いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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カテゴリ:出かける( 50 )

come back again!

▲デパートに行ったら、もう秋(というよりは)冬物の世界で、洗濯に洗濯を重ねたTシャツ姿のわたしが(つまり洗って干して、タンスに入れる間もなくまた着て、洗って、干して・・・)なんだか、とてもみすぼらしく感じる。だからか、よけいにディスプレイされたセーターがものすごくおしゃれに見えた。毛糸なんてちょっと前までは触るのも暑くていやだったけど、とてもきれいな濃紺だったので思わず手にとってみる。(と同時に値札が目に入りキンチョー)

▲ニットにストール、厚ぼったいタイツやブーツ姿のお店のおねーさんに「どうぞ当ててみてくださいね」なんて声をかけられて「いや、あの、その」と、もぞもぞ後ずさりするようにして外に出たら、むううと熱気につつまれ一気に汗がふき出した。暑い!
道ゆくひとたちはわたし同様くたびれかけた夏服の人が多く。迷子がやっと仲間に会えた気分で、とたんに強気になって、あのおねーさん達、通勤時は夏服に着替えはるんやろか~といらん心配のおばちゃんだ。

▲一昨日の朝、思いがけずひさしぶりの友人Yさんから電話がかかった。大阪に来てるので、急だけど新大阪あたりで会えないかな、とのこと。さすがの出不精もソッコウ「行く、行く!」と返事。大急ぎで支度をした。なんたって20年ぶりの再会なのだ。数少ないよそゆきっぽい服を着てみたけどしっくりこない。結局なじみのよい「洗濯に洗濯・・・」のいつものスタイルとなった。

▲電車の中 会えなかった20年をおもう。この間(かん)彼女は滋賀から沖縄に、そして去年再び滋賀に戻ってきて。わたしは滋賀から長野に、そして大阪へと、お互いに大きな変化の20年だった。それぞれ知らない土地で育児に仕事に、とたいへんな時期には連絡の途絶えた時期もあったけど、そのぶん何年かに一度は電話で超長話をしたり、ゆるゆると繋がってきた。

▲さて、待ち合わせは新大阪駅。彼女は伊丹空港からバスで、わたしは地下鉄で向かう。あまりに久しぶりなので、すっかり忘れていたけど、二人とも相当の方向音痴なのだった。そこにもって二人とも長い田舎暮らしで、まだまだ都会の人の波にのりきれないでいる。新大阪(駅)に着いてから待ち合わせ場所の「中央改札」に至るまでの間に何回か電話で「いまどこ?」と確認の末(新大阪をごぞんじの方には、何回も電話って!?と 笑われること必至)めでたく再会!
だから、「ひさしぶり~」の挨拶のあとは、しみじみと「携帯持っててよかったなあ」であった。


▲沖縄では楽しくて評判の音楽教室のセンセであり、牧師の妻であり、二人のすてきな男の子たちのおかあちゃんのYさんとは、やっぱり口を開いたその時からもう昔にかえってガールズトーク。
信州からここに戻り、ずいぶんたくさんの「久しぶり」を経験したけど、シワが増えても、白髪になっても禿げてても、みんな芯のところは昔とかわらない。でも若いときのまんまかというと、そうではなくて。大波小波であっぷあっぷしたり、時にひっくり返ったりしただけあって皆一様に、たくましくなっており、そして前にも増してやさしい。「若さ」はすてきで、まぶしいけれど、年をとるのもなかなかのもんやなあ、と思う。

▲まだまだ話せていないことの方が多かったけど、あっというまに帰る時間がきた。数時間で20年分の話はやっぱり無理やよね。それでも「いま」のYさんを直にかんじることができて うれしくて「ほな、また」と改札口で手を振った。「また」と言いながら、なかなかその「また」が来ないかもしれないけど、今日会っていっぱい湧いてきたものがあるから大丈夫。こんど会ったときにはすぐ「今日のつづき」に入ってゆける・・・なぁんてしんみり思ってたら見送ったはずのYさんが「ここでいいのかな」と戻ってきた。「ええんとちゃうかな?」と再び送るや、ビビィーという音と共にカムバック アゲイン(笑)
駅員さんに「この改札口は新幹線専用で、在来線はあっち・・・」と言われたのだった。(新大阪をごぞんじの方には笑われること必至である)
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by bacuminnote | 2009-09-09 11:54 | 出かける

パン屋のおばちゃん。

▲信州から大阪に戻って、もう六回目の夏だ。
街にも仕事をもたない暮らしにもなじみ、パン屋のおばちゃんだったことを時々ふっと忘れそうになる。引っ越してきた時のまま、段ボール箱の中には、捨てきれなかったスケッパーや温度計、大量の「パン工房 麦麦」のシールもねむっている。何よりこのブログさえ、パン屋の名前をそのまま残しているんだけど。こうして時間がたつと「記憶」は感熱紙の文字がうすくなるように、そのうち読めなくなってゆくのやろか。

