いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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大きな硝子戸から。

▲朝、目がさめたら窓の外が薄暗かったので。
えっ?もう夕方なん!?と、ねぼけて一瞬あせった。けど、じっと耳をすますと幹線道路を走る車のしゃーしゃーという音にぽつぽつと雨音が重なり。昨夜みた台風のニュースを思いだしてなっとく。湿気て重たい雨戸をいちにのさんと勢いつけて開ける。

▲窓の外~雨にうたれた木々と草ぼーぼーの庭はじつに緑あざやかで、なんやズームアップしたみたいにせり出して見えて。灰色の空の下、大きくなった緑たちが今にも歩き出しそうで、どきんとする。
そうして、あらためて、植物は生き物やなあとおもうのだった。

▲川のそばで大きいなったから、台風は思い出というより、いつもその背景のようにわたしの中に在る。雨が降りはじめ、急に空が暗くなり、そのうち雨脚が強くなって、ガッコは給食を食べて早帰りの集団下校になるんよね。その時点では、午後からの授業のないことを子どもらは、無邪気によろこんで列に並ぶんやけど。

▲家に帰ると、親も従業員の人らも台風で家業は暇かと思うのに、なんやバタバタしており。うれしかったはずの早帰りやのに、わたしはじきに退屈を持て余し、放課後に対戦のやくそくしてたドッジボールができんかったことばかり思ってた。

▲当時旅館やったウチは、台風が近づくと、川辺に繋いである鮎舟が流されんように、河川敷に上げるのが定例で。(このことは前にもここで書きました)10人乗り、16人乗り、20人乗りの舟と鮎漁用の舟と合わせて5隻。川辺にあった大きな欅の木2本に、太い麻縄で繋ぐんやけど、小さい舟も引き上げるとなると力持ちが10人がかりやったそうで。

▲そうは言うても、台風前の(どこのお家もたいてい川べりで慌しいときに)その10人余りの人を集めるのが大変やったようで。そのたびに「無理言うてすんまへんなあ。ほんま、すんまへん」と、船頭さんしてもろてる人たちに、電話にむかって何べんもお辞儀してた母の姿が浮かんでくる。

▲旅館は川に沿うように客室が並び、途中長い渡り廊下の間に大浴場や娯楽室があって。その廊下の行き止まりには二階建て~上下三室ずつの客室があったんだけど。
いつだかの台風がきたとき、母たちが舟の引き上げに外に出ている間(たぶん、じっとしときや、と言われたんやろけど)わたしはそこの二階の踊り場に走ったんよね。

▲川に面した大きな硝子戸からは、眼下に怒り狂ったように、ごぉごぉ音たてて波高く流れる濁った川が間近に見えて。倒れた木や、大きな枝、畑の作物、一斗缶に箪笥や自転車まで流れてきて。
夏じゅう泳いで遊んだときとはまるで違う川のその顔つきも、覗き込んでたら飲み込まれそうな濁流も、しんそこ怖かった。

▲わたしの記憶では、これまで台風でジッカやご近所さんが大きな被害をうけるということはなかったと思う。ただ伊勢湾台風のときは橋が崩落し、町なかの家の崩壊もあって、それは大変やったらしい。そのときわたしは四歳で、家の中でも外でも大人たちがバタバタしてた様子の記憶しかないんだけど、ずいぶんあとになって当時の写真をみて、改めてその被害の大きさに驚いた。

▲さっき、これを書くのに確かめたいことがあって、母に電話したら、当時の舟や船頭さんのこと客室の位置やなまえ・・・と、具体的な数字まですぐに返ってきてびっくりする。「すごいなあ」というと「そら、わたしの命みたいなもんやからなあ」と言うて、すぐにそのせりふが恥しくなったのか「あはは」と照れ笑いしてたけど。

▲「いのち」と聞いたんは初めてだったので、そうかぁ、としみじみ思う。
相手(つまり、わたしの父親)のこともロクに知らずに、お見合いのあと一回か二回会うただけで、親や周囲の勧められるままにした結婚はイコールそのまま「嫁ぎ先」の働き手で・・。それでも当時は多くのひとがそんな結婚やったのかもしれないけれど。

▲そういえば、相方のお母さんもまたそんな一人で。
「わたし節分に結婚したんやけど、それまでいたお手伝いさん、おヨメさんが来るから、いうて1月いっぱいでお家に帰らさはったらしいんよ。わたしは正味お手伝いさんの代わりや。結婚式までおとうさん(相方の父)とも2回しか会うてへんし、式までに顔も忘れてしもてたし・・」と笑いながら、よくこぼしてはった。

