いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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カテゴリ:まち歩き( 7 )

いつのまにか空は。

▲ 子どものころのある時期ぐんぐん足が大きくなって、運動靴も上履きもすぐに窮屈になった。
で、学年どころか、ときには学期が変わるたびに足の指が痛くなって母に言うと「えっ?この間買うたとこやないの。もう入らへんようになったんか?」とたちまち渋い顔をされた。そうして「こんどは、もっとちゃあんと大きい目の買うて来なはれや」とつよく念をおされるのだったが。「もっと」「ちゃあんと」って言われてもなあ。当時はそれ越して成長する季節やったんよね。たぶん。きっと。

▲ 「足の大きい子は背ぇも高ぅなるで。あんたとこはお父ちゃんも背ぇ高いよってになあ〜」と靴屋のおっちゃんが、そのつど同じことを言いながら靴を箱に入れてくれたのを思いだす。
もしかして♪あほの大足 まぬけの小足 中途半端のろくでなし〜とおしえてくれたんは、このおっちゃんやったんやろか。大きいても小さくても、みんなそれぞれの寸法があって。どれも大したちがいはない、ってことやね。

▲まあ、そんなわけで足も背丈もその調子ですくすく伸びて、やがては横幅もすばらしく成長(苦笑)することになるんだけど。それはともかくとして。
若い頃はええカッコして、デザイン重視でサイズより小さい靴にむりやり足を合わせたせいもあるのか(その頃大きいサイズいうたら、紳士用かスニーカーしかなかったんよね)ここ十数年は足・膝・腰の故障が多くて、何よりどこにでもすいすい歩いて行けないのがつらい。

▲せやからね、須賀敦子さんの『ユルスナールの靴』(白水社刊)を初めて読んだとき、その冒頭の一文には
しんそこ共感した。もちろんこれは子ども時代すぐ小さくなるからと、大きめの靴をはかされて「いつもぶかぶかで、ぴったりのサイズになるころには、かかとの部分がぺちゃんこにつぶれたり、つま先の革がこすれて白くなっていたりした」という須賀敦子さんのエピソードに、ご自身の内面的な思いを重ねた深い一文なのだけれど。

きっちり足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ。そう心のどこかで思いつづけ、完璧な靴に出会わなかった不幸をかこちながら、私はこれまで生きてきたような気がする。行きたいところ、行くべきところ、ぜんぶにじぶんが行ってないのは、あるいは行くのをあきらめたのは、すべて、じぶんの足にぴったりの靴をもたなかったせいなのだ、と。
(『ユルスナールの靴』”プロローグ”より抜粋)

▲わたしも歳とって、いまはもう「ぴったりの靴」に会えたけどかなしいかな、いっぺんに長くは歩けないんよね。
でも、少しずつやったらなんとか大丈夫なんやから、と最近 夕ご飯が早くすむとさっさと後片付けをして、家の近くをぐるりと一周・・・夜の散歩に出るようになった。
キョリも時間もほんのちょっとなんだけど、まだ空にうす青の残る時間から歩き始め、歩いているうちに夜のまちになるその変化がとてもおもしろく、そして、きれいんよね。
昼間はただ箱を積んだだけに見えるマンションも、夜になると窓がぽっと明るくなって。そこに暮らしがあることを感じる。そして、何よりのたのしみは、夜風のここちよさと、風にのって運ばれてくる夕餉のにおい。揚げものや炒めもの、カレー、たまに懐かしい煮物のにおいもして。開け放たれた窓からもれ聞こえる 泣いたり騒いだりのちいさいひとたちの声もまた。

▲途中通る消防署のおにいさんたちは赤い車の並ぶ前で、息切らして夜のトレーニングをしてはる。
保育所帰りの母子が立ち止まって見入る。早く帰りたいママのそばで子どもが声をあげる。わたしの耳にも届いた「じぷた」という声に、むかしはかわいらしかった(!)息子たちの顔がうかんで いとおしい。
お年寄りが犬に引っ張られるように通り過ぎ。腕に何やら巻きつけて完全装備で黙々走る男性。こんな時間から塾にむかう子どもたち。バスから降りた若い女性は両手にスーパーの買い物袋下げてマンションに向かって小走りしてはって。そのほそい背中におかえり〜おつかれさま、とつぶやく。
いつのまにか空は群青色だ。




*追記(追記の方が長くなった・・)

その1)
この間から買った本も図書館のリクエスト本も次々届き、読む読む読むの日が続いて。
どんなことでも「追われる」のが苦手なので、読むべき本がたまってきたとき、借りた本を読めそうにないと思ったら返却日にまだ日があっても即、返すことにしています。

