いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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カテゴリ:開田村のころ( 31 )

あの日のこと。

▲家の中が温かったので、つい薄着で外に出たら風のつめたいこと!玄関を出たとたん いっぺんにからだがきゅうと音たてて縮むようだった。
期間限定とはいえ、ここんとこ働き者やったのに(苦笑)心配するほど膝が痛まなかったのも、年末年始のにぎやかでたのしい時間と、何より穏やかなお天気の日が続いたからかもしれない。ほんま温いお正月でよかった。

▲それにしても寒い。
もうちょっと厚手のセーターにしたらよかったかな~いや、歩いてたらそのうち温もってくるで~とか思いながら、通りの薬局の大きな硝子戸に映るじぶんの姿勢をチェックしてたら、硝子のむこうから外みてた若い子と眼があって恥しかったけど。(←おばちゃんが鏡代わりにしてすまん)今年は心身共に脱・猫背で まいります!

▲昨日のこと。
ちょっと調べたいことがあって、以前つけていた「10年日記」を出してきた。
これは息子1からの誕生祝いで、1995年1月1日~2004年12月31日の10年。
この前年の暮れには家族で大阪に帰省して、元旦早々に冷え切った信州の家に戻ってきた。
そして、その日の夜からさっそく友人たちとその甥、翌日には息子の友だち、べつの友人のこどもとその友だち・・と次々泊り客がやって来て。

▲民宿かと思うほど、玄関先にはスキーの板から長靴やスノーブーツが散乱して。それは賑やかなわが家の新年が、一日4行の狭いスペースにぎっちり埋まっていて、読み返すと頬がゆるむ。
このころはまだ下の子の病院通いも食事の制限もあって大変な時期やったけど、だからこそ、近く遠くから友だちが来て、わいわい飲んで食べて、泊まっていってくれるのが、ほんまにうれしかったんよね。

▲そういえば、友だちだけやなくて、ウチを初めて訪ねて来た人と珈琲のんで話してるうちに、「夕飯たべていって」「まあ一杯」と、そのまま泊まってもろたことも何度もあって。
仕事もして、夜は下の子のことでなかなか眠れへんかったりしたのに、どこにそんな元気があったんかなあ~と思うけど。それだけわたしも若く、そして、ひとに会いたかった時季やったのかもしれない。

▲ページを繰ると、この年の1月17日には「早朝神戸に地震。息子1がラジオで神戸に地震があったと言っていた。」とある。
そうだった。
わたしらはいつものように、まだ真っ暗な早朝からパン焼きの仕事で、そのときの揺れ(信州でも少し揺れた)は感じたけれど、それまでも御嶽山のふもとの家で揺れることはたびたびあったから。「またか」くらいにしか思っていなかった。

▲くわえて当時テレビはアンテナを立てていなかったので、ラジオと新聞だけがニュースソースやったから、まさかあんな大惨事になっていようとは想像もしなかった。
その日は神戸市灘区のお客さんにパンを送ることになっていたので、宅急便がまた遅れたらかなんなあ~と話してたのを思い出す。
が、実際は遅配どころか、しばらくの間は荷受けそのものが中止だった。

▲そして日を追い、被害の大きさはわたしたちの想像を遥かに越えるものだとわかってきて、そのつど震える思いだった。神戸は相方がカメラマンだったころ通った写真の師のスタジオがある思い出の町でもあり。お客さんも友人も暮らす町だった。

▲その年の10月だったか、
大阪、ミナミの戎橋で寝ていたホームレスの男性を若者たちが道頓堀川へ投げ込み、亡くなるというたまらない事件があって。その事件を考えるシンポジウムが11月12日に大阪であるという某通信を読んだ息子が行きたいと言い出した。
翌日早朝に家を出て、ひとり鈍行を乗り継いで大阪まで。

▲そしてシンポジウムのあと、神戸に行ったようで。
そのころ神戸は復興がすすむにつれて次々とボランティアが撤退して、まだまだボランティアは必要・・・という報道に、「自分も何かできたら」と考えたのだろう。
親しい人に見せてもらった新聞記事をたよりに、被害の大きかった長田区に行き、おもに家の修理をするボランティアグループに参加を決めた、と電話がかかったのだった。

▲代表者の方と相方もわたしも話して、「よろしくお願いします」と受話器を置いたものの、わたしはしばらく心配で生きた心地がしなかったんよね。
結局その日から半年余り長田の町で暮らすことになったんだけど。
年末に地域で餅つき会をするから~と呼んでもらって、帰省かたがた下の子をつれて3人ではじめて長田を訪れた。

▲震災から一年近くたってなお、まだブルーシートがいっぱい被さる町での餅つき会だった。
そんな中15歳の少年が、はりきって立ち動く姿に親ばかながらわたしは胸がいっぱいになった。周囲のひとたちに大事にしてもらってることは、その表情をみただけで伝わってきて。

▲その日は大好きなお兄ちゃんに久しぶりに抱っこしてもらった弟(まだ3歳になってなかった)も大喜びで、相方も杵を振り、つきたてのお餅の入った熱々のぜんざいを町のひとと一緒にごちそうになった。
ええお天気の日やったけど、暮れの風の冷たさに、改めて「1月17日」をおもった。
ひとりで参加したシンポジウムと、この神戸での時間は、その後の彼にとって原点ともいえる大切なものだと思う。

▲いまでも、ご近所さんと話してると時々阪神淡路大震災の話がでてくるんやけど(ここでも揺れは大きく、みんな怖い思いを経験している)遠く離れてその経験のないわたし自身を痛感する。
「あの日」入ったのであろう外壁の亀裂をみるたびに思う。忘れないでおこうと思う。

▲そういえば、奇しくも「10年日記」の最後の年に、わたしたちは信州、開田村(いまは木曽町開田高原)から大阪に引っ越した。
10年というても、熱心に書いてたんは6~7年で、最後の方はほとんど空白なんだけどね。ぱらぱら見てたら引っ越業者の請求書と領収書が挟んであった。
距離:300km。搬出:5月25日、搬入:26日。
2日がかりの引っ越しだったんよね。


*追記

その1)
いつもたのしみに読ませてもらってるブログ『NabeQuest(nabe探求)』に、昨年末 震災の日のことが書かれていて。→
震災当時、神戸にお住まいと言うのは、前に読んでいましたが。長田区だったと知っておどろきました。

ブログ内で紹介されている画家 林哲夫氏の作品『神戸 1月17日』に描かれた、長田の空の色が忘れられません。
文中 長田区の消防署員による手記もリンク貼ってはるので読んでみてください。

その2)
お気づきかもしれませんが、息子が長期ボランティアに参加していたときは一般的にいうと(というのも変やけど)中学生でした。最初から中学校には行かない生活を選んだので、自由な時間はたっぷりあって。(はじめのころはミシガン州のクロンララスクールというところの”ホームエデュケーションプログラム”生として(自宅にいて、日本語で手紙のやりとり。いまはオンラインのプログラムがあるみたいです。その後は家の手伝いをしながら自学自習) ただ、中学生と聞いてびっくりしはったボランティアグループの代表者の方が「私たちは受け入れたいと思うけれど、親御さんの許可を」とさっそく電話をくださったのでした。

