いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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カテゴリ:出かける( 50 )

ちいさくて母。

母を見舞う。

「通院するのは大変なので」「ちょっとの間」「大事とって」の入院らしく、大丈夫だろうとは思ったんだけど。
なんというても高齢だし、何より環境が変わって不安がっているかも~と、つれあいと二人で朝から病院にむかった。

その日はまだお盆休み中のことで、天気予報は午後から雨の確率70%ながら、街はどこも人がいっぱい。電車の特急券売り場にも国内外の旅行者で長い列ができていたのは、ふだん外出しないわたしの予想外のことだった。いつか観た古い映画の田舎からでてきた老母のごとくオロオロ。予定の電車に間に合うかひやひや・・・というわけで車内でお昼に、と先にパンを買って行ったんだけど、あとでと思ってた缶コーヒーも買えないまま乗車となった。

色とりどりのキャリーバッグが棚の上や座席にいっぱいの車内で、わたしらもちょっと旅行気分でパンをかじる。(のみものがなくて喉がつかえたけど)やがて目的の駅に到着したと思ったら、こんどは駅から乗ったタクシーが渋滞でなかなか前に進まない。
予報通り途中から降り始めた雨はだんだん雨足がつよくなって。見るともなしに雨粒の車窓から外を眺めて見覚えのある通りの様子に、そういえば以前もやっぱり母の見舞いでこの道通ったよなあ~と話す。

かつては働いて働いて、寝込んでいるところなんて見たことのない母ながら、ここ十数年の間には何度か入院もして、そうそう信州のころは下の子の心配もあったから、木曽から日帰りでせわしなく奈良市内の病院を見舞ったこともあった~と、思い出してるうちにようやく病院に着いた。

受付で聞いた部屋を探していたら、廊下のむこう~看護師さんに付き添ってもらってトイレから出てきた母と目があった。思いもかけない(たぶん)わたしらの姿にびっくりしたのか、恥しいのか、照れ笑いしてる。よかった。なんとか歩けてる~。

それでもパジャマ姿だったからか、点滴のスタンドと押し車のせいか、いや、病院という背景ゆえか~先月ホームを訪ねたときよりも、母はちいさくて頼りなげに見えて。いつものように、おもしろいことのひとつでも言うて笑わしてやろう、とおもったのに。「来たで~」と言うのがやっとだった。

ホームの職員さんが着替えを持って来てくれたり、つれあいが足りないものを階下へと買いに行ってくれる。そのつど「ほんまにすんませんなあ」「ありがとう」をくりかえす母。点滴を確認にきた若い看護師さんが「◯◯さん、娘さんらも来てくれはったんやし、元気だしてや~」と奈良弁で(←大阪弁と微妙にちがう)声をかけてくれると、こどもみたいに「はいっ」といい返事しており、そんな母がかいらしくて、そしてちょっとせつなかった。

先日、母のすきな曲集めて二枚目のCDを送ったとこなんだけど、届いたその日に入院になったようで。
「一曲目はユモレスク、二曲目はトロイメライやで。乙女の祈りもエリーゼのために、も入れといたしね」と言うと「帰ってから聴くの楽しみや」と一気に顔がぱあっと明るくなった。

母は娘がだれもちゃんと弾けなかった(苦笑)ピアノを65すぎてから習い始めて「エリーゼのために」がゴールだった。
「わたしはいっこも母親らしいことできんかったのになあ・・・ユモレスク好きやねん・・あんたはわたしの好きな曲まで覚えてくれて。ほんまいつもありがとうな」と半泣きで別れのあいさつみたいにしゃべり出すのでこまった。いや、ちいさい頃からわたしに音楽の入り口を用意してくれたのは、誰でもない音楽がすきなあなたやったんですよ~と思うてるのだけど。とっさにそんなことばは出てくるわけもなくて。

▲帰りは電車の連絡がうまくいかず、急行や普通を乗り換え乗り換え。車内で病室の母のことを思い返す。「ほな、帰るし」と言ったとき、目をぎゅうっとつむってこっちを見ないで手を振ってたっけ。

窓の外はのどかな田園風景。雨あがりの畑に赤い鳳仙花がひとかたまり咲いてるのがみえた。

「子のように母ちいさくてホウセンカ」(しずか)

むかいの席の母子は田舎にでも行って来た帰りだろうか。ママも、抱っこされた赤ちゃんもその横のリュックに埋もれるように寝入った女の子も皆くたびれ果てて眠っている。おにいちゃんだけは膝に真新しい虫かごを置いて、ときどき蓋をそろりと開けてカブトムシをつまみあげては、ちょっと手足を動かす様子を見てまたカゴに戻している。わたしと目が合うと恥しそうに、でも得意気にまた蓋を開ける・・をくりかえして。「あああ、そこで、おがくず、ひっくり返えさんといてや~」と、おば(あ)ちゃんはハラハラしながら眺めてたけど、かれも又そのうち眠りの国の人となり。

▲ようやっと最寄りの駅に着いたらまた大雨だった。なんせ70%やしね。デパ地下で鴨のスモークをふんぱつして、ビールビールとおもいながら帰宅。

長い一日でした。


*追記

その1)

昨夜、ネットで脚本家の山田太一氏の断筆を報じるインタビュー記事を見つけて、読みました。山田太一脚本のテレビドラマはリアルタイムでずっと観てきて、そのつどその頃の思い出や思い入れもあって「すき」と一言で言えないくらいなのですが。
氏は今年はじめに脳出血で倒れはって、退院後言語機能は回復しつつあるらしいのですが、もう脚本家として書ける状態ではない、と言うてはります。とても残念だけど、これまで観たもの、読んだものは自分の中でふかく残っています。

インタビュー記事を読んでいると、最近の母のことばと重なるところがいくつもありました。

「時々記憶が、飛んでしまう」「思ったことを上手く表現できない」「生きているということは限界を受け入れることであり、諦めを知ることでもあります」

それでも、氏はそれを「ネガティブなことではない」と言い切ります。「諦めるということは、自分が”明らかになる”ことでもあります。良いことも悪いことも引き受けて、その限界の中で、どう生きていくかが大切なのだと思います。」(*週間ポスト2017年9月1日号 より抜粋)


以前、山田太一さんが『こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス 鹿野靖明とボランティアたち』(渡辺一史著)という本の解説を書いてはって、その中で「尊厳死」について言及しておられます。こちらもあわせて、ぜひ→

(この本のことはここにわたしも以前書きました)


その2)
お盆の前後は墓参にでかけたり、息子2が帰ってきてたり、今日書いたように遠方の病院に行ったり、で、本も読みかけのまま、映画(DVD)も観たのに(『めぐりあう日』『灼熱』『ライフ・ゴーズ・オン』)わすれてしまってるという体たらく。
あ、そういえば『サンダカン八番娼館 望郷』(熊井啓監督)という古い映画をめずらしく息子と一緒に観ました。「からゆきさん」だったおサキさん役の田中絹代は素顔でボロ布纏ったような姿でしたが、きれいなひとやあと思いました。山崎朋子の原作は出版当時~高校生のときに読んだきりで、忘れてしまってるところが多かったのですが。その頃からひとつ忘れないでおこうと思った一節があって。


それは山崎氏が研究のための聞き取りだとは明かさず、おサキさんの家でしばらく寝起きを共にしてきて「どうしておサキさんは、見ず知らずの私なのに、何ひとつ素性を聞こうとしないの?」とたずねると、おサキさんはこう応えるのでした。

「誰にでも事情っちゅもんがある。相手が自分から喋るならまだしも、当人が何も言わんものを、どうして聞けようぞ」


その3)

今日は、やっぱりこれを聴きながら。

Kreisler plays Dvořák Humoresque



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by bacuminnote | 2017-08-18 12:12 | 出かける | Comments(0)

たっぷりと水をかけて。

ひさしぶりに墓参。
今春は京都大谷さんへの納骨からはじまって、身内の入院、母のホーム入居と続き、さすがの出無精(わたし)も毎週のように、あっちこっちに移動することが続いて、いつになく電車もバスもタクシーもぎょうさん乗って。

▲その合間に膝痛がぶり返したりおさまったり。よりによって、こんなときにどこからか水漏れで、水道工事は入るわ、PCのバッテリは交換せなあかんわ・・・。なんせ一日1イベント体質()なもんやから、日々おたおたとしながら過ぎて。

気がつけば6月もあとちょっとでおわり。
まだ堀ごたつのヒーターも片付けてないし、ダウンジャケットの洗濯もしていないけど。とりあえず晴れマークあるうちに~と、久しぶりのお墓掃除に出かけたのであったが。

梅雨時に雨の心配をしなくてよい真っ青な空はありがたかったものの、まあ、この日の暑かったこというたら。

近いようで遠い隣市の墓地までは、いつものように、時間はかかるけど、安うて乗り換えなしのバス~始発から終点まで約一時間。その間(かん)どれだけ停留所があるのか。いっぱいありすぎて数えたこともないけど。

それでも「次は◯◯~」というアナウンスに、降りたこともないのに、何回も乗ってるうちに耳になじんだ停留所のなまえが、その自動音声の妙なアクセントすらも、なんだかやさしくなつかしく聞こえて、自然と頬がゆるむ。

平日の午前中ということもあってか、車内はみごとに6080代で埋め尽くされている。後ろの席から押し車や杖を眺めつつ、買い物袋からはみ出た牛蒡や葱に、このひとらも又ウチみたいに早い時間に夕ご飯やろか~とその食卓に並ぶあれこれを想像したり、そや、今夜は牛蒡の時雨煮もええな~とか思ったり。

ようやく終点に到着して、近くのスーパーでお花を買う。
学生時代に、九州出身の友だちがこの「仏花」と名付けられた花と樒(しきみ)の束を、関西に来て初めて見てびっくりしたと言うてたのを思い出す。いわくジッカ周辺ではたいてい畑や庭に、仏壇やお墓用の花を何かしらは植えていて、適当にそれを切って束ねて生けたから、こっちみたいに、みんな揃いの短い丈のお花やないんよ~と。

わたしはこどもの頃から樒を後ろに当てたお花をひとまとめにして、花屋さんで作ってもらったり(出来上がりを)売ってるのが、仏壇や墓参用のお花~と思い込んでたけれど。考えてみたら、そこに咲いてるお花をお供えする友だちの郷里のほうが自然でええよなあと思ったり。
売り場の仏花の容器に「関西仏花」と書いてあったから、お墓の花も地域によってさまざまなんだろう。

▲そういえば、信州に暮らして初めての冬~雪に埋もれそうな墓石に、はっとするような赤や黄色が見えてびっくりしたことを思い出す。厳寒期にはマイナス20度をこえることもある地ゆえ、花も水もいっぺんに凍るから造花を入れてはったのだった。自然の中の作りものの鮮やかな色は、なんだかせつなくて忘れることができない。

さて、駅で乗ったタクシーから降りたら、とたんに地面から熱気がもわーんと立ち上がる。墓地にはすでに何人かお参りの人がいて、皆さん帽子と首にはタオル。どこもかしこも草ぼーぼーで、墓石が草に埋もれてるところもあって。入り口で背伸びして「ウチとこ」のを目視。「ひさしぶり」分の草の成長ぶりを確認。ため息。

さっそく花入れを洗い、ふうふう草抜きをしながら、ケッコンしたころ義父母に連れられて墓参したとき、知らんひとばっかりやった「ここ」に、今はもう、おばあちゃんもおとうさんもおかあさんも居はるんやもんな~と改めてケッコン39年という長い時間に感心して(苦笑)で、感心してる自分がまたおかしくて一人笑う。(あやしげなおばちゃん)

▲わたしはあんまり汗かきやないけど、この日は動くたびに文字通り「滝のような汗」が流れ落ちる。
夏に義母と墓参に行くと、きまって「おじいさん、おばあさん。坊(←つれあいのこと!)のおヨメさんと来ましたで~暑うおまっしゃろ~」とか言いながら、墓石にじゃぶじゃぶ水かけて。

「ああ、暑う。ウチも暑うてかなわんわ~」と柄杓を持ったまま首からかけたタオルで汗をぬぐってはったから。わたしもたっぷりと水をかける。
義母が逝って、ああもう二年たった。また暑い夏がはじまる。


*追記

その1)

暑いのんと、中腰で(膝痛でしゃがめないので)草抜きをしたので、ふらふら。ぐったり。「墓掃除一途になつてをりにけり」(岡本眸)~である。

で、駅についたらソフトクリーム、ソフトクリーム~とそればかり思って歩くも、駅の木陰でおにぎり食べたとこで時間切れ。バスが来てあわてて乗車することに(泣)


