いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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元・子ども。

▲よく晴れた日の朝10時頃に消防署の前を通ると、日除け付きの帽子が赤いのやら青いのやらがずらり~たこ焼きみたいに(!)並んでるとこに出くわす。
園児たちは消防車のそばに立った署員のおにいさんが何か言うたびに(どんなこと言うてはるのか聞こえないけど) わあ!とおっきな声をあげて。その様子がおもしろくて、かわいらしくて、つい足が止まる。

▲ちいさい人たちの「見学」のない日でも、時々、ポンプや車の備品を点検してたり、はしご車をするする高く伸ばしたり、時間内に梯子を登る訓練をしてはったりして、これまた足が止まる。
わあ!すごい。すごいなあ~とわたしも園児なみに口をあんぐり開けて(たぶん)梯子の先を見上げてる。
立ち止まってるのは、たいてい子どもとママか、老人で。そういう「なかま」をしばし眺めてるのもたのしい。(ヒマジンやなあ) 
何より子どもらの「かっこいい!」と見上げる人らが「ぶき」を持たず、制服は迷彩柄ではなく、車が「せんしゃ」でないことに、安堵する。

▲そういえば見学の子どもらの口から漏れるのは、たいてい「じぷた」や「のっぽくん」。『しょうぼうじどうしゃ じぷた』は、いつまでも人気者やなあ。
この絵本、初出は1963年福音館書店『こどものとも』。のち1966年に「こどものとも傑作集」の一冊として発刊されたらしいから、御年51歳なり。すごい!

▲ウチの息子らもだいすきな絵本で、何度も何度もせがまれては読み(そういうたら「読み聞かせ」という言い方にはずっとひっかかってます・・)子どもらも文字を識ってからはもちろん、まだ字が読めない頃も、すっかりおぼえたお話を一字一句違わず「読んで」いたし。
ああ、あのころ近所にこんなんがあったら、どんなに喜んだやろなあ~と思いながら、目の前のリアルな赤い車に釘付けのちいさい人たちを眺める。

▲じつ言うと、最初わたしは「じぷた」や「はたらくくるま」系の絵本があまり好きやなかったんよね。
子どものすきな絵本と親がすきなそれとは時々ずれる。それでも「じぷた」みたいに、何度も読んでるうちに引きこまれたものもあるし、どこが気に入ってるんかなあ?と思いながら読んだ本も何冊かあって。

▲んなもん、年もちがうし経験もちがうし(!)好みはちがって当たり前なんやけど。
子どものきもちで~とか言うても、いくら「元・子ども」と胸をはってみても(苦笑)一旦とび出したら戻れない世界ってあるんよね。きっと。
でも時々はいっしょに絵本の空を跳べた気がする。
「とっぴんぱらりのぷう」とか「チョキン、パチン、ストン」と、本を閉じるまで~寝床で、だいどこで、薪ストーブのそばで。子どもと本を読んでる時間はしみじみとシアワセやったなあ~と今更ながら思う。

▲ウチは上の子のときから13年後に下の子が登場したので、二人とはいえ、けっこう長い間子どもの本の中ですごすことができた。
とりわけ信州の山ん中で生まれ育った息子2は、からだが弱かったり、近くに子どもがいなかったこともあって、遠出して借りてきた図書館の本を、長い冬のあいだ ほんとによく読んだ。

▲それなのに、そのころ読んだ本の話をすると息子はちっとも覚えてなくて。
保育園でも小学校でも「○君は本が好きだもんねえ~っていつも周囲から言われてたけど、あれ、わたしが好きやっただけかもなあ」と言うと 「せやなあ~読んでもらうのが好きやっただけかも」とあっさり返ってきて(苦笑)
まあ、そんな子も大人になり、いつも本がいっぱい入った重たいバックパック下げて帰ってくるけど。
「べつに今もそんな好きちゃうし」とか ヘリクツ返してきそうやけど。

▲年の暮れ、寒い夜~
本を読むのが好きな子も、読んでもらうのが好きな子も、物語の空をびゅんびゅんとんでください。
そして時々は本を読んでくれる人もいっしょに連れていってあげてね。

この時期はやっぱりこの俳句で。
「子へ贈る本が箪笥に聖夜待つ」 (大島民郎)


*追記

その1)
”ロー夫婦”二人暮らしとはいえ毎年クリスマスのころには、クリスマスの、新年には新年っぽい飾りものをしてたんだけど。今季は華やいだ気分になれなくて、何もしていません。
それでも、ご近所友が庭の千両を採りにおいで~と言うてくれはるので、いただくつもり。
濃いオレンジ色の実がグリーンに映えてキレイで、なんだか小さな希望の灯りのようにもみえるしね。

希望~といえば、以前読んだ 『きぼう こころ ひらくとき』(”HOPE IS AN OPEN HEART” ローレン・トンプソン作/千葉茂樹訳/ほるぷ出版刊) (”HOPE IS AN OPEN HEART” ローレン・トンプソン作/千葉茂樹訳/ほるぷ出版刊)という絵本を今おもいだしています。


「きぼう それは、ほとばしりでる いかりの ことば。 
はきだすことで、わかることもある。」

「きぼう それは、だれかに たいせつにされていると 知ること。
じぶんにも たいせつなひとが いると知ること。」

「きぼう それは、はいいろの くもの うえの あおぞら。
ふぶきの あとの まぶしいゆき。」


その2)
足がいまいちで、なかなか思うように動けず時々凹んだりするのですが、いやいや、こういうときこそ「沈思黙考」です(←果たして、このわたしにできるかな? 笑)

今朝から読み始めた『哲学な日々 考えさせない時代に抗して』(野矢茂樹著 講談社刊)→に「立ち止まる脚力」という一文があって、いま立ち止まっているところ。


【哲学は、「いったいこれは何なんだ」と、自分のやっていることを問い直す。人はしばしば、いや、個人よりも会社や国の方がそうだろう、立ち止まって問い直す余裕を失うほどに前のめりになる。こんな危険なことはない。

なにも哲学の問いを問うべきだとは言わない。
だけど、立ち止まって自分を問い直す哲学の姿勢は身につけてほしい。大学で哲学を教えることの意味もそこにある。実のところ、ぐっと足を踏ん張って立ち止まるというのも、相当に脚力がいるのだから。】 (p23 より抜粋)

大学に文学部不要~とかいうてる人らこそ哲学を学んでください。

※野矢茂樹さんのインタビュー記事 →

その3)
例によって書けなかった本。ツヴァイク短篇選『チェスの話』(みすず書房)

その4)
きょうはこれを聴きながら。
Benjamin Clementine - Condolence

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by bacuminnote | 2015-12-23 11:51 | 本をよむ | Comments(0)