神戸での半年のあいだには、うれしかったことも、しんどいことも。当たり前ですが、いろんなことがあったようで。公衆電話から「ボランティアとは?」と、その意義を問うてきたりしたこともありました。
でも終始みんなに鍛えられ、愛され、文字通り一回りも二回りも大きくなって帰ってきました。
そうそう、家にもどって一番にしたのがパン焼きの仕事場~天井の修理。自分の貯金で脚立を買ってパネルを貼ってくれました。彼にとっては街や人が学校やったと今でも感謝しています。

その3)
神戸出身の森山未來と佐藤江梨子が出演した映画。『その街のこども』公式HP→(クリックするとすぐに予告編が始まります)

その4)
今日はこれを聴きながら。
Gabriel Fauré - Requiem : 'Sanctus' →

その5)
ごあいさつが一番あとになってしまいました。
あたらしい年がやってきました。
相変わらず 話があっちにいったり、こっちにいったり・・まとまりのないのブログ~ですが、よろしくおつきあいください。

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by bacuminnote | 2017-01-07 16:54 | 開田村のころ | Comments(2)

口いっぱいに頬ばって。

▲ 「ちょっと涼しくなってから」と言うてた夏もすでに遠く「こんなきもちええ日に掃除やなんて」とパスした秋も仕舞い、「まだええか」とごまかした小春日和の午後の日もとうに過ぎてしもた。そうやって言い訳ばかりしているうちに、ほんまもんの冬がやってきて、ほんまに毎日寒いのナンのって。
せやからね、障子張替えも 押入れ片付けも古着の始末も。積んで積んで積んだ本の整理も、ぜんぶ「また、温うなったら」ということに。
そして、今年もなぜだか12月は駆け足で暮れてゆく、ね。

▲ 買い物の道中、つい選挙ポスターの前で足がとまる。見てたら腹たってくるのに。このうちから選ぶのか、と唸るのに。ここんとこ外出時につけているマスク(近所の団地解体工事の埃対策)のせいで眼鏡がすぐに曇るのに。
白く曇ったレンズの向こうに踊るのは空疎な言葉ばかりなのに。あーあと長—い溜息ひとつ付いて、そしてまた、ああ眼鏡はまた曇るのだけれど。
でも、でも「考える」ことも「怒る」ことも、手放してしもたらアカン。それではイカンのです。

▲ さて、スーパーに着いたら、どこからかぷーんとええにおいに引っ張られて、うろうろしてたら、催事コーナーで焼いたベーコンのにおいだった。やっぱりね。燻製のにおいは思い出のにおいだ。
開田高原で暮らしてた頃、相方が知り合いのペンションの人に燻製を教わり、当時13~14歳だった上の子と二人でハムやウインナやベーコンを拵えてくれた。相方が廃材で作った燻製小屋はご近所のおじいちゃんに「ゴミ箱作ってるんかい?」と言われた(苦笑)粗末なものだったけど。二人が時間かけて下ごしらえして、燻製して、旨かったな。あの頃は友人たちがやってくると、決まってハムやベーコンを食べてもらったっけ。
そうそう、薪ストーヴは燃やす薪の種類でときどき燻したにおいがするんだけど。ストーヴのそばに洗濯物を干してるもんやから、そのにおいがうつるんよね。まだ小さかった子どもが鼻をクンクンして「このシャツ、ベーコンのにおいがするね」と言って笑った日がなつかしい。

▲ ベーコンと言うたら、スタインベックの名作『朝めし』だ。これを読むときまってカリカリに焼いたベーコンとトースト、ちょっと濃い目に淹れた珈琲がのみたくなる。わたしがこの作品に初めて出会ったのは中学の国語の教科書(か、副教材か不明)だった。たしかその日は頭痛か寒気か、いや、眠気だったか(苦笑)とにかく不調ながらも我慢しつつぼーっと机の前に座っていたけど、この文章で一気に目が覚めた。

▲「朝めし」はわずかに四ページ半の短編で、たぶん綿摘みをしながら旅をしている「私」が通りがかりのテントのそばのストーブをかこんでる人たちに朝食をごちそうになる、というそれだけの話なんだけど。その描写は風景も色もにおいもすばらしくて、映画を観てるように情景が浮かんでくる。たぶん、文章からこんなに色やにおいや空気がたちのぼる、という快感はこのときが初めてだった気がする。そして何より、お腹がぐぐーっと鳴るのだった。

▲山あいの村、夜が明ける頃の空の色。深い藍色の山々。身にしみるような寒さのなか、若い母親が赤ん坊にお乳をやりながらストーブの火を突っつき、ベーコンをいためパンを焼く。
ストーブの裂け目からはオレンジ色の炎がほとばしり出ている。そうして彼女は
いためたベーコンを深い脂のなかからすくいあげて錫の大皿にのせた。ベーコンはかわくにつれてジュウジュウ音をたてて縮みあがった。若い女は錆びたオーブンの口をあけ、分厚い大きなパンがいっぱいはいってる四角な鍋をとり出した

若い女はベーコンの皿や、褐色の分厚いパンや、肉汁を入れた鉢や、コーヒーポットをならべ、それから自分も箱のそばにすわりこんだ。赤ん坊はまだ寒さから母親の胴着のなかに頭をうずめて乳を吸っていた。そのチュウチュウ吸う音を、私は聞くことができた。私たちはめいめいの皿に取りわけて、パンにベーコンの肉汁をかけコーヒーに砂糖を入れた。老人は口いっぱいに頬張って、ぐしゃぐしゃとかんでは、のみこんだ。
『スタインベック短編集』 大久保康雄訳/ 新潮文庫)

▲ いやあ、今これを書き写しながら、もうじっとしてられなくなる文章だ。
じっさい、わたしはその国語の授業のあと早退して家に帰るなり、トーストにベーコンをかりかりに焼いて肉汁をかけて「口いっぱいに頬ばって」食べたんよね。(←当時ベーコンは父の好物で冷蔵庫には たいてい入ってた)まだ濃いコーヒーは飲めなかったのでインスタントのコーヒーにミルクをたっぷりいれて。
いま思えばその時のベーコンは 後に作った自家製のものとは比べ物にならないほど、味も厚みも薄いものだったけど、おいしかったなあ。それに、なんで早退したかすっかり忘れてしまうほど、元気になった気がする。
しかし、その後もこの「早退して食べた」という思い出ばかりが強烈に残っていて、長いこと作品名がわからないままだったんだけど。大人になってそれがスタインベックの短編だと知って、改めて読んだら、案の定また食べたくなった。

*追記

今夜はこれを聴いています。
Goldmund - In A Notebook 
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by bacuminnote | 2012-12-12 21:49 | 開田村のころ | Comments(0)

