いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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さっきまで知らんかったひと。

▲「大足は大きく育つ昼寝かな」(火箱ひろ)
子どもの頃、すぐに靴やサンダルが小さくなって母に言うと「えっ?このあいだ買(こ)うたったとこやん」とため息をつかれたクチで。この句を読むたび、大足で大きく育ったわたしは笑うてしまう。

▲むかし、友だちの下宿に遊びに行ったとき、上り口でわたしの靴をみた大家さんに彼女が「ウチは男子禁制です」と、とがめられたこと。
相方と訪ねた知人の家で帰り際、お家の方が靴を揃えて大きい方を相方の、小さい方をわたしの前に差し出さはったこと。(←こういうことしょっちゅうある。大体なんで男物は大きく女物は小さく、なんやろね?お茶碗でもお湯のみでも傘でも杖でも・・・)

▲若いころはスニーカー以外にサイズの合う靴がなかなかなくて。
ガッコの上履き用バレーシューズをダイロンで染めて履いて(色止めがうまくできてなかったんやろな)雨に合うと足がバレーシューズ型に茶色に染まったこと・・・とかね。もう足や靴の思い出はいっぱいあって、どれも苦笑モンなんやけど。

▲まあ、大きいのはいいとしても、
そのほかに何かと不調の多いわが足ゆえ、日頃からひとの歩く姿や靴~靴の形や底の減り方とか、杖を持つようになってからは杖をついてはるひとも気になって。ついつい目が足元へと行くんよね。
前を歩くサラリーマン風の若い子、あの靴底の減りようは営業やろか?暑いなか大変やなあ(・・と言いながら自分ちに来る各種勧誘の♪ピンポーンには出なくてすまんが)
あの女の子、まだちっちゃいのにヒールのあるサンダル履いて足だいじょうぶなんかなあ?とか。

▲リハビリ科の待合室では、こだわりの靴を履いてはるひとも多くて。痛いとこもツライとこもあってのチョイスなのは間違いないけど。プラスその人らしさも出てる気がして興味深い。前からときおり街なかで見かけて、かっこええなあと密かに注目してた女性も来てはって、親指の下あたりの革の出っ張りと剥げ方にわたし同様に大足で外反母趾らしいと知って親近感おぼえたり。

▲このあいだ待望の内田洋子さん新著『ロベルトからの手紙』(文藝春秋刊)が出て、いま読んでいるところなんだけど。出版前にネットで書影を見たときに、その足部だけの彫刻にどきんとした。
それはちいさな足(先)の木彫が、踵(かかと)を少しあげており。足首のあたりには天使のような羽がついていて。(足が)飛び立とうとしてるようにも、いや、つま先がしずかに着地したところにも見えて。

▲これまでの内田本の装幀とはちがう趣だったこともあって、気になっていたら「あとがきに、かえて」と、内田さんがこの木彫の作家・田島 享央己(たじまたかおき)氏に宛てた手紙が掲載されており。
曰く、内田さんが帰国中に偶然、千葉県立美術館で田島さんの作品『Left alone』(ひとり、残されて)と出会い感動したこと、本の表紙カバーのために作品を創っていただきたい。
【彫っていただきたいのは、『羽のはえた足』です】とあった。イタリアで仕事をして38年目、組織に属せず一人で働いてきた内田さんが<守り神>と思い頼りにしてきたのが、ヘルメスだったから~とのこと。

▲帯の惹句にもあるように、今回の本は<イタリアの足元>の話、のようで。
足に関心大のわたしは読む前からそわそわする。
この方のエッセイは、偶然にしろ必然にしろ、イタリアで出会った人たちや料理や食材、動物や船、街のことがいつも綴られて。その一篇一篇は短いけれどけっこう濃密だ。
せやからね、いつも一気に読みきってしまいそうなのを、ちょっとこらえて、できるだけゆっくりたのしむことにしてる。

▲今日はお盆明けで待ち人の多いリハビリ科の長椅子に座って。
なかなか順番が回ってこなかったこともあって、つい何篇か読んでしもたんやけど。そのなかのひとつ『二十分の人生』のことを書こうとおもう。
ミラノの内田さんの自宅の前にある大きい広場は、その昔ハンニバルがアルプス越えをする前に休憩した、という伝説のあるところやそうで。

【その門を中心にして、広場は周囲を抱き込むように円形に広がっている。同心円状に内環や外環状道路が走り、さらに、市の中心部と郊外を結ぶ大通りが垂直に交わっている。何本者道路が錯綜し、四六時中、車と人の流れは途切れない。蜜に集まってきては散っていく、蟻の群れを見るようだ。
渡って待ち、待って、渡る。

