ひとりになりにゆく。
2017年 02月 11日
▲やがて、ねぶそくの朝がきて。ぼんやりした頭で雨戸開けたら、冬の真っ青な空とか、お陽ぃさんとかが、胸にきゅーんとストレートに来て。
そうだ。映画館に行こうとおもった。
「春昼をひとりになりにゆく映画」(火箱ひろ)~である。
目的の映画『未来を花束にして』のことは上映前からその邦題が「あんまりだ」という声はネット上で見ていたものの、恥しながら原題の「Suffragette」サフラジェットの意味も、よく知らないままの映画館行きだったのだけど。
くわえて、いつもは予告編も日本版とオリジナル版と必ず両方チェックするのに。今回は日本版しか観ていなかったんだけど。想像していたのとは違って思いのほかハードな作品で。でも、それはうれしい誤算。とてもよかった。
▲物語は1912年ロンドンから始まる。
主人公はこどもの頃から洗濯工場で働く24歳の女性、モード(キャリー・マリガン)。同じ職場の夫のサニーと幼い息子と3人、貧しいけれど穏やかに暮らしてる。
ある日モードは街に洗濯物の配達に出た帰り、こども服が飾られた店のウインドウをうっとりのぞいていると、いきなりそこに石が投げられガラスが飛び散って、びっくりして逃げるようにバスで帰ってくる。
▲これがモードとサフラジェット(■)との初めての出会いなんだけど。
最初はおずおずと遠くから覗くようにしていたこの運動に、ひょんなことから関わり、もしかしたら「自分にも他の生き方ができるのでは」と思うようになって。
▲実在の人物で女性社会政治同盟のリーダー エメリン・パンクハースト(メリル・ストリープ)の演説を聴き、モードはやがて積極的に闘い始める。
彼女が「おとなしく」「がまんしている」ときは、やさしかったはずの人(男)たちに、職場を解雇され、家を追い出され、あげく愛しい息子にさえ会えなくなって。
けれど、モードはとつぜん変わったわけじゃない。こどもの頃からの劣悪な環境にも、工場長からの許しがたいセクハラやパワハラにも。いつも、ずっと声を押しころして泣き、がまんしてがまんして。
「怒りの火種」はきっとからだの奥底につねにあったんやろなと思う。
▲そして、その間(かん)のモードの表情の変化というたら。もう泣きそうになるくらいに、感動的だった。ひとが自分というものを持ったときに初めて発するもの。それは親子間にしろ、夫婦間にしろ、「上」から見てたら、もしかしたら鬱陶しいものに映るかもしれないけれど。
おなじ線上に立ってみたら、どんなにうつくしいことか。キャリー・マリガンがそれをとてもよく演じていた。
▲一方で警察権力の弾圧も、それはもうすさまじく。まだ長い丈のドレス姿の女性たちが殴られ蹴られ引きずられる場面、逮捕の後 彼女たちのハンガーストライキに対する処置として、拘束して強引に漏斗でミルクを流し入れる場面など、たまらず、その間じゅうわたしは椅子から腰を浮かしっぱなしだった。
▲"サフラジェット”は当時あった女性参政権運動のなかでも先鋭的といわれたグループらしく(穏健派はサフラジストと呼ばれたらしい)劇中「言葉より行動を」のスローガンが何度も登場する。実際、冒頭の投石だけでなく、いくつか爆破場面も描かれるんだけど。
果たしてこれを暴力というのだろうか、と観ている間じゅう(いまも)考えていた。
▲そもそも、女性が発言できる場も機会も、その権利すら奪われているのである。政治も社会も新聞も、みな男たちに牛耳られているなかで、どうやったら自分たちの「女性にも選挙権を」と訴えられるのか。注目されるのか。都市部だけじゃなく、その思いや願いを国じゅうに広め、伝えることができるのか。そのためには「言葉より行動」しかなかったんじゃないか。
▲映画ではモードを追う警官と夫の 良心や揺れている内面も描かれていた。社会の規範でぎゅうぎゅうに縛られているのは(ある意味)男性も同じかもしれない。
ただ、工場長に至っては同情の余地もなく、予告編(日本語版ではカットされてたシーンのひとつ)にもでてくるアイロンの場面では映画館ということも忘れ大きな声を出してしまった。(観客はわたしも入れて6人しかいなかったけど。ほんますみません)
