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いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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珈琲はちょっと濃い目で。

▲ 出不精である。(←いまさら・・笑)
家で居ることや、ウチでできることに結構まんぞくしてるのかなあ、とか思ったりもするけど、多分そのことに大して意味はない。単にモノグサなのと、知らないところに出かけるのが臆病なだけかもしれない。

▲ブログやTwitterで、あちこちに出かけて行く人の報告や写真、それにびっしりと計画と約束で埋まった手帖を見せてもらうと、すごいなあ~とその行動力と紙面にうっとり。(手帖好きとしてはやっぱりこれくらい書き込みがないとなあ・・と思うのであった)
わたしなんかせいぜい1日1イベントが限界。二箇所まわっただけで翌日は へたってしまう軟弱モンやから、手帖はいつだって白いとこが多い。そのくせ毎年いま時分になるとそわそわして文房具屋さんに走るんだけど。(わたしの手帖好きは「片思い」みたいなもんやなあ~)

▲ そんなわたしがこの間ひさしぶりに遠出してきた、というても、行き先は京都。同行者は旧友Jである。
もうずいぶん前から思い出多い「七条あたりにいっぺん」と話して、そのままになってたんだけど。去年だったかJがバスで近く通ったとかで、なじみの喫茶店Amazonの写真を送ってきてくれて。「せや、久しぶりにあそこで珈琲飲もうや」ということになったんよね。

▲ が、そもそも類が類を呼んだ関係ゆえJもまた約束事やスケジュールに弱いタイプで(とはいえ、彼女はマンガ家・イラストレーターであり、わたしとは違って出かける先は多い)
しかもお互い優柔不断。
加えて、どっちかと言うたら、自分のことより相手のことを心配してしまうココロやさしい性格なので(←ほんまか?・・笑)
「この暑いのに出てくるのしんどいんちゃうやろか」とか、「歩き回るコースはアカンやろなあ」(←これはわたしの脚力のなさで)とか言うてるうちに、どんどん時間はすぎ、別の予定がはいったりして。
そうこうしてるうちに「寒なったしなあ」「もう年末やし」に突入しそうで(苦笑)「よっしゃ、明日にしよ」と決まったのだった。

▲ その日は予報通りの曇り空。
Jは相方に「いつでも会えるのに、わざわざ今日みたいな天気の日に・・」と笑われたらしいけど。曇ってても、雨降っても、今日でええの!ってことで、京阪特急電車2号車にて落ち合った。
「きょうは きょうとに きゅうゆうと とっきゅうでんしゃで でかけました」と小学生の遠足気分。途中彼女が乗ってくる駅が近づくと座ってられなくて、中腰で窓の外をみる。
さて、二人ぺちゃくちゃしゃべってるとあっという間に目的の七条駅に。けど、この駅は二十数年前から地下にもぐっており、ちっとも「七条に着いた」気がしなくて、もうちょっとで乗り越すとこやった。

▲ 地上に出て、鴨川みて七条大橋みて、橋のむこうに京都タワーの赤いてっぺんが見えて、ああ、七条や~としみじみ。
そういえば京都タワーはずっとロウソクの姿って思ってたけど、「市内の町家の瓦葺きを波に見立て、海のない京都の街を照らす灯台をイメージしたもの」(by wiki)らしい。
知らんかったなあ。

▲駅降りてすぐパチンコ屋の七条ホール(むかしよく行った・・苦笑)はマクドになっていたものの、かつて市電⑥の乗り場前だった本屋さんも健在。通りのお店は見覚えのある所も多くて、歩くたびに、どんどん時が遡って若返ってゆくような(!)気がした。

▲ まずは件の喫茶店Amazonに。
十代のおわり・・今思ったら親のすねかじりのくせに、珈琲なんかウチで飲めよ~なんやけど、あの頃は下宿で飲むのはインスタントコーヒー。旨い珈琲は喫茶店で。
ロックやジャズを聴くのも、友だちとあほな話も、侃々諤々議論の場も、デートもまた喫茶店~という時代であった。

▲そのかわり一杯の珈琲で何時間も居座って。
せやから思い出の場所はガッコより「各所目的別喫茶店」が断然多くて(苦笑)
いまだに地名より喫茶店のなまえ聞くほうが、その「街」がぱっと浮かんでくる。というわけで東山七条地区ではA。

▲ 当時のマスターのことをたずねるのに「あのーわたしら、えーっと40年ほど前にここによく来てましてん・・」と自分で言いながら40年!とびっくりする。そう、Jと会ってもう40年にもなるんである。
その昔、サイフォンのボールに珈琲が残ると黙ってカップにお代わり入れてくれはった蝶ネクタイの似合うマスターは5年前に亡くならはったそうで。
「その頃たしか、お嬢ちゃんが中学生で・・」と言うと、カウンターの常連客らしいおっちゃんが「マスター、そのお嬢ちゃんとケッコンしたんがこの私ですねん~って、言わんかいな」と言わはったので、そこにいた皆で大笑い。そうやったんか~と頬がゆるむ。

