いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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わたしにとっての体力。

▲朝からすでに、むしむしと暑い。
昨夜は心身ともにぐったりして、いつもより早く床についたから・・・もしかして、ひょっとして、あれから、何か変化があったかもしれない、と目覚めてすぐネットニュースをみたんだけど。
現実は悪夢より悪夢で。朝いちばん長いため息をついた。

▲それから雨戸をあけ、窓をあけ、深呼吸して、珈琲を淹れて。
ゴミ出しに外に出たついでに、半ばヤケになってその辺の草を刈る。
いつだったかある作家が【私にとっての体力は深く考え考えて、考えつづけられるかという体力】と、言うてはったのをぼんやりと思い出しながら。鎌を振る。
けど、長いこと砥いでない鎌やから、うまく刈れなくて。道具は手入れを怠ったらあかんのよね。「体力」が独りでにつかへんように。

▲最近よく眠れないのに(←相方には「鼾かいてよう寝てはりまっせ~」と笑われてるが)けっこう早く目が覚めたりするもんで、朝はしばらくぼぉーっとしてる。
昨日はパソコンを立ち上げるときに、いつもは考えなくても指が覚えてるパスワードが突然どっかに飛んでゆき(!)あせった。
この間はデパ地下で、若い白衣姿の店員さんが追いかけて来はって「何?なんなん?」と思ったら「これ、落とされましたか?」と声をかけられびっくりした。そのちょっと前にバッグの中のハンカチ出そうと、ごそごそやってたとき、日除けの手袋を丸めたんを落としたらしい。

▲で、そのすぐ後のこと。
こんどはわたしが、セルフレジの台で横にいた方が日傘を忘れていかはったのに気づき、呼び止める。
「わあ。ありがとうございます。あかんねえ。暑うてぼぉーっとしてばっかりや」
「ほんまにねえ。わたしもさっき落としモン拾ってもろたとこですねん」と笑い合う。
いや、暑さのせいばかりではない気もするけど。お互いに(苦笑)

▲「拾う」というたら、先日読んだ『キジバトの記』(上野晴子著 海鳥社刊)の中に、こんな一篇があった。
著者が術後も不調のため一年通った病院から離れることに決め、かつて(ご自身がまだ病気になる前に)ホスピス研究会で何度か行ったことのある病院へとむかう。

▲紹介状もなしに訪ねた著者を、しかしホスピス長の医師はあたたかく迎えてくれる。
以前セミナーの壇上に仰ぎ見た先生だ。そして丁寧な診察が終わって。
【身づくろいをしている私の足元に小さなボタンがころがっているのを見つけられた先生は身をかがめて拾い上げ、私のではないかと聞かれた。そんな何気ない振る舞いにも先生のお人柄はうかがわれて心が和んだ】
(本書「身も心もおゆだねして」(p179より抜粋)

▲なんということのない診察室でのできごとだけれど。
ひとへの信頼感って、たぶんこういう小さなことの中にも芽生えるんやろねえ。そして、この日の著者の胸のうちをおもうと、ただ本を読んでいるだけのわたしまで灯りが、ぽっとともったようなきもちになるのだった。

▲この本は著者上野晴子さんの夫・上野英信氏亡き後、それまで夫に禁じられていた「書く」ということを始め、「筑豊文庫」や夫のことを綴ったエッセイ集で。きびしい内容の中、はりつめたものがふっと緩む一篇だ。
先日一人息子の上野朱(あかし)さんの『蕨の家』『父を焼く』を読んだあと、ずっと気になっていたこと~男女の区別なく、ほかの人の作品には惜しみなく協力したらしい英信氏が、なぜ妻に文学(短歌)を禁じたのか。何より、それを晴子さん自身が何故受け入れたのか~と、読み始めたんだけど。

▲結局、この本にも明快な答えはなくて。というか、はっきりしないからこそ晴子さんの自問自答が長いあいだ熾き火のように在り続けたのだろうとも思う。
ちょうど上野英信夫妻と同世代になる相方の両親やわたしの親~その夫婦のありようを思い返してみると、今からは考えられないような暴力的なことも、妻というのは「そういうもの」として扱われていた時代なのかもしれないけれど。
「書き始めた」晴子さんの炭火は真っ赤に熾る。
見かけの「女らしさ」にうっとりしてる男たちへのきびしい視線というたら。

【私が生き延びてこられたのは、どんな時にも彼の仕事に対する信頼と敬意が薄れなかったことと、いつのまにか私が複眼を備えて、ものごとを多層的に見るすべを身につけたためではないかと思う。(中略)

