ここやな。
2015年 04月 11日
今日も雨。一日中つめたい雨。しかも雨足はけっこう強くて、ざあざあという音が絶え間なく聞こえてる。朝の珈琲を温めなおしてストーブのそばで啜った。
窓の外は 雨に打たれた庭木の葉っぱがひらひら揺れて。ちいさくてまだ淡い緑色がかいらしい。
草も一雨ごとにぐんぐん伸び始めて、ああ春。
▲今時分の雨はいろんな花を催す(咲かせる)という意味から「催花雨(さいかう)」とも言うらしいけど。この、冷えて湿気、というのはしんどい人や痛いとこのある人に堪えるやろなあと思う。膝をさすりながらそう思う。
せやから そろそろ晴れてほしいなあ。
▲ そういうたら、京都へ出かけたこの前の日曜日も朝から雨が降っていた。久しぶりの京阪特急は、一瞬迷ったけど「やっぱり」と2階の二人掛座席に。これに乗ると小一時間の乗車もなんか旅行気分。始発駅で乗ったので まだまだ空席はあったけど、次の駅に停車すると一杯乗り込んで来はって たちまち埋まり、わたしのとなりにも青年が座らはった。
▲ わたしは持って来た読みかけの本〜『戦争ごっこ』(玄吉彦作/ 玄善允・森本由紀子訳 岩波書店)を読む。
「戦争ごっこ」っていうのは、「戦争」というものがある(あった)国には、たぶんどこにでもある子どもたちの遊びかもしれない。でもそれは必ず敵と味方に分かれるわけで。そうして勝ち負けがあるわけで。子どもたちは(というか、大人たちがそうやから)力のある方の「役」をしたがるわけで。
▲主人公の少年セチョルたちも植民地時代は「日本軍」と「米軍」、その後は「共産ゲリラ」と「討伐隊」・・というように「戦争ごっこ」の役割もそのつど変わる。
子どもの世界の力関係もまた その時代や社会や大人たちをときに残酷なほど投影しているんよね。
その日は、最後の第三章〜セチョルのクラスにソウルから避難してきた子どもたちがやってくる場面から読み始めた。
▲ ・・と横から何か声が聞える。
となりの青年が大事なものを家に忘れ物してきたらしく、「忘れてきた」「どうしよう」「ICカードを机の上に置いてきちゃった」「お金ないのに」と独り言を繰り返してはる。はじめはよく聞き取れなかったんだけど。ちょっと切羽詰まってる気もするし。でも、ICカードって何なんやろ?それ、なかったら困るんやろなあ・・・とわたしも落ち着かない思いで、本の同じ頁、おんなじところを行ったり来たりして。
▲ 次の駅に着くや否や青年はさっと席を立った。
空席を探してるようだったけど、すぐに空席は埋まってしまい、諦め顔でまた元のおばちゃん(!)のとなりに腰かける。
と、そのとき通路挟んでむこう側座席の小学生くらいの男の子がお父さん(らしき人)になんか電車の話をし始めたのが聞こえてきたんよね。
見ると、いつのまにか彼らの向かいの席が空いており。青年は待ってましたとばかりにそこに移動。どうやら彼は右側座席に座りたかったらしい。車窓から目当ての何かが見えるのかもしれないなあ。わたしがよしのに行くとき、川の見える席に移動するみたいに。
▲ 男の子と青年は向かう形で座ってるものの、男の子はお父さん相手にぽつりぽつりと電車のことを話してて、一方青年は車窓から外を眺めつつ、いつのまにやら男の子の話にも加わり始めた。
あれ?もしかして知り合い?と一瞬思ったけど、そうでもないみたい。でも突然話しかけてきた青年に、その男の子は戸惑ってる風でもなく、ごく自然に応えてる。鉄道について無知なわたしにも、二人とも電車好きだということはじきに伝わってきた。
▲ とはいえ、お父さんは子どもの話に黙って頷くだけやし、「鉄ちゃん」の二人も向い合って話して盛り上がる〜というのでもないんやけどね。「次は◯駅や〜」と男の子が言うと「この京阪特急”洛楽(らくらく)”は◯駅には停まりません」と青年が応える。横を通過する電車を見て(←あ、席移動はこれが目的やったのかな?)いまのは”◯千系”で〜と男の子が言うと、青年がよく似たべつの系統の電車話をしたり。途中通過の駅〜よど競馬場の説明から京阪の名物列車らしい「機関車トーマス号」に乗った話まで。かみあってるような、そうでないような。でも、そのやりとりがなんかええ感じやった。
