いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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ただの年。

▲12月31日、朝。
ええ天気。冬の青空がほんまにきれいでうれしくなる。
「ふらここや空の何処まで明日と言ふ 」(つつみ眞乃)
ふらここ(ブランコ)は春の季語だけど、年の暮れに空を見上げるといつもこの句をおもいだす。

▲こどもの頃はおこたでテレビ「紅白」につづいて「ゆく年くる年」を見てたから、除夜の鐘の音のあと、司会者の「あけましておめでとうございます」が年を越したという「合図」だったけれど。
テレビの途中トイレに立って、ふと窓からみた真っ黒な空のどこかに線が一本あって、ここから今年で、あそこからは来年、ってなってるんやろか?と、じいっと眺め入ってたんよね。

▲今年はつらいことの多い一年だった。
昨年末から起きた膝痛から始まって(おかげさまでこれはその後だいぶよくなりました)、長いブランクのあと還暦を機に再会した同級生たちが、思いもかけずかけ足で遠いとこにいってしまった。それに、十代のころからずっと聴いてきただいすきな(というかわたしにとって大きな)ミュージシャンも次々と旅立って行った。
ひとにはいつか誰とでも別れがあることは、わかってる。そのつもりやったのに。おろおろしてる自分に「しっかりせんかい」と言い聞かせる。

▲けれど、一方では出会うことの多い一年でもあった。
近く遠くの友人たち、なかにはリアルに会うのは初めての方もいて。愉しくかけがえのない時間をすごした。
そして本も映画も音楽も。しょんぼりするわたしを何度もたすけてくれた。
膝痛がすこし落ち着くと、杖持参であちこちに出かけた。映画館に、講演に、そしてだいすきな人たちに会いに。

▲この国だけじゃなく世界のあちこちから耳に入るニュースは相変わらずひどいものばかりで。
我慢ならないことは、この国の総理大臣というひとが発することば。嘘に嘘を重ねて平然と発するそれは、ことばを冒涜していると思う。
こどもたちが彼のスピーチを聞いて、ことばが本来もつ意味を取り違え、ことばとはなんとあてにならない空疎なものなんだろ、とことばを軽んじるようになるのではないだろか。

▲さて、朝から書き始めたのに、洗濯物ほしたり買い物に出たり、洗い物したり、数の子塩抜きしたり、大量に牛蒡のささがきしたり(今夜は鴨鍋なり)、息子ふうふと、飲んだり食べたりしゃべったりしてるうちに、今日(今年)もあと少し。
結局書きたかった本のことは書けずじまいで、「線のむこう」に行ってしまいそうです。

▲今年もつたないブログを読んでくださって、おおきに。ありがとうございます。
2017年こそ佳き年になりますように。
だれにでも温かいねぐらがありますように。
ちいさいひとたちが(おおきいひとたちもまた)笑顔ですごせますように。

「只の年またくるそれでよかりけり」(星野麥丘人)
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by bacuminnote | 2016-12-31 23:56 | Comments(2)
▲久しぶりに風邪をひいて寝こんだ。
熱もなく咳もなく、くしゃみ鼻水だけが延々続くだけなのに(だから、最初は花粉症かと思ってたんだけど)からだの芯に力が入らず、ついつい「ああ、しんど」と口に出る。このこらえ症のなさは歳のせいやろか。そして、「弱り目にたたり」(苦笑)というわけで、何年ぶりかで眼科に。「風邪とアレルギーも両方ですねえ」とのこと。だぶるぱんち!

▲それでも、しんどいと思ったらすぐに横になれる(いま)は、ほんまにありがたい。パン屋やってたときも、子どもが小さかった頃も「しんどい時に寝る」という当たり前のことが、なかなかできなかったもんね。ただ、自分ちが仕事場のわたしは、一仕事しては寝る。また起きて仕事、ということもできたんやけど。

▲おなじ自営業でも母はわたしが子どものころ、それがかなわなかったのか、寝込んでた記憶は一、二回しかない。
風邪ひいてガッコ休んだ日。お昼すぎになって熱が少しさがってくると退屈で、こっそり起きだして本を布団の中にもちこんだり、「おかいさん」(吉野の茶粥)ではお腹がすいて台所をウロウロして母にみつかると、「早う大人しい寝てきなはれ」と怒られた。
そんで、ひとりごとみたいに「あああ、わたしも誰かに早う寝てきなはれ~っていっぺん言うてもらいたいわぁ」と笑いながら、また仕事にもどってゆくのだった。

▲いま同じように内でも外にでも仕事をもち、子どもが小さい家のお母ちゃん(お父ちゃん)に思いを馳せる。
最近は同世代の友だちらが「娘が、孫が・・」と病気のときの助っ人に活躍してる。「おばあちゃん」が来てくれて、ほっとしている若い家庭が浮かぶようで。ほんまによかったなあ~と思う。
その一方で、頼れる人がそばにいない家庭では、やっぱりお母ちゃん(お父ちゃん)はしんどくても休めないんやろなと胸がいたむ。

▲むかし(前に一回ここにも書いた気がするけど)若い友だちに聞いた彼女のママ友の話。
保育園は子どもが37度をこえると預かってもらえないから、朝、解熱剤で一旦熱を下げて登園する。うまくいけば、一日熱は下がったままで親は仕事ができる。解熱剤の薬効がきれて(ちょうどお昼ごろ)熱が上がって園からの呼び出しがあっても、午前中の仕事を終えたあとだと「早退」もしやすい~と。

▲びっくりするわたしに彼女は言う。
「でもね、近くにおばあちゃんや子どもみてくれる人もいないとか、いても仕事もってたりすると、そうするしかないんよ」
おかしいよね。ていうか、この国の子どもをとりまく環境は(も)おかしいことだらけ!
保育園が足りない、保育士が足りない、だけやなくこういうときのサポートする仕組みもなくて。

