いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

ことばの海。

▲ 目が覚めたら、障子のむこうが白く明るかったから。
大きく伸びをしてぱっと起きる。目覚ましが鳴る前の起床も、梅雨の合間の晴天も。それだけで、なんかうれしい朝だったから。今日は特に用事もないし、ええ天気やし、この間から大雨や台風で行きそびれてるうちに、退院したという 母の様子をちょっと見に行く事にして、大急ぎで支度する。
というても、お化粧するわけでなく髪をとかすわけでもなくおしゃれするわけでもなくて。結局のところどんな本を持っていくか決める、ってくらいのもんなんだけど。うまい具合に前日ご近所さんが貸してくれはった 『舟を編む』(三浦しをん著)と、母にはバウムクーヘンと水ようかんをバッグに入れてしゅっぱつ。

▲ 『舟を編む』は何年もかけて辞書編纂する編集者たちの物語だ。
たまたま先月下旬から朝日新聞の夕刊に『日本語の海へ』という連載が始まり。この本を貸してくれた方が「くみこさん好きそうやから」と新聞を届けてくれはったんだけど、その第一回がこの本『舟を編む』の著者、三浦しをん氏と三浦氏が取材したという広辞苑(岩波書店辞典編集部)の平木靖成氏の紹介記事だった。この平木さん、ご趣味はありますか?と聞かれて「駅のホームにあふれた人がエスカレーターに整列して吸い込まれていくのを見るのが好きです」と答えてはるんよね。(←サイコー!)

▲二回目は『舟を編む』からは離れ、普通の辞書に載らない漢字を集めた『当て字・当て読み漢字表現辞典』を出した笹原宏之氏のエピソード。いわく「小学4年のころ、兄の漢和辞典をのぞいて不思議な文字に魅入られた。貯金をはたいて中学1年で諸橋轍次(もろはしてつじ)の大漢和辞典全13巻を買う。せっけんで手を洗い、正座して読んだ」(朝日新聞夕刊5.23より抜粋)
いやあ、もう、こういう愛にあふれた「オタク」な話だいすきデス。

▲ 辞書といえば、忘れられないことがある。
わたしが生まれ育った家は人が出たり入ったり、年中ばたばた、がさがさとせわしないウチで、「大人が本を読む」という環境ではまるでなかった。
家には父の愛読書の『会社四季報』(苦笑)がごろごろしてる他は、母の大昔の(文学少女やった頃?)本と、姉たちの本くらいしかなかった気がする。
けれど、わたしが小学三年か四年のころのこと。大阪に住む従姉妹の子どもが(わたしはいとこの中で最年少だったので、すでに結婚して子どものいるようなうんと年上のいとこも多かった)喘息でお医者さんに転地療養をすすめられれた、とかで、ウチに夏の間滞在することになって。

▲ 末っ子のわたしは自分より小さい子がそばにいてうれしくて、一緒に遊んだり、いとこが「ちょっと牛乳買ってきてくれる?」とか言うと、ほいほい喜んで買いに行ったりしてた。
そのかん一ヶ月だったか二ヶ月近くだったか、そしてかんじんの療養の成果があったかどうかは覚えてないけど、いとこと子どもはやがて大阪の家に帰って行った。
その後、お世話になったお礼に、と当時出たばかりの「平凡社 世界大百科事典全巻」と「広辞苑」それに、「本がすきなくみちゃんに」と講談社の少年少女世界文学全集から何冊か送ってくれはったんよね。いとこの夫君は大阪で書店をしてはる、ということだった。

▲しかし、なんてエエ親戚なんやろ。家に本が売るほどあるって(というか本屋なんやけど・・笑)どんなんやろ、と、うらやましかったし、何より、ほんまに最高にうれしい贈り物で。もうそのどれもが手元にはないんだけど、応接間に並んだ百科事典と広辞苑は、その手触りまでわたしの中にしっかり焼き付いている。
そうしてわたしの「しらべもの」好きはいっぺんに拍車がかかった気がする。以後、はじめてのこと、わからないこと、親に聞けないこと、何でもかんでも「百科事典と広辞苑」やった。

