが来るから、いうて1月いっぱいでお家に帰らさはったらしいんよ。わたしは正味お手伝いさんの代わりや。結婚式までおとうさん(相方の父)とも2回しか会うてへんし、式までに顔も忘れてしもてたし・・」と笑いながら、よくこぼしてはった。

▲この間(というても、もう先月末のことになるんやけど)『屋根裏の仏さま』(ジュリー・オオツカ著 岩本正恵・小竹由美子訳 新潮社2016年刊)という本を読んだ。これは母や義母より一世代~二世代前の20世紀初頭「写真花嫁」としてアメリカに渡った日本人女性たちの話で。写真だけをたよりに長い船旅を経てアメリカに暮らす日本人男性の元にむかうのだった。

▲どの男性も送ってきた写真はかっこよくて。
船内で「わたしたちは」少女のように(じっさい初潮もまだむかえていない十二歳の女の子もいた)その写真を見せ合ってはしゃぐ。
「彼らはハンサムな若者で」「故郷の兄や父に似ていたが、もっと身なりがよく、グレーのフロックコートや仕立てのよい三つ揃いのスーツを着て」「家の前の車回しでT型フォードにもたれて」写真におさまってた。

▲夢みるようにアメリカでの暮らしを語り合う「わたしたち」は、やがて写真のその人とはまるで違う「ニット帽をかぶり、みすぼらしい黒い上着」を着た中年男性たちにサンフランシスコで迎えられることになるんよね。
写真は他人のだったり20年も前のものだったりしたわけだ。そして、すぐに労働の日々が始まる。

▲そうそう、この本は「わたしは」ではなく「彼女は」でもなく、終始「わたしたちは」で語られている。
「写真花嫁」たちが口々にその結婚を、夢を、渡米してからは、いきなり「奪われた」ことを、労働の苦しさを、言葉のわからない悔しさを、絶望を、「わたしたちは」と語るんよね。

▲何度もくりかえされる「わたしたちは」が、あるときは朗読劇のように、詩や音楽のように。そのうち深くかなしく響くようになる。
ときおりテルコ、フミノ、ルリコ、ミツエ・・と「わたしたち」の中の名前がでてくるのに、ちいさなつぶやきもため息もきこえてくるようなのに。
「わたし」はやっぱり不在なのだ。

▲そうして「わたしたち」にも子どもが生まれ育ち、貧しいながらも自分たちの家をもつ。
「子どもらはわたしたちが悲しげにしていると心配してくれた。」「わたしたちの膝が痛んだり、月の障りだったりすると、わたしたちが言わなくても察してくれ」「子犬のように、わたしたちといっしょに寝た」「アメリカに来て初めて、わたしたちはベッドで誰かが隣にいるのを嫌だと思わなかった」

▲子どもらはわたしたちが決して発音しえない「R」と「L」だって難なく言えるようになる。
【ひとつ、またひとつと、わたしたちが教えたかつての言葉は子どもらの頭から消え始めた。子どもらは日本語の花の名前を忘れてしまった。色の名前を忘れてしまった。お稲荷さんや雷さまや貧乏神の名前も忘れてしまった】
ある女の子は自分をドリスと呼び、ある女の子は自分をペギーと呼ぶようになる。
【エツコは学校の初日に担任の男性教師、スレイター先生から、エスターという名前をもらった。「先生のお母さんの名前なのよ」と彼女は説明した。その言葉にわたしたちは「あんたの名前だってそうよ」と応じた。スミレは自分のことをヴァイオレットと呼んだ。シズコはシュガーだった。マコトはまさしくマック。】
(同書「子どもら」p88より抜粋】

▲夫や子どもに思うことはあるものの、仕事も暮らしもなんとか土地に根付きはじめたころ、戦争が始まり「ひと晩で、隣人がわたしたちを見る目が変わった」
やがて、わたしたちは集団移動を迫られることになって。
最後の章「いなくなった」では「わたしたち」がいなくなった町で、彼女たちにかわって町のひとたち(白人たち)が「わたしたちは」と語り始める。
【わたしたちが知っているのは、ただ、日本人たちはどこか遠くのある場所にいて、たぶんこの世ではもう二度と会えない、ということだけだ】(同書「いなくなった」p157より抜粋)

