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いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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ねてもさめても。

▲雨戸を開けたら、待ってましたとばかりに、ひゅうーっと冷気が束になって飛び出してきて。
なんかアラジンのランプから出てくる”魔人”みたいやなあ~と、こどもみたいなこと思いながら、窓から身をのり出して空をみあげた。冬の空の透明な青がものすごくきれいで、深呼吸ひとつ。つめたい空気が胸のおくまで沁みる。1月17日朝に。

▲寒かったり、雪が降ったり(積もったり!)で、足はイマイチだけど、ぼちぼち歩き、読んだり観たり聴いたりの日々。(←つまりいつもと変わらぬ日々)
昨年末、本屋さんでもらった『本の窓』1月号(小学館)を何気なく読んでたら、連載「画家のむだ歩き」(牧野伊三夫)というのがあって。著者が阿佐ヶ谷の四畳半のアパートで暮らした頃のエピソードが綴られていた。

▲アパートには共同のトイレと炊事場があって、しかし「炊事場」というても本来の炊事ができそうにないことを知った著者は(冊子は年末掃除でゆくえ不明につき、うろ覚えなんだけど。たしか住人が流しで半身浴だったか、してはるのに遭遇して)結局自分の部屋で電熱器一台にていろんなものを拵えて食べたという話だった。

▲電熱器というたら、わたしも学生のころ持ってて重宝してたんよね。
同じ下宿(今で言うたらシェアハウスみたいな)の友だちのmは大分の海辺の町の出身で、ときどきお母さんが、鰯の丸干しやめざしを送ってくれはって。冬はおこたの上に電熱器置いて向かいあって座り、手をあぶり暖をとりつつ(石油ストーブ厳禁やったし)炙ってはかじり炙ってはのんだ。

▲苦いはらわたも カリカリに炙った頭もみな 新鮮で旨かった。あとでやってくるモーレツな喉の乾きのことも毎度わすれ、かじった。
いつも食べたり呑んだりは階下のわたしの部屋でだったんだけど、お布団から服からかばんから、部屋のものはぜーんぶ干物の匂いを吸いこんで。
翌朝ガッコで、服に鼻くっつけて「くさー」と二人笑いあった日がなつかしい。

▲著者のことは知らなかったけれど、このエッセイからも「食べる」ことへの思いの深さはじゅうぶんに伝わって。だから昨年末に出た『かぼちゃを塩で煮る』(絵と文 牧野伊三夫 幻冬舎刊)はそのタイトルからして大共感やったし、表紙カバーのかぼちゃの絵もええ感じでさぞ「おいしい」本やろなあと思っていたんだけど。

▲案の定、食欲をおおいに刺激する本で、おまけに合間にウイスキーの話なども登場するので、明るいうちからそわそわしてしまった。
帯の惹句の「台所に立つこと うん十年。頭の中は、寝ても覚めても 食うことばかり」にも、冒頭こどもの頃からのその並々ならぬ食いしん坊ぶりにも(おなじ食いしん坊として)ハートを射抜かれる。
もうぜんぶ紹介したいぐらいやけど、読むたのしみとったらあかんから、ひとつだけ。

▲曰く、土曜日に学校からの帰り道、工事現場の人らが焚火を囲んでお弁当を食べてはる様子があまりにうまそうだったので、家に着いてさっそく弁当箱にご飯とおかずと詰めて弟と二人屋上で食べたそうで。
大人たちがしていたように、コップではなく四角い弁当箱の蓋にお茶を注いですすり、満足気な少年や、なんか訳わからんが兄ちゃんに誘われて外で弁当に浮かれる弟とか(←これはわたしの想像w)映画のいち場面みたいにうかんで頬がゆるむ。

▲前述のとおりアパートで電熱器使って調理してたようなお方やから、とくべつな調理具や、食材を使うということもなく、しかし、ここというとこで手間ひまは惜しまない、という好みのタイプ。(←こういう人、そばに居てほしい。笑)

▲本のなかにお家の台所とおもえる写真があるんだけど、それが、システムキッチンとかやなく、おしゃれにリノベーションした台所でもなく、どこにでもあるような流し台と2口のガスコンロとよく使い込まれた鍋やフライパンのある、ひと昔前のフツーの「だいどこ」で。
いつもは寒い、流し台が低すぎる、ガスコンロが2口しかないとか、文句言うてるわたしだけれど、その写真にはウチのだいどこに通じる空気があって、なんだかほっとするのだった。