笑止なのは私の精神の纏足状態ともいえるいわゆる「女らしさ」に対して、男性の多くが快い印象を抱くらしいことであった。私はその反応を尺度にしてひそかに彼等を測った。

夫の「ないものねだり」と完全主義は増大するいっぽうで死ぬまで変わらなかったけれども、自分自身にも向けられたその渇きこそが彼の生命の原動力であり推進力であったことを私は認めることができる】
(本書「二月」p48~49より抜粋)

▲そして、そんなお母さんのことを息子の朱さんはこう綴る。

【来客の前で父にからまれ罵倒され、唇を噛みしめて台所に引き下がってきた母が「あたし法王の驢馬になるんだから」とつぶやくのを皿洗いの小僧の私は何度か耳にした。ドーデの『法王の驢馬』に描かれる驢馬が忍従の内に密かに蹄を磨き、ある日ついに相手を空高く蹴り上げる姿にあこがれていたようだ】
(本書 「驢馬の蹄」上野朱p199より抜粋)

▲いっときはげしく燃えた火はやがてまた静かな熾火となり。
1997年英信氏の死から十年たって「いろいろあったけれどなかなかに楽しい人生だった」と言う言葉を残して晴子さんは小さなボタンを拾い上げて尋ねてくれた医師の、あのホスピスで亡くなる。
そうそう。
かの松下竜一さんが生前「上野英信に真正面から立ち向かうのは気後れがするが、晴子を描くことで英信を浮き彫りにしたい」と取材をすすめてはったそうで。
叶わぬこととはいえ、ああ、それ、ほんまに読みたかったなあと思う。


*追記
その1)
朝日新聞に以前載った記事がwebにあがっていました。
”「キジバトの記」 上野英信と晴子―福岡・筑豊”→(朝日新聞2006・7・8 文・今田幸伸)

その2)
選挙後の報道あれこれに、かっかしたり(←なんで選挙前にそれをやらへんのよ!!)気分がダウンしてるとき、ツイッターに毎日新聞の日曜版の漫画「毎日かあさん」西原理恵子の画像が貼られていて、頬がゆるみました。→
(web毎日新聞でも、そろそろアップされるんちゃうかなあ?→

おばあちゃんがひとり暮らしになって最初にしたこと→「夕食なしのパフェとだんごの一気食い」ええなあ!
そんでね、思うんやけど。
ケッコンしてても、お母さんにこんな時間がもてたら(いや、パフェとだんごのことだけやなく!)ほんま、もっとよかったのになあ。
『キジバトの記』を読んだあとでもあり、いろいろ考えさせられます。

その2)
この間から観た映画(DVD)2本、どちらも戦争がもたらすもの、とても重かったです。
観た後、だれかのせいとか言いながら、人間って、実はほっといたら差別も虐殺も平気でやってしまえる、とんでもない生き物かもしれないと思いました。
せやからね、そんな自分の「とんでもなさ」をいつも自覚して「暴走」してしまわんように、気ぃつけて、気ぃつけていかんとあかんのやなと。

そのためにも、そんな人間が今までやってきたこと、やってしまった残酷なこと、ちゃんと見て、学んで、考えて、話す、伝える・・・という「あたりまえのこと」を、ずっとずっと「続けなければ」あかんのやと思いました。
歴史を自分の都合のええとこだけピックアップしたり、なかったことにしたり・・・してたら「暴走」が始まるよね。(もう始まってるかも)
心せねば。

『サウルの息子』→(原題:SAUL FIA/SON OF SAUL 監督:ネメシュ・ラースロー)アウシュビッツの話です。イヤホンつけて観たから、よけいに台詞の後ろから聞こえてくる音がなまなましくずっと緊張してた。撮し方もあって心底しんどかった。エンドロールのバイオリンとその後の雨音にやっと呼吸が楽になった気がします。その曲のこと知りたくて何回も巻き戻してみたけど不明。

『消えた声が、その名を呼ぶ』→ (原題:THE CUT 監督:ファティ・アキン)【100年前オスマン・トルコで起こった死者100万人とも150万人とも言われるアルメニア人虐殺】をめぐる物語。

そして、この2本の後に、アイスランドの映画というだけで(北欧の映画すき)観た『ひつじ村の兄弟』→(監督:グリームル・ハゥコーナルソン原題:Hrutar) パッケージの写真に、ほのぼのした兄弟物語かとおもいきや、なかなか深いテーマを扱ってて、とてもいい映画でした。