▲表紙カバーの絵がとても愛らしい。
たんぽぽ、アザミ、鈴蘭、菫、れんげ草・・・これ、たぶん「わたしたち」が子どものころから親しんだ野の花たちなんだろな。何も知らずに海を渡った少女たちのようで、その可憐さがよけいにせつない。


*追記

その1)
いま又台風16号が接近してるようで。どうか無事通過してくれますように。

その2)
前回のブログ書いたあとも、膝が不調やったり(ようやく回復しました!)バタバタして、新しい本が読めない(読了できない)ままでしたが、
観たDVD(このまえ書けなかった分も)を備忘録的に。

「人生は小説より奇なり」→
「リリーのすべて」→

このふたつはたまたま、ゲイのカップルの話とトランスジェンダーの話でした。
「性別」(という観点というか、捉え方)って何のためにあるのやろ?と思いました。

「火の山のマリア」→
監督はグアテマラ出身のハイロ・ブスタマンテ~公用語のスペイン語は国民の6割程度が使って、残る4割は主人公一家のように先住民の言語らしい。
公用語が話せないことによる不利益。けどスペイン語は彼らの母語じゃないんだものね。

「スポットライト 世紀のスクープ」→ 
劇中印象にのこったことば。
「これ(文書)を記事にしたら、誰が責任を取るんだ?」
「では、記事にしなかった場合の責任は誰が取るんだ?」

「恋人たち」(橋口亮輔監督)→
長い(140分)映画でした。この監督の映画はいつもひとへの視線がほんまやさしくてせつない。ちょっと考え中のこともあるんだけど。
主役の篠原篤も成嶋瞳子もよかった。重い映画ながら、黒田大輔のちっちゃい目と恥しそうな笑顔、「笑うことだいじだよ」ってせりふも。それから、さいごの空の青も。しみました。

「カミーユ、恋はふたたび」→
40歳がとつぜん16歳の高校生にタイムスリップ~とかいうと、なーんだ、よくあるストーリーか、と思うかもですが。これが、よかったんです。(音楽も!)
若いってサイコー。けど歳とるのも、なかなかええもんや、と思います。

ドキュメンタリーは
「99分、世界美味めぐり」
実はこれ、途中でやめようかと思うほどでした。
ただ一箇所、料理人の作るある料理が気に入らない客が「不味い!」と言うとシェフが「あんたにはね」と返すとこがおもしろかった。 え?それだけ?←はい(苦笑)
ウチのお義母さんは、お義父さんや相方に料理をけなされると「そうでっか~ウチには美味しおます」とさらりと返してはったんを思いだしました。
この「ウチには美味しおます」と堂々と返すの痛快やなあ~と、いつも思って聞いてたんだけど。わたしはこの歳になっても、なかなか義母のようにはいきません。

「美術館を手玉に取った男」
2011年にアメリカの多くの美術館に展示されている絵画が贋作であることが発覚。画家は全米20州に渡り46の美術館を30年間騙し続けてきたんだけど、彼は作品を「売る」のではなくすべて「寄付」してるんよね。

その3)
今回も長くなりました。
最後までおつきあいしてくれはって、ほんまおおきにです。
今日はこれを聴きながら。
Beirut - Cheap Magic Inside - Cliquot→

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# by bacuminnote | 2016-09-18 23:10 | 本をよむ | Comments(2)

ゆっくり時間をかけて。

▲通勤客の多い時間帯に電車に乗るのは久しぶりだった。
地下鉄から近鉄南大阪線に乗り換えて半時間。タクシーで15分余り行くと、なつかしい田園風景がひろがって思わず「わあ!」と声が出た。
朝の大阪は今にも降り出しそうな曇り空やったのに。
空は広くてベビーブルーで。そんな中に浮かび上がる低い山の連なりと、いちめん田圃の緑も。みな、ほんまにうつくしい。