でも、帰りのバスは空いていて、バッグも横に置いて涼しい中で読書。ああ、ゴクラクゴクラク。この日はリハビリの帰りだったのでバッグに入ったままの本『ボーイズイン シネマ』(湯本香樹実)を。「シベールの日曜日」というフランス映画についてのエッセイを読みながら、途中出てきた寺山修司のことばについて、考えているうちによだれたらして(!)爆睡。気がついたら終点でした。
【人々は、自らが記憶し得た過去の情報の量を味方にして、現代の桎梏(しっこく)から身を守ろうとする】(寺山修司)

(同書p65 より抜粋)


その2)

いま読んでいる本→『子どもたちの階級闘争 ブロークン・ブリテンの無料託児所から』(ブレディみかこ著 みすず書房刊)

ブレディみかこさんの文章は以前からネットでも本でもよく読んでいましたが。あとがきにもあるように【政治は議論するものでも、思考するものでもない。それは生きることであり、暮らすことだ】(p282より抜粋)を、実感しつつ。この本のことはまたこんど書きたいです。

その3)

読んだ絵本→『先生ががんになっちゃった!』(宇津木聡史 文 河村誠 絵 星の環会刊)

これ、「学校の保健室」というシリーズの一冊みたいです。こんな本が出てるんや~とびっくりしましたが、ほかにも認知症やインフルエンザの巻もあるようです。→

この本は5年2組のみんなから慕われてる大野先生ががんで入院する、という設定で、心配でならないクラスの美咲と大輝は保健室の先生にがんという病気のことについて、質問して、それを探るべく体内への旅にでます。がん細胞の特徴、免疫細胞のこと。治療法では手術のほか抗がん剤から分子標的薬、放射線のことまで。思いの外くわしく書かれていて、正直なところ(こども向けやから、という先入観があったのやとおもう)おどろきました。からだのしくみを知ることはもちろんですが、「わたしたちには何ができるの?」という自らへの問いかけもあって内容はけっこう深いです。


(一晩考えてやっぱり~と書き加えました↓)

*気になったのは、本の最後の参考文献が二冊だけだったこと(内一冊はおなじ出版社の本)。医療関係者の監修がなかったこと。それから、わたしは絵のふんいき(これはとても大きいとおもう)が表紙もふくめて教科書の副読本的で、にがてでした。


その4)

そんなこんなで、映画もDVDも全然観てません(観たいのんいっぱいあるのに。残念!)それに、気がついたら本も、なんでか小説が全然読めないでいます。(読みたいのんいっぱいあるのに。残念!)


きょうはこれをひさしぶりに聴きながら。じつは"reticence"の意味もわからず、ずっと聴いてたけれど。「無口」といま知って、無口になっています・・。

Reticence- Ketil Bjørnstad  Svante Henryson →




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by bacuminnote | 2017-06-27 18:47 | 出かける | Comments(0)

図書館からの帰り、うしろで道を尋ねる声がした。
はっとして振り返るも、わたしに聞いてはるんやないとわかって、ほっとしたり。ちょっと物足りなかったり(←しょっちゅう聞かれる身としては。笑)・・・で、つづいて
「えーっと、そのときはね、救急車やったもんですから、病院の場所とかようわからへんでねえ・・・」という声が聞こえてきて。

ことばの端々から察するに、救急搬送されたご家族を見舞うため病院に行く途中、道に迷わはったみたいで。
「そうですねん。もう大丈夫なんですけどね・・・ああ、そうですか。ようわかりました。ありがとうございました」と明るい声が聞こえて、知らないひとのことながらよかった、よかった。

見上げると、きもちよく晴れわたった空がほんまにキレイ。
とはいうても、3月の風はつよくて、つめたくて。家を出るとき、ぽかぽか陽気をイメージして、マフラーをしてこなかったもんで、寒いこというたら。
けど、すぐそこに春が待ってるからね。ま冬の寒い日とはちがって、首すくめながらも気分は明るい。


袋をもちあげると微かににおう桜餅に「帰ったら、とりあえず熱いお茶にこれやなあ」と足取りも軽く歩いてたら、うしろの方で「あのーすみません。ちょっとお尋ねいたします。◯◯病院に行きたいんですけど・・」と聞き覚えのある声が。ん?振り返るとさっきのおばさんだ。

つい今しがた「はい。ようわかりました」って言うてたのに。又べつの人にもういっぺん聞いてはる。いやいや、笑うたらあかん。親切に教えてくれはったひとにお礼を言いつつも、あんまり理解できてないこと~わたしにもある。かの変哲サン(小沢昭一氏)だって「道問いてわからぬもよし春一日(ひとひ)」と詠んではるもんね。

▲つぎ又迷うてはったら、こんどはおせっかいでもこっちから教えてさしあげよう(方向音痴でもこの辺のことならわかる)と思うてるうちに、分かれ道に来てしもて、横断歩道を渡ったんだけど。ふと振り返ったら道向こうに、件の病院にむかってはるのが見えた。

▲さて、この間また京都に行って来た。
先週のうらたじゅん個展と、2週続きの遠出だ(おおげさやなあ)。今回は西本願寺~大谷さん(大谷本廟)まで。
菩提寺からの団体納骨で、朝早く隣市にあるお寺に集まって本堂でお参りの後、バスでみんな一緒に京都にむかう。(ゆえに迷う心配はない)

ウチはわたしが代表で(!)参加したんだけど、老若男女二十名ちかく集まってはるファミリーもあって、バスの中はお菓子や飴ちゃん、おせんべいが行き交ったりして、さながら春の遠足のような賑わいだった。
「なんや~ウチとこは、あんた一人かいな~?しゃあないなあ」と、遠いとこからお義母さんが呆れたように笑うてはる気がして。苦笑。

バスは満席で、空いていたわたしの隣席には法務員さん(ご住職のお手伝いをする僧侶というたらええのかな)が座らはった。
今はまだ法衣よりスーツのほうがよく似合ってる若いお坊さんが、本を読んでいたわたしに「何読んではるんですか?」と声をかけてくれた。(一人参加で、なんかさびしそうに見えたんやろか)
読んでいた本というのがたまたま
『宗教って、なんだろう?』 (島薗進著 平凡社2017年刊)だったこともあって、それを機に隣同士ぽつぽつ話し始めた。

ちょうどウチの息子くらいの年格好の好青年で、しゃべってるうちに次々と聞いてみたかったことも浮かんできて、いろいろと質問させてもろた。(こんなおしゃべりなおばちゃんに声をかけて、えらいことした~と後悔してたかも。笑)

なぜ僧侶になろうと思ったのか?から始まって、僧侶(住職)になるには、どういう過程(試験や学習)が必要なのか?とか。彼が大学卒業後通ってたという仏教の専門学校のこと。

お坊さんにかぎらず、常々若い人と仕事について関心があるので、よく行く美容院や服屋さん、整形外科でも、話せるような雰囲気と時間があると、若いスタッフにそんなことをちょっと聞いてみる。こちらからは立ち入ったことは聞かないようにしてるけど。
声をおとして「安い」給料(給料の話が出るときは、ほぼ「安いんです」という展開だ)や待遇のこと、家族やつきあってるひとのことを聞かせてくれることもある。
隣席の法務員さんは想像通りお寺の息子さんで、ごく自然に僧侶になることを決めたそうで、三人兄弟みな同じ道にすすんだとか。

膝の上に出したままの本の「宗教」の文字に、そういうたら「宗教や、◯◯宗の「宗」って、どういう意味ですか?」と尋ねてみる。
曰く、

「ほかにも説はあるかもしれませんが、「宗」は「むね」とも読み、むねというのは「旨」や「胸」「棟上げの棟」といったように、おおむね、中心になる、大事なものとしての意味があるので、そういう教えという意味やと思います。」とのことだった。ほほぉ、そうやったのか~

あんまりしゃべっても、と切りのいいとこで本読みに戻ると、即ポケットからスマホ出してきてはった。(おばちゃんにつきあわせて申し訳なかったです)さて、この本はタイトルにあるように「宗教ってなんだろう?」を始めとする問いかけに著者が答えるという形式になっていて、そのやりとりも絶妙でおもしろい。

▲宗教とはどんなふうに生まれたのか、生贄とは?ブッダはなぜ出家したのか?権力者が宗教を庇護しはじめたのは?というような質問から、宗教って「平和と友愛」「寛容と平等」といった理想があるのに、なぜ暴力的要素がいまのように表に出るようになったのか?
宗教は暴力を超えられるのか?(←このあたりが一番知りたいところ)
「家族はエゴのはじまり」なんていう非常に気になる項目まで。じつに刺激的な展開で。

▲これ「中学生の質問箱」シリーズの一冊なんだけど、中学生にはまだちょっと難しいかもしれないな。(いや、わたしの理解度が中学生に届いてへんのかも~)ただ、難しくて嫌になる本やなくて。そうすんなりとは頭に入らないんだけど、行きつ戻りつ、なんども立ち止まり考えながらの読書は、だからこそたのしい。おすすめです。

そんなわけで、ノッてきたもんやからそのままずっと本の続きを読んでいたい気分だったけど、バスはじきに西本願寺に到着。座ったままだと却って膝によくないので、すこし歩いて参詣。境内のブックセンターに。町の書店にはまず見かけないような本がいっぱい並んでて、おもしろかった。

そして再びバスで、いちばんの目的の大谷本廟へ。ここに来るのは義父の納骨以来だから12年ぶり~パン屋やめて信州から大阪にもどってもう13年やもんね。早いなあ。

「正信偈」(以前ここにも書きました)を読経の間 はじめて義母と会ってからの36年をおもう。

うれしかったことやたのしかったこと。腹のたつことつらかったことも。謝りたいこともみな。いろいろいっぱい。ぐるぐる思いだしてなきそになったり頬がゆるんだりして合掌。


*追記

その1)

バス中で質問した「宗」でしたが、本のあとの方にも『「宗教」の語源』という項目がありました。曰く、日本語の「宗教」という言葉は、仏教のなかにあった言葉やそうで。
【西洋語のreligionに「宗教」という訳語をあてる前に、「奉教」とか「信教」「教法」「法教」「聖道」「宗門」「宗旨」とかいろいろと他のアイデアもありました】
【「宗」は「おおもと」ということです。「教」は言葉にしたteaching(教え)で、「宗」の方は「おおもとの大事なもの」「真理」、まあ「法」(ダルマ)に近い、それを言葉に表したのが「教」となります。】(同書p160~161より抜粋)

とはいえ、こういう語源についても島薗氏ひとりでも論文集が一冊つくれるほどやそうで。【そもそも西洋のreligionという言葉自体にも適切な用語かどうかの議論があって、今でももめています。それを日本語にあてはめる段階でまた問題が生じたということです】・・と、ややこしい(苦笑)いやあ、この本図書館で借りてきたんだけど、買ってじっくり読みます。


その2)
このバスの京都行きは、大谷本廟のあとは精進料理をたべて帰阪~ですが、途中下車OKなので、わたしはお昼はパスして河原町まで出て、久しぶりの本屋さん「メリーゴーランド」へ。

五条坂から祇園のあたりまで、なつかしい町並みは、しかし裏の通りでさえお店ができてたり、ひとも多くてびっくりしました。
もうわたしの知ってる京都やないなあ(まあ、40年もむかしのことやから当然といえば当然ですが)
「メリーゴーランド」でゆっくり本を見るつもりが、足が(それに空腹状態も!)このころになると限界で、松林誠原画展をみて店主の鈴木潤さん(←日記いつもええかんじ!)の書かはった『絵本といっしょにまっすぐまっすぐ』 (これで三冊目♡)をご本人に包んでいただいた後ようやくランチタイムに。(もう1時過ぎてたのにどこも満杯。京都なんであんな人多いのん?泣)


その3)

このほかに読んだ本で印象にのこってるのは『脳が壊れた』 (鈴木大介著 新潮新書2016年刊)いまAmazonで見たらベストセラー一位になってました。
41歳で脳梗塞に襲われたルポライター自身によるルポで、おもしろかった~なんて言うてええんやろか、と思いますが。

カバー見返しにある【持ち前の探究心で、自分の身体を取材して見えてきた以外な事実とは?前代未聞、深刻なのに笑える感動の闘病記】の通りやとおもいます。当事者感覚を言語化する、というのってほんまに貴重なこと。おすすめです。


その4)

