ラジオから聞こえてくるようで。
2017年 11月 13日
「てことは、あと3ヶ月ほどキミが”ひとつ上のお姉ちゃん”やから、ちょっとエラソーにしてもええで」~なぁんて相変わらず小学生みたいなことメールし合って笑うたんやけど。ほんまいうと(とくに60を越えてからは)年上も年下も、そもそも「年齢」というのがどうでもよくなってきてる。
▲そういえば、こどもの頃は読んだ本の作者の年齢など気にしたことがなかったなあ~と思う。ていうか、その頃読んだほとんどの本は自分が生まれるうんと前に書かれた作品だったし。ぜーんぶ「むかしの人が書かはった」(!)で括ってた。
▲そのうち本の後ろに載っている著者のプロフィールもまた関心事のひとつになって。こんな物語書く人ってどこの国の人?女?男?いまも生きてはるん?という風に。やがて経歴にも興味をもったり(つまり、必ずしも初めっから作家だとは限らないことを知る)、へえ◯歳なのか~まだ(その年令になるまでわたしは)だいぶ時間あるなあ~などと、自分の「取り柄のなさ」をとりあえず若さのせいにしては、ひそかに安堵するのだった。
▲ところが、その◯歳がだんだん実年齢に近づいて、同世代となり、ついには自分より若いひとの書いたもの~いまや自分の息子世代のひとの本もけっこう読んでいて。いつしか取り柄のなさを思い煩うことすらすっかり忘れており。そういう意味ではこどものときの「気にしたことがなかった」感に戻ってきてる気もする。
▲が、先日ネットのニュースで今年の文藝賞受賞者が同賞史上最年長の「63歳の専業主婦」とあるのを見て、久しぶりにおお!と思った。受賞者 若竹千佐子さんはわたしと同い年である。さっきまで歳は関係ないと言うときながら、「で、それがどないしてん?」と自分で自分につっこみながらも、そのタイトル『おらおらでひとりいぐも』(わたしはわたしでひとりいく、という意味かな)にも惹かれて本屋さんに走った。帰るまで待てずにエレベーターの中で開く。歯を出して にいっ~と笑ってはる写真がチャーミングで、読む前から「おらおらでひとりいぐも」と言うてはるみたいで、ええお顔。
▲『おらおらでひとりいぐも』(若竹千佐子 『文藝』冬号■所載)の主人公は75歳の「桃子さん」。とうに息子も娘も家を出ている。夫は15年も前にあっけなく逝って、長いこと飼っていた犬も最近死んでしまい、とうとう桃子さんは家にひとりになった。
そんな桃子さんに、近頃自分やほかの人の声があれやこれやと休みなく、いっぱい聞こえ始める。そして、それらはみな東北弁なのだった。
《満二十四のときに故郷を離れてかれこれ五十年、日常会話も内なる思考の言葉も標準語で通してきた。なのに今、東北弁丸出しの言葉が心の中に氾濫している。というか、いつの間にか東北弁でものを考えている。晩げなのおかずは何にすべから、おらどはいったい何者だべ、まで卑近も抽象も、たまげだごとにこの頃は東北弁でなのだ》(p13)
▲脈絡もなく桃子さんの脳内で繰り広げられる会話?いや会話でもない、賑やかな喋くり~読んでいる関西弁話者の(!)わたしも知らぬ間に活字になった東北弁をなぞるように脳内で「音読」していることに気づく。そしてその「音読」がまた遠くラジオから声が聞こえてくるようでもあり。
《おらだば、おめだ》《おめだば、おらだ》がジャズのスキャットみたいにリフレインして。わたしの脳内も又ややこしいことになって、興味深い世界となる。
じっさい桃子さん自身もこの勝手なおしゃべりをおもしろがって「無数の絨毛突起」なんて呼んで「同居」をたのしんでいるみたいで。
▲ごくフツーの主婦であった桃子さんは、そのむかし東京オリンピックの年に上京して、その後結婚、出産、育児、夫との時間と別れ。くりかえされる真摯な自問自答は鋭くもユーモラスだ。わたしもまた何度も何度もたちどまっては考える。わたしは何をしてきたのか。
