いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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「自由に生きる」

▲桜咲く。
ずっと桜がすきやなかったけど、最近は駅までの道中、何本かある桜の木の前を通ると自然に足がとまる。茶色の小さな蕾が少しづつふくらんでくるさまに見とれ、花が開いたとよろこんでいる。
すなおに桜の木だけを見ることができるようになるまで、えらい長いことかかってしもたのも、今でも「お花見」はパスしてしまうのも、生まれ育った環境ゆえやろか。
けど最近は「名勝・吉野の桜」(!)もいつかゆっくり見てみたいとおもうようになったんよね。
「身の奥の鈴鳴りいづるさくらかな」(黒田杏子)

▲この間二日つづけて京都・西陣に行って来た。
帰って来れない距離ではないものの、膝痛のことも考えてめったにない贅沢!と「ひとり京都泊」を思いついた。
わあ、久しぶりの京都や。どこ泊まろ?そのむかし一回だけ泊まったホテルフジタ。ベッドに横になった位置でちょうど鴨川が見えるんよね~よかったなあ。それから京都駅八条口にあったあのホテル、あそこは昔従兄弟が勤めてて何度か(ただで)泊めてもろたなあ・・とか。舞い上がって夢想するとこまではよかったんやけど。

▲そうそう、ホテルフジタは2011年に営業終了してたんやった。
八条口のあそこも変わったし。その上ちょっと調べてみて、どこもまず宿泊費の高いのにおどろき(長いこと出かけてないからウラシマタロウ状態!)つぎにどこも満室なのにおどろいた。

▲京都、春休み、土曜日、桜の開花・・と条件がそろっては、ホテルも、それに「近頃は山ほど出来てるで~」と聞く町家のゲストハウスも軒並み とうに満室。
友人J曰く「クミ、そら無理やで。このシーズンはな、世界中の人が京都に来てはるねんで」・・・というわけで、結局、京都寄りの大阪に住む友人M宅に頼んで泊めてもらうことになった。(おおきに!)

▲日頃こもりがちやから、たまの外出~しかも泊まりがけとなると、持ってゆくものの準備、電車から地図まで確認の上に確認して(!)周りの人らまで巻き込んで「ちょっとそこまで」のつもりが「月旅行か?」というほど大騒ぎになってしまうのもいつものことで。(すみません!)けど、おかげで二日とも愉しくおいしくおもしろく、ほんまにええ時間を過ごすことができて、出かけてよかったなあと、今なお余韻のなかでぼぉーっとしてる。

▲で、今日書こうと思うのは二日目の山田真さんのお話の会のこと。
わたしの子育て期は息子1の前期と13年後誕生の息子2の後期に分かれるんだけど(苦笑)。前期のころわたしや友だちにとっての育児書といえば松田道雄さん。後期は山田真さんやったと思う。

▲とりわけ乳幼児期の悩みのつきない頃『母の友』(福音館書店)の連載記事や毛利子来(もうり・たねき)さんらと共に発刊の『ちいさい・おおきい・よわい・つよい』(ジャパンマシニスト社)や著書で、山田さんの別名「ワハハ先生」の明るさと「みんな好きなようにやればいい」的セイシンには、なんども助けられた。そうそう、氏の『はじめて出会う小児科の本』は友人や姪・甥への出産祝いの定番となった。

▲だから、わたしの中では山田真さんっていうとまず「小児科のセンセ」のイメージなんだけど。この方じつは小児科医としてだけでなく、「障害児を普通学校へ・全国連絡会」の世話人であり、森永ヒ素ミルク、水俣病、スモン病と、公害や薬害の被害者支援にかかわり、最近では福島での医療相談会や西東京市内での市民放射能測定所の運営にも・・とじつにいろんな活動をしてはる。けど、つねに根底に流れてるのは小さいもの、弱いものへの共感、それに「ワハハ先生」とよばれる明るさとユーモアなんよね。

▲そんな山田さんが、京都で、しかもカライモブックスで(←親子共々大好きな古書店+ファミリーです)お話会、というスペッシャルな企画。
山田さんの講演は2006年に『インクルーシブ教育を考えるシンポジウム』を聴きに行って以来~何より今回は大きな会場の講演ではなく、本の森に囲まれた中、間近で「お話」が聴けるということでとても楽しみにしていた。会のタイトルもカライモさんらしく『ワハハ先生、山田真さんの声を聞く~水俣・森永ミルク中毒・福島・こどもなどなど、ワハハと』。

