木綿豆腐と大根とバゲット。
2017年 08月 02日
ああ一ヶ月早かったなあ~と、カレンダーをめくりながら毎月お決まりの台詞である。
買い物に行ったら「夏のギフト」の横に「お盆のお土産」のポップ~次から次へと。ゴールの「年の暮れのご挨拶」「迎春準備」まで。
▲「買え」「買え」と宣伝する方もつみぶかいと思うが、そんなもんに知らんまに追われてしまうわたし(ら)もどうかしてる。
なんで、もっとどっしり構えていられないか、自分流を貫けないのか。なんで、目新しいことにとびついて、じっくりものごとを考え続けられないのか。
ため息つきつつ自問しつつも、今日は木綿豆腐と大根とバゲットを買う。
▲帰り道~遠くからうぃーんうぃーんと草払い機が唸るのが聞こえた。この炎天下、街路樹周辺の草刈り作業の人らがお仕事中。もわーんと熱気のなか草のほこりが舞い上がる。作業員さんら、みな汗で作業服がぐっしょり濡れているのが、道を挟んでもわかる。
▲小学生のグループが、だだだだっと、おばちゃんを追い越し走ってく。
塾の名前入りリュックを揺らし、保冷のお弁当バッグとお茶をぶらぶらさせながら。まるでプールに行くが如く、公園に集合するが如く。
わいわいはしゃいで走ってる。いまや塾というところはそういう場所なのかな。
▲買い物行って郵便局と図書館寄って、たったそれだけで、今日一日分のエネルギー使い果たしたみたいに、とろんとろん溶けそうになって帰って来た。
ああ、暑いときに熱いものを、とクーラーのよく効いたスーパーで思って、重たい大根一本買ったのだけど。とても煮物する勇気がわかない。
▲こんなふうに「暑い」とぼやいてばかりの毎日だけど。それでもおもしろくいい本にめぐりあえて、読む、読む、読むの夏だ。
前回からリニューアルした「ち・お」116号『親になるまでの時間 後編』(浜田寿美男著)がカライモブックスから届いてさっそく読む。
今回はこどもの学齢期からの話なので、当然だけど学校の話題が多かった。
▲わたしの周辺のひとたちは、こどもがちいさかったときの話をするとき、保育園のころのことは、こどもの病気や予防接種のことや、自身の仕事など大変な時期だったにもかかわらず、そろって皆いきいきと語る。
週明けに園に持ってゆく大量の着替えも、重い絵本袋も、お昼寝布団も。
▲顔をくもらせるようになるのは、たいてい学校が始まってからで。その辺に学校とはどういう場所かという答えも潜んでいる気がする。
もちろん、心配なことや悩みが、年齢とともに複雑になってくるっていうのもあると思うけれど。
それに、いつまでも一日かけまわって遊んで昼寝してるわけにはいかないから。生きてゆくにはそんなわけにはいかないから~という声も(←せやからガッコにはちゃんと行かせなあかん!と、よく言われました)あるのだろうけれど。
▲ウチはふたりともいわゆる義務教育期間にガッコに行かなかった時間が長くて、「学校が生活を制圧」(p58)とはならなかった。いや、親としては家が学校に侵食されるのが(*「学校が生活を侵食して」p56)たまらんかったから、こどもらの「行かない」をむしろ歓迎した。
それは当時わたしたちは田舎の小さなパン屋で、親はそれほど忙しくもなく(苦笑)一日中在宅しており、親も子も「いつも通り」でいられたことも大きいかもしれない。
▲けど、ふりかえって考えてみるに、こどもらにとってその頃~ガッコに行かないあいだ「家」での時間がたのしかったかどうかはわからない。
あたりまえのことだけど、家には家の鬱陶しいこともいっぱいあったはず。何より自由でいることって、つねに自分で何をするか、何がしたくないか、向き合うことにもなるわけで。それは単純に気楽というわけにもいかなくて。
▲ただ、退屈するほどにいっぱいの時間があったのはよかったとおもう。
彼らの芯のところにあるのは、その長い時間「わからなさ」に、たちどまり、地団駄を踏み、なやみ、考えた(続けた)ことだと思う。
いま大人になった息子らを見ていてそう思う。いや、でも、こういうのもぜんぶ親のわたしが勝手に思ってるだけかもしれない。
なんせ、こどもは親のきゅうくつな思いなんか蹴飛ばして大きくなってくれる。
▲【学校というと、どうしても、なにか将来のために「力を身につけていく場」だというイメージがあります。保育所、幼稚園で力を身につけて小学校、中学校、高校へ、そして高校までに身につけた力で大学へ、さらに大学で力をつけて社会へ、という感じです。
だけど、この発想をつきつめれば、園は学校へ行くための準備、学校は社会に出るための準備ということになります。そんなふうに見れば、なにか、いつも将来のために準備ばかりしていなければならないような気分になってしまいそうです。