夏花。

▲ 寝ぼけ眼で開けた窓から入る涼風に「よし、今日は墓参に」と飛び起きた。この間からお墓そうじを、と思いながら連日の猛暑になかなか腰が上がらなかったけど。この涼しさならなんとか行けそう、と思ったんよね。とはいえ、そんな淡い期待は家を出てものの五分もたたんうちにあっさり消えてしまった。やっぱりお盆前の暑さは格別だ。
お墓のある街まで直通バスは一時間に一本。始発から終点まで乗るから一時間近くかかるけど、それで230円はありがたいし、乗り換えなしは何といっても楽チンだ。車ナシの暮らしになって以来、墓参はいつもこれに決めている。

▲ さて、汗びっしょりのまま朝一番のバスに乗り込んで一人がけの椅子に腰掛けたら、前にお一人年配の女性客がいてはるだけ。発車時刻になっても 結局だれも乗ってこず、乗客は二人きりだった。大阪でこういうシチュエーションとなると、たいていどちからともなく「暑いですねえ」とおしゃべりが始まる。「ほんまにねえ」で終わることもあれば、それをきっかけに、初対面でいきなり身の上話にまで発展(苦笑)することもある。そして名前も知らないまま「ほな、さよなら」と別れてゆく。

▲ その方はうしろのわたしにも風を送るように、それとなく身を捩って扇子を大き目にあおいでくれはる。この世代の方ならではの自然でやさしい心遣いがうれしい。
風の元をふとみると、男性用と思える大ぶりの扇子なのに、東郷青児の美人画が描かれており、お年寄りながらどこか乙女の雰囲気のそのひとによく似合ってるなと思った。それで、おもわず「かわいらしいですね」と言ったら、あはは~と軽やかに笑わはったあと「じつはね」と扇子の話がはじまった。

▲ 思った通りその扇子は男物で、おつれあいの扇子だそうな。ウチの物入れにはこんなのがいっぱい。ウチの人が勤めをしてるときにね、接待やお付き合いで行く、ほら、バーとか割烹のママさんが会社に集金に来るときやなんかに、こういうものを置いて行くんですって。今ごろじゃ考えられない話ですよね。けど、捨てるのもなんだし、開いたら大きくて使い勝手がいいから。でも、ほら、見て。この絵、お顔はかわいいけど、ちょっと胸のおおきい女の人でしょ」と、扇子をわたしのほうに開いて見せて、ふふふと笑わはった。

▲ このあたりは昔から転勤族の多い街だし、話し言葉の感じから根っからの大阪人じゃなく、たぶんおつれあいの仕事の関係で大阪に暮らすことになった方なんだろうなと思う。
その後、老夫婦ふたりの気ままな日々の話。毎週この日には、朝からバスに乗って隣町のショッピングセンターまで買い物に行くそうで。「外に出るとね 気分かわるし、ほら今日みたいに若い方(←多分わたしのことです・・苦笑)とお話できることもあるしね。暑いから、この頃はちょっと面倒に思ったりもするけど。今日もやっぱり出て来てよかった。ほんと楽しかったわ。ありがとうございました」と降りていかれた。

▲ほんの十数分間、初めて会った人とこんな思いがけない時間は、ほんまうれしくて、おもしろい。わたしも「出て来てよかったな」と思う。
そうか。バーのママさんからのお届け物か~なんだか木暮実千代とか京マチ子が白檀の扇子かなんかをパタパタしながら 会社に集金に行って小林桂樹相手にしゃべってる場面が白黒画面でうかぶようだ。(←すみません。所属映画会社がむちゃくちゃ)
そんなこんなでちょっと昂ったきもちで持ってきた本を開いた。それは『くさぐさの花』(高橋治著 /朝日新聞社1987年刊)という花の写真と俳句の本で亡き義父のもの。季節ごとに花の写真と短いエッセイ、俳句がいくつかとその解説が書かれていて、どこから読んでもたのしい本だ。

▲ 思いつきでぱっと開いた頁は蕎麦の花だった。ちょうど今時分、一面真っ白な可憐な花で埋まる開田高原の蕎麦畑と、とびきりうまい蕎麦を思い出しながら読み始めたんだけど。エッセイが最高で、しかもつい今しがた想像していた映画の話でもあり、そのころには車内の乗客も増えていたというのに、声あげて笑ってしまった。

【助監督時代、信州、戸隠にロケに出た。昼食にはうまいそばをといわれ、八方聞き合わせた末、あそこならという店を見つけた。全員の注文をとり終えた婆さんが、径十センチほどの玉を持ちだして来ると、本体から出ているひも状のものに火をつけて、庭先に投げ出した。
静寂の里をゆるがせた花火は”客アリ至急帰レ“と、山仕事中の亭主に送る合図だという。せっかちなカツドウヤ連中、この時ばかりは声もなく、互いの顔を見交わしていた。】(p142より抜粋)

▲ 戸隠のひなびた蕎麦屋、その牧歌的な光景と泡食った「カツドウヤ」の面々を想像するたびに笑いがこみ上げる。
「カツドウヤ」ならずとも「イラチ」(←せっかちの意)な関西人としては、蕎麦屋のおばあちゃん、せめて「ズドーン」は注文取る前にしてね~とか思うけど(苦笑)たぶん混ぜもののないボソボソの、ほんまもんの蕎麦は、じゅうぶんに待った甲斐もあって、どんなにかうまかったことだろう。

▲ そういえば、お気に入りのブログ『フクダカヨ絵日記』でフクダカヨさんのお友だちの話を読んで、以来その方たちのファンになったんだけど(笑)
曰く、ご実家のある山形では農作業のとき、遠くにいる人に「お昼にしよう」などと伝える時に「ホーーーーーー~~~」って呼ぶらしい。そしたら向こうでも了解の印に「ホーーーーーー~~~」と応えるそうで。
彼の地で、今もそんな呼び方してはるかはわからないけど(もうケイタイの時代かな?)この若いカップルはそれを「トイレットペーパーがないよ~」「身体洗いのタオルとって~」、銭湯で「もう上がるよ~」という時に使ってるらしい、と紹介してはって。フクダカヨさんの絵日記の雰囲気と共にええなあ、ええなあと時々思い出してくりかえし見ている。(→

▲ 知らない人と扇子の話から、映画や蕎麦のこと、ほ~ほ~の掛け声まで。なんか信州の高原の風を思いながら(そのころには車内もきもちよく冷えてたから)ちょっとした旅行みたいに満たされた思いでバスを降りたら、灼熱の街が待っていた。
墓地への道中、お寺の掲示板に虚子の一句あり。暑いのもわすれ立ち止まる。
『ここに又 縁ある仏 夏花(げばな)折る』



* 追記
その1)
いまwikiで調べたら高橋治氏は1953年松竹に助監督として入社。同年助監督として小津安二郎の「東京物語」に関わる、とありました。
『くさぐさの花』残念ながら絶版みたいです。図書館か古書で~

その2)
夏花(げばな)とは「夏安居の間、仏前に供える花。」(by 広辞苑)
夏安居(げあんご)とは、「僧が夏(げ)の期間、外出もせず一所にこもって修行すること。」

