いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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冬となる。

▲「かくれんぼ三つかぞえて冬となる」(寺山修司)
この句を読むと、子どもの頃かくれんぼしてる途中、友だちんちのお母さんやお姉ちゃんが「ご飯やで〜早う帰っておいで」とつぎつぎ呼びに来て。
呼びに来ないウチの子がとり残された 晩秋の夕暮れどきがうかんでくる。
「わたしらだけで、もう一回しよか」と鬼になって。
電信柱に寄りかかって、目に当てた片腕を外したら、ほんの十(とぉ)ほど数えただけやのに。びっくりするほど辺りは暗くなってたんよね。

▲冬の始まりはいつもかけ足だけど~今年は早う来はった気ぃするなあ。まだ三つもかぞえてへんのに。
とにかく、わたしは先週ぎっくり腰(また)やってしまったたところだし、あわてて上から下まで冬仕様に替えて、レッグウォーマーにひざ掛け、ショールも出して「冬」に備える。
そんなわけで、
夏場は暑うて敬遠してた火のそば~夕方湯気のたつ だいどこで煮物炊きもんの番しながら、ときどき味見たりしながら、ちょっとのみながら本を読んで。寒いのは かなんけど、ああ、ええ季節やねえ。

▲このあいだ図書館に行ったら、出入口の掲示板に長いこと外したままになっていたプレート「図書館の自由に関する宣言」が元の位置に掛けられていて、うれしく、改めてゆっくり眺め入る。

第1 図書館は資料収集の自由を有する。
第2 図書館は資料提供の自由を有する。
第3 図書館は利用者の秘密を守る。
第4 図書館はすべての検閲に反対する。
図書館の自由が侵されるとき、われわれは団結して、あくまで自由を守る。

▲この図書館に通い始めて(つまりここに引っ越してきて)もう10年以上になったけど、帰りのエレベーターを待ちながらこれを見るのが癖のようになっていたから。
何週か、そこだけぽっかり空いた掲示板見てたんだけど、ある時ふと、もしかしてなんか訳あって外さはったんやろか~と気になって(なんせ、もう油断も隙もない昨今のセイジやし)
館員さんに思い切って尋ねてみると「いえいえ、単に壁から落ちただけですので、そのうち掛けますね」とのことで安堵。(まあ、実際に掛けられたのは「そのうち」からだいぶたってからやったけど)【図書館の自由の状況は、一国の民主主義の進展をはかる重要な指標】(上記 宣言より)だし、ね。

▲そういえば、これが改訂されたのが1979年で(採択1954年)。
改訂版には【「図書館は利用者の秘密を守る。」が新しい第3宣言として加えられ、旧第3宣言は「すべての」の次に入っていた「不当な」が削除され第4宣言に改められた。「不当な」の文言がなくなったのは“正当な”検閲というものは存在しないため。】(by wiki )には大きく頷く。すばらしい。
ただ、ひとつ疑問に思ったこと。
改訂前の原案(1954年 主文のみ採択)→に主語は「民衆」と書かれているのに、改訂版では「国民」になっているところ。なぜ変えたのだろう。図書館の利用者は「国民」だけやない〜ひろく民衆のためのもの、と思うのに。

▲さて、
この市に図書館が誕生したのは1945年3月だったとか。つまり今年は開館70周年ということで。
このときは市役所に併設という形だったそうだけど、3月といえばまだ戦時中のこと。一体どんな本が並べられ、どんな人たちが借りていたのだろう〜と思うと興味深い。
やがて60年代後半より市内のあちこちに子ども文庫が誕生し、70年代はじめには今わたしが暮らすまちでも図書館設立への運動が始まり、ようやく1978年に開館となったらしい。

▲当たり前のように日々利用しているまちの図書館だけど、ここに至るまでは 多くの人たちの熱い思いと地道な運動があってのことだったんよね。
ところが、ここ数年は市政の財政面での予算カットとか、図書館の司書はただの貸出係みたいにしか考えてないどこやらの市長とか、あるいは問題になってる公立図書館の民間委託とか・・・図書館をめぐる環境は少しづつ、でも確実に劣化しているような気がする。

▲そんなこんなを思ってたら某出版社社長が「本が売れぬのは図書館のせい」〜みたいなことを言わはったとか。→(web朝日新聞)
人気の新刊本だからといって、十数冊も同じ図書館で買うのにはわたしも前からおかしいなあと思ってたけれど。

▲図書館で借りて、もう一度読みたくて書店で買う〜というのはよくあること。わたしは図書館で読んでよかったから、友だちへの贈り物にその本をえらぶ〜ということが多い。
図書館で借りたり、新刊書店で、絶版本を古書店で買ったり。あるいは友だちに既読本をもらったり、あげたり。贈ったり贈られたり。
本と出会う場所も、手にする方法もいろいろあって(あるから)たのしい〜 
ていうか、こんなことわざわざ書かなくても、みんなそんな感じで読みたい本を「ここ」だけやなく「あちこちで」手にしてるんやないかなあ。
(ただ、アーティスト(に限らずだけど)の生活保障というか、支援する制度は必要だと思う)

▲図書館話に熱くなってたら、本のことが一番最後になってしもたけど。
その図書館で『ああ、そうかね』(山田稔著 京都新聞社1996年刊)にこの間出会った。
本屋でも図書館でも「これが読みたい」と目的のものを探しに行って、いつのまにか隣の棚の本が気になったり・・のおもしろさは辞書でことばを調べてるときに似ているなあとおもう。
全然関係のないことばでも隣に並んでるのを読むと、へえ〜と興味がそっちに行くときみたいに。
そしてこの本も偶然のうれしい出会いだった。

