いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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空の港に。

▲いつものように、夕飯を拵えながら、ちょっとひっかけながら(!)母に電話をかけて話してる間に、その日が父の命日だと気がついた。
「せやから電話かけてきてくれたんか、と思ったのに・・・」という母に「ついこの前まで覚えててんけどなあ~いつのまにか忘却の彼方や」と、言い訳して笑う。
ていうか、もうそんなふうに笑えるくらい時間がたったんよね。
あの日から30年~いつのまにか父の享年に末っ子・四女のわたしが近づいている。

▲その数日前のこと。
帰国中の友人に会うべく伊丹空港に行ったんだけど、モノレールに乗りながらふと父のことを思ってた。
伊丹発の早朝の飛行機に乗る、というので父が前日わたしらが住んでたアパートに泊まったことがあって。父が娘のとこを訪ねることも、まして泊まるなんてことは、姉たちも一度も経験がなく。

▲どうしてそういう展開になったのか、よく覚えていないんだけれど、相方がホテルに泊まるより「ウチに来てもろたら?」と提案してくれたのだと思う。そして父もまた彼のことばがうれしかったのかもしれない。
息子もまだ小さかったしわたしは家で待ち、彼が地下鉄で天王寺駅に父を迎えに行った。

▲ところが、食べものも好き嫌いが多く、病弱だったこともあって母を始め周囲がさんざん甘やかしたわがままな人やったんで。父が来てすぐわたしは招いたことを後悔した。
そもそも、衝突ばっかりの父娘やったのに。
ケッコンして家を離れて、父も娘も、お互いちょっとやさしい気持ちになったんが間違いやったんよね~(苦笑)

▲なんどとなく「ほんまにもぉ~」というきもちをしずめて、翌朝「いってらっしゃい」と相方の車で空港まで行く父をぶじ見送って、しんそこほっとした。
その後、海外に行く体力もなくなったのか、父が娘のところに泊まったのは、後にも先にもそのとき一回きりになったから。記念すべき一夜ということになるんやけど。

▲あの日、初めて下ろしたふかふかの客用布団も今ではすっかり「せんべい」になってしもたけど。薄いブルーのそれを干すたびに、父が「寒い、暑い」とうるさかった夜をおもいだす。
夕飯には何を拵えたのか、すっかり忘れてしもたけど、わたしが淹れた甘い紅茶だけは「うまいなあ」と言うて、飲んでたんをおもいだす。
おとうちゃん、そっちの紅茶も あーまいか?

「秋の夜や紅茶をくぐる銀の匙」 (日野草城)

▲さて、モノレールで空港行きは旅行気分だ。
「空港」って”airport“そのまんまの訳やったんやろけど、「空の港」とは、なんとすてきなことばなんだろ。行くあてもないのに、窓から見える飛行機にわくわくして、空港内を大きなキャリーバッグ押して歩いてる人らをつい立ちどまって眺めてしまう。

▲待ち合わせのカフェで、先に来ていた友人が「こっち、こっち」と手を振ってくれる。
旧友のごとく再会をよろこびあったが、会うのはまだ二度目なんである。そして、初対面のそのときもこの空港だった。

▲インターネットなんか、と思うときもあるけど、ネットのおかげで出会えたかけがえのない友人は少なからずいて。そうでないと、こうやって海をこえ、うんと遠くに暮らす彼女と、むかしからの友だちみたいに、楽しく尽きることのないおしゃべりは叶わなかった。
つないで、つないで、つながった線に、そのふしぎが、おもしろい。そんでその「偶然」のおくりものに、心からおおきにと思う。

▲豆腐料理をたべながら、近況報告のあと、いまの英国の政治や福祉、医療、NHSなどの話を聞く。弱者切り捨ての政策は、この国が着々と後追いしてるかのようで、あらためて暗澹とした気持ちになる。
話したいことも聞きたいこともいっぱいあって、しゃべる、たべる、わらう、しゃべる・・・であっという間にバスの時間になった。

▲そういうたら、彼女が今回空港内ホテルで二泊して、空港で暮らしてる気分だった~と言わはって、「そんな映画あったよねえ」という話になったんだけど。
『パリ空港の人々』と『ターミナル』やね(その場で、すっとタイトルが出てこないお年頃・・・苦笑)

▲『パリ空港の人々』はモントリオールの空港で居眠りしている隙に搭乗券以外の所持品すべてを盗まれてしまったという男性が、パリのドゴール空港で拘留され、そのまま空港内トランジットゾーン(外国人用処理区域)で同じ境遇の人たちとであい、そんな空港の中で共に「暮らす」話なんだけど。
もともと、ひとは国籍も人種もなくただの「人間」でしかないんよね。
空港という場所が、本来の意味どおり、だれにでも、どこにでも開かれた港であったらええのに、と思う。