あと、まだ読み始めたところなんですが田中慎弥氏『孤独論 逃げよ、生きよ』(徳間書店2017年刊)は『共喰い』で芥川賞受賞の会見のとき「もらっといてやる」と会場をわかしてはったあの方です。
かつて大学受験に失敗したのをきっかけに15年近く引きこもってた、という著者は
【本書でわたしは、日々働きながらもどこかでもやもやと煮え切らない思いを抱えている人に向けて、孤独である」ことの必要性を述べてみたいと思います。いまの世の中、放っておけばいつしか奴隷のような生き方に搦(から)め捕られてしまう。だから、意識的にそこから逃げ出していかなければならない】(「はじめに」より抜粋)と、副題にあるように「逃げよ」と挑発します。

第一章はその名も「奴隷状態から抜け出す」というもので、最初にこのことばが引いてあります。
「自らを尊しと思わぬものは奴隷なり。」(夏目漱石) 

                   

その5)

きょうはこれを聴きながら。

Sally Seltmann - Book Song

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by bacuminnote | 2017-03-19 00:37 | 出かける | Comments(2)

たぶん、もうじき。

▲ここ二、三日とはうってかわって今日は寒い朝になった。
庭に散った梅の花びらが風でひらひらして。朝いちばん山茱萸(さんしゅゆ)をひと枝切って一輪ざしに入れる。ちいさい黄色の蕾が「モウジキハル」と告げてくれるようで。いとおしい、かいらしい。
でもじっさいには「モウジキ」は、なかなかで。まだまだ行きつ戻りつの「ハル」なんやろうけど。

この間の土曜日、友人の個展 に京都まで出かけた(→うらたじゅん個展「少女手帖」この頃はその日になるまで予定がたてにくいので、相変わらず手帖は白いとこばっかりなんだけど。朝起きて足さすってみて窓あけて青い空みて「さ、行こか」と自分に声かける、そんな気儘な一人の外出もけっこうええもんで。

京都には山田真さんのお話会atカライモブックス)以来やろか。
ついこの前のことのように思ってたけど手帖を繰ったら、なんと一年も前のことで驚いた。早いなあ。一日一日ほんまにゆっくりぼんやり(!)暮らしているのに。なんで一年はこんなスピードで過ぎてゆくのか。なんかもひとつ納得いかへんけど。

ほんで、この調子やったら「一生」というのも、あっという間かもしれへんから。会いたいひとに会い、行きたいとこに行っとかなあかんなあ~とか思いながら地下鉄から京阪電車に乗り換え。
つい目の前の階段を「これくらいやったら大丈夫やろ」と上って、これでお終いかと思ったら、もういっぺん階段があるのすっかり忘れてた(泣)

▲それで懲りたしね、京阪ではエレベーターでホームに下りた。(ほんまに駅は上ったり下りたり、ややこしい)
ホームで並んで待ってたら、2階建て特急電車が到着した。
車内清掃が終わって扉が開き、人の流れのままだだだっ~と乗車すると、なんかわからんうちに階段を上って2階席に行ってしもて(苦笑)

で、2階はちょっと旅行気分やなあ。どこに座ろうかなあ、と迷ってるうち、あっという間に席が埋まってしまい。いま上ってきた階段をまた降りて一階席に移動。足がいたくならへんように、と気ぃつけてるつもりが、ほんまに何をしていることやら。

とはいえ始発駅。まだまだじゅうぶんに空席はあり、ゆっくり腰おろして、バッグから本をとりだす。終点までは一時間ほどあるから、重たいけれど『ボローニャの吐息』(内田洋子著)を持って来た。

この本まだ買ったばかりなのに、しっかりシミ付きで。というのも届いた日に珈琲をのみながら読み始めよう~と本とカップをパソコンのそばに置いたとたん、ひっくり返してしまったのである。

▲咄嗟に本を持ち上げ、ティッシュペーパーで拭きながら、いや、あかん!パソコンが先や!とオロオロ。机の上、散らかってたメモやらノートやらみな水没。布巾を取りに立つ余裕もなく、ひたすらティッシュでカップ一杯分の茶色い液を拭く(というか、吸う)。
幸いパソコンはなんとか無事だったものの、マウスが壊れてしもたり、読む前から本に派手に茶色のシミつくるわ・・で。図書館の本とちがってよかったものの、ほんま何をしていることやら。(こんなんばっかし。泣)

▲内田本は『ロベルトへの手紙』が去年出たばかり(この本のことはここにも書きました)尽きることのない「種」は、著者の人やものに対する好奇心や、向学心、そのおおらかな愛と行動力がハンパないからやろなあと思う。

あたらしい本が出たらすぐに読む。そのうち忘れてはまた初めて会ったみたいに読んで。はじめから、途中から、最後まで通して、なんとなく開いたとこだけ・・と気の向くままに読むのが、内田本とわたしのつきあい方。須賀敦子の本もそんなふうにして、いつも傍にある。
そして、前々から行きたいと思ってたのに、ぐずぐず思案してるうちに、足の不調で、行けないままのイタリアに、たっぷりと思いを馳せる。

さいしょの話は「ミラノの髭」~著者はある日、中学生の友人ラウラから美術館行きを提案される。連休でラウラの友人たちは出かけていない、共働きの両親は夕方まで帰ってこない、そのかん面倒をみている妹弟もその日は誕生パーティーによばれていない・・ってことで、著者に声がかかったらしいのだけど。そのネットワークの広さは著者の仕事柄もあるとはいえ、そっか~中学生からも「誘われる」ひとなんやなあ~としみじみ。

最初は彼女の母親と「バールや信号待ちで頻繁に顔を合わせるうちに」「目礼から挨拶、立ち話からコーヒー、日曜の公園での散歩」と親しくなる。

ここまではありそうな話だけど、あるとき子守りや家事手伝いを頼んでる女子大生が試験前で来れなくなって「しばらくの間、ラウラの妹弟をうちで預かることになった」というあたりは、内田本を読んだことのあるひとなら「おお、またか~」と思うにちがいない。この方、困ったひとを放っておけないほんまに面倒見のよいひとなのである。

まあ、そういう経緯でラウラともなかよくなったんだけど。

で、そのラウラに誘われる数日前の午後のこと。

著者の家にやってきたラウラは
【天板がガラス製のテーブルの下に入るように言う。そして台所からエスプレッソマシーンや茶碗、皿、ジャム瓶を持ってきて、テーブルの上に並べ置く。ぺたんと床に直座りし、一列に並べた物を見ている。おもむろに仰向けに寝転がってテーブルの下に潜り、私を隣に誘った。

「横から見て、上から見て、下からも見る。見えないところも想像し、触れ合ったときに鳴る音を考える。それからスケッチするのが、今日の宿題なの」

いっしょにエスプレッソマシーンの底や皿の裏側を見る。瓶の底から、ジャムの隙間の向こうに居間の本棚が歪んで見えている。いつもそこにあるものなのに、初めて見る光景だ。使い古した日用品にも、それぞれ見慣れた顔と秘した裏の顔がある。「全部合わせて、一つなのねえ」ラウラは天板の下に寝転んだまま、しきりに感心している。】(同書p12より抜粋)

そうして後日ラウラが再びやってきて、学校に提出した二枚の絵を見せてくれるんよね。一枚は内田さんちの台所の物を題材にした静物画、もう一枚はピカソの作品の模写。つまり「横から見て、上から見て、下からも見る。見えないところも想像」はキュビズムを知るための予習だったという。

「人間もあちこちから見て初めて、その人がわかるのね」というラウラに内田さんはおもう。
【突然、周囲の物々や人々が表裏をさらけ出して目の前に迫ってくるような気がして、中学校の美術の授業に畏れ入る】

【毎日の登下校の道がそのまま古代ローマへの道であり、ルネサンスの残り香が漂う広場でボールを蹴っているのである。目の前で幼い子が躓いた石も、古代ローマの一片なのだ。】(p14より抜粋)

▲中学校の美術の授業といえば、薄い教科書の「単元」のところを開き、最初に「模範作品」を見て、センセに言われたように静物画を、風景画を、ポスターを・・と時間内に描いて、描けなかったら持ち帰って宿題やったなあ。それでもわたしは「自習」っぽいその時間は嫌いやなかったんだけど。
中3のとき教育実習で、美術のセンセとしてやってきた姉2が「教科書通りでいっこも、おもしろない」とぼやいてたのを思い出す。

さて、
20頁余りのエッセイなのに本題の「ミラノの髭」までたどりつけなかったんだけど(苦笑)内田洋子のエッセイは思わず声に出して読みたくなる(読みやすい)文章なのに、読むのはけっこう時間がかかる。投げられたボールをただ受けるだけじゃなくて、ついつい、あれこれ思ったり考えて、行きつ戻りつしてしまうから。

このことについては、以前webのインタビュー記事で内田さんが【かつて、俳句に接し「読者の気持ちがあって完結する書き方」があることを知った。通信社業に長く携わる者としての<材料、部品を提供する>という気持ちも、常に頭にある。

と語ってはるのを読んで、ああそういうことかも~と納得した。

はっと気がついたら、どこの駅だったか若い女性が乗ってきて隣りの席に。すぐにバッグから本を出して読み始めた。何読んではるんかなあ~と、気になりつつも不明なまま(苦笑)終点「出町柳」に到着。

ギャラリーはここから徒歩23分だ。
いつもより一枚薄着で来たけど、ちょうどよく。ぽかぽか陽気の中、すれちがったベビーカーのあかちゃんのぷくぷく白い素足がきもちよさそうだった。

ギャラリーに着くと、ウインドウ越しにJが軽やかな春色のスカート姿で、加えてちょっとよそゆきの面持ちで(!)お客さんと談笑してるのが見えて頬がゆるむ。で、ここまでは旧友J。

今回は「少女手帖」というテーマだそうで、もらったDMの絵も辛夷の花や道端にはたんぽぽが描かれており。扉をあけたとたんパステルカラーの中の少女たちに囲まれる。作品を観ているうちに、わたしのなかで友だちのJは知らんまに「うらたじゅん」という漫画家/イラストレーターに切り替わる。

▲パステルカラーの・・・なぁんて書くと「やさしい」「なつかしい」「せつない」という常套句が浮かんでくるけど。そういうのに騙されたらあかん。目を凝らすと彼女の絵には「ふしぎな時間」への入り口があって。少女たちの弾む声も、ぎゅっと結んだ口も。跳ねて走って、佇んで。ときどき、カッパやクマもすまし顔で登場して。そういうとこがすきやし、そういうとこがうらたじゅんの世界やな~とおもう。

そうそう。
話題にのぼるたびに絶版がほんとうに残念だった うらたじゅん作品集
『嵐電』(北冬書房刊)が近々重版~というニュースを聞いて歓声をあげる。うれしいです。

ギャラリーでは、オーナーのY氏とベイキングの話もして(ご自分でバゲットを焼いてはるそうで。ええなあ。)以前からいっぺん会いたかったツイッター友Nさんとも偶然会えて、久しぶりのひとにも、若いころ会ったきりのひとにも会えて。

べつの友人とお昼を食べに入ったカフェでは、隣席に久しぶりの友だちが居てカンゲキのハグ!
ふだんこもってるわたしには一年ぶりくらい人に会うた気分で。
おおきに~「少女手帖」のおかげで少女な時間でした。


*追記 

その1)

個展は今からやと7日(火曜)のお休みのあと、12日(日曜)までopen 。
うらたじゅん在廊は1112日(両日とも14時~18時)やそうです。

お近くの方は(そうでない方も!)ぜひ。


その2)

今回はパソコンの珈琲掛け(泣)で、パニックって、借りてきたDVDも

ほとんど観ていないという(あり得ん!)状況wです。

観たのは『ベストセラー 編集者パーキンズに捧ぐ』一本だけ。


その3)

きょうはエヴァンス聴きながら。

Bill Evans Trio - It might as well be Spring


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by bacuminnote | 2017-03-06 19:37 | 出かける | Comments(5)

ええ天気やから。

▲朝、雨戸を開けるとき戸の内側がほんの少し温かった。
二度寝して起きるのがおそかったのもあるけれど。がーっと重い戸を引くと「待ってました」とばかり、束になって朝のひかりが飛び込んできて、寝起きでまだ固い体がいっぺんに、ほぐれるような気がした。

▲寒いのとめんどくさいのとで、ここんとこ閉めたままだった雨戸も開放して、窓から身をのりだして空を見上げて、深呼吸ひとつ。

冬の真っ青をバックに、枝垂れ梅の紅い小さな花がその細い枝で持ちきれないほど、いっぱいいっぱい咲いて。ああ、ほんまにかいらしい。

ええ天気の日は用事がすむのも早いんよね。
さっさと洗濯物干して早めのお昼食べて、駅三つむこうの町まで~。近くとはいえ、相変わらず「出不精・方向音痴」が出かけるとなると相方まで巻き込んで。北に、西に、と説明されてもわからず。あまりにトンチンカンなこと質問するもんで「しゃあないな。一緒に行ったろか」と言うてくれたけど。

