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いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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風倒木。

▲本の少ない家だった。
父が読む活字いうたら新聞と株と、たまに仕事(料理や旅館)の本。それから旅行業者から送ってくる雑誌くらいなもんで。
あ、でも、この雑誌のなかの一冊『あるく・みる・きく』は、ほんまにすばらしくて。これをまだ小学生のわたしに「読んでみ~」と奨めてくれた父(←たまにはええこというやん)には感謝してる。

▲田舎で生まれ育って「井の中の蛙」のわたしに、日本のなかにもいろんな地方があり風土と暮らしがあること、たまに外国編もあって、世界の広さもおもしろさも知ることにもなって。
以来「近ツ」(発行元の近畿日本ツーリストのことを業者間ではこう呼んでいた)から茶封筒が届くと、わたしが一番に見る(読む)ようになった。が、この雑誌、かの宮本常一氏の発行したものと知るのは、大人になってからなんだけど。

▲あかん、あかん。また話が横道にそれてしまうから「本」に戻して。
母に至っては、わたしが物心ついてから、ゆっくり座ってご飯を食べてるとこ見たことないくらいに、仕事仕事のひとやったから。本どころではなかったはずで。かつてブンガク少女やった頃に読んだという古びた数冊が本箱にひっそりと並んでたのをおもいだす。

▲せやからね。
なぜか姉妹のなかで四女のわたしが本好きとわかると、母はこと本代だけは、いつも惜しまず出してくれた。
そうはいうても、ちいさな町のことで本屋さんに自分が読める(読みたい)本がいっぱいあったわけではなく。
でも小学校五年生になると、それまでは学級文庫という教室内にある本箱だけだったのが、ようやく校舎の一室に図書室ができたんよね。

▲できたての図書室は、今から思えば本の数も少なかったけれど。床から天井近くまである背の高い本棚がならぶ「本の部屋」は衝撃的で。もう、うれしくてうれしくて。クラスの図書委員というのには、迷わず立候補の挙手をした。
学級文庫とはちがって、図書室の本はただ並べてあるのやなくて、ある決まり事に基いて「分類」してるってことを初めて知ったのもこの年やったと思う。なんせ町に本屋さんが一軒あるだけで、図書館なんてないし、行ったこともなかったし。

▲そうそう、その図書室ができた年あたりに「親子読書運動」というのが起こって、「毎日20分親子で本を読む」という宿題が出始めたのだった。
「週間読書カード」というB5サイズを横にしたちょっと厚紙の用紙があって、親子で本を読むと日にちの下に◯をつけ、自分だけで読んだときは△、読まなかったら☓・・・と記入(たぶん)。最後に親のハンコを押してもらい、1週間の感想を親子それぞれ書く、と、そんな感じのカードやったように思う。

▲はりきってなった図書委員でもあるし(これの回収も委員の仕事やった)とにかく、初めのうちは、それでも母にうるさくつきまとって、本を読んで聞いてもらうという「親子読書」を何度かしてたけど。
そもそもそんな時間が母にあろうはずはなく(そしてなぜ「母子」なのか?とか当時は考えもしなかったから当然父に声をかけることもなく)
宿題を忘れることはあっても(!)本を読まない日はなかったけど、ほとんど毎週自分でええかげんに(ときに母の字をまねて親の欄まで)記入して、自分でハンコ押してた。
「本はすきやのに。ほんま、こんなもん誰が考えはったんやろ」と苦々しくおもってたんだけど。

▲なんとこの主唱者は椋鳩十氏であったことを『移動図書館ひまわり号』(前川恒雄著・夏葉社刊)で知った。
あとで調べてみたら【1960年代初めに鹿児島県立図書館館長であった椋鳩十(むくはとじゅう)によってはじめられた「母と子の20分間読書運動」,1960年代後半からの子どもを対象とした親子読書運動】とあって。
その後この読書運動は全国に波及したそうで。
せやったんか~「こんなもん」を考えはったんは、あの椋鳩十さんやったのか~

▲前川氏は椋鳩十氏を「日本で最もすぐれた県立図書館長の一人」とみとめ、教えを受けたことも多かったとしつつ、しかしこの運動には「ついてゆけないと感じていた」らしい。
わたしは子どもながらに、ずっと胸にのこってた「ふまん」を何十年もたって、やっと理解してもらったような気がした。
曰く
【家庭で親が子とどう向き合うかは、他人が口をさしはさむことではなく、子供がどんな本をどう読むかは、子供自身がつかんでゆくべきで、運動として強制する性質のものではない、と今でも思っている】(同書p62より抜粋)