そんなわけで、一昨日は前回ここに書いた『こんな夜更けにバナナかよ』の続きで読み始めた同じ渡辺一史氏によるルポルタージュ『北の無人駅から』(魅力的な本ながら900頁もある)を未読のまま返しに図書館に行ったのだけど。返却カウンターの前に一旦は並んだものの、返す前にこの本のために書いたというとこだけでも読んでおこう、とそばの椅子にちょっと腰掛けたんよね。

そしたら、やめられなくなって。途中すわり心地のいい椅子に移動して〜図書館の帰りにするつもりの用事も却下して(苦笑)結局、上・下200頁余りを読むことに。(第5章 キネマが愛した「過去のまち」【留萌本線・増毛駅(上)】第6章 「陸の孤島」に暮らすわけ【留萌本線・増毛駅(下)】)とりわけ6章の「雄冬」の話が深く心に残りました。

「陸の孤島」ってことばには「中央」から置き去りにされた感があって、抵抗かんじるんだけど。わたしにとって行ったことのない「雄冬」という北の地は、海と山のちがいこそあれ、かつて暮らした信州・開田村での時間と重なります。
そうして、取材の大変さに、ワタナベさんを泊めてくれる宿は見つかるんやろか?ちゃんと話を聞いて帰れるんやろか?と、いつのまにかライターの母になった気分で(!)心配でどきどき。
考えてみたら、人の人生を問うようなこと、見ず知らずの人にそう簡単に語ってくれるわけ、ないよね。ルポルタージュを書くというのは、そういう人の懐にとびこんでゆく、とびこむことを許してもらうような行為なんやなあ、と思いました。ワタナベさんの地道な取材とそれに応えてくれた人たちに胸があつくなりました。
そんなことも含めて読み応えのある本です。

最後のほうで、何故この地に住み続けるのか問いに、年長者ばかりでなく年若い漁師にとってさえ《雄冬の海は他とは交換できない海だった。》という一文は衝撃でした。
ぜひ、また機会をつくってこんどこそ全編読んでみたい本です。

その2)
今日はこれを聴きながら。

忌野清志郎&仲井戸麗市 - 夜の散歩をしないかね


その3)
先日『ビフォア・ミッドナイト』 をDVDで観ました。
このシリーズの三作目ってこともあり、もうそれだけで十分かも、と正直なとこ あまり期待してなかったけど。
主人公ふたりの歳とった感(これを「劣化」というひともいるけど、わたしはそうは思わない)が、ええかんじ。
いろんな人が出てるけど、映画はほぼ二人の会話。アイを語り合ったかと思うと過去にさかのぼってのフウフげんか。しゃべってしゃべってしゃべり尽くす。
しずかなフウフに、ずっと憧れてきたけど。わたしには無理かな〜と最近ようやく思う。ていうか、やっぱりフウフは(いや、フウフだけでなく共に暮らしてゆく者として。親子でも、恋人でも友だちでも)思ってることは喋って、喋って、喋らなあかんとおもう。人と人・・ちがう者同士が近づいて、理解し合うためにも。(なかなかムズカシイんやけどね、これがまた。)


その4)
そうそう。このブログ(ブログ人)のOCNがブログサービスから今秋撤退する旨連絡がありました。サービズが始まって10年やそうですが。かんがえてみたら、この"bakubaku"も開始が10年前の2004.7.17で。
長いことおせわになりました。いま引越し先を考え中。
いやあ、しかし10年かぁ〜
いつも同じようなことばっかり書いてる気がします。(すまん)
それに「字が多すぎ」「字が小さくて」読みづらい、写真を入れてみたら?・・・と、始めた頃から今に至るまで、友人知人からなんども声が届きながら、聞こえんかったふりでして10年。(すまん)  
こんなわたしとbakubakuですが、これからも ゆるゆるとよろしくおつきあいください。
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by bacuminnote | 2014-07-14 19:54 | まち歩き

川はラムネの瓶の色。

▲ 暑い、暑いというてた日がうそのように、涼しくなって。
ああ、ようやく秋かと思ったんだけど。これがすっきり退場とはいかず、なかなかにしぶといお方である。(←夏が)
「秋隣(あきとなり)」というすきなことばがある。まだ陽射しは強いけど朝夕に秋の気配を感じることをいう「夏」の季語ながら、今はまさにそんな感じやなあと思う。
さっき、うっかり「あきどなり」とキーを叩いたら「秋怒鳴り」というのがでてきて大笑い。まだ暑い日が続くようやったら、それこそ「秋が怒鳴ってくる」かもしれへんなあ。
今日も綿菓子をちぎって薄くうすーく伸ばしたような雲と水色の空がうっとりするほどきれいで、ついつい買いもんに行く途中 立ちどまって上見てると「何やろ?」とつられて空見上げる人がいるのも、たのし。