路上から広場は見渡せるのに。横切って向こう側へ行くには、合計六ケ所もの横断歩道を渡らなければならない。そのうえ信号がうまく連動していないため、もたもたしていると広場一つに十分以上かかることになる。寒いなかの信号待ちは辛い。】(p69)

▲このややこしい道路状況の中(←こういうの大の苦手なわたし。
何度読み返すもイマイチわからへんので(苦笑)この部分を相方に音読して紙に地図のようなものを描いてもろて、ようやく理解。)
その日は午前九時を回ったのに、やっと零下五度という寒さで(←ミラノって寒いんやなあ)内田さんは早いうちに用事をすませてあとは家でこもってすごそうと、家を出る。
そして信号が青になるや、急いで渡ろうとすると「すみませんが、いっしょに渡ってくださいませんか」と背後から声をかけられるんよね。
「途中で信号が変わってしまうのが、恐ろしくて」と、その高齢の女性は杖を持ち上げてみせる。

▲そのお年寄りは「薄茶色のウールのコートにボルドー色の毛糸の帽子」「着古したコートは誰かからのお下がりなのか、肩が落ち、長過ぎる袖が手の半ばまで覆って」いる。足元をみれば「薄いストッキングにローヒールの革靴で、骨張った膝下が寒々しい。凍った道に足を取られないように、用心深く杖を小幅に出しては足を引きずるようにそろそろと歩く。」

▲内田さんは右腕を貸して歩き始めたが、他の人たちはとっくに渡りきってしまったのに、二人はまだ道の中ほどで。じきに信号は黄色になり、内田さんは彼女を持ち上げるようにして両側の車に「辛抱勘弁」と目配せしながら、ようやく残り半分を渡り終えるんよね。
と、「すみませんが、もう一本、この先の道もお願いできますでしょうか?」と杖で前方を指しながら言う。

▲83歳だというその女性が、道中、ときに歩くよりも熱心に語る無職で引きこもりの息子の話に、なぜいまもストッキング一枚の足を寒風にさらして、通りを渡り家政婦の仕事に出るのか~はじめはぼんやりしてた像も少しずつ焦点があって、そのうち輪郭がはっきりしてくるんよね。ああ、そうやったんか~と。
気まぐれに点けたテレビで、途中から見始めた映画のように、わかったことも、わからないままのこともあるんやけど。
二人は信号を何度もやり過ごし「結局、最初の信号を渡ってから二十分が経っていた」で、話は終わる。

▲内田本には、こんなふうに偶然会ったひとと話したり、手助けしたり、その方と思いもよらないところで再会したり、というエピソードがよく出てくる。
つい今しがた出会ったばかりの人の人生の一端に内田さんがかかわり、そして読者もその風景のすみっこにいるような、そんな感じ。そして読むたびに内田さんのイタリアでの時間、人の繋がりのひろさ、よく利く鼻と(!)好奇心と、何より生きてるものへのふかい愛情を思う。

▲彼女のような手助けはとうていできないけれど、通りがかりのひとと話す、といえば、わたしもよく道をたずねられる。
「自分(大阪弁でyou)みたいな方向音痴に道聞くやなんて、見る目ないなあ」とか「おばちゃんが一人ひまそうに歩いてるからやろ」と相方は笑うけど。
だれかと一緒にいるときでも、何故かわたしにむかって「ちょっとお尋ねしますが」と、声をかけられるんよね。そんなことがしょっちゅうあると「自他ともに認める方向音痴」のはずが、「他」からは、わたしの頭の上に「道案内」の看板でも見えるんやろか(笑)とおもったり。

▲先日は券売機前で、年配の女性から「すみません。プリペイドカードの買い方がわからなくておしえて下さい」といきなり五千円札を手渡されてびっくりした。
道案内は下手でも、これくらいならと喜々として(←たぶん)次からは一人でも買えるようにゆっくり説明してたんよね。
すると、隣の券売機前で長いこと何やらやってはった方も「へえ、そうやってするんですか~」と覗き込みに来はって。
時間にしたら、ほんの数分のことだったけど、ふたりの知らん人に「ありがとう」「おおきに」と言うてもろて、券売機教室(笑)はぶじ終了した。

▲駅で、本屋で、スーパーで、パン屋で、喫茶店で、医院の待合室で。そのとき限りの会話から「そんなことまでわたしにしゃべらはってもええんですか?」というような身の上話まで~知らんひとから話しかけられることが多いのは「そら、あんたの顔に ”しゃべって~”って書いてあるねんで」と母は笑って言う。・・・せやろか。
ひととひとの繋がりはときにわずらわしいこともあるけど、おもしろい。