その3)
今日これ書きながら聴いたうた。
PATTI PAGE " CHANGING PARTNERS " 
https://www.youtube.com/watch?v=82CwEQwfobY
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by bacuminnote | 2012-08-09 13:44 | 開田村のころ | Comments(0)
▲ 寒い。
今日はほんまに寒かったなあ。歩いてると、耳も手も指も鼻もほっぺたも 外に出てるとこぜんぶ冷え切って。
街ゆく人たちも首すくめて、口閉じて、肩にもぎゅうっと力が入って、身を縮こめて。そして、みんな揃って早足だった。
冷えたせいか、わたしも膝がぎしぎし痛むのに、寒ぅてゆっくり歩いてられなくて、早う早う、と(という思いだけでじつは足はついていってない・・)家に帰ってきた。
それでも、そんな冬がすきだ。
けど、それは身を覆ってくれる暖かいコートがあり、急いで帰って来れる家があり、熱いお茶が飲めて「外、寒かったわ~」と言える家族のいる暮らしやから・・・と、いつにも増しておもう年の暮れ。

▲ この間からぽかぽか陽気の日がすこし続いたので、思い切って障子の張り替えをした。室内物干器を出し入れするたびに、あっちにもこっちにもぶつけて障子紙が小さく破けてすきま風が気になっていた。なにもこんな寒くなってからせんでもええのに、と相方は言うけど。それはそうなんだけど。暑いときは開けっ放しやから、気にならへんのよね。

▲とはいえ、開田高原で住んでたころ障子の張替えは 毎年お盆休みの恒例だった。あの地で冬に戸を外すなんて考えられないもんね。
古い大きな家だったので、大きな障子戸は9枚もあり。ひとつづつ順番にはずして外に出して洗うのだけど、夏とはいえ水道の水はそれはもう冷たくて、そのうち手がしびれるようで。そんな冷水だから桟にこびりついた糊もコチコチに固まってきれいにとれなかった。

▲ 「パン焼いてるかと思って」と訪ねてくれはった遠来のお客さんに「休みですねん、すんません」と謝りつつ、ホース持って長靴姿で桟を洗いながら、初めてあう人たちと開田のことやパンの話、酵母の話、そして互いの仕事や家族のことまで。途中水道の栓を閉め、障子戸をほっぽり出して話し込んだりしたものだ。
話がはずんでそのまま家に上がってもらって一緒にごはん(あ、パンも・・笑)ということもあったし、遠くから車でひとり来てくれた若い女の子を急遽泊めてあげたこともあった。開田高原という、あの場所ならではの人と人のつきあいだったなと思う。そしてあの場所、あの時間は、いまもわたしの中でひかりを放ってる。

▲ さて、障子張りだ。
どんなことでも丁寧にするより、早いこと「達成感」を味わいたい「~してんよ」と周囲に自慢したい(苦笑)わたしのことだから、今回もその作業ははじめから終わりまで、ええかげん。
水に濡らすと汚れのうき上がってくる古い障子紙を剥がし、新しいものを張るといっぺんに部屋が明るくなった。
昼間の障子の白は、時々はっとするほどきれい。鷹羽狩行の句に『午後といふ不思議なときの白障子』というのがあるけど、ところどころ、ひきつり波打ってはいるものの(苦笑)あらためて、障子ってええなあと思う。

▲ せっかく作業がノッテきたとこに、日が陰り寒くなったり、紙が足りなくなったり、中断したりで、じつはまだ完了してないんだけど、どうもこのまま越年(越冬?)しそう。
このことひとつ見ても自分を現してるようやなあと、苦笑。「達成感」いうても「ほどほど」でまんぞくしてるんよね。ふうう。

▲身辺にはうれしいできごともいくつかあったけど、大きな地震と原発事故で、黒雲は空気中にも 心の中にも重くたちこめたまま、今年もあと4日。
何を読んでも観ても、何を書いても、どこか「現実」から遊離してるみたいな気持ちのまま時間がすぎて、早かったのか遅かったのか。あの日以来とまったままだったのか、なんだかわからないままの一年だった。
こんなしょぼいブログひとつ書くのに難儀するときが何回もあって。それでも、ほんまにいつも読んでくださってありがとうございます。
いつも年の暮れにおもうことひとつ。来年こそ、来年こそ よき一年となりますよう。
年のおわりにすきな句ひとつ。『みかん黄にふと人生はあたたかし』(高田風人子「日本大歳時記・冬」)
すきな音楽ひとつ。(by Henning Schmiedt )
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by bacuminnote | 2011-12-27 11:48 | 開田村のころ | Comments(0)

だいどこで。

▲ このところ相方と二人だけの夕ご飯の日が増えた。息子(その2)があとから帰って食べるときはともかく、はじめから「今日は食べて帰る」とわかってる日は煮物や湯豆腐・・と、とたんにあっさり「肉気」ぬきの地味食となる。が、しかし、これがしみじみと旨い。(苦笑)
くわえて、日中ほとんど使わない居間(兼 食事部屋)が温まるのを待つより二人だけやし、煮炊きものでぬくもっただいどこ(台所)で食べよか、と、この間からは小さなテーブルで向きあって夕餉。流しの横の一升炊きの炊飯器がなんだか大きく見える。

▲パン屋の頃、店売りよりも地方発送が多かったんだけど。
週一回、隔週に、月に一度と、たくさん注文してくださるおウチが何件かあって。箱は小・中・大・特大と四種類用意して、できるだけ送料がかさまないよう、一つの箱にパンが潰れないよう、最大でどれだけ箱詰めできるか、図形の問題解くみたいに(←わたしは大の苦手)頭をなやませてた。あと一個が入らない、とどっちかがモタモタしてると「ちょっと、のけてみぃ。俺が(わたしが)する」と出てきてパッキングの腕(笑)を競い合ったりしたものだ。

▲ それでもウチのパン屋の年数が増えるのと一緒にお客さんの家族構成にも少しずつ変化があり。子どもが進学や就職で家を離れ、結婚で離れ、おばあちゃんが、おじいちゃんが亡くならはって。そのうち夫婦だけになった~とパンの箱もだんだん小さくなることが多かった。夫婦は家族をつくり、また夫婦に、やがてはひとりに戻っていくんやなあ。煮物がことこといういうのがちょっとさびしくもあり、ええ音やなあ、とおもう湯気のぼる夕方のだいどこ。

▲ふと、この間読んだ米朝句集のなかの一句がうかぶ。
『夜は雪という予報あり酒にする』(『桂米朝句集』岩波書店刊)
テレビの天気予報見ながら師匠は だいどこのおかみさんに「きょうは酒にしとこか」って言うてはるんやろか。たぶん夫婦のほかに誰もいない気がする。
「へえ雪でっか?寒いはずでんなあ」とか言いながら、おかみさんは小芋でも煮てはるんやろか。暖かな部屋、白障子のむこう 露のつたう窓ガラスまで、つぎつぎ情景がうかぶようで。よろしなあ。
何より。
まだ雪も降ってへんのに。のむ理由が「天気予報の雪」というのが、なんとも可笑しくうれしく、わたしもだいどこにて「酒にする」。

