きはった、きはった。
2017年 08月 31日
「硝子戸のコトリと秋はすぐそこに」(角川照子)
▲それにしても、暑いしんどい夏だった。何より、あったことを何事もなかったかのように平然と隠蔽、改ざん(そもそも「修正」というのは「よくないことを改める」という意味やから「修正」ではないと思う)する政治家や人々。どう考えても、いま一番危険なのは原発やろ~と思うのに、相変わらずニュース画面に定期的に登場する原発「再稼働」の文字。
▲そんなこんなの中、母の入院や(先日ぶじ退院しました!)つれあいがバテ気味やったりで、もう涼しくなるということだけで、ちょっとほっとしている。さて、目覚まし時計が鳴るまでにはまだ一時間ほどあるけれど。このまま起きて、濃くてあつい珈琲を淹れよう。
▲いつも買い物に行く駅前に、もうずいぶん前から建設中の大きなビルがある。建築計画や施工者の表示板が掛かった柵の前で、身を乗り出すようにじいっと工事のようすを見ているのは、たいてい年配の男性か、十歳未満のこどもたちで。わたしはこの前を通るたびに工事現場よりその老若のねっしんな見学者たちが気になって、ついつい足をとめるのであった。
▲基礎工事のころは、びっくりするほど大きなショベルカーやミキサー車、杭打機や、クレーン、それに見たことのないようなマシンたちが勢揃いしてたから。「はたらく車」がすきな子なら、まちがいなく堪らない風景だったはず。「ほらほら、もういっぱい見たでしょ。さあ、もう行こうよ~」と困り果てたママの説得場面(苦笑)に何度も遭遇し、おなじく「ガーガー」(ショベルカーのことをこう呼んでいた)が大すきだった息子らのこども時代を思い出して、微笑ましくそんなようすをしばし眺めてた。
▲現場はそれまであった(まだまだ使えそうな)大きなビルを壊して更地にしたので、しばらくの間ウチの方から駅方面をみると、劇的に見通しがよくなった。その景色の変わりように、はじめはとまどいつつも、なんだかなつかしい町に来たような、ぎゅうぎゅう詰めやなくて、風がすいーっと通ってゆくような気持ちよさがあって。いっそこのまま高層ビルなんか建たなければいいのに~と思った。
▲そんなことを考えてたのは、わたしやウチの家族だけやなく、長年ここに住むご近所さんもみな口をそろえて「最初ここに来たときはこんな風やったんよ。ウチから駅の辺りまで、ぜーんぶすっきり見渡せて~」とうれしそうに話してはった。
▲そうだ。わたしもつれあいとケッコンする前この町に来たとき、駅前駐車場は、まだみな「平面」だった。それに平日は閑散としていて、デート(!)のあと、いつまでも車の中で話し込んでいたのだった。
あれから一体どれくらいのビルが建ち、壊されてはまた建ったことか。そうこうしてるうちに広かった空はどんどんビルで埋められてゆく。
▲毎日少しずつ上に上にと出来上がってゆくビルは、その値段も階数も超高層マンションになるそうで。今日も継ぎ足し継ぎ足しの長いクレーンのオレンジ色が青空につきささる。ああ、空はだれのものなんやろなあ。
▲高層といえば、考えてみたらわたしは二階より上で暮らしたことも、ついでながら新築の家で暮らしたこともないのだった。田舎育ちのわたしの家は、いや、わたしだけやなくて友だちの家もみな古い家だった気がする。小学生のときに近くの大きなお家が火事で、その後新築しはったときは珍しくて、普請の間も、建ってからも、家の前を通ると立ちどまっては見入ってた。
▲ここにはなんべんも書いてるけど、生家は旅館だったから、ふつーのお家とは間取りもつくりもちがうんだけど、古いのと二階建てというのには変わりなくて。
学生時代の下宿先数軒も古いお家やったし、ケッコンして初めて住んだ文化住宅も、その後7回あちこちに引っ越したけど、やっぱり古い家で二階建てか平屋だった。
▲信州の古い借家で育った息子2などは10歳のとき、ここ大阪の「祖父母の家」に越して来て、生まれて初めて温水シャワーと水洗トイレのある暮らし(あ、学校は水洗トイレでした)を体験したから、家族感でこの家は「あたらしい家」という認識だったんだけど。その家もまた一般的には(?)古いらしくて。
たまに新築のマンションやお家に招かれると、自分ちの住宅設備とはまるでちがう便利なあれこれに、いちいち反応しては「え?まだ◯◯使ってるん?」「ほんま、どんなとこに住んでるんよ?」とからかわれるんやけど。たしかに不便やし、冬は寒いけど、だいどこの流しがわたしには超低い(長身に堪える!)ことの他はけっこう気に入ってる。
▲なにより、家は新しくても古くても、便利でも不便でも、中にひとが入って暮らしあってこそ、と思うから。ほんまかただの噂か知らないけれど、建築中のマンション購入者の多くが「投資目的」とか耳にすると、ええかげんにしてくれ、と思うのだった。
《建築家として、もっともうれしいときは、建築ができ、そこへ人が入って、そこでいい生活がおこなわれているのを見ることである。日暮れどき、一軒の家の前を通ったとき、家の中に明るい灯がついて、一家の楽しそうな生活が感じられるとしたら、それが建築家にとっては、もっともうれしいときなのではあるまいか。
家をつくることによって、そこに新しい人生、新しい充実した生活がいとなまれるということ、商店ならば新しい繁栄が期待される、そういったものを、建築の上に芸術的に反映させるのが、私は設計の仕事だと思う。
つまり計算では出てこないような人間の生活とか、そこに住む人の心理というものを、寸法によってあらわすのが、設計というものであって、設計が、単なる製図ではないということは、このことである。》(『朝日ジャーナル』1965.7.11号)吉村順三→■
『建築は詩 建築家・吉村順三のことば一〇〇■
*追記その1)
そんなこんなで、今回は新しい本が読めていません。(読みかけの本→『この世界の女たち』)この間ツイッターにも書いたのですが、10年前の夏に亡くなった小田実さんを悼んだ黒田杏子氏の一句~「夏終る柩に睡る大男」をよみながら、以前読んだ米谷ふみ子氏の幼馴染・小田実のエピソードを思い出していました。(ここに書きました)
くわえて、ブログ文中にも書いた『「アボジ」を踏む』■(小田実)を読み返しました。この本(表題作)が、ほんとうにすばらしくて、読んだときにも会う人会う人にすすめてた気がしますが、再度。講談社小田実全集特設HP■で「立ち読み」もできます。ぜひ。
その2)
この間の朝洗濯物干しながら、この曲が口について出てきたのに、なんて曲か誰が歌ってたのか、すっきり忘れてしもて(すっきり、というあたりがね歳を感じます)夕方になってとつぜん「ギルバート・オサリバン」と出てきて、すっきり(本来の意味のw)Gilbert O'Sullivan - Alone Again■