▲ さて、地下鉄乗るなり開いたこの本、案の定「ここはどこ?わたしはだれ?」状態になってしまった(苦笑)。なんとか乗り換え駅に着く寸前にはっとして「ここはどこ」か確認、無事下車。近鉄に乗り換えてからもずっと下向きっぱなしで、やっぱりジッカのある駅手前で「はっ」と本から目をあげた。(この「お、もうすぐかも」という感覚は、5月6月、とよしの通いをした成果かも~)
そんなこんなで、帰りの電車のなかにて無事読了。内容もわたしの読み方も、ちょっと一気に走りすぎた気もするけど、たのしい読書時間となった。

▲それにしても。
辞書編纂のたいへんさは以前から少しは見聞きしてたけど、これほど時間も人の手も入っているものだったとは。
時代の流れ、人の生活志向の変化・・生き物である言葉にこれで終わり~はないんよね。
くわえて、辞書の体裁や紙の話は知らないことばかりで興味深かった。紙質ひとつとっても、できるだけ薄く、でも裏の字が透けることなく、しかも一定の強度も不可欠。それに頁を繰る指の感触など。文中 製紙会社の人のいう「やや黄色味を帯びた紙のなかに、ほのかに薄く赤味が差すでしょう。こういうぬくもりのある色合いが出るまで、試行錯誤しました」には、すごいなあ。ああ、もうこれは紙に恋してはるんやな~と。

▲そして、主人公の馬締(まじめ)を営業部から新しい辞書『大渡海』を編纂すべく辞書編集部に引き抜いたベテラン編集者 荒木と監修者 松本先生のやりとりに、あらためて子どものころから佳き「舟」にであえたシアワセをおもう。

「辞書は、言葉の海を渡る舟だ」魂の根幹を吐露する思いで、荒木は告げた。
「ひとは辞書という舟に乗り、暗い海面に浮かび上がる小さな光を集める。もっともふさわしい言葉で、正確に、思いをだれかに届けるために。もし辞書がなかったら、俺たちは茫漠とした大海原をまえにたたずむほかないだろう」
「海をわたるにふさわしい舟を編む」松本先生が静かに言った。
「その思いを込めて、荒木君とわたしとで名づけました」
』(p27)





*追記

■小説もおもしろかったけど、やっぱりリアルに言葉の海で泳いだり、潜ったりしてはる人の話はもっと刺激的です。朝日新聞(わたしは購読をやめて久しいけど)夕刊の連載は辞書の話から方言の話、縦書き横書きの話しまで~とてもよかったです。
調べてみたらwebでは→第一回のみ読めるようになっており、
あとの回は有料記事(!)でした。機会があれば図書館などで読んでみてください。 (5.22~)



■いつものように、電車の中の読書話を書いてたら、よしののこと母のこと書けないまま終わってしまいましたが。
おかげさまで、母は元気に杖つきながら一人で歩いており、びっくり。来月の誕生日で満89歳なり~
[PR]
Commented by lapis at 2012-07-01 04:09 x
母語と外国語との狭間で、混沌の大海原に漂っている私には、
とても興味ある内容で、何度も反芻しながら読ませていただきました。
外国語の中で生きていると、いかに日本語が豊かな言葉であるかということを身に沁みて感じます。
それとともに、言葉が生きているものであれば、私の中での日本語は時間を止めてしまっていることも折に触れて感じています。
反対に、現在の生活語である英語についても、ここで生まれ育った人たちでなければ決して理解し得ない部分が余りにも多過ぎることにも気づいています。
二つの言語の間で、どちらにも属さず、どちらにも属せず、藁をも掴む思いでめくる辞書のどのページにも光は見えず、思いは届かず、そして、櫂のない舟に乗る私は、言葉の海原をただあてもなく漂うばかりです。
Commented by baku at 2012-07-01 17:18 x
lapisさん。
とても意味深いコメントをいただき、何度も読み返しています。ありがとうございます。「言葉」はわたしにとって「真ん中」にある関心事なのだけど(だからこそ)思いはあふれるばかりで、うまく書けなくてもどかしいです。

