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いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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すぐそこで待ってるからね。

▲図書館からの帰り、うしろで道を尋ねる声がした。
はっとして振り返るも、わたしに聞いてはるんやないとわかって、ほっとしたり。ちょっと物足りなかったり(←しょっちゅう聞かれる身としては。笑)・・・で、つづいて「えーっと、そのときはね、救急車やったもんですから、病院の場所とかようわからへんでねえ・・・」という声が聞こえてきて。ことばの端々から察するに、救急搬送されたご家族を見舞うため病院に行く途中、道に迷わはったみたいで。「そうですねん。もう大丈夫なんですけどね・・・ああ、そうですか。ようわかりました。ありがとうございました」と明るい声が聞こえて、知らないひとのことながらよかった、よかった。

▲見上げると、きもちよく晴れわたった空がほんまにキレイ。とはいうても、3月の風はつよくて、つめたくて。家を出るとき、ぽかぽか陽気をイメージして、マフラーをしてこなかったもんで、寒いこというたら。けど、すぐそこに春が待ってるからね。ま冬の寒い日とはちがって、首すくめながらも気分は明るい。

▲袋をもちあげると微かににおう桜餅に「帰ったら、とりあえず熱いお茶にこれやなあ」と足取りも軽く歩いてたら、うしろの方で「あのーすみません。ちょっとお尋ねいたします。病院に行きたいんですけど・・」と聞き覚えのある声が。ん?振り返るとさっきのおばさんだ。
つい今しがた「はい。ようわかりました」って言うてたのに。又べつの人にもういっぺん聞いてはる。いやいや、笑うたらあかん。親切に教えてくれはったひとにお礼を言いつつも、あんまり理解できてないこと~わたしにもある。かの変哲サン(小沢昭一氏)だって「道問いてわからぬもよし春一日(ひとひ)」と詠んではるもんね。

▲つぎ又迷うてはったら、こんどはおせっかいでもこっちから教えてさしあげよう。方向音痴でもこの辺のことならわかる と思うてるうちに、分かれ道に来てしもて、横断歩道を渡ったんだけど。ふと振り返ったら道向こうに、件の病院にむかってはるのが見えた。

▲さて、この間また京都に行って来た。
先週のうらたじゅん個展と、週続きの遠出だ(おおげさやなあ)。今回は西本願寺~大谷さん(大谷本廟)まで。菩提寺からの団体納骨で、朝早く隣市にあるお寺に集まって本堂でお参りの後、バスでみんな一緒に京都にむかう。(ゆえに迷う心配はない)ウチはわたしが代表で(!)参加したんだけど、老若男女二十名ちかく集まってはるファミリーもあって、バスの中はお菓子や飴ちゃん、おせんべいが行き交ったりして、さながら春の遠足のような賑わいだった。
「なんや~ウチとこは、あんた一人かいな~?しゃあないなあ」と、遠いとこからお義母さんが呆れたように笑うてはる気がして。苦笑。

▲バスは満席で、空いていたわたしの隣席には法務員さん(ご住職のお手伝いをする僧侶というたらええのかな)が座らはった。今はまだ法衣よりスーツのほうがよく似合ってる若いお坊さんが、本を読んでいたわたしに「何読んではるんですか?」と声をかけてくれた。(一人参加で、なんかさびしそうに見えたんやろか)読んでいた本というのがたまたま『宗教って、なんだろう?』(島薗進著 平凡社)だったこともあって、それを機に隣同士ぽつぽつ話し始めた。

▲ちょうどウチの息子くらいの年格好の好青年で、しゃべってるうちに次々と聞いてみたかったことも浮かんできて、いろいろと質問させてもろた。(こんなおしゃべりなおばちゃんに声をかけて、えらいことした~と後悔してたかも。笑)なぜ僧侶になろうと思ったのか?から始まって、僧侶(住職)になるには、どういう過程(試験や学習)が必要なのか?とか。彼が大学卒業後通ってたという仏教の専門学校のこと。

▲お坊さんにかぎらず、常々若い人と仕事について関心があるので、よく行く美容院や服屋さん、整形外科でも、話せるような雰囲気と時間があると、若いスタッフにそんなことをちょっと聞いてみる。こちらからは立ち入ったことは聞かないようにしてるけど。
声をおとして「安い」給料(給料の話が出るときは、ほぼ「安いんです」という展開だ)や待遇のこと、家族やつきあってるひとのことを聞かせてくれることもある。

▲隣席の法務員さんは想像通りお寺の息子さんで、ごく自然に僧侶になることを決めたそうで、三人兄弟みな同じ道にすすんだとか。
膝の上に出したままの本の「宗教」の文字に、そういうたら「宗教や、宗の「宗」って、どういう意味ですか?」と尋ねてみる。曰く、「ほかにも説はあるかもしれませんが、「宗」は「むね」とも読み、むねというのは「旨」や「胸」「棟上げの棟」といったように、おおむね、中心になる、大事なものとしての意味があるので、そういう教えという意味やと思います。」とのことだった。ほほぉ、そうやったのか~

▲あんまりしゃべっても、と切りのいいとこで本読みに戻ると、即ポケットからスマホ出してきてはった。(おばちゃんにつきあわせて申し訳なかったです)さて、この本はタイトルにあるように「宗教ってなんだろう?」を始めとする問いかけに著者が答えるという形式になっていて、そのやりとりも絶妙でおもしろい。

