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いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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のんびり進んでいく。

▲ まだストーブも仕舞ってないし、冬物の洗濯も済んでないのに。カレンダーは「赤い字の続く」頃になった。もう1年の3分の1が過ぎた・・ってどっかに書いてあったけど。ほんまやねえ。早いなあ。
わたしは毎日が日曜日のようで水曜日のようやから(←とくに水曜に意味はない)GWもフツーの日なんだけど。桜が散って、みどりみどりの季節になって(すき)、立橋から見える「笑ふ山」に山育ちは おおいに笑ふ。

▲そういうたら子どものころ「本ばっかし読んでたら、眼によぅないから。せいだい山でも見ときや~」って(※せいだい→関西弁で ”精一杯”というような意味)おばあちゃんによく言われたけど。
ただ山々をぼぉーっと見るやなんて。子どもにそんな暇はなかったのである(笑)

▲ 人混みが苦手なので、今日の買い物は早いうちに、と出かけたら、スーパーもデパートもちょっと拍子抜けするほどガラガラで、さっさと用事すませて帰ってきたんだけど。帰り道、街路樹の下で高齢の女性二人が傍らに「ガラガラ」(←ショッピングカートのことをわたしらおばちゃんはこう呼ぶ)置いて、立ち話してはった。
「今日はもう温い、こえて暑いくらいですなあ」「ほんま。せやのに朝晩は冷えるし。何着てええんか わからしませんねえ」の あとは、何の話か、きゃっきゃ、声あげて若いコみたいに笑うてはる。
落ち葉の始末が大変やからと、ばっさり腕を落とされたかのようなゆりの木の、その短すぎて哀しくなる枝にも新緑は萌え、数少ない葉っぱが ひらひら風に揺れている。
「新緑やうつくしかりしひとの老」(日野草城)

▲ 家の近くのマンションにはまた引越しのトラックが何台か停まってた。新学期前のラッシュ状態が一旦落ち着いて、第二弾はこの連休やろか。
かくいうわたしらも、大阪に戻って今春で10年。引越しの大変さは もうこりごりと思うてるのに、今日みたいにええお天気でみどりの風ふく日は、ちょっとこころ動く。
いつの引越しのときも手伝ってくれた友人たちからは「もう(年取ってしんどいし)あかんで」と言われてるんやけど(苦笑)。

▲前は時おり相方と「こんど引っ越すとしたらどこがええか?」なんて言うて、お魚のおいしいとこがええなあ。福岡やろか、いや、富山とか金沢もええなあ。わたし、街のかんじは京都がすき~とか、勝手きままな話をしてたもんやけど。ここ数年は笑いながらのそんな話は出てこなくなった。
自分で望んだ引越しも。やむをえない引越しも。
みんな、新しい地でもたのしい出会いが待っていますように。

▲ このあいだ、その名も 『お引越し』(ひこ・田中 著 / 福音館書店刊)という本を読んだ。初版のときに読んで、そのうち相米慎二監督の映画『お引越』を観たので(そして、この印象がけっこう強く残っていて)その後再読したときも、いつのまにか脳内イメージが主人公のレンコは子役の田畑智子サンになってしまってた気がする。

▲それでも、この本にはいろいろ楽しいしかけがあり(見開きにレンコの両親の婚姻届のコピーがあって、こういうの見たことのない子どもも大人も、制度としての結婚を考えるきかっけになる気がしたし。その日付がショーワならず元禄49年になってたり、文中に手書きの文字も挟み込まれてたり、というのも新しかったし)何よりわたしにとって、これまでの子どもの本とはちがう~大きなであいの一冊だった。

▲この福武書店版のあと講談社から文庫がでて、今回は福音館書店から。
表紙も奈良美智の大きな眼の少女にかわり、11歳だったレンコと親友二人が35歳になって語る「あと話」というのも加わって、なんか初めての本にであったみたいにどきどきしながら、本を開いた。

▲最初のページには「今度、お家が二つになります。」と一行。
両親が離婚することになって、とうさんが家を出てゆくお引越しの日(そういえば、これもなぜか水曜日なのだった)から物語は始まる。わたしの持ってる本は初版発行の年の3刷だけど、たまたま初版発行のその日は息子1の10歳の誕生日で。主人公のレンコは11歳だったし、親の年齢は5つほど上やったものの、舞台は学生の頃すごした京都のまちでもあり、いろんなこと重ねては頷いて読んだんよね。
だから、今回は自分の24年分の加齢もあるし、物語をお母ちゃん(おばあちゃん?)的に「眺める」感じになるのかなあ~と思いきや、意外にも子どものレンコに一気に入ってしもた。