いやいや「ひとりで行ってみるし」ときっぱり宣言、出発。(←おおげさやなあ)なんせ初めて行く町ではないのだ。
むかし住んだ町の近くでもある。そのころ息子1はようやくベビーカーから自転車の前に乗せられるようになって。
駅前のビルにあった美容院は当時は画期的やった託児ルーム付きで、おばあちゃん世代の保育士さんがお母ちゃんのカットの間、こどもをみてくれたんよね。

子連れでもちょっと遠くまで行ける自転車を買ったことも(今みたいな電動アシストではない,ただの「ママチャリ」)ちょっとの間こども預けてカットしてもらえるのも。ものすごーくうれしかった。家計から考えたら安い美容院やなかったけど、二ヶ月にいっぺん。これだけは自分にゆるした贅沢だった。

当時はビジネスビルが立ち並ぶなか、その煉瓦(っぽい)のビルはシックでええ感じやったけど、久しぶりのそれは古びた上に派手な居酒屋の大きな看板が立ち、美容院のあった上階にはテナントの大きなネオンサインが掛けられて、よけいに老体をわびしくみせている。
もう30年以上も経ったんやもんね。街がじっとしてるわけないのであって。

じっさいわたしたち一家の30年の変化いうたら、このビル以上やん~と苦笑しつつ。そうだ。この隣町で一年半ほど住む間、相方は写真の仕事をやめることを決め、じょじょに田舎暮らしを考えるようになって。でも、まさかパン屋になるとは考えもしなかった頃のことだ。

そんなこんなを思い出しながら、グーグルマップで予習してきた通り(苦笑)歩く。目的地はレンタルショップなのであった。電車に乗ってまで、今はなんぼでも動画配信があるのに・・と笑われそうやけど。わたしが観たい映画を配信しているところがみつからないのと、何よりこうやってお店に借りに行くのは楽しくて。
前もって在庫チェックはしてきたものの、来るまでの間に借りられていたらアウトだから、どきどきしながら初めての道を歩く。

平日のお昼やからか、けっこう広い店内にお客はわたし入れて3人ほど。
初めて来たけどわかりやすいレイアウトで、予定通りの4枚もすぐに見つかって。もし、あれば~と思ってたドキュメンタリーの一本が探し出せず、店のおにいさんに聞く。

(ドキュメンタリーの棚はどの店もたいてい隅っこのわかりにくいところにあるんよね。前に行ってた店はAVの暖簾付きコーナーの手前やったので、わたしみたいなんがどーんと道を塞ぐように立ってると、暖簾をくぐりたいお方は大きく遠回りすることになるのであった)

お、あったあった!と思ったその横に、DVDになったのを忘れてしまってた

ドキュメンタリー『ジャニス・ジョプリン little girl blue』を発見。ところが残念ながら一本きりしかなくて、しかも借りられてたんだけど。

レジに件の4枚持って行って「念のため」おにいさんにカウンターに返却ないか聞いてみたら、探してくれて。・・・あ、ありました!よかった!・・で、思わず二人笑顔になる。本屋さんでも図書館でも、レンタルビデオ屋さんでも、こういう瞬間がすき。

ほしかったモン買うてもろたこどもみたいに、帰り道はスキップ。(←あ、気分だけ。いまはこれができんのがほんまに残念)

ビジネス街で生活臭のない通りやから、一本奥に入ったとこのマンションのベランダに洗濯物がいっぱい干してあるのが見えると、なんかほっとする。
ええ天気やし、今日は一日でからっと乾きそうやね~とだれかれなく話しかけたくなる。

駅に着いて、ホームに立ったら電車の乗降位置案内板があって~エレベーター、エスカレーター、階段、トイレの表示(車椅子対応、多目的トイレも)が各駅の何号車近くにある、他線に乗り換えに近い車両など記されていて、さっそく最寄りの駅のエスカレーター近くの車両を確認して乗る。

▲ああ、こんなんが欲しかった!(ただ、じっさい駅に降りてからの案内板がわかりにくかったりすることもあるのだが・・・。とりあえず、方向音痴+膝痛のわたしには大助かり!)

たとえ近くでも、やっぱり出かけるとあたらしい空気が吸えてええな~またええ天気の日に来てみよう。(ちなみに返すのは「ポスト返却」なり)

その翌日だったか買い物帰りに寄った図書館で、いつもは見ない雑誌の棚で『田舎暮らしの本』 が目にとまって、廃刊になる雑誌も多い中まだあるんやなあ~と思いながら手にとった。「田舎暮らし」を決めたころ居た町に行ってきたとこやからか。朝、パンを食べながら「そういうたら、前は次に住むとしたらどこがええ?って、よう考えたよなあ」とフウフで話したからか。(いま思えば、3.12以前はのんきにこんなことをたのしく話してたのであった)

相方がパン屋修行中は大阪近郊の田舎から、三重、和歌山、遠くは高知や大分にまで行って「空き家」探しをしたけど、当時はまだこういう雑誌は出てなくて。もっぱら『自然食通信』(準備号から購読してましたが、残念ながら廃刊) の「情報交差点」というコーナーがたよりだった。(結局はA新聞「声」に投稿したのを学生時代の友人が読んで、連絡をくれたことで、彼女の知り合いのお家を借りることができたのですが)

▲いま調べてみたら『田舎暮らしの本』の創刊は19879月~わたしたちがパン屋を開業すべく滋賀・愛知川(えちがわ)の民家を借りて転居の一ヶ月後のことだ。その時分から、都会から田舎に~のムーブメントが広がり始めていたのだろう。

そうそう、図書館でたまたま手にしたその雑誌のBNは「住みたい田舎 ベストランキング 」の特集で、総合ランキング(曰く、自治体支援策、利便性、自然環境、医療、災害リスクなど106項目でチェックということらしい←すごいなあ)一位が兵庫県朝来(あさご)とあってびっくり。

朝来というたら、わたしがここにもしょっちゅう書いてる旨い岩津葱の産地で。生産者のI君とおいしい葱を紹介してくれはったのは、ウチのパンのお客さんだったHさんで、おなじく朝来に移住組。
これは次回配達に来てくれはったときに「朝来、人気やねえ!」と言わなければ、と借りて帰って。パラパラみたら、なんとそのI君一家が「移住者探訪」の記事に載っており。

▲そうそう、長いこと珈琲豆を配達してくれたD君とその家族も、今春より就農のため、信州・伊那へ越してゆく。
そのむかし家族で田舎暮らしをスタートしたときの「知らんこと」「わからへん」ことだらけの中、それでも希望いっぱいやった頃のこと思い出しつつ。別れるのはさびしいけど、若い人らが新しい地でも、どうか元気で家族仲よう、ええ空気いっぱい吸うて、畑と共に、「不便」もまた楽しめる暮らしでありますように。よいであいがいっぱいありますように。
春はもうすぐそこやで~



*追記

その1)

今回観た映画(DVD)

「太陽のめざめ」
カトリーヌ・ドヌーブ演じる判事も、育児より自分の青春に走った母親のもと「保護」された少年マロニー、大きくなってからのマロニーも、とてもよかったです。荒れに荒れたマロニーの心を、解きほぐすのは並大抵のことやなく。こういう話を見聞きするたびに胸がいたい。そして現実は小説や映画を越えてもっと苛酷なんやろうし。

ただただ、こどもらを信じること。これができるかということやと思う。
それから施設のありかた~ひとのきもちが近くに感じられるキョリ、少人数が大事なんやろなあと思いました。ああ、でも、どんなにいい施設よりも家庭の(血縁に関わりなく)温もりのあるとこで、こどもは育ってほしいです。
原題”LA TETE HAUTE"は「頭を高く」という意味だとか。誇り高く生きるということでしょうか。バックでながれる音楽もよかったです。


「ジャニス  リトル・ガール・ブルー」
いやあ、レジで聞いてみてよかったです。
ジャニス・ジョプリンは前に「わがこころの」とつけたいミュージシャンです。心身共に悩みも多くコンプレックスのかたまりみたいやった高校生のころ、ほんま擦り切れんばかりに繰り返し聴いたジャニスが、おなじく高校~大学生のころ、こともあろうに容姿でからかわれたりいじめられたりしていたこと知りました。彼女のうたがいつにもまして刺すようにせつなく痛かった。
でもすばらしかった。これはDVDやなくて映画館で大音量で聴いてみたかったなあ。
劇中「フェスティバル・エクスプレス」のいち場面か?同じくらいすきなJガルシアと、ほんと楽しそうに笑ってしゃべってる、ふだんのジャニスがいとおしかったです。


「奇跡の教室  受け継ぐ者たちへ」→高校生たちの表情がよかった!

「神のゆらぎ」→宗教(信仰)について考えました。

「素敵なサプライズ」
思いがけずAgnes Obel の"Brother Sparrow"(←すき)が流れてびっくり。このところ、安楽死をテーマにした映画が多い(気がするけど)のは何故かな。たいていの作品は肯定的なのですが、それゆえに唸るところもあって。まだ考えがまとまりません。


その2)

読んだ本のことが書けなかったけど、一冊、絵本。

「星空」(作・絵 ジミー・リャオ 訳 天野健太郎 )

はじめに真っ黒な頁に白い字で
【顔をあげて、星空を見上げれば、世界はもっと大きく大きくなる・・・・】

つぎに

【世界とうまくやっていけない子供たちに】 とあります。

何か書こうとしたけど。
ああ、やっぱりこの絵本は手にとって観て、読んでほしいです。ゴッホの「星月夜」がテーマになっています。


その3)

「星月夜」といえば、この曲。前にも貼ったことありますが。

Don Mclean(Vincent Starrry Starry Night


そして、やっぱり今日はjanisを。この笑い!!Mercedes Benz


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by bacuminnote | 2017-02-22 14:26 | 出かける | Comments(2)

空の港に。

▲いつものように、夕飯を拵えながら、ちょっとひっかけながら(!)母に電話をかけて話してる間に、その日が父の命日だと気がついた。
「せやから電話かけてきてくれたんか、と思ったのに・・・」という母に「ついこの前まで覚えててんけどなあ~いつのまにか忘却の彼方や」と、言い訳して笑う。
ていうか、もうそんなふうに笑えるくらい時間がたったんよね。
あの日から30年~いつのまにか父の享年に末っ子・四女のわたしが近づいている。

▲その数日前のこと。
帰国中の友人に会うべく伊丹空港に行ったんだけど、モノレールに乗りながらふと父のことを思ってた。
伊丹発の早朝の飛行機に乗る、というので父が前日わたしらが住んでたアパートに泊まったことがあって。父が娘のとこを訪ねることも、まして泊まるなんてことは、姉たちも一度も経験がなく。

▲どうしてそういう展開になったのか、よく覚えていないんだけれど、相方がホテルに泊まるより「ウチに来てもろたら?」と提案してくれたのだと思う。そして父もまた彼のことばがうれしかったのかもしれない。
息子もまだ小さかったしわたしは家で待ち、彼が地下鉄で天王寺駅に父を迎えに行った。

▲ところが、食べものも好き嫌いが多く、病弱だったこともあって母を始め周囲がさんざん甘やかしたわがままな人やったんで。父が来てすぐわたしは招いたことを後悔した。
そもそも、衝突ばっかりの父娘やったのに。
ケッコンして家を離れて、父も娘も、お互いちょっとやさしい気持ちになったんが間違いやったんよね~(苦笑)

▲なんどとなく「ほんまにもぉ~」というきもちをしずめて、翌朝「いってらっしゃい」と相方の車で空港まで行く父をぶじ見送って、しんそこほっとした。
その後、海外に行く体力もなくなったのか、父が娘のところに泊まったのは、後にも先にもそのとき一回きりになったから。記念すべき一夜ということになるんやけど。

▲あの日、初めて下ろしたふかふかの客用布団も今ではすっかり「せんべい」になってしもたけど。薄いブルーのそれを干すたびに、父が「寒い、暑い」とうるさかった夜をおもいだす。
夕飯には何を拵えたのか、すっかり忘れてしもたけど、わたしが淹れた甘い紅茶だけは「うまいなあ」と言うて、飲んでたんをおもいだす。
おとうちゃん、そっちの紅茶も あーまいか?