▲宗教とはどんなふうに生まれたのか、生贄とは?ブッダはなぜ出家したのか?権力者が宗教を庇護しはじめたのは?というような質問から、宗教って「平和と友愛」「寛容と平等」といった理想があるのに、なぜ暴力的要素がいまのように表に出るようになったのか?
宗教は暴力を超えられるのか?(←このあたりが一番知りたいところ)
「家族はエゴのはじまり」なんていう非常に気になる項目まで。じつに刺激的な展開で。

▲これ「中学生の質問箱」シリーズの一冊なんだけど、中学生にはまだちょっと難しいかもしれないな。(いや、わたしの理解度が中学生に届いてへんのかも~)ただ、難しくて嫌になる本やなくて。そうすんなりとは頭に入らないんだけど、行きつ戻りつ、なんども立ち止まり考えながらの読書は、だからこそたのしい。おすすめです。

▲そんなわけで、ノッてきたもんやからそのままずっと本の続きを読んでいたい気分だったけど、バスはじきに西本願寺に到着。座ったままだと却って膝によくないので、すこし歩いて参詣。境内のブックセンターに。町の書店にはまず見かけないような本がいっぱい並んでて、おもしろかった。

▲ここに来るのは義父の納骨以来だから12年ぶり~パン屋やめて信州から大阪にもどってもう13年やもんね。早いなあ。「正信偈」(以前ここも書きました)を読経の間 はじめて義母と会ってからのうれしかったことやたのしかったこと。腹のたつことつらかったことも。謝りたいこともみな。いろいろいっぱい。ぐるぐる思いだしてなきそになったり頬がゆるんだりして合掌。



*追記
その1)
バス中で質問した「宗」でしたが、本のあとの方にも『「宗教」の語源』という項目がありました。
曰く、日本語の「宗教」という言葉は、仏教のなかにあった言葉やそうで。
【西洋語のreligionに「宗教」という訳語をあてる前に、「奉教」とか「信教」「教法」「法教」「聖道」「宗門」「宗旨」とかいろいろと他のアイデアもありました】
【「宗」は「おおもと」ということです。「教」は言葉にしたteaching(教え)で、「宗」の方は「おおもとの大事なもの」「真理」、まあ「法」(ダルマ)に近い、それを言葉に表したのが「教」となります。】(同書p160~161より抜粋)

とはいえ、こういう語源についても島薗氏ひとりでも論文集が一冊つくれるほどやそうで。【そもそも西洋のreligionという言葉自体にも適切な用語かどうかの議論があって、今でももめています。それを日本語にあてはめる段階でまた問題が生じたということです】・・と、ややこしい(苦笑)いやあ、この本図書館で借りてきたんだけど、買ってじっくり読みます。



その2)
このバスの京都行きは、大谷本廟のあとは精進料理をたべて帰阪~ですが、途中下車OKなので、わたしはお昼はパスして河原町まで出て、久しぶりの本屋さん「メリーゴーランド」へ。
五条坂から祇園のあたりまで、なつかしい町並みは、しかし裏の通りでさえお店ができてたり、ひとも多くてびっくりしました。
もうわたしの知ってる京都やないなあ(まあ、40年もむかしのことやから当然といえば当然ですが)

「メリーゴーランド」でゆっくり本を見るつもりが、足が(それに空腹状態も!)このころになると限界で、松林誠原画展をみて店主の鈴木潤さん(←日記いつもええかんじ!)の書かはった『絵本といっしょにまっすぐまっすぐ』 (これで三冊目♡)をご本人に包んでいただいた後ようやくランチタイムに。(もう1時過ぎてたのにどこも満杯。京都なんであんな人多いのん?泣)

このほかに読んだ本で印象にのこってるのは『脳が壊れた』 (鈴木大介著 新潮新書2016年刊)いまAmazonで見たらベストセラー一位になってました。
41歳で脳梗塞に襲われたルポライター自身によるルポで、おもしろかった~なんて言うてええんやろか、と思いますが。
カバー見返しにある【持ち前の探究心で、自分の身体を取材して見えてきた以外な事実とは?前代未聞、深刻なのに笑える感動の闘病記】の通りやとおもいます。当事者感覚を言語化する、というのってほんまに貴重なこと。おすすめです。


その3)
あと、まだ読み始めたところなんですが田中慎弥氏『孤独論 逃げよ、生きよ』(徳間書店2017年刊)は『共喰い』で芥川賞受賞の会見のとき「もらっといてやる」と会場をわかしてはったあの方です。
かつて大学受験に失敗したのをきっかけに15年近く引きこもってた、という著者は
【本書でわたしは、日々働きながらもどこかでもやもやと煮え切らない思いを抱えている人に向けて、孤独であることの必要性を述べてみたいと思います。いまの世の中、放っておけばいつしか奴隷のような生き方に搦(から)め捕られてしまう。だから、意識的にそこから逃げ出していかなければならない】(「はじめに」より抜粋)と、副題にあるように「逃げよ」と挑発します。

第一章はその名も「奴隷状態から抜け出す」というもので、最初にこのことばが引いてあります。
「自らを尊しと思わぬものは奴隷なり。」(夏目漱石) 


その4)
きょうはこれを聴きながら。 Book Song
by bacuminnote | 2017-03-19 00:37 | 出かける