▲ この句集にはちょっと艶っぽい句もいくつかあって、なかなかたのしい。
『マニキュアの爪でむく桃のみずみずし』なんていう句には、子どもの頃、住み込みの若い仲居さんがピンクのマニキュアの爪でキスチョコレート(←大好物)の銀紙を上手に破かずはがしてくれたことを思い出す。
そんなこんなを相方に話してたら、講談社の『本』に『米朝が教えてくれた』(by堀井憲一郎氏)という連載がこの間から始まったで」と教えてくれた。(笑)

▲ 初回は「上方と江戸」で、あとは「大阪の商家の空気」「歌舞伎の噺」「落語ハンター」と興味深い内容でおもしろく読んでいる。わたしはとくに落語好きというわけでもなく、考えてみたら寄席にも行ったことがないんだけど。
信州のころテレビなしの暮らしの中 友だちが息子(その1)に、と送ってくれた「桂米朝上方落語大全集」のカセットテープを、息子が気に入って、それはもう何度も何度も繰り返し聴いていたんよね。

▲ 彼が小6のとき、親子で待ち望んでいた学校がようやく開校して。寮のあるその学校に和歌山まで息子を送り届けた帰りの新幹線の中、手持ち無沙汰でウォークマンに入ったままのテープを聴いた。
息子は初めての寮生活や自由なガッコに、お母ちゃんと別れるなんて「へのかっぱ」って感じで、早くもできた友だちと楽しそうで嬉々として「バイバイ」って手を振ってたけれど。わたしはよかったなあ、と安堵する一方で、大丈夫やろか、それに家に帰ったら相方と二人だけやなあ(下の子の誕生はその一年後)と思うと さびしくてさびしくて。米朝さんの落語聴きながらおいおいと泣いたことを、今思い出した。あのとき聴いたあれは何の噺やったんやろなあ。

▲そうそう、先日この句『夜は雪という予報あり酒にする』をTwitterで紹介してみたら、おもいもかけず反応がいっぱいあって、うれしかった。とりわけ息子周辺の若い男の子たちに米朝(落語)贔屓がいておどろいた。
そんなわけで、あちこちにほったらかしの『本』のバックナンバーを相方がかき集めてくれて「米朝が教えてくれた」以前のおなじ堀井氏の連載「落語の向こうのニッポン」も、知らんかったことばかりでたのしく読み始めており、今から物入れを探して落語のテープがいっぱい詰まった箱を開けてみようか、と思っている。
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by bacuminnote | 2011-12-14 12:11 | 開田村のころ | Comments(0)
▲ ひと雨降るごとにものすごい勢いで草が伸びているのにおどろく朝。
うす灰色の空、ドクダミの濃い緑色と白十字、たっぷりの葉っぱが さわさわと風にゆれる梅の木。
『六月を奇麗な風の吹くことよ』
正岡子規のこの句は子規が療養中の作だと、どこかで読んだ。今日はそれが なんかワカル気がする。
しばらく空を見上げてたけど、洗濯物は軒下に干すことにした。

▲ 「伸びる」といえば、うちの柱のキズ(ではなく鉛筆で書いてる)を見ると、下の子の成長ぶりに、信州からここに越してきた時間の長さを思う。もう7年も経ったんやもんね。大きいなるはず。
先月のこと開田村(←とうに木曽福島町にかわっているが、わたしの中の開田高原はやっぱり「開田村」なのでご了承を)の元お向かいさんから携帯にメールをもらった。かつてわたしたちが暮らしてた家(借家)は、続いて知人が入居。やがて彼の転居後は空き家のままと聞いていたんだけど。
「まちから若い人が移り住んできたよ~」という文面。

▲ 目をつむると家の前の道がうかぶ。
道のむこうは今時分は ♪くさーのうみ かぜがふくよ~の牧草地で。そのむこうには山が連なって見える。家のすぐ裏も山。夕暮れから少したつと、そこらへんはほんとうにほんとうに真っ暗闇。そんな中にぽっとあかりの灯った家と笑顔のおむかいさんご夫婦がうかんでくる。
ソッコウ返信メールを打ち始めたけど、まどろっこしくて、声が聞きたくて、電話してみた。「わあ、ひさしぶりぃ」のあとはすぐに7年前に戻って、アハハ~と大口あけて笑って話す。「家があるのに真っ暗だとさびしいからさぁ、明かりがあるのはうれしいよ」受話器のむこう、なつかしい開田ことばのその温かい声が、このところイライラとげとげの心に沁みる。

▲ T子さんはわたしよりちょっと上のおねえさん。しんそこやさしい人。自分のいい加減さにうんざりしたとき、いつも彼女のことを思い出す。だから、このかたに「また『帰って』おいでよ」と言われるとちょっと泣きそうになってしまう。
最初のころ、慣れない村の集まりや、お葬式のお手伝いも、ぜんぶ彼女に教えてもらった。朝、仕事に出る前、ウチの玄関先に畑のものをきれいに洗ってさりげなく置いて行ってくれた。家の前でお互いの家族に呆れられるくらいに立ち話して。引越しの日に渡してくれた手紙も。思い出すことは山盛りいっぱい。今年は「里帰り」できるといいなあ。

▲ おもいがけないT子さんのメールのあと「開田 on my mind」に浸ってたら、こんどは開田「池上きのこ園」から楽しみにしていた干し椎茸到着。今季は4月が寒く収穫が遅れてると聞いていたので、残りをだいじにだいじに使っていたのだ。
収穫期の超のつく忙しさの中、いつもの几帳面な字で綴られたメッセージに、山ん中 みごとに並ぶほだ木と池上夫妻に想いを馳せる。おまけに入れてくれた生椎茸はさっそく網で炙って食べた。うまい。さすが池上さん。さすが原木栽培。さすが農林水産大臣賞受賞者!すごい~と唸ったあと、テレビでみた福島県の椎茸の生産者の方が「山の中での原木栽培、すべて廃棄だって」と言うてはった事を思い出した。

▲ 開田暮らしの間、池上さんたちの働きを身近に見てきて、ほんの少しだけどお手伝いしたこともあり、原木栽培のしんどさ大変さをちょっとはわかってるつもりだから。やっとやっと収穫の時をむかえたのに、捨てなければならない無念さを思うと言葉がない。
昨日は福島県会津の豆腐やさんの「廃業のお知らせ」というのをネット上で読んだ。食べたことはないんだけど、このお店 「おはら」さんのことは何かで見て覚えていたのでおどろいた。おどろいたけど、ものを作ってきた人の誠意と怒りがじんじんと伝わるその文章と「苦渋の選択」に深く深く頷いている。