【行き詰まると、散歩に出かける。公営プールへ行く。中央駅のホームに座ってみる。書店へ行く。海へ行く。山に登る。市場を回る。行く先々で、隣り合う人の様子をそっと見る。じっと観る。ときどき、バールで漏れ聞こえる話をそれとなく聞く。たくさんの声や素振りはイタリアをかたどるモザイクである。生活便利帳を繰るようであり、秀逸な短編映画の数々を鑑賞するようでもある】
(『ジーノの家』(内田洋子著 文春文庫刊)「あとがき」より抜粋→

*追記
その1)
駅の券売機、図書館やレンタルショップの自動貸出機、トイレ・・・と新しく登場したものでわからないことは
いっぱい。でも、だれでも簡単に使えるものでないとね。
前にも一度書きましたが、再掲。

『ユニバーサルデザイン7 つの原則』

誰でも使えて手にいれることが出来る(公平性)
柔軟に使用できる(自由度)
使い方が簡単にわかる(単純性)
使う人に必要な情報が簡単に伝わる(わかりやすさ)
間違えても重大な結果にならない(安全性)
少ない力で効率的に、楽に使える(省体力)
使うときに適当な広さがある(スペースの確保)


その2)
靴といえば何かのたびに思い出す『ユルスナールの靴』(須賀敦子著)のプロローグ。
【きっちり足に合った靴さえあれば、自分はどこまでも歩いていけるはずだ。そう心のどこかで思いつづけ、完璧な靴に出会わなかった不幸をかこちながら、私はこれまで生きてきたような気がする。】
(同書p11「プロローグ」より抜粋)


その3)
この間からひとり時間が結構あったのでDVD三昧のときをすごしました。
いつもはキホン一日一枚にしてるんよね。でないと、頭のなかがごちゃまぜになるから。
若いころ映画館はキホンが3本立てで、5本とか、ときにオールナイトとか観てたけど、いまでも覚えてる作品が多いのに。

先日も息子2に「最近なんかええのあった?」と聞かれて、相方とやっとのことで思い出して『裁かれるは善人のみ』と答えたのはいいけど、どんなストーリーやったか二人ともまったく思い出せず。
「ネット検索はせんと自力で思い出す・・」とか相方が言もんで(苦笑)、二人うんうん唸って、そのうち「ロシアの映画」「海辺の家」「タルコフスキーに通じるもの」とかなんとかキーワードを切れ切れに思いだしたんやけど。

ちょっと前にその映画のことで、ああでもないこうでもないと二人で感想大会wしたとこやのに。同じアンドレイ・ズビャギンツェフ監督のずっと前にみた『父、帰る』を再度観たりもしたのに。
「深く青い海。浜によこたわる白骨化したクジラ。ウォッカと煙草。わかったこともわからないままのことも。ぐるぐる。」とツイートもしたのに。まったく・・・。

その4)
レナード・コーエンが新しいアルバム「You Want It Darker 」を発表したらしい。
若いときのレナード・コーエンもすきやったけど、歳とってからの彼はまたとくべつ。秋には82歳だって。

きょうはこれを聴きながら。
Leonard Cohen - Samson in New Orleans

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Commented by daikatoti at 2016-08-17 12:39
道たずねられる人になりたい、と思ったものでした。
なんでかというと、人は道たずねる時、無意識にこの人いい人やろか、こわい人やろうかというの
秤にかけてると思うんですわ。
醸し出すいい人の雰囲気を漂わせてる、足の大きい人なんですね^ ^

靴の減り具合までは目がいきませんが、地下鉄乗ると(スマホなんか持ってないので)目のやり場がなく、
退屈凌ぎに前に座ってる人の靴を観察します。
靴って、その人の持ってる文化とでもいいますか、人柄ですかね、
どういう暮し向きをしてる人なのか、よく分かって面白いですね。
Commented by bacuminnote at 2016-08-17 14:19
■ daikatotiさん
うれしいコメントありがとうございます。
道をたずねられるのはええのですが、知った場所でも方向音痴ゆえ教え方が下手なので。ちゃんと着かはったか心配になって、あとついて行きたくなります(ついて行ったこともある 苦笑)