▲やがて祇園四条に着いて(なぜか父子+青年の三人共ここで)降車するまで「鉄ちゃん」たちの話(未知の世界!)を隣でこっそり楽しませてもろた。
あ、読みかけの本は結局三章から先に進まんかったのと、ICカードの件はどうなったのか、わからへんかったけど。なんか落ち着いた表情で降りて行かはったし、ええ日曜日を!とおばちゃんは二階から(笑)「鉄ちゃん」たちをそっと見送った。
▲ さて、そうこうしてるうちに終点「出町柳」に到着。前日復習しておいた(おおげさ)地図を思い返しながら、駅近くの「かぜのね」にて息子2と彼の友だちと一緒にお昼ごはん。「はじめまして」の友だちと、それでもキンチョーの時間はあっというまに過ぎ、おいしくて和やかで愉しい時間。
その後三人で「トランスポップギャラリー」にて旧友うらたじゅんの個展『ミリオン通り』に。
▲ 何年ぶりかで会うウチの子の成長に「きゃあ〜◯ちゃん!」「ひゃあ〜◯ちゃん!大きいなって」という彼女の歓声(!)がひびくなか作品を観る。
このブログには、いつもあほなこと言うて笑うてる Jとして登場させてはいるものの、絵やマンガを描くときの彼女は別人。ちょっと近すぎてわからへんけど、なんかすごい人かもしれへんなあ〜と個展のたびに思う。
▲ そうそう、彼女の絵にも電車がよく登場するんよね。今回わたしが一番すきになった作品にも京阪電車が走ってた。→■そして高架下を今にも くぐろうと、スカートのすそをひるがえし自転車で疾走する少女にぐっとくる。あの子はどこに向ってるんやろか。かっこいい。
▲うらたじゅんの描く電車とまちの風景はいつもどこかなつかしい。いつか行ったことがあるような。どっかで見たことがあるような。けど、電車は行き先のプレートがあってもどこに向かうのか、わからない。「なつかしさ」に気ぃとられてるうちに、遠く知らないとこに連れて行かれそうになる、そんなふしぎな時間。一枚一枚に物語があって。うまいこと言えへんけど、そこがうらたじゅんのすごいとこちゃうかなと思います。(京都のギャラリーでは4/12が最終日。この後、東京では5月に→■)
▲ギャラリーを出て、次にむかったのは西陣の古書店「カライモブックス」だ。(いつも籠ってるから、たまに出ると盛りだくさん!)「カライモ」は息子2の特別お薦め本屋さんで、通販でおせわになることはあったけど、前からいっぺんお店に行ってみたかったんよね。
本のある場所で嫌いなとこはないけど、ほんまにすきなとこ、っていうのは限られていて。それは棚の充実度や好みだけやなくて、いや、そういうのを見る前に扉を開けた瞬間「ここやな」って思う気がする。
▲「カライモブックス」は通りを歩いてきて、息子が指差す「そこ」の佇まいが目に入ったとたん「すき」とおもった。
そしてお店に入って、ゆっくり本をながめて手にとって、お店の人たちと話して「すき」は「だいすき」になった。ぜひまた訪ねてみたいです。
読みたかった本(『音楽未満』長谷川集平)も思いがけない本(『フロイスの日本覚書』松田毅一, E・ヨリッセン)にも出会えたしね。帰りは息子の友だちに改札口まで送ってもろて。
ほんまにええ一日やったなあ。
この日会ったひとたちみんな〜いっぱいおおきに!
*追記
その1)
『戦争ごっこ』はその後 読了。
児童書としてもすばらしかったけど、ぜひ大人にも読んでほしい読み応えのある作品でした。知らなかったこともたくさんあり、今はまだ読後の余韻の中でぼぉーっとしていて、ことばにできないでいますが、また日をあらためて書きたいです。
この本を読んだあと、以前読んだ『木槿の咲く庭』(リンダ・パーク・スー作 柳田由紀子訳)を思いだしました。再読するつもり。(この本日本で出版された本の表紙→■よりアメリカでのものの方が本の主題に迫ってる気がします→■)
その2)
「カライモブックス」でみつけた『音楽未満』は絶版。ええ本やのに。残念。
知ってる曲も知らない曲も、聴いてみたくなります。■
その3)
というわけで、今日は↑でも紹介されている この曲。
Arlo Guthrie - Hobo's Lullaby■