よう来てくれて。
2010年 06月 10日
根っからの不精者だからここに越してきて植えたものと言うたら、食べたあとおもしろ半分で植えたアボガドの種と、ポスティングのチラシに添付してあった朝顔の種くらいで。
「花より団子、花より緑」派だけど、毎年その時期がくれば花咲く庭木や紫陽花は 忘れかけた頃にきまって顔をみせてくれる友だちみたいで、心がはずむ。今年も忘れないで、よう来て(咲いて)くれて。おおきに、と思う。
▲ 先日、散歩から戻った相方が「これ、郵便受けに入ってた」と一枚の紙きれを渡してくれた。
「何時かはお声かけて頂きましてありがとうございます」と流れるようなきれいな字で書かれたそれは、同じ町内にお住まいのMさんという義父母の友だちからの手紙だった。
かつて相方がパン屋修行のあいだ、二年近く今のこの家で義父母や祖母と同居していたから、義父母が親しくしていた方たちに買い物の途中たまに会うことがある。けれどみなさんもうかなりの高齢で、しかもあの頃からもう二十数年。わたしの事など覚えてはらへんかも と、あえて挨拶もせず通り過ぎるのだけど。
▲ ワインレッドのシニアカーに乗って颯爽と街ゆくMさんを見かけたときは思わず声をかけた。ちょうどその数日前に「ウチの前をシニアカーに乗ったMさんが通らはって、ちょっと話してん」と相方から聞いたところだったから。
この方、当時は短歌の会に入っておられタウン紙を開くと短歌のコーナーにはいつもお名前があったのでよく覚えていた。その頃,一人句作に励んでいた義父を「短歌もいかがですか」と誘ってくださった方でもあり。ジッカの母と同じ年(87歳)と聞いていたので親近感もあって、義父母の友人というだけでゆっくり話したこともないのに「Mさん!」と呼び止めたのだった。
▲ 「わあ、なつかしい。あなたがパンの箱に入れてくれてた手紙をお義母さんから見せてもらって、いつもたのしみに読んでいたのよ」と、手をとって懐かしがってくださった。(その昔、義母がご近所の方と麦麦のパンを「共同購入」してくれていて、Mさんもお客さんの一人だったのだ)
「長いこと足が痛くてね、どこにも出かけられなくて、悶々として。することもなく友だちに電話ばかりかけていたんよ。でもそんなこともだんだん虚しくなって。けど、コレに乗って外を自分ひとりで自由に走れるようになって、視界がひろがったよう」とMさんは少女のように笑う。
▲短歌は?と聞くと、ちょっと表情がくもり「家の中でばかり居たから。長い間なーんも浮かばなくて。でも、この頃こうやって外に出ると、やっと何か『感じる』ことができるようになってきた気がする」と仰るので「それやったら、ぜひまた短歌を!」と言ってその日は別れた。
帰ってから義母と母にさっそくこの日のことを報告。とりわけ同じ年の母には,足が痛くてもあきらめないで、と伝えたかった。
▲ さてさて、Mさんの手紙のつづきにはこう書かれていた。
「先日は短歌のことを言って戴きまして、ながく休んで居りましたが、久しぶりに一首出しましたので、お忙しいと思ひますが◯◯(掲載紙)を見て頂きます様よろしくお願ひ申し上げます」
わあ、また始めはってんや~と相方とよろこぶ。
このことを伝えるためにウチまでシニアカーに乗って手紙を届けに来てくださったのだ。
はげましたつもりだったけど。
力づけられたのはわたしのほうだ。