▲二、三日そんなこんなのエエお天気がつづくけれど、この間の台風のときはほんまにこわかった。
あんなに台風がこわいと思ったのは、久しぶりのこと。夜中じゅう続いたすごい雨音と風によく眠れないまま、川の傍(はた)で育った子ども時代~台風のよしの川を思い出していた。
夏休みに毎日泳いだラムネの瓶の色した静かな川が、台風が来ると、まるで人が(川が?)変わったみたいに、土色に濁って、唸り声あげ、太い束のようになった水が どどぉーっとものすごい勢いで流れて来て。

▲ そんな中を野菜や倒木、壊れた家具や屋根、たまに自転車なんかも流れてきたっけ。
はじめのうちは姉たちと二階の窓から身を乗り出すようにして、波の間に見え隠れするタンスが踊るようだとか言うてはきゃあきゃあ騒いでたんだけど。そのうち、橋脚がみるみるうちに短くなって、橋ぜんたいが川に飲み込まれるかもしれない、とはらはらして。いつのまにか みな無口になった。

▲ 何より、橋のむこうにある旅館にいるお母ちゃんやお父ちゃんは、橋が壊れたらもうここへ帰って来れへんのとちゃうか、とわたしは心配でならなかった。「なんせ伊勢湾台風のときは橋がまっぷたつになったもんなあ」と、台風のたびに大人たちが言うてたのと伊勢湾台風当時の幼い記憶ながら(わたしはまだ5歳にもなってなかった)「ただごとではない」雰囲気と伴って、自分の中で大きな不安として在ったんやろなと思う。じきに、遠回りさえしたら帰って来れるとわかるようになるんだけど。

▲当時ウチには鮎舟が何隻かあったから、台風が来ると舟が流されないように上の道まで引き上げないといけない。台風の進路と様子をみながら、いよいよと判断すると、母が船頭さん(というても、普段は別の仕事持ってはる人たち)に電話して集まってもらう。「すんまへんなあ。すんまへんなあ」と電話にむかって悲壮な顔して、なんべんもなんべんもお辞儀していた母の姿はわすれられない。
いま思えば、船頭さんもたいてい川べりの家に住んではるから、自分ちの台風の準備で一杯一杯なのに、雨のなか舟を上げに皆来てくれはったんやなあ~としみじみ。

▲ この間の台風で、水浸しになってる馴染みのある地、よく知っている川が氾濫しているようすをニュースで、息詰まる思いで見ながら、かつての故郷の川がうかんできた。
たのしい川も、夏のたびの辛く悲しい事故も、台風の被害も。川の表情はじつにさまざまだ。ニュースによると、まさかあの川が、と思うところまでかなり増水したようで。
川も生き物なのだ。長いこと忘れかけてたけれど。
被害にあわれた地域のみなさまに心からお見舞いもうしあげます。

*追記

わかい時くりかえし聴いたランディ・ニューマンの"ルイジアナ1927"を、ひさしぶりに。これは1927年のルイジアナの大洪水をうたったもの。その頃意味をわかって聴いてたのか思い出せないのですが。
Louisiana 1927-Randy Newman

"ルイジアナ ルイジアナ
あらゆるものが我々を押し流そうとしている
あらゆるものが我々を押し流そうとしている
"
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by bacuminnote | 2013-09-22 09:51 | まち歩き | Comments(0)
▲ 底冷えのする一日だった。歩いていると冷気がからだに吸い付いて離れないようで。「あるもんで すましといたらよかった」と買い物に出てきたことを後悔する。おまけに帰りはみぞれみたいな雨がぱらぱら降って、スーパーの暖房でやっと温もったからだがみるみる冷えていくのがわかった。
そうして家に着くなり台所に買うてきたもんを置くと、コートも着たまま、まずお湯を沸かす。こんな日こそ葛湯だ。

▲ 子どものころから風邪ひいてもお腹こわしても、吉野の子は葛湯で育つ(あ、おなかの時は「陀羅尼助 だらにすけ」も)。その時分は小さな雪平で母が練って拵えてくれた葛湯をお匙で「食べた」けど、いまはもうお湯を入れたらできる葛湯のもとを、ちょっとゆるめに溶いて「のむ」のが好き。しっかりぬくめておいたマグカップにしゅんしゅん沸いたお湯を注いで、スプンでぐるぐる混ぜて、初めは白く濁った葛がすきとおってきたらできあがり。この葛湯は中からぷくっと白いあられが浮き上がって桜の花みたいでかいらしい。両手で熱いカップを包み込んでほんのり甘い湯気を顔にまといながら、ふうふう言うて、ああ、おいし。ぬくもった。

