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いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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11年。

▲ なんだか急に冷え込み始めた朝、俵万智さんの『「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ 』がツイッター上に何度も流れてきた。RT(リツイート)してはる人が多いのは、そんな「あたたかさ」が恋しい人?それとも今その「あたたかさ」の中にいる人やろか?
そんなTLみながら浮かんできたのは「誰か居るごとくに今朝の寒さ言ふ」(岡本眸『卒業歌』)という俳句。じんとくる一句だ。

▲ そういえば母が一人で暮らしていた頃「寒いときの方が独り言が多い気ぃする」〜と言うてたなあ。冬は「一人鍋に決めてるねん」と友だち。寒いとひとりは堪えるけど、温もると元気がでると言う。
ウチも冬は鍋の出番が多いけど、いつかわたしらも一人になるんやな、と日々届く「年賀欠礼」のはがきにおもう。
寄せ鍋やいづれひとりとなるふたり」(宮武章之 私家版句集『松山城』)

▲ きょうは相方のお父さんの命日だ。あの日(→)からもう11年になる。息子2にメールしたら「ぼくは、ちょうど人生の半分長野で、もう半分が関西って感じになるんやね」と返って来て。この子は信州生まれ信州育ちって思ってたけど。そうか〜もう彼のジンセイの半分が関西になったんか、となんかしみじみ思いながら、ぽかぽか陽気の日曜日いつものバスで、お茶もってビスケットもって、本持って、お墓のあるまちまで冬の遠足。

▲ 日曜日ながら、お昼時だったから墓地にはわたし一人で、なんだか心許ない。
腰をかばいながら(その前日鍼灸院でみてもろたとこやったし)しゃがんで花入れを洗ってたら、70代くらいのご夫婦が来はって「こんにちわ」「今日はええお日和ですねえ」「ごくろうさん」。交わすことばは決まってるんやけど。いつものことながらほっとするような時間だ。
さっき書いた岡本眸さんの句に「墓掃除一途になつてをりにけり」というのがあるけど、草抜きしてたらすっかり夢中になって腰のこと忘れてて、いかんいかんと切上げた。

▲帰りはゆっくり歩く。いつもの喫茶店の前を通ると白い張り紙。あれ?臨終休業かなと思ったらなんと閉店のお知らせだった。それで驚いてるわたしも入ったことないんやから「さみしい」なんて勝手なこと言えないけど。やっぱり何も思わずに通り過ぎることはできない。もう一軒シャッターの降りた小料理屋さんは「諸般の事情で」もうちょっと待っててくださいね〜とあって。「諸般の事情」がどうか早く解決しますように、と思う。

▲ 駅までの道はそのまま商店街で、ご多分に漏れずここでもシャッターの降りてる店がいくつもある。
その昔、義父と義母によくここに連れて来てもらった。お魚の新鮮な店。お肉やさんのコロッケ。海苔と昆布。買い物の最後にはいつも義父の好物のうどん玉をいくつも買った。引っ越してもなお、長らく暮らしたまちに、時々たまらなくなって買い物に行く義父母だったから。帰りは一杯ビニール袋かかえて車に乗り込んだ。

▲ 駅前に着いたら、高校生か大学生のロックバンドが演奏しており。聴衆は少なかったけど、友だちらしき女の子たちが音楽に合わせて踊ってた。
ちょうどうまい具合にバスが入ってきて、乗りこんだら行きと同じ女性のドライバーだった。持ってきたビスケットはとうになく(苦笑)ペットボトルに入れてきた朝の残りの珈琲をのみながら、本を読む。この間読み終えたから再読。東直子さんの『いとの森の家』(ポプラ社)
「いと」とは福岡県糸島のことだと知ってすぐに買った。糸島には友だちがいて(糸島を訪ねたときのことはここに書きました→)山の中のとてもすてきなところで暮らしてる。

▲けれどこの本に惹かれたのは、糸島だけでなく、主人公の少女が会うおハルさんという女性。フィクションなんだけど、このおハルさんこと白石ハルさんという女性は実在の人物らしい。《福岡の受刑者の慰問をし、たくさんの手紙を交わしたことで知らせる女性》やそうで。主人公の少女が福岡のまちから引っ越して一年間だけ暮らした糸島の山の中の家での生活を縦軸にそこで出会った友だちやその家族、おハルさんとのことが綴られてゆく。
まちから田舎暮らしというのは、わたし自身もじゅうぶん体験してるから、うんうん頷きながら読んだけど、田舎に在っておハルさんという人との出会いはとても大きかったやろなあ、と想像する。