>靴って、その人の持ってる文化とでもいいますか、人柄ですかね、

ほんまに~
この本では内田さんは「私にとって足は、その人となりを想像する、要の観察点です」と書いてはりました。
そしてイタリア語を学び始めたころ観た映画としてエルマンノ・オノミ監督の『木靴の樹』のことも。http://www.zaziefilms.com/kigutsu/ この映画また観てみたいです。
Commented by hasikkoami at 2016-08-18 08:20
方向音痴で、教え下手なのに、
すぐ人に道を尋ねられるのは同じですが、
私は逆に足が小さいのが悩みです(背が低いのも)。
これまでは22.5なら何とか...と言う感じだったのですが、
歳をとるにつれ、いたる所が萎んできて、最近は靴までパカパカに。
これ以上萎まないことを祈りながら、
ネット通販で靴の中敷きを捜す日々です(涙)
Commented by bacuminnote at 2016-08-18 10:18
■ hasikkoamiさん
わあ、amiさんも「道聞かれ組」でしたか~わたしの周辺けっこう「同じ組のひと」(苦笑)多いです。そういえば、この件先日もTWで盛りあがり、かの絲山秋子さんまでも「わたしも」と道案内エピソードを。
曰く「小説を書くために生まれてきたと思い込んでいたら実は道案内のための人生だったり…」と書いてはりました(笑・・気さくで、ほんまおもしろい方です)

ていうか「22.5ならなんとか」って!ひゃあ。わたしと3cも(←さばよんでますがなw)違うんですね。知り合いにもそういう人いてはって、昨今、流行りのおしゃれなレインシューズがほしいのに、子ども用のしかなくて、と嘆いてはりましたが。一方わたしは、おっさん用とかアウトドアのごっつい「長靴」しかサイズ合うのがありません。靴さがしは、おたがい苦労しますね。
Commented by lapisland2 at 2016-08-18 19:08
足の話と道案内で盛り上がっていますねぇ。
実は私も足ではずぅっと悩みっ放しでして・・・。
バレエをやっていたせいなのか、甲高でなかなか合う靴がなくて、いつも一つサイズが上の靴を買うことになります。
おまけに10年前にその甲を骨折(舟状骨という、普通はアスリートなどが使い過ぎで摩耗して傷めるような部分)して以来、どんな靴であれ、靴を履くこと自体が苦痛以外の何ものでもなく、文化も人となりもへったくれもありませんワ。
本当に足が悪くて歩くこともままならない人たちにとっては、靴を選ぶという自由や悩みさえも存在しないということでしょう。
そういえば亡き母は、bakuさんのお母さまよりもずっと年上ですが、若い時から履き続けたクツ(たぶん大正のモガ?で、洋装で通した人だったので)のせいで、ひどい外反母趾で年老いてからは痛みがきつかったみたいです。
外反母趾なんて、下駄や草履の時代にはなかったのでしょうねぇ。

道案内と言えば、私も聞かれる方に入ります。
シンガポールで中国人に中国語で尋ねられたリ、なんで白人に聞かずにアジア人の私に聞くの?と思うくらいに、この国でもよく道を尋ねられますよ~。本人はひどい方向音痴です。

内田洋子の新刊は、秋に帰国の時のお楽しみになりそうです。
Commented by bacuminnote at 2016-08-19 00:06
■lapisland2さん
須賀敦子さんの「きっちり足に合った靴」やないですけど、足に不調を抱えてると、ほんま靴選びが大変ですよね。
通院してる整形外科でも「靴外来」がありますが、そこで作ってもらっても「合わない」で、痛いねん~という知人もいます。

おお、lapisさんも「おなじ組」のひとでしたか~しかも方向音痴もおなじとは(そういえば。空港でも・・と思い出し笑い中)秋のご帰国~たのしみです。



Commented by nabetsuma at 2016-08-20 17:41
わたしは重い放浪鍋がつきものなので、人からはゴツい女性に想像されてますが、
よく道を尋ねられますし、何かと知らない人から話しかけられます。

息子さんのことを1・2と表現されてますが、こちらは
ダンナ1・2、ついでに3くらいは欲しいものです・・
(稼ぎが2〜3倍に〜〜)
Commented by bacuminnote at 2016-08-20 19:05
■ nabetsumaさん
>わたしは重い放浪鍋がつきものなので、人からはゴツい女性に想像されてますが

放浪鍋!(笑)
いえいえ、かいらしいお方と聞いております。

>ついでに3くらいは欲しいものです・・

わたしは1だけでもうよろしわw。

・・にしても、わたしの周囲は「道聞かれ組」「知らんひとに話しかけられ組」率めちゃ高い!

by bacuminnote | 2016-08-17 09:36 | 本をよむ | Comments(8)