▲ そのむかし。
ちょっとの間 お茶を習いに行ってたことがある。70年代も終わり頃になってもなお、わたしの生まれ故郷では女の子は「嫁入り」前に「お茶お花」のお稽古して~というような時代で。そもそも、わたしは「嫁入り」ということばも気に入らんかったし「嫁入り支度」?何ですか?それ~とか思ってた。
でもでも。そんなんやのぅて。お茶も和菓子も、お茶碗や器も茶花もすきだったし、着物姿にはあこがれもあって。今から思えばそのころの自分の中途半端な思いやこだわり、反抗っぷりがちょっと恥しくもあるんだけど。そんなわけで周囲の同級生たちが行き始める年頃からはずいぶん遅れて(時期をずらす、ということで気持ちに折り合いをつけたのか・・)家の近く、母の叔母さんのところに習いに行くことになった。

▲通い始めて(すぐに)わかったのは、わたしがすきなのは、センセ(母の叔母)や長年通ってはる年配の方たちが流れるような所作でたててくれるお茶や、おいしいお菓子をいただくこと。道具立て、その日の茶花、軸の話、そして茶室のふんいき・・であって、自分がお茶をふるまえるようになる、って事じゃなかったようだ。というかほんまに作法を「覚える」ことは大の苦手で、いつまでたっても進歩はなく、お点前の途中で何度も横目でセンセの方を見て「つぎは・・・」の指示を待っている劣等生であった。唯一すきだったのが、器や茶筅に自分で「銘」を考えて言う、というので。「ご銘は?」と聞かれると前の日から季語集や茶道の本を読んで熟考!の「成果」を披露。すると、みんなが「ほぉ」と言うてくれはる ほんの何十秒かのその時間(苦笑)

▲ それでも親戚のよしみか、センセはいつもやさしくて「くみちゃんはお道具の話はよう覚えてるのになあ」と呆れながらも、ほかの生徒さんがいないときはお茶やお菓子のおかわりもさせてくれたんよね。(←結局そこですか?と自問・・)おばさんちは醤油と葛食品の製造業で(つまり、さっきのんだ葛湯もここのもの)茶室は醤油蔵の奥にあった。茶室のほんとうの玄関は川の方にあったんだけど、わたしはいつも蔵を通って行った気がする。だから、いまでも醤油の瓶を開けたとき つんと来るにおいに、暗くてひんやりした蔵や、おばさんの着物姿の小さなまるい背中と、あの茶室をなつかしく思い出す。

▲ そして、わたしの習い事はお茶にかぎらず、ちっちゃい頃からたいていこんな感じで、いろいろ首つっこんだけど長続きしないから。いま観ている連続ドラマ『カーネーション』で三姉妹が声揃えてしつこく要求してるピアノも、他人ごとながら「あんたら ピアノ買(こ)うてもろても ちゃんと続くんけ?」(なーんて「糸ちゃん」風に・・笑)言いたくなる。ウチではわたしだけじゃなく姉たちもみな続かんかったんよね。センセが弾いてくれるのを聴いたり、持って来てくれはるレコードを聴くのはものすごく楽しみだったけど、練習は大嫌い。おけいこの日も友だちんちで隠れてたりで、いっこも進まへんかったなあ。

▲ いまのわたしやったら「月謝はだれが払ってると思ってんねん!」と、それこそ「糸ちゃん」みたいに頭から湯気出してたにちがいない。だいたいが、ガッコも習い事にも向いてないのかもしれないなあと思う。
それなのに。こんな年になってもこりずに「大人の音楽教室~サックス」とか「ティンホイッスル教室」の案内を見ると、きまってチラシを貰って帰っては家族にあきれられてる。
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by bacuminnote | 2012-01-21 21:16 | まち歩き | Comments(0)
▲年明け早々「去年」の話なんだけど。
暮れに相方の旧友たちの集まりに親子で行って来た。年一回この日だけは皆集まる。お昼から延々何時間もかけて、たっぷり河豚鍋を食べ、一年分(以上?)しゃべって、食べて、また語り。わいわい言うてビールがうまい。