▲ 店主の小原さんは「1999年に一目惚れした会津に移住し、2000年6月に豆腐屋を創業」して、去年 10年目にしてようやく念願の福島県産無農薬大豆100%の地産地消を果たしたそうだ。
「おはら」のホームページにこんなことを書いてはる。もちろん原発事故が起こる前の文章なんだけど。だからこそ、ほんとうに胸がはりさけそうな思いになる。
『 地元の大豆を使って、地元の方に喜んでいただける豆腐を提供する地産地消型の小さな豆腐屋。それが理想です。
会津は、豊かな自然と清らかな水に恵まれた人情豊かな土地柄です。 せっかく当店に来ていただいても、売り切れの商品もあるかもしれませんが、すばらしい温泉も多く、 のびやかな時間を満喫できることは間違いありません。是非、一度会津へお越し下さい』

▲ 4月末には東京の天然酵母パンのお店が閉じたと聞いた。他にもそういうお店が(もちろん生産者の方々も)いくつもいくつもあるのだろう。子どもからお年寄りまで、みな安心して食べてもらえる、何よりおいしいものづくりに、食材のひとつひとつを吟味し、儲けは少なくてもお客さんの「おいしかったよ」をはげみに、朝の暗いうちから仕事場に立ってはったであろう、あの店、この店がこうしてきえてゆくのは、ほんとうに惜しく、 そして何よりくやしい。小原さんの『私は、県外へ避難した後も、福島県民のはしくれとして、県民の避難の支援、事故とその後の不手際な事故対応、情報隠しの責任者に対する責任追及を生涯をかけてやっていく所存です。』(「廃業のお知らせ」より抜粋)に、ふたたび頷く。

*追記
上記パン屋さんのブログ(「発酵屋の毎日」には閉店、転居後も引き続き原発に関する情報発信をしてはります。
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by bacuminnote | 2011-06-08 14:52 | 開田村のころ | Comments(0)

たまってる。

▲ 長いこと待ったかいあって、あたりまえの秋の日和がいちいちうれしい。見上げた空の青色も、長いうろこ雲も。やわらかな陽射しの中ゆれる洗濯物から干した布団さえ。
春より秋、と思うのは寒から暖へとゆるむ空気より、暑さから涼しさに、やがて寒さにむかう道行きのその引き締まるような感じが好きだから。
さっき調べ物をしていたら、古いノートにメイ・サートンの本のこんな一節をメモしているのをみつけた。
『この書斎に射している日光は、あの秋特有の白さで、あまりに澄明なので、それにふさわしい内部の行為を要求するかのようだ……明確にせよ、明確にせよと。』( 「独り居の日記」(メイ・サートン著/ 武田尚子訳/ みすず書房刊)

▲ この本を最初に手にしたのは下の子の保育園の「豚豚(とんとん)文庫」という保護者向けの本棚だったから、十何年も前のことだ。信州の山の中の小さな保育園でメイ・サートンに初めてであえたことも、何よりそんな保育園にであえたことも、いつもうれしく誇りにおもっている。
だけど40代のあの頃と今では「独り」の思いようもすこし変わってきているのか、ことばのひとつひとつが沁みてくる。いつかまたもう一度読んでみようとノートを閉じた。(件の調べ物のことなどすっかり忘れてしまってるのは、いつもの事だ)

▲ この夏は暑くて必要な用事以外は極力出かけなかったけど、暑いのに(←しつこい)次々と本を読んだ。読んだ本がたまると(本はほとんど図書館で借りるので「たまる」のは本ではなくて、本から得たもの、感じたこと、考えたこと)だれかと話したくてうずうずして。まずは身近な相方にしゃべる。ときには息子に。けど、彼らとは読書傾向がちがうからか、何か もひとつ盛り上がりに欠けるんよね(苦笑)
で、やっぱり同じような本が好きな友だちと話したくなる。きっと彼女も、と思ったら「そろそろ会おか。たまってるで」(笑)とうれしいメールがくるのであった。

▲会うと前略、中略でいきなり本の話だ。◯◯はもう読んだか? あれ、どう思う? その本知らんかったなあ。あ、ちょっと待って。忘れたらアカンし手帖に書いとく。そういえば、この間言うてたあの本読んだで・・・と話はつづくよどこまでも。
そうしてお互い教えあった本が図書館にないときは、同じ作家のべつのものを読んでみたり。そのうち思いもよらない所に寄り道して「たからもの」を発見することもあって。ああ本読みは愉し。

▲ 野坂悦子さんという翻訳家の名前を聞いたのも彼女からだった。薦められた『小さな可能性』という本の予約待ちの間に読んだのが野坂さんの翻訳の 『ぼくの小さな村 ぼくの大すきな人たち』(ジャミル・シェイクリー作 / アンドレ・ソリー絵/ 野坂悦子訳 /くもん出版刊)表紙の絵も(本文中の絵も!)とてもいい感じで、本を開くと「母さんへ」とある。作者のジャミル・シェイクリーさんは1962年イラク北部のクルディスタンで生まれる。イラク軍のクルド攻撃を逃れて1989年ベルギーに。その後オランダ語を習得して7年後にこの本をオランダ語で発表したそうだ。

▲ ここ数年 母語でない言語で書かれた小説を読むことがよくあって、その後ろにあるきびしい現実も、そんな中での「外国語」の習得に、しかもその言語での創作に、ただただすごいなあと思う。
この本はそんなシェイクリーさんの子ども時代の思い出をもとに書かれている。主人公の「ぼく」は五才のヒワ。両親とカジェという妹と山のなかの小さな村に住んでいる。物語はヒワの目を通して学校(ここではアラビア語!)のことや、友だちとうさぎを捕まえに行ったこと、村を挙げての結婚式・・おだやかで微笑ましい平和なくらしが描かれる。

▲ 悲しくてやりきれない事も起きるんだけど、お話の底に終始ながれてるのはユーモア。会ったこともないヒワのえがおや周囲の人たちの顔までうかぶようで、この140ページばかりの(字も大きい)本を読む間になんべんも泣き笑いするのだった。
新聞読んでもネットのニュース見ても、海外の動向に素通りしてしまいがちなわたしには、この児童書のなかにも知らなかったことがいっぱいあった。あわてて地図で確認したり、読み返したりしながら、この本を手にする子どもたちが(もちろんわたしのようなおとなも!)「知る」ことの一歩を踏み出しますように、と思った。
そうそう「ヒワ」という名前はクルド語で「希望」を意味する言葉なのだそうだ。

*追記*
野坂悦子さん「クルド人作家 ジャミル・シェィクリーを訪ねて」という文章が 『児童文学書評』にありました。
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by bacuminnote | 2010-10-03 11:29 | 開田村のころ | Comments(0)
▲ しゃきしゃきという歯切れのよい鋏の音で目が覚めた。どうやらお隣に来ている植木屋さんらしい。親方の「あ、そこはもうちょっとこのへんから・・・」と、木の上の職人さんに言うてはる声がそのしゃきしゃきの合間に聞こえてきて、あれ?今年は早いなあ~と寝ぼけた頭で思いつつ寝床でぐずぐずしていたのだけど。
ちらりと見た目覚まし時計に「わあ、もうこんな時間!」と、あわてて飛び起きた。あああ。寝過ぎたり、寝不足だったり。ほんまむちゃくちゃな夏であった。(←もう過去形にしたい)

