いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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あさっては晴れそうやから。

▲目が覚めたら昨夜のじゃじゃ降り(←ついさっきまで知らなかったけど、関西弁らしい。土砂降りのことです)の雨があがってた。でも窓を開けたら薄曇りの空で。用意してた灰色のスカートはなんだかうっとうしくて~水玉模様のんに着替えたら、気分まで明るくなった。
「えんそく」前でコーフン気味の鏡の中の自分に、あ、そういえば、この服 去年の今ごろ倉敷に行ったときと一緒やな~と気がついて一瞬しんとする。

▲旧友と高1の春休みに旅した思い出の倉敷のまちを歩いて。45年前とおなじ橋の「鯉のえさ100円」のそばで、通りがかりのひとに頼んで二人並んだ写真を撮ってもらった。
あれから一年。かけ足で遠いとこにいってしもた友のことを、でも、あの日しゃべってはおなか抱えて笑い、食べては笑って。あちこちのお店をひやかして。会ったとたん高校生にもどってすごした華やかで、あかるい時間と「クミちゃん相変わらずおもしろいなあ」と言うてくれたその笑顔を思いだして、頬がゆるむ。
うん。このままで出かけることにしよう。

▲さて。
「えんそく」の行き先は滋賀県長浜のまちにある「さざなみ古書店」さん。
主のkさんとはツイッター繋がりで。なんとこの日はじめてリアルにお会いすることになったんよね(どきどき)
滋賀県は琵琶湖を中心に湖西、湖東、湖南、湖北と呼ぶんだけど、目的地の長浜は湖北。西から行くと米原をまだ越えたところ。

▲この「米原」を越えるというのは、大阪から行くとき冬は雪深い地というイメージがあり(じっさい冬場は車ならスタッドレスか、チェーン必携というような)東から来るひとにとっても「米原」あたりから景色がかわる・・・という場所でもある。
そうそう、歌人の河野裕子さんがまさに「米原を過ぎる頃」というエッセイに、東京から新幹線で西下する時のことをこんなふうに書いてはる。

【かんからかんと広くて山も何もない乾いた関東の風土から、どんよりと空が低く垂れ、雑木林、畑の有様などどことなく複雑な色合いに変わり、白壁の多い家が見えてくるのは米原を過ぎる頃からである。
山の稜線のあたりだけ鈍い光をふくみながら、かすかに明るい空のやわらかなものぐらさは、やはり関西のものだと思う。このものぐらさに会ってやっとホッとするのである。】(『たったこれだけの家族』→河野裕子 中央公論社刊p175より抜粋)

車窓にぴったりくっついて、走る景色に見入ってはる様子が浮かぶようで、のちに河野さんが滋賀は湖南の石部町で育った方と知って「やっぱり」と頷く。

▲そしてわたしたちが1987年に「パン工房 麦麦(ばくばく)」を始めた愛知川(えちがわ)は湖東の旧中仙道沿いの小さなまちだった。
この愛知川で4年、開田村で12年余りのパン屋生活は、義父の死を機に お終いとなったんだけど。ここに戻って来て先月でもう12年もたってしもた。

▲田舎からまちの暮らしに。「パン屋のおばちゃん」から、前に◯◯の、が付かない「おばちゃん」になって。その大きな暮らしの変化も、当初感じた「居場所のなさ」もそのうちなくなり、今はここが「わたしのまち」になっている。前のこと思い出してるより、今のことを~ケッコンして7回の転居で「住んだとこになじんでたのしむ」が自然に身についたのかもしれへんな、とおもうのだった。

▲ところが、この間『ガケ書房の頃』(山下賢二著・夏葉社刊)という本を読んで、忘れそうになってた「店」の記憶が波のように押し寄せてきて、動揺してる自分にちょっと驚いている。
この本は京都で、そのユニークな外観も、本揃いからイベントでも、注目され愛された本屋「ガケ書房」をやってはった山下賢二さんというひとの本で。本屋通いの「しゃべらなかった」子ども時代の話から、いろんなバイトや仕事を経て、やがて本屋になり、そして閉店してまた新しいことを始めはった話で。

▲本とパンでは、それに「売る」と「製造」でもちがうんやけど、開店する前の話も、軌道に乗り始めたころのことも。うれしいお客さん、困ったお客さん。やめる、と決めたときのことも。
「そうや!ほんま。そのとおり!」と本読みながら、何回も声をあげてしもたほど。
わたしは旅館と「店の子」で大きいなって、そんな店がいやで仕方なかったのに、ケッコンの相手はカメラマンやったのに、なんでか二人で「店」を始め、そして「店」をやめて。