▲そのカンゲキの声に、運転手さんが遠方から来た客かと、あの山は、この山はねぇ~と大和三山(香具山かぐやま/畝傍山うねびやま/耳成山みみなしやま)をていねいに案内してくれはったから。
ついつい郷里は「この近くですねん」と言いそびれてしまったんだけど。
制服姿のころは、ただ「田舎」の一言で片付けてた風景を、こんなきもちで眺める日が来ようとは。歳を取るのもええもんやね。

▲ああ、それにしても。
きゅうくつな喪服も(そのうち買い換えようと思いながら30年。体重はそのままでも体型は年寄り化するのであった)めったに履かないストッキングも、いつもより小さめのバッグやハンカチも、靴も、ぜんぶ。
家で篭ってることの多いわたしには、何もかもが非日常で緊張する。
せやからね、早いうちにお手洗いに行っておこうと思ったんだけど。
斎場近くのそれは「和式」しかなくて、びっくりしたりがっかりしたり。

▲いまのわたしは膝が痛くてしゃがめないのである。
周囲をみわたせば、高齢の方も杖をついている方も何人もいてはるのに。大きな公営葬祭場なのに。それほど古い施設ではなさそうやのに・・・と、憤りつつ、痛い用足しとなった(泣)

▲わが身となって、気がつくことっていっぱいある。
駅の階段は構造上仕方ないにしても、エレベーターはたいてい駅構内の端っこにあって、そこにたどり着くまでが大変だ。
大きい駅になると、そのエレベーターを「乗り継ぐ」ことにもなって。それでなくても方向音痴のわたしは、やっと見つけたエレベーターで階下におりたのに、乗り継ぎエレベーターが見つけられず、こんどはまた長い階段を登ることになって・・・ほんま、泣くで。
街は元気で健脚なひとたち用につくられているんやなあ、と「痛」感する。

▲故人はわたしにとって、あまり近しいひとではなかったのだけど、ご家族や、わたしの近いひとたちが嗚咽してるすがたに胸がいっぱいになる。
それでも、和やかに談笑してはるときもあって。
こんなふうに、遺された者たちは泣き笑いをくりかえしながら、大事な人とゆっくり時間をかけておわかれをしてゆくんやなあ~と去年の義母の葬儀を思いだしていた。

▲帰りも姉とタクシーで駅まで。
一緒にお昼ごはん。この間会ったとこやのに。話は尽きない。
おなか一杯食べて、しゃべって笑うて、しんみりして。コーヒーフロートも注文して。ここでは安心して洋式トイレにも行った(苦笑)
結局姉にごちそうになって(m姉ちゃん、いつもおおきに!)「階段気ぃつけや」と見送ってもろて「ほな、またな」とそれぞれのホームにわかれた。

▲この日のおともは軽い文庫本。『陰翳礼讚・文章読本』(谷崎潤一郎著・新潮文庫)。どちらもずいぶん前に読んだけど、先日ツイッターでこの新刊に読んだことのない「文房具漫談」が収められてるというつぶやきに、それなら~と買った文房具好きなり。
この「文房具漫談」8頁ほどの短い文章なんだけど、ペンや万年筆嫌いの谷崎が筆、紙への、それはこと細かなこだわりぶりが可笑しい。
これは筒井康隆氏による「解説」と共に買うてすぐに読了。

▲カバーには【文豪の美意識と創作術の核心を余さず綴る、名随筆を集成】とあって『陰翳礼讚』のあとには『厠のいろいろ』が続くんよね。
「厠で一番忘れられない印象を受け、今もおりおり想い起こすのは」と始まる厠の話は「或る饂飩屋へ這入ったときのこと」とあり、この店、なんとわたしの生まれ育った町にある店だと書かれているのであった。

▲曰く、急に催した谷崎がその饂飩屋で案内を乞うと「家の奥の、吉野川の川原に臨んだ便所」で、一階が二階になって、下にもう一つ地下室が出来ている・・という川沿いの特徴的な建ち方の家のトイレ(二階にある)は