▲ よく砥がれた鋏のその規則正しい音は、いつもなら秋到来をかんじて身の引き締まるような思いがするのに。その日は何か落ち着かなくて煩わしく感じてしまったのは「秋一番」の剪定のはずが天候は「まだまだ夏」だったからか。それにしても、朝早くからすでにものすごく暑いのに、木に登って剪定の職人さんもたいへんやなあ・・などなど、いろんなこと思いながら、汗かきながら、珈琲を淹れた。ネルの中、お湯を注ぐや湯気と熱気。ぷくぷく泡といい香り。あ、けど、熱いのみものは朝の珈琲だけ・・という日がつづいてるなあ。ふうう。

▲ この前デパートに(涼みに)入ったら、なんか全体が茶っぽい。お決まりの季節の先取りディスプレイだ。ひんやり空調も心なしか低めになってるんとちゃうやろか。一歩外に出たら焼けつくような日差しやのに。騙されへんからね・・と思いながら服売場を歩いてたら、そのうち洗って洗って色あせたシャツ姿の自分がみすぼらしく感じ、やがて「やっぱりおしゃれは秋からやなあ」とか何とか。おばちゃんはおばちゃんなりに、買わへんなりに、あらら、いつしか気分は秋、になってしまってる。

▲ 今さら言うような事でもないけど、まちに出たら、テレビつけたら、ネット立ち上げたら、雑誌開いたら・・・とにかく何でも「購買」に結びつくように演出されているものね。
かつて信州の山暮らしの頃、そしてまだパソコンも持ってなくて、ネットで買い物なんて夢だった頃。車の運転が苦手だったわたしは友だちから「クミちゃんのは村内限定免許だね」とからかわれるほど行動範囲が狭かった。(正確に言うと村内でも無理、という所あり)
くわえて相方は超のつく出不精で。週一回一番近いまちまで買出しに車で20分余り、彼の運転で行くほかは、村の食料品(「村の百貨店」と呼びたいくらいいろんなものを置いてはった)と農協購買車(演歌鳴らして「走るコンビニ」やまびこ号!)で食材やら日用品を買っていた。あのころ「購買欲」を刺激されるといえば、若い友だちの履いてた雪に強い外国製の長靴や手袋。お向かいさんがまちで買ってきたという雪かきの軽いスコップ!本とCD以外はとにかく生活に必要なものだった気がする。

▲ ふと 『にぐるまひいて』 (D・ホール作 / B・クーニー絵 / もきかずこ訳/ほるぷ出版)という絵本をおもいだした。舞台は19世紀初頭のニューイングランド州の山村。お話は収穫の秋10月、とうさんが市場へ出かけるところから始まる。とうさんが刈り取った羊の毛を、かあさんがつむいで織ったショール、娘が編んだ手袋。息子がナイフでけずって作った白樺のほうき。家族4人一年かけて作り、育てた作物を荷車に積んで10日かけてとうさんはまちの市場にむかう。

▲ ようやく着いた市場でとうさんは、積み込んできたものを売るんよね。品物を入れてきた袋や箱も。荷物がぜーんぶなくなると最後は荷車も牛、手綱までも。それからとうさんは次の一年の暮らしに必要なものを買う。やかん、縫い針、ナイフ、それにペパーミント・キャンディも忘れずにね!暮らしの中で使う小さな道具たちと、ほんの少しの楽しみの品。

▲ 帰り道は身一つ。お土産を入れた鍋を棒に通してとうさんは来た道を反対にそっくりなぞって家族が待ちわびる家にてくてく歩く。
やがて冬がきて、一家はまた娘は編み物をし、息子は木をナイフでけずり、若牛のための手綱を編み、新しい荷車を作る。春になると羊の毛を刈り取り、楓の蜜を採って、野菜作り。そうして再び10月が巡って。そのくりかえし。

▲この話は「古きよき時代」のお伽話だろうか。
「時代」のちがう今こんな暮らしはとてもむずかしいけれど。時々おもう。食べるものだって、着るものだって、暮らしだって、本来はそれほど「変化」のあるものじゃなくて、おんなじことの繰り返しじゃないかなあ、って。自分のものぐさの言い訳するみたいでちょっと気が引けるけど。
余分なものをもたない生活に「変化」をせまってくるものは何なのか、購買欲を刺激してくるものは何なのか。自分がほんとにほしいものは何か。「今さら」だけど、考えてる。


* 追記
「購買欲」と広告といえば、前にここで「四季」について書いたとき紹介した 『先見日記』(駒沢敏器さん版06.8.21『日本の夏が終わる』)をふたたび。ぜひ。
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by bacuminnote | 2010-09-13 14:31 | 開田村のころ | Comments(0)
▲ 昨日も今日もよい天気。寒い日や雨の日がずっとずっと続いてたから。空が青いと、ただそれだけでうれしくてじっとしていられなくなる。この感じはおそい春を迎える開田高原の時間に似ている。けど、ここは大阪で、しかも明日はもう6月だというのに。
朝からみんなの布団カバーを洗い、ついこの前まで着てたセーターやカーデーガン、ニットの帽子に手袋も洗って、ちょっと草刈りもして。例によって晴れた日(だけ)は働きものだ。

▲ いっぱいの洗濯物を干し終えて庭にぺたんと座り込み、足元の草をぽつぽつ抜きながらあれやこれやと思ってみたり考えたり。
世の中はいろんな事がごぉと音たててものすごいスピードで通り過ぎていくようで、自身の考えがちゃんと立っていないまま、気がつけばもう新しい事が起きている。
そういえば、と昨夜読んだ本(長田弘 連続対談『問う力』』みすず書房刊)の中、キャスター・国谷裕子さんとの対談で印象に残った「堰きとめる」ということばを思う。

▲ 長田『(中略)今ニュース番組のなかでも、これまでの足跡をふりかえって見るということが、ごくふつうにビ デオによっておこなわれるようになっています。そういう意味で、ビデオの登場以前と以降では、ニュースのあり方は変わった、ニュースの受けとめられ方は根本から異なった、と言えないでしょうか。』

国谷『(中略)わたしがアンカーを務めているNHKのニュース番組「クローズアップ現代」は、同時中継で何かが起きているということや、「生」でのインタビューはいたしますけれどもニュースとはちょっと違っていて、すべて「生」で伝えるということはなくて、「堰きとめて伝える」報道番組です。ですので、ビデオを通して、そうした事柄を「堰きとめる」ことで、視聴者が自分たちでその事柄の底流にあるものは何かということを感じとれるように伝えています。そうした番組づくりをしていくうえで思うことは、強力な映像が繰りかえし流されると、その映像の迫力によって、その映像で映しだされていることは捉えるけれども、その見えない部分についての想像力が…』

長田『落ちてしまう。』
国谷『そうです。』 (p111-112「テレビ(ニュース)は「記憶」をつくるコミュニケーション 」より抜粋)