▲そんなことを思いながら、そろそろ暑く感じ始めた冬布団の中で、かっかしたり、ため息ついたりしているうちに寝入っては目覚めをくりかえして。
夕方洗濯物をとりいれるのに庭にでたら、お隣の八重桜が知らんまに満開になっていて、濃いピンクのぼんぼりが細い枝には重たそうなくらい一杯で。
バスタオルやパンツを腕にかけたまま、しばらくぼぉーっと見上げてた。

▲そういえば、吉野山にお花見に行くというてた友人二組はそろそろ下山の頃かな。
今年の吉野の桜は早くて、そろそろ散り始めてるみたいやけど、日曜日やし、ええお天気やし、すごい人出なんやろなあ~と心配になる。
どこでもハイシーズンの観光地って、ええかげんな接客とか、がっかりすることがよくあるから。
「吉野に桜見に行こうと思うんやけど」と友人知人に声かけられるたびに「春はやめといたほうがええと思う」と水をさすわたし(苦笑)すきなひとの一番ええとこを、友だちには見てもらいたいきもち、やろか。

▲夜になって、一組目からメール。
「強烈な人混みの中。せやけど、きれいやったから大満足です」「次は静かな季節に山々を楽しむ歩き方をしたいです。ほんまにええとこやね」
山歩きの好きな友人らしい文面に、そして「大満足」「ええとこ」に頬がゆるむ。
しばらくすると、もう一組の若い友人のメールとツイートにも、人は多かったけど行ってよかった感満載で、ほっとする。

▲彼女のツイートには駐車場でのエピソードが写真つきで紹介されていて。
ワイパーに挟んであったという手書きのメッセージ。これが一台づつにあったそうで。
「お帰りなさい。お先に帰らせていただきました。(中略)お車を出したあとロープを元に戻しておいてください。本日はありがとうございました。お気をつけてお帰り下さい。スタッフ一同」
メールにはその日出会った吉野の人らがみな親切であけっぴろげでいい感じやった~とあって。

▲直接ではないけど関係者でもある旧友に知らせたくてさっそくメールする。
観光にかかわる家業のもとで大きくなって、お客さんに当たり前と思うことをしただけでも、うれしい反応を聞くと、「よかった!」と思うから。してもらって「うれしかったこと」はちょっと照れくさくても思い切って「伝える」ことにしてる。
彼からはすぐに「うれしいメールありがとう!」と山の桜の動画付きで返事があった。(わたしまでお花見させてもろた。おおきに。)

▲そういえば、前に『ひとりの午後に』(上野千鶴子著)で、著者のふるさと金沢への思いを読んで、共感したことを思い出した。(ここにも書きました)
【とりわけ金沢という街は、過去が澱(おり)のように溜(た)まって、変化を拒む土地がらだ。ものごとが堆積し発酵する、腐臭すれすれの匂いがする。】

ふるさとゆえにきびしくどこか屈折した眼でみてた地。わたしも六十すぎて、絡まった糸がようやく少しづつ解けてきたんやろか。遠くのひとにほめてもろて、うれしいはずかしいうれしいきもち。

▲そうそう。駐車場のことおしえてくれた彼女は、なんと某所にてわたしの姉と会う(もちろん、その時はどちらも「わたし」つながりとは つゆ知らず)というサプライズまであって。あとでわかってびっくりしたり大笑いしたり。
そんなこんなを相方やら別の友人やら、姉に母に、としゃべりまくって、久しぶりに吉野、吉野の時間なり。

▲そして、ふっとおもう。
もし「わたし」を介して会えるんやったら、この春遠いとこにいってしもた友だちが、もっと前のやっぱり春に 駆け足でいってしもた友だちとあえたらええのに。「あの子は食い意地はってるわ、しゃべりやわ、で、どうしようもなかったな」と、はじめましての挨拶もそこそこに、空からわたしのことクサして笑うてビールで乾杯してくれるとええのに。
春はいつもにぎやかでさみしい。
「花びらの空に遊びて降りて来ず」 
(長谷川櫂句集『吉野』櫻花壇(六))



 *追記
その1)
よしのの時間といえば、ちょうど同じころ旧友と前登志夫さんの話に。そういえば桜の今ごろ亡くならはったんでした。(→ここに書きました)

その2)
きょう書くつもりで、書き始めたブログやったんですが。時間切れ(苦笑)
高山なおみさんの本三冊。
料理研究家という肩書ゆえに、これまで素通りしてたけど(!)料理とひとの話はどれも著者の誠実な(たぶん)ひとがらがにじみ出て。うそがない。このひとの拵えるごはんは旨いやろなと思いました。
『フランス日記』『帰ってから、お腹がすいてもいいようにと思ったのだ。』『たべる しゃべる』

その3)
おなじく書きそびれたけど、観た映画(DVD)
『マルガリータで乾杯を』かんたんによかったぁ~と言える内容じゃないんだけど、若い女の子の(前に「障がいのある」という説明がつかなくても)きもちに同調したり反発もしたりしながら~(もちろん差別や偏見に立ち止まって考える作品でもあるのだけれど)これは青春映画やなあと思いました。若いって、時に残酷でエキサイティングで、やわらかでもあり、カチンコチンであり。おもしろくてせつない。

予告編(例によって、日本語字幕ない版です→英題は”MARGARITA, WITH A STRAW”
「脳性まひ」のことは以前読んだ『わたしのこころのなか』ここに書きました)や、映画では『オアシスby wiki(イ・チャンドン監督)が印象深く残っています。この映画もう一回観てみたい。