▲帰り、駅までの道・・商店街にはすでに人の通りはなくて。
灯りだけが煌々として店先を照らしている。
「正月用」と書かれた 昔ながらの紅い縁取りの白い紙に 墨の黒がきれいだ。
けど、その紙が風でゆれてぱたぱた鳴って、エンドレスで流れる音楽『お正月』がなんだかさびし。

▲「これ一日中鳴ってたら、かなわんなあ」と言いつつ、ついつい一緒に口ずさみ。歌詞を浮かべてみると、わたしがまだ子どもだった頃のお正月は「もういくつねると」「早くこいこい」と、心待ちにするものやったんよね、と改めておもう。
凧揚げも独楽回しや羽根つきも(歌中「おいばねついて」というのは「追羽根」二人向き合っての羽根つきのことらしい。この年になるまで「おいばね」は聞き流していた気がする)まりつきだって、お正月に限った遊びではなかったけれど。
朝からごちそうや、大人はお酒の、家中、町中が開放的な雰囲気の中、肌着から靴下まで新しいもの揃えてもろて、ちょっとよそゆきの服を着せてもろぅて、汚さないように気ぃつけながらの外遊びは、特別のものだったのだろう。

▲そう言えば、小学生の頃の友だちの年賀状はたいていお餅の絵が描いてあって。「おもちをたべすぎないようにしよう」とか「おもちはいくつたべましたか?」と書き添えられていた。お餅は今でいうケーキみたいなものやろか? いや、今じゃケーキだって珍しくもなんともないしなあ。
そんなこんなを思い出しながらも「指折り数えて待つ」ような年明けなど、もう長いこと味わってないから、それがどんなにわくわくした感じだったのか思い出せなくて。ずっとあとを追ってくる「お正月」のBGMの中 駅まで歩きながら、暮れの夜 肌を刺すような冷気に酔いはどんどんさめるのだった。

▲翌日には東京から上の息子が帰って来た。
大急ぎでクリスマスの飾りを片付け(苦笑) 庭の南天を片口に活けてみる。黒豆(ちょっと柔らかめだったけどおいしく炊けた)と数の子はふんぱつして買ったけど、あとはいつもの食卓。それでも、お茶碗、お湯のみ、お皿が増えるのもうれし。いつもは空いたその席に息子が座り。うれしい夜のビールがうまい。

▲元旦には息子の友だちがやって来た。
あったかほかほか訪問者に笑い声も一段と大きくなって。
あたらしい年にも、お客さんにも「ようおこし」。
4人の男たちに囲まれた紅一点(←わたし・・笑) ほてった頬にビールがうまい。一年の始まりの日をこんなにたのしく過ごせたことにカンパイだ。
夜は修学旅行みたいに部屋いっぱい布団を敷いて寝た。

▲それでも、あっというまにその日は来て。友だちも息子もそれぞれ帰り、またいつもの生活にもどった。パジャマを洗い、布団を片付けて。きょうは熱い番茶を啜っている。
『人去って三日の夕浪しづかなり』平井照敏編『新歳時記』所載


今年もどうぞよろしくおねがいします。
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by bacuminnote | 2009-01-07 10:00 | まち歩き
▲春から某校に週一回通っている。超がつくほどの方向音痴だけど、若いクラスメイトの暖かな指導で地下鉄の乗り継ぎもすいすいできるようになったし、途中気に入りの店に寄る、なぁんて「街歩き上級編」まで できるようになって(苦笑) じつに刺激的な「電車通学」を楽しんでいる。
というか、ガッコそのものよりこんな風に電車に乗り、行ったことのない町を歩き、教室でいろんな世代の方とであう事にひかれて、人混みの中を通っているような気がする。
で、その片道30分ほどの道のりに、いつも本をバッグに入れてゆくんだけど、たいていは膝の上に開いたまんま人物ウォッチングしているうちに、あっというまに目的地に着いてしまう。

▲目も覚めるようなピンクとグリーンの髪の若い女の子の二人連れは お互いのコーディネートのことをほめ合って。大きな水玉模様のリボンが頭の上できゃっきゃっ笑うたびに揺れている。その隣りには黒髪、黒スーツの就活スタイル女子三人。茶封筒を胸に抱えて何の話かわからないけど「それはわがままというもんやわ」「せや、せや」とコーフン気味だ。
だれにということなく一人はげしく怒ってるおじさんがいてはるかと思えば、「篤姫」を熱く語ったあと、中吊りの『’08後半あなたの恋と運命を占う』に「見て見て、もう’08年後半やてぇ。早いなあ。いややなあ。また年とるなあ」と沸くのは某放送局見学帰りとおぼしき初老の女性四人組。

