いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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おとうちゃん。

▲ 日中はまだまだ「残暑」がなかなかしぶといものの、見上げた空はもうすっかり秋の青色。そんな中にすいーっと白い雲がたなびいてきれい。「ああ、秋」としばし立ち止まる。買い物帰り、長袖シャツにびっしょり汗かきながら「まだこんなに暑いけど、ほんまに、もう秋やよね?」と念を押してるような自分がおかしくて一人笑ってしまう。

▲こんなふうに秋の始まりはぼんやりしている事を、暑い長い夏のあと、いつも忘れてしまってる。
この間の夕飯には今季はじめての鍋、一昨日は鶏肉と大根と小芋の炊いたんを拵えてみる。これがもうじーんとくるくらいおいしくて。ちょっと前までは湯気の出るたべものが欲しくなかったのに。やっぱり秋やな~(←しつこい)

▲十月は思い出ふかい月だ。
滋賀・愛知川(えちがわ)でパン屋を始めたのが1987年10月8日。父が逝ったのはその前の年の18日。だから父の一周忌には 開店間もない営業日で帰省できず、そのかわりお供えに箱いっぱいパンを送ったっけ。

▲そして今年は早や二十七回忌やねん~と先月母から電話があった。
大きな手術を何回もしてたし、最後はものすごくしんどそうやったから。長い闘病生活がお終いになって、こころからおつかれさま、という気持ちだったけれど。自分や相方がその年に近づいてくると、なんぼなんでも64歳は早かったなあ、とおもう。しみじみ そうおもう。

▲ もうここにいない人の悪口を言うのもナンやけど(言いたいことは山ほどある・・)うちのお父ちゃんは究極のジコチューな人やったから、妻をだいじにする、子どもをかわいがる、という意識がみごとに ぽこんと抜けてる人やったんよね。
子どもの頃の写真をみると・・・もっともわたしは四女(末っ子)ってこともあり、写真が少ないのだけど、父と一緒に写ったものは一枚もない。けど、気難しい人かというとそうではなくて、痩せてて長身で笑顔のええ人で、知らん人はみな口をそろえて「やさしそうなええお父さんやねえ」と言わはる。

▲ 日野草城(ひの・そうじょう/ 1901~1956)に『秋風や つまらぬ男 をとこまへ』(『花氷』所収)というのがあって、この俳句にはじめてであった時、思わず大きな声で笑ったあと、いちばんに浮かんだのがお父ちゃんの笑顔やったんよね(苦笑)

▲生家は郷土鮓と旅館をやっていて、父はたしか調理師のはずだったし白衣姿もきりりとかっこよかったけど、厨房に立ってたのは板前さんや ぼんちゃん(見習いさん)と母。父はたいてい帳場で座って「しんせい」をすぱすぱ吸いながら、甘い紅茶のみながら(下戸で甘いもん好き)日経新聞とか開いてた気がする。
で、ときどきはいなかった。

▲父がいないと皆が「だんなさんは又大阪へシュッチョウでっか?」と言うので、幼いわたしは「出張」という仕事してるんや、とばかり思っていたが、いつからか どうやらそれは「大阪に遊びに行ってる」という意味でもあると知る。

▲ 遊ぶ、いうてもね、子どものそれとは違うことくらいは、おませなわたしは熟知してたから、そのうちお父ちゃんは「シュッチョウ帰りに舶来のチョコレートや豚まん買ってきてくれる人」から「世界一嫌いな人」となった。

▲とにかく家業は年中忙しくて、親にはかまってもらえへんし、で 寂しい思いをすることも多かったけど、何よりのすくいは、住み込みの仲居さんや板前さんやらがみんな可愛がってくれたことやと思ってる。当時の仲居さんはいろんな事情を抱える人が多くて、我が子と離れてウチに住み込んでる人もいて。だから余計に幼いわたしをだいじにしてくれたのかもしれない。

