いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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「きょねんの冬のにおい」

▲きのう図書館に行く途中、若い女の子二人組に「すみません~」と呼びとめられた。
道を聞かれることはよくあるのだけれど、たいていは同世代か年配の人で。
若い子にはスマホという便利なツールがあるもんね。
ところが、彼女たちはそのスマホを覗きつつ「あのぉ~駅って、どこにありますか?」と聞いてきた。でも件の駅はすぐ30mほど先なのだった。

▲「すぐそこ」を指さすと「ええっ~?」と悔しそうで。「もうちょっとやったのに。惜しかったねえ」と言って笑い合う。
二人とも笑顔のかいらしい娘さんで、おばちゃんまで若さのもつ軽やかで華やいだ空気に染まったみたいで。
なんかうれしくなって、突然背中をぴんと伸ばしたりして(苦笑)「気ぃつけてね。ほな、いってらっしゃい」とみおくった。

▲ほこほこ気分で図書館に行って、本を返したあと、児童書のコーナーで『ことしのセーター』(石川えりこ 作・絵 福音館書店「こどものとも」11月号)という絵本と目が合うた。
表紙のセーターを抱きかかえてうっとりしてる女の子の顔には見覚えがあり。そうだ。『ボタ山であそんだころ』(前にここにも書きました)の作者や~とおもって本を開く。

▲お母さんらしき人と三人のこどもが押入れから衣装缶(←作者の石川さんはたしかわたしと同じ歳のはずやから。これ、プラスチックやなくブリキの缶やね。絵を見ただけで、あの灰色と蓋のベコベコした感じとか、樟脳のにおいが立ちのぼってくる)を出しているところからお話が始まる。
【きょうは うちの ころもがえ。 おしいれや たんすから きょねん きていた ふゆものを だしています。】

▲お姉ちゃんもわたしも弟も去年のセーターを出して着てみるんだけど、袖が短くなってたり、きゅうくつで大きく息ができなかったり、おへそが見えたり・・・みんな去年より大きくなってるんよね。そんな様子をみてお母さんが「これじゃあ もう ちいさいねえ。みんな ほどいて あみなおそうね」と言う。

▲お祖母ちゃんは毛糸の服の「とじめ」を「ていねいにていねいに」に外して、袖や見頃に分けて。
傍らのこどもらは「たたみの うみに うかぶ ちいさな しまのよう」に置かれた「部位」をとびこえたり、横で寝転んだりして遊んでる。
次に、毛糸をほどいて、お母さんが火鉢に火をおこしてヤカンをかける。お湯がしゅんしゅん沸いてくると、ヤカンの蓋の穴に毛糸を通して、ゆっくり引いていく。

【へやいっぱいに けいとの においが たちこめます。「きょねんの ふゆの においがするね」とおねえちゃんが いいました。】

「毛糸のにおい」なんて、もう長いこと思い出すこともなかったなあ。
なのに絵をみるや、とたんに「におい」が蘇ってきて、自分でもおどろく。

▲湯気で伸ばした毛糸を、こんどはくるくる巻いて。
お祖母ちゃんは買ってきた新しい毛糸を弟の腕にかけて、毛糸玉にする。
お母さんもお祖母ちゃんも、家事のちょっとした合間にも編み棒を動かして動かして、セーターやチョッキを編んでくれるんよね。
あちこちのお家で、ごくふつーに繰り広げられてたこんな光景を、今読む(見る)と「昔ばなし」の世界みたいやなあ。せいぜい50年ほど前のことやのに。

▲こどもの頃、友だちんちに行くと、たいてい部屋のすみの籠に毛糸玉と編みかけの毛糸に編み針が刺さってて。
そんでお正月がすぎて、三学期の始業式には新しく編んで(編み直して)もろたセーターやカーディガン着てくる子が多かった。
ウチでは、家業に追われて母が編み物をすることはなかったけれど、毛糸の湯のしまでは家でやって、あとはだれかに頼んで編み直してもらってた。
ものを長くだいじに使うこと。毛糸をほどいて、伸ばして、巻いて、編み直して、というのを、手伝うたり見たりしてきた経験はしみじみよかったなと思う。

▲一昨日『さとにきたらええやん』の上映会に行ってきた。
前々から観たい観たいと思いつつ、上映会場が遠くて足に自信がなかったり。迷ってるうちにお終いになったりして。最近はもう諦めてたんだけど、なんとか一人で電車のりかえて、行けそうな場での会があることを知り、思い切って夜の外出となった。
ところが当日、近くの友人に言うたら「わたしも行く」という(ありがたい、心強い!)展開に。おたがい家族の夕飯を早々と拵えて、薄暗くなった街を二人そわそわと歩いた。

▲映画は大阪市西成区にある日雇い労働者の街「釜ヶ崎」で38年にわたり活動を続ける「こどもの里」に集まるこどもとその親、そしてスタッフたちを映している。
「こどもの里」がどういう場か、パンフレットに書かれたことばが、まさに「さと」を現しているとおもう。
(ちょっと長くなるけど書き写してみます)

