いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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もう少し ここにいようとおもう。

▲大根を炊いた。きょうは聖護院大根(丸大根)でいつものようにお揚げさんと一緒に。この大根は(ねだんは高いけど)直ぐとろとろに煮えるから、お昼食べた後、片付けしながら(ちょっとめんどくさいのがまんして)拵えておいたら、夕飯にはけっこう味も染みておいしい。もちろん、ゆっくり、くつくつと炊く青首大根もすき。

▲こどもの頃は、近所や友だちん家に行って玄関先でぷーんと大根の炊いた匂いがすると、そのまま引き返したくなるほど、大根が嫌いやったけど。そのころの「遅れ」を取り戻すくらいの勢いで、いまはしょっちゅう大根を炊いている。薄味で煮て、その日は柚子胡椒や柚子味噌つけて。翌日は温め直して何もつけずに食べるのがすき。旨い!

▲野菜嫌いというたら。そのむかし、忙しい仕事の合間に母が「きょうは誕生日やし、あんた何食べたい?」と聞いてくれて。ある時期わたしはずっと「カレイの唐揚げ」と答えてたんよね。

▲黄金色にカラリと揚がったカレイを白い洋皿に盛ると、母は「ここにキャベツの千切りとか、トマトかきゅうりか何か、お野菜添えへんかったら、カッコつかへんなあ・・・けど、あんた、いらんのやろ?」とお皿をのぞきこんでいるわたしを見上げて、呆れたように言うのだった。

▲ふだんは「好き嫌いばっかし言うてんと、青いもんも食べなはれ」と言う母も誕生日なんやから、すきなモンだけでもええやろ~と思ったのだろう。平べったいカレイがペタンと載ったお皿をわたしの前に置いてくれた。そう。キャベツやトマトやきゅうりとか、そんなもん(!)横に添えられたら、せっかくの好物が台無しや~と(そのころのわたしは)おもってたんよね。

▲そんな野菜嫌いが、大根炊いて、食卓には「青いもん」を切らさへんようになったんやから。

ほんま、ひとは生きてる間に何べんでも「変身」してゆけるんやなあと、他人事みたいに笑いながら、大根のにおい充満するだいどこで本を読む誕生日だった。

▲レンタルショップが遠くに引っ越したのもあるけど、ここんとこ読書の時間がふえた。このまえ追記欄に書いた長編『アメリカーナ』(チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ著 くぼたのぞみ訳)も読了。つづいて『夜の木の下で』(湯本香樹実著)を読んで、そうこうしてるうちに注文していた『私が死んでもレシピは残る 小林カツ代伝』 (中原一歩著)が届いて、この本にふさわしく「だいどこ読書」にてその日のうちに読了。

そして、いまは『こびとが打ち上げた小さなボール』(チョ・セヒ著 斎藤真理子訳)を読み始めたところ。

▲読書の秋っていうけど、本読みは冬やよなあ~とおもう。

『アメリカーナ』のような長いのは、本(物語)にむきあう時間長い分、旅の途中にであって親しくなった人みたいなきもちになる。
列車を待つ間も、その長い車中でも、いっぱいしゃべって、やがて駅に着いたときみたいに、離れがたく別れがたくさみしく。ハグしたとき感じた体温をずっと保っていたくて。もう少しここにいようとおもうそんなかんじ。

▲そしてこの本にかぎらず、海外小説を読み終えるといつも思うこと。わたしにもわかることばに訳してくれるひとがいて。手わたしてくれて。ありがとう。

【対話というのは手わたす言葉だ。翻訳もそうだ。】(長田弘著『自分の時間へ』より抜粋)

▲『夜の木の下で』 は、本が出たときにわたしが湯本ファンなのを知ってるご近所さんが、新聞の著者インタビューの記事を切り抜いて郵便受けに入れてくれはったんよね。それを読んでノートに挟んだまま、すっかり2年間も忘れてた。

▲この間、調べたいことあってそのときのノート繰ったら出てきて、びっくり。くわえてその日の午後なんとなく立った図書館の書架に件の本があって、二度びっくり。もちろん、そのまま本の森に入るのであった。

▲わたしは四姉妹の末っ子やから、姉の立場も弟のかんじも、ただ想像するしかないんだけど。しっかり者で、でも繊細なお姉ちゃんと、甘えん坊で何考えてるんだかわからないけど、心根のやさしーい弟は、いつも湯本作品のなかですぐそこに、幼い子の日向くささや、あまいような息のにおいまでして、なつしくて、切なくて、そして痛い。

