いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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もて余すことがだいじ。

▲今夏は前半の猛暑がうそのように、お盆あたりからすいーっと熱が引いたように涼しくなった。
そういえば、子どもの時分、お盆の間は川での水泳は休みだった。そもそもプールのない小学校だったし「泳ぐ」=「川に行く」で。お昼食べたら水泳、川から帰って昼寝〜っていうのがわたし(ら)子どもの夏休みの毎日やったし、大いに不満やったけど。

▲お盆に泳いだら「足ひっぱりに来はるさかいに 行ったらあかん」と祖父母に親、近所のおばちゃんまで皆に毎夏聞かされており。
けれど、盆休みには大阪やら町から家族づれが川に大勢やってきはるんよね。そんで田舎では見たことのない派手な浮き輪や、かっこええビニールのボートなんか持って、川原ではにぎやかにスイカ割りとかしてはって。「あの人らは引っぱられへんのやろか?」と話しながら、地元の子は自分らの遊び場所を奪われたかのように、そんな様子を橋の上からチュウチュウ食べながら、うらめしく眺めていたものだ。

▲ところがお盆があけると、楽しみに待っていた川も知らんまに水はじーんと冷たくなっており、それでも唇を青紫にして(苦笑)しつこく泳いでたら、上(かみ)の方からなすびやらきゅうりやら、お盆の供え物が流れてきたりして。いっぺんに気が削がれて、そそくさと水から上がった。
それから、先に川原で寝転がって温もってる友だちの背中に、色の出る石をみつけては墨みたいにねっとり摺って指で絵を描いたり、友だちの好きな男の子の名前を書いたりして、しばらくお日ぃさんの下で遊んで。そんで汗かくと又つめたい水に浸かった。

▲そんな田舎の のんびり夏休みを思い出しながら、塾の送迎バスを待ってる子らの前を通り過ぎる。
けど、行き先が塾とは思えないほどキャッキャッはしゃいで楽しそうやから。これはこれであの子らの夏休みのとくべつな時間なのかもしれへんなあ〜と思う。
ただ何度も腕の時計やスマホで時間チェックしてるのを見てると、気の遠くなるような長い、時に身の持って行き場のないほどの退屈な夏の時間を、あの子らがこれから先ずっと過ごすことないまま大人になってゆくのはなんかもったいないような気もして。
が、そんな夏休みもあと数日でお終いやね。

▲この間Twitterで夏休みの宿題の難関のひとつ、読書感想文のテンプレ(テンプレート。template「雛形」)というのが紹介されていて→。へえ〜ついにこんなのが出たんやなあ〜と興味津々見てみた。
これ、見てもらったらわかるように読んだ本の名前から始まって、何故この本を読んだのか、いちばん心に残ったところは、だれがどうしたところ・・と( )を埋めることで感想文が完成するようにできていて。ほほぉ〜わたしもここで本を紹介するとき、こんなふうに順序だてて書けばすっきり収まるんやろなあ〜と半ば感心。半ば放心〜。

▲かつてウチの子らも夏の終わりになって読書感想文に(←これだけちゃうけど)困り果てていたっけ。「ええかっこして書こうと思わんと、思ってること〜おもしろなかったら、どこそこがおもしろなかった〜って、そのまま書いたらええねんで。たった一行でもええ。変化球やのぅても直球や、直球〜」と、野球の「や」の字も知らんくせに(余談ながら「パ」と「セ」のちがいも未だにわからない)エラソーに言うてたりしてたんだけど。

▲わたしはといえば、本を読むのが好きだったものの、本当に好きな本の感想文は殆ど書かなかった気がする。そういう本に出会うと、わあーー。すごいなあ。よかったなあ〜くらいで(今でも・・)本閉じてしばらくはさすがのわたしも無口だ。
せやからね、ガッコの宿題には感想文を書きやすい本(!)を選んで、センセがOK出してくれるような作文を書く、やな子だったと思う。
やがてその「やな子」から抜け出そうと、自分のことばを探すようになったんだけど。言いたいことがいっぱい詰まってるときに限って、自分のことばの箱には「これ!」というのが見つからなくて。気持ちばかりが煮詰まってゆくのだった。

▲そうそう、いま『紋切型社会 言葉で固まる現代を解きほぐす』(武田砂鉄著/ 朝日出版社2015年刊)という本を読んでるところなんだけど、第二章「育ててくれてありがとう」(横には小さい文字で「親は子を育てないこともある」とある)
には、この読書感想文テンプレによく似た話が登場するんよね。タイトルから想像できるようにこれは結婚披露宴でよくある新婦が親にむけて読む手紙のこと。

▲これのサンプル文が結婚情報誌のサイトに出ているそうで。
曰くその手紙は3つの段落に分かれて「書き出し」「エピソード」「結ぶ」のそれぞれのカテゴリが何パターンもの文例から選べるようになっており、呼びかけの言葉や感動を呼ぶための注意事項などもていねいに書かれているらしい。「両親への手紙ぐらい自分で書けよ、と思う」と著者。嫌々提出させられる宿題やないねんからなあ〜とわたしも思う。

▲【子は親の生き写しではない。おおよその場合、親は子を育てるが、育てないこともある。多様性を、ありきたりの式次第や取って付けたような感動で踏み潰す動きに対して慎重になりたい。 「育ててくれてありがとう」にハンカチを濡らす前に、残りの一割に対して敏感でありたい。
そのためにも、つまり家族のパターンを確保するためにも、結婚式のスピーチ各種くらい、サラダバー的な他人任せの素材で作り上げるのではなく、ご自分の言葉でお願いしたい。
】(p31より抜粋)