《七十五になんなんとする今、桃子さんが分かったことは単純にして明快、よく言えば素直、悪く言えばぼんやりだったことに尽きる。》
ああ、「ぼんやりだったことに尽きる」か~そうだったのか。
《人を喜ばせたいという気持ちも強かった。そのために人が自分に何を要求しているかに敏感だった。その要求に合わせていかようにも自分を作っていけるような気がした。人が桃子さんに求めたのは何だったのか。やさしさ、従順、協調性。いつでもどうぞ。いつか桃子さんは人の期待を生きるようになっていた。》(p48)
▲読んでいるうちに、というか読み始めてすぐにもう作者の年齢など、わたしの中から飛んでいるのだけど。若者ではとうてい書けない作品なのに、その空気には「若さ」をかんじて終始コーフン気味で読み終えた。読み終えたのに、いまだ頭ン中で《おらだば、おめだ》《おめだば、おらだ》が聞こえてる。そしてそんな「聞こえる小説」からのメッセージに、62歳のわたしは(←あと数ヶ月は・・笑)ちからわくのを感じる。
《もう今までの自分では信用できない。おらの思っても見ながった世界がある。そごさ、行ってみって。おら、いぐも。おらおらで、ひとりいぐも》(p46)
*追記
その1)
そうそう、書きたかったのにひとつ書きそびれてしまいました。それは東北弁の「おら」という一人称のこと。
「桃子さん」は小学校に入学して、はじめて東北弁を強烈に意識し始めたといいます。それまで何のふしぎもなく、性差も関係なく、周囲のみんなが言っていた「おら」が一人称だったのですが、教科書で「僕」や「わたし」という言葉を知ってからは「おら」が田舎じみて感じた~と。
さりとて「わたし」ではどこか気取って自分が自分でないような《喉に魚の骨がひっかかったような違和感があった。喉に引っかかった魚の骨ならばご飯をげろ飲みすればすぐ治るども、心に引っかかった言葉だば、いつまでたってもいづいのす。苦しくてたまらない》(p15)
方言ということでいえば、奈良・吉野の山間部で生まれ育ったわたしにも吉野のことばへの郷愁も、桃子さんがかつて感じた「小骨」も残っており。
夏休みになると遊びにくる大阪のイトコたちのことばが都会の子みたいで(いま思うたら、ただの大阪弁なんやけど)最初しゃべり出すのに緊張したことや、何かの文集に載ったわたしの作文を母が大阪の親戚に見せるとき、必ず「もう吉野の方言まる出しで、恥しいですねんけど」と言い訳みたいに付け加えるのに傷ついたことをおもいだします。
そのころは方言でないとほんまのことが書けなかった。教科書のようなことばでは、よそゆきの服を着せられてるみたいな気がして、きゅうくつでどこかうそっぽい気がして。それなのに、いつの頃からかわたしは田舎くさいからと手放して。
けれど年と共にまた少しづつ(手放したはずのことばたちが)戻ってきており。こういうとき、歳をとるというのもええもんやとおもう。
「桃子さん」は言う。
《おらは、おらが、と一声呼びかければ、漂うイメージそわそわと凝集凝固して言葉となり、手つかずの秘境の心蘇る。ちょうど、わたしが、と呼びかければ体裁のいい、着飾った上っ面のおらが出てくるように。それどいうのも、主語は述語を規定するのでがす。主語を選べばその層の述語なり、思いなりが立ち現れるのす。んだがら東北弁がある限り、ある意味恐ろしいごどだども、おらが顕わになるのだす、そでねべが。》(p14)
その2)
長いこと小説を読むことから離れてたけど、ここんとこ立て続けに長いのんも短いのんも。備忘録として。『エレナーとパーク』(レインボー・ロウェル作 三辺律子訳 辰巳出版)→■