▲けっして幼い子ばかり描いてないのに、こどもの頃のきょうだいの、たのしくて時に残酷な時間も。目を凝らすとその背景の下に隠れてた絵の具の色がうっすらと見えて、どきんとする。

▲最初の作品「緑の洞窟」も姉弟(双子)のお話で、お父さんに連れてもらって、生まれつき病弱だった弟ヒロオと公園に行く場面があるんだけど。公園の滑り台の上から下を見下ろしてる「私」の描写にたちどまる。

【てっぺんまで来ると、公園中が見渡せた。金属の手摺りをしっかり掴み、おそるおそる背を伸ばし、すると冷たい空気に肺は膨らんで、そのまま体ぜんたいがひとまわり大きくなるかと思われた。砂場で遊んでいる小さな子たちがいた。うんていにぶらさがっている、少し年上の子もいた。けれどその公園でいちばんの高みにいるのはこの私で、しかもベンチでは父が静かに、眼鏡の奥の目を細めて煙草を吸っている。鳥肌立ち、震えがきそうになりながら、私は「早く大人になりたい」と心の中で唱えた。それはなかば習慣化した呪文のようなものだった。】
p11より抜粋)

【「押したのか」父が訊いた。私はだた父の顔に目をこらしていたのだと思う。突然、頬が焼けるように熱くなった。何が起きたのかわかったのは、砂場のそばにいたよその母親たちが、じっとこちらを見ていることに気づいたときだ。だんだん痛みがやってくるなかで、これからどうすべきなのか誰かに教えてほしかったけれど、母親たちは目を逸らしてしまう。父は既に弟の手を取って、公園の出口にむかっている。頭のなかで何かがくるりと一回転して、私は滑り台の梯子段を上った。】(p14 より抜粋)

▲双子とはいえ、弱くてからだも小さい弟を「私」も、そして周囲の大人たちも大事におもってかばう中での「私」の孤独。同書にはこの話をふくめ6編がおさめられている。猫や幽霊、自転車のサドルとの会話なんていう幻想の入り混じった話から、女子高生が白い琺瑯の生理用品入れのなかみを段ボール箱に入れて焼く係の「焼却炉」とか。それぞれの主人公のだいじなひとや物との繋がりが綴られてゆく。

件の新聞記事で著者はこう語ってはる。

【人の心の内には未来も含めてたくさんの時間が等しく会って、いつでもそのままの状態で取り出せるのではないか。ただ懐かしむのではなく『こんな夜があった』とありありと感じる瞬間のように。失ってしまった、と思うことはないとだんだん感じられるようになったんです。】
(朝日新聞「著者に会いたい」201411月?)

「心の中にあるたくさんの時間」~わたしもだいじにしたいと思う。

*追記

その1

『夜は木の下で』を読みながら、どこかで見た光景がずっとわたしを追いかけて。そうだ。樹村みのりさんの作品によく似たにおいを感じたんよね。
ひさしぶりに読み返したいなあと思います。

樹村みのりさんのまんがについて書かれたブログをみつけました。 (ブログ『茶トラ猫チャトランのエッセイ』より)

その2

『私が死んでもレシピは残る 小林カツ代伝』(中原一歩著)のことはここにちょっとレビューを書きました。

その3

この間、福岡の友だちが関西にやってきました。
めったに出かけないわたしがおもいきって会いに行ったあの日
から、もう7年!今回は同様に遠出することの少ない彼女が関西に~

てことで、喜々として伊丹空港までお迎え。まえにも書いたけど「空の港」は、いつ行ってもそわそわ。どこか遠くに行きたくなります。
そうして、窓からは小さく見える飛行機も空港付近の野原では、それはそれは巨大で、ものすごい轟音と強風で頭のすぐ上を飛んで行くのでした。

若いころ友だちに連れて行ってもらって草原に並んで寝ころがって、きゃあきゃあ大声で叫んだことを思い出しました。

ちょうどその後読んだ『ビニール傘』(岸政彦著)にも、その伊丹空港の話がでてきました。
すきな場面です。


【大阪の街のまんなかを分断するように流れる淀川が、雨を集め、真っ黒に濁って、ごうごうと流れている。その上を、伊丹空港に着陸する飛行機が飛んでいる。低すぎて、すぐそこを飛んでいるようにみえる。こちらから見てこんな近いところを飛んでいるなら、機内からも、堤防を歩いてる俺たちの顔が見えてるかもしれないと思う。堤防はほんとうに広くて、対岸がかすんでみえる。俺たちはそれぞれ傘をさして、すこし離れて歩く。】
『新潮 20169月号』p103より抜粋)