▲・・・と、なかなかきびいしい。あ、「残り一割」というのは、この文章の前にいま流行り?の「2分の1成人式」(成人の2分の1の年齢である10歳を迎えたことを記念して各小学校で行われてるらしい)という行事に、ベネッセのアンケートでは九割近くの親が「満足」と答えてるのを受けて、満足していない一割の存在やその理由を【ジョン・レノンじゃないが想像してごらんなさい】と言うてるんよね。ていうか、「2分の1成人式」にも親への感謝の手紙が登場しそうで。いろんな問題を抱えていそうなこの行事についてもいつか書きたいと思ってたんだけど・・。
それにしても。
【ありきたりの式次第や取って付けたような感動で踏み潰す動きに対して慎重になりたい】には どきんとする。

▲そうそう、この前たまたま見たmanmo.TVというサイトの以前のインタビュー記事にも、立ち止まるところがあって。それは哲学者の野矢茂樹さんの発言なんだけど、いまここに書くのに見直したらタイトルがなんと『紋切り型の言葉をはみ出たものをだいじにする』だったのでびっくり。
インタビュアーの「うまく言えないで、言い淀んでしまうことがありますが、それは豊かさを感知している証でもあるわけですか?」という質問に野矢センセはこう応えてはるんよね。

自分の考えをはみ出たものは、自分の言葉の外にあるのだからうまくいえないのは当たり前です。
初めて恋愛したら、その気持ちをどう表現したらいいかわからないのは当然でしょう。それをドラマみたいな言葉でくくったら、きれいな言葉であってもつまらない。
自分の気持ちを持て余すことがだいじ。切り捨てないで抱えてじっと見ていると自分の言葉が豊かになっていくはずです。

(MANMO.TV インタビュー#301 より抜粋 →

「持て余すことがだいじ」に、はげまされる。




*長すぎる 追記 
その1)
上記リンクした『紋切型社会』の出版社の特設サイト→というのがあって、下の方に「育ててくれてありがとう」の章を読めるようになっていました。


その2)
今日読み終えた本を。
『わたしが子どものころ戦争があった 児童文学者が語る現代史』(野上暁編・理論社刊)装画は長谷川集平さん→8人の児童文学者がそれぞれの戦争体験を語っています。今、だからこそ子どもにも大人にも読んでほしい本です。

満州生まれ満州育ちだった1931年生まれのあまんきみこさんは少女時代を振り返り語ってはります。最後の一文「薄暗い世界にひとり蹲(うずくま)ってしまいます」に胸がしめつけられる。

「満州」は、日本の傀儡の国でした。
わたしたちはその地の暖かな日向の場所で過ごしたことで、そこにいるべきはずの人を寒い日陰に追いやったことを思わずにはいられません。知らなかった、見なかった、聞かなかった、子どもだったは免罪にはならないでしょう。むしろ、より罪深い場合さえあると思います。戦後七〇年といわれますが、いまだにそうした意味で心のおりあいがつかず、ときどき薄暗い世界にひとり蹲ってしまいます
】(あまんきみこ「少女時代を満州で過ごして」より抜粋)

最後は1950年〜戦後生まれの岩瀬成子さん。
自宅から米軍岩国基地が見えるという岩瀬さんがこう結んでいます。そう、日本の戦争は七〇年前に終わったものの「いまでも戦争と地続きのところ」にいるんや〜と思います。
「安保(戦争)法案」反対!

わたしの家からは基地が見えます。戦闘機の離発着が見えます。おそらく、日本の多くの人たちは、国内の基地がどうなっているのか、どう変わっていきつつあるのかあまり知らないのではないかと思います。
日本中の米軍基地の七〇%がある沖縄の人たちの苦悩はもっともっと深刻だと思います。
子どものころに戦争があったという過去の話ではなく、いまでも日常と地続きのところに戦争があるのです。七〇年前の敗戦以降、ずっとアメリカ軍は駐留し続け、ずっと戦争をしてきました。戦争はずっと続いているのだと思います。

(岩瀬成子「米軍基地のある町から見た戦争」より抜粋)

その3)
夏休みがおわり、また新しい学期が始まるときって(宿題ができてる、できていないに関わらず)
楽しみな子ばかりやなくて、重いきぶんの子どももきっといると思う。
わたしの子ども時代はガッコも親も「嫌なことから逃げたらあかん」の一点張りやったけど。そんで、その時は言い返せなかったけど。今なら「ちがう」ってはっきり言える。
「息のしにくい所」から「息のしやすい所」に、"逃げる"ではなく"移動する"〜という選択肢があること、大人たちは子どもに伝えてやってほしいと思う。そして、そういう場が(それが本やったり音楽やったりすることもあるよね)ひとつでもありますように。(前に書いたブログ「そのなかのひとつ」→

鎌倉市図書館・8/27のツイートを読みながら〜

その4)
あれも、これも、とすっかり長くなってしまいました。
今日はこれを聴きながら。
Jan DeGaetani - Ah! May the Red Rose Live Alway(Stephen Foster )→
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by bacuminnote | 2015-08-28 09:57 | 本をよむ | Comments(0)