「秋の夜や紅茶をくぐる銀の匙」 (日野草城)

▲さて、モノレールで空港行きは旅行気分だ。
「空港」って”airport“そのまんまの訳やったんやろけど、「空の港」とは、なんとすてきなことばなんだろ。行くあてもないのに、窓から見える飛行機にわくわくして、空港内を大きなキャリーバッグ押して歩いてる人らをつい立ちどまって眺めてしまう。

▲待ち合わせのカフェで、先に来ていた友人が「こっち、こっち」と手を振ってくれる。
旧友のごとく再会をよろこびあったが、会うのはまだ二度目なんである。そして、初対面のそのときもこの空港だった。

▲インターネットなんか、と思うときもあるけど、ネットのおかげで出会えたかけがえのない友人は少なからずいて。そうでないと、こうやって海をこえ、うんと遠くに暮らす彼女と、むかしからの友だちみたいに、楽しく尽きることのないおしゃべりは叶わなかった。
つないで、つないで、つながった線に、そのふしぎが、おもしろい。そんでその「偶然」のおくりものに、心からおおきにと思う。

▲豆腐料理をたべながら、近況報告のあと、いまの英国の政治や福祉、医療、NHSなどの話を聞く。弱者切り捨ての政策は、この国が着々と後追いしてるかのようで、あらためて暗澹とした気持ちになる。
話したいことも聞きたいこともいっぱいあって、しゃべる、たべる、わらう、しゃべる・・・であっという間にバスの時間になった。

▲そういうたら、彼女が今回空港内ホテルで二泊して、空港で暮らしてる気分だった~と言わはって、「そんな映画あったよねえ」という話になったんだけど。
『パリ空港の人々』と『ターミナル』やね(その場で、すっとタイトルが出てこないお年頃・・・苦笑)

▲『パリ空港の人々』はモントリオールの空港で居眠りしている隙に搭乗券以外の所持品すべてを盗まれてしまったという男性が、パリのドゴール空港で拘留され、そのまま空港内トランジットゾーン(外国人用処理区域)で同じ境遇の人たちとであい、そんな空港の中で共に「暮らす」話なんだけど。
もともと、ひとは国籍も人種もなくただの「人間」でしかないんよね。
空港という場所が、本来の意味どおり、だれにでも、どこにでも開かれた港であったらええのに、と思う。

"Love Actually"opening scene : heathrow airport
落ちて行く機内で「 Head down! Stay down!」と

*追記

その1)
その数日後、急におもいたって観て来た『ハドソン川の奇跡』(原題”Sully”クリント・イーストウッド監督)→は、空港に行ったからというわけやなかったんだけど。
実際に2009年1月に起きたNYハドソン川に不時着水した航空事故の話で。機長のサリーをイーストウッドが、静かに淡々と描く。乗客全員助かることはわかってるのに。head down! stay down!というスタッフたちの声に、どきどきした。

『ターミナル』~そういえば、この映画も『ハドソン・・』同様 主演はトム・ハンクス。あんまりすきやないけど(すまん)芸達者な役者さんやと思います。予告編(字幕なし)→

おなじ空港の物語ではわたしは『パリ空港の人々』のほうがすきですが、予告編探したけどみつからず。以前すこしここにも書きました。(追記の欄です)→

その2)
昨日から読みはじめた本『台湾生まれ日本語育ち』はタイトル通り台北で生まれ、三才まで台北育ち、その後は日本で暮らす温又柔さんのエッセイ。図書館でリクエストいれて待ってたけど、順番を待ちきれず購入。

この本、さいしょ「はじめまして」のあと
【姓は、温。名は、又柔。合わせて「おん・ゆぅじゅう」と言います。続けて言うと「おんゆうじゅう」。ちょっぴり、おまんじゅう、に似ているのが自慢です】とあって。
webで拝見した写真をおもいだして、温又柔さんのまぁるい温かな笑顔が浮かんで、頬が緩みます。

台北といえば、わたしの初めて海外旅行は、二十歳のころ母と行ったシンガポール・マレーシア・台湾への旅でした。レストラン関係のメンバー十数人の小さなツアーだったので、「食べる」ことには屋台から高級レストランまで、食いしん坊には大満足の旅で。台北では最初に圓山大飯店に行きました。
そのあと母とふたりで街に出て、うろうろして一軒の古びた町家風のお店に入って、お茶をのみました。お店のおばあちゃんが出て来て「日本語」で話しかけてくれはったことを思いだします。日本語を教え込まれた世代ですよね。

そうそう、温又柔さん、このまえここに書いた『屋根裏の仏さま』のレビューでこんな風に語ってはりました。

【私の場合、母のことばを忘れることとひきかえに覚えたことばは、オバアチャンのことばだったのです。台湾人の私の母は、中華民国の国民として中国語を学びましたが、日本統治下の台湾で少女時代を過ごした私の祖母は、中国語ではなく日本語を教わりました。
 そのことに思い至り、アメリカで故郷のことばとしての日本語をどうしても忘れられなかった女たちの声と、台湾で宗主国のことばとして日本語を学ばなければならなかった女たちの声とが、胸中でにわかに交錯するのを感じ、眩暈をおぼえます。】 
(『をちこちマガジン』~台湾系日本語人がゆく Japanophone Taiwanese, That's What I Am!~ ”『屋根裏の仏さま』を読みました(前篇)”より抜粋)→

その3)
台湾というたら、きのう”原発全廃へ 福島第一事故受け、25年までに停止” のニュース!→

その4)
今日はこれを聴きながら。
映画『ハドソン川の奇跡』より。

Flying Home Sully's Theme→

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by bacuminnote | 2016-10-23 22:13 | 出かける | Comments(2)

ゆっくり時間をかけて。

▲通勤客の多い時間帯に電車に乗るのは久しぶりだった。
地下鉄から近鉄南大阪線に乗り換えて半時間。タクシーで15分余り行くと、なつかしい田園風景がひろがって思わず「わあ!」と声が出た。
朝の大阪は今にも降り出しそうな曇り空やったのに。
空は広くてベビーブルーで。そんな中に浮かび上がる低い山の連なりと、いちめん田圃の緑も。みな、ほんまにうつくしい。

▲そのカンゲキの声に、運転手さんが遠方から来た客かと、あの山は、この山はねぇ~と大和三山(香具山かぐやま/畝傍山うねびやま/耳成山みみなしやま)をていねいに案内してくれはったから。
ついつい郷里は「この近くですねん」と言いそびれてしまったんだけど。
制服姿のころは、ただ「田舎」の一言で片付けてた風景を、こんなきもちで眺める日が来ようとは。歳を取るのもええもんやね。

▲ああ、それにしても。
きゅうくつな喪服も(そのうち買い換えようと思いながら30年。体重はそのままでも体型は年寄り化するのであった)めったに履かないストッキングも、いつもより小さめのバッグやハンカチも、靴も、ぜんぶ。
家で篭ってることの多いわたしには、何もかもが非日常で緊張する。
せやからね、早いうちにお手洗いに行っておこうと思ったんだけど。
斎場近くのそれは「和式」しかなくて、びっくりしたりがっかりしたり。

▲いまのわたしは膝が痛くてしゃがめないのである。
周囲をみわたせば、高齢の方も杖をついている方も何人もいてはるのに。大きな公営葬祭場なのに。それほど古い施設ではなさそうやのに・・・と、憤りつつ、痛い用足しとなった(泣)

▲わが身となって、気がつくことっていっぱいある。
駅の階段は構造上仕方ないにしても、エレベーターはたいてい駅構内の端っこにあって、そこにたどり着くまでが大変だ。
大きい駅になると、そのエレベーターを「乗り継ぐ」ことにもなって。それでなくても方向音痴のわたしは、やっと見つけたエレベーターで階下におりたのに、乗り継ぎエレベーターが見つけられず、こんどはまた長い階段を登ることになって・・・ほんま、泣くで。
街は元気で健脚なひとたち用につくられているんやなあ、と「痛」感する。

▲故人はわたしにとって、あまり近しいひとではなかったのだけど、ご家族や、わたしの近いひとたちが嗚咽してるすがたに胸がいっぱいになる。
それでも、和やかに談笑してはるときもあって。
こんなふうに、遺された者たちは泣き笑いをくりかえしながら、大事な人とゆっくり時間をかけておわかれをしてゆくんやなあ~と去年の義母の葬儀を思いだしていた。

▲帰りも姉とタクシーで駅まで。
一緒にお昼ごはん。この間会ったとこやのに。話は尽きない。
おなか一杯食べて、しゃべって笑うて、しんみりして。コーヒーフロートも注文して。ここでは安心して洋式トイレにも行った(苦笑)
結局姉にごちそうになって(m姉ちゃん、いつもおおきに!)「階段気ぃつけや」と見送ってもろて「ほな、またな」とそれぞれのホームにわかれた。

▲この日のおともは軽い文庫本。『陰翳礼讚・文章読本』(谷崎潤一郎著・新潮文庫)。どちらもずいぶん前に読んだけど、先日ツイッターでこの新刊に読んだことのない「文房具漫談」が収められてるというつぶやきに、それなら~と買った文房具好きなり。
この「文房具漫談」8頁ほどの短い文章なんだけど、ペンや万年筆嫌いの谷崎が筆、紙への、それはこと細かなこだわりぶりが可笑しい。
これは筒井康隆氏による「解説」と共に買うてすぐに読了。

▲カバーには【文豪の美意識と創作術の核心を余さず綴る、名随筆を集成】とあって『陰翳礼讚』のあとには『厠のいろいろ』が続くんよね。
「厠で一番忘れられない印象を受け、今もおりおり想い起こすのは」と始まる厠の話は「或る饂飩屋へ這入ったときのこと」とあり、この店、なんとわたしの生まれ育った町にある店だと書かれているのであった。

▲曰く、急に催した谷崎がその饂飩屋で案内を乞うと「家の奥の、吉野川の川原に臨んだ便所」で、一階が二階になって、下にもう一つ地下室が出来ている・・という川沿いの特徴的な建ち方の家のトイレ(二階にある)は

【跨ぎながら下を覗くと、眼もくるめくような遥かな下方に川原の土や草が見えて、畑に菜の花が咲いているのや、蝶々の飛んでいるのや、人が通っているのが鮮やかに見える。つまりその便所だけが二階から川原の崖の上へ張り出しになっていて、私が踏んでいる板の下には空気以外に何物もないのである。】(「厠のいろいろ」p67~68より抜粋)

▲ええっ~!?菜の花や蝶々が飛んでるのが見える川沿いの家のトイレって!そんなスタイル、祖父母や親からも聞いたことないよぉ~と失笑しつつ。
「けど、それって、どこのうどん屋さんやろ?」と、長いこと歩いていないジッカの周辺を一軒一軒思い浮かべたりして。
そういえば、以前これを読んだときも、同じように「どこやろ?」とさんざん考えあぐねたことを思いだして、電車の中で「わたしもあほやなあ」と笑ぅてしもた。

▲そうこうしてるうちに、あべの橋に到着。
ここからの乗り換えは、エスカレーターもトイレの場所もよくわかってるから安心。
このごろは駅構内の見取り図もネットで検索できるようになってるけど、平坦な道ですらわからないわたしには、あの 何階かに渡って描かれた立体図は、ほんまにちんぷんかんぷんなのであって。
だから、せめて構内のエレベーターやエスカレーター、トイレの案内はもっとわかりやすいものにしてください!