▲向いの席ではサラリーマン風の若い男の子がパンフレットのどっさり入った紙袋を両足に挟み、電車の中とは思えない爆睡ぶり。「乗り過ごさへんのかなあ~」とおかあちゃん的視線を送りつつも、目的の駅のアナウンスにあわてて席を立つ。ぷしゅうと音たててドアがしまり、捻挫の足をかばいながらゆっくり歩くわたしの真横を電車はびゅーんと追い越して行く。

▲「ひと」好きは、人の出入りの多いウチの子ゆえか。
こどもの頃のわたしは四姉妹で一番甘えん坊だったので、母のあとばかりついていた気がする。そんなわけで「しゅくだい」も帳場ですることが多かったから、帳場の机の上に敷いてあったラバーの深みどり色はいまもよく覚えている。それは縁がぎざぎざにカットされていて、ところどころカーボン紙の黒いインクが染みになっていた。
当時は公給領収書というのがあって、控えとお客さん用と税務署用と三枚複写で。カーボン紙を間にはさみ、五つ玉のそろばんと暗算で、流れるように公給領収書に書き込む母をいつも横から「すごいなあ」と眺めていたっけ。

▲この間、母と電話でその話をしたら「お銚子何本でいくらとか、宿泊の計算とか、全部覚えてて計算早いの自慢やってんけどな、いつやったか調理場と帳場と行ったり来たりしてばたばたしてたら、えらい計算まちごぅて。一回大阪のお客さんとこまで謝りに行ったこともあるねん」という告白(苦笑)を初めて聞いた。
あの頃の母は何歳くらいだったんだろう。わたしは授業参観に来てくれなかった、と言っては拗ね、運動会で皆とうにお弁当を囲んでるのに、来るのが遅い、と泣きべそをかき、いつも母をこまらせてたけど。今思えばほんまに大変やったんやなあと思う。

▲こどもが仕事の場にいることを親は好まなかったようだが、わたしは人が集まる「そこ」がすきだった。
帳場のうしろの板の間には大きな冷蔵庫があって、仲居さんたちはビールやジュースを竹の籠に入れて、帳場に「○○に、おビール4本、お銚子6本です~」と言うて客室に運んでいかはる。わたしはメモ用紙に母のまねをして「正」の字で飲み物の本数を書いてたっけ。

▲そうそう、冷蔵庫の横の棚には 吹き寄せやあられ、塩豆といった「おつまみ」が入っている一斗缶が並んでいた。母が席をはずしていると仲居さんが「ちょっと、おいで」と手招きして、左手で袂を押さえたかと思うとさっと一斗缶に手をつっこんで、わたしの両手いっぱいあられを入れてくれるんよね。
清流、若鮎、かじか、吉野川、桜花、若杉・・・それから何だったか~ その頃の客室の名前を思い出すとき、掌に受けたあられの香ばしさがいっしょに浮かんでくる。仲居さんの白粉(おしろい)やらお酒のにおいと、いっしょになったそれがよみがえって、もう今はない旅館の帳場がこいしくなる。
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by bacuminnote | 2008-06-16 13:48 | まち歩き
▲ぶ厚いコートはもうクリーニングかな、と思っていたら真冬の日が戻って。でも、ここ数日の陽気は「ほんまもん」やろか。お布団干したり、毛布やカバーを洗濯したり、拭きそうじしたり。長いこと「またこんど」と済ましてきた あんなことも、こんなことも すいすいできるきもちのいい朝。もちろん窓の外はブルースカイ。春の光がまぶしい。

▲先日、息子(その2)が(その1)の住む東京へと出かけたので、相方と二人きりの数日を送った。生まれて二ヶ月後から医者通いが始まり、病院までうんと遠い山の中に在って、心配ばかりしてきた下の子も、去年は眼科に一回行ったきり。いつのまにか相方やわたしのほうが健康保険証を使うことが圧倒的に多く、息子はそんな親の「過ぎる」心配から解放されたい年頃になったようで、感慨深い。

▲そんなわけで、東京に行ったその日の夜、相方と天ぷらを食べに行く。
思えば、ふたりで外食なんて14~15年ぶりのこと。日頃から座り込んでは、よくしゃべるフウフだけれど、外で向かい合って座るのは落ち着かなくて。それでも、次々に揚がってくる天ぷらをほおばりながら生ビールをのんでいたら、ああ、シアワセ、とキンチョーも解け(笑)いつの間にか「ふだん」に戻る。