その4)
その3で書いた映画をみたあと、”マンモインタビュー”を読んだらたまたま車いすユーザーの方でした。入院中の子どもの教育のことなど、当事者の発言ゆえ、知らなかったこともふくめよけいに響きます。

樋口彩夏さん「思いを率直に伝えれば、必ず伝わり変化する」→

その4)
きょうはこれを聴きながら。
Nina Simone - The Amazing Nina Simone - 05 It Might As Well Be Spring →

JUNE TABOR - He Fades Away→
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by bacuminnote | 2016-04-13 23:30 | Comments(0)
▲ちょっと前までは、デパートの秋冬ものをただ見ているだけでも暑苦しく感じたのに。今日は買い物帰りに、マフラーやショールの売り場で立ち止まってしまった。
赤や明るい色に手が伸びるのは、灰色の世の中や今日のお天気のせい?それとも、わたしの年ゆえか。
で、見るだけのつもりが、魔が差したのか(苦笑)高校生みたいな赤いチェックのマフラーを買ってしまった。

▲わたしの中高生くらいの頃はまだ 手編みのマフラーを彼に、というのが「愛の贈り物」ナンバーワンだったんよね。だけど、その頃のわたしは「手編みのマフラーなんか
貰ったら 重たいで」と かわいげのない事を言うており。いや、そもそも縫う、編む、は大の苦手。もっと重要な事は そんな贈り物をする相手もいなかったんだから、ほんま お話にならんのやけど。
教室の窓辺 秋のやわらかな光のなか、器用に編み針を動かすクラスメイトを「すごいなあ」と「なんやのん」の入り混じったきもちで、ちょっと離れたところから眺めていたことを思いだした。

▲そういえば、たしか中学の家庭科の授業に「編み物」の単元があって。(まだ男子は技術家庭科、女子は家庭科、と男女別の授業の時代だ)このときばかりは「眺めて」ばかりもいられず。その苦行のような時間は、理科や数学以上だったかもしれない。
とにかく授業中は必死でがんばってるフリをし、家に帰ると忙しい母に無理を言って手伝ってもらって宿題をしていく、ということを繰り返していた気がする。そのうち「単元」がおわるだろうと思っていたら「まとめ」に、冬休みにはいろんな編み方を5cm四方で編み、台紙に貼り付けて出す、というわたしにしたら、ものすごく難易度の高い宿題が出た。

▲表編み、裏編み、ガーター編み、ゴム編み、メリヤス編み・・・
ああ、今これ書いてるだけで頭がくらくらしてくるなあ(泣)
ただでさえ忙しい年末年始に、こんな宿題を母に手伝ってもらえるわけもなく、何とか自分の力で、と決心したのもつかのま・・・クリスマス、大晦日、お正月、と 冬休みはせわしなく、たのしく、矢のように過ぎ。いよいよ明日は始業式、という日になった。

▲宿題は、チャレンジしてみたものの、やっぱりうまくいかず、ほったらかしたままになっていた。家のすぐ近く、何をするにも一緒だった一つ年上のNちゃんに話したら、彼女が去年同じように提出した宿題を出してきてくれた。台紙から彼女が編んだものをはがして、新しい台紙にはりつけたらどうやろ、という事になったのだ。
そして、几帳面で手先が器用な彼女は張り替え作業!までも(とろとろしているわたしを見ていられなくて)手伝ってくれた。
何故、正直に「できませんでした」が言えなかったのかなあ、と今になったら思うけれど。その家庭のセンセはそれはもうこわい存在で有名で、とてもそんなことを言い出せる空気じゃなかったのだろう。

▲40年近く経っても、そのときの(ズルをしてしまったという)晴れないきもちや、Nちゃんのあつい友情への感謝!や、きれいに貼り付けた台紙をあざやかに思い出す。
たしか毛糸はえび茶色だった。
その毛糸でお母さんが編まはったカーデーガン姿のNちゃんがうかぶ。
それにしても。
件の提出物、センセにはきっとバレバレだったのだろうな。

▲編み物と言えば、もうひとつ。
相方が修行のため、パン屋で働き始めた頃のこと。わたしは子ども服の会社の倉庫、物流センターにアルバイトに行っていたのだけど、仕事の初日に手渡されたのが、なんと編み針で。
倉庫でのピッキング(注文のあった商品を揃える)、検品、値札付け、というのが仕事内容のはずだったのに、と一瞬真っ青になった。(はずだ) あとから主任の説明で、それは値札付けに使うものだとわかった。

▲ジーンズや生地のしっかりしたものにはピストルと呼ばれる道具で、タグピンつけをするのだけれど、薄物やニットなどはボタンホールや首のネームに糸のついた値札やタグをひっかける。それにかぎ針を使うわけだ。
これは不器用なわたしでもすぐに慣れたので、ほっとした。今でも、ときどき買った服や下着に糸つきのタグを見ると、いつも作業服のポケットにかぎ針を入れていたあの頃のことをなつかしく思い出す。わたしのジンセイで一番長く編み針を握っていた時期だ。

▲さて、これを書いている間も、窓の外はつめたい雨が降り続く。えらく冷えるので昼食は熱々のにゅうめん。それに掘りごたつの準備もした。もう、10月もおわりなんやもんね。この時期、きまって書くことば『秋立ち 秋闌(た)て 秋仕舞う』(闌とは たけなわ、終わりに近づく という意味)そう、言うてる間にまた「ああ、寒ぅ」の季節がやってくる。マフラーの出番ももうすぐだ。
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by bacuminnote | 2008-10-26 13:21 | Comments(0)

