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いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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ビュウと音たてて。

▲ この間友だちと会った。
同じ大阪に居ながら、なかなかゆっくり会うということができない。とはいえ、今はツイッターやブログで見かけては「お、元気にやってるんやな〜」とわかるから(ていうか、わかった気になって)長く会ってなくても、さみしいとか思わないけど。
でも、やっぱり実物(ほんまもん)はちゃう(笑)
笑ったり、すねたり(!)すぐに反応あるし。いや、逆に顔見てるだけでしゃべらんでも通じるものがあるというのが、ふしぎ。おもしろいなあと思う。

▲ さて、方向オンチに加えて、優柔不断なJとわたしゆえ、いつ、どこに行ってもたいてい珍道中となるんよね。この日は講演会に行くのが一番目的で、その前にちょっとしゃべろか〜ということになって、時間よりだいぶ早目にI駅で待ち合わせたのはいいんだけど。その後どこでお昼ごはん食べるか決まってなかったので、駅周辺の階段やエスカレーターを上がったり下ったり。

▲さんざん歩きまわったあげく、駅出てすぐのうどん屋さんにてきつねうどん二人前〜なり。
それでも、小雨まじりのこの日に熱々のうどんはおいしかった。(Jは猫舌やからさましてから食べてたけど・・笑)
加えて、わたしらよりセンパイと見受けられる女性たちがカウンターの中で、白い長靴履いてきびきびと立ち働いてはる姿がええ感じやった。

▲ うどんの後は場所かえて珈琲。
Jが持ってきてくれた『マーガレット手帳』(1965年版)を見せてもらう。これ、少女マンガ『マーガレット』(集英社)から当時発でたもので、たしか『週刊マーガレット』に付いてるシール何枚かにプラス200円で買えたのだと思う。
マンガ家のわたなべまさこさんがイラストやカットを描いてはって、間に日記のページとファッションの写真とか入ってて。どれも見覚えがあってなつかしかった。

▲ この手帳がほしくて大阪と吉野に住む少女ふたり、それぞれにせっせとシールとお小遣い貯めてたんやろね。Jは「1月9日 わたしはとうとうこの手帳を手にいれた」と 大真面目に手帳に書きこんでて、笑うてしもたけど。
”じぶんだけのひみつのノートをもつ”それは、なんとすばらしいことでしょう。なんだか、ちょっと大人になったみたいで、胸がときめくかんじですね》と、わたなべまさこさんが書いてはって。その「ひみつのノート」っていうのに、どきどきしてた大昔の自分たちが可笑しくて、そんで、いとおしい。

▲ 昔話にひとしきり笑ったあと、バスで講演会会場の茨木市立中央図書館にむかう。
長いこと連絡しなくても平気なくせに(苦笑)いったん話し始めると、あれもこれも、と話は尽きることがない。
二年前このバスに乗ったときは、思いもかけず作家の山田稔さんがわたしのあとから乗って来はって、一人あわあわ、そわそわ(苦笑)したんよね(その日のことをここにも書きました→)そして、この日の講演の演者はなんとその山田稔さんなのである。

▲ 同館内にある富士正晴記念館の特別講演会というのが毎年あって、今回山田さんの演題は「富士さんについて、いま思うこと」。講演はきらいで引き受けることが殆どない、という山田さんの講演やからか、ちょっと席外して戻ったら満席になっていた。あとで聞いた話では定員80人のところ100人の参加があったらしい。
山田さんは(センセイと呼ばれるのが嫌やそうで。そういうところも山田稔作品にあらわれていると思う)しずかに富士さんの生い立ちや来し方を語り始めはった。

▲いちばん心に残ったのは魯迅の話だ。
富士正晴の『植民地根性』というエッセイから。
ある公園の前に「犬とシナ人は入るべからず」という立て札が立っている。魯迅はけんかする力がないから、その立て札を抜き捨てることが出来ない。そこで彼はステッキを振り上げ、立て札を力一杯叩くだけだ。

この魯迅のステッキがいつもわたしの頭の中でビュウと音を立てている気がする。そして、その音は、魯迅のこころの中で絶望的に聞こえたように、わたしの中でも絶望的にひびいているのかもしれない。しかし、ステッキはビュウとひびかなくてはならない。一人一人の国民の頭とこころの中でビュウ、ビュウとひびいていなくてはならない。
『富士正晴集』戦後エッセイ選 7 影書房p10より抜粋)

