大きな声をだしてみる。
2010年 01月 11日
▲ お正月は家族が風邪をひいたこともあって、どこにも出かけず篭って(ま、それでなくても出不精なんだけど)のんで食べて寝て、いただいた年賀状に返事を書いた。いつものグッドセンスも、ひねりあるものも、定形賀状も。そして手書きもパソコン印刷も。何日かの間は郵便受けを開けるたびにはがきが届くのはうれしいものだ。掘り炬燵に足を入れると、つい机の上の賀状の束を繰っては眺める。「らしい文字」になつかしく見入り、写真つきのはがきには子どもたちの成長ぶりに声をあげ、それからもう長いこと会ってない人のことをしみじみと思う。
▲ 友人Eの賀状は家族で遊園地の急流下りかジェットコースターで下って来るとこ。「きゃあっ」と今まさに声を上げてる瞬間をとらえたもので、それぞれの緊張感とはじけた笑顔がたのしい写真だった。で、書き添えられた彼女のことばが奮っていて。曰く『ずっと歯を食いしばって乗るものだと思ってたジェットコースターは、「キャー」と大きな声を出して乗る方が「楽」なのだと気づいたのは40近くなってからでした。』
はがきのすみの方には小さな字で『人生もそう!?』とあって。ううう、深い!(笑)
そんなわけで改めて「ジェットコースターとジンセイ」を考える新年だ。
▲さて、先日届いた『GRAPHICATION』の特集は「理系と文系の間」で、インタビューには分子生物学者の福岡伸一さんが登場。(やっぱり!この特集やから出て来はると思った)理系にはまったく疎い、あるいは敬遠、恐れ多くて近づけないわたしだけど、この方の文章だけは別格。とりわけその中に須賀敦子さんのお名前を見つけてから、ちょっとは近く感じるようになった。(とはいえ、やっぱり難しそうなところはスルーする、という実にいい加減な読者だけど)
▲このインタビュー、氏が分子生物学に出会うまで・・・「本の虫で、同時に、虫の虫」つまり昆虫少年だった頃のお話から「捕虫網を置いて、ミクロの世界の実験道具を手に遺伝子ハンターに」なるまで、たのしく語ってはって興味深く読んだ。そうそう、最後の質問『福岡さんは文学書もよく読んでおられるようですが、それが研究上役に立つことはありますか?』にはこう応えてはる。
▲『直接ヒントになることはありませんが、物語を読んでいると、世の中は九十五%くらい失望でできていることが自明なこととしてあるのがわかります。(中略)人間は人類が誕生して以来、繰り返し同じことをやっているに過ぎないのだから、まあいいんじゃないかなと、諦める。諦観は文学が教えてくれたことですが、それは科学をやる上のヒントではなくて、科学をやる上の「よすが」にはなっていますね。』(以上インタビュー「理系・文系の溝を埋めるには」p23~25より抜粋)
▲ この記事を読みながら、ふっと友人Eの年賀状がうかんで。
今はもうジェットコースターに乗ることはないけれど、ジンセイの坂道では歯なんて食いしばらず「キャー」と派手に大きな声でも出して転がってみようと思うのだった。
* 追記
『Book Japan』にある北條一浩さんの書評 ■ を読むと福岡さんの『世界は分けてもわからない』(講談社現代新書)も読みたくなります。