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いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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咲顔にて。

▲ いつもより早い桜の花にとまどいつつ、駅までの道、あっちの桜、こっちの桜を見上げる。ああ、桜なんて、と毒づきながらまた、つい桜を見上げて。わたし、クッセツしてるなあ~とため息ひとつ。
山ごと桜の咲きほこる故郷の春はもうちょっと先やけど。思わせぶりに寒暖を行きつ戻りつ、春は大阪にやってきた。
 
▲ サクラというたら、その語源にはいろんな説があるようだけど、動詞の「咲く」に接頭語の「ら」(複数の意味をもつ)をつけて名詞「さくら」になったという説を採用してる(笑)。
だから、むかし書いてみた小説(『キスチョコレート』といいます)の登場人物に「咲ちゃん」と名付けたんよね。

▲何年か前に鷹羽狩行(たかはしゅぎょう)の挨拶句集 『啓上』(ふらんす堂2002年刊)を読んで、小説家の北原亞以子さん(先日亡くなられましたが)との対談のあとの一句に『咲くことは笑ふことにて福寿草』があって。
開田高原で暮らしてたころ、雪の残こる畑から見える黄色を思いだしてええなあと思って、ノートに書き留めた。

▲ そうして、笑顔のすてきなあの人、この人、と友だちの顔が次々うかんで。そのあと、あつかましいけど、わたしのテーマソングにしたいような句やなあとうれしくなった。
自慢やないけど、うまれてこの方 キレイやとかべっぴんさんとか言われたことはない。でも、笑うてる顔だけは ちっちゃい時から「笑顔良しやなあ」と言うてもろたから。(←今思ぅたら「そこしか」なかったのかも、やけどね)
そんなわけでこの句は以来、わたしの座右の句となったのである。
 
▲ 昨日、図書館で「きょう返った本」の棚の中、辰巳芳子さんの本が目に入った。近ごろ辰己さんの料理の本はあちこちで見すぎて、ちょっと満腹状態なんだけど、この本は 『庭の時間』(文化出版局刊)というもので。
さいしょに書かれた福岡伸一氏の「食べるものを限ることの意味」を立ったまま読んで、目次にむかうと十二ヶ月のタイトルがついていて、何ということなしに目で追ってたら四月のところで、とまる。

▲ 「四月 咲顔」とあったから。え?どう読むの?「さきがお」かな?・・・と、どきどきしながら頁をくると、みごとなしだれ桜の満開の写真に白抜きの文字で「四月 咲顔」。この辺りでわたしは(いつものことだけど)空いた椅子を探し、腰掛けてつづきを読む。
曰く、
柳田國男は「笑の本願」という文中で、声を立てて笑うのと、ほほえむ えみ とを大別し、ほほえむ笑顔を咲顔(えがお)と云うべきだと云っておられます。】(p46より抜粋)

▲ そうか。そういうことやったんか~と走るようにして(←こういうときの行動は早い・・)家に戻り、さっそく白川センセの本を開く。「咲」を開くと、最初に飛び込んだ象形文字が「笑」そのまんまで笑う。

咲は古い用例はなく、もとの字は笑で、「わらう」の意味であった。(中略)花がひらくことを、古くは花開(さ)く、花披(さ)くといったが、花咲くのように咲を「さく」の意味に使うようになったのは、花の開く様子を人の口もとのほころびる様子にたとえたのであろう。】(「常用字解」白川静著 平凡社刊)

▲自分の興味に引かれて走ったあとの、気持ちの昂ぶりもあってなんだけど、胸がいっぱいになった。
っていうのもね、じつは前から桜の花が咲くそのかんじ、おこられて拗ねた子どもが何かうれしいこと言うてもろて、ふふと笑う口もとみたいやなあ、って思ってたから。
そして、「ええ年して今だに<桜>に拗ねてる子ども」が「咲くことは笑ふこと」と知って胸つまらせてる。

▲なんか うれしい。
いやあ、ちょっと賢うなったなあ~
「知って」うれしいことはすぐだれかに「聞いて、聞いて~」と言いたくなるわたし。
せやからね、さっそく報告です。
春、しんどい人、痛いとこある人にも 咲顔のときがありますよう、ねがいつつ。



*追記
その1)
この前につづいて 連続投稿なり。
次回に書こうと思ってるうちに、忘れてしまうので。

その2)
今日はLouis Armstrong - When You're Smiling→

by bacuminnote | 2013-03-29 14:09 | 音楽