いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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2017年 04月 01日 ( 1 )

電車は臙脂色で。

夕方、母に電話をかける。 デイサービスに行く日は、母が家に帰って一息ついてる頃。家にいる日は、所在なげにベッドにごろりと横になってるであろう頃。そして、わたしは夕飯を拵え始める頃。おどけて”Hello! ”と声をかけるときもあれば、「今日はどんな感じ?」で始めることもある。

その日のお天気、母の健康状態、家族やご飯の話・・・と、たいていは、とりとめのないことを、菜っ葉茹でながら、煮物しながら、ちょっと一杯ひっかけながら、聞いたり、しゃべったり、笑うたり。
ときには母が興味もつような記事や、本の中の一文を電話口で読み上げることもあるし、このブログを更新すると「朗読劇場」と称して(笑)読んでみたりもする。

最近は活字を読むことが苦になっているようす。でも、まだまだ好奇心旺盛な94歳(誕生日までは93や~と返される!)が受話器のむこうで、前のめりになって「聞いてる」のを感じると、うれしくて頬がゆるむ。
自分の母親ながら、いくつになっても、知らないこと、新しいことを吸収しようとするところは、ええなあ、すごいなあとおもう。

で、その朗読劇場の最初のうちは「はいはい」「ふーん、そういうことか」という相槌に「あんた、うまいこと言うなあ」と、褒めことばもあったりで、ちょっとええ気になってると、そのうち「ふううう~」と長いため息が漏れ聞こえてきたりして。やがてガサガサと何かやってる音が聞こえ始めたりするんよね(苦笑)
たった一人のリスナー(!)が、うわの空なのがまるわかりなんである。

そのあまりに正直な反応に、拗ねるというより笑いがこみ上げてきて。そういうときは早々に「ご清聴ありがとうございました」と朗読劇場をお終いにする。すると「なんや?今日はもう終わりでっか~?」と返ってくるけれど。
母よ、それ、本心やないよね(笑)

でもでも。
やっぱり、声だけではね~ってことで、きのうは顔を見に、息子2と二人でよしのにむかった。そんなふうにしょっちゅうしゃべってるから、久しぶりの気がしないんだけど、考えたら半年ぶりだった。(すまん)

いつもの時間の特急はいつのまにか「青のシンフォニー」 とかいう特別観光列車になっており。その名前も姿もちょっと気恥しくてまよったけど、ちょうどよい時間に着くのがなくて「これで」と窓口で告げる。が、即「満席です」と言われてびっくり。「この電車は一ヶ月前から予約が入ってますからね」自信たっぷりの返事がかえってきた。

しかたなく次発の急行に乗ることにして、分着、となんども時計を眺めながら待っている(はずの)母に変更をしらせる。
臙脂(えんじ)色の近鉄電車に乗るのは久しぶりだ。昔この駅で高校の制服のまま友だちと(よしのから高校のある駅までの定期券はあるので)一駅分の切符買って、改札入ったとこで駅員さんに「キミらどこまで行くの?」と呼び止められたのだった。

その後、構内を見渡せる高いとこにある部屋に案内され「キミらのその制服は高校のやね。これからどこに行くの?」と再び聞かれ、おろおろと、しかしとっさに券売機でみた一駅むこうの駅名思いだして応えたんだけど。

そうして生まれて初めての「きせる」は未然にあっけなく失敗し、たまたまジッカのこともよく知っていると言う駅長さんに「お父さんが泣かはるで~」とお説教されて。定期券のある駅までの乗車券を買い直した(乗る前やったし、罰金はなしってことで)。ガッコ帰りに(反対方向の)大阪に出て高揚してた気分も一気にダウン。友だちとふたり、しょんぼりと吉野行きの電車に乗ったんよね。

駅長さんと知り合いとわかったから、あとで怒られるより、と思って家に帰って父親に話したら、あんのじょう顔まっかにして「あほか!」と大声で怒鳴られた。その父が亡くなってもう30年になる。あの日の帰り道は半泣きやったのに。あとで思い出すたびに大笑いした友だちも去年かえらぬ人となってしまって。しみじみさみしい。
けど、臙脂色の電車は今もかわらず走ってる。


▲これまで吉野行き特急に乗るときは(「シーズン」以外は)空いてることが多いから、いつも息子とは各自別席に座り、目的の駅に着くまで、ゆったり座席で本読んだり寝たりするんだけど。
きのうは急行の長椅子に横並びに座って、ぽつりぽつりと映画の話や本の話をし始めた。お互いこの間観たところやった『オーバーフェンス』
での蒼井優の話から息子が「いちばん」という『そこのみて光輝く』、わたしが「やっぱりこれ」という『海炭市叙景』へ。ドキュメンタリーは『Fake や『はじまりはヒップホップ』 のことなど。

