こどもの地図。
2017年 11月 23日
大急ぎでご飯炊いておにぎり作って、ポットにほうじ茶入れて、お花買ってバスに乗り込む。(「あんたとこ、きょうは遠足でっか?」と、どこからか聞こえてきそうやな~ 笑)ほんとは義父の命日に行くつもりだったけど、天気予報ではその日は雨。しかもぐんと冷えこむ~とのことだったので予定を繰り上げて。
▲毎年街路樹が紅葉して落ち葉が道を埋めるころになると、ああ、今年もこの季節がきたな~とおもう。
キトクの報にあわてて車で信州から大阪に帰って来て、その道中に病院から「たったいま・・」と電話があって。むこうではすでにおわった紅葉を、こっちでもういっぺん見て、なんとも感慨深かったことを思い出す。そしてパン屋をやめて大阪に戻ってくることを決めたあの日から、もう14年もたった。
▲ふたりでお墓参りは久しぶりだった。
手分けするとお墓そうじも草抜きも、拍子抜けするほどあっという間で。
爽やかな秋晴れゆえかわたしの足も快調で。タクシーも拾えなさそうやし、帰りはぼちぼち歩くことにした。
▲墓地から少し行くとつれあいが生まれ育ったところやから、あっちもこっちも思い出の場所だ。いつもは用がすんだらすぐに駅へとむかうんだけど、この日はちょっと寄り道。だんじり庫で地車や古い瓦を見たり、かれがこどものころ恰好の遊び場所だったという神社の境内を通ってみたり。青空のもと「七五三詣り」の旗がゆらゆら揺れて、晴れ着でお参りに来てはる家族もあり、露店も二、三軒ならんで。いつ通ってもしんとしてる神社がぽかぽかしてた。
▲囲いの中の太い古木は「御神木」やそうで。しかし昔は囲いもしめ縄や紙垂(しで)もなく、ただ、そこに立ってたから。こどもらは、こぞってクライミング(!)に挑戦していたらしい(苦笑)。その頃は境内も広々として、仰山のこどもらが(なんせこどもの多い時代やったから)ガッコから帰ると集まって来ては野球(三角ベース)して、鬼ごっこして、ベッタン(めんこ)して。毎日暗くなるまで遊んでいたそうで。さぞかし賑やかだったことと思う。いまは境内も一部駐車場になって狭くなってるし、何より、ここに遊びにくる小学生なんて、もういてへんのとちゃうかなあ。
▲神社を抜けて、住宅地のなかの狭い道をゆく。こことむこうに映画館があってなあ~(かれの家まで休憩の音楽が聞こえるほど近所!)あの酒屋さんは◯◯さんで、次は△さん、そのとなりは◯ちゃんとこの家で・・と、もうすっかり様子の変わってる通りを歩きながら、かれの頭の中にはこどもの頃の「ちず」がしっかり広げられており、いつになく饒舌である。わたしもその話聞きながら、ウチにある古いアルバムによく出てくる家並みと路地、どんぐりみたいな髪型の幼いオットや、若い義父母の笑顔の写真を思いだしていた。
▲義父母はいまのこの家で暮らし始めてからも、その町へ墓参に、元ご近所さんの慶弔に、買い物まで、しょっちゅう出かけていた。長い商店街に市場に、と活気のある町で、わたしも好きやったからよく連れて行ってもらったっけ。でも便利のよさからいうと、むしろここの方がええはずなんやけど。長年暮らした土地や家への思いはとくべつだったのだろう。
▲わたしらは結婚後何べんも引越したから、どこが一番思い出の家というのがなくて。なんだかここも「終の棲家」とは思えず、いつもどこか根無し草のようだ。でも大阪の3軒、奈良の2軒、滋賀、長野・・と、どの地のどの家も「地図」も、よーく覚えてる。ただ、初めて関西圏から出た信州での暮らしは、ことばもちがうし初めての経験も多かったし。あの村のうつくしさも、厳しい寒さも、そんな中で教えてもらったこともやさしくしてもらったことも。やっぱりとくべつかもしれない。ああ、それでも、とうとうここでの時間の方が長くなってしまったんだけど。
▲さて、オットが生まれ育った家の(あった)所に着いたものの、とうに新しいお家が建っており。幼馴染の家は駐車場になっていた。商店街を歩きながら、昔から(いまも)ある店はあそこと、ここと・・少ししかなかったけど。「あ、◯◯書店あった!」と突然明るい声あげたりして。
▲まちはどんどん変わってゆくけど、変わらないものもあって。かれが高校生のときコルトレーンのレコード■を買ったという楽器屋さんは、今も店頭にギターがいっぱい並んでおり、金管楽器も見えて、地味ながら昔からの店構えで渋い。50余年も前に衝撃的な音楽と出会えた 地元商店街のお店がいまも元気なことにカンドーする。(そういうたら、わたしが初めてLPレコード■を買ったのは、よしのから遠く 大阪は心斎橋のヤマハ楽器店でした。 )
▲いつもよりだいぶ長いキョリになったんだけど、足も痛まず弾むようなきもちで歩いて駅に。気がついたらお昼もすぎており。発車を待つガラ空きのバスに乗りこんで、ふたりごそごそおにぎりを出して海苔巻いて食べた。
そうそう、墓参帰りにいつも通るお寺さんの掲示板の書(たのしみにしてる)はこの日は漱石の句だった。
「生きて仰ぐ空の高さよ赤蜻蛉」
ええ一日でした。
*追記
その1)ずいぶん前に、若い友だちから薦められたときには「あまのじゃく」になって、読まなかった笹井宏之さんの短歌。いまごろになって作品集『えーえんとくちから』■(PARCO出版2011年刊)読んでいるところ。そして2009年26歳で亡くなってはったこともいまごろ知る。
「さあここであなたは海になりなさい 鞄は持っていてあげるから」
「それは世界中のデッキチェアがたたまれてしまうほどのあかるさでした」
その2)そして笹井宏之作品集読みながら、これを聴いています。
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