▲いや、けど、一方ではそうとわかって、よけい納得いかず(椋さんが考えてはったことを知りたくて)もうすこし調べてみる。
わたしにとっての椋鳩十さんとは児童文学作家であり、その功績をたたえて設立された椋鳩十児童文学賞の第一回授賞者はひこ・田中さん(ファンです)の『お引越し』で、第二回は森絵都さん『リズム』とだいすきな作品でもあり。
でも考えたらそれしか知らなかったんよね。

椋鳩十氏(1905年 - 1987年)は小学校や女学校の教員をしながら作家活動をして、敗戦の2年後42歳から定年で退職するまで鹿児島県立図書館長をつとめはったらしい。教員や作家がそういう役職につくことは、珍しいことでもないのだろうけど、氏の活躍ぶりはいろいろ波紋をなげ。
例えば、県立図書館が図書を購入し、市町村立図書館やサービスセンターに貸し出すという県と市町村による図書館運営を推進したそうで。椋氏がはじめたこの運営は「鹿児島方式」とよばれて、後の図書館ネットワーク構築に大きな影響を与えたらしい。

▲敗戦後、子どもをとりまく環境をうれい、教科書以外の本も読む機会を・・ということで、「母と子の20分読書運動」を1960(昭和35)年に提唱。
子どもが読むのをかたわらで静かにお母さんが聞く、というだけやなく、ときにはお母さんに読んでもらって子どもが聞くのもよし。それに20分にこだわらなくてもいい。
親子で本の時間を共有するたのしみ。本は「母と子が共同で読む本」と「子どもが自由に黙読する本」と二種類ある・・・ということも言うてはったらしいんだけど。

▲こういう提唱者の思いは5年たって、奈良県の山間部の小学校に届いた頃には「形」だけが残ってたのか。いや、母校でも、わたしみたいに(あるいは「母」に限定された呼び方に)「こんなもん」と思ってた子どもだけではなく、この親子読書でええ時間をすごした子ども(親)もいたのだろうとは思う。

▲さて『移動図書館ひまわり号』のことに戻って。
この本は1988年筑摩書房から出た本を夏葉社が先月復刊したもので、筑摩書房刊のものは、以前岡崎武志さんが講演会で熱く語ってはったのを聞き(講演会の日のことはここにも)、すぐに図書館で借りて読んだ。(このときは何故か「親子20分読書運動」の記述のこと気がつかなかったんよね)日野市でたった一台の移動図書館から始まり、日本中の図書館に影響をあたえた、前川さんや職員たちの「たたかい」の記録だ。

▲この本を読んでいるとき、何度も自分と図書館のことを思ってた。
ケッコンして、やがて街から田舎暮らしへと移行してからは本屋からも図書館からも遠ざかってしまった。引越し先はどこも図書館のない町(村)で。それでも本を借りることのできる場所をそのつど、役場(教育委員会の管轄だった)に出向いて聞いたりもした。

▲どこでも一応「図書室」やそれに準ずるものは用意されていて。聞くとすぐに子どもを連れて訪ねてみたけど。「あかずの間」のような部屋を開けるとカビ臭く、薄暗いなか電灯のスイッチを入れる。古びた◯◯全集があるかと思うと、となりに「ん?」と思うような流行り本が混じってたりして。棚の隅には未整理の(たぶん)段ボール箱が積み重ってたり。「ごゆっくりどうぞ」と職員さんがにこやかに鍵を手渡してくれたけど、長居しようとおもえる場所ではなかった。

▲いまのようにネットで簡単に本が入手できる時やなかったし、それにもちろん経済的な問題もあり「読みたい本すべて買う」わけにもいかなかったし、図書館のある町がしんそこ羨ましかった。
滋賀県愛知川(えちがわ)のころは、はるばる大津まで遠出して県立図書館に一ヶ月に一度行ってたけれど、それよりうんと近い隣市の八日市(現・東近江市)の図書館は市外の住民にも貸してもらえると知った。

▲親子三人で、八日市にかけつけた日のことは忘れられない。
庭には高さ15mほどもあるメタセコイアがうつくしくそびえ立っており、息子が何度も木登りを楽しんだ低木(なまえ失念!)があり、中に入るや明るくて広いフロアには低めの棚が並んで、これまでの図書館の重厚な雰囲気とはまるで違って、開放的でびっくりした。