▲それにしても。「女性にも参政権を」という今からしたら「当たり前」と思うようなことだけでも、その権利を獲得するのに、これほどの闘いがあったとは。
エンドロールで女性の選挙権が認められた年と国の名前が順番に流れてゆくんだけど。決して大昔のことではないんよね。
そして、それらは過去形ではなくまだまだ現在もつづいてる。
そうそう「JAPAN1945年~」が入ってなかったのは何故だろう。
▲家に帰ってからつれあいに映画のことをしゃべりまくる。(前夜のことは棚の上に置いといて・・苦笑)そうして見ていなかった英国版予告編■ をふたりで観て、日本版■ とのあまりのちがいに驚く。(ぜひ、見比べてみてください。どの場面がカットされてるか、というのは大事なとこやと思う。)
▲タイトル(邦題)だけでなく予告編までちがう作品になってしまって。くわえてポスターも色や雰囲気のちがいだけでなく、コピーもまた英国版は”TIME IS NOW ”~今やらなければ が、日本版は「百年後のあなたへ」だった。この「時間差」は何なんだろう。
*追記
その1)
この間『戦争とおはぎとグリンピース 婦人の新聞投稿欄「紅皿」集』→■ (西日本新聞社2016年刊)を読みました。タイトル通り、西日本新聞の女性対象の投稿欄からこの欄が始まった1954年(昭和29年)~1967年(昭和37年)の「戦争」に関する投稿作を掲載したものです。
このころ、西日本新聞だけでなく、朝日新聞でも1948年「乳母車」を皮切りに、1955年には「ひととき」と改称されて「婦人の投書欄」が始まったようです。雑誌でもそういうコーナーが出てきたり。で、【声を発する女性たちの勢いに、「書きますわよ」という言葉が流行したほどです。】(同書「はじめに」より)敗戦後10年足らずの頃のことで、文章のあちこちに「戦死」「貧困」「母子家庭」「引き揚げ」「墓参」「やりくり」などのことばが出てきます。
書き慣れたひとの文章から、もしかしたら大人になって「書く」のは初めてかも、と思うひとの、しかし力強く緊張感のある文章も。みな自分の言葉でほとばしるように綴っています。
そして共通するのは「もう二度とこんな思いは」という戦争への強い拒否の意思です。けっこう若いひとの投稿も目立ちます。心に残ったのは「派出婦日記」という題の1959年の投稿作。
筆者は長崎の方で49歳。20人ほどの女給さんのいるキャバレーで、そのうち半数以上は住み込みやから、寄宿舎のおばさん、といった感じで炊事や洗濯の仕事をしてはるんよね。
【夜は毒々しいほどの化粧で外国人客などを相手に、踊ったり歌ったりの彼女もたちも、朝はお寝坊女学生と変わりはないし、昼をヒマさえあれば口を動かしている食いしんぼうさんに過ぎない】(p122 )
・・・と、母親みたいな眼差しで女給さんを、というより若い娘さんたちを見つめてはって。【ウソとチップでかせぐ彼女たちも、同じ働くもの同士ではクロウトなどという呼び方がおかしいほど、素直で女らしいふん囲気をもっているのだ。】と結ぶ、やさしい文章です。(同書p123より抜粋)
そういえば、わたしも「ひととき」には、20代のはじめに初投稿しました。1980年に『人と時と 朝日新聞「ひととき」欄で綴る25<年』という本がまとめられ(1955年~1977年までの投稿作5835編から421編がテーマ別に編集)そのときのわたしの一文も「人 /結婚」の章に掲載されました。
これ『自身の「女」を生きる』とタイトルだけが突っ走っており(タイトルは文中のことばを引用して、新聞社の方がつけはるんやけど)ひさしぶりに読み返して若い自分に、もうただただ赤面!
それはともかくとして。いま再びこの本のあとがきを読んで、「胸がおどる」ということばに、改めてじんときています。
【「戦後の世の中に少しでも風通しをよくしたい」との意図であったそうですが、二十一年十一月に新憲法が公布され、男女が平等の地位を獲得したとはいうものの、封建社会の中で育った私たち女に、戦後初めて自己を主張できる場を与えられた喜びは、いま思い出しても胸がおどります。】
(『人と時と』あとがきより抜粋)
その2)今日はこれを聴きながら。”Suffragette"予告編の最後のほうで流れてる曲。
Robyn Sherwell - Landslide ■