すべてのこどもたちに。

▲いつまでも窓の外が明るいので、機嫌よく掘りごたつに足つっこんで(もちろん電気はオフ。これからの季節は、ここに足を入れるとひんやりして気持ちいい)寝ころんで本に読みふけっていたら、5時をとうに過ぎていてびっくり。いつまでも冬のような気分ですごしていたら調子がくるう。
体調も然り、である。暑かったり肌寒かったり時々刻々変化の春に、からだがついてゆけなかったのか、連休の間はずっと風邪で寝込んでいた。あんなに長いこと 起きあがれなかったのは初めてかもしれない。ちょっとくやしい気もするけれど、その回復が遅いのは 姉や友人もみな口を揃えて言うようにやっぱり「年のせい」なんやろな。

▲ほんまにしんどい時は食べ物も、人の話し声も、音楽も受け付けられないし、本も読めないんだけれど。
ちょっと元気が出てくると、台所から ああでもない、こうでもないと相方と息子がご飯の支度する物音や、どこか遠くで幼い子のはしゃぐ声も、それに道路を走る車のごぉーっという音さえも「もぉ、うるさいなあ」ではなく愛おしいようなきもちになる。
そうして、子どもの頃の「たいしてしんどい訳じゃなかったけどガッコを休んだ日」のちょっとだるいような、昼下がりの長い時間と、そんな日には飲ませてくれたサイダーの鼻につんとくるあの感じを思い出したり。
ああ、治ってよかったな。何より元気になるまでゆっくり寝ていられることが ほんまにありがたい。病気になっても回復するまでゆっくり休める、そんな「当たり前」のことが かなわない人がどれだけたくさんいることだろうと思いつつ。

▲さて、そんなこんなで「子どもの日」に書こうとしていたことが遅れてしまったのだけれど。
先日インターネットで調べ物してるときに「児童憲章」に出会った。
初めてわたしが児童憲章なるものを知ったのは28年前のことだ。
市役所でもらった『母子健康手帳』をさっそく帰りのバスの中でぱらぱら見ていたら、裏表紙に書いてあるのを見つけて、胸があつくなった。
だけど、もう長いことその存在すら忘れそうになっていたので、改めて何度も読み返しやっぱりじんときた。

▲敗戦後の混乱や窮乏の残る1951年に、子どもの自由と開放をめざしてこんな憲章が発布されたなんて。ほんとうにすばらしい。
だけど、いま、この環境を保証されている子どもたちがどれくらいいるのだろうか。子どもにとって「当たり前」の環境のはずが、その現実はあまりに遠くて(遠すぎて)かえって虚しく思えたり、考え込んでしまう。いや、でも、だからこそ、忘れないように、全文を書いてみようとおもう。

▲われわれは、日本国憲法の精神にしたがい、児童に対する正しい観念を確立し、すべての児童の幸福をはかるために、この憲章を定める。

児童は、人として尊ばれる。
児童は、社会の一員として重んじられる。
児童は、よい環境のなかで育てられる

一、すべての児童は、心身ともに、健やかにうまれ、育てられ、その生活を保障される。
二、すべての児童は、家庭で、正しい愛情と知識と技術をもつて育てられ、家庭に恵まれない児童には、これにかわる環境が与えられる。
三、すべての児童は、適当な栄養と住居と被服が与えられ、また、疾病と災害からまもられる。
四、すべての児童は、個性と能力に応じて教育され、社会の一員としての責任を自主的に果すように、みちびかれ る。
五、すべての児童は、自然を愛し、科学と芸術を尊ぶように、みちびかれ、また、道徳的心情がつちかわれる。
六、すべての児童は、就学のみちを確保され、また、十分に整つた教育の施設を用意される。
七、すべての児童は、職業指導を受ける機会が与えられる。
八、すべての児童は、その労働において、心身の発育が阻害されず、教育を受ける機会が失われず、また児童としての生活がさまたげられないように、十分に保護される。
九、すべての児童は、よい遊び場と文化財を用意され、わるい環境からまもられる。
十、すべての児童は、虐待、酷使、放任その他不当な取扱からまもられる。あやまちをおかした児童は、適切に保護指導される。
十一、すべての児童は、身体が不自由な場合、または精神の機能が不十分な場合に、適切な治療と教育と保護が与えられる。
十二、すべての児童は、愛とまことによつて結ばれ、よい国民として人類の平和と文化に貢献するように、みちびかれる。

1951年(昭和26年)5月5日制定


*追記*

児童憲章について 
『この児童憲章とは、すべての児童の幸福をはかるために、児童の基本的人権を社会全体が自覚、確認し、その実現に努力する目的でつくられた12か条の文章です。1949(昭和24)年中央児童福祉審議会で制定しようという意見が出て、これをきっかけに直ちに児童憲章制定準備委員会が設立、1951( 昭和26)年には、55名で構成された児童憲章草案準備会の手で草案が練られました。この草案を、内閣総理大臣が、国民各層から選んだ協議員からなる児童憲章制定会議に提出し、その決議を経て、その年の5月5日、子どもの日に宣言されました。ただし、法律として国会において制定されたものではありません』 「大人のために児童憲章」求龍堂刊 より
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by bacuminnote | 2008-05-08 20:44
▲きょうは晴れ。
このところ、うっとうしいお天気が続いてたから、朝 雨戸の内側の桟がすこぅしぬくいとうれしくなる。がが~っと勢いつけて雨戸をあけて ぬけるような青空が目に入るともっとうれしい。
花を育てる、ということをしていないので、いまの時期は緑の濃淡とわずかに南天の赤・・と色の少ない庭なんだけど。
今日窓を開けたら紅梅のちっちゃな赤いつぼみがいくつも見えて、おもわず「わあ」と声が出て頬がゆるむ。