よく考えてみれば、人生に準備の時代など、ほんらいはないはずです。】(p22~p23)
▲ここまで書いて、ふとデパ地下やスーパーの「季節や行事の先取り」のポップを思い出す。
ほんま次から次に「準備」することに気を取られていると、たちどまって考えることがなくなってしまうんやないかなあ。くわえて、忙しくすることで考える時間をなくすことも。
この本、学校の話だけじゃなく思春期の話(第四章 思春期はややこしいもの)もあり今回も読み応えじゅうぶん。おすすめです。
▲さて、もう一冊は図書館の児童書コーナーで出会った写真絵本『おじいの海』(濱井亜矢 写真・文)この本は福音館の月刊『たくさんのふしぎ』2004年5月号~タイトルから想像つくように沖縄の海と「おじい」と呼ばれる仲村善栄さんのお話。
▲仲村さんは1917年(大正6年)沖縄生まれの沖縄育ち。本が出たころは86歳の海人(うみんちゅ)。
小さいころから海が好きで12歳のとき父親について漁を始めたそうだ。54歳のとき病気になった仲村さんは入院先の医師に「もう海に潜ってはいけません」と告げられて。仕方なく海の上でできる仕事をしてたんだけど。
【ちっともおもしろくありません。船の上でじっと待ってることができなかったのです。やはり海の中にはいって、魚を追いこんでいくのが性にあっていました。そこで、自分のペースでできるよう、ひとりで追い込み漁をはじめたのです。】
▲この一人追い込み漁の「おじい」のかっこいいことというたら。
麦わら帽子に白いシャツ~強い風でも吹いたら飛ばされそうな痩せて日焼けしたおじいさんが(すみません)ゴーグルつけてウエットスーツ着るや、いっぺんにスーパーマンの如くしゃきーんと変身。ああ、もう、このひとはしんそこ海がすきなんやなあと、海中の写真など、ほんまかっこよくて惚れ惚れするようで。
▲でも、家族はみな高齢で海に出る「おじい」が心配。
だから【海に出るときのおじいは風のようにすばやい。だれがなんと言おうと、おじいはあっという間に準備して、「一時(ちょっと)行ってきよーね」と、にげるように海へ消えていきます。】
~ちょっと俯きかげんに出てゆく「おじい」の姿は親に叱られながら、遊びに行くこどものようでかわいらしい。
▲この本を読んだあと、わたしはふと母のことを思う。
始まりは、ただ親の言われるままに結婚した相手の家の仕事にすぎなかったのに、ろくに包丁も持ったこともなかったのに。川魚を捌き、へついさん(おくどさん)で次々炊き上がってくる5升釜のご飯を、大きな飯台にうつし、酢飯をつくり。
旅館のおかみさんもして、働いて働いてきたから。いつのまにか仕事が自分の背骨みたいになってしまったんやろなあ。
▲いまあり余る自分の時間が、しみじみさみしいという。日々できなくなることがさみしいという。
「せやから、できんようになること増えても、まだ、なんとかできることで、わたしは役にたちたいねん」という。
そう思ったらじっとしてられず、さっそく今いるホームの職員さんに「何でもわたしにできる用事言うてちょうだい、っておねがいした」そうで。
▲そんでな、レクレーションに使う輪投げの輪作りを、手伝わせてもらってん。「◯さん、仕事早いねえ。もうちょっとゆっくりしてよ~」と職員さんに言われてん~と得意気に話す母。
ところが、がんばりすぎたのか、くたびれたのか、かんじんのレクレーションの時間に熟睡してた、というから、いかにもお母さんらしいな~とつれあいと大笑いした。
▲話そうと思うことばがすっとでてこない、話してる途中で次のことばを見失う。歩くのもおぼつかなくなって・・と最近元気のない母にも、着せてやれる「おじいのウエットスーツ」はないものか、とかんがえる。(とりあえず今日つれあいとCDプレイヤーを買ってきた)
▲そうそう、これを書きながら『おじいの海』の仲村さんのことが気になりネットでみたら、2010年5月に急性心不全で亡くなってはることを知る。
「4月下旬、久しぶりに次男の茂さんと共に漁に出た際海中で心肺停止となって・・」と新聞記事にあった。
そうか~ほんとうに最後の最後まで海人やったんやなあ。94歳だったそうだ。
*追記
その1)
”おじいの作者のブログ”■
「おじい」亡きあとのエピソード~とてもいい記事です。
その2)
書きそびれた本 『俳句と暮らす』■(小川軽舟著 中公新書)
その3)
今日はこれを聴きながら。
まだまだ暑い日がつづきますが、体調くずさないように気ぃつけてくださいね。
Keaton Henson - Nearly Curtains■