咲顔にて。
2013年 03月 29日
山ごと桜の咲きほこる故郷の春はもうちょっと先やけど。思わせぶりに寒暖を行きつ戻りつ、春は大阪にやってきた。
▲ サクラというたら、その語源にはいろんな説があるようだけど、動詞の「咲く」に接頭語の「ら」(複数の意味をもつ)をつけて名詞「さくら」になったという説を採用してる(笑)。
だから、むかし書いてみた小説(『キスチョコレート』といいます)の登場人物に「咲ちゃん」と名付けたんよね。
開田高原で暮らしてたころ、雪の残こる畑から見える黄色を思いだしてええなあと思って、ノートに書き留めた。
▲ そうして、笑顔のすてきなあの人、この人、と友だちの顔が次々うかんで。そのあと、あつかましいけど、わたしのテーマソングにしたいような句やなあとうれしくなった。
自慢やないけど、うまれてこの方 キレイやとかべっぴんさんとか言われたことはない。でも、笑うてる顔だけは ちっちゃい時から「笑顔良しやなあ」と言うてもろたから。(←今思ぅたら「そこしか」なかったのかも、やけどね)
そんなわけでこの句は以来、わたしの座右の句となったのである。
▲ 昨日、図書館で「きょう返った本」の棚の中、辰巳芳子さんの本が目に入った。近ごろ辰己さんの料理の本はあちこちで見すぎて、ちょっと満腹状態なんだけど、この本は 『庭の時間』(文化出版局刊)というもので。
さいしょに書かれた福岡伸一氏の「食べるものを限ることの意味」を立ったまま読んで、目次にむかうと十二ヶ月のタイトルがついていて、何ということなしに目で追ってたら四月のところで、とまる。
▲ 「四月 咲顔」とあったから。え?どう読むの?「さきがお」かな?・・・と、どきどきしながら頁をくると、みごとなしだれ桜の満開の写真に白抜きの文字で「四月 咲顔」。この辺りでわたしは(いつものことだけど)空いた椅子を探し、腰掛けてつづきを読む。
曰く、
【柳田國男は「笑の本願」という文中で、声を立てて笑うのと、ほほえむ えみ とを大別し、ほほえむ笑顔を咲顔(えがお)と云うべきだと云っておられます。】(p46より抜粋)
▲ そうか。そういうことやったんか~と走るようにして(←こういうときの行動は早い・・)家に戻り、さっそく白川センセの本を開く。「咲」を開くと、最初に飛び込んだ象形文字が「笑」そのまんまで笑う。
▲自分の興味に引かれて走ったあとの、気持ちの昂ぶりもあってなんだけど、胸がいっぱいになった。
っていうのもね、じつは前から桜の花が咲くそのかんじ、おこられて拗ねた子どもが何かうれしいこと言うてもろて、ふふと笑う口もとみたいやなあ、って思ってたから。
そして、「ええ年して今だに<桜>に拗ねてる子ども」が「咲くことは笑ふこと」と知って胸つまらせてる。
いやあ、ちょっと賢うなったなあ~
「知って」うれしいことはすぐだれかに「聞いて、聞いて~」と言いたくなるわたし。
せやからね、さっそく報告です。
春、しんどい人、痛いとこある人にも 咲顔のときがありますよう、ねがいつつ。
*追記
その1)
この前につづいて 連続投稿なり。
次回に書こうと思ってるうちに、忘れてしまうので。
その2)
今日はLouis Armstrong - When You're Smiling→ ■