原題~英語ではRams って、あのラム肉のこと?いやあのラムは”L”から始まってたよなあ~と思って。調べてみたら、Ramは雄羊(去勢していない)のことでした。となると、映画のテーマは?・・と、またまた考え中。
羊って英語でいろんな呼び方があるんですね。知らんかった。→

その3)
今日はこれを聴きながら。
「不屈の民」変奏曲 ~ケッコンしたての頃(大むかし!)出たばかりのこのレコード買って、二人で何度も何度も聴いてたこと思いだします。
この曲の原題 ”The People United Will Never Be Defeated!”は
”団結した民衆は決して敗れることはない”
久しぶりに聴いたけど、すばらしい。いま、思いをこめて。

Frederic Rzewski 「不屈の民」変奏曲-高橋悠治 →
全曲→
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Commented by hasikkoami at 2016-07-13 08:17
おはようございます^^

「毎日かあさん」に朝から笑わせていただきましたww
web版もあるのですね!
毎日新聞はとっていませんが、これなら私も読めるのでこれから楽しみです。
教えてくださってありがとうございます^^

私も一人暮らしをしたことがないので、
おばあちゃんの気持、わかるわ~と思いつつ、
”夕食なしのパフェとだんごの一気食い”は
夫が出張や飲み会で不在の時に今でも普通にやってます(笑)
これはやはり時代の差でしょうね(いや単に私が図太いだけかも^^;)

それにして、bakuさんの深~い記事に対して、私のこの浅すぎるコメント...
人間性がよく表れてますね^^;


Commented by bacuminnote at 2016-07-13 10:13
■ hasikkoamiさん
おはようございまーす。
朝いちばんコメントおおきにです。うれしい。(浅いなんて、とんでもないです!そんなん言われたらわたしのほうこそ・・とアサイじまんに走りそうや^^;)

>これはやはり時代の差でしょうね

時代の差と、パートナーの世代のちがいや、もちろん個人差もあるのでしょうけど。
これ、あはは~と笑うたあとも、ほんまいろいろ(描かれていないところも含め)考えさせられますよね。

息子が言う「オフクロあとちょっとじゃないかよ」にお母さんのこたえた「だからよ」には拍手です。

一方で、いまの時代でも自分が思ってることを話さない(話せない)カップルって結構いて。なんせね、お互い「がまん」はあかんと思います。

あ、それからこんなとこでナンですが(笑)
ひとつ前の記事コメント欄で、lapisさんが教えてくれはった「'Padre Padrone'というイタリア映画」はご覧になりましたか?
amiさんの過去記事にあったらおしえてくださいまし。
Commented by daikatoti at 2016-07-13 12:19
そうかぁ〜、そうですよね、考えるのって体力がいるんだ。
出掛けて疲れてしまった日など、考えるのもいやだし、何か読むってのも苦痛になりますよね。
私はここ二三日、アホなこと考え続けてますが、まだ体力がそれだけあるってことですね。
一日働きに出てると疲れて何も考えられんようになるんでしょうね。
そやから誰も考えない^ ^;

私も時々相方が留守の時、夕ご飯がカッパえびせんとアイスクリームだったりすることがあり、そういう時心底青々いたします。

Commented by bacuminnote at 2016-07-13 15:05
■daikatotiさん
コメントおおきにです。
>カッパえびせんとアイスクリーム
に、笑う。

そして、ちょうどそちらにコメント書こうかなと、考えたりしてたとこなのでびっくり。
それで。こんなとこでナンですが(ちょっと長くなりそうやけど、ここやったらええかと思うので書いてみますね)

以前田舎でパン屋をしていた頃は、近くに気の利いたお店もなく(というか、そもそも店じたいなくて)親しい人に何かおくるというたら、自分ちのパンでした。

それに、当時は味噌屋さん(老舗)とか焼酎とかも請求書に「お代はパンで」と書かれてたり。音楽やってる友人が新しいCD出して注文したときも「パンを送ってください」とあり。
そうそう
大きいものでは、ある方から譲っていただいたグランドピアノも「パンと交換で」と言っていただき、パン屋をやめるまでずっと送ってました。
あと
ネットで知り合った映画好きの若い友人が、おもしろい映画を録画したビデオを何本かたまると宅配で「貸出」してくれて、それもパンの箱と交換。