▲さて、友人宅で泊めてもらった翌朝(つまり二日目の朝)Mのジッカに寄って、何年ぶりかに彼女のお母さんに会った。
その昔は第一線でバリバリ仕事してはって、会うと緊張するお母さんだったけれど、今は「センパイ!」と呼びたくなるような近しさを感じた。80過ぎても背筋はすっと伸びきりりとしてはるんやけど、笑顔がまぁるくて。なんだか母が重なって愛おしいようなきもちで、思わずハグしあった。

▲そんなうれしい再会のあと、Mが駅までやなく、いっそ京都まで送ってってやろうと言うてくれて。思いもかけず京都までドライブと相成った。
市内に入り、本願寺の前あたりを通ると、なつかしさがこみあげてくる。暮らした時間も過ごした時間もほんの数年なんだけど、十代の終わりからの数年という時間はその後の自分にとても大きいものを残してるんやなと改めて。そして傍らナビを見ぃ見ぃ、京都の町なかの一方通行の道を避けながら運転してくれてる友もまた、そのころに出会ったんよね。

▲それにしても、J曰く「世界中のひとが集まってる」とこやし、渋滞が気になってたんだけど、思いの外早く目的地・西陣に到着。Mもすべりこみで参加できることになり二人近くのコンビニでトイレ休憩。
車椅子も入れる大きなトイレと普通のトイレ2つあって、ええなあと思った。(というか、これがあたりまえの設備なんである)
やがて時間になってカライモブックスに行くと、三々五々ひとが集まってくる。あれ?どこかで見たひとやなあ・・と思ったらコンビニのトイレ待ちにて出会った方。カライモさんに「あれ?お知り合い?」と聞かれて「いま、ついさっき、そこのトイレで」「って、ほやほややなあ」と言うて笑い合う。はじめての人が多いなか空気が緩む瞬間だ。

▲そうして、山田さんのお話が始まった。
最初に悪者扱いされているピロリ菌にも良い働きをしている面がある~という話から。理系の話はまったく頭がついていかないので、正確に再現するのはムズカシイんだけど(すみません)
ウイルスや細菌も共生しようと努めている、ということ、身体にとって悪いものを撲滅するという考え方は身体を人工的につくりかえてしまう・・という話にも深く頷く。これって優生思想に繋がるよね。

▲医学の限界、ということで、病気との因果関係について。
事故でも公害でも、つねに被害者は因果関係の証明を求められるけれど、病気と何かの因果関係の証明はとても困難だということ。そして、その困難さを武器に「つねに」加害者側は被害者を切り捨てる、ということ。

▲見てわかる怪我は証明しやすいけれど、「痛い」「だるい」「かゆい」といった感覚の問題は、なかなか証明できないものだ。
「子どもなんかはこれで大人に怒られたりするんだよね。痛いとか言ってるけど、ほんとは何ともないんでしょ。学校行くのが嫌なだけなんでしょ~みたいにね。」
山田さんはこんなたとえも紹介してくれはった。
「元々頭痛持ちのひとが風邪を引いて、熱もあって、転んで頭を打って、頭痛なんだけど。さて原因はなに?」という話。これは放射能の被害を考えるうえでも、必ず問題になること。
かつて水俣病が森永ヒ素ミルク中毒がそうだったように。

【今、わたしには、空襲被害者も、水俣病患者も、福島をはじめとする原発被災地の住民も、同じように見える。「国の政策のために国民は一定の犠牲は耐え忍ばねばならない」とする論理によって切り捨てられるのである。

思えばわたしの医者になってからの四十数年は、切り捨てられようとする人たちとともに生きた年月であった。その年月を今ここでふり返ることが、一部の市民に痛苦を負わせ、切り捨てることで生き延びるという、この国の歴史を断ち切るための一助になれば、と心から願う。】
『水俣から福島へ 公害の経験を共有する』まえがきより抜粋(山田真著 岩波書店2014年刊)

▲そうそう、山田さんの隣には娘の涼さんが座っていて。ときどき「父親」に一声かけはって、そのつど会場は温かな笑いにつつまれる。涼さんには障碍があって、今回は山田さんと介助者のOさんと共に京都入りしはったらしい。父娘仲よく話してたかと思うと、とつぜん山田さんがやり込められてたり、のようすがとてもええ感じで。

▲そういえば、以前和歌山で山田さんの講演会があったとき、その企画にかかわった友人が言うてたこと。「講演がおわって、山田さんを懇親会にお誘いしたら、”今日は食事当番なので”とあわてて帰らはったんよ。残念やったけどみんなで拍手喝采した」
かっこええな、山田さん。