▲この間(というても、もう先月末のことになるんやけど)『屋根裏の仏さま』(ジュリー・オオツカ著 岩本正恵・小竹由美子訳 新潮社2016年刊)という本を読んだ。これは母や義母より一世代~二世代前の20世紀初頭「写真花嫁」としてアメリカに渡った日本人女性たちの話で。写真だけをたよりに長い船旅を経てアメリカに暮らす日本人男性の元にむかうのだった。

▲どの男性も送ってきた写真はかっこよくて。
船内で「わたしたちは」少女のように(じっさい初潮もまだむかえていない十二歳の女の子もいた)その写真を見せ合ってはしゃぐ。
「彼らはハンサムな若者で」「故郷の兄や父に似ていたが、もっと身なりがよく、グレーのフロックコートや仕立てのよい三つ揃いのスーツを着て」「家の前の車回しでT型フォードにもたれて」写真におさまってた。

▲夢みるようにアメリカでの暮らしを語り合う「わたしたち」は、やがて写真のその人とはまるで違う「ニット帽をかぶり、みすぼらしい黒い上着」を着た中年男性たちにサンフランシスコで迎えられることになるんよね。
写真は他人のだったり20年も前のものだったりしたわけだ。そして、すぐに労働の日々が始まる。

▲そうそう、この本は「わたしは」ではなく「彼女は」でもなく、終始「わたしたちは」で語られている。
「写真花嫁」たちが口々にその結婚を、夢を、渡米してからは、いきなり「奪われた」ことを、労働の苦しさを、言葉のわからない悔しさを、絶望を、「わたしたちは」と語るんよね。

▲何度もくりかえされる「わたしたちは」が、あるときは朗読劇のように、詩や音楽のように。そのうち深くかなしく響くようになる。
ときおりテルコ、フミノ、ルリコ、ミツエ・・と「わたしたち」の中の名前がでてくるのに、ちいさなつぶやきもため息もきこえてくるようなのに。
「わたし」はやっぱり不在なのだ。

▲そうして「わたしたち」にも子どもが生まれ育ち、貧しいながらも自分たちの家をもつ。
「子どもらはわたしたちが悲しげにしていると心配してくれた。」「わたしたちの膝が痛んだり、月の障りだったりすると、わたしたちが言わなくても察してくれ」「子犬のように、わたしたちといっしょに寝た」「アメリカに来て初めて、わたしたちはベッドで誰かが隣にいるのを嫌だと思わなかった」

▲子どもらはわたしたちが決して発音しえない「R」と「L」だって難なく言えるようになる。
【ひとつ、またひとつと、わたしたちが教えたかつての言葉は子どもらの頭から消え始めた。子どもらは日本語の花の名前を忘れてしまった。色の名前を忘れてしまった。お稲荷さんや雷さまや貧乏神の名前も忘れてしまった】
ある女の子は自分をドリスと呼び、ある女の子は自分をペギーと呼ぶようになる。
【エツコは学校の初日に担任の男性教師、スレイター先生から、エスターという名前をもらった。「先生のお母さんの名前なのよ」と彼女は説明した。その言葉にわたしたちは「あんたの名前だってそうよ」と応じた。スミレは自分のことをヴァイオレットと呼んだ。シズコはシュガーだった。マコトはまさしくマック。】
(同書「子どもら」p88より抜粋】

▲夫や子どもに思うことはあるものの、仕事も暮らしもなんとか土地に根付きはじめたころ、戦争が始まり「ひと晩で、隣人がわたしたちを見る目が変わった」
やがて、わたしたちは集団移動を迫られることになって。
最後の章「いなくなった」では「わたしたち」がいなくなった町で、彼女たちにかわって町のひとたち(白人たち)が「わたしたちは」と語り始める。
【わたしたちが知っているのは、ただ、日本人たちはどこか遠くのある場所にいて、たぶんこの世ではもう二度と会えない、ということだけだ】(同書「いなくなった」p157より抜粋)

▲表紙カバーの絵がとても愛らしい。
たんぽぽ、アザミ、鈴蘭、菫、れんげ草・・・これ、たぶん「わたしたち」が子どものころから親しんだ野の花たちなんだろな。何も知らずに海を渡った少女たちのようで、その可憐さがよけいにせつない。


*追記

その1)
いま又台風16号が接近してるようで。どうか無事通過してくれますように。

その2)
前回のブログ書いたあとも、膝が不調やったり(ようやく回復しました!)バタバタして、新しい本が読めない(読了できない)ままでしたが、
観たDVD(このまえ書けなかった分も)を備忘録的に。

