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いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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そのなかのひとつ。

▲この間 友人が「朝、土手を歩きながらいつも思う。今度生まれてくるときには、小さな鳥のように罪のない生き物に生まれてみたい・・」とツイートしてた。(←そう言えば、tweetって「小鳥のさえずり」という意味やったよねえ~)
自然の中で生きてゆくことは決して甘いもんやない、のはわかってる(つもり)。けど、そのきもちワカル。友のツイートは「次の瞬間、おまえ中学生か?とひとりでボケ&ツッコミする・・・」と続いて。散歩の途中ぶつぶつ独り言の友の様子が目の前にうかぶようで、笑ったあと「しかし、キミ、きょうびの中学生がそんなこと夢想するか?」とわたしもつっこんでみる(笑)

▲それでも。
朝、いくつも重なるいろんな小鳥の鳴く声を近く遠くに聴きながら、そろり庭にでて洗濯物を干してると、友よ、わたしもそんなことを思ったりする。そして、鳥になってさみしいあの人のとこや、たのしいあの人のとこに飛んでく。(などと、もっと甘いことを想像してる・・苦笑)
「小鳥来て幸福少し置いてゆく」(星野椿)

▲ この間から宮本亜門さんが気になっている。
きっかけは『THE BIG ISSUE』(2012.5.1 190号)で愛読してる連載コラム「自閉症の僕が生きていく風景」の東田直樹さんが宮本亜門さんと対談、という特集記事を読んでから。
この対談、とてもとても心に沁み入るすばらしいもので、もともと東田さんのコラムと、文章から湧く東田さん像には 惹かれていたけど。この対談記事読んで「違いがわかる」コーヒーのCMでしか知らんかった(・・すみません)演出家の宮本亜門さんもあわせて、いっぺんにふたりのファンになった。

▲ なんで対談相手が宮本さんかというと、彼もまた東田さんのコラムの愛読者やそうで。それは記事はじめに載ってる写真の東田さんに向けてはるうれしそうなやさしい視線でもよくわかる。
これ、ほんまにええ笑顔、ええ写真で(by高松英昭氏)『対談に同席したみんなが、二人の間で繰り広げられたすばらしい時間を共有した』とあったけど、その空気が写真にもちゃんと写ってるんやろなあ。

▲ この対談の中で宮本さんが「僕は子どもの頃ひきこもりで、自殺をしようと思ったことがあった」とあったのがずっと残っていて、どんな子ども時代を過ごさはったんやろ、と思ってた。さっそく図書館で『わたしが子どもだったころ3』という本を見つけて読んだ。この本は同名のケストナーの本ではなく、各界で活躍する人たちにその子ども時代を語ってもらう、というNHKの番組名らしい。その中での発言をまとめたのがこの本で、小さい子にも読めるように難しい言葉には注釈がついている。
宮本さんが生まれ育ったのは新橋演舞場前の喫茶店。『話し相手は大人、それも役者さんや芸者さんばかり。学校から帰ると芸事に夢中になっていたから、みんなが見るテレビ番組の話題にもついていけない』

▲ そのころ宮本少年がすきだったのが仏像。写真集で仏像を見て、以来その美しさにとりつかれ、中学生になると小遣いをためて一人夜行列車に乗って奈良や京都通いが始まる。
『向源寺の十一面観音の腰つきのなんとエロチックなこと、中尊寺の弥勒さま、洋の東西、時空を越えたような神々しさ、東大寺二月堂に並ぶ三尊のぞくっとするほどの美しさ、薬師寺東塔の、空を背景に屹立(きつりつ)するアンバランスでリズミカルなたたずまい・・・』(p79より)
すごいなあ。ひとり、夜行列車に乗って出かけていく熱情にリスペクト!

