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いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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わたしのまんぞく。

▲ 梅雨だし、毎年のことなのだし、とわかってはいるけれど。
むしむし、じめじめに、気がつくと「あああ」とため息をついている。それでも朝昼夕とたっぷり汗をかき、夜ゆぶねにつかるとからだの底から「あああ」とマンゾクの声あげて一日はおわる。
だが、それも長くは続かず、むううと暑い寝室でまたもやため息をつくことになる。

▲毎年このころになると 開田高原の家の山寄りの部屋がしんそこ恋しい。ガラス戸を開けるとすぐ裏は山で、つめたいみどりの風がすぅーいと入ってくる。ササユリがひっそりとうつくしく咲いているのが見える。そうそう、村の古い家の多くは網戸がないから開けっ放しにしてると時々いろんな虫は入ってくるんだけど、気温が低いからゴキブリも蚊もいない。そんな部屋で寝転んで本を読みながら知らんまに寝入る、というのがわたしや相方の「満足」だったなと思う。

▲ この間さがしものをしていて、引越し以来そのままの段ボール箱をがさごそやっていたら古いノートの間から色褪せた紙が何枚か出てきた。それは学習雑誌の終わりのページにあった投稿欄を乱暴に破いたもの。よくもまあ、こんなのを残していたものだ、とわれながら呆れたり懐かしかったりで、しばし眺める。はるか昔 高校生だった頃、ラジオの深夜放送にこの雑誌に、とベンキョーそっちのけでよく投稿してた。深夜放送は小話みたいなものを、雑誌の作文教室は原稿用紙一枚が規定だったので、授業中の「内職」にはちょうどよい長さでもあり(苦笑)
はがきを番組で読み上げられた日や、雑誌に名前が出た時は友だちとわあわあ大騒ぎしたものだ。

▲なつかしの「学燈作文教室」(受験の国語『学燈』学燈社)の一等は金ペン万年筆、二等は高級ボールペン、優秀作品は二百円の図書券と書いてあった。(この「金ペン」「高級」「二百円」というのが泣かせマス・・笑)成果のほどはよく覚えていなけど、ええとこ「二百円」やった気がするなあ。いま調べてみたらこの雑誌は去年休刊となったようだが、わたしが高校生だった1970年代にはこの他にも『高◯コース』『高◯時代』という学習誌があってどちらにも文芸コーナーみたいなのがあった。(これらもずいぶん前に廃刊となったらしい)

▲ なんでこんな恥しい話を書いたかというと、先日読んだ俳人・今井聖氏の 『ライク・ア・ローリングストーン(俳句少年漂流記)』(岩波書店刊)は今井さんが中学2年のとき『中二時代』(旺文社刊)に初めて出した俳句が第一席で入選したところから始まったから。わたしみたいにしょぼい投稿少女と天才俳句少年では、スケールも才能もちがうから話にならんのだけど、投稿して次の雑誌がでるまでの間どきどきしてたときのことを思い出して、ときめくような気持ちで読み進めた。
今井少年はこれがきっかけで俳句にのめりこんでゆくのだが、この時の選者は石田波郷だったそうだ。

▲ 今井氏は1950年生まれ、とあるから、この時代の「ちょっと先行く」男のコだったらエレキかアコースティック、どっちにしてもギターやロックに走るかと思うけど。中学生から俳句に、というあたりが渋いというかおもしろい。そうしてどんどん腕をあげた今井少年、高校生になっても雑誌に新聞に、と投句を続ける。学習雑誌の投句欄の選者は石田波郷のあと秋元不死男や楠本憲吉、そして寺山修司へと替わる。寺山が劇団「天井桟敷」を始めた頃のことだ。

▲ ところが今井少年、どうも寺山嫌いだったらしい。『寺山は前衛であり、反権力であり、インテリジェンスであり、異端であって、啓蒙的であった。それはその当時も感じていた。だからこそ、というべきか、ど田舎の十六歳はその挑発に乗るわけにはいかなかった』(p11)とある。で、寺山の俳句にたいする思い、批判、『あんたに俳句欄の選者になる資格があるのか(寺山修司の俳句は、当時ごく一部の寺山マニアにしか知られていなかったと思う)』なんてことを長々と書いて、選者寺山修司に書き送ったらしい。すごーい!

▲ そんな手紙を二、三通書いたある日(←わあ、一通だけやなかったんや・・・)投稿欄の誌面に寺山からの返信が載る。
自分はこれこれこういういきさつで俳句も書いている、という説明のあと
『今井君。細かいことをこせこせ言わずに、ホーマーの 「イリアッド」や「オデッセイア」でも読みなさい』と。
いやあ、わらった。わらった。未だ「イリアッド」や「オデッセイア」も知らんわたしが言うのもナンだけど、あの頃の寺山修司に噛み付く十六歳も、それに「細かいことをこせこせ言わず」本を読みなさい、と返す寺山もいいなあ。サイコー。(つまり 「書を捨てる」のはそれから、ってことやね~と今ならわかる)
若いというのはどこまでも恥しいけど、ほんますごいね。

▲ 今井少年、このあと京都で二年間の浪人生活の末、東京で大学入学。時代は70年代。学生運動に、俳句に。今井青年はこけたり駆けたり。やがて加藤楸邨主宰「寒雷」に。大きな口あけて笑いながらの読書だったけど、俳句への思いや「いつも新しい領域に挑戦している」師・加藤楸邨のきびしさには、背筋がのびるようだった。
それから、合間に語られる獣医のお父さんの話も、病弱なお母さんの口ぐせ「しずかにするだが」のエピソードも可笑しくて、哀しい。そんなお母さんが五十五で亡くならはったときの今井聖の句。
『朝焼へ微塵となりてゆきにけり』

*追記
その1
友部正人さん(今井さんと同じ1950年生まれ)がこの本の書評を book japan に書いてはります。

その2
わたしの作文への寸評で思ったこと。
「もっと若い女性らしく」とか「最後の二句はいただけません。いかになんでも女だてらにアラレもない」とかあって。(←評だけで、原稿は掲載されてないので内容は不明だけど。いったい何書いたんやろ?・・苦笑)
38年前はこんなとこにまで「女のコらしさ」を要求してたんやなあ、と・・「時代」を感じます。

by bacuminnote | 2010-06-29 23:08 | 俳句