▲そういえば、友人が今時分に彼女の実家近く 湘南の産院でお産したとき、庭の白梅がそれはみごとだったので、娘のミドルネームは「梅」だなと思ってた~って話してたことを思い出した。(←彼女んちは皆日本人なんだけど、子どもにミドルネームつけて楽しんではるのでした)
じつは彼女と同じ日にわたしも息子を木曽にて出産。信州では梅などまだまだ先の話で。その日もやっぱり寒く雪の舞う日だった。病室の窓からは一面真っ白、凛とした雪景色がしずかできれいだった。

▲上の子のときから数えて13年ぶりのお産は、予定日をはるかに越え(だから件の友人ともまさか同じ日に出産となるとは思ってもみなかった)
当初希望し準備していた自宅出産じゃなく、病院で点滴受けながらのものだったけれど。
病院は新しく、看護師さんも助産師さんも皆やさしくていねいで、あたたかく。こどもも元気に生まれてきて「ええお産」やったと思っている。

▲初産のときは大阪の病院だった。
まだ夫の「立ち会い出産」というのが一般的でなかった頃で、相方の「お産に立ち会いたい。できたら写真を撮りたい」(この頃 はカメラマンだった)という申し出も簡単に断られたし、わたしが陣痛室に入るや追われるように外に出されて。
あとで「がんばって」と手紙を渡してくれ、うれしかったり痛かったりで泣いたっけ。
13年もたつと病院の雰囲気も対応もずいぶんと変わっており、むこうから「お父さんはお産に立ち会われますか?」と聞いてくれはったのでおどろいた。

▲結局この日 相方は立ち会わなかったんだけど、分娩室に入るまではいっしょにすごした。とはいえ、ケッコン14年目、初めてのときとはちがって二人ともええ年になってたからか、結構落ち着いており。陣痛に唸るわたしを相方はベッドの脇に立って、ドクターみたいに腕組みしてモニター見ながら「うーん。今のは、たいした痛みとちゃうやろ」とエラソーで。「何言うてんの?本人が痛いって言うてんねからイタイの!」といつもの調子で言い合ってた。
それでも「おなかがすいた」と言うたら、雪の中パン屋に行って菓子パンを買ってきてくれて、うれしかったんよね。(←ウチは甘いパンは焼いてへんパン屋やったから、菓子パンなんてめちゃ久しぶりでカンゲキした)

▲あの日から15年。
「梅」という家族限定!ミドルネームをもつ、えがおのすてきな少女も。
何回もはらはらしながら遠い病院に走ったのがうそみたいに、いまは病院に行くこともなくなった rockと本と映画好きの少年も。
二人ともずいぶん大きくなって反抗期と思春期とそして空腹期のまっさかりだ。

▲去年の今頃のこと。 ひこ・田中さんに息子の誕生日のことをメールに書いたら「おめでとう」と共に「ゆっくりと大人になっていってください」とメッセージをいただいて、はっとした。
ただただ「早う大きくなってほしい」とばかり思って来た、から。
だから、ひこさんのことばに心底どきんとした。
けど、ほんまそのとおり。
いろんなところに行って、いろんなものを見て、いろんなひとに会い、こどもたちよ、
あわてんでもええ。
ゆっくり大人になっていってください。
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by bacuminnote | 2008-02-05 23:46
▲今日は朝からずっとだいどこ(台所)でした。
明日のこと、あさってのこと思いながら、おでんを大鍋に仕込んだり、煮豚を作ったり。数の子の塩抜きやらいろいろしていたら、夕ご飯の時間になったのに、かんじんの今夜食べるものが不明となり(苦笑)

▲そうこうしてるうちに相方が数の子(昨日塩抜きした分)、岩津ネギのオリーブオイル炒めで飲み始め。下の子はポークチャップとご飯を食べて「まだ足りない」と 年越しそばのかわりに作った煮麺を食べ始め、そこに出先から帰った上の子がおいしい醗酵バターを買ってきたから、とバゲットを切り、そういえば うまいサラミがあったし、と切って。なんだかぐちゃぐちゃの夕ご飯となったけど。ひさしぶりに親子フルメンバーの食卓はにぎやかで、あたたかい。
まどの外は頬をさすつめたい風。とてもとても強い風が吹き抜ける。彼の地では雪が降り積もっていることでしょう。ここに来てようやく「年の暮れ」を実感します。

▲さて、あと2時間で2007年もお仕舞い。今年もおつきあいくださって ありがとうございました。
『父祖の地に闇のしづまる大晦日』 (飯田蛇笏)
世の中はとんでもなく、サイテーなことばかりの一年だったけど。
それでも。
闇のむこうにある(はずの)灯りを信じたいです。
来年こそ、よき年でありますように。
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by bacuminnote | 2007-12-31 22:11
▲連休・クリスマスとすぎたら、こんどは「年末」でショッピングセンターの人出は相変わらず多い。
お正月も普段と大して変わらない我が家の食卓なのに(苦笑)スーパーやデパートの食品売り場で、紙にびっしり書き込まれたメモを握りしめて買い物してはる人がそばにいると、その熱気と勢いに乗せられてつい「あれも、これも」と買ってしまうのが、コワイ。

▲で、一昨日はひさしぶりに黒豆を買ってしまった。甘いお豆さんはちょっとあったら十分と、いつのまにか作らなくなって、たまに瓶詰めを買ったりしていたのだけど。乾物売り場で年輩の、いや、台所のセンパイの貫禄十分な女性二人の「お豆さん談義」を聞くともなしに聞いてたら、なんでか「わたしも」という気にさせられて、カゴに入れてしまったのだった。