▲今更ながら、本(小説)というのはふしぎやなあと思う。
読んだときの年齢はもちろん、そのときの心情も相まって、同じ本読んでるのに、しかも時代背景やら言葉使いの流行やらは、確実に古くなってるはずやのに。わたしはいきなり11歳の女のコになって物語に参加してた。

▲で、本読んでいて、とつぜん思い出したんやけど。むかし、父のあまりの自己チューぶりに姉たちと「せまいアパートでもええから、お父ちゃんなんかほっといて、お母ちゃんと皆で家出しよう」と額よせあって話したことがあったんよね。
田舎のことで、アパートも見たことがなかったし、どんなものかも(とくに末っ子のわたしは)わからなかったはずやけど。旅館という全く「家」らしくないところで育ったから「狭いとこでみんな一緒」というのに何かぐっときて。姉たちの険しい顔をちらちら見上げながらも、わたしは遠足の相談してるみたいにワクワクしてた。

▲ レンコは一人っ子やから、そういう相談をする相手が家にはおらんわけで。
そのぶん親二人のことを一人で受け止めてる。せやからね、そのしっかりぶりが頼もしくもあり、時にちょっと切なくもある。けど、家出(姉妹会議だけに終わったが・・)を遠足みたいにおもってた間抜けな妹(←わたし)も、その後姉たちが進学で家を出て行って「青春を謳歌」してた頃、「親二人」のことを小~中学生のわたし一人で受け止めて悶々としたりバクハツしたりすることになるんやけど。まあ、そんなことはともかくとして。

▲今回さいごにあった「あと話」を読んで、そんな子どもゆえの健気なとこも生真面目さも。自分勝手なとこも呑気なとこも。それから思春期のしんどいトンネルもなんとか通り抜けて、大人になった主人公と友だちのその後に、ほぉーっと長い息をついた。レンコも友だちも、それぞれ自分の道しっかり歩いてる。そういうたら、ウチの10歳やった息子も今夏34に~相変わらずいっこも何も言うてこーへんけど。みんな、ほんまに大きくなりました。

「京阪電車は、とうさんのお引越しの日と反対方向に走ってるの。 
あれから私の背はあまりのびてないみたいで、やっぱりまだつり革には手が届かない。
成長期っていうのはのんびり進んでいるの。」
(お家が二つになって、レンコが初めてとうさんのお家に行く日に。)


*追記
その1)
本文中に出てくる「とうさんのサンショじゃこ」が気になって、久しぶりに「山椒昆布」炊きました。実山椒は去年のをさっと塩ゆでして冷凍したもの。炊いてる間も、その後もしばらく家中にサンショと昆布のええにおいがして。
おいしかったぁ~(お弁当箱いっぱいこしらえたけど、もうない。おいしいもんは早うなくなるんよね・・)
ひこ・田中さんの本にはおいしいもんがよく出てきます。レストランで、というより台所で拵えるもの。せや、こんど"白葱の豚肉巻き"やってみよう。


その2)
そういえば、この頃映画のことを全然書いてへんなあ~と気づきました。相変わらず映画館には行けずDVDで観ることになるのですが、よく観ています。最近観たもの(レンタルショップでは「最新作」)をちょっと書いてみます。

『危険なプロット』←フランソワ・オゾン監督。なかなかおもしろかった!
『大統領の料理人』←『バベットの晩餐』もそうでしたが、女性の料理人のきびきび立ち働く姿かっこいいです。
『そして、父になる』←是枝監督。親子って何なんやろね。わたしは一緒にすごした「時間」がだいじって思う。

『わたしはロランス』←ロランスと恋人フレッド。30歳の誕生日にロランスは 自分のからだが(性を)間違って生まれてきた~と告白。そもそも性別って何?と思うし、考える(いまもずっと考えてる)。168分と長い作品でしたが、音楽もとてもよく、時間を感じませんでした。このことはゆっくり書きたいです。
どんな映画も予告編はいつも日本版と元のをさがして観るのですが。タイトルも含め「ちがい」がとても興味深いです。
日本版にはなかった場面→ある日、女性の服装で出勤したロランスに同僚が聞く"Is it a revolt?"
ロランスは応える"No, Sire...It's a revolution"

US版(英語字幕)予告編→ 
日本版公式サイト→

その3)
というわけで、今回は『わたしはロランス』で流れていたこれを聴きながら。
craig armstrong - let's go out tonight →
by bacuminnote | 2014-04-28 17:06 | 本をよむ