数年前に読んで、いまも折にふれて読み返す本があります。それは『徐京植:多和田葉子 ソウル・ベルリン玉突き書簡 境界線上の対話』(岩波書店)という本で、在日朝鮮人二世の作家である徐さんと、母語である日本語にくわえ、ドイツ語での詩や小説を発表している多和田さんによる往復書簡です。

この中には何度となく母語、外国語についての話が出てくるので、このことをlapisさんへのお返事に書こうと、何枚も貼ってる付箋の頁を繰ってるうちに、ああ、こんな話もあったなあ、と読み込んだり、それをまた相方に話して聞かせたりしているうちに(苦笑)自分の中でも整理がつかなくなってしまいました。

今日はここまでにして、(このことについてはいっぱい話したいことがあるので)改めてゆっくり書きたいです。

むしむし、ほんまに暑い大阪にて。
Commented by こゆき at 2012-07-01 17:42 x
『大渡海』じゃなく、『舟を編む』を編んだ編集者の遊び心に気づいた?
これを思いついたときの編集者たちの「そのアイデアいいね!」って顔が思い浮かびます。
気づいてなければ240ページを!

この小説とってもおもしろかったけど、私には編集作業がずいぶんあっさりとしか書かれてないなという印象で、そこが残念でした。
Commented by baku at 2012-07-01 22:03 x
こゆきchan
あらら。流れにのってすいすい読んで、気がつきませんでした。教えてくれてありがと。
ああ早くみたいです P240!(明日みせてもらいます)

こゆきchannの感想はやっぱり「本を書く・つくる」現場のひと、ならではの視点なんやろねえ。
わたしは登場人物の名前と料理人の描きかたがちょっと不満でした。それにしても、本をつくる、ってみんなでつくるんやね~
Commented by baku at 2012-07-01 22:21 x
lapisさん。
再度。夕方ここに書いてからご飯の支度しながら「翻訳」のことをふと考えていました。ふたつの言語(たぶんそのひとつは母語)の間を行き来する、という行為。前にここにもちょっと書いた気がして、さっきしらべてみたらありました(2009.4.7「ドアくらいは開けてみよう」)

『対話というのは手わたす言葉だ。翻訳というのもそうだ。翻訳というものの根っこのところにあるのは対話だ。翻訳はいわば一つの言葉ともう一つの言葉のあいだの対話の記録だ。』長田弘さんの『自分の時間へ』でであったことばです。

いつもふたつの言葉を行き来する日常というのは、わたしには想像できないんだけど、その孤独やもどかしさ、しんどさは、だけど、そのひとしか持てない言葉の世界、というのがあるのだろうなと思いました。

ああ、結局『玉突き書簡』については書けませんでしたけど。
本のデータ↓(岩波書店)
http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/0237180/top.html
Commented by こゆき at 2012-07-01 23:06 x
そっか、bakuさん手元に本ないのね。
とっくに気づいているかも。借りてくるほどのことじゃないかも。
『大渡海』の装丁が、そっくりそのまま『舟を編む』のデザインなんですよ。
それだけです。

装丁は、編集さん(やデザイナーさん)が、その本にぴったりと思って着せるお洋服。
Commented by baku at 2012-07-02 18:01 x
こゆきchan
再びコメントです。
見ました!見ました、240ページ!(わたしのあと、ご近所巡回中の本を今朝「240ページ!」とうわごとのように言うて 見せてもらいましたw)
もしかしたら、あの場面かなあ~と昨日から考えてた候補の場面だったので「当たった!」と思ったw。
本に関わったひとたちの「よし、これでいこう~」的盛り上がりがなんか浮かぶようです。