▲以来、車で、ときに自転車3台つらねて図書館通いが始まった。
そうそう『移動図書館・・』の著者前川恒雄氏は、日野市での活躍の後、1980年滋賀県立図書館館長となって、滋賀県の図書館を活性化した方で。この八日市図書館もその振興策を受けて1985年に新しくスタートしたそうだ。館長の西田博史さんを中心にスタッフのひとたちも皆さんほんとうにすばらしかった。

▲1階入り口の壁面では企画展があって、今これを書きながら思いだしたんだけど、当時わたしが毎月出していた手書きコピーの通信「ばくばく」も家族新聞の企画展のおり展示してもらったことがあったっけ。
2階にはギャラリーや珈琲をのむコーナーや本のリサイクルコーナーもあって。行くと親子バラバラにすきなところに散らばり長居したものだ。
そうそうギャラリーのなまえが「風倒木(ふうとうぼく)」というんよね。

【森や林の中を歩くと、風に倒された巨木が横たわっていますが、これを風倒木といいます。これは永い年月を経て徐々に土に同化し、やがて次世代の森を育てる土壌ともなります。画一管理された人工林には存在しません。
風倒木があるということは、多産で自由豊穣な森であることを示します。これからの人間社会もこの森のように多様で豊かなものにしていきたいという願いが込められています。】
(風倒木ギャラリー 八日市図書館HPより)

▲椋鳩十さんの運動も、前川さんや、西田さんがしてきはったことも、風倒木みたいやなと思った。
それやのに。
有名無名にかかわらず多くの図書館人たちの変革をよびかける声、その熱い思いや、こつこつ積み上げてきたもの、ようやく豊かになってきた土壌の上に建った図書館がいまは「退行」しつつあるのは何故か。

▲『移動図書館・・』のあとがき「復刊に際して」で前川氏が、かつての日野市の職員に【一人一人の手を取ってお礼を言いたい】を綴ったあとこう言うてはる。

【ここで強調したいのは、職員がどんな苦労もいとわず働いてくれたのは、何といっても利用者が喜んでくれたからである。自分のしている仕事の意味が、利用者の笑顔によって示された時、職員は充分の力を発揮する。私が最も感謝しなければならないのは、日野の市民である。その上で職員が仕事に打ち込めるためには条件がある。それは職員の身分が安定していること、将来に希望がもてること、つまり非常勤職員ではないことである。】(p251)

【数年前から、図書費が全体として削られ、職員の中、非常勤職員が六割に達するまでになっている。(中略)だが、現在、図書館最大の問題は委託である。政府は指定管理者制度をつくり、委託を勧め、マスコミもこれを後押しした。委託された図書館では、職員は殆ど非常勤であるから、使命感は喪われ、長期の展望をもっての仕事はできず、職員は育たない。】(同書p253より抜粋)

▲この本ぜんたいに流れる前川氏の誠実さと怒りに共感する。
かつて某市会議員が著者に言ったという「みんなをあんまり賢くしてもらうと困るんだよなあ」(p152)を思い出す。権力をもつ者が怖がってるのはこれやよね。

【人々が賢くなり知識を持つことを恐れる者たちが、図書館づくりを陰から妨害する。自分の貧しい精神の枠内で人々を指導しようとする者たちが、図書館の発展を喜ばず、人々を図書館から遠ざける。】
(p152より抜粋)

そして、いま、この「図書館」というのを「政治への関心」に置き換えてもまた、と思うのだった。



*追記
その1)
滋賀から信州への引っ越しが決まったとき、荷物を少なくするため、というのもあって、
相方とわたしの本の中から八日市図書館になさそうなものを選んで、車で何度か運んで、貰ってもらいました。
引っ越し前にいただいた館長と職員全員の寄せ書き ”新しい旅立ちの門出をお祝いいたします”は、たからもの。
西田館長が「本屋も図書館もない村で活字中毒が治るといいですね」と書きつつ「開田村から一番近くの図書館は楢川村ですよ」と教えてくれはったのですが。
あれから25年。あいかわらず活字中毒は治らず。はからずも今は図書館のあるまちに住むようになって、案の定ヘビーユーザーで。だからこそ「退行」は許せません。


その2)
おもしろかった本。
『くらべる東西』→まあ、西と東だけやなく(←「西」が先にくる関西人・・苦笑)各地いろんな流儀があって。その「ちがい」よりも、何故そういうことになったのか、というとこが興味深いです。
まさに『あるきみるきく』の世界やよね。

その3)
きょうはこれを聴きながら。
LOLA ARIAS Y ULISES CONTI - LOS QUE NO DUERMEN - TRAILER→
by bacuminnote | 2016-08-03 14:16 | 本をよむ