"Love Actually"opening scene : heathrow airport
落ちて行く機内で「 Head down! Stay down!」と

*追記

その1)
その数日後、急におもいたって観て来た『ハドソン川の奇跡』(原題”Sully”クリント・イーストウッド監督)→は、空港に行ったからというわけやなかったんだけど。
実際に2009年1月に起きたNYハドソン川に不時着水した航空事故の話で。機長のサリーをイーストウッドが、静かに淡々と描く。乗客全員助かることはわかってるのに。head down! stay down!というスタッフたちの声に、どきどきした。

『ターミナル』~そういえば、この映画も『ハドソン・・』同様 主演はトム・ハンクス。あんまりすきやないけど(すまん)芸達者な役者さんやと思います。予告編(字幕なし)→

おなじ空港の物語ではわたしは『パリ空港の人々』のほうがすきですが、予告編探したけどみつからず。以前すこしここにも書きました。(追記の欄です)→

その2)
昨日から読みはじめた本『台湾生まれ日本語育ち』はタイトル通り台北で生まれ、三才まで台北育ち、その後は日本で暮らす温又柔さんのエッセイ。図書館でリクエストいれて待ってたけど、順番を待ちきれず購入。

この本、さいしょ「はじめまして」のあと
【姓は、温。名は、又柔。合わせて「おん・ゆぅじゅう」と言います。続けて言うと「おんゆうじゅう」。ちょっぴり、おまんじゅう、に似ているのが自慢です】とあって。
webで拝見した写真をおもいだして、温又柔さんのまぁるい温かな笑顔が浮かんで、頬が緩みます。

台北といえば、わたしの初めて海外旅行は、二十歳のころ母と行ったシンガポール・マレーシア・台湾への旅でした。レストラン関係のメンバー十数人の小さなツアーだったので、「食べる」ことには屋台から高級レストランまで、食いしん坊には大満足の旅で。台北では最初に圓山大飯店に行きました。
そのあと母とふたりで街に出て、うろうろして一軒の古びた町家風のお店に入って、お茶をのみました。お店のおばあちゃんが出て来て「日本語」で話しかけてくれはったことを思いだします。日本語を教え込まれた世代ですよね。

そうそう、温又柔さん、このまえここに書いた『屋根裏の仏さま』のレビューでこんな風に語ってはりました。

【私の場合、母のことばを忘れることとひきかえに覚えたことばは、オバアチャンのことばだったのです。台湾人の私の母は、中華民国の国民として中国語を学びましたが、日本統治下の台湾で少女時代を過ごした私の祖母は、中国語ではなく日本語を教わりました。
 そのことに思い至り、アメリカで故郷のことばとしての日本語をどうしても忘れられなかった女たちの声と、台湾で宗主国のことばとして日本語を学ばなければならなかった女たちの声とが、胸中でにわかに交錯するのを感じ、眩暈をおぼえます。】 
(『をちこちマガジン』~台湾系日本語人がゆく Japanophone Taiwanese, That's What I Am!~ ”『屋根裏の仏さま』を読みました(前篇)”より抜粋)→

その3)
台湾というたら、きのう”原発全廃へ 福島第一事故受け、25年までに停止” のニュース!→

その4)
今日はこれを聴きながら。
映画『ハドソン川の奇跡』より。

Flying Home Sully's Theme→

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Commented by hasikkoami at 2016-10-27 08:03
おはようございます^^
私も初めての海外旅行はシンガポールでした。(そして2度目が台湾)
トム・ハンクス嫌い(笑)といい、ますますbakuさんに親近感!です。

それからこれは↓のスレへのコメントになってしまいますが、

>「読書の快楽はもうその時から始まっている」

「『罪と罰』を読まない 」のあろがきで三浦しをん氏も
"「読む」は、始まっている。「読む」は、終わらない。"
と言っていて、本当にそうだなぁと思います。
Commented by bacuminnote at 2016-10-27 09:19
■amiさん
おはようございます(朝型スタイル~つづいてるんですね)
親近感←うれし♪

"「読む」は、始まっている。「読む」は、終わらない。”
おお。

わたしは、たまにしか行けない映画館ですが、行くときから自分のなかで「始まって」帰途はいろんな思いを連れて帰ってる感じが、ええなあと今更ながらおもいます。(ああ、せやから近くでも、すきなんが掛かるとええのに・・とこれまた今更ながら)


by bacuminnote | 2016-10-23 22:13 | 出かける | Comments(2)