▲ 少年は男の子がおもしろがるちょっと暴力的な遊びにもついていけない。でも、そんな自分をさとられまいと、皆と一緒に笑おうとして。《本心を偽って、みんなに合わせてる自分はうそつきだ》と、どんどん人とのコミュニケーションを警戒するようになる。
その後、高1のとき寮生活で体をこわし不登校に。そうしてそのまま引きこもり生活。宮本さんはその間(かん)部屋のなかでミュージカルからクラッシックまでいろんな音楽を聴いて、聴いて、聴きこんでいたそうで。音楽が大きな救いだった自分の思春期を思い、これにはしんそこ共感。

▲翌年、お母さんのすすめで某大学病院の精神科を受診したときのこと。先生の気さくな問いかけや診察室にあった弥勒菩薩のレプリカに少し心が軽くなって、宮本さんは仏像のことを話し始める。
「ぼく、東大寺の戒壇院の四天王が好きなんです」
「わたしも四回くらい見たかな」
「ぼくは五回以上」
「すごいねえ」
という展開に。

▲ほんまに人はどこで何に、だれに、会うか、わからへんねえ。
このあと、凍ったきもちはすこしずつ、ゆっくりととけてゆく。よき人に出会ったからか、もうその時がきてたのか、その両方なのか。
そして何より、ずっと部屋のなかでひたすら音楽を聴いていた時間もまた「大事な時間だった」と、べつの場所で宮本さんが言うてはるのも読んで頷く。

▲ 「であう」といえば、いまこれを書いていて、数年前に観た『明るい瞳』(ジェローム・ボネル監督・脚本)というフランス映画を思い出した。
ちょっと風変わりで、不器用で。だから皆に理解されず、コミニュケーションがうまくとれない主人公ファニーという若い女性の物語なんだけど。映画のコピーはたしか「ことばは通じるがきもちが通じない。ことばは通じないがきもちは通じる」というのだったと思う。(←公式HPはもうなかったので確かめようもないのですが)

▲そんなファニーが同居していた兄夫婦の家を出て、言葉の通じないドイツ人の木こりの青年と出会う。でも、ただ恋してハッピーエンドというのではないんよね。90分もない短い作品だったけど、とてもよかった。劇中いちばん心に残ったことばがこれ。
《自分にとって「上手く呼吸のできる世界」っていうのが、きっとどこかにある》

▲子どもも若いひとたちにも、せやから、「ここ」がすべて、って思わないで、とつたえたい。家が、親や家族が、学校が、生まれ育った場所が、合わないこともあるかもしれない。(わたしの周囲にはわたしも含め、むしろ「合わなかった」友だちのほうが圧倒的に多い)息苦しいかもしれないけれど。「ここ」は one of them でしかない。
どこかに「上手く呼吸できる世界」はある。きっとあるはず。甘い、と言われるかもしれないけど、わたしは自分が子どものときも、親となってからも、いまもずっとそうおもってる。


追記
その1
宮本亜門さん関連ではもう一冊『親子論。』(終刊朝日編・朝日新聞社刊)も読みました。文字通りいろんな親子の対談集。宮本父子の対談で印象深かったエピソードを。
宮本亜門さんの亡きお母さんと12歳年下だったお父さんは恋愛結婚なんだけど。当時お母さんの須美子さんは43歳。前夫との間にふたりのお子さんがいてはったとか。ケイオー出のお坊ちゃんだったお父さんと元SKDレビューガールの美しいお母さんの愛の結晶が亜門さん。
そのお母さんが亡くならはったとき、病室でのこと。
亜門「おふくろが死んだとき、親父が優しくキスしてたのが忘れられない」
父「髪が乱れておいたから、それを直して綺麗にしてあげないと、と思ってね。そしたら急にキスしたくなっちゃって。大好きだったよ、って。惚れてたし、本当に美人だったんだよ」

いいなあ。いいお話。

その2
『明るい瞳』予告編

その3
蛇足ながら
『小鳥来て幸福少し置いてゆく』の作者は星野立子の娘、高浜虚子の孫娘さんです。
by bacuminnote | 2012-07-08 20:55 | 本をよむ