電車が停まるたびに駅名をたしかめた。
「尺土(しゃくど)」「葛(くず)」「薬水(くすりみず)」「大阿太(おおあだ)」・・と、改めて駅名(地名)の語感をたのしむ。わたしには馴染み深い駅名も彼には初めてのようで。
そういうたら「浮孔(うきあな)」って駅から乗ってくるクラスメイトもいたなあ~とおもいだす。

車内は中高年のハイキング客のグループが乗ってはる他は空いており。
そのうち緑濃いまちへと入って。家を出るときは青空やったのに、どんどん灰色のしずんだ空にかわってゆく。ときおり見える山のなかの桜のほんのりピンクとか、薄曇りの吉野川とか。ちょっと時間はかかったけど、わたしのすきな風景とともに思いの外たのしい道中となった。

母は会うたびに小さくなる。

電話でしゃべってるとき、わたしはもうちょっと若いころの母を思い描いてるんやな、と気づく。背中はまるく、歩幅もせまくなって、手がつめたくて。椅子にちょこんと俯きかげんに座ってるのをみると、なんだかせつなくなる。

部屋のベッド脇の壁にはわたしの旧友の描いた絵が掛けてあった。
そのむかし「あんたも、あんたの友だちも変わってる」と苦笑いしてたその友だち(
うらたじゅん)の作品「中之島図書館」だ。じぶんの娘のように母が彼女の画業や手紙のことを、誇らし気に話すのを聞いてうれしい。

70歳のとき、13年ぶりに10人目の孫(つまり息子2)が生まれて。世話をしに厳寒期の信州 開田高原に来てくれたときの話は、会うたびに登場する。
何回も何回も聞く「ほんま寒かったなあ」という思い出話は「あの廊下とトイレの冷えたこというたら」「この子ほんまにかいらしかったなあ」「大きいなったなあ」「元気にしっかりきばってや~」とつづくのであった。

▲やがて帰りの電車の時間になって、わたしも、息子も母とハグ。「送っていきたいけど、ここでごめんやで」と別れる。そういうたら、この家に越してきたころは橋を渡ったとこまで歩いて送ってくれたんよね。

玄関を出て、ふと上を見上げたら2階の窓から身を乗り出すように母が「気ぃつけて帰りや~」と手を振って。庭の桜古木はまだ蕾だった。

*追記

その1

今回のよしの行きでは、もうひとつ「ええ時間」がありました。
2
年前、中学校カンレキ同窓会で40数年ぶりに再会したクラスメイト~なんとその息子さんと、SNSを通じてつながって何度かメールのやりとりをしたのですが、ふと思いだして某所をたずねたら会うことができました!

共通項は音楽で。

初対面で243262歳が「話せる」んやから、音楽ってすごいね、ええねえ。うれしい。おおきに。よしの行きのたのしみが増えました。

その2

帰りの車中ではふたりとも爆睡。
途中駅で息子は京都に。わたしは何度目かの『トリエステの坂道』
(須賀敦子著 新潮文庫)を。読みながら坂のある街で育った遠くに住むふたりの友人のことを。それから、須賀敦子や内田洋子の本がすきやったイタリア好きの高校の友だち(前述の)を思っていました。

【丘から眺めた屋根の連なりにはまるで童話の世界のような美しさがあったが、坂を降りながら近くで見る家々は予想外に貧しげで古びていた。裏通りをえらんで歩いていたせいもあっただろう。(中略)
軽く目を閉じさえすれば、それはそのまま、むかし母の袖につかまって降りた神戸の坂道だった。母の下駄の音と、爪先に力を入れて歩いていた靴の感触。西洋館のかげから、はずむように視界にとびこんできた青い海の切れはし。】
(同書 表題作p1920より抜粋)

その3

↑にも書いた映画『はじまりはヒップホップ』~

「音楽」や「ダンス」で、自分を表現すること、それを観て(聴いて)もらうことで、若いひとたちとも同じ場所に立ってつながってゆける~まえに観た(よかった!)『ヤング@ハート』のようなドキュメンタリー。

印象にのこったのは、メンバーの中、最高齢(94)のメイニー。シングルマザーで5人のこどもを育てた彼女~若いころ核武装に反対のピースウォークにNZワイヘキ島から500人を連れてアメリカ・ワシントンDCに行ったというエピソード。頼もしい!
公式HPのなか「登場人物」を見るだけでも、ほんまにいろんなジンセイがあるなあと思う。おもしろいです。


その4)

地下鉄にのりかえた頃からぽつりぽつり雨で。この動画おもいだしてた。(前にもはったことあるけど再度)

Sparklehorse - Apple bed


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by bacuminnote | 2017-04-01 11:04 | yoshino | Comments(3)