▲そうそう、牧野さんはこれに加えて火鉢や七輪も使ってはるんよね。
【夏は羊肉やとうもろこしを焼き、冬は鍋をかけて湯豆腐やとり鍋などをやる】という彼が、炭火をつかうきっかけとなったのは、ある年の冬に九州の温泉宿に泊まったときのことらしい。

▲朝、まだ夜の寒さが残るロビーに行くと爐(いろり)の灰の上に炭が置かれていて。雰囲気を出すための演出かと思ってたら宿の人が来て、炭に火をおこし鉄瓶をかけはった。
牧野さんはそばに座って炭火が燃えるのをじっと待ってたんだけど、なかなか赤々と燃えてこなくて。「これ、消えてるんじゃないですか」と尋ねると、旅館の方いわく「炭はね、そんなに早く燃えないんですよ」。

▲【黒い炭の隅っこについていた赤い小さな火は実にゆっくりと燃えていくのだった。炭はガスコンロの火のようにレバーで火力を調整したり、一瞬であたたまったりするものではないのだ。そして、このとき僕、はっとした。絵を描くことも同じではないだろうか、と。おそらく僕は、絵を描くときも自然の時の流れを受け入れずせっかちにしていたかもしれない。】(同書p90より抜粋)

▲旅から戻った牧野さんは東京でも炭火のある暮らしがしたくなって、古道具屋で火鉢をもとめてアトリエに置くようになったそうだ。
わたしは信州のころの薪ストーヴを思い出していた。
焚き口の窓からみえる赤い炎のゆらゆらも、やかんや煮物の鍋から白い湯気がたちのぼるのも。見るともなしに見ているときのあのしずかなきもち。
暮らしのそばに火があるのはええなあとおもう。

▲本に登場する料理は、おでんに鳥鍋、鴨鍋、鮟鱇鍋・・・と鍋愛好家(笑)としてもうれしいラインナップ。ほかにもペルーのめずらしい料理や、鶏肉をつかった洋風のものもいくつかあって。最初に【この料理を食べるときは、うまくていつも、ふ~んと鼻がなってしまう】ってとこから始まる料理もあり、読んでる方はお腹がなる。
「三分おつまみ集」から「粥」や「ゆで卵」というシンプルなタイトルには、さてどんなこと書いてはるのやろ~とわくわくする。なんと「めざしの炙り方」というのもあってコーフン気味に読んだ。(「めざしの友」mに、久しぶりに電話してみよう)

▲どれも料理の作り方が書かれてるんだけど、気取りなくさりげなく、大雑把なようで気をつけるポイントがちゃんと書かれていて、なるほどと頷く。文章の間から料理をつくる牧野さんが、家族や友だちが飲んだり食べたりしゃべったりしてる声が聞こえてくるようで。食べたくなるし、拵えてみたくなるし、そして、呑みたくなる本だ。

▲巻末、編集者の鈴木るみ子さんによる「眺めのいい食卓」という文章もよかった。
【誰もがおいしいと認めなくていい、それを食べてるあなたの顔が思わずほころんでしまっているもの。そんな「個人的ごちそう」を教えてくださいという微妙な依頼の意図を理解し、ぴたりと望むようなリストを返してくれる人は、その頃少なかった。】(p205より抜粋)

【牧野さんを見ていると、フランス語の bon vivantという言葉を思わずにいられないのだが、ボンヴィヴァン、よく生きる人という意味だ。よく呑み、よく食べ、よく考える。よく夢みるという営みも忘れてはならない。】
(p213より抜粋)

▲シアワセな食卓は、まず自分がおいしいと思うもの。「個人的ごちそう」~これやな、とおもう。
と言いつつ、この「個人的ごちそう」が相方と時々ちがって、しかもお互いなかなか譲らず、バトルとなるのであるが(苦笑)。食べることは生きること。これからもけんかしぃしぃ、あわてんとゆっくりめざし炙って(二人共めざし好き。但し炙り方ではいつもモメるけど)おいしく食べておいしくのみたいと思う。
そして、いつまでも長く 海の幸山の幸を少しずつ分けてもらえるよう。海や山や田畑が、もうこれ以上 人の手や欲で汚されることがありませんように。