▲ よく食べた卵トーストサンドと一緒に、ちょっと濃い目のなつかしいブレンド珈琲をブラックで。ああ、おいしかった。また来よう。
Aを出たあと国立博物館のショップをのぞき、思いつきで 『三十三間堂』に。じつ言うとこの歳になるまでわたしもJも入ったことがなかったのだ。拝観料を払って入る、なんて若いときには考えもしなかった。拝観料払うくらいやったら珈琲のんで、文庫本一冊買うて~やったんやろね。

▲ 秋の京都は平日とはいえ、曇り空とはいえ、観光客でいっぱい。この日も堂内には団体のバスが次々にやって来る。ここは同じ東山区にある天台宗妙法院の境外仏堂。三十三間堂っていうたら、毎年「通し矢」でニュースにも出てたし、写真も見てたはずだけど、お香のにおいの中 うす暗いお堂に入ってすぐに目にとびこむ大勢の(?)千手観音さんは衝撃的だ。

▲ コーフン気味に進んで行くと、中央に丈六坐像の本尊。その左右に十段の階段があって、そこに50体ずつ千手観音さんが立ってはるから・・全員(?)で千体並んでるさまは、じつに壮観。
さわがしい修学旅行の小学生たちも、皆うおーっと声あげてちょっとの間しーんとする。この「しーん」の間、それぞれの胸にきっと何かきざまれるんやろなあ。おばちゃんはその様子みて じんとくる。
後はすぐにもう「こんなとこで、じっとしてられへん」いつもの子どもたちに戻って。なんべんも鼠色の作務衣の若い寺務員さんに「キミら、もうちょっと静かに」って、注意されてたけど。

▲ 千手観音さんの前にいてはる二十八部衆像も、時にしゃがみ込んでひとつづつ丁寧に説明を読み見入る。(ここがおばちゃんと小学生のちがうとこ)どれも興味深く見たけど、とりわけ翼を持ち横笛を吹く迦楼羅(かるら)王像が印象に残った。迦楼羅とは梵語ではガルーダ(金翅鳥 こんじちょう)のことらしい。半人半鳥で、口元は天狗みたいでちょっとこわいけど、このひと?の吹く横笛の音はどんなやろうねえ。

▲見学者には外国の人も多く、そのつどグループやカップルに付いたガイドさんの英語や中国語も耳に入ってきて、なかなかコスモポリタンな空間でおもしろかった。
説明のなかに「オン バサラ ダルマ キリ ソワカ」という真言(呪文)が書いてあったのをみて、ふたり機嫌よく「オン バサラ ダルマ・・ソワカ、ソワカ・・」と暗誦しつつ堂を出た。

▲ 本堂の前で同じような二人組みおばちゃんに写真撮ってもろた後は「三十三間」由来の柱の数を数えて、ああでもないこうでもない、と小学生のように騒いで。
休憩にもう一軒の喫茶店に入って又しゃべってしゃべって。外に出たらすっかり薄暗くなって雨が降り始めてた。「ほな、帰ろか」と席をたつ。

▲むかしは毎日こんなふうにしゃべってしゃべって過ごしてたんよね。明日になればまた会えるのに。
京阪七条駅では乗り場を間違えて、大笑いして反対方向に歩いたつもりが、あろうことか、また同じホームに出てしまい。いやはや、方向音痴二人組らしい遠足の終わりであった。

▲家にかえってから、お互い「三十三間堂」について復習したようで、メールにてその成果をさっそく披露(笑)
「オン ダルマ キリソワカ」は
『「祈りましょう。大切な人のために。そして、生きとし生けるものの幸せのために」という本尊・千手観音さまの真言(お祈りの言葉)』とあったので、彼女とこのことばをおくりあってメール終了。
J、ええ一日やったなあ。

「コーヒ店 永遠に在り 秋の雨」(永田耕衣)




*追記

その1)
三十三間堂の中で祈願のところにおなじみの「家内安全」「大願成就」とかに並んで「頭痛平癒」とあるのが珍しいなあ、と思ってメモして帰ったんだけど、調べてみたらここを創建した後白河上皇が長年頭痛に悩まされていたそうで。「頭痛封じの寺」として崇敬を受けるようになり、「頭痛山平癒寺」と俗称された、とあって、頭痛持ちは時代を越えて~とおもうのでした(わたしもそのひとり)
そういうたら
『梁塵秘抄』
(←すき)の編者はこの頭痛もちのお方でしたね~

その2)
京都市電⑥はたぶんいちばんよく乗った電車。京都駅、七条、岡崎公園、百万遍~なつかしい→

その3)
Lou Reedにはちょうどそんな年のころにであいました。さみし。
"Walk On the Wild Side"→

by bacuminnote | 2013-11-02 15:06 | 音楽