▲お話の会が終わっても、山田さんを囲んだり、参加者どうしで話をしてはったりしてたけど、残念ながら渋滞にまきこまれないうちに、とわたしたちは退場。
山田さんが最後に言うてはった「つらい展開だけど、無駄と思っても、むなしいと思っても、あきらめないで発信し続けるしかない」をパラパラ小雨がウインドウを濡らすのを眺めながら、何度も何度も思い返しながら、帰途についた。
みんなのおかげで、ええ月旅行(笑)でした。



*追記

その1)
山田真さんに初めておたよりをもらったのは1998年のこと。
それまで小児科医としての山田さんしか知らなかったんだけど、あるとき東大医学部闘争のことを書いたコラムを読んで、おどろいたことも感じ入ることもあり、短い感想を掲載紙に送ったのが最初でした。
(この1960年~1973年のことを書かれた『闘う小児科医 ワハハ先生の青春』→ジャパンマシニスト社2005年刊 はおすすめです)

何回かはがきのやりとりがありご著書をちょうだいしたり、その後は年に一度年賀状だけのつながりですが、考えてみたらもう18年にもなります。
先日いただいた賀状を出してきたのですが、これだけ見ていても山田さんという方がどんなひとなのかよくつたわってきます。
これからもどうかお元気に動きつづける「ワハハ先生」でいてほしいです。というか、ワハハ先生もゆっくり休めるような世の中にならないとあかんのですよね。

「つらい世の中ですが“明けない夜はない”ことを思って力を尽くしたいと思います」
「段々いやな世の中になりますが若者たちを信じましょう」
「悪しき世を笑いとばして生きていくのもなかなか大変です」
「福島の子どもたちのために少しでも力になればと動き回っています」
「福島を忘れないためになにができるか考え続けています」

その2)
カライモブックスで買った本『水俣から福島へ』にサインしてもらいました。
なまえの横に書いてくれはった「自由に生きる」がずんと響きます。

これは、山田さんとパートナーで同じく小児科医の梅村浄さん、おふたりのインタビュー記事→

 その3)
ひさしぶりに聴くLhasa De Sela - Is anything wrong(live Sunset -2009)→ 
しみる。
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Commented by nabetsuma at 2016-04-06 19:37
懐かしいお名前がたくさん出て来ましたね。
松田道雄さん、山田真さん、毛利子来さん、
みんなお母さんやお父さんの応援団のような方々ですね〜
(当方は毛利子来さんの著書が仕事上のバイブルでした)

>悪者扱いされているピロリ菌にも良い働きをしている面がある
あ、それうれしいわ。ピロリ退治、3回やってダメだったんです。
よほどピロリに気に入られているらしい・・ははは

ウィルスや菌を撲滅というのはほんと良くないですよね。
そんなことやってたらますます人間は弱くなっていき、なんてことないことで
人間のほうが壊滅してしまいそう。なんでもほどほどがよろしいような?
Commented by bacuminnote at 2016-04-06 22:07
■nabetsumaさん
>懐かしいお名前
そうですよねえ。
ところが、若い友だちに言うたら案外知られてなくて、そうなんか~と思いましたです。
山田さんは『母の友』にはずっと連載つづいてるし。地味な雑誌やし知らんのかなあ。広告もなくてええ雑誌やとおもうけど。

ピロリ菌の話はこの本↓に載ってるそうです。
『失われてゆく、我々の内なる細菌 』
マーティン・J・ブレイザー (著)
山本 太郎 (翻訳)http://www.amazon.co.jp/dp/4622079100

あ、こんなとこでなんですが。
さっき観終えた『夏をゆく人々』よかったです。
Commented by nabetsuma at 2016-05-07 22:10
お見舞いコメントありがとうございます。
オススメの本を図書館で予約待ちをして借りてきたとたんに、
内なる菌にやられまして、本をやっと読めたのが退院後でした。
ほんと、60歳になったとたんに何でもアリの病気のオンパレード。
情けないやら・・

ところで京都にお住まいですよね? 総合病院でオススメのところはありますか?
やはりこの質問は、病気の種類にもよりますよね。もし入院されたことがあるなら
情報ください。この先のことを考えると、少しは知っておかなきゃと
思ったりしましたので。よろしくお願いいたします。
Commented by bacuminnote at 2016-05-07 23:48
■ nabetsumaさん
おかえりなさい!
daily-sumusさんのところで『失われてゆく、我々の内なる細菌』のレビューを読みながら、あれ?どこかで聞いたことある内容やなあ(と、おすすめしておきながら、題名失念するわ、未読やわで・・・お恥しいデス)思っていました。
あ、わたしは大阪なので(ここに戻ってくる前は信州やったし)京都の病院はよくわからずで、お役にたてずにほんますみません。
by bacuminnote | 2016-03-31 19:20 | 出かける | Comments(4)