「人生は小説より奇なり」→
「リリーのすべて」→

このふたつはたまたま、ゲイのカップルの話とトランスジェンダーの話でした。
「性別」(という観点というか、捉え方)って何のためにあるのやろ?と思いました。

「火の山のマリア」→
監督はグアテマラ出身のハイロ・ブスタマンテ~公用語のスペイン語は国民の6割程度が使って、残る4割は主人公一家のように先住民の言語らしい。
公用語が話せないことによる不利益。けどスペイン語は彼らの母語じゃないんだものね。

「スポットライト 世紀のスクープ」→ 
劇中印象にのこったことば。
「これ(文書)を記事にしたら、誰が責任を取るんだ?」
「では、記事にしなかった場合の責任は誰が取るんだ?」

「恋人たち」(橋口亮輔監督)→
長い(140分)映画でした。この監督の映画はいつもひとへの視線がほんまやさしくてせつない。ちょっと考え中のこともあるんだけど。
主役の篠原篤も成嶋瞳子もよかった。重い映画ながら、黒田大輔のちっちゃい目と恥しそうな笑顔、「笑うことだいじだよ」ってせりふも。それから、さいごの空の青も。しみました。

「カミーユ、恋はふたたび」→
40歳がとつぜん16歳の高校生にタイムスリップ~とかいうと、なーんだ、よくあるストーリーか、と思うかもですが。これが、よかったんです。(音楽も!)
若いってサイコー。けど歳とるのも、なかなかええもんや、と思います。

ドキュメンタリーは
「99分、世界美味めぐり」
実はこれ、途中でやめようかと思うほどでした。
ただ一箇所、料理人の作るある料理が気に入らない客が「不味い!」と言うとシェフが「あんたにはね」と返すとこがおもしろかった。 え?それだけ?←はい(苦笑)
ウチのお義母さんは、お義父さんや相方に料理をけなされると「そうでっか~ウチには美味しおます」とさらりと返してはったんを思いだしました。
この「ウチには美味しおます」と堂々と返すの痛快やなあ~と、いつも思って聞いてたんだけど。わたしはこの歳になっても、なかなか義母のようにはいきません。

「美術館を手玉に取った男」
2011年にアメリカの多くの美術館に展示されている絵画が贋作であることが発覚。画家は全米20州に渡り46の美術館を30年間騙し続けてきたんだけど、彼は作品を「売る」のではなくすべて「寄付」してるんよね。

その3)
今回も長くなりました。
最後までおつきあいしてくれはって、ほんまおおきにです。
今日はこれを聴きながら。
Beirut - Cheap Magic Inside - Cliquot→

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Commented by hasikkoami at 2016-09-20 08:15
>『屋根裏の仏さま』

最後の方はホロコーストを彷彿させて恐ろしかったです。
とても静かで淡々としているのに、深く鋭く心に刺さる小説でしたね。

>DVD

私が観たのは『スポットライト』と『恋人たち』だけですが、
『スポットライト』のあの台詞は同じくとても印象的で、確かブログにも書きました。
それから私も黒田大輔さん、好きです(笑)
Commented by bacuminnote at 2016-09-20 11:54
■amiさん
『屋根裏の仏さま』~温 又柔(おん ゆうじゅう)さんの書評(前・後編とあります)がとてもよかったです。
わたしは母語とそれ以外の言語を持つ(または持たされた)ひとの書かはったものに関心があるのですが、その点でも興味深く読みました。
amiさんが読んではったら繰り返しになってすまんですが。一節を引いてみます。

【日系アメリカ人であるジュリー・オオツカは、日本語が母語であるかのじょの祖母や曾祖母の世代の日本の女たちの物語を、かのじょ自身の母語である英語で書きました。そのような物語が日本語に翻訳されて、台湾人だけれど日本語で育った自分が読んでいる。しかも、アメリカに渡った名もなき日本人たちと、日本統治下を生きた台湾人たちを交錯させながら......私にとって『屋根裏の仏さま』を読むことは本当に得難い読書体験でした。】
(『をちこちマガジン』温 又柔の「台湾系ニホン語人がゆく!」より抜粋)http://www.wochikochi.jp/serialessay/2016/07/japanophone06.php

それから、また例によって「こんなとこで何ですが」w
昨日『ルーム』を観ました。amiさんが書いてはったこの映画の原作本のレビューの ここんとこ↓にしびれました。

【閉ざされていたからこそ無限であり、境界がないからこそ息苦しい世界の残酷さと複雑さ。
大きさは違えど、我々は皆何かしらの「部屋」に閉じ込められているのかもしれない。】
by bacuminnote | 2016-09-18 23:10 | 本をよむ | Comments(2)