▲ 時代背景は著者の年齢からすると1974年頃だろか。銀行員の父、母姉と福岡市内の静かな住宅街にある団地(社宅)に住んでいた一家は、あるときお父さんの発案で「いと」と呼ばれる田舎に家を建てることになる。
「さあ、今日はいとへ行くぞ」父も母も、そこを「いと」と呼んでいた。日曜日になると、たびたび「いと」に連れていかれた。家族五人で行くこともあれば、姉と私だけがついていくこともあった》(p22)
子どもの意見を聞かず田舎暮らしに入ったのはわが家もおなじで(いや、そういうことを書いた本ではないんだけど)何でもない文章の中にも、「行くぞ」というお父さん、「連れていかれ」「ついていく」子どもに、ちょっとどきり。

▲ せやからね、主人公の加奈子や姉が 最初はまちでの暮らしとのギャップに、とまどいながらもじきに「いと」での暮らしの愉しみをみつけて、ほっとする。
そうして、そんな中出会うのがおハルさんだ。森の家に一人で住むおハルさんはアメリカ帰りで、田舎ではめずらしいクッキーやケーキを焼いてくれる、おちゃめでハイカラなおばあちゃんだ。
そのおハルさんがなんで死刑囚の人に手作りのお菓子を持って会いに行ったり、手紙を書いたり、そればかりではなくお骨までをお家で預かったりするのか。加奈子も友だちの咲子ちゃんもおハルさんに話を聞きながら、子どもなりにいっしょうけんめい考える。

▲ おハルさんが加奈子たちに教えてくれた死刑囚の人たちが残した俳句。
冬晴れの天よつかまるものが無い
最初読んだときノートに書き留めた。冬の青空の日だから、よけいにずんとせまってきて胸のあたりが苦しい。
けど、おハルさんのことを好きなひとばかりではない。友だちの高子ちゃんちのおばあちゃんは、よく思っていないことを加奈子たちの前ではっきり口に出して言うんよね。

▲ 子どもたちがおハルさんの楽しさとやさしさに惹かれるきもち。波立つきもちも、わからなさも又いとおしい。
まだ子どもだからわかってないのでなく、まだ子どもだから見えているものがある。すっかり大人になってしまったわたしは、おハルさんのことばを反芻する。
ありがとう、かなちゃん。あなたには、残酷なできごとが起こりませんように。しあわせな人生でありますように。》(p218)
私は、たくさんの人が踏みつけていった雪の上を、さらに踏みつけて歩いたの》(p221)

▲ そうそう、なぜ加奈子たち一家「いと」での生活が一年間だったか、は本で。
子どもに戻ったり、親のきもちで、いきつもどりつ本の世界に没頭してるうちに、バス停に着いた。と、くうう〜と大きな音がして焦る。時計みたら2時過ぎ。ハラヘッタ。やっぱり今回も〆はたこ焼き屋で。



*追記
その1)
文中にでてきた俳句は『異空間の俳句たち』(異空間のはいくたち編集委員会/海曜社)から引用されたものだそうです。

その2)
東直子さんは小説や絵本も書いてはりますが(この本の装画も著者によるもの)歌人です。
このあいだ某誌で東直子さんが選者の短歌投稿欄がはじまったので、おもいきって出してみたら、自信作はあかんかったんやけど(苦笑)ひとつは佳作に選ばれました。うれし!
郵便受けに届いた封筒を家に入る前に、立ったままで開けて「うしろから読む」〜ドキドキ感は高校生以来なり。

「となりの子花を数える声やんで九月の朝顔青いのひとつ」(しずか)←俳句と短歌のとき用のなまえ(笑)

その3)
今日書けなかった本。
写真で読む『水俣を忘れない』桑原史成(草土文化)→

『おとうさんといっしょに』『おとうさんといっしょに おばあちゃんのうちへ』『きよぼう きょうは いいてんき』三冊とも白石清春さんの文、西村繁男さん・いまきみちさんの絵(きよぼう・・の絵は西村繁男さん)福音館の絵本です→


その4)
今日はこれを聴きながら。いつもいつまでもすき。
Neil Youg -Plastic Flowers→
by bacuminnote | 2014-11-18 22:52 | 本をよむ