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いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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たまってる。

▲ 長いこと待ったかいあって、あたりまえの秋の日和がいちいちうれしい。見上げた空の青色も、長いうろこ雲も。やわらかな陽射しの中ゆれる洗濯物から干した布団さえ。
春より秋、と思うのは寒から暖へとゆるむ空気より、暑さから涼しさに、やがて寒さにむかう道行きのその引き締まるような感じが好きだから。
さっき調べ物をしていたら、古いノートにメイ・サートンの本のこんな一節をメモしているのをみつけた。
『この書斎に射している日光は、あの秋特有の白さで、あまりに澄明なので、それにふさわしい内部の行為を要求するかのようだ……明確にせよ、明確にせよと。』( 「独り居の日記」(メイ・サートン著/ 武田尚子訳/ みすず書房刊)

▲ この本を最初に手にしたのは下の子の保育園の「豚豚(とんとん)文庫」という保護者向けの本棚だったから、十何年も前のことだ。信州の山の中の小さな保育園でメイ・サートンに初めてであえたことも、何よりそんな保育園にであえたことも、いつもうれしく誇りにおもっている。
だけど40代のあの頃と今では「独り」の思いようもすこし変わってきているのか、ことばのひとつひとつが沁みてくる。いつかまたもう一度読んでみようとノートを閉じた。(件の調べ物のことなどすっかり忘れてしまってるのは、いつもの事だ)

▲ この夏は暑くて必要な用事以外は極力出かけなかったけど、暑いのに(←しつこい)次々と本を読んだ。読んだ本がたまると(本はほとんど図書館で借りるので「たまる」のは本ではなくて、本から得たもの、感じたこと、考えたこと)だれかと話したくてうずうずして。まずは身近な相方にしゃべる。ときには息子に。けど、彼らとは読書傾向がちがうからか、何か もひとつ盛り上がりに欠けるんよね(苦笑)
で、やっぱり同じような本が好きな友だちと話したくなる。きっと彼女も、と思ったら「そろそろ会おか。たまってるで」(笑)とうれしいメールがくるのであった。

▲会うと前略、中略でいきなり本の話だ。◯◯はもう読んだか? あれ、どう思う? その本知らんかったなあ。あ、ちょっと待って。忘れたらアカンし手帖に書いとく。そういえば、この間言うてたあの本読んだで・・・と話はつづくよどこまでも。
そうしてお互い教えあった本が図書館にないときは、同じ作家のべつのものを読んでみたり。そのうち思いもよらない所に寄り道して「たからもの」を発見することもあって。ああ本読みは愉し。

▲ 野坂悦子さんという翻訳家の名前を聞いたのも彼女からだった。薦められた『小さな可能性』という本の予約待ちの間に読んだのが野坂さんの翻訳の 『ぼくの小さな村 ぼくの大すきな人たち』(ジャミル・シェイクリー作 / アンドレ・ソリー絵/ 野坂悦子訳 /くもん出版刊)表紙の絵も(本文中の絵も!)とてもいい感じで、本を開くと「母さんへ」とある。作者のジャミル・シェイクリーさんは1962年イラク北部のクルディスタンで生まれる。イラク軍のクルド攻撃を逃れて1989年ベルギーに。その後オランダ語を習得して7年後にこの本をオランダ語で発表したそうだ。

▲ ここ数年 母語でない言語で書かれた小説を読むことがよくあって、その後ろにあるきびしい現実も、そんな中での「外国語」の習得に、しかもその言語での創作に、ただただすごいなあと思う。
この本はそんなシェイクリーさんの子ども時代の思い出をもとに書かれている。主人公の「ぼく」は五才のヒワ。両親とカジェという妹と山のなかの小さな村に住んでいる。物語はヒワの目を通して学校(ここではアラビア語!)のことや、友だちとうさぎを捕まえに行ったこと、村を挙げての結婚式・・おだやかで微笑ましい平和なくらしが描かれる。

▲ 悲しくてやりきれない事も起きるんだけど、お話の底に終始ながれてるのはユーモア。会ったこともないヒワのえがおや周囲の人たちの顔までうかぶようで、この140ページばかりの(字も大きい)本を読む間になんべんも泣き笑いするのだった。
新聞読んでもネットのニュース見ても、海外の動向に素通りしてしまいがちなわたしには、この児童書のなかにも知らなかったことがいっぱいあった。あわてて地図で確認したり、読み返したりしながら、この本を手にする子どもたちが(もちろんわたしのようなおとなも!)「知る」ことの一歩を踏み出しますように、と思った。
そうそう「ヒワ」という名前はクルド語で「希望」を意味する言葉なのだそうだ。

*追記*
野坂悦子さん「クルド人作家 ジャミル・シェィクリーを訪ねて」という文章が 『児童文学書評』にありました。
by bacuminnote | 2010-10-03 11:29 | 開田村のころ