▲この部分を読み上げはった後「まさに今の日本の状況に重なります」と言う山田さんの細い声がよけいに沁み入るようで。しばらく耳元に、そのビュウビュウという音が聞こえてくるようだった。

それの養成法は割合楽である。絶対の権力を行使すればよい。強力さを絶対と思いこませればよい。すべての発言が命令の形をとればよい。上品な様子をしたければ、おすすめの形をとればよい。忠告・希望・期待、そうした甘味をちょっぴり微笑ませればよい。背後にキラメク強力な武器がこわいから、微笑は恩恵とすら見えてくる。そこまで来れば奴隷・植民地根性はほぼ十分な完成をとげたと云うことが出来るのだ》(同書p10〜11より抜粋)
わたしが生まれた1955年『思想』に書かれた富士正晴のこのエッセイを、2014年の今読んで 背筋が凍りつくような思いをしてることが怖い。とても怖い。

▲ 山田さんは富士の本を読むのには気力が要る、とおっしゃってたけれど、軟弱なわたしなんかは前述のエッセイだけでも打ちのめされそうやな、と思う。でも、たのしいエピソードもいくつか紹介してくださった。
富士正晴の「学校嫌い」の話には笑ったり、共感したり。いや、それでも三高に合格する氏の秀才ぶりを思ったりするのだけれど。
曰く《勉強なんかさほど重大ではないかもわからん。大学校は上へばかり卒業するものとちごぅて、横へ卒業する仕方がある。》
結局、富士は三高文科(いまの京大)を中退することになるんだけど。「横へ卒業」というのがええなあと思う。

▲ 最後に「川は流れるが杭は残る。流れの中に残る「杭」としての富士さんの中に、たえず魯迅のステッキの音が響いていたのではないだろうか」ということが山田さんが「富士さんについて、今思うこと」だと。
わたしは前々回の講演の前に『富士さんとわたし 手紙を読む』(山田稔著 / 編集工房ノア)を読んだのと、その折記念館でであった詩がきっかけで『心せかるる』を読んだきりだったけど、お話を聴いて他の本も読みたくなった。

▲講演のあとの懇親会にもJのおかげで参加。山田稔さんがテーブルを回って来てくださり、なんと氏の向かいでお話できるという夢のようなひとときをすごした。
けど、ほんまの夢やったら、すらすら話せたんやろうけど、現実は緊張とビールによる弛緩がごちゃ混ぜとなり(苦笑)つまらんことをペラペラしゃべった気もして。あこがれの人の前では閉じた貝のように寡黙になるか、もうやめとけ、というほど饒舌になるか、ほんま難儀な性格である。それでも山田さんはていねいに応えてくださって、ありがたかった。(が、それゆえに、再び凹むのであったが・・)

▲ とか、思ってたら山田さんの真横の席だったJも「何かしゃべらなあかんと思って、焦ってしょうもない話をして自己嫌悪に陥りそうになった」そうで。
お互い舞い上がったり、凹んだりの一日で。ああ、けど友よ〜ほんま有意義で、そんで愉しい時間やったね。
富士正晴らが戦後島尾敏雄らと始めた かの『VIKING』は東京の文壇に出てゆくための文学誌ではなく「存続することを唯一の目的とする」同人誌で、発行は月一回。今はもう767号やそうな。

▲帰途、その日出会ったひとたちのこと、聴いたり話したいっぱいのことを思い返しながら、「続ける」ことの力を思いながら 夜道を歩いた。
しかし、なんやかんやとよう歩いた日で、家に帰ったら歩数計は11795歩。人形がバンザイをしていた(一万歩こえると歩数計の人形のバンザイマークが出現するようになってる・・笑)
家に着いたら緊張がとけたのか、急におなかがすいて、おでんの温め直しにワインを少し。ええ夜でした。


*追記
その1)
『富士正晴集』この本の出版社影書房の松本昌次氏が(2014.11.1)レイバーネットに「富士正晴と言う人がいた」という文章を書いてはります。→

図書新聞2014.5.17 『富士正晴集』書評 鈴木慎二氏(BOOKS隆文堂)→


その2)

今日はこれを聴きながら。
Jennifer Castle "Nature"→

by bacuminnote | 2014-11-07 21:44 | 本をよむ