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いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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「童臾無欺」

▲どこからともなくやって来てかすかに漂う甘いかおりが きんもくせい(金木犀のにおいは平仮名だとおもう)のそれだと気づく、秋の日のその瞬間がすき。
けど、あきらかに金木犀だとわかる香りがあっちからもこっちからも いっぺんに来るのは(今年はとくに強い気がする)なんか頭がくらくらするようで苦手だ。同じく「苦手組」の相方などは「どこ行っても便所のにおいや」(きんもくせい好きのひと、ごめんなさい)なんて、台無しなことを言うのであるが・・・。

▲いや、それはトイレの芳香剤がやねぇ 金木犀の香りをまねして化学的に作って年中そのにおいを全国(のトイレ)にまき散らし、いつのまにか「ほんまもん」みたいな顔(におい?)してるのが悪い~ あ、けど、今はもう「キンモクセイの香り」は流行ってへんみたいやで~とフウフで語る日曜の昼下がり。
ああ、きょうも窓の外はうわさの香りに満ちて。お隣の大きな木、橙色のお星さまみたいなかわいい花はこぼれんばかりに満開だ。

▲何がほんまもんで何が偽物か。
世の中ごちゃごちゃでよくわからない。それに「ほんまもん」でもウソつくことがあるしね。複雑。ついこの間もこどもの頃から大好物の甘いもん屋さんが「深くお詫び申し上げます」とウソを謝ってはったし。

▲夏に行った松本民藝館の柱に貼ってあった一枚の紙を思い出す。
そこには「童臾無欺(どうそむき) 子供や老人といえどもだましません」と書いてあって。こころに残ったそのことばの意味を、しかし電車の時間が近づいたので たずねそびれて館をあとにした。それから数日後大阪にもどって、やっぱり気になって民藝館に電話して聞いてみたら、
わたしは気がつかなかったのだけど(かえすがえすも残念!)その紙の上には「童臾無欺」と書かれた中国の木の看板があったらしい。インターネットでも調べてみたら(「童臾」の「臾」の字が出せなくて苦労した)中国の商店では「貨真価実」(良質の商品を手ごろな価額で)などと共に掲げられているその店のモットーのようだ。

▲そういえば昔 職人さんや商店の人が掛けていた紺色の前掛けには「信用第一」「親切丁寧」なんて白抜きで書かれていたっけ。そんな「商い」の基本の基本であるモラルが、いつのまにか格好だけになってしもたんかな。いやいや、今でも誇りをもって仕事してる人、ものを作り出している人はちゃんといる。でも考えてみたら、そういう人たちはみな大きなビジネスからは遠いところで、やってはる気がする。

▲以前ここにも紹介したことがあった『和菓子の京都』という本で著者の川端道喜氏がこんなことを言うてはった。
『もともと京都の菓子屋のくらしというのは低いところで安定していて、家族が飯を食っていく分にはやっていける。京都人の生活というのは菓子屋にかぎらず、そういう生活だったろうと思いますね。何屋にしても、そういう余分の金を必要としない。持っていたって、いつ何がおっぱじまるかわからんし、いつ家を焼け出されるかわからないということでしょう』

▲そうやって「多くを作りすぎない」を500年も通してきたのは老舗の貫禄なのか、だからこそ続いているのか。商いというのは「低いところで安定」に飽き足りなくなったときが分かれ道なのかもしれないな。
なぁんて、エラソーなことを思いつつ 熱い番茶をすすりながら 友だちが届けてくれた山栗のきんとんをほおばる。
ああ、おいし。
(この和菓子屋さんに電話したら、いつもたぶんおかみさんと思われる方が出てきはる。近頃のよく「教育された」お店みたいなマニュアル通りの受け答えやないので、ほっとするのであった。)
by bacuminnote | 2007-10-16 14:58 | 本をよむ