【跨ぎながら下を覗くと、眼もくるめくような遥かな下方に川原の土や草が見えて、畑に菜の花が咲いているのや、蝶々の飛んでいるのや、人が通っているのが鮮やかに見える。つまりその便所だけが二階から川原の崖の上へ張り出しになっていて、私が踏んでいる板の下には空気以外に何物もないのである。】(「厠のいろいろ」p67~68より抜粋)

▲ええっ~!?菜の花や蝶々が飛んでるのが見える川沿いの家のトイレって!そんなスタイル、祖父母や親からも聞いたことないよぉ~と失笑しつつ。
「けど、それって、どこのうどん屋さんやろ?」と、長いこと歩いていないジッカの周辺を一軒一軒思い浮かべたりして。
そういえば、以前これを読んだときも、同じように「どこやろ?」とさんざん考えあぐねたことを思いだして、電車の中で「わたしもあほやなあ」と笑ぅてしもた。

▲そうこうしてるうちに、あべの橋に到着。
ここからの乗り換えは、エスカレーターもトイレの場所もよくわかってるから安心。
このごろは駅構内の見取り図もネットで検索できるようになってるけど、平坦な道ですらわからないわたしには、あの 何階かに渡って描かれた立体図は、ほんまにちんぷんかんぷんなのであって。
だから、せめて構内のエレベーターやエスカレーター、トイレの案内はもっとわかりやすいものにしてください!

▲乗り換えの後は「文章読本」をうんうん頷きながら。
けど、朝が早かったからか、しらんまに爆睡して~気がついたら降車駅のひとつ手前だった。やっと着いたなあ。
「クミはどっか行くたび大冒険やなあ」と友だちに笑われるけど。ほんま旅がおわった気分!ああ、早う家に帰って、ストッキング脱いで、楽な服に着替えて、ほんで冷えたビールをのもう。

*追記
その1)
何度もトイレの話、厠の話ですみません。
件の公営葬祭場~気になって、いまネットでHPにあった見取り図をみてみました。
そうしたら別棟「待合ロビー」には、車いすマークのトイレが一箇所ありました。ということは、その棟にあるトイレは洋式かも。ここには授乳室もあるようで。ああ、よかった!・・と、ちょっとほっとしました。
もしかしたらこの棟だけ新しく増設したのかな。

ただ、斎場からそこに行くのにはけっこうあるし(健脚な方なら問題ないキョリかもしれないけど)何より道中 階段もあって。
階段を避けようとすると、敷地内をぐるりと大回りということになりそうです。

その2)
今回また書きそびれた『屋根裏の仏さま』(ジュリー・オオツカ著 岩本正恵 小竹由美子訳 新潮社刊)→はまたこんど。(早う書かんと忘れてしまいそうや・・)

絵本『ちっちゃいさん』(イソール作 宇野和美訳 講談社刊)→ も 『絵本といっしょに まっすぐまっすぐ』(京都"メリーゴーランド"店長/鈴木潤著 アノニマ・スタジオ刊)→も、とてもいい本でだいすきになりました。
どちらも若い(若くなくても♡)友人に贈りたいすすめたいとおもう本でした。

その3)
観た映画(DVD)
『リップルヴァンウィンクルの花嫁』→(岩井俊二監督)
劇中でてくるせりふで「この世界はさ、本当は幸せだらけなんだよ」が、せつなかった。

そういえば
この公式HPのバックで流れてる『 歌の翼に』( 作曲:F.メンデルスゾーン 編曲:F.リスト )は、むかし友だちの結婚式のスピーチのBGMにした曲で。元演劇部の友人にわたしの原稿を朗読してもらって録音して、当日流してもろたんよね。

今思えばこの曲に結婚のお祝いのスピーチって「まんま」やなあ~と恥しくなるけど。その日の新婦も新郎もとてもとてもよろこんでくれて、うれしかった。
その彼がなくならはって、もう4年になります。劇中この曲が流れるたびに、あの日のふたりを思いだしてなつかしくせつなかったです。

