いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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 I'm here.

▲ネットの地震情報をみるたびに新たな記載があって、そのつど胸の潰れる思いでウインドウをとじる。どうか、どうぞ、一日も早く鎮まってくれますようにと祈るようなきもちで過ごしている。

いま「祈るようなきもち」と書いたけれど、「祈る」ってどういうことなんやろ。無力な自分が最後にできること? けど宗教をもたないわたしは何にむかって祈ってるんやろ?・・と、時々わたしの中で、ことばがぐるぐる回る。

▲この前読み始めた『小さな本の大きな世界』(長田弘 著 /酒井駒子 絵/ クレヨンハウス刊)は長田弘さんのおすすめの本145冊についてのエッセイで。その中に『いのり 聖なる場所』(フィリモン・スタージス 文 /ジャイルズ・ラ・ロッシュ 絵/さくまゆみこ訳)という絵本についての1篇があった。

▲この絵本は前に読んだことがある。世界のあちこちにある 祈るためにひとが集まる聖なる場所(28ヶ所をペーパークラフトで再現)を訪ねてゆくんよね。
「何百年もかかって、きずきあげた聖堂」もあれば「かんたんには行けない教会や寺院」も、「町の中の会堂で」祈る人も、満点の星の下だってある人にとっては祈りの場所となる。

▲長田弘さんはこの絵本についてこんなふうに語ってはった。
【それでいながら、なぜ、このようなうつくしい祈りの場所をもつこの世界に、いまなお、戦い、争い、災い、破壊、流血、苦しみ、悲しみが絶えないのか。この不条理な世界に建てられた聖なる場所をたどるうつくしい絵本をひらくといまさらのように、祈るとは「みずからを問う」こと、それも「みずからを深く問う」ことにほかならないのだということに気づきます。】 (p29より抜粋)
「みずからを深く問う」ということばに、頷きたちどまる。

▲地震の報道を目にすると、避難所でのあらゆる問題(一箇所に人が大勢集まるということだけでも、種々問題が起きるのは想像できるのに、災害時に、となると想像をこえる場面がいっぱいあると思う)を挙げた記事にいろんなことを思う。
何かの告知の仕方ひとつでも、目に見える、見えない、病気や障碍を持つ人への配慮が足りていないことを知って。
ふだんいかに多数派的思考の中で、さもそれが当然のように暮らしてることに気付かされる。

▲たとえば、うちには食物アレルギーをもつ家族がいるので、わたしは災害時には避難所で配られる食べ物のことが気になる。とりわけ小さい子どものこと。食べられるものがあるのか?周囲の理解は得られてるだろうか?わがままだとか、「ちょっとぐらいなら大丈夫」とか、言われてないだろうかと。
それに今はわたし自身が膝痛で、床に寝たり、椅子のないところで座るのができなくなってるし、夜中にトイレに立つことも多く。そういうことで困ってる人いてはるやろなあと想像する。

▲たぶんこんなふうに自分や家族、友人といったごく身近な人たちの経験を通して、ひとは他者のしんどいとこや痛みや不便さをも想像していくのだろうと思うけれど。
そういう想像の及ばないことがまだまだいっぱいあるのだと、今回も気づくことになった。そして、それは何より当事者や周囲の人、支援者の発信ゆえ(感謝)~伝えてもらって初めて知ること、ほんま多いです。

▲そんなことを思いながら、洗いもんしてたら注文していた本(『恋の相手は女の子』室井舞花著 岩波ジュニア新書刊)が届いた。
表紙には背の高い女の子と帽子をかぶった背の低い女の子が白いドレスにブーケ持ってるかわいい絵。
前述した読みかけの本もあるし、あとでゆっくり読もう~と思いながらパラパラ見てるうちに結局「せなあかんこと全部」ほったらかしたまま読了(苦笑)

▲タイトル通り、恋の相手が女の子だった女の子が語り手なんだけど。
初恋の話から教科書に書いてあった「思春期には異性に関心をもつ」に、わたしはまちがってるのか、わたしは何者?とひとり悶々となやんで。やがて大学をやめてピースボートに乗船。そしてカミングアウト。

