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いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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そして、どこかを照らしている。

▲昨日用事で帰ってきた息子2が朝早く出る、というので、今朝はいつもより早くとび起きた。
しっかり朝ごはん食べて「ほな、行ってくるわ」と息子が発ったあと、いつもの倍の洗濯物を洗濯機に放りこんで。それから台所の小さい丸椅子でぬるくなった珈琲をのんだ。
あれ?チョキチョキ、チョッキン・・・リズミカルな音がお隣から聞こえる。朝のまだ少しひんやり空気がのこる中、植木屋さん二人の規則正しい鋏の音がひびきあって すがすがしい。もっと聞きたくて窓から顔をだす。見上げた空はうす青で、綿菓子をちぎったような雲が空いっぱいひろがって。ああ、そろそろ秋やねえ。

▲ 夏の間じゅうこもってたけど、気温が下がってくると同時に体力気力も少しづつアップしてきたようで、わたしにしては珍しく外出が続いた。
その内一回はとなりの県まで(←おおげさ。海外にでも行ったみたいや。笑)映画を観に出かけた。先日『そこのみにて光輝く』(呉美保監督)がモントリオール世界映画祭で最優秀監督賞受賞のニュースをネットで見て。この映画、原作者は前に観た『海炭市叙景』と同じ佐藤泰志で、小説も印象深く残っていたことや、監督も俳優陣も気になって観たかった作品だった。
でもロードショーは行けなかったので、DVDになるのを待つしかないなあ〜と思ってたんだけど。何気なく劇場情報をみたら、関西では宝塚市の映画館が1週間限定で上映中とあっておどろく。
 
▲ で、さっそくその映画館のこと調べたら、兵庫県というてもそれほど遠くもなさそうで。何より駅前ビルというのに惹かれる。歩くキョリも短いし、さすがの方向音痴も迷いようがないもんね(笑)せやから、わたしにとっては、大阪の中心部の映画館に行くより近いかもしれないわけで。よし、行こう〜と即決。翌日お昼からの上映に出かけることにした。
阪急電車に乗るのは久しぶりだった。平日の昼前という時間帯もあると思うけど、この沿線の長閑な車内は、外出慣れしてない者にはゆったりと居心地よくて。遠足の子どもみたいにしばし窓の外を眺めたあとは、持ってきた本『ジーノの家 イタリア10景』を開いた。

▲ この本はイタリア在住30余年の内田洋子さんのエッセイ集。
水色一色の楚々とした装丁なんだけど、内容は濃密。といっても、特別な人が出てくるわけではなく、イタリアに暮らすふつうの人たちの中に、ほんの少し見え隠れするドラマの糸を内田さんは海や山、そして街を描きながらすこしづつ引っ張ってくる。いや、そこに強引さはないんよね。あるのは内田洋子の並外れた好奇心の強さ(笑)と人懐っこさ、やさしさ、それから行動力。(←すばらしい!)

▲ かたく閉まってた いくつもある古い扉がパタパタと自然に開いていくように、人と人が出会う。旨いもん拵えて食べてワインをのんで、語り合う。その内はじめは何の関係もなかったような点と点がつながり、物語を紡いでゆくおもしろさ。たのしさ。この本もまた一つ一つが映画を観ているようだった。
写真に写った顔はカメラを構える人との関係を写す、ってよくいうけど、このエッセイ集は内田さんと出会った人たちとの関係を見るようでもある。

▲ ・・とすっかり心は地中海やワインにとんでるうちに、電車は目的地に到着。
売布(めふ)神社駅は想像以上に小さな駅で「宝塚」の華やかなイメージからは遠いまちに驚いたり、ほっとしたり。根っこが田舎の子やからね、都会はすきだけど、落ち着くのはこういうところ。
さて、5Fの映画館に。ここは《宝塚市が設置する全国的にも珍しい公設民営映画館》やそうで。50席の館が二つあって。ひとつはロードショー館、ひとつは名画座になってるそうで。ロビーには小さなカフェ(その名もバグダッド・カフェ!)があって壁際には本や映画のチラシが並び、バックにノラ・ジョーンズの歌が流れてた。近ごろのシネコンとは違って、そう、この前閉館してしまったあの小さな映画館とおなじ空気が流れてる。
映画が始まる前に、とトイレに行ったら「水は井戸水を使用しています」と書いてあってびっくり。というのも、このビルは震災復興事業として建てられたそうで、HP にはその目的のひとつに「防災対策としての映画館(非常時の避難所として)」と挙げられている。