『「僕の戦争」を探して』
「僕の戦争」というのは、リチャードレスター監督が、ジョン・レノンを起用した映画のことやそうで。その「僕の戦争」の撮影が、スペインのアルメリアで1966年に行われて、ビートルズファンの英語教師が、ジョン・レノンに会おうとロケ地まで旅に出かけていく間にいろんな人に出会う話。
邦題のイメージとは全然ちがってたな。よかった。
ちなみに原題は
Vivir es facil con los ojos cerrados英題はLiving Is Easy with Eyes Closed
予告編(字幕なし)→

その4)
今日はこれを聴きながら。
秋になったらどこかに行きたいなあ。

Lisa Hannigan - Lille en Francais→

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# by bacuminnote | 2016-09-07 20:09 | 出かける | Comments(4)

あらすじはいりません。

▲先日、関東在住の姉2の帰省で「いっぺん会おか」という話になった。
3人や2人というのはあっても四姉妹全員で顔を合わすのは、何年ぶりやろか。
当日はお昼前にみんなが出て来やすい大阪・天王寺にて集合。
炎天下おばさん四人「久しぶり」の挨拶もとばして「きょうも暑いなあ」と言いながら、姉3が予約しておいてくれたレストランにぞろぞろと歩く。

▲四姉妹と告げると、たいてい「わあ、若草物語やね」とか「細雪やなあ」とか言うてくれはるけど。そんなええもんと、ちゃいますがな。
7歳、5歳、3歳上の姉たちとわたしは、趣味も、考え方も、ガッコも、してきた仕事も、住んでる地域も、家族構成も、みごとにバラバラで。4人に共通点というたら、親がおなじで、川のはたで育ったこと、「食べる」のが大好き、ということくらいかもしれない。

▲せやからね。
「四姉妹って、ええねえ」と言われても、白けた顔して(たぶん)「べつにぃ」と言うてしまう。おいしいもんのことから本や音楽、映画のこと、何でも話せる友だちのほうが、ずっと楽しいで~とか返して、相手をちょっとがっかりさせるんやけど。

▲それなのに、いったん顔あわせると長いブランクも何のその。
勝ち気に内気。イカル者に取りなす者。話し役に聞き役。ボケとツッコミ・・・。
長女・次女・三女・四女~収まるべきとこへ、瞬時に収まって。
その日もしゃべる、食べる、笑う、のむ、しゃべる、食べるの6時間に、友だちとはどっかちがう、この感じはやっぱりきょうだいやなあ、と頬がゆるむ。

▲帰りは2:2に分かれて「ほな、また」と手を振った。
好きなとこも、ちょっと気にいらんとこも(!)多分お互いにいろいろあるんやろけど。こんどまた会うたら、からだの奥深いとこから湧き上がってくる「なつかしさ」と「アイ」(漢字にするのは気恥しい)によって、四姉妹のスイッチが入るんやろな。
姉たちよ、いつまでも”かしまし娘”でいよう。

▲さて、
この日の道中おともの本は『水つき学校』(加藤明治著 東都書房刊)~図書館で借りたこの本、七刷で1973年に出てるけど、初版は1965年刊。表紙の絵(by久米宏一氏)は横殴りの雨のなか合羽姿の主人公の少年・庄一が牛を引いているところ。中の挿絵もぜんぶなつかしい。これや、これ!と声をあげる。50年ぶりの再会だ。

▲なんで、この本を再読しようと思ったかというと。
前述の姉たちとの会食の際に、むかし姉の子どもら(わたしにとっては姪や甥)が幼い字でわたし宛てにくれた手紙を見せてやろうと探してたとき、思いがけずわたしが小学6年生のとき書いたこの本の読書感想文が見つかったのであった。