▲さて、勢いつけ(すぎ)ての家事でちょっとくたびれたので、夕方気分転換に図書館まで。
郵便受けには今朝取り出したとこなのに、また広告チラシが入ってた。こうして日に何度となくポスティングされるいっぱいいっぱいの紙。宅配ピザに清掃サービス、庭木の害虫駆除、畳の表替え、外壁工事に、水道工事。「古道具買います」から「仲人します」果ては「浮気調査」の探偵社!なんてものまで。スゴイのが入っていると相方とわたし、閑人ふたり「大きなお世話添削」会。(←「 」は前回紹介のアーサー・ビナードさんのことば)

▲ 今回のテキストは分譲マンション編(以前もココに書いたことがあります)。「街とプライベートとの結界」「街の喧騒感を振りほどき」「徹底的な優越感か、豊かな機能性か。」「天空にお客様を迎える非日常の空間。」とやっぱり?ツッコミどころ満載で。「天空」やら「結界」やらには絶句。でも、ネットで検索してみたら近頃の住宅の広告で「結界」は流行りなのか、あちこちで発見。そのうち、こういう文面を考えてる人の事をふと思ったりして、ためいきついて添削の会は解散。チラシは畳んで古新聞の袋にしまうのだった。

▲ 「家」といえば、信州から大阪に越したのはちょうど今時分のこと。
いまだに歩道橋に立つと、目の前にひろがるのが 海のように波打つ「みどりのまきば」ではなくて、高いビルと何車線もの道と、空を横切るように走るモノレールであることが、いまここにいることが、なんだかとても不思議なきもちになったりするけど。
ああ、もう6年たった。
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by bacuminnote | 2010-05-31 13:37 | 開田村のころ | Comments(0)
▲ 桜とゴールデンウィークがおわり、緑にうもれるように静かな(はずの)よしのに向かった。とはいえ五月晴れの日曜日の朝だから。家族連れや中高年の夫婦やグループで特急電車の中は賑わって、なんだか遠足のバスにまぎれ込んだみたいな気分であっち見てこっち見て。おちつかない。おかあさんの膝の上には子どもの赤いリュック。横から男の子が手を伸ばしておやつを出そうとして「着いてからでしょ」と言われてる。

▲ 遠足いうたら、バスはたいてい前の方の席で、リュックのポケットにビニール袋は必須アイテムやったなあ・・・と思い出しつつバッグから本をとりだして開いた。窓の外に見入るのはいつも橿原神宮や飛鳥を通り過ぎ吉野口駅あたりからなのだ。
あ、けど、こんなふうに乗り物の中、平気で本が読めるようになったのはいつの頃からやろ。「本読んだら車に酔いまっせ」「遠くの方を見ときなさい」とうるさく言われてたのは小学生ぐらいまでやろか。

▲そして、やっぱり小さい時は車酔いの多かったウチの息子たちにも「下向いてんと 外の景色みとき」とか「マンガ読んだらあかん」とか、くりかえしたっけ。そうは言うても田舎に暮らしてたら、買出しでも他市の図書館や病院に行くにも 車に長い時間乗る事はしょっちゅうで。はしゃいでた子がだんだん無口になると要注意。退屈しないように、酔わないように、といろいろ遊びを考えた。

▲ 一番よくやったのは漢字ゲーム。「大」とか「中」とか簡単な漢字で、順番にその字を使ったことばでつないでいく。大会・大根・大空・大木・・というふうに。一通り出尽くすと、大運動会・大駐車場、とか、ね。「大売出し」なんていうのは字余りやけど大サービス(笑)でセーフ。そのうち大北・大江・大畑・・・なんて名字シリーズになって、ようやくゲームオーバー。
あとは、目的地まで同じ交通標識がいくつあるか当てっこ。トンネルに入ると通過時間の予想。車のナンバープレートの地名はどこが多いか、なんてことを言い合った事もあったっけ。

▲ そうそう、わたしの膝の上の本はこのところ夢中になっているアーサー・ビナードさん(前回紹介したボブ・ディラン『はじまりの日』の翻訳者)の『日本語ぽこりぽこり』(小学館刊)。読み進めていくとこの本にも「carsick」話がでてきた。
ビナード家では『窓外の看板に書かれた単語のABCを順に集め、最初にZまで到達した者が優勝する「アルファベット・ゲーム」。それから、他の車のナンバープレートが何州のものなのか、先に見た者がその州名を声に出して獲得、より多くの州を集めたら勝ちという「ライセンスプレート・ゲーム」』だったとか。
いやあ、車酔い対策って海を越え山を越えても!同じようなことを考えるんやなあ。

▲ この話はやがて車酔いもしなくなったアーサー・ビナードさんが日本に暮らすようになり、夜行バスに乗ってラジオの仕事で東京から青森に行く話へと発展する。長時間の深夜バスでなかなか寝付けないアーサーさん。一応バスには「読書灯」がついているけれどわずかな明かりだし、ほかの乗客は寝ているのに悪いような気がして、コートにくるまって目をつぶりいろいろ考え事をする。

▲『おもしろくない詩集を読んだあと乗車すると、どこが問題なのか、どう改造したらおもしろくなるか、「大きなお世話添削」を延々やっている。うっかりと、新聞の腑抜け社説を読んでしまったときは「無駄骨反論」が、福島県に入っても続く。そして、やがて、本当に気分が悪くなっていく』(「夜行バスに浮かぶ」より抜粋)

▲「大きなお世話添削」も「新聞の腑抜け社説」に「無駄骨反論」も声あげて笑うた。この方のものを見る目、ことばへの目は深くするどく、そしておもしろい。
『人はパブロフの犬よろしく、無意識のうちに操作されていることがたくさんある。文章を書く作業は、ぼくの場合、自分を疑(うたぐ)るところから始まったりもする。「疑る者は救われる」とは限らないだろうが、少なくとも「信ずる者」よりは、面白く生きられると思う。疑る手段として、母語の英語だけでなく日本語も得て、退屈することは皆無だ。』(「あとがき」より抜粋)

▲ あらあら、アーサー・ビナードさんの世界に入り込んで、笑い、考え込んでいるうちに、気がつけば乗客はごっそり減り、窓の外は緑、緑で。川が陽の光を受けて はじいてきらきらしてる。
よしのに着いたらさっそくこの本で知ったあれやこれや。『点々のあるとないでは大違いハケに毛がありハゲに毛がなし』なんていう狂歌や、「灯台下暗し」の灯台って部屋のあかりの灯明台のことなんだって。それからそれから・・・と母にいっぱい話してあげよう。87歳、まだまだ好奇心のかたまりが「なに?なに?」と飛びついてくる顔を思いながら一人にやにや 本をバッグにしまった。


* 追記 *
アーサー・ビナードさんのインタビュー記事をみつけました。( cafrglobe.com 2001.10.23) 古いものですが、来日したころの事が書かれていて興味深いです。
それから、この絵本もぜひ。『ここが家だ ベン・シャーンの第五福竜丸』(アーサー・ビナード著 / ベン・シャーン 絵 / 集英社刊)
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by bacuminnote | 2010-05-12 10:31 | 開田村のころ | Comments(0)