▲一方、北九州から長浜の地をえらんで古書店をひらき、滋賀県民となったkさんもまた本がすきなひとだけど、グラフィックデザイナーで。(この仕事に終わりはないと思うので「元」はつけないでおきます)
訪れた人たちのリポートをネットでは何度も見てたけど、「そのひと」にも「その本棚たち」にも会ってみたかったんよね。そのくせ、根が生えたような出不精に、加えて昨年末からの膝痛で、「ほな、行きます!」まで、えらい時間かかってしもて。
けど、思いもかけず『ガケ書房のころ』で火がついて(!)「よし、明日行こう」と決めたのだった。
(やっとの決心の「明日」だったが”「明日」は雨みたいやけど、あさっては晴れそうやから”とkさんに進言されて「あさって」に変更←正解であった)

▲前夜、kさんから電車(新快速)は「前4両に乗ってね。米原で、あとの車輌は切り離されてしまいますよ~」と教えてもらってたものの、ホームに立ってると急に不安になって(苦笑)メールにて確認。3両目に乗車する。
ホームは閑散としてたのに、乗車したら思いのほか乗客が多くて、杖もって来たとはいえ座る席がなくてちょっと焦る。ようやく京都でごっそり空席ができ腰おろして、やっと旅気分になって本を開く。
そうしたらこの本(森崎和江著『湯かげんいかが』1982年東京書籍刊)がすばらしく、しばし電車の中だということも忘れて夢中になって読む。

▲と、窓の外がなんや明るくなった気がして顔をあげ、車窓から外を見ると、いつのまにか空も晴れわたり、一面青い田圃がパッチワークみたいに広がって。すごーい。きれい。これや、これ。なつかしい江州米(ごうしゅうまい)の風景だ。
そのころから車内アナウンスに「よく知ってる駅」の名前が出始め、河野さんやないけど、窓に体ごとくっついて走る景色の中「最寄りの駅」を見逃すまいと、目を凝らす。近江八幡~安土~能登川~稲枝~河瀬~彦根・・そうだ!稲枝!この駅から、小学生やった息子1と電車にのって京都によく映画観に行ったんよね。

▲電車はやがて、問題の米原に。
車両切り離しのアナウンスが何度も流れて、確認のため車内の掲示板みたら3号車に乗ったのに10号車って書いてて、どきん。おかしいなあ。たしか3号車やったはずやのに。
「切り離されたら、長浜に着きません(笑)」とkさんからメールもらったのに。どないしょう~と前席の60代くらいのご夫婦に頭の上から(!)「すみません。あのー長浜行きたいんですが、この車両で間違いないでしょうか?」と尋ねる。
「あ、はい。行くと・・思いますよ」というお返事に、「思います」ではアレやけどなあ、と思いつつ(苦笑)お礼を言うて着席。(その後「行くよなぁ、これ」「い、行くはず」とご夫婦で話してる声が漏れ聞こえてきた・・)

▲相変わらず、電車に乗っても方向音痴(!)でなさけないぞ、わたし・・・とがっかりしてるうちになんか窓の外がぱーっと光が差したような気がして、腰を浮かす。
わあああ!こんどは田圃やなくて、うみや。うみ。琵琶湖が見える!(近江のひとたちは「うみ」と呼ぶんよね)深い青色、淡い青色に、そして、さざなみがうつくしく、いとおしい。

▲どこでも「水」が見えると、もう座ってられへんタチなので、杖ついてよっこらしょと立ち上がって、揺られながらよく見えるドアの前に移動。
ええなあ~とうっとり眺め入る。愛知川のころ、夕ご飯前に親子で「うみ」までよくドライブしたんよね。
少しして「ながはま~ながはまぁ。この電車のドアは手動です。ボタンを押すとドアが開きます・・・」のアナウンス!そっか~手動なんや。そら冬に開けっ放しになったら寒さがハンパやないもんね。

▲駅の改札口むこうには、kさんが待っていてくれた。
初対面の合言葉は「いわしのヘレン」(ツイッターで誰かが居酒屋の手書きメニュウ「いわしのへしこ」の文字が「いわしのヘレン」に見えて注文~という話でもりあがった時、初めて会うときの合言葉はこれ、と決めた・・笑)
というても、わたしはたびたびネットの紹介記事と写真見てたから、ハットの似合う涼し気できれいな人がkさんとすぐにわかったけれど。

▲「さざなみ古書店」はお店の佇まいも、お店のレイアウト~壁にかかった額も(彫刻家・舟越桂のリトグラフ「羊歯のにおい」1993年作)アフリカの布も、おもちゃも、そして何より棚の本たちや入り口に置いてるフリーペーパーに至るまで、さざなみkさんのグッドセンスに満ちていて、その「こびない」セレクトがかっこいいし、ええなあと思う。