▲これ、感想文コンクールで入賞したとかね、選ばれて何かの文集に載ったとか、というのでもなく。センセの赤ペンも力のないただの二重丸で(苦笑)しかも、その下には「大事なところをくわしく。」とダメ出し・・・。
どう見ても「じまんの作文」ではなさそうやのに。なんでこんなものを残してたんやろか、と探しもののことも忘れて、座り込んで読む。

▲原稿用紙8枚の読書感想文は、母におこづかいをもらって近所の本屋さんで本を選ぶところから始まるんよね。
相方に言うたら「おまえは子どものときから話長かってんなあ。センセも、たまったもんやないよなあ。8枚も書いてきて。そのうえ前置き長うて~」と大笑いされたんやけど。

▲そんで、読んでみたら、これがなかなかに下手な作文やった(苦笑)
けど、自分がこころ動かされた本(話)をみんなに伝えたいという気持ちは、ちゃんと届く。(わたしがわたしに届けて、どないするねん?とつっこみつつ)
でもセンセからしたら「あらすじはいりません」と思わはったんやろなあ。(すこし残念)

▲6枚目になってようやっと「読書感想」らしい文章になって。センセの赤ペンはシビアに「感想」はここから始まってるぞ、と矢印が入る。
7枚目には「この場面があなたの作文のカギです」「ここをもっとくわしく」とあって、最後の三行には赤い斜線が無残にも入って「いりません」とある。いやあ、このセンセなかなか手厳しい。

▲こんなこと書かれたら読書感想文は嫌いや、ってことになるやん~と、自分の作文が下手なのを棚の上にあげて、ぶつぶつ。
けど、8枚目の空いたところには、返してもろてから書いたのか、青いペンで反省点を四点あげてたりして、小6のわたしはなかなか健気である。

▲子どものころの本は全く手元に残ってないんだけど、この本のことは覚えてたしね、自分の読書感想文に触発されて(苦笑)もう一度読んでみたくなったというわけだ。
そうしたら、この本すごい本で、夢中になって読了。
作文には薄い本と書いてあったけど(あとがき入れてp171)文字は小さいし、今では大人の本でもめったにみない二段組だった。

▲テンリュウ川(と、本では片仮名になってるけど天竜川のことだと思う)を挟んで2つの村の小学校があるんだけど。
主人公の庄一の通うサワンド小学校は、大雨が降るたびに校舎が水びたしになるので、川向うのノザサ小学校の子どもらから「水つき学校」とからかわれてるんよね。

▲この川「暴れ天竜」とよばれてはいるものの、昔はこんなに洪水が多くなかった、と大人たちが言う。これは下流にできたダムのせいで堆砂と水害が激化したのだ、と。
子どもたちも大雨のたびに、水が引いたあとの泥だらけになった校舎の掃除にかりだされる。雨が続けば机や椅子を二階に上げるのも庄一たち高学年の子どもの仕事だ。
もちろん田畑もそのつど、泥だらけでたいへんなことになる。

▲庄一の父親や村会議長でもある医者を中心に起こるダム撤去運動は、なかなか思うようには広がらない。
流された田畑への電力会社からの見舞金が「いま」必要な人、いや、わずかばかりの見舞金でこれまでも、ダム撤去という根本的な問題をうやむやにされてきたのだから、見舞金は一銭ももらわぬくらいの覚悟でないと、と主張する庄一の父親のような考えもあり。この補償金をめぐって村民を分断するような事も起きるんよね。

▲子どもらもじっとしておれず、庄一は修学旅行の積立金を全部使ってもいいから、もっと高台に学校を移転してくれ、と村長にかけあいに行く。
建設大臣と県知事が水害の視察に来たときに、子どもたちも役場に様子をみに行くんだけど、そのときの子どもらの話が興味深い。

「大臣に、なにをたのむんずらなあ」
「ダムをこわしてもらうのよ。高槻ダムのできるときに、もしダムのせいで大水の出るようなことがあれば、ダムをこわすという約束があるんだよ」

「それじゃ、約束をまもらんほうがいけねえじゃねえか。ダムなんかすぐこわさせろ」
「それだって、ダムのおかげで電気がおこるのだぞ。電気がつかなんでいいだか。ラジオがきこえなんでもいいだか」