▲昨日、出先からの帰途 ひさしぶりにパン屋の先輩「楽童」(がくどう)さんに寄った。
初めてこのお店をたずねたのは、わたしたちフウフがパン屋を志した時だから、もう24年も前のことだ。以来多くを教わり、子どものこと、教育、社会・・・と熱く語り、愛知川(滋賀)にも開田高原にも家族で、子どもだけで・・・と何度も来てくれた。その間(かん)お互い仕事に、たのしみの時間に忙しくて、いつも密に関わってきたわけじゃないけど、会えば即 昔に戻れるなつかしい旧友のようなおつきあいが続いている。

▲阪急豊津駅を降り(方向おんちのわたしにSさんは「(電車は)うしろに乗るねんで」とあたたかいアドバイス(笑)を忘れない)道を渡り、細い階段を一段、二段と下りかけたら もう懐かしい天然酵母パンのにおいがしてきて、ちょっと泣きそうになった。
かわらない店構え。黄色い看板に楽童のロゴ。「かわいいお店」なんて安易な表現はしたくない。小さいけれど風格あるパン屋だから。

▲店の前に立つと、おいしいにおいと共に熱気がもわーとやってくる。たしか窯は店先のウインドウの裏だった。常連と思われるお客さんがひとり、ふたりと次々に買いに見えて、すこし離れたところからうれしく眺めた。
天然酵母だからと特別な店じゃなく、町に八百屋やお米屋があるように、町のパン屋をめざしたい、と初めて会ったときに言うてはったことを思い出しながら、待っている間、店のまわりを歩いてみる。

▲じつは「楽童」さんの近くで暮らしたことがあった。まだ彼らが店を始める前のことで、わたしたちもそこには二年足らずしかいなかったので、すれちがいだったんだけど。そもそもわたしが家でパンを焼くようになったのは、その町から田舎に引っ越すことになって、これまで自然食品の店で買っていた天然酵母パンが手に入らなくなるからだった。もし、あのままあのアパートで住んでいて「楽童」開店のニュースを聞いたら、きっとすぐにパンを買いに走っただろう。で、やっぱり一家とはなかよしになったこととおもう。

▲でも、そうしたら自分でパンを焼かなかったかもしれないし、天然酵母のパンの講習会に行くこともなかっただろう。ということはパン屋にもならなかったかもしれないんよね。
ほんま ジンセイの出会いのタイミングというのはなんておもしろいんやろ。
とにかく、ちょっと回り道したけど「楽童」さんとはどっちにしても、どこかで出会ってた気がする。

▲お店の周辺の家はどこも建て替えで新しくなって、知らない町に迷い込んだようで心細くなる。でも、たまに「昔のまんま」のお家があって、玄関口に並んだ植木鉢や物干しの洗濯物がゆれているのを見てほっとする。そうそう、この近くに親戚の家もあったはずだけど、と探しているうちに、元の道に戻る自信がなくなってきて諦めた(苦笑)
ぶじ?店の前の道に出てくると、お客さんが「ありがとう」と笑顔でパンの袋を持って出てきはる。Sさんの「ありがとうございます」の声に わたしも「おおきに」と頭をさげそうになる・・・いつのまにか「パン屋のおばちゃん」になっているのだ。

▲ウインドウの中、レーズンのパンにごまパン、ココア色のパンはキャロブ。それにきれいに窯伸びした山食のきつね色がおいしそう。どれも開店のときのまま、気取ってなくておいしいパン。あたらしい顔ぶれもあるけど、みな名前がわかりやすくていい感じ。(この頃は横文字の覚えにくい名前が多い)
それにしても、この熱気もにおいも、この間まではわたしにも「日常」やったんやなあ、としみじみ。
「まあまあ、暑いけど中に入って」とSさんに促されて仕事場に入ると、ソッコウ汗がふきでて。これ、これ、この感じ。これが夏のパン屋やなあ、と出してもらったつめたい麦茶をぐいぐい飲んだ。

▲しゃべってる間にもSさんタオルで汗を何度も拭う。で、やおら立ち上がると「さあ次はこれの出番やな」と棚からうちわを二つ取り出さはったので、大笑い。窯の予熱が冷めないから、しつこいようやけど、ほんまにほんまに夏のパン屋は暑いのだった。
そのうち配達に出ていたおつれあいのAさんが帰ってきはって「やあ、いらっしゃい」のあとは「暑いやろ。けど、なつかしいやろ、この暑さ」だった。やっぱりキーワードは「暑い」なのだ(笑)お店をAさんにまかせて、わたしたちは(申し訳ないけど)近所の涼しいカフェに移動。

▲Sさん曰く「けったいなパン屋のおかみさん」同志(わたしは「元」がつく身になったけど)話は尽きない。「