▲乗り換えの後は「文章読本」をうんうん頷きながら。
けど、朝が早かったからか、しらんまに爆睡して~気がついたら降車駅のひとつ手前だった。やっと着いたなあ。
「クミはどっか行くたび大冒険やなあ」と友だちに笑われるけど。ほんま旅がおわった気分!ああ、早う家に帰って、ストッキング脱いで、楽な服に着替えて、ほんで冷えたビールをのもう。

*追記
その1)
何度もトイレの話、厠の話ですみません。
件の公営葬祭場~気になって、いまネットでHPにあった見取り図をみてみました。
そうしたら別棟「待合ロビー」には、車いすマークのトイレが一箇所ありました。ということは、その棟にあるトイレは洋式かも。ここには授乳室もあるようで。ああ、よかった!・・と、ちょっとほっとしました。
もしかしたらこの棟だけ新しく増設したのかな。

ただ、斎場からそこに行くのにはけっこうあるし(健脚な方なら問題ないキョリかもしれないけど)何より道中 階段もあって。
階段を避けようとすると、敷地内をぐるりと大回りということになりそうです。

その2)
今回また書きそびれた『屋根裏の仏さま』(ジュリー・オオツカ著 岩本正恵 小竹由美子訳 新潮社刊)→はまたこんど。(早う書かんと忘れてしまいそうや・・)

絵本『ちっちゃいさん』(イソール作 宇野和美訳 講談社刊)→ も 『絵本といっしょに まっすぐまっすぐ』(京都"メリーゴーランド"店長/鈴木潤著 アノニマ・スタジオ刊)→も、とてもいい本でだいすきになりました。
どちらも若い(若くなくても♡)友人に贈りたいすすめたいとおもう本でした。

その3)
観た映画(DVD)
『リップルヴァンウィンクルの花嫁』→(岩井俊二監督)
劇中でてくるせりふで「この世界はさ、本当は幸せだらけなんだよ」が、せつなかった。

そういえば
この公式HPのバックで流れてる『 歌の翼に』( 作曲:F.メンデルスゾーン 編曲:F.リスト )は、むかし友だちの結婚式のスピーチのBGMにした曲で。元演劇部の友人にわたしの原稿を朗読してもらって録音して、当日流してもろたんよね。

今思えばこの曲に結婚のお祝いのスピーチって「まんま」やなあ~と恥しくなるけど。その日の新婦も新郎もとてもとてもよろこんでくれて、うれしかった。
その彼がなくならはって、もう4年になります。劇中この曲が流れるたびに、あの日のふたりを思いだしてなつかしくせつなかったです。

『「僕の戦争」を探して』
「僕の戦争」というのは、リチャードレスター監督が、ジョン・レノンを起用した映画のことやそうで。その「僕の戦争」の撮影が、スペインのアルメリアで1966年に行われて、ビートルズファンの英語教師が、ジョン・レノンに会おうとロケ地まで旅に出かけていく間にいろんな人に出会う話。
邦題のイメージとは全然ちがってたな。よかった。
ちなみに原題は
Vivir es facil con los ojos cerrados英題はLiving Is Easy with Eyes Closed
予告編(字幕なし)→

その4)
今日はこれを聴きながら。
秋になったらどこかに行きたいなあ。

Lisa Hannigan - Lille en Francais→

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by bacuminnote | 2016-09-07 20:09 | 出かける | Comments(4)
▲目が覚めたら昨夜のじゃじゃ降り(←ついさっきまで知らなかったけど、関西弁らしい。土砂降りのことです)の雨があがってた。でも窓を開けたら薄曇りの空で。用意してた灰色のスカートはなんだかうっとうしくて~水玉模様のんに着替えたら、気分まで明るくなった。
「えんそく」前でコーフン気味の鏡の中の自分に、あ、そういえば、この服 去年の今ごろ倉敷に行ったときと一緒やな~と気がついて一瞬しんとする。

▲旧友と高1の春休みに旅した思い出の倉敷のまちを歩いて。45年前とおなじ橋の「鯉のえさ100円」のそばで、通りがかりのひとに頼んで二人並んだ写真を撮ってもらった。
あれから一年。かけ足で遠いとこにいってしもた友のことを、でも、あの日しゃべってはおなか抱えて笑い、食べては笑って。あちこちのお店をひやかして。会ったとたん高校生にもどってすごした華やかで、あかるい時間と「クミちゃん相変わらずおもしろいなあ」と言うてくれたその笑顔を思いだして、頬がゆるむ。
うん。このままで出かけることにしよう。

▲さて。
「えんそく」の行き先は滋賀県長浜のまちにある「さざなみ古書店」さん。
主のkさんとはツイッター繋がりで。なんとこの日はじめてリアルにお会いすることになったんよね(どきどき)
滋賀県は琵琶湖を中心に湖西、湖東、湖南、湖北と呼ぶんだけど、目的地の長浜は湖北。西から行くと米原をまだ越えたところ。

▲この「米原」を越えるというのは、大阪から行くとき冬は雪深い地というイメージがあり(じっさい冬場は車ならスタッドレスか、チェーン必携というような)東から来るひとにとっても「米原」あたりから景色がかわる・・・という場所でもある。
そうそう、歌人の河野裕子さんがまさに「米原を過ぎる頃」というエッセイに、東京から新幹線で西下する時のことをこんなふうに書いてはる。

【かんからかんと広くて山も何もない乾いた関東の風土から、どんよりと空が低く垂れ、雑木林、畑の有様などどことなく複雑な色合いに変わり、白壁の多い家が見えてくるのは米原を過ぎる頃からである。
山の稜線のあたりだけ鈍い光をふくみながら、かすかに明るい空のやわらかなものぐらさは、やはり関西のものだと思う。このものぐらさに会ってやっとホッとするのである。】(『たったこれだけの家族』→河野裕子 中央公論社刊p175より抜粋)

車窓にぴったりくっついて、走る景色に見入ってはる様子が浮かぶようで、のちに河野さんが滋賀は湖南の石部町で育った方と知って「やっぱり」と頷く。

▲そしてわたしたちが1987年に「パン工房 麦麦(ばくばく)」を始めた愛知川(えちがわ)は湖東の旧中仙道沿いの小さなまちだった。
この愛知川で4年、開田村で12年余りのパン屋生活は、義父の死を機に お終いとなったんだけど。ここに戻って来て先月でもう12年もたってしもた。

▲田舎からまちの暮らしに。「パン屋のおばちゃん」から、前に◯◯の、が付かない「おばちゃん」になって。その大きな暮らしの変化も、当初感じた「居場所のなさ」もそのうちなくなり、今はここが「わたしのまち」になっている。前のこと思い出してるより、今のことを~ケッコンして7回の転居で「住んだとこになじんでたのしむ」が自然に身についたのかもしれへんな、とおもうのだった。

▲ところが、この間『ガケ書房の頃』(山下賢二著・夏葉社刊)という本を読んで、忘れそうになってた「店」の記憶が波のように押し寄せてきて、動揺してる自分にちょっと驚いている。
この本は京都で、そのユニークな外観も、本揃いからイベントでも、注目され愛された本屋「ガケ書房」をやってはった山下賢二さんというひとの本で。本屋通いの「しゃべらなかった」子ども時代の話から、いろんなバイトや仕事を経て、やがて本屋になり、そして閉店してまた新しいことを始めはった話で。

▲本とパンでは、それに「売る」と「製造」でもちがうんやけど、開店する前の話も、軌道に乗り始めたころのことも。うれしいお客さん、困ったお客さん。やめる、と決めたときのことも。
「そうや!ほんま。そのとおり!」と本読みながら、何回も声をあげてしもたほど。
わたしは旅館と「店の子」で大きいなって、そんな店がいやで仕方なかったのに、ケッコンの相手はカメラマンやったのに、なんでか二人で「店」を始め、そして「店」をやめて。

▲一方、北九州から長浜の地をえらんで古書店をひらき、滋賀県民となったkさんもまた本がすきなひとだけど、グラフィックデザイナーで。(この仕事に終わりはないと思うので「元」はつけないでおきます)
訪れた人たちのリポートをネットでは何度も見てたけど、「そのひと」にも「その本棚たち」にも会ってみたかったんよね。そのくせ、根が生えたような出不精に、加えて昨年末からの膝痛で、「ほな、行きます!」まで、えらい時間かかってしもて。
けど、思いもかけず『ガケ書房のころ』で火がついて(!)「よし、明日行こう」と決めたのだった。
(やっとの決心の「明日」だったが”「明日」は雨みたいやけど、あさっては晴れそうやから”とkさんに進言されて「あさって」に変更←正解であった)

▲前夜、kさんから電車(新快速)は「前4両に乗ってね。米原で、あとの車輌は切り離されてしまいますよ~」と教えてもらってたものの、ホームに立ってると急に不安になって(苦笑)メールにて確認。3両目に乗車する。
ホームは閑散としてたのに、乗車したら思いのほか乗客が多くて、杖もって来たとはいえ座る席がなくてちょっと焦る。ようやく京都でごっそり空席ができ腰おろして、やっと旅気分になって本を開く。
そうしたらこの本(森崎和江著『湯かげんいかが』1982年東京書籍刊)がすばらしく、しばし電車の中だということも忘れて夢中になって読む。

▲と、窓の外がなんや明るくなった気がして顔をあげ、車窓から外を見ると、いつのまにか空も晴れわたり、一面青い田圃がパッチワークみたいに広がって。すごーい。きれい。これや、これ。なつかしい江州米(ごうしゅうまい)の風景だ。
そのころから車内アナウンスに「よく知ってる駅」の名前が出始め、河野さんやないけど、窓に体ごとくっついて走る景色の中「最寄りの駅」を見逃すまいと、目を凝らす。近江八幡~安土~能登川~稲枝~河瀬~彦根・・そうだ!稲枝!この駅から、小学生やった息子1と電車にのって京都によく映画観に行ったんよね。

▲電車はやがて、問題の米原に。
車両切り離しのアナウンスが何度も流れて、確認のため車内の掲示板みたら3号車に乗ったのに10号車って書いてて、どきん。おかしいなあ。たしか3号車やったはずやのに。
「切り離されたら、長浜に着きません(笑)」とkさんからメールもらったのに。どないしょう~と前席の60代くらいのご夫婦に頭の上から(!)「すみません。あのー長浜行きたいんですが、この車両で間違いないでしょうか?」と尋ねる。
「あ、はい。行くと・・思いますよ」というお返事に、「思います」ではアレやけどなあ、と思いつつ(苦笑)お礼を言うて着席。(その後「行くよなぁ、これ」「い、行くはず」とご夫婦で話してる声が漏れ聞こえてきた・・)

▲相変わらず、電車に乗っても方向音痴(!)でなさけないぞ、わたし・・・とがっかりしてるうちになんか窓の外がぱーっと光が差したような気がして、腰を浮かす。
わあああ!こんどは田圃やなくて、うみや。うみ。琵琶湖が見える!(近江のひとたちは「うみ」と呼ぶんよね)深い青色、淡い青色に、そして、さざなみがうつくしく、いとおしい。

▲どこでも「水」が見えると、もう座ってられへんタチなので、杖ついてよっこらしょと立ち上がって、揺られながらよく見えるドアの前に移動。
ええなあ~とうっとり眺め入る。愛知川のころ、夕ご飯前に親子で「うみ」までよくドライブしたんよね。
少しして「ながはま~ながはまぁ。この電車のドアは手動です。ボタンを押すとドアが開きます・・・」のアナウンス!そっか~手動なんや。そら冬に開けっ放しになったら寒さがハンパやないもんね。

▲駅の改札口むこうには、kさんが待っていてくれた。
初対面の合言葉は「いわしのヘレン」(ツイッターで誰かが居酒屋の手書きメニュウ「いわしのへしこ」の文字が「いわしのヘレン」に見えて注文~という話でもりあがった時、初めて会うときの合言葉はこれ、と決めた・・笑)
というても、わたしはたびたびネットの紹介記事と写真見てたから、ハットの似合う涼し気できれいな人がkさんとすぐにわかったけれど。

▲「さざなみ古書店」はお店の佇まいも、お店のレイアウト~壁にかかった額も(彫刻家・舟越桂のリトグラフ「羊歯のにおい」1993年作)アフリカの布も、おもちゃも、そして何より棚の本たちや入り口に置いてるフリーペーパーに至るまで、さざなみkさんのグッドセンスに満ちていて、その「こびない」セレクトがかっこいいし、ええなあと思う。

▲靴をぬいで上がるこのお店は、せやからね、ええ本いっぱい持ってる友だちとかセンパイの部屋を訪ねてるような気分で。帰りたくない、居心地のよさがあって。
檻の中のクマのごとく、のそのそ店内を動きまわるわたし。で、迷って迷って、重いものはリュック持って来なかったし・・と、絵本の候補を二冊選んだのだけど。
kさんは「あなた絵本とかいっぱい持ってるでしょ。荷物増やさないようにしないと」と、なんだかつれないのである。

▲「そ、そんな持ってへんし・・・」と、ぼそぼそ返しつつ、ちょっと不満気に、目の前に積んだ本たちを見たとき(店内には、主だった棚のほかに、足元や小さな棚に、とあちこちに小さなひみつの花園があるのだった)一冊の地味な絵本と目があった!『劉連仁(りゅうりぇんれん)物語―当別の山中から』(しみず みきお 著/おおさわ つとむ イラスト/響文社2009年刊)
「わあ、これ。この本にしよう」というて本から目をあげると、にこにこ顔のkさん曰く「うん。それはなかなかない本だから。あなたにもってかえってもらえてよかったぁ」
ほんまに本のすきなひとなんやな~と改めて。