▲お二人がしゃべってはった通りのやり方で(笑) 煮る豆の甘くていいにおいが家じゅうにひろがる。
「今日食べないもの」をこしらえているときは、なんとも豊かなきもちだ。
というか、時間ときもちに余裕のないときは、今日、いま、すぐに食べるものを作るのが精一杯。そうした方がおいしくなることはわかっていても、一晩おく、火を入れながら三日目に食す、なんてことできないから。そんなときは「作ってくれるだけでおおきに、と思ってほしいわ~」と件の二人組も互いの「相方」のことをぼやいてはったっけ(←同感!)
そんなことを思い出しつつ、ことこと とお豆さんが煮上がる 湯気のたつ台所で 小さな椅子に腰掛けて本を読んでいる間にも・・・年は暮れてゆく。

▲「ひさしぶり」といえば。
もうずいぶん長い間 年が明けてから一枚づつ書いていた年賀状を、今年はひさしぶりに早目に書いて、お正月の三が日には届くようにして、みなをびっくりさせよう(そんなことでだれも驚かないか?・・・苦笑)と思い、せっせと手書き。ちょっと書いては投函してたのだが、クリスマスの日のこと。義母のところに出かけ帰ってきたら友だちからメールが届いていた。件名は「早々の」である。ん?何やろ?と開けてみたら「年賀状ありがとうございます」と書いてあるではないか!

▲え~っ!? 何?なんで?この前投函した第一便のアレ、アレがもう着いてしもたん?
一瞬血の気がひくも、気をとりなおして友だちにソッコウ電話をする。
「年賀状って書いたポストに投函したのに、なんで今頃着いてしもたんやろ?」と言うと、郵便局でバイト経験のある友だちの相方が「あのポストカードには『年賀』って書いてへんかったやろ。なんぼ内容が「新年おめでとう」でも局員は書面を読んだらあかんからな、お年玉つき年賀状か、あるいは年賀って朱書きしてるか、年賀用の切手はってるか、でないと普通郵便の扱いするねん」

▲そ、そんなんこの年になるまで知らんかったよ~ 受話器のむこうで友人が大きな声で笑うてるのが聞こえる。
手紙やはがき好きのくせに、そんなことも知らんかったのである。
「せっかくサプライズねらいで選んだポストカードも台無しやんか~」と嘆いたら、
友曰く「いやあ、じゅうぶんにサプライズでした」
とまれ。この友人夫妻は身内も同然やから笑われても苦にならんが、第一便コースには敬愛する、あるいは師とあおぐ、あのお方、このお方 宛てに、ちょっと気取って書いたものも入っていたはず・・・ううう、かなしい。

▲もちろんお年玉つき年賀はがきで書いたのもあるし、中には気まぐれに 判読できないような字で「年賀」と(そこに赤があったほうがキレイかな・・・という「差し色」的文字として)書いたのもあるので、全部が全部 年内に着いてはいないと思うけど・・・。
手紙もはがきも、書いたことのないような相方にまで「オレでも知ってるのに~」とばかにされ「まあ、年末に着いたら目立ってええがな~」となぐさめにもならん事言われて しょんぼりしている。

▲別の友人にこの顛末をメールしたら「毎年クミちゃんの年賀状は三が日すぎて届くのが恒例で、けっこう楽しみやってん。それにお正月の様子やら思いやら書いてくれて、これが正に年賀状やってんな~って思っててん」と返事が来た。
そうかぁ。あんな走り書きのはがきをよろこんでくれる人もあったんや~とまたもや凹むのであった。・・・と、そんなわけでこんな 粗忽者のわたしですが
「今年もどうぞよろしくおねがいします」(笑)
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by bacuminnote | 2007-12-29 11:50
▲夕方ジッカの母と電話で話していたら、おわりがたには決まって「で、今晩あんたとこ 何するん?」とくる。そして、自分から質問したくせにわたしの答えを待たないで「あ、また、鍋でっか?」と言うや おもしろぅてたまらんという風に笑うのである。
「お母さんって、ウチとこがいっつも鍋ばっかりしてると思ってるんやろ。けど、残念でした。今日は鍋とちゃいます!」と娘はきっぱり返事するのだった。
が、昨日は・・・鍋でした。(苦笑)

▲夕暮れ時の空の色も、街路樹の赤や黄色のはっぱの散り具合も、そして4時をすぎると急にやってくる冷え込みも。ああ、季節は「鍋」登場にふさわしい。
そして、これからは母の言うように「また鍋でっか~」の夜がふえるわが家だ。
けど、かの高浜虚子さんかて うたってはる。『又例の寄せ鍋にてもいたすべし』

▲秋とは思えない陽気が長いこと続いたから、わけわからんようになったけど、いつのまにやらカレンダーもあと残り一枚になってしもた。
もう11月。今年はほんまにいろんなことがあったなぁ。 哀しいこともうれしいことも。泣いたり笑うたり。であったり、わかれたり。
せやから、あと二ヶ月は静かに、ゆっくり、おだやかに暮れてゆきますように、と思いながら 鍋に入れる肉団子をねちねち、くるくると丸めた。もうもうと湯気のたつ鍋。ごま油の香ばしいにおいに満ちて、夕方のだいどこ(台所)はあったかい。

▲先々週の土曜は東京で息子とガールフレンドに会い、翌日曜は姪の結婚式で横浜にいて、火曜日は京都で友人の写真展に、木曜は相方のお母さんちを訪ねて、土曜日は叔母の四十九日の法要で吉野に。
この間(かん)乗った電車もじつに新幹線・山手線・京王井の頭線・東急東横線・横浜線・東海道線・阪急京都線・近鉄南大阪線、そして地下鉄御堂筋線。ふうう。まるで一生分の電車に乗ったような気分だ。
息子たちが連れてってくれたすてきなイタリアンに、姉夫婦が皆を招いてくれた和食のお店。結婚式ではフレンチ、とごちそう続き。めずらしくて、おいしくて、カンゲキの完食(ふとった・・・はず)
友人の写真展ではあたらしいであいもあったし、どの集まりもたのしくて、とてもいい時間だった。

