いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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あの日のこと。

▲家の中が温かったので、つい薄着で外に出たら風のつめたいこと!玄関を出たとたん いっぺんにからだがきゅうと音たてて縮むようだった。
期間限定とはいえ、ここんとこ働き者やったのに(苦笑)心配するほど膝が痛まなかったのも、年末年始のにぎやかでたのしい時間と、何より穏やかなお天気の日が続いたからかもしれない。ほんま温いお正月でよかった。

▲それにしても寒い。
もうちょっと厚手のセーターにしたらよかったかな~いや、歩いてたらそのうち温もってくるで~とか思いながら、通りの薬局の大きな硝子戸に映るじぶんの姿勢をチェックしてたら、硝子のむこうから外みてた若い子と眼があって恥しかったけど。(←おばちゃんが鏡代わりにしてすまん)今年は心身共に脱・猫背で まいります!

▲昨日のこと。
ちょっと調べたいことがあって、以前つけていた「10年日記」を出してきた。
これは息子1からの誕生祝いで、1995年1月1日~2004年12月31日の10年。
この前年の暮れには家族で大阪に帰省して、元旦早々に冷え切った信州の家に戻ってきた。
そして、その日の夜からさっそく友人たちとその甥、翌日には息子の友だち、べつの友人のこどもとその友だち・・と次々泊り客がやって来て。

▲民宿かと思うほど、玄関先にはスキーの板から長靴やスノーブーツが散乱して。それは賑やかなわが家の新年が、一日4行の狭いスペースにぎっちり埋まっていて、読み返すと頬がゆるむ。
このころはまだ下の子の病院通いも食事の制限もあって大変な時期やったけど、だからこそ、近く遠くから友だちが来て、わいわい飲んで食べて、泊まっていってくれるのが、ほんまにうれしかったんよね。

▲そういえば、友だちだけやなくて、ウチを初めて訪ねて来た人と珈琲のんで話してるうちに、「夕飯たべていって」「まあ一杯」と、そのまま泊まってもろたことも何度もあって。
仕事もして、夜は下の子のことでなかなか眠れへんかったりしたのに、どこにそんな元気があったんかなあ~と思うけど。それだけわたしも若く、そして、ひとに会いたかった時季やったのかもしれない。

▲ページを繰ると、この年の1月17日には「早朝神戸に地震。息子1がラジオで神戸に地震があったと言っていた。」とある。
そうだった。
わたしらはいつものように、まだ真っ暗な早朝からパン焼きの仕事で、そのときの揺れ(信州でも少し揺れた)は感じたけれど、それまでも御嶽山のふもとの家で揺れることはたびたびあったから。「またか」くらいにしか思っていなかった。

▲くわえて当時テレビはアンテナを立てていなかったので、ラジオと新聞だけがニュースソースやったから、まさかあんな大惨事になっていようとは想像もしなかった。
その日は神戸市灘区のお客さんにパンを送ることになっていたので、宅急便がまた遅れたらかなんなあ~と話してたのを思い出す。
が、実際は遅配どころか、しばらくの間は荷受けそのものが中止だった。

▲そして日を追い、被害の大きさはわたしたちの想像を遥かに越えるものだとわかってきて、そのつど震える思いだった。神戸は相方がカメラマンだったころ通った写真の師のスタジオがある思い出の町でもあり。お客さんも友人も暮らす町だった。

▲その年の10月だったか、
大阪、ミナミの戎橋で寝ていたホームレスの男性を若者たちが道頓堀川へ投げ込み、亡くなるというたまらない事件があって。その事件を考えるシンポジウムが11月12日に大阪であるという某通信を読んだ息子が行きたいと言い出した。
翌日早朝に家を出て、ひとり鈍行を乗り継いで大阪まで。

▲そしてシンポジウムのあと、神戸に行ったようで。
そのころ神戸は復興がすすむにつれて次々とボランティアが撤退して、まだまだボランティアは必要・・・という報道に、「自分も何かできたら」と考えたのだろう。
親しい人に見せてもらった新聞記事をたよりに、被害の大きかった長田区に行き、おもに家の修理をするボランティアグループに参加を決めた、と電話がかかったのだった。

▲代表者の方と相方もわたしも話して、「よろしくお願いします」と受話器を置いたものの、わたしはしばらく心配で生きた心地がしなかったんよね。
結局その日から半年余り長田の町で暮らすことになったんだけど。
年末に地域で餅つき会をするから~と呼んでもらって、帰省かたがた下の子をつれて3人ではじめて長田を訪れた。

▲震災から一年近くたってなお、まだブルーシートがいっぱい被さる町での餅つき会だった。
そんな中15歳の少年が、はりきって立ち動く姿に親ばかながらわたしは胸がいっぱいになった。周囲のひとたちに大事にしてもらってることは、その表情をみただけで伝わってきて。