~こどもたちの遊び場と生活の場です~
誰でも利用できます 
子どもたちの遊び場です 
お母さんお父さんの休息の場です 
学習の場です
生活相談 何でも受け付けます 
教育相談 何でもできます 
いつでも宿泊できます
緊急に子どもが一人ぼっちになったら
親の暴力にあったら
家がいやになったら
親子で泊まるところがなかったら
土・日・祝もあいています
利用料はいりません

▲貧困や病気、暴力や虐待のなかでも、こどもらはみな、せつないほど親のことが好きなんよね。どうやったら親が喜ぶか、親を困らせないですむか、親の怒りが鎮まるのを息をひそめて待つ。
せやからね、
「デメキン」(目のおおきい荘保共子館長のあだな)やスタッフが何度も言う「だいじょうぶやで」「しんどいときは泣いたらええねん」「いつでもおいで」「わたしはあんたの味方やで」に、胸がいっぱいになる。
「誰でも」「いつでも」「無料」にじんとくる。
このことばと彼らのサポートで、こどもが(親も)、どれほど救われていることか。
何より「こどもの里」のように「緊急一時宿泊機能」をもつことは、とても大きいと思う。

▲荘保さんたちは「必要としてる子がいるから」と、昼夜なく動いてはるんやけど。
必要な子に必要な支援は、本来行政のするべきことやよね。
けど、大阪市(橋下市長)は2013年で「子どもの家事業」を廃止する。(「学童保育」と事業内容がある程度重なる「子どもの家事業」は利用料ゼロなので「保護者負担に違いがあるのは、補助金制度として問題」と言い、「子どもの家事業」を廃止。有料の「学童保育」に一本化した)

▲学童保育の対象年齢(これは従来の小1~小3年から6年まで広げたらしいが)を越えた子も、障がいがあっても、無国籍、戸籍のない子も、垣根なく引き受ける「こどもの里」のような場は少ない。そのはたらきを考えたら、ほんまは地域ごとに必要と思う。
ここ十年ほどの間に誰が仕掛けたのか「自己責任」とか「自立」とか、いうことばがエラソーな顔して闊歩して、弱いひとを切り捨ててゆく。ひとは一人では生きていけないのに。

【「自立」とは依存しなくなることだと思われがちです。でも、そうではありません。「依存先を増やしていくこと」こそが、自立なのです。これは障害の有無にかかわらず、すべてのひとに通じる普遍的なことだと、私は思います。】(熊谷晋一郎)→

▲上映後、荘保さんの講演。
映画の中で、くも膜下出血で長時間の手術、入院という場面もあって「その後どうしてはるのやろう」と心配だったけど。
壇上の「デメキン」は凛とした佇まいで、黒いベレー姿がかっこよかった。そして「時間が30分しかないから」と、濃いメッセージを早口で発し続けはった。
映画に登場した3人のこどもたちの「その後」の話も、痛くふかく響く。
(映画はおわっても、問題は続いてゆくものね)

▲お話のなかに出てきた「子どもの権利条約」について、あらためてその4つの権利を思う。
1 生きる権利、2 育つ権利、3 守られる権利、4 参加する権利
こどもに権利があるからというて、大人たちが何もしなければ、こんな「あたりまえ」と思えることも、守られへんこどもがいる、ということ。

▲帰り、ロビーにお見かけしたら、画面で観るより小柄な方で。
こんなに華奢なからだにどれくらい社会への大きな怒りと、こどもたちへの深い愛情を持ってはるのやろう、と思った。
「さと」のように、「こどもらが安心してすごせる場」が守られ、増えていきますように。
いや、ほんまは「さと」のような場が必要なくなる社会になったらええんやけど。

▲講演が終わったのは9時半すぎ。
夜道を歩くのも、夜の電車も久しぶりのこと。
友だちが、エレベーターやエスカレーターをいち早く見つけて「こっち、こっち」とエスコートしてくれて、うれしかった。
ええ時間でした。

*追記

その1)
2014年4月2日にNHKハートネットTVで、シリーズ 子どもクライシス 第2回「失われゆく“居場所”」という
番組があったようです。
番組で紹介されたのは、おなじく釜ヶ崎にある「山王こどもセンター」~大阪市の「子どもの家事業」補助金カットについて。→

このことに限らずですが
兆とか億とかいう単位のお金が「不」必要なところにばら撒かれてるのに、「必要」なところにはカットに「削減」!おかしいよ!