*追記

その1)
この間から読み始めた『アメリカーナ』(チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ著 くぼたのぞみ訳 河出書房新社2016年10月刊)は近頃では珍しい二段組の538頁の長編です。
分厚くて重たい本なので、寝床読書には向かず(苦笑)ようやく読書の波がのってきたと思ったら、図書館返却の日が間近にせまり、でもでも。おもいきって(4968円)買おうかな。
この方の『アメリカにいる、きみ』もおすすめです。

この本のことを、いつもええ刺激くれる若い友人にいうたら、著者の講演の動画を教えてくれました。
日本語字幕あり。

”We should all be feminists ”  Chimamanda Ngozi Adichie →

*追記の追記*
このブログコメント欄でlapisさんが教えてくれはった、もうひとつの講演動画チママンダ・ンゴズィ・アディーチェの「シングルストーリーの危険性」おすすめです。ぜひ。→

その2)
『オール・マイ・ラヴィング』(岩瀬成子著)の文庫版 (2010年刊の単行本に加筆修正)がでて、こちらは軽いので整形外科リハビリの待ち時間にちょっとづつ読んでいます。もう何度も読んでるのにそのつど、初めて読むみたいにどきどきするのは、このころ(十代半ば)のやり場のないきもち、自信のなさや、持て余す自意識や、何より”no music,no life! ”な思いに共感するから。そんな思いをみごとにすくい取ってくれる岩瀬成子さんの文章ゆえ。
解説には(前に発表されたものですが)江國香織さんと『ロッキング・オン』の松村雄策さん。

そして、いま、あらためて紹介したいのは、『ピース・ヴィレッジ』です。基地の町に住む小6の楓と中1の紀理、まちの人々・・・岩瀬さんの本に出てくるひとたちはみないつも魅力的です。(ここに感想を書きました。)

【父さんのくばってる紙にはね、
「あなたもわたしも同じ立場にいる」と書かれているの。
「わたしたちは力をもたない市民だ」と。
「だから、政府の力で戦場に送り込まれて、人を殺してはいけない。また殺されてもいけない。わたしたちは一人の市民として、起きていることを知ろうとしなければいけない。自由に自分の考えをあらわさなくてはいけない。人間の誇りをうしなってはいけない」
と、そんなことが書いてあったんだ。】 
本の中、主人公の紀理のお父さんが基地の前で配ってた英語のビラを紀理が訳す場面。

*岩瀬成子さんのこのほかの本の感想はここの追記にリンクはっています。

その3)
買い物帰りのいつものコース、図書館本屋レンタルショップやったのに、先日レンタルショップが閉店。
顔なじみの店員さんが、店のすみにわたしを呼んでそれを伝えてくれたとき泣き出さはった。
作品検索とか、マイナーな作品を取り寄せするのに、面倒な申し込みの伝票書きとか。レンタル開始の前日に入荷段ボール箱の中から探して、一足先に貸し出してくれたり。いっぱいいっぱいお世話になりました。
かなし。
これからどないしょう。
世の中は動画配信の時代やけど、本だって、図書館や本屋さんで「棚」みながら選ぶのと「あまそん」とかで「これを」と思って買うのんと、その楽しみ方はちがうしね。

というわけで、先日は「観たいリスト」持って遠い店舗まで。
相方にナビゲートしてもろて(方向音痴ゆえ)ゆっくり、ゆっくり。途中ランチ休憩もして徒歩にて。でもあまりに長距離(わたしの足にしたら)やったので最初で最後かなあ。
以下備忘録的に。

『好きにならずにはいられない』
アイスランドの映画。寒いとこの映画には弱いわたし。
『山河ノスタルジア』
若干ふまんやつっこみどころもあったけど。ジャ・ジャンクーの映画やなあと思った。
『家族の灯り』
絵画のような画面。もとは戯曲らしいけど、納得。寒く湿気た空気がゆううつ。
『シチズンフォー スノーデンの暴露』
こわかった。ほんまにこわいです。多分そんなもんなんやろうな、とは思ってはいたけれど。やっぱりと「知る」こわさ。
『団地』
藤山直美がすきやから借りたんやけど。この監督との映画ではやっぱり『顔』が圧倒的によかったです。


その4)
きょうも長くなりました。さいごまでおつきあいしてくれはっておおきにです。

きょうはこれを聴きながら。
Stefano Guzzetti- Mother→

by bacuminnote | 2017-01-18 11:11 | たべる