▲黙々と食べていた間、二人とも気になってたのが 隣席から聞こえる会社員グループの話とわかって笑う。新入社員二人を上司一人で歓迎会のもよう。「会社」に縁のないわたしらには、時折漏れ聞こえる会話がドラマのようなんである。
「あの人ら、どんな仕事やろ?」「不動産関係?いや広告の会社やろか?」とか、勝手なこと言わせてもろてる間に、天ぷらは魚介から野菜に。そして〆の天茶。
ところが、天茶のえびのかき揚げがとても美味だったので、〆のはずがもう一度かき揚げ、れんこん、生ビールを追加して・・・満腹と満足の夜、家までの道をならんで歩くも、これがまたなんだか照れくさい。

▲けど、もう何年かしたら、また「ふり出し」に戻ってふたりなのだ。昔みたいなドキドキは、とうに消えてるけど(笑)お互いに長くよき「相方」でいられるといいな と思いながら、帰り道、閉店間近の店で買ったシュウクリームふたつ入った箱を揺らして歩いた。
次の日は三食かんたんなものですませて! 三日目は夕方駅前で待ち合わせてピザを食べに行くことになった。ところがウチはこれまでも、いまもずっと家で一緒なので、外で「待ち合わせ」ということがないのであるからして、これまた落ち着かない。先に用事で駅に出てきていたわたしは待ってる間 そわそわ若者みたいに友人に携帯メール(苦笑)

▲ようやく相方が現れ、お店に入って向き合って座ったら、いきなり相方の後方 ガラス戸越しにちっちゃな男の子と目があった。家族と食事に来ている様子なんだけど、きっと大人たちはおしゃべりに夢中なんだろう。彼だけシートに立って後ろのガラス越しに「笑ろてるおばちゃん」をじっと見てる。初めは恥ずかしそうに。そのうち「いないいないばあ~」をし始めて、なんとも、かいらしい。

▲この生地はどうのこうの(パン屋の頃はよく家で焼いてたし)と いいながらも がつがつと食べる相方。わたしは、そんな相方の頭ごしに、ちっちゃな男の子と交信(笑)しつつ、ピザとビール。時々ママらしき人がこっちを振り返り、かるく会釈しはる。その間だけおとなしく座っている彼は、また少しするとこっちむいてにっこり。それだけのことなんだけど。彼のおかげでほんわか、しみじみ、いい時間だった。久しぶりのピザもおいしかったしね。

▲「うまかったけど、こんなんだけでは、また夜おなかすくなあ~」と 大食らいフウフは店を出たあと、デパートの地下で買い物をして、さあ帰ろうということになった。待ち合わせの前に 用事で歩きくたびれていたわたしは、階段がきついのでエスカレーターで回り道を。先に階段で上がった相方がエスカレーター上階できっと待っててくれるのだろう、と思ってたんだけど。
なんのことはない。はるか前方をさっさか歩いてるお方は、わがオットである。
かくして この日の年寄りカップルのデート(笑)は別々に帰宅とあいなった。
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by bacuminnote | 2007-03-27 14:45 | まち歩き | Comments(0)
▲京都は暑いしなあ・・・としばらく迷ってたんだけど。
考えてみたらそんなん大阪かておんなじくらい暑いんやし。思い切ってこの間 富本憲吉展を見に 京都の美術館まで出かけた。
京都岡崎公園あたりは十代の終わりに よくうろうろしていた所で。
府立図書館、京都会館、国立近代美術館、京都市美術館、観世会館や京都勧業会館にいたるまで。「館」のつくおおきな建物がこれだけいっぱいあるのに広々としていて、すぐそばには平安神宮の朱色の鳥居がどーんと鮮やかで、ちょっとむこうには動物園もある・・ふしぎな場所。
そして、何より。
ここは、わたしにとって どこを切り取っても なつかしの景色になってしまうところだ。

▲行きはJRで京都駅に。あとはバスで岡崎まで出ることにした。
初めはわたしと中高年の夫婦らしき人だけがバス停で待っていて。
地図を広げて平安神宮のあとはどこに回るか、ああでもない、こうでもない、とその二人が言い合ってるのを聞くともなしに聞きながら「その譲り合わないセイシンはいずこも同じ」と 秘かに笑いつつ(よそさまの言い合いはおもしろい)のんびり欠伸なんかしてたんだけど。
そのうち外国の方たちも含め、老若男女、列を作っていっぱい並び始め、始発からバスはたちまち満席。さすが観光都市、京都の市バスである。
窓際の席は陽が差してハンパな暑さではなかったけれど、車内はガイドブックや市街地図片手に窓の外を眺める人々が大多数ゆえ、日よけを下ろすに下ろせず(苦笑)汗かき、かき、わたしも懐かしい京都のまちの景色を楽しんだ。