▲苦しみながらも、すこしづつ解きはなたれてゆく様子が、嘘のない、ときに不器用なほどまっすぐなことばで綴られて。
そのつど泣きそうになったり、うれしくて声あげたり。
読みながらわたしは舞花さんの同級生になり、友だちになり。母親になり、親戚のおばちゃん的視線になったりする。

▲舞花さんほんま、よく書いてくれました。(会うたこともないけど)ありがとうと言いたいきもち。
セクシャリティの問題だけやなく(もちろんこのことはこの本のだいじなとこなんだけど) 他者(多数派)と「ちがう」ことに自信なくしたり、自分を見失いそうになってる子どもたち(大人も!)に、この本が届くといいなあ。どうか届きますように。
せやからね、この本が岩波の”ジュニア新書”から出たことがとてもうれしい。(さっそく図書館にもリクエスト票を書きました)
そして、その意味では子どもらにとって近いキョリにある教科書にこそ、多様な性や家族のあり方が取り上げられるべき、とも思う。

▲3年前にはパートナーの「ぶいちゃん」と「新郎のいないウェディングパーティー」を開いた舞花さん。(表紙の絵はそのときのものらしい)
ふたりでセクシャルマイノリティの生きる風景の写真展を友人たちと企画したり、「学習指導要領」にその存在を配慮した内容を盛り込んでもらうための署名キャンペーンをしたり、とたのもしい。

▲いつのまにか薄暗くなった部屋で、本を閉じて、これを読む前に洗いもんしながら思ってた~避難所におけるマイノリティのことをふたたび考えた。
「知らないこと」「ちがうもの」を知ること。知ったら知らん顔をしないこと。

【「ここにいるよ」と言わなければ、「いないもの」になってしまう。話しつづけなければ、だれにも伝わらない。】
(p64第二章「私自身が変化になる」 より抜粋)

▲そうそう、ふと見た本の帯に「女らしくでも、男らしくでもなく、わたしらしく生きたい」のことばの下に風見鶏の絵があって。
方位計にはNSEW(東西南北)ではなくLGBTと書かれてあった。
おお~と一気に頬がゆるむ。
そう、いろんな方位があって、わたしらはどこにだって行けるんよね。


*追記
その1)
この本には用語集や最後におすすめの本や映画なども書かれていて、ええなあと思いました。ここから広がってゆくものもある、よね。本文中のリンク先(岩波ジュニア選書のサイトの、この本の書影をクリックすると、くわしい解説が読めます。ぜひ)

用語集には↑で最後に書いたLGBTについては
(レズビアン・ゲイ・バイセクシャル・トランスジェンダーの英語の頭文字。セクシャルマイノリティの総称として使われることも多い)

その2)
この本を読んだあと、たまたまネットで【ことしもまた、新たなえにしを結ぶ会'16】 第3部 の様子をyoutubeで観ました。以前読んで衝撃をうけた『リハビリの夜』(ここに書きました)の著者・熊谷晋一郎氏のスピーチを聴いてみたかったのですが→(2:31~2:40のあたり)さっきまで考えてた「ちがい」の話から始まって!
「ちがい」の過大評価と過小評価~そして熊谷さんが研修医のころのエピソード。ぜひ。

で、熊谷さんの話を聴いたあと、そのままにしてたら「EMA」のメンバーのスピーチが始まりました。EMAとは【Equal Marriage Allianceの略で、平等な結婚、つまり同性結婚が認められる社会を目指すという意味】やそうです。
ホームページ→には同性婚についてQ&Aなどとても丁寧に書かれています。
思いがけず、というか、自分の中にひとつ何かがうまれると、次々いろんなことがリンクしてゆくのは、ほんまエキサイティング!


その3)
せや、せや。書き忘れてました。
『小さな本の大きな世界』がええなあと思うのは、長田弘的選書、すいーっとええ風ふいてゆくような文章と。それから「掲載の書誌データは、すべて著者の蔵書に基づきます」っていうのです。
読んだ本や持ってる本があると、きゃあとさけび(ミーハー)それがだいすきな一冊やとおおさわぎしてます。『あんこの本』(姜尚美著・京阪神エルマガジン社刊)とかね。→


その4)
きょうはこれを聴きながら。
Radical Face- 'Welcome Home'→
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by bacuminnote | 2016-04-24 16:37 | 本をよむ | Comments(0)