▲やがてわたしも大人になり、父はその頃から次々と大きな病気をするようになり。それに、いっこも仕事をしていないようにみえた父の、しかし頭の中には仕事へのあたらしいアイデアが一杯あり、それなりの仕事をしていたのだ、と知るようになる。
「こんどな、お父ちゃんこんなんしようと思うねんけど、くみちゃんどない思う?」とか言うてね、よく広告の裏に下手くそな絵を描いて自分のアイデアをうれしそうに披露する父だったけど。じっさい結構ヒットを飛ばしてたなあ。

▲ 父の法事の知らせにこんなことをつらつら思い出してる中、一昨日『少年と自転車』という映画を(DVDで)観た。ベルギーのこの監督(ジャン=ピエールと弟のリュックの兄弟)の作品には厳しい環境で育つ子どもたちがよく描かれる。
いつだったか彼らへの会見のインターネットの記事の中で「何故少年少女・・若い人を取り上げるのか?」という質問に、監督が「少年や少女には、変われる可能性があるから」と答えた、というのをよく覚えている。それはわたしがよく読んでいるヤングアダルトの本に感じる希望とかさなっている。

▲主人公のシリルはもうじき12歳になる赤いシャツのよく似合う少年。父親は自分をホーム(児童養護施設)に預けて姿を消す。じきに迎えに来てくれるはず、と思っているシリルはすでに父は「引っ越した」と告げられても信じることができず、繋がらない電話を何度もダイヤルする。あげくこっそり抜け出してかつて住んでいたアパートに探しに行くんだけど、当然だれもいなくて。それに、父に買ってもらった自転車もなくなっている。

▲ ある日、この自転車が彼の元に届けられて、物語は「少年と自転車」だけでなく、自転車を探して(父が売り払ったものを買い戻し!)ホームまで届けてくれたサマンサ~のちに彼にたのまれて「週末だけ里親になる」ことを承諾した美容師との物語に展開してゆく。
わたしは前に ここで書いた『サラスの旅』( シヴォーン・ダウド 著/尾高薫 訳/ ゴブリン書房刊)を思い出していた。
親子は一緒に暮らせるに越したことはないけど、子どものそばに寄り添う人は必ずしも「生物学的」な親じゃなくてもいいんよね。

▲いつも思う。ここでも何回もくり返して書いてることやけど。
子どもの世界は自分の意思で動ける範囲がとても狭いから、家とか親とか友だちや学校がそのすべてみたいに思いがちだけど。それらは子どもにとってワンノブゼム(one of them)。子どもの元気の素になれる人や場所が、どうかひとつでも多くありますように。そして傷ついた子どもが救われるためにも、「変われる可能性」のためにも、弱い立場の側に立つ(寄り添う)社会や政治でなくては、と改めて強く思う。


*追記 (いつも長くなりますが)
その1)
シリルを演じた少年は演技経験のない子らしいけど、自転車でいつも走って走って走る赤いシャツの姿に、どこにも留まることのできない不安をかんじて、ぎしぎしと胸が痛かったです。それから劇中一度も(たぶん)出て来なかった「ママ」ということばも。
それだけに最後のほうでサマンサと二台に自転車で走る場面では 映画ということも忘れて、ほんまにうれしくて泣きそうになりました。ただ、物語はその後また思いもかけない方にひろがっていくのですが。

この映画のもう一人の主人公(と思った)サマンサ役のセシル・ドゥ・フランス~ 足も腕もけっこう筋肉質でたくましく、ちょっと肝っ玉母ちゃん的雰囲気ながら、きれいで、哀しくて、温かな母性をかんじて、すばらしかったです。
この方は『スパニッシュ・アパートメント』の頃から好きな俳優さんです(この映画のことは以前 ここにも書きました)あ、前作の『ヒア・アフター』のときもよかったです。

その2 )
二年ほど前の映画になりますが、『冬の小鳥』という作品も(DVDあり)児童養護施設が舞台の物語で。監督はご自身も養子として韓国からフランスに渡った経験をもつひとです。
このことも書きたかったけど、例によって書けませんでしたが、ぜひ。
(←シネマトゥデイHP)

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by bacuminnote | 2012-10-07 14:45 | 本をよむ | Comments(0)