▲ いつもどれくらいお客さんがあるのかわからないけど、この日は受賞発表の翌日ということもあってか、ほぼ満席だった。
映画は函館が舞台で、劇中なんども海や海辺が映し出される。山と川育ちのわたしにとって海はあこがれ。でも、海でも川でも、都会でも田舎でも。遠くから眺めるそれと、間近にあるそれでは 見えてくるものも 思いの深さも変わってくるんよね。
海岸には流木や貝殻だけでなく、瓶やプラスチックの欠片から正体不明のゴミまで、いろんなものが打ち上げられて。そして、そんな海辺に主人公の達夫が出会った姉弟とその両親が暮らすあばら家が、おんなじように海から打ち上げられたみたいにぽつんと建ってる。

▲映画のテーマは深くて描かれる現実も重いんだけど、弟・拓児の無邪気な明るさや、姉・千春と達夫がおもいがけず見せてくれる笑顔や、穏やかな海ながら波の音が耳に届く場面に、ふっとやさしい風が吹くようにすくわれる思いがした。
けれど物語は終盤になっても問題は何ひとつ解決してなくて。もともと大変だった現実が、またもうひとつ問題を抱えてゆくことなるんだけど。ラスト〜やっぱり、どこでもないあの海辺で、達夫と千夏が光の中に立つシーンに、ああ、この人らは生きてゆく、と思った。

▲ 映画はやがてエンドロールに。俳優、監督、脚本、撮影、音楽、照明、編集・・・と、映画の製作にかかわった多くの人のなまえが流れ始めた。帰り支度をする人、早々と席を立つ人もいて。館内はざわざわして「映画」から「現実」に引き戻されてゆく。
スクリーンにクレジットは続き・・そんな中わたしの知っている名前が見えて。思わず立ち上がりそうになった。函館で若いころから佐藤泰志の文学に接し、愛し、研究し、長く、地道に、推してきた人たちのひとり。

《まっすぐにしか走れなかった短い作家人生ではあったけれど、佐藤泰志の遺した光は、いまも誰かに届いている。どこかを照らしている。》
「海と砂と夏のアジサイ」番場早苗 (『佐藤泰志 生の輝きを求め続けた作家』河出書房新社 所載)


*追記

その1)
イタリア、といえば須賀敦子。思い出すと読み返す大好きな書き手だけど。内田洋子の本にであって、初めて須賀敦子の文章を読んだときのコーフンがよみがえってくるようです。
なんで今まで気付かなかったのかなあ。

わたしは最初 講談社『本』で内田さんが近著『皿の中に、イタリア』を語るエッセイを書いてはったのを読んだのがきっかけ。それに惹かれて『皿の中に、イタリア』を読み、つぎに今回の『ジーノの家』、そして『ミラノの太陽、シチリアの月』と熱にうかれたように続けて読みました。いつもは本を読むとき付箋を横に置くのに、三冊ともとうとう一枚もつかわずに読了。読んでるうちに何度か登場する人に気づいて「あ、あの人のことやなあ」とか想像するのもたのしい。つぎは『カテリーナの旅支度 イタリア二十の追想 』を。

その2)
この映画館「シネ・ピピア」のHP(文中にリンク)に書いてあったんだけど、
宝塚市は宝塚映画撮影所・宝塚歌劇があり、小津安二郎、成瀬巳喜男、木下恵介作品など生まれた街でもあるのに、市内には最盛期に数館あった映画館が、ここがオープンするまで30余年1館もなかったとか。
多くの名作がつくりだされた歴史を持つ街として、こんなにさみしいことはありません》と市民の間に「映画館を」という運動が始まったそうです。

映画は娯楽であるとともに文化です。また世界と接する窓でもあります。世界中の多様な優れた作品を見ることで、逆に私たち自身を見つめ直し、真の豊かさとは何かをともに考えてゆきたいと思います。》(シネ・ピピアHPより)

なつかしい『バグダッド・カフェ』予告編

その3)
きょうはこれを→28 Paradise - Peter von Poehl
by bacuminnote | 2014-09-11 13:30 | 映画