▲それにしても。
「いわしのヘレン」のあとは「はじめまして」のはずが、いきなり学生時代の友だちに会うたみたいに話もこころも弾んで。おなじ女きょうだいで育っても、長女と末っ子、性格もちがうんやけど。底にながれるもの、本とおいしいもんへのあい、と、それから「ひとがすき」はおなじかも。

▲kさんのお部屋には窓のすぐ下には川が流れてて、のぞくと小鮎が泳いでるのが見えるんよね。
・・・と思ったら鴨がすいーっとやってきて。しーんとしずかな中、ときおりさかなたちのダンスのぴしゃぴしゃ~という音がきこえて。
もうね、川育ちにはたまらんシチュエーションで、kさんと乾杯したビールの旨かったこというたら。
kさん、愉しい「えんそく」の、ほんまええ一日でした。おおきに。



*追記
その1)
こんだけ書いて、まだ追記か~ なんですが、相変わらず要領の悪い筆運びで。
本題に入る前に、走り過ぎてダウンみたいなブログですみません。

さざなみ古書店を紹介ブログはもういっぱいあって、どこのんをリンクはろうかと迷いましたが。→こことか。

その2)
『ガケ書房のころ』で火がついた「店」熱のあと、著者・山下賢二さんのホホホ座による『わたしがカフェをはじめた日』→を読みました。ホホホ座さん曰く【京都で一人でカフェを切り盛りする女性店主たちの開業まで
を男性目線から聞いた特殊インタビュー集】これが、またおもしろかった。もうちょっと若かったら(つまり足腰にまだ元気があったころなら)お店したかったかも。

それにしても、大のつくほど嫌いやった(と思ってた)「お店」やのに、わたしけっこうすきやってんなあ~というのを、『ガケ書房・・・』や『わたしがカフェを・・・』で、気づく読書でありました。
あ、そういうたら、『ガケ書房・・・』のことでホホホ座のブログにこんなことが書かれていました。
【もう1つだけ書かなくてはならないことがあります。美談みたいになってしまってはマズいのですが、当初、本のあとがきに書こうと思っていたことが原稿オーバーで掲載できなくなってしまったので、ここにだけ書いておきます。】
大文字で紹介、書きたいとこやけど、夏葉社さんってたぶん小文字の、めちゃええひとやと思うので、ここにこっそり→


その2)
道中読んでた森崎和江の『湯かげんいかが』(1982年東京書籍刊)は、おふろにまつわる随筆集です。
すぐにのぼせるから「からすの行水」なんやけど、お風呂は大すきです。
この本の序文「ゆげのむこうの」には、著者が14歳の頃、長く病床にあったお母さんを、お父さんがお風呂に入れたときの話が綴られています。出かける前に、旧友のこと思ってたこともあり、↓このくだり読んで、車中ないてしまいました。

【湯上がりの母がにっこりして言った。「ああいい気持ち。とてもしあわせ。もういつ死んでもいいわ」
母は立つこともかなわなくなっていたから、父が抱きかかえて寝床へ連れ返ったのだが、細くなった腕を父の首にまわし運ばれて来た母が、そう言いつつ手を放した時のさわやかな表情が思い出される。母は三十五歳だった。亡くなる半年ほど前のことで父と母との、別れの儀式のようにわたしは思い、父がなんと答えるかを聞かぬまま、母のそばから立って湯殿へ行った。湯の入ったままの洗面器が洗い場にぽつりと置かれているのを見た。父は引き返して来てひとりあったまったようであった。別れを知り合っていた二人が、重く暗いけはいを立てせることがなかったのは、子のわたしには救いだったが、父も母も、湯のぬくもりにくるまれてよみがえるもののあることを、別かれていくいのちのむこうに感じ取りでもしたように、軽く、さりげなかった。秋の昼まのことだった】
(p7~8より抜粋)
*森崎和江著者紹介(藤原書店のHPより)→

その3)
『劉連仁(りゅうりぇんれん)物語』を読んで(この本、絵本も、付いてる資料集もよかった)もう少しくわしく知りたいなと思ってたら『生きる 劉連仁の物語』(森越智子著 童心社2015年刊)→という本が出てることを知りました。

その4)
ああ、ほんまに長いブログになりました。
さいごまでおつきあいくださって、おおきにです。

今日はこれを聴きながら。
Vessel - The Clearing→
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by bacuminnote | 2016-06-19 16:04 | 出かける | Comments(6)

「自由に生きる」

▲桜咲く。
ずっと桜がすきやなかったけど、最近は駅までの道中、何本かある桜の木の前を通ると自然に足がとまる。茶色の小さな蕾が少しづつふくらんでくるさまに見とれ、花が開いたとよろこんでいる。
すなおに桜の木だけを見ることができるようになるまで、えらい長いことかかってしもたのも、今でも「お花見」はパスしてしまうのも、生まれ育った環境ゆえやろか。
けど最近は「名勝・吉野の桜」(!)もいつかゆっくり見てみたいとおもうようになったんよね。
「身の奥の鈴鳴りいづるさくらかな」(黒田杏子)

▲この間二日つづけて京都・西陣に行って来た。
帰って来れない距離ではないものの、膝痛のことも考えてめったにない贅沢!と「ひとり京都泊」を思いついた。
わあ、久しぶりの京都や。どこ泊まろ?そのむかし一回だけ泊まったホテルフジタ。ベッドに横になった位置でちょうど鴨川が見えるんよね~よかったなあ。それから京都駅八条口にあったあのホテル、あそこは昔従兄弟が勤めてて何度か(ただで)泊めてもろたなあ・・とか。舞い上がって夢想するとこまではよかったんやけど。

▲そうそう、ホテルフジタは2011年に営業終了してたんやった。
八条口のあそこも変わったし。その上ちょっと調べてみて、どこもまず宿泊費の高いのにおどろき(長いこと出かけてないからウラシマタロウ状態!)つぎにどこも満室なのにおどろいた。

▲京都、春休み、土曜日、桜の開花・・と条件がそろっては、ホテルも、それに「近頃は山ほど出来てるで~」と聞く町家のゲストハウスも軒並み とうに満室。
友人J曰く「クミ、そら無理やで。このシーズンはな、世界中の人が京都に来てはるねんで」・・・というわけで、結局、京都寄りの大阪に住む友人M宅に頼んで泊めてもらうことになった。(おおきに!)

▲日頃こもりがちやから、たまの外出~しかも泊まりがけとなると、持ってゆくものの準備、電車から地図まで確認の上に確認して(!)周りの人らまで巻き込んで「ちょっとそこまで」のつもりが「月旅行か?」というほど大騒ぎになってしまうのもいつものことで。(すみません!)けど、おかげで二日とも愉しくおいしくおもしろく、ほんまにええ時間を過ごすことができて、出かけてよかったなあと、今なお余韻のなかでぼぉーっとしてる。

▲で、今日書こうと思うのは二日目の山田真さんのお話の会のこと。
わたしの子育て期は息子1の前期と13年後誕生の息子2の後期に分かれるんだけど(苦笑)。前期のころわたしや友だちにとっての育児書といえば松田道雄さん。後期は山田真さんやったと思う。

▲とりわけ乳幼児期の悩みのつきない頃『母の友』(福音館書店)の連載記事や毛利子来(もうり・たねき)さんらと共に発刊の『ちいさい・おおきい・よわい・つよい』(ジャパンマシニスト社)や著書で、山田さんの別名「ワハハ先生」の明るさと「みんな好きなようにやればいい」的セイシンには、なんども助けられた。そうそう、氏の『はじめて出会う小児科の本』は友人や姪・甥への出産祝いの定番となった。

▲だから、わたしの中では山田真さんっていうとまず「小児科のセンセ」のイメージなんだけど。この方じつは小児科医としてだけでなく、「障害児を普通学校へ・全国連絡会」の世話人であり、森永ヒ素ミルク、水俣病、スモン病と、公害や薬害の被害者支援にかかわり、最近では福島での医療相談会や西東京市内での市民放射能測定所の運営にも・・とじつにいろんな活動をしてはる。けど、つねに根底に流れてるのは小さいもの、弱いものへの共感、それに「ワハハ先生」とよばれる明るさとユーモアなんよね。

▲そんな山田さんが、京都で、しかもカライモブックスで(←親子共々大好きな古書店+ファミリーです)お話会、というスペッシャルな企画。
山田さんの講演は2006年に『インクルーシブ教育を考えるシンポジウム』を聴きに行って以来~何より今回は大きな会場の講演ではなく、本の森に囲まれた中、間近で「お話」が聴けるということでとても楽しみにしていた。会のタイトルもカライモさんらしく『ワハハ先生、山田真さんの声を聞く~水俣・森永ミルク中毒・福島・こどもなどなど、ワハハと』。

▲さて、友人宅で泊めてもらった翌朝(つまり二日目の朝)Mのジッカに寄って、何年ぶりかに彼女のお母さんに会った。
その昔は第一線でバリバリ仕事してはって、会うと緊張するお母さんだったけれど、今は「センパイ!」と呼びたくなるような近しさを感じた。80過ぎても背筋はすっと伸びきりりとしてはるんやけど、笑顔がまぁるくて。なんだか母が重なって愛おしいようなきもちで、思わずハグしあった。

▲そんなうれしい再会のあと、Mが駅までやなく、いっそ京都まで送ってってやろうと言うてくれて。思いもかけず京都までドライブと相成った。
市内に入り、本願寺の前あたりを通ると、なつかしさがこみあげてくる。暮らした時間も過ごした時間もほんの数年なんだけど、十代の終わりからの数年という時間はその後の自分にとても大きいものを残してるんやなと改めて。そして傍らナビを見ぃ見ぃ、京都の町なかの一方通行の道を避けながら運転してくれてる友もまた、そのころに出会ったんよね。

▲それにしても、J曰く「世界中のひとが集まってる」とこやし、渋滞が気になってたんだけど、思いの外早く目的地・西陣に到着。Mもすべりこみで参加できることになり二人近くのコンビニでトイレ休憩。
車椅子も入れる大きなトイレと普通のトイレ2つあって、ええなあと思った。(というか、これがあたりまえの設備なんである)
やがて時間になってカライモブックスに行くと、三々五々ひとが集まってくる。あれ?どこかで見たひとやなあ・・と思ったらコンビニのトイレ待ちにて出会った方。カライモさんに「あれ?お知り合い?」と聞かれて「いま、ついさっき、そこのトイレで」「って、ほやほややなあ」と言うて笑い合う。はじめての人が多いなか空気が緩む瞬間だ。

▲そうして、山田さんのお話が始まった。
最初に悪者扱いされているピロリ菌にも良い働きをしている面がある~という話から。理系の話はまったく頭がついていかないので、正確に再現するのはムズカシイんだけど(すみません)
ウイルスや細菌も共生しようと努めている、ということ、身体にとって悪いものを撲滅するという考え方は身体を人工的につくりかえてしまう・・という話にも深く頷く。これって優生思想に繋がるよね。

▲医学の限界、ということで、病気との因果関係について。
事故でも公害でも、つねに被害者は因果関係の証明を求められるけれど、病気と何かの因果関係の証明はとても困難だということ。そして、その困難さを武器に「つねに」加害者側は被害者を切り捨てる、ということ。

▲見てわかる怪我は証明しやすいけれど、「痛い」「だるい」「かゆい」といった感覚の問題は、なかなか証明できないものだ。
「子どもなんかはこれで大人に怒られたりするんだよね。痛いとか言ってるけど、ほんとは何ともないんでしょ。学校行くのが嫌なだけなんでしょ~みたいにね。」
山田さんはこんなたとえも紹介してくれはった。
「元々頭痛持ちのひとが風邪を引いて、熱もあって、転んで頭を打って、頭痛なんだけど。さて原因はなに?」という話。これは放射能の被害を考えるうえでも、必ず問題になること。
かつて水俣病が森永ヒ素ミルク中毒がそうだったように。

【今、わたしには、空襲被害者も、水俣病患者も、福島をはじめとする原発被災地の住民も、同じように見える。「国の政策のために国民は一定の犠牲は耐え忍ばねばならない」とする論理によって切り捨てられるのである。

思えばわたしの医者になってからの四十数年は、切り捨てられようとする人たちとともに生きた年月であった。その年月を今ここでふり返ることが、一部の市民に痛苦を負わせ、切り捨てることで生き延びるという、この国の歴史を断ち切るための一助になれば、と心から願う。】
『水俣から福島へ 公害の経験を共有する』まえがきより抜粋(山田真著 岩波書店2014年刊)