▲そういうわけで、ほっといたら何日でも家でいる出不精がちょっと考えられんくらいに動いたもんで、ここ数日はぼーっとしていた。 聞いてもらいたいことも、書きたいこともいっぱいあって。それなのに、あまりにきもちがあふれると、ことばってなかなか出て来ないんよね。
だから「とり散らかった部屋の中で、何から手をつけてよいかわからず茫然と立ちすくむわたし」状態が続くのであった(苦笑)

▲そうして、今日は朝から整体院に行ったのにシャッターがおりていて。(ぼーっとしてたせいで、今日が臨時休業と聞き、明日に予約を入れておいた事をすっかり忘れてた!)仕方なく来た道を引き戻し、期間中に読めなかった本を返しに図書館に行った。本棚と本棚の間でしばらくうろうろしてたら、だんだん「いつもの感じ」が戻ってきた気がする。ああ、この感じ。長いことゆっくりゆっくりな生活してきたんやもん。これくらいの線で行くのがちょうどええかげんかもしれんなあ。
さぁて、今夜は魚を焼いて、おひたしに具沢山の粕汁をたっぷりこしらえようかな。
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by bacuminnote | 2007-11-06 19:26 | Comments(0)
▲先週末は法事で再び吉野にかえる。いつもは閑散としている近鉄の吉野行きホームに、その日はリュックを背負った人があふれていて驚いた。
乗り込んだ特急も満席で、わたしのとなりに座った方もまたリュックを足許に。どちらからともなく「よしのですか?」と声をかけあって。聞けば6~8日は金峯山寺 ご開帳だったようだ。しばらくしてその女性が奈良・吉野の特集の雑誌を開かはったもんで、ついついそちらに吸い寄せられ、横目にて拝見(苦笑)

▲自分の故郷のガイドブックって、なんか知り合いの子の写真を見つけたみたい。あ、その子のこと「知ってる、知ってる!きれいし、なかなかええ子なんよ~」と、最初はコーフン気味なんだけど、そのうち そのあまりのすまし顔に「ちょっとちゃう(違う)なあ」「それは、ちゃうやろ」(笑)とツッコミを入れたくなるんよね。
・・・というわけで、コーフンさめて。やっぱりその日もずっと窓の外に見入ってた。

▲ジッカのある駅で降りる。いつも通りはしんとして・・・ああ、あの家もこの家もお年寄りの住まいと思える風情である。どこからもこどもの声が聞こえないのはほんまにさびしい。
昔 まだ小さかった息子を連れて老人ホームに知人を訪ねたとき、息子の甲高いしゃべり声に「こどもの声をひさしぶりに聞きました。いいですねえ」としみじみ言うてはったことを思い出す。
信州に越して、下の子が生まれたときもご近所のお年寄りたちは、ウチの子が泣いても笑ろぅても「赤ちゃんの声なんてひさしぶりだもん。元気が出るよ」とよろこんでくれはったっけ。

▲こどもといえば、ここの近くに保育園があって朝 近くを通ると、前にうしろにちっちゃい子が乗った自転車が何台も通っていく。歌を歌いながらの親子もいれば、ぐずるこどもに叱りとばす親の声、兄弟げんかの末、泣きじゃくるこども。渦中にいると「うるさぁい!」と怒鳴ることもあるかもしれないけど。通りすがりのおばちゃんは、ええな、ええなあと「かわいい未来たち」にみとれるのだった。

▲先月ETV 特集(9.23放映)で共同保育所のドキュメントを観た。それは東京練馬区の住宅街の行き止まりに建つ平屋の粗末な、でも暖かな空気に満ちた「ごたごた荘」という小さな保育所のお話だ。
「ごたごた荘」とはわたしも、あの人もこの人もすきな(笑)『長くつ下のピッピ』の住んでいるお家の名前から もらったらしい。
『ここに集う子ども、女、男がみな、力持ち(力にはいろんなものがあるよね)で、たくましく、心やさしい人間であってほしいという願いやジェンダーを越えた子育てをとの思いが込められています。』(ごたごた荘HPより)なんて、この名前に込められた「願い」を読んだだけでもぐっとくる。

▲赤ちゃんから小学校入学前の子まで、いわゆる異年齢のこどもたちが保育士の大人たちと、時に親も一緒に ごちゃまぜですごす一日。赤ちゃんが はいはいしてるそばに、元気いっぱいのこどもたちが遊んでるんだけど、この小さな仲間にどんなことを注意しなければならないか、保育士がこどもたちに問いかける。かわいくても頭 撫で撫ではいけないよね~ どうして? まだ頭がやわらかいからだよね~という風に話し合う。そうして年上の子たちが不器用ながら自分ができることを手伝ってるんよね。この雰囲気がすごくいい。
スタッフと保護者は指導や保育理念、運営資金から保育士の給料まで話し合う。自分の子だけじゃなく、みんなでいっしょにこどもを育てている感じが伝わってくる。

▲ある日の話し合いの席で、保護者が連絡帳に「今日こんなことができました~とかいいことしか書いていないけど、悪いことも書いてください」というような事を言うと、ひとりの保育士さんが「ごたごた荘に預けている時間、自分(親)の見ていない子どもの時間のことを一から十まで知りたいという気持ちはわかりますが、ごたごた荘で過ごす時間というのは もうその子のもの。その子の人生の時間なんです」と言うてはったのが印象に残っている。
そういえば、いつだったかテレビでどこかの幼稚園が教室の様子をライブカメラで撮り、インターネットで各家庭で親がそれを見るというレポートをして、ここまできたのか と唸って見たことがあった。