▲さて、富本憲吉展である。
彼の記念館が奈良県生駒郡にあることは、知っていたけれど、奈良県民だった頃はあまり関心がなくて一度も行ったことがない。
若いときって、しばしば「近く」より「遠く」のものが気になるもんで。
それに同じ「民藝」の流れでも濱田庄司や河井寛次郎、バーナード・リーチの方がすきだったし。
だけど、ここ数年、相方のおとうさんの遺品を整理していたら、美術館で求めたたくさんのポストカードの中に富本憲吉の作品が幾枚もあって。眺めてるうちに印刷ではなく、あのあざやかなイエローやグリーンの実物を見たくなって、ちょうど企画展があると知って「そうだ、京都に行こう」(笑)と相成ったのだ。

▲思いの外の人出はバスの中だけじゃなく、美術館内も高齢の方から若いカップルまでいっぱいだった。
富本憲吉の作品は小さいものも多く、一人 展示の前に立ち のぞきこむと、うしろの人は何も見えない。
ふと横を見ると、4~5才の女の子ふたり、7才頃のまっくろに日焼けした男の子とそのママがちょっと引いた場所で作品を見ている。
三人とも とてもいい顔をしていて。子どものことだから、熱心にのぞき込んでるかと思うと、先さき前に進んだり、隅っこに座り込んだりもする。けど、その後ろ姿を見ているだけで なんだか顔がゆるむのは、作品をけっこう楽しんでるみたいだったこと。なんとなく おかあさんの鑑賞時間を壊さないように、子どもたちなりに理解してる雰囲気だったからかもしれない。

▲ママもキュートでセンスがよく、時にぐずる子どもをなだめ、兄妹げんかの仲裁に入ったりしながらも、自らが「みる」ということを おざなりにしない。三人の子連れで、この暑さの中、きっと、みたくて、みたくてやって来たのだろうな。
こころに残る親子の姿だった。

▲わが家もかつて、こんな風に子連れで何度となくここに来たものだ。
いつだったか、帰りにわたしの昔の下宿先に親子でおじゃましたら、おとうさんが日本画家だったというおじさんが「こんなとこまで来て美術館では子どもがつまらんよなあ。おじさんも昔な、親父に、本物を観るのは大事なことや、とか言うて美術館に連れられてんけどなあ。美術館なんかより動物園の本物のほうがよっぽど見たかったわ」と息子の方をみて笑って言うてはったのを思い出す。

▲そうそう。
いちばんの目的だった実物のイエローやグリーンはやっぱりとてもきれいで。
陶芸作品だけでなく、東京美術学校(東京芸大)では図案科・建築専攻だった憲吉の設計図なども展示されていて興味深かった。友だちへのはがきや手紙の横に描かれた絵もいい感じで。
それに、若いときの憲吉の写真がなかなかかっこよくて。
尾竹一枝(日本画家の娘として生まれ、後に『青踏』の平塚らいてう、神近市子、伊藤野枝と共に、日本で最初の婦人解放運動を牽引した一人)との有名な恋愛や結婚の話のあれこれを思ったりしながら、しばし眺める。
ああ、来てよかった。

▲美術館を出て向かったのは、うろうろしてた頃の立ち寄り所である(笑)珈琲ショップ。
お店の中はすっかり変わってて、いつも「あんたら しっかり勉強しいや」と言うてはったママの姿もなく。
でも窓から見る通りは一緒で、前のお寺の屋根と 道ゆくひとを眺めながら飲む珈琲もトーストサンドも懐かしい味だった。そのまま帰ろうかと思ったけど、どことなくママに似た店主に「今日はママは?」と聞くと「えっ?久しぶりに見えた方ですか?お袋は6年前から難病に罹って・・」と近況を話してくださった。

▲そうか。そうだったのか、と、しょんぼりしてお店を出るが、今日のもうひとつの目的の女の子が炎天下 自転車で駆けつけてくれ。
太陽のような笑顔でドアの外、手を挙げてくれる。
ともだちのともだち、同郷、というだけでなく、いっぱい共通のキーワードをもつひと。
だから、ちっとも初対面の気がしなくて、ノンストップでしゃべって笑った。圧倒的時間不足だったけど、あえてうれしく、
ああ、来てよかったと思う。
超がつくほどの方向オンチのわたしに、わかりやすい通りまで 自転車を押しながら、つきあってくれた三度笠chanほんまにおおき。
あ、この日の歩数計10587。
相変わらず、迷い、寄り道、遠回りの ジンセイやなあ。
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by bacuminnote | 2006-08-28 21:14 | まち歩き | Comments(0)