▲そうそう、山田さんの隣には娘の涼さんが座っていて。ときどき「父親」に一声かけはって、そのつど会場は温かな笑いにつつまれる。涼さんには障碍があって、今回は山田さんと介助者のOさんと共に京都入りしはったらしい。父娘仲よく話してたかと思うと、とつぜん山田さんがやり込められてたり、のようすがとてもええ感じで。

▲そういえば、以前和歌山で山田さんの講演会があったとき、その企画にかかわった友人が言うてたこと。「講演がおわって、山田さんを懇親会にお誘いしたら、”今日は食事当番なので”とあわてて帰らはったんよ。残念やったけどみんなで拍手喝采した」
かっこええな、山田さん。

▲お話の会が終わっても、山田さんを囲んだり、参加者どうしで話をしてはったりしてたけど、残念ながら渋滞にまきこまれないうちに、とわたしたちは退場。
山田さんが最後に言うてはった「つらい展開だけど、無駄と思っても、むなしいと思っても、あきらめないで発信し続けるしかない」をパラパラ小雨がウインドウを濡らすのを眺めながら、何度も何度も思い返しながら、帰途についた。
みんなのおかげで、ええ月旅行(笑)でした。



*追記

その1)
山田真さんに初めておたよりをもらったのは1998年のこと。
それまで小児科医としての山田さんしか知らなかったんだけど、あるとき東大医学部闘争のことを書いたコラムを読んで、おどろいたことも感じ入ることもあり、短い感想を掲載紙に送ったのが最初でした。
(この1960年~1973年のことを書かれた『闘う小児科医 ワハハ先生の青春』→ジャパンマシニスト社2005年刊 はおすすめです)

何回かはがきのやりとりがありご著書をちょうだいしたり、その後は年に一度年賀状だけのつながりですが、考えてみたらもう18年にもなります。
先日いただいた賀状を出してきたのですが、これだけ見ていても山田さんという方がどんなひとなのかよくつたわってきます。
これからもどうかお元気に動きつづける「ワハハ先生」でいてほしいです。というか、ワハハ先生もゆっくり休めるような世の中にならないとあかんのですよね。

「つらい世の中ですが“明けない夜はない”ことを思って力を尽くしたいと思います」
「段々いやな世の中になりますが若者たちを信じましょう」
「悪しき世を笑いとばして生きていくのもなかなか大変です」
「福島の子どもたちのために少しでも力になればと動き回っています」
「福島を忘れないためになにができるか考え続けています」

その2)
カライモブックスで買った本『水俣から福島へ』にサインしてもらいました。
なまえの横に書いてくれはった「自由に生きる」がずんと響きます。

これは、山田さんとパートナーで同じく小児科医の梅村浄さん、おふたりのインタビュー記事→

 その3)
ひさしぶりに聴くLhasa De Sela - Is anything wrong(live Sunset -2009)→ 
しみる。
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by bacuminnote | 2016-03-31 19:20 | 出かける | Comments(4)

すこし背中はまるい。

▲ここしばらく徒歩15分の圏内から離れたことがなかったんだけど、この間おもいきって電車に乗って出かけてみた。考えてみたら「圏外」に出るのは(苦笑)去年の11月末以来。
今回の目的地は途中一回乗り換えがあるものの、構内のエスカレーターもすぐ近くにあるし、そこには前にも行ったことがあるし。何より「改札出てすぐ」という場所やから、さすがのわたしも迷いようがないし、ね。

▲さて、乗り換えの時間をいれても30分ほどの電車の時間ながら、久しぶりの「おでかけ」レッスンワンに、そわそわ。少しのあいだ見慣れた景色を、初めて出会うたみたいに車窓からじいっと眺めて。が、そのうち勘をとりもどして(!)持ってきた本を開く。ああ、これ、これ。この感じ~とひとりにやにやする。
電車の中で本を読むのも、本を読んでるひとを見るのもすきだ。

▲その日は何回目かの須賀敦子の『遠い朝の本たち』を読む。帰りは荷物重くなりそうだから、文庫本にしたんだけど。
右脇で杖を挟みながら、両手で本を持つと、ページを繰るのがけっこうムズカシイ。杖もつ手を左右交替してみたり、本や杖を落としたり(!)ドタバタしてるうちに乗り換え駅に着いてしまった。ふうう。

▲その日むかったのは大阪・水無瀬(みなせ)というところにある長谷川書店さん。
じつは昨年末に旧友うらたじゅんが以前『くぬぎ丘雑記』(川崎彰彦著 宇多出版企画2002年刊)に描いた挿絵の原画展開催にともなって、この本の出版者でもある宇多滋樹さんとうらたじゅんが 「川崎彰彦さんの思い出を語る」というたのしみな企画もあって。

▲「駅改札出てすぐ」という、わたしみたいな方向音痴には願ったり かなったりの会場(が、しかも、ええ本いっぱいのお店であることも)うれしく、早々と予約を入れた。
ところがその後すぐあとに、足の不調。いや、けど、その日までにはだいぶ時間もあるし、きっと治るやろうから、と思ってたのであるが。今日もあかんかったなあ、明日はどうやろ・・と思いつつ、とうとうキャンセルすることになった。

▲当日参加したひとたちが、たのしそうな様子をアップしてるのをネットでみて、友人も、それに会ってみたかった人も集まってはったことを知り、盛況ぶりがうれしかったものの、行けなかったことがよけいに悔しかった。
ふだんから「チョ~」がつくほどの出不精だけど。
「行かない」と「行けない」はやっぱりちがうよなあ~と、膝さすりながらちょっとすねたり凹んだり。
ただ、うれしいことに”川崎彰彦『くぬぎ丘雑記』の挿絵と思い出鉛筆画展" は1月15日までやっていたので、なんとか最終日までには行きたかったんよね。

▲長谷川書店に来たのはその日で三度目。
ここは外から見たら、ごくごくふつーの駅前の本屋さん。週刊誌に月刊誌、ベストセラーに実用書などがところ狭しと並ぶ。ところが店入って左端に、その前に、レジ台の横の下、そして奥に進むと、また左に、そのまわりに、と「たからもの」が、ふつーの顔して並んでるのであった。

▲そして、その「たからもの」の近くに、うらたじゅんの絵がとても自然なかんじで飾ってあって。
展覧会というよそゆき風ではなく、本の森のなかで、じゅんの描くどんぐりも小鳥も猫もフクロウも~前からずっとそこに住んでたみたいになじんでおり。
ああ、間に合ってよかった。思い切って出て来てよかったなあと、そばにあった木の椅子に腰かけて、もう一度もう一度と眺めた。
(おとこまえのお店の方が、「どうぞ椅子に座ってゆっくりごらんくださいね」と、やさしく声かけてくれはって。おばちゃんまいあがるの巻~笑)

▲そのあと「棚」から呼ばれたように二冊の本を手にとる。一冊は『マローンおばさん』(エリナ・ファージョン作 エドワード・アーディゾーニ絵 阿部公子・茨木啓子訳 こぐま社1996年刊)という小さな絵本。おもわず「わあ」と声がでた。かつて友だちに贈ったときは初版だったけど、以来19年ぶり。18刷りになっててびっくりしたり、うれしかったり。

▲森のそばでひとり貧しく暮らしていたマローンおばさんのもとに、すずめや、ねこや、きつねたちが訪れる。マローンおばさんの口癖がええんよね。
「あんたの居場所くらい、ここにはあるよ。」
ここで、じゅんの絵をみている時間にこの本に再会できたことにじんとくる。

▲もう一冊は『背中の記憶』(長島有里枝著 講談社文庫2015年刊)有名な若い写真家らしいけれど、恥しながら写真もこの本(文庫化される前は2009年に講談社から出版)のことも知らなかったのに。なんで手が伸びたのかなあ。
本屋さんや図書館ではたまにこんなふうにことがあるから、おもしろい。

▲そうそう「背中」「記憶」というタイトルに、そのときぱっと浮かんだのは母の背中だった。
厨房での母。鮎に金串をさして焼き、大鍋で山吹を煮て、ごま豆腐を練り、炊きあがった5升釜のご飯を飯台に移し、鮎の腹出しをして塩漬けする母。思い出す現役時代の母の後ろすがたは、いつも下を向いて仕事してきたせいか、すこし背中がまるい。

▲・・・と、母のことを思いながら、何の予備知識もなく手にしたんだけど、なんかしら「予感」があって、まよわず『マローンおばさん』と、それからずっとほしかった川崎彰彦さんの『夜がらすの記』(編集工房ノア1984年刊)といっしょに買った。まだまだ他にもほしい本がいっぱいあったけれど、重い荷物をもって杖ついて歩くのは自信なくて断念。だれかが「棚ごと持って帰りたかった」とツイッターに書いてはったけど、わかる。

▲そうそう『おひさまゆうびん舎』という古書店の小さなコーナーもあって、ここにすきな絵本~ナバホ・インディアンの少女アニーと、死を間近にした祖母との物語~『アニーとおばあちゃん』があったことも、とてもとてもうれしかった!

▲用意してきたリュックに本を入れて帰途に。
電車の中で読み始めた『背中の記憶』は、なんと著者が古書店で思いもかけずアンドリュー・ワイエスの本に出会うところから始まるのだった。

【はじめて訪れる古書店で、ワイエスのような作家の本に出会うことは、知らない土地をあてどなくぶらぶらしていて、ばったりと幼馴染みに出会うようなものだ。】(p11)

つい、さっきまでいた本屋の空気を身にまとったまま、こんな文章に会えるやなんて。
そこからはもうノンストップ。おじいさんのように股のあいだに杖をはさんで(笑)夢中で読んでたら、もうちょっとで乗り換え駅を通りすぎてしまうとこだった。

▲そうそう。
この本は「講談社エッセイ賞」を受賞したエッセイなんだけど、あとがきで彼女がきっぱりと(←たぶん)「エッセイと呼ぶことに抵抗がある」「記憶は事実たりえない」と書いてはって、共感。

【写真と同じように身近な人々を題材としているが、わたしの撮ったセルフ・ポートレートや家族写真が、本人や本人の生活の真実を語ることがないように、ここにあるのも、わたしが実際に経験したはずの出来事とはまた別の物語である。】(p248)

▲この作品を著者は、子どもがまだ小さいころに、子どもが寝たあと珈琲をのみながら執筆して、翌朝は保育園に遅刻して先生を困らせた~というエピソードがあって。そんな夜更けのダイニングテーブルが浮かんでくるようで。
今回 本の内容は著者と祖母をめぐる家族の物語、というほかは書かないでおこうとおもう。もしすでに読んだひとがいてはったらその人と。ここを読んで、読もうと思った人と、いつかこの「物語」のことや、みんなそれぞれが持ってる「物語」について、話がしたいです。

▲長島有里枝さんの文章には写真家ゆえの「眼」の精巧さがあって。(そういうたら相方と話してるときにも、その「眼」に、はっとすることがある。カメラマンだった時間はすでに遠く、昔のことなのに。ものを観る「眼」はそのまま残ってるんやなあと思う)
それは決して甘くなく、せつないとかなつかしいとか暖かいとか、ありきたりなことばを拒否するきびしさのようなものがあって。改行の少ない文章に、その記憶の束に、時に息苦しく、おぼれそうになったけれど。
会えてほんまよかったです。

【パッケージに小さな金色の星で7と書かれたマイルドセブンを右手でふかしながら、左手の指先に軽く体重をかけ、たまに右や左に足を崩す。腰のあたりで、疲れたように首をかしげるエプロンの蝶々結びを、その下のくるぶしの、畳で生活する人特有の赤黒くてかさかさした座りだこを、張りを失って柔らかくなった二の腕と肘の皺を、眺めては触りたい気持ちに駆られた。子どものわたしには存在しないそれらは美しかった。伸びた背筋、吸い殻につくほのかな赤い口紅の色と、きちんとセットされた髪は、母とは違う女の人を連想させた。そこには遠回しに人を寄せつけまいとするよそよそしさと、誰かに声をかけてもらうのを心待ちにしている子どものような、おくてな人恋しさが同時に同居していた。】
(『背中の記憶』表題作p25~26より抜粋)


*追記

その1)
『くぬぎ丘雑記』も 『夜がらすの記』も残念ながら絶版です。図書館などでさがしてみて下さい。
『夜がらすの記』については画家・林哲夫氏が以前ブログ”daily-sumus2”に書いてはりました。→


その2)
いやあ、それにしても。
写真家の文章、絵描きの文章、音楽家の文章、映画監督の文章~うっとりです。

その3)
このひとのうたう”Across The Universe”がすきでした。
かなしい。

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by bacuminnote | 2016-01-22 18:43 | 出かける | Comments(0)