その4

・・・とか言いながらDVDは、たまたま近くに来た友人の車でショップまで乗っけてもらって少し借りました。
観た映画の中では『ミモザの海に消えた母』
がよかったです。

以前読んだ『シズコさん』(佐野洋子著)や『おくればせの愛』(ペーター・ヘルとリング)のことを思い出しながら、そして、やっかいなことの多い「親子」(苦笑)について、改めておもっているとこです。(ここに前書きました)

その4

友だちが福岡から遠征のいちばんの目的は、京都であったローラ・ギブソンのライブ。
わたしも一緒に行きたかったんだけど今回はあしに自信がなくて断念。

ちいさい会場でええかんじのライブやったそうです。

今日はそのローラ・ギブソンを聴きながら。

Laura Gibson -Nightwatch→


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Commented by daikatoti at 2017-02-04 10:07
二月生まれなんですか?
私も二月。もうすぐです。
カレイの唐揚げを所望するお子さまだったんですね^^。
食べ物の好みって変わっていきますよね。
高野豆腐なんて嫌いな部類だったのにこの頃やたら好きです。
Commented by bacuminnote at 2017-02-04 23:40
■ totiさん
おお、自由の星(!)水瓶座なかまですね~

>食べ物の好みって変わっていきますよね。

ほんま。
わたしはとにかく野菜系が苦手で、葱なんかも「頭ようなるから」と母親に何べんも言われても、味噌汁の青程度しか食べなかったんですが。
いまではもう日々たっぷり食べてるけど(←ちなみに”岩津ねぎ”のファンです)食べ始めたんが遅かったせいか、頭がようなる気配は一向にありませぬ(苦笑)
そうそう、春菊の旨さも大人になって知りました。
Commented by daikatoti at 2017-02-05 07:44
野菜の中でネギが一番やと思うてます。
ネギ大好き。
この辺りは根深といって白ネギが主ですけど、寒い時期はほんとにネギがおいしいのです。
新鮮なのは手でパキッと折ることができます。
ぶつ切りにして油でこんがり焼いて醤油ってのがいっぱい食べられますね。
ネギと海老の春巻きもヒットです。
Commented by bacuminnote at 2017-02-05 09:31
■totiさん
葱、寒くなるとほんまおいしいですよねえ。
野菜嫌いやったけど、葱の旨さがわかる大人になって(笑)よかったなあ~と思います。

「根深」って、ネーミングもなんかええなあ。
そういうたら俳句にも「根深汁」ようでてきます。

「根深汁いつかおとなに成りて居し」(倉橋尚子)
「晩年なほ人に縋らず(すがらず)根深汁」( 鈴木真砂女)

>ネギと海老の春巻きもヒットです。
お、いいですねえ。やってみます。

わたしの一番は天ぷら。
これは揚げながら塩で。葱のぬるぬるで火傷しそうになるけど。
あ、チーズ焼きもすきです。ああ、書きながらごくり。今夜は(も)葱にしようw
Commented by ami at 2017-02-10 22:06 x
遅ればせながら、お誕生日おめでとうございます。
と、お祝いの言葉もそこそこに、こんなところでなんですが(笑)

今チママンダ・ンゴズィ・アディーチェの短編集
「明日は遠すぎて」を半分ほど読んだところなのですが、
どの話も読みながらジタバタしてしまうくらい素晴らしくて
「半分のぼった黄色い太陽」と「アメリカーナ」も
必ずや読まねば!とかたく心に誓いました!
ただ今は長編を読む体力も時間も不足しているので
読むのはもう少し先になるかもしれませんが、
その時はあらためてお邪魔させていただきますね。
Commented by bacuminnote at 2017-02-10 23:01
■amiさん
わあ。うれし「こんなとこでなんですが」シリーズ再開や~(笑)
『アメリカーナ』が長かったので(いまは息子2のところに旅立ちました)
ちょっと間おこうと『明日は遠すぎて』にはまだ手を出してなかったのですが。amiさんのコメント読んでソッコウ予約いれました。
「その時」やなくても、ぜひまた話し相手になってくださいな~

by bacuminnote | 2017-02-01 14:20 | 本をよむ | Comments(6)