その2)
今回書けなかった本。
『神よ、あの子を守りたまえ』(トニ・モリスン著 大社淑子訳 早川書房刊)→
ひさしぶりに行った墓参の道中、バスの中で読みました。
緊張感のある読書で。途中ふと、顔をあげて車窓から外をみて。また本に。

肌の色ゆえに母から拒絶された少女。それゆえに両親の結婚は破綻します。
母親は娘に嫌悪感しかなくて、でも娘は母に触れてほしいために、わざといたずらをして、顔を平手打ちとかお尻を叩いてくれたら、とさえ思うんよね。
しんどい話なんだけど、主人公ルーラ・アンはしんどかった幼年時代から脱して、名前も”ブライド”に変え「自分」を生きるようになる。

表紙カバーの写真、ぽつりと真中に写るパールのピアスがすてき。
このピアスも本文中にでてきます。


その3)
観た映画(DVD)メモ
ヴェルナー・ヘルツォーク監督の作品2本
ヘルツォークはわたしには無理かも・・とか思いながら観ました。
『カスパー・ハウザーの謎』
『小人たちの饗宴』

その4)
まえにも貼ったことあるけど。
ヴィンセントってVincent Willem van Goghのこと。
最初の♪Starry Starry Night〜という歌詞はゴッホの「The Starry Night(邦題:星月夜)」という絵に由来するそうです。

Don McLean - Vincent→

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Commented by daikatoti at 2016-12-22 10:00
自立って言葉も間違って受け取られやすい言葉だよね。
困った時に、助けを求めることができる、というのが本当の自立なんやと思うわ。
暖かい環境で育った人は、 人にすんなりと助けを求めることができるんよね。
それが人に対する信頼だよね。
信頼する気持ちが育ってない人は人に助けを求めることが難しいんやね。
Commented by bacuminnote at 2016-12-22 15:47
■totiさん。
(さっき、長いお返事書いたのに「送信」で消えてしもた!おーい。エキサイトーさんよぉ!とぼやきつつ、さっき書いたこともう忘れてる自分に呆れつつ。こんどはコピーとっとこ)

>困った時に、助けを求めることができる
人と人の繋がりの基って、これですよね。

それとtotiさんもこのまえ書いてはった「愛」
【「愛」という言葉も胡散臭い言葉で使いにくい言葉だけども、恐怖と並べてみてその反対の位置にあるのが愛だとすると愛という定義もなんとなく定まってくるでは?】

今は、たいていのことはお金があれば、一応は解決する世の中やけど。
お金も「愛」も持てないとき。困ったときに助けを求めるひとや場所を持てないとき、こそ「行政」にがんばってほしいです。
そして、人を救う「制度」があること(不備はあるにしても)、だれでも受けられることを、こどものときから学校や社会でちゃんと伝えていかなあかんと強く思います。
Commented by daikatoti at 2016-12-24 10:11
ですよね、行政ってそういうのわざと隠してるんちゃうという気がしないでもない。
例えば、高額入院費補助とかあって、月、個人差はあれどだいたい7~8万以上の医療費は国からの補助(今の所だけど)
あるってことなんか知らない人多いんじゃないのかな。
それ思うと無理して医療保険なんか付けることない場合だってあるし。

困ってしまうと本人はそれ調べる気力もなくなるし、おっしゃるように子供の頃からそういう知識を教えておいてほしいね。
Commented by bacuminnote at 2016-12-24 21:07
■ totiさん
ほんまにね。何かひとつ申請するのにも、わざとややこしくしてる感がある。結局そういう煩雑な手続きをすることが苦手なひと、方法がわからないひと、自分でできないひとは、助けが必要でも、そこで止まってしまうとおもう。

この映画の上映会のときの配布資料に「こどもの里」を紹介する新聞記事があって、その中のひとつに「戸籍のないこども」のことが書いてありました。
その子は「里」に通いながらも自分が学校に行ってないことを、長いこと館長の荘保さんにも黙ってたらしく。
あるときその子が通ってる(と館長も信じてた)小学校の運動会に行って、初めて学校に来ていないと荘保さんが知って。
その子のお母さんは戸籍がなくても小学校に通えることを知らなかったそうです。
「知る」ことも大事。正しい情報を「知らせる」ことはもっと大事ですよね。

きょう買い物に行ったらクリスマスケーキ予約の人らが、親子連れでいっぱい列をつくって受取に来てはりました。
ケーキやごちそうはなくても、こどもらが温い部屋ですごせるクリスマスでありますように。
Commented by hasikkoami at 2016-12-31 20:55
今ちょうど『神よ、あの子を守りたまえ』を読んでいるところ
です。
装丁の美しさに惹かれ、さら~っと読めそうな薄さだな~と手に取ったのですが、
あまりにも痛々しく、重い内容に驚いています。
今年はこの本を読みながらの年越しになりそうです。

それではbakuさんもどうぞよいお年を^^
Commented by bacuminnote at 2017-01-01 12:10
■amiさん
また新しい年がやってきました。
今年もええ本、映画、音楽。おもしろいひと、おいしいもん・・(欲張りぢゃのぉ~)佳いであいの年になりますように。

『神よ、あの子を守りたまえ』
もう読み終えはったころでしょか?
おっしゃる通り、重い本でした。
「神よ、あの子を守りたまえ」の意味がわかるころには、ええ風が吹き始めるのですが。

今年もたのしいやりとりができますように。
ぼちぼち(「はつらつ」はしんどいw)やってゆきましょう。


by bacuminnote | 2016-12-20 20:41 | 映画 | Comments(6)