▲靴をぬいで上がるこのお店は、せやからね、ええ本いっぱい持ってる友だちとかセンパイの部屋を訪ねてるような気分で。帰りたくない、居心地のよさがあって。
檻の中のクマのごとく、のそのそ店内を動きまわるわたし。で、迷って迷って、重いものはリュック持って来なかったし・・と、絵本の候補を二冊選んだのだけど。
kさんは「あなた絵本とかいっぱい持ってるでしょ。荷物増やさないようにしないと」と、なんだかつれないのである。

▲「そ、そんな持ってへんし・・・」と、ぼそぼそ返しつつ、ちょっと不満気に、目の前に積んだ本たちを見たとき(店内には、主だった棚のほかに、足元や小さな棚に、とあちこちに小さなひみつの花園があるのだった)一冊の地味な絵本と目があった!『劉連仁(りゅうりぇんれん)物語―当別の山中から』(しみず みきお 著/おおさわ つとむ イラスト/響文社2009年刊)
「わあ、これ。この本にしよう」というて本から目をあげると、にこにこ顔のkさん曰く「うん。それはなかなかない本だから。あなたにもってかえってもらえてよかったぁ」
ほんまに本のすきなひとなんやな~と改めて。

▲それにしても。
「いわしのヘレン」のあとは「はじめまして」のはずが、いきなり学生時代の友だちに会うたみたいに話もこころも弾んで。おなじ女きょうだいで育っても、長女と末っ子、性格もちがうんやけど。底にながれるもの、本とおいしいもんへのあい、と、それから「ひとがすき」はおなじかも。

▲kさんのお部屋には窓のすぐ下には川が流れてて、のぞくと小鮎が泳いでるのが見えるんよね。
・・・と思ったら鴨がすいーっとやってきて。しーんとしずかな中、ときおりさかなたちのダンスのぴしゃぴしゃ~という音がきこえて。
もうね、川育ちにはたまらんシチュエーションで、kさんと乾杯したビールの旨かったこというたら。
kさん、愉しい「えんそく」の、ほんまええ一日でした。おおきに。



*追記
その1)
こんだけ書いて、まだ追記か~ なんですが、相変わらず要領の悪い筆運びで。
本題に入る前に、走り過ぎてダウンみたいなブログですみません。

さざなみ古書店を紹介ブログはもういっぱいあって、どこのんをリンクはろうかと迷いましたが。→こことか。

その2)
『ガケ書房のころ』で火がついた「店」熱のあと、著者・山下賢二さんのホホホ座による『わたしがカフェをはじめた日』→を読みました。ホホホ座さん曰く【京都で一人でカフェを切り盛りする女性店主たちの開業まで
を男性目線から聞いた特殊インタビュー集】これが、またおもしろかった。もうちょっと若かったら(つまり足腰にまだ元気があったころなら)お店したかったかも。

それにしても、大のつくほど嫌いやった(と思ってた)「お店」やのに、わたしけっこうすきやってんなあ~というのを、『ガケ書房・・・』や『わたしがカフェを・・・』で、気づく読書でありました。
あ、そういうたら、『ガケ書房・・・』のことでホホホ座のブログにこんなことが書かれていました。
【もう1つだけ書かなくてはならないことがあります。美談みたいになってしまってはマズいのですが、当初、本のあとがきに書こうと思っていたことが原稿オーバーで掲載できなくなってしまったので、ここにだけ書いておきます。】
大文字で紹介、書きたいとこやけど、夏葉社さんってたぶん小文字の、めちゃええひとやと思うので、ここにこっそり→


その2)
道中読んでた森崎和江の『湯かげんいかが』(1982年東京書籍刊)は、おふろにまつわる随筆集です。
すぐにのぼせるから「からすの行水」なんやけど、お風呂は大すきです。
この本の序文「ゆげのむこうの」には、著者が14歳の頃、長く病床にあったお母さんを、お父さんがお風呂に入れたときの話が綴られています。出かける前に、旧友のこと思ってたこともあり、↓このくだり読んで、車中ないてしまいました。

【湯上がりの母がにっこりして言った。「ああいい気持ち。とてもしあわせ。もういつ死んでもいいわ」
母は立つこともかなわなくなっていたから、父が抱きかかえて寝床へ連れ返ったのだが、細くなった腕を父の首にまわし運ばれて来た母が、そう言いつつ手を放した時のさわやかな表情が思い出される。母は三十五歳だった。亡くなる半年ほど前のことで父と母との、別れの儀式のようにわたしは思い、父がなんと答えるかを聞かぬまま、母のそばから立って湯殿へ行った。湯の入ったままの洗面器が洗い場にぽつりと置かれているのを見た。父は引き返して来てひとりあったまったようであった。別れを知り合っていた二人が、重く暗いけはいを立てせることがなかったのは、子のわたしには救いだったが、父も母も、湯のぬくもりにくるまれてよみがえるもののあることを、別かれていくいのちのむこうに感じ取りでもしたように、軽く、さりげなかった。秋の昼まのことだった】
(p7~8より抜粋)
*森崎和江著者紹介(藤原書店のHPより)→