ほんまにたのしい物々交換でした。いまは街暮らしになって、パンも焼いてへんし、交換するものがなくて(残念!)しかたなくお金でもの買うてますが。

ものの値段って、だれかに決められたもので、自分に決めろと言われたら、いちいち考えなあかんから(大げさにいうたら自分を問われるから)ちょっとしんどいやろなあ、と思ったり。(そういえば、以前どこかでみた「貨幣経済の始まり~銀行の誕生」(←題名は失念)動画を思い出します)

ひとにとってはガラクタでも、自分にはお金だすことに躊躇しない買い物もあるし。逆に「お金もろてもいらん」もんもありますしね。
totiさんも書いてはった美意識の問題とかも、わたし気になるし。

あ、すみません。勢いづいて書き始めたのに、何書きたかったかわからんようになった。
とにかく
そんなことをつらつら思いながら
以前ここにも書いた経済学者・宇沢弘文氏のいうてはる「社会的共通資本」のこと(http://cuminnote2.exblog.jp/19926058/ ←ごぞんじかもですが、文中リンクしてる動画とてもいいです。)水道の民営化のこと(http://cuminnote2.exblog.jp/19926287/)とか、思い返していました。
すみません。まとまりもないまま。
Commented by hasikkoami at 2016-07-14 07:59
>Padre Padrone

タヴィアーニ監督の作品ですね。
観たのは大昔(四半世紀位前かも^^;)なので感想は書いていません。

そう言えばつい最近(数か月前)BSNHKで
タヴィアーニ監督作をいくつかやっていて、
「パードレパドローネ」もやっていましたね。
未見の作品はなかったので結局録画しませんでしたが。

しかし、初見の作品を観るのに追われて、
いい作品を見直す時間が取れないのは
自分でも本末転倒の様な気もします。
(と言いつつ、くだらないB級作品は何度も再見してたりするのですが^^;)
Commented by bacuminnote at 2016-07-14 09:32
■hasikkoamiさん。
おはよう。さっそくにありがとうございます。タヴィアーニ監督って知りませんでした。最近では『塀の中のジュリアス・シーザー』もやったんですね(未見)

>初見の作品を観るのに追われて

いやあ、けどおかげでamiさんの新作レビューたのしませてもろてるんですが。

本にしても、わたしもそういう傾向あります。
いつか、時間できたときじっくり読み通そうとむかし買った「宮沢賢治全集」とか、ドストエフスキーとか・・・^^;(あ、いつかamiさんとこにもこの話題ありましよね)
Commented by daikatoti at 2016-07-15 07:01
まずは物々交換という流れがだんだん出来てくるんでしょうね。素敵な物々交換でしたね。
お金も急になくすのは無理で、だんだん物々交換が増えていって、徐々に変わって行くっていうふうになるのかもしれません。(その頃にはもう居ないだろうけども^^)

>大げさにいうたら自分を問われる
そうなんですよ、私、昔手作りのもの売っていて、最初の頃は割と大胆に付けてたんだけど、だんだん値段を付けるというのが苦痛でたまらんようになりましてね、
高く付けると、高いと思われるやろうか、だとか、安く付けると、そんなに自分を低評価してもええのかと自問したり、
結局、もう値段を付けるのが苦痛で、手作りもの販売から足を洗ったみたいな感じです。

と、こちらもなんだか締まりのないコメントですが。これにて失礼します。
Commented by hasikkoami at 2016-07-15 08:05
度々失礼します^^;

>塀の中のジュリアス・シーザー

ドキュメンタリー風味のフィクションで凄く面白いです。
個人的にはbakuさん好み(ってよく知りもしないのに^^;)ではないかと思っております。
機会があれば御覧になって見てください^^
Commented by bacuminnote at 2016-07-15 14:38
■ daikatotiさん
ほんま、ものの値段ひとつ考えても、いろんな問題や疑問にぶつかりますよね。ガッコでも、家でも、子どももおとなも。「あれ?おかしいな」と感じる、立ちどまって考える~そんなアンテナと、時間(←これはとても大事ですよね)をみんなが持てるように(いや、持たなあかん)と思います。
Commented by bacuminnote at 2016-07-15 14:43
■amiさん(わたしもみじかくさせてもらいました^^;)
おおきに!今日さっそく探しに行ったら(前はあったはずやのに)在庫なしになってたけど。観てみまーす。
amiさんには「好み」ばれてるとおもう(笑)
by bacuminnote | 2016-07-11 16:07 | 本をよむ | Comments(10)