▲その日は大好きなお兄ちゃんに久しぶりに抱っこしてもらった弟(まだ3歳になってなかった)も大喜びで、相方も杵を振り、つきたてのお餅の入った熱々のぜんざいを町のひとと一緒にごちそうになった。
ええお天気の日やったけど、暮れの風の冷たさに、改めて「1月17日」をおもった。
ひとりで参加したシンポジウムと、この神戸での時間は、その後の彼にとって原点ともいえる大切なものだと思う。

▲いまでも、ご近所さんと話してると時々阪神淡路大震災の話がでてくるんやけど(ここでも揺れは大きく、みんな怖い思いを経験している)遠く離れてその経験のないわたし自身を痛感する。
「あの日」入ったのであろう外壁の亀裂をみるたびに思う。忘れないでおこうと思う。

▲そういえば、奇しくも「10年日記」の最後の年に、わたしたちは信州、開田村(いまは木曽町開田高原)から大阪に引っ越した。
10年というても、熱心に書いてたんは6~7年で、最後の方はほとんど空白なんだけどね。ぱらぱら見てたら引っ越業者の請求書と領収書が挟んであった。
距離:300km。搬出:5月25日、搬入:26日。
2日がかりの引っ越しだったんよね。


*追記

その1)
いつもたのしみに読ませてもらってるブログ『NabeQuest(nabe探求)』に、昨年末 震災の日のことが書かれていて。→
震災当時、神戸にお住まいと言うのは、前に読んでいましたが。長田区だったと知っておどろきました。

ブログ内で紹介されている画家 林哲夫氏の作品『神戸 1月17日』に描かれた、長田の空の色が忘れられません。
文中 長田区の消防署員による手記もリンク貼ってはるので読んでみてください。

その2)
お気づきかもしれませんが、息子が長期ボランティアに参加していたときは一般的にいうと(というのも変やけど)中学生でした。最初から中学校には行かない生活を選んだので、自由な時間はたっぷりあって。(はじめのころはミシガン州のクロンララスクールというところの”ホームエデュケーションプログラム”生として(自宅にいて、日本語で手紙のやりとり。いまはオンラインのプログラムがあるみたいです。その後は家の手伝いをしながら自学自習) ただ、中学生と聞いてびっくりしはったボランティアグループの代表者の方が「私たちは受け入れたいと思うけれど、親御さんの許可を」とさっそく電話をくださったのでした。

神戸での半年のあいだには、うれしかったことも、しんどいことも。当たり前ですが、いろんなことがあったようで。公衆電話から「ボランティアとは?」と、その意義を問うてきたりしたこともありました。
でも終始みんなに鍛えられ、愛され、文字通り一回りも二回りも大きくなって帰ってきました。
そうそう、家にもどって一番にしたのがパン焼きの仕事場~天井の修理。自分の貯金で脚立を買ってパネルを貼ってくれました。彼にとっては街や人が学校やったと今でも感謝しています。

その3)
神戸出身の森山未來と佐藤江梨子が出演した映画。『その街のこども』公式HP→(クリックするとすぐに予告編が始まります)

その4)
今日はこれを聴きながら。
Gabriel Fauré - Requiem : 'Sanctus' →

その5)
ごあいさつが一番あとになってしまいました。
あたらしい年がやってきました。
相変わらず 話があっちにいったり、こっちにいったり・・まとまりのないのブログ~ですが、よろしくおつきあいください。

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Commented by nabetsuma at 2017-01-08 08:35
リンクを2ヶ所もいただきありがとうございます。
息子さん、いろんな経験されてますね・・
思考というものは経験から構築されるものかと。
人間は想像するだけではだめですね。
まさに試行錯誤から学ぶのだと信じておりますです。
Commented by bacuminnote at 2017-01-08 09:51
■ nabetsumaさん
さっそくありがとうございます。

>思考というものは経験から構築されるものかと。
そうですよね。
いまはネットから得られる情報がもうハンパないから(これはこれで重要と思いますが)「読んだ気になる」「観た気になる」「経験した気になる」のは(わたしもときどき落ち込む穴!)気ぃつけなあかんと思うてます。

それと情報がどんな風に伝わってゆくかということも、改めて。阪神淡路大震災のとき関西に居なかったわたしが得た情報は、居た人とあきらかに量質ともちがうことを痛感します。
距離があるのはある意味しかたのないことかもしれないけど、情報を流す側がたびたび「意図的」やったりするから(←これが一番の問題ですよね!)ややこしいです。
by bacuminnote | 2017-01-07 16:54 | 開田村のころ | Comments(2)