そういうたら、昨日の朝日には大野晋さんの「古典基礎語辞典」のことが『舟を編む』の松本先生に絡めて、書かれてましたね。(と、これ書いたあと、こゆきちゃんのコメントに気づく。サンキュ!)
http://www.asahi.com/culture/update/1001/TKY201110010
162.html
Commented by やまかん at 2012-07-02 22:09 x
”舟を編む”は面白かったですね~
金田一春彦先生の講演会で聴いた
話を色々思い出しました。
それと、「新明解」の出来の良さを
再認識しました。 うん うん

なんといわれても 「新明解」ファンです。
Commented by baku at 2012-07-02 23:11 x
やまかんsan
おお「新明解」ファンでしたか~
ちょっとうろ覚えなんですけど、向田邦子さんのエッセイに(「眠る杯」か?)辞書の話があって、あれはたしか「新明解」からの引用やったんとちゃうかなあ~と思い出しています。

わたしは広辞苑のほかでは中高生のころから金田一京助さん「新選国語辞典」(小学館)でした(←最近は老眼のためネット辞書が多いデス)いま見たらこの辞書1965年(昭和40年)の改訂新版(古ぅ!~)

これまで辞書のはじめにある編者の言葉とか、気にもとめなかったのですが。

今読んでみたら「改訂に当たって」という文章が、そのまま『舟を編む』の中にでてくる辞書編集部のひとたちと重なって、感慨深いものがあります。ちょっと長くなりますが一部引用してみます。

『この「新選国語辞典」の初版が出てから今日まで、まだ二年あまりしかたっていませんが、わたくしどもは、ここに改訂版を出すことにしました。
この辞典が思いのほかの好評をもって世に迎えられただけに、小さなミスや不備が目につくたびに、編者としては、はなはだ心苦しく思ったからであります。

人間のする仕事に完全ということはありえないとはいうものの、大事な言語生活や国語学習の案内役となるべき辞典をきずをもったままにしておくことは、生み出した責任者として、心安らかでおられるものではありません。

そこで一日も早くと急いで取り運んだのでありますが、どうせ手を加えるからにはと欲を出して、見られるとおり、分量もはるかに多く、旧版とはすっかり姿を変えたものを作り上げました』
(「改訂に当たって」 昭和36年12月1日)


この文章のなか「人間のする仕事に」のくだりを読んでいると、思いはいつのまにか原発に。
Commented by やまかん at 2012-07-03 23:23 x
春彦さんは、父親(京助さん)の仕事について、面白く語って下さいました。
「仕事をせずに、名前だけトップだとか」笑

そう、人間だからミスはあります。
素直にミスを認めてほしいです。
使いこなせないのなら、それは道具とは呼べないですね。

失敗は成功の素、
気付かなければ只の失敗です。
Commented by baku at 2012-07-04 12:48 x
やまかんsan
金田一親子の話、興味深いです。

わたしは、この前やまかんさんからここにコメントいただいてから、自分ちにある辞書探索に、はまり(苦笑)はじめのことばや「付録」など読んでます。おもしろい。
 
そういえば、わたしtwitterでは「しんかい」さんをフォローしてるんでした。
新明解国語辞典bot(非公式)→bothttps://twitter.com/#!/shinmeikai_bot


>使いこなせないのなら、それは道具とは呼べないですね。

そのとおり!
再稼働反対。
Commented by こいまき at 2012-07-09 10:16 x
私も「しんかいさん」ファンです。でもツイッターがあるのは知らなかったな。さっそくフォローしよっ!
「舟を編む」は図書館に予約中。早く読みたい。
Commented by baku at 2012-07-09 13:44 x
こいまきsan
コメントおおきにです。

>私も「しんかいさん」ファンです。
おお、そうでしたか~ 
聞くと周囲にけっこうファンの方多し、です。
わたしは『舟を編む』を読んでから家中の辞書開いて!はじめのことばや後記などを読みまくってます(笑)あと、付録、とかもね。今まで読むことなかったけど、読後にこれらを開くと感慨深いです。
こいまきさんもぜひ。
by bacuminnote | 2012-06-27 21:15 | 本をよむ | Comments(13)