その3)
『劉連仁(りゅうりぇんれん)物語』を読んで(この本、絵本も、付いてる資料集もよかった)もう少しくわしく知りたいなと思ってたら『生きる 劉連仁の物語』(森越智子著 童心社2015年刊)→という本が出てることを知りました。

その4)
ああ、ほんまに長いブログになりました。
さいごまでおつきあいくださって、おおきにです。

今日はこれを聴きながら。
Vessel - The Clearing→
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Commented by hasikkoami at 2016-06-21 08:17
>じゃじゃ降り
こちらでも言いますよ(ざざ降りとも言いますが)
ちなみに愛知の外れ(静岡寄り)です。

>「さざなみ古書店」さん
こんな素敵なところがあるのですね。
長浜には7、8年前に家族で行ったきりですが
その時にはまだ無かったのかな。
もっとも夫は本には全く興味がないので
もしあったとしても素通りだったでしょうが^^;

昨年の秋と先月に琵琶湖を望む機会がありまして
夫と「これはもやは海だね~」と話したのですが、
なるほど~地元の方は「うみ」と仰るのですね。〆(.. )
Commented by bacuminnote at 2016-06-21 15:00
■hasikkoamiさん
「さざなみ古書店」さんは、開店しはって五年ほど~と思います。こんど行かはるときはぜひ。ええとこです。

琵琶湖就航の歌 (https://www.youtube.com/watch?v=Hlm4dIs8tx4)にも ♪われーは、うーみの子(←♪わーれは、うーみの子、しーらなみの・・は「海」ですが)と歌うてはります。

あ、それから「こんなとこでナンですが」w
amiさんのレビュー読んで『ロブスター』気になっております。ついでに、わたしは「面倒くさがりで気分がコロコロ変わる「天才肌のポニー」(コケる・・笑)でした。
Commented by nabetsuma at 2016-06-21 21:16
ちょこっとパン屋さんの話題が出てますね〜
「パン工房 麦麦(ばくばく)」、
なんか・・麦も自家製のような感じがするネーミングですね〜
16年も続けられたのですか、すごいなあ〜〜
こちらは最近右手の手首が痛くってパン作りはほとんどやらなくなった。
ニッダー大きいし邪魔だし高いし、でやっぱり手で捏ねるしかないし。

また思い出話を書いてくださいね。
(こちらは東京でケッコンしてから9回目の転居。ここでもお落ちつきたいわ)
Commented by bacuminnote at 2016-06-21 22:37

■nabetsumaさん
ニッダーって、パンこね機のことですか? なつかしーーー。 最初パンを家で焼くようになったんは、アパートのお隣さんがパン教室に行き始めて、いろいろ食べさせてくれたから。

しかも、彼女のおつれあいが当時そのパンこね機を扱ってる会社の方で。デモ用に使ったのを安くわけてくれはったから。(めんどくさがりやし、手捏ねやったら、始めなかったかも)あ、彼女もその後パン教室のセンセにならはりました。

わたしはパン屋になる前は、家でベイキング担当やったのに、パン屋になってからは、専ら計量・分割と雑務、広報(しゃべって、宣伝!)担当になってしもたので、ベイキングのことはすっかり忘却のかなたなり~ パン屋のころのこと、忘れてしまいそうやからまた書きたいとおもいます。

このブログでは横のカテゴリ「パン・麦麦のころ」~にもいくつか書いていますので、またよかったら読んでください。

>東京でケッコンしてから9回目の転居。
わあ、すごーい。
うちもここが最後かなあ。
たまに、こことちがう、どこか、に行って(暮らして)みたいと、ふっと思うこともあるのですが。次の瞬間、引っ越しを考えて、くらくらするんやけど(苦笑)
Commented by hasikkoami at 2016-06-24 08:05
またまたお邪魔します^^

>天才肌のポニー
おお~"天才肌"ってところが
私のイメージするbakuさん像にピッタリかも~^^

ちなみに私は
温厚な人柄で歴史や実績を重んじる古風で"保守的なウサギ"だそうで、
"温厚な人柄"以外は結構当たってます(苦笑)
Commented by bacuminnote at 2016-06-25 21:08
■hasikkoamiさん
いやあ「てんさい」も「ポニー」も、わろてしまいます(笑)
そんなことより。
こんなとこで何ですが(←ふたたびw)いまから借りてきた『独裁者と小さな孫』をみます。
by bacuminnote | 2016-06-19 16:04 | 出かける | Comments(6)