「ダムは、ほうぼうに、いくつもあるだもん、一つばかり潰したって、心配あらずか」
「ダムを一つつぶせば、それだけ電気がたりなくなって、日本の工業がおとろえるぞ」
「工業ばかりよけりゃ、それでいいだか。おれたちは、毎年水びたしだぞ。それでもいいだか」
同書p46~48より抜粋)

▲そうこうしてる間におきた集中豪雨で、田畑だけでなく家も流され、死者もでる大惨事となる。庄一の父親も脚に大怪我を負うことになって。
ダムを残したままで砂漠のようになってしまった村は、急転直下みなが思いもかけなかった展開となる。
それは国や県、電力会社の補償のもとで、高い堤防を立て、小学校はノザサとサワンド二校統合して、高台に鉄筋の校舎建設が決まったこと。

▲それに耕地整理をし、一枚の田の広さを今の五倍くらいにする。
ヘリコプターで種まきをし、イネ狩りはコンバインで、刈り取りも脱穀もいちどにできるそうだ~と夢物語のように村人が語っているのをちょっと複雑な思いで読む。このころはアメリカのような大規模農業は、いいことづくめのように思われていたんやろなあ。
庄一は、新しくうまれかわる村を思い描きながらも、父親の「ダムがあるかぎりは水害はなくならぬ」~という口癖をわすれることはできない、と思うところで物語がおわる。

▲文中多くの場面で、東京電力福島第一原子力発電所事故後の東電の対応と重なるところがあって、苦々しく思い出していた。
この物語のころはまだ火力・水力発電の時代で原発はまだ実験段階だったと思う。
そういえば冒頭、ノザサの子どもらが庄一たちの学校を「水つき学校」と呼んで、カッパが泳いでる~とはやしたてる場面があるんだけど。
それにたいして庄一が思うんよね。

【うそっぱちだ。この原子力の時代に、そんなものがほんとうにいると思っているのだから、どんなにひらけていないかということがわかる】
「原子力の時代」というのに、どきっとする。著者はこの物語を1960年から書き始め同人誌『とうげの旗』に連載。完結まで三年かかったそうだ。ちょうど鉄腕アトムが流行りだしたころかな。

▲『水つき学校』は1977年に講談社から再販されたあと、そのまま絶版。図書館でしか読むことができないのは、とても残念。いま、やからこそ、子どもにそして大人にも読まれるべき本やとおもう。
復刊されることを願います。
それにしても。
大昔の下手な読書感想文のおかげで、この本にもう一度であえてほんとうによかった。と同時に、自分が小学生のときから全然変わってない(いっこも成長してへんやん!)ということがわかって、うつむいてしまうのやけど。
ちなみに、うしろに書いてあった反省点四つの最後は「文章を短くまとめる」でした(笑)
そんなわけで、今回もだらだらと長くなりましたが。
いつも最後まで読んでくださって、ほんまおおきに!


*追記

その1)
著者は長野県伊那の南箕輪村というところで生まれ育ち、本が出たころは中学校の校長だったとか。「著者のあゆみ」にある写真には(テンリュウ川のほとりで)とありました。

本文中にでてくる地名は創作だということですが、サワンドというのは沢渡のことだと思います。
信州には「◯渡」と書いて「◯ド」と読む地名があちこちにあります。
わたしたちがパン屋だった頃に、くらした集落は「胡桃渡」(くるみど)というすてきな地名でした。

そうそう、この頁の下のほうにはこんな一文があって。もう今はない出版社宛てに手紙をかきたい気分です。
【⇒ おねがい この本の感想をおよせくだされば、しあわせです。
 あてな・・・東京都文京区音羽二丁目12 東都書房出版部】


その2)
今夜はもう秋みたいな風。
これを聴きながら。Goldmund - "Sometimes"→
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# by bacuminnote | 2016-08-27 21:57 | 本をよむ | Comments(2)