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いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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伊達巻、梅玉、鱧ちくわ。

▲朝からええお天気。洗濯物干すのに上着なしでも平気で。
大きくひとつ深呼吸。ふと見やった梅の木の下あたり~枯れた草の陰に「千両」をみつける。てっきり自分ちにはないと思ってお隣さんからもらって生けたとこやけど。実(み)はお隣さんの方が色鮮やかだけど。
冬のちいさな赤い色はかいらしい。蹲って見てたら、背中にお陽ぃさんがぽかぽかと温うてきもちいい。

▲モノレールがそんな冬の青空を横切ってゆっくり走ってゆき、ああ、この長閑な空気は大晦日というより11月のよく晴れた日の午後のようで。
「迎春」モードでいっぱいの食品売場の昨日の喧騒が、なんだか夢のなかのできごとみたいに思える。

▲昨夜は東京からふたり組と、京都からひとり帰ってきたんだけど。
いつも早い時間からのんだり食べたりしてるロー(low?)夫婦は、彼らの到着が待ちきれず、塩抜きしたばかりの数の子をちぎり、ねかしてあった黒豆も起こしてきて(笑)アテに切った長芋もチーズもサラミにも手をつけ、ウイスキーやワインをのむうちにふたりでぜんぶ食べてしもた。
やがて全員そろって。
みんなで食べて、のむ、のむ(え?また? というツッコミには返すことばもない只今減量中の身)時間のたのしくうれしいこと。

▲その昔ここに帰省すると、義母はきまって早起きで。
一人だいどこに立ち、数の子の塩抜きしたり、お煮しめ拵えたりしてはったっけ。二番目にわたしが起きてくると「ほんなら、縁側から始めまひょか」と窓ガラスをふたりで表と内に分かれて拭いた。
自分んちは掃除もできんまま慌ててここに来たのに~と若い「ヨメ」は内心ちょっと不服に思ったんだけど。
「あんたは背ぇ高いし、ウチの手の届かんとこも拭けるし助かるわ~」と言われて、張り切って背伸びしぃしぃ窓ガラス拭いたっけ。

▲掃除が終わると、義母が予約してあった練り物~焼き通しに伊達巻、梅玉、に梅の花・・・をとりにデパ地下に行った。当時田舎暮らしだったわたしは久しぶりのデパートが珍しくて、うれしくて、地下の用事が済んでからも上階であれこれ見てしまい。帰りがすっかり遅くなって「今頃まで何してたん?」と皆に呆れられたものだった。
で、帰ってきたら、夕飯と年越しそばの支度。バタバタと、駆け足で、だいどこの大晦日は忙しく暮れてゆくのだった。

▲「何もせんでもええって言うてるのに~」「忙しないから、ちょっと座らんかい」と、夫や息子(わが相方)に言われながらも、いつも先へ先へと「食べること」の支度をしてはった義母。
昨日、デパ地下のかまぼこ屋さんで義母の好物の伊達巻や梅玉、鱧ちくわをみてたら、胸がいっぱいになる。「いつものあれ買うてきてや~」というひとは もういてはらへんし。

▲今朝起きたらわたしが一番で(苦笑)ポットの口すれすれまで珈琲をいっぱい淹れて。みんなが起きてくる前にひとり黒パンをかじりながら本を読む。
『だれにも話さなかった祖父のこと』(マイケル・モーパーゴ文 ジェマ・ オチャラハン絵  片岡しのぶ訳 あすなろ書房2015年刊)
表紙の半分はブルーグリーンの水面。船から釣り糸を垂れる漁師。上半分はオレンジ色の炎。

▲二年に一回くらいクリスマスに、お祖父ちゃんはイングランドの西のはずれシリー諸島からひとりやって来る。無口でにこりともしない祖父の訪問は、「わたし」にも両親にもうれしいものじゃない。祖父の娘である母は「わたし」にいう。
【お泊りのあいだ、お祖父ちゃんを怒らせないこと。おもちゃを散らかさないこと。お祖父ちゃんはうるさいのが好きじゃないからテレビはまあり観ないように】
何より「最悪の注文」は「お祖父ちゃんをじっと見ちゃいけない」だった。

▲ところが、子どもにとって「見ちゃいけない」はよけいに好奇心を刺激するんよね。「わたし」は最初「こっそり」見て、そのうち「じっと」見る。

【祖父が戦争でどんな目にあったか、すこしは教えられていたから、祖父の濃い青い目に、祖父のくぐりぬけた苦しみが見えた。その目が、めったにまばたきしないことにも、わたしは気づいた。夢中になって見ていると、母のきつい視線を感じてはっとわれにかえる。テーブルの下で父に足を蹴られることもあった。】

▲そんな「わたし」が夏休みに初めてシリー諸島までひとりで祖父を訪ねてゆくんよね。自分たちが暮らすロンドンとは何もかも大違いの島に「わたし」は魅せられる。
一人しずかにつましく暮らす祖父。
最初は緊張気味だった「わたし」も日に日に島も祖父の家もすきになって。大きくなると、祖父に誘われて漁に出ることもあり、そのうち祖父も語り始める。

▲かつて彼の身に起きたこと。そして妻や娘が目をそらしたこと。
表紙の炎のオレンジ色は、最後のページで夕焼けの空のオレンジ色になって、物語はおわる。
暮れの日にふさわしく、しずかに、ひとり。とても佳い読書の時間となりました。
ぜひ本を手にとってみてください。

▲さてさて
今年もかわりばえのしないブログでしたが、近く遠くの友だちが読んでくれはって、ほんまうれしい。おおきにです。
相変わらずサイテーなことばっかりの政治や社会だけど、ちっぽけな「自分」というアンテナでも、錆びつかないように、「知る」ことも「見る」ことも、そして「怒る」ことも、諦めることのないように、と思います。

▲そういうたら、先月からの膝痛で、読んだ本に【ひざの痛みがよくなっても毎日1セットの筋力トレーニングだけは一生続けるようにしましょう】とあって。「一生」ということばに思わず後ずさりしそうになったんだけど。
アンテナの手入れも一緒かもしれません。今だけ、じゃなく一生続けないとあかんのやなあ、と。

▲休み、休み、これを書いてるうちに、もう夕方。窓の外は暗く、いつのまにかつめたい雨が降り始めています。(てことは、今夜も鍋で決まりやね~)
「その前に一本つけよ晦日蕎麦」 (鷹羽狩行)

みなさま どうぞよいお年を。


*追記

その1)最近観た映画(DVD)で印象深かったのは二作品とも、以前からすきな監督のものでした。
今回もまた。

「マミー」(グザヴィエ・ドラン監督)→ 
「真夜中のゆりかご」(スサンネ・ビア監督)→

その2)
今日はこれを聴きながら。
この間観た映画(『少年は残酷な弓を射る』 ~原題は『We Need to Talk About Kevin』)のラストシーンに流れた曲。
映画はこわかったけれど、流れる音楽はどれもやさしくて。だからよけいに考えこむのでした。原作も読んでみよう。

Washington Phillips - Mother's Last Word To Her Son (1927)→
by bacuminnote | 2015-12-31 17:58 | 本をよむ