いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
カレンダー
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31

おしまいになって風吹く。

▲ここ二、三日台風の影響か、朝一番 窓を開けると つめたい風が肌寒いくらいだった。
「台風」といえば、一足先に選挙にも突風はやってきて。「あたりまえ 」と思う落選も多かったが、「なんで!?」ととても残念な落選もあり。大きな変化にはちがいないんだけど、こころは曇り空だ。
選挙当日はちょっとうるさいくらいに何度も「選挙に行きましょう」と、町なかを広報車が走っていた。繰り返される「選挙はあなたが主役です」の呼びかけに、相方が「選挙のときだけ、主役ってか?」とつっこむ。ほんま期間限定の主役扱い、なんてことないようにと思う。

▲このあいだ上の子から関西での仕事帰りに「ちょっと寄って行くわ」と朝早く電話がかかった。もう朝は食べたんやろか、お昼はどうするんやろか。一気におかあちゃんになるわたし(いつもおかあちゃんやけど)
とりあえずトマト&ハムトーストと珈琲。「ありがとう。おいしかったわ」のひとことがうれしい。結局一時間余りで「ほな、行くわ」と忙しなく発ったので、ほんまに「ちょっと」の間やったけど、みな揃ったのはお正月以来。たまのことやから「ありがとう」が染みるんよね。きっと。
「木槿の花がおしまひになって風吹く」(尾崎放哉句集・春陽堂)
暑いのはもううんざりなのに。夏のおわりは、いつもなんだかさびしい。

▲夜、遠く走る車の音にかぶさって虫の音が聞こえはじめて、この夏じゅう読んでいた須賀敦子の本をおもう。
どちらかというと、これからの季節、秋から冬にむかうころにしずかに読みたい気がするけど、ふと手にして再読し始めたらとまらなくなった。
『コルシア書店の仲間たち』の文庫版の解説は松山巌氏が書いていて、その中でふかく残った一節がある。《人は文章の修辞を学ぶことで、言葉を紡ぎ出せるのではない。どうしても語らねばならぬという思いが言葉を織り上げる。そうしてはじめて人は文章家になる。》そうして「織り上げられた」文章に、ふうと満たされた思いのためいきをついて一冊の本を閉じ、また別の本を開いた。

▲そうそう、つねに遠くあこがれの須賀敦子ながら、思いがけず近くかんじたことは『ミラノ 霧の風景』(白水社刊)に出てくるジョルジュ・ムスタキとレナード・コーエンの話だ。この二人はわたしもすきで70年代にくりかえし聴いたから。ムスタキはそのうち聴かなくなったけど、レナード・コーエンは今も何かのたびに聴く。若いときのものも、年をとってからのものも。本文中にはこんな風に二人の名前が登場する。

▲《やはりそのころ、私がムスタキというフランスのシンガー・ソング・ライターの歌を好きだと言うと、ガッティは困ったような顔をして、あんなやつの曲を君が好きだなんて、そんなはずないよ、君は歌詞と音楽を混同しているんだ、ムスタキの歌詞はいいけど、音楽は耐えられない、となぜかむきになり、このほうがいいと言って、レナード・コーエンのレコードをくれた。

▲友人ガッティはしかし、その後アルツハイマーで施設に入ることになる。
ムスタキのかわりにレナード・コーエンをくれたガッティ。
夫を亡くして現実を直視できなくなっていた私を、睡眠薬を飲むよりは、喪失の時間を人間らしく誠実に悲しんで生きるべきだ、と私をきつくいましめたガッティは、もうそこにはいなかった。彼のはてしないあかるさに、もはや私をいらいらさせないガッティに、私はうちのめされた。
》(「ガッティの背中」p107)

▲こうやって書き写しているうちに、いつしかまた手がとまる。今夜もまたつづきを読むことになりそうだ。
そうそう、レナード・コーエンのこのレコード(本の時代背景から1967年の『レナード・コーエンの唄』かな、と思う)は映画『サルバドールの朝』の中でも、主人公サルバドールの恋人の部屋でレコードジャケットが映ってたっけ。このときバックに流れたのは「スザンヌ」だった。


*you tube
Leonard Cohen  Suzanne

Georges Moustaki Ma Solitude
[PR]
by bacuminnote | 2009-09-02 23:42 | 音楽