▲山田稔さんの本は何冊か読んでるけれど、これは知らなかった。それにタイトルにも惹かれたので迷うことなく借りて帰って、道中にさっそく読み始める。
道中って、家から図書館までちょっとの間なんだけど、たまに足やすめに木の下で立ち止まったりするんよね。
これは京都新聞夕刊に「現代のことば」として氏が連載してはったのに数篇加えたものやそうで。
だから、だいどこで湯をわかしながら夕刊をひろげて読む気安さがあって、一篇が樹の下読書(!)にもちょうどいい長さだった。

▲いや、でも、短いとはいえ山田稔さんの文章やから。ユーモアとウイットに富んだ そして山田さんの住んではる京都風に言うたらちょっとイケズな(苦笑)視点もあって、とてもおもしろく、深く。さーっと読み終えてしまうにはもったいないエッセイ集だった。(せやから、新聞連載が本になったんやろなあ)

▲気になった表題作「ああ、そうかね」は1993年に書かれたもので。京都で開催された小津安二郎生誕九十周年記念映画祭で、氏が戦前のサイレント映画にしぼって観に行かはった話。
これを読んでからずっとわたしの耳元に笠智衆の声が聞こえてくるようで。ああ今もこれを書きながら、また頬がゆるむ。

【サイレントといういわば技術的に強いられた言葉の制約を、トーキー時代になって小津安二郎は寡黙の美学として積極的に活用した。
小津の映画は比較的セリフが少ない。笠智衆の真骨頂は黙って坐っていることにある。たまにこう言うくらいだ。
「ああ、そうかね。そういうもんかね」】(p151より抜粋)

▲そうそう、この本のことをツイートしたら小林政広監督が【懐かしいお名前に思わず反応して】【『コーマルタン界隈』が好きで、若いころあれを映画にしたいと思いました。】とリプライくれはった。
パリ滞在中「コーマルタン」を探したこともあったとか。『ああ、そうかね』を読みたかったけど残念ながら地元図書館にはなかった〜とのことで『旅のなかの旅』を読まはったらしい。(この本のことは昨年11月山田稔さん講演会後の会→で、たまたまわたしのテーブル前に座らはった!山田さんに本の中の一話についてお話を伺った本でもありました)

▲そして、数日後 ふたたび小林さんからツイートが。
こんなふうに本が人をよび、人が本をよび、つながってゆくのはうれしい。
ほんまにうれしい。

【今「旅のなかの旅」読み終えたところ。
もう35年前に旅した粉雪舞うインバネスの町を、マルセイユのユースで同室になった誇り高きベルベル人のことを思い出したり。
山田稔さんの旅は思索の旅か? ひとり珍道中の中、あたたかな観察眼が素敵だ
‪cumin‬さん思い出させてくれてありがとう、】
(小林政広監督のツイートより)

*追記

その1)
母からこのまえ手紙が届きました。
前日電話で話してたとこやからびっくりして開封したけど、とくになんてことのない手紙で、ほっとしたり、なんかおかしかったり。

「足の痛みはいかがですか。辛いでしょう。なるべく無理のない様にして下さい」
「あなたからのお電話は私にはよりどころであり、又勵みです。もう少しおつき合い下さいね」
と、むすばれており。
「勵み」という漢字を娘は読めんやろなあ〜と思ったのか(はげ)と書き加えてあったので笑ってしまいました。
じっさい「励」の旧字〜よう読まんかったけど。

便箋一枚きりの手紙は、でも、とても92歳とはおもえない、さらさら流れるようなきれいな字で書かれており(←親ばかならず 子ばかですみません)
たまには褒めてやろうと(笑)電話したら、ふふふと笑ったあと、なんか秘密を打ち明ける少女みたいに ちいさな声で「ほんま言うたらな、あんなん一枚書くのに、何枚も何枚も書き直したんよ〜」

せやったんか〜
おかあはん。
まだまだ、ながく。ながくおつきあいしましょうぞ。

「母よりの用なき便り柿の秋」(西山春文)

その2)
例によって書けなかった本の話。
干刈あがた『十二月 ドミドミ ソドドドド』(野上暁篇『冬のものがたり』所収)は
「ドミドミ ソドドドド  レレレレ ミミミミ
 ドミドミ ソドドドド  レレミレ ドミド・・」という音階から始まるんだけど、これ、聞き覚えあるなあと思ったら
やっぱり。バイエルの練習曲8番でした。→
なつかし〜い。音楽は子どものころから聴くのがだいすきだったけど、ピアノはいっこも練習せんかったので、ずいぶん長いことバイエルから
卒業できなくて、センセにあきれられてたなあ。

この話は『野菊とバイエル』に入ってるらしいので(前に読んだけどすっかり忘れてた)読み返してみようと思います。
主人公の女の子が自分のことを「オレ」と言うてるんが印象的でした。(若い女の子が自分のことを「ボク」とか言うのとはちがって)
信州で暮らしたころ、近所のおばあちゃんは「オレ」と言うてはったんをなつかしく思い出します。

その3)
今日はこれを聴きながら〜お酒はたのしんで のも。
Koudlam : 'Alcoholic's Hymn'→
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by bacuminnote | 2015-11-04 15:15 | 本をよむ | Comments(0)