▲こどもの安全に目を配りながらも なおかつ彼らの自由を奪わない保育は、見守る(保育する)側からすればたいへんなこと。しかし、そのたいへんなことの向こうに、のびのびしたこどもの姿やスタッフや保護者のかけがえのないよろこびも又あるのだろうとおもう。
だけど、こういう小さな園のほとんどが運営はきびしくて、スタッフたちの給料はきまって低い。番組の中で 使い古された計算機のキーを叩きながら、ちいさな命をあずかる責任の大きい仕事をしているのに「せめて人並みの給料が渡せるといいのだけど」とため息をつくスタッフの姿に胸が痛かった。

▲それに、ごたごた荘ではいま大きな問題を抱えているらしい。今回東京都の制度変更で運営の頼みの綱の補助金が打ち切られるかも知れない、とのこと。
そもそも「制度」とは何のため、だれのためのものなんだろう。
こどものことを大切にしない国(政治)は、では一体 何を、だれを、大切にしているというのだろう。

*追記
ちいさなすてきな保育園がここにも。友人がたのしくがんばっています。
今月19日~21日はいつもこどもたちが遊んでいる森の中で写真展をするそうです。
「山の遊び舎 はらぺこ保育園」
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by bacuminnote | 2007-10-10 23:53 | Comments(0)

夏果てて。

▲この頃買い物に行く道中 歩道橋の階段を「三十一、三十二・・・」と頭で数えて登ってる事が多い。暑いし、しんどいし、知らず知らずのうちに我が身をはげましてるのだろう(苦笑)
この間 その途中で「ちがう、ちがうって。せやから35や、って」と声がして、えっ?なに?何?と、思わず立ち止まった。
なんで(わたしが数えてるの)わかったん?と、振り返ったら、後方で若い女の人がケイタイにてお話中で。(・・年の話でもしてはったんやろか?)
都市生活同様、ケイタイにもだいぶ慣れたけど、この「歩行中の通話」にはいまだ慣れず、時々「話しかけられたのか」とどきっとする。

▲そんなわけで、途中から数がわからんようになったりしつつも、52段をのぼり、ふううと一息。
この歩道橋の上からみる風景がすきだ。ビルにマンション。高速道路やモノレールが立体交差し、途切れることなく車が走り、バックには大きな空がひろがって。子どもの頃に見た手塚治虫のまんがみたい。
あの頃は遠い「未来」のように眺めていた絵が目の前に広がってる。さすがにまだアトムは空を飛んで来ないけど。

▲昼時はこの橋いっぱい、あちこちのビルからランチタイムのサラリーマンのグループが「おお、外は暑いなあ」「たまらんなあ。で、何食う?」などと言いながら横一列で歩いてはる。
たまに、急に立ち止まったかと思ったら、かばんを下に置き分厚い資料みたいなのを出してきて「オンシャが」「ワガシャでは」と橋の上でビジネスの人もいて。やっぱり「ケイタイ」にはおどろかされるのだった。

▲ずいぶん涼しくなったとはいえ、まだ橋の上にふく風は生ぬるい。
それでも、何かのはずみにつめたい風がふく。ひんやり。ほんの一瞬のことなのに、すーっと汗がひいて。ああ、ええきもち。
「春暮れて後、夏になり、夏果てて、秋の来るにはあらず。春はやがて夏の気を催し、夏より既に秋は通ひ・・・」(『徒然草』第百五十五段)と、かの兼好法師は 言うてはるけど、今年は、もう とことん暑さふりまいて「夏が果て」秋が来る、そんな気がしている。

▲そうそう、夏のできごとで書きそびれていた事ひとつ。
お盆休みに帰省していた姉(二番目)が大阪にも寄ってくれたんだけど、一番の目的はかわいい妹(笑)ではなく、妹の友だちのうらたじゅんにわが家にて会うこと。
この二人はかつて同じ仕事場のセンパイ・コウハイの関係だったのだ。
じつに27~28年ぶりの再会は 「いやあ、ねえさま(←わたしの友人たちはみな姉のことをこう呼んで 慕ってくれていた)いっこも変わってへんやん」「わあ、じゅんこそ、そのまんまやん」・・・と互いに「変わってない」「若い」と、ハタで聞いてると 恥ずかしくなるような応酬が続く(笑)

▲当時京都で友禅の仕事をしていた姉とじゅんは、しばし職場の話、図案の話で盛り上がる。そうしていきつくところは「絵を描く」こと。
空の色の明るさに、まんぞくできず何枚も何枚も描き直した話。絵の具、構図、そして表現するということについて。
いつもはおしゃべりのわたしも、この日ばかりはそんなふたりの話に聞き入るのだった。

▲この9月にあるじゅんの個展の案内のはがきを手に「なかなかええやん」と姉が言う。
上気した顔ではずかしそうに頷くじゅん。「ねえさま」の前ではいつまでも18の女の子だ。
『夏のてっぺん』というその絵の
目を引くひまわり。夏の空は高く、あおくて。鉄棒に腰かけて少女は何を眺めるのだろ。
穏やかで静かな日常を描きながらも、彼女の描く木々や花や鳥、少女の後ろ姿には いつもどきんとするなにかが とおくちかくに見え隠れする。

▲病気して、手術して。いっぱい心配な時間もあったけど、そのつどしっかり復活しては「新しい世界」を見せてくれるじゅん。そんなじゅんの世界に東京 青山で しずかにノックアウトされる ひとたちのことを思いながら。

うらたじゅん個展『夏のてっぺん』
会場:南青山ビリケンギャラリー
9月1日(土)~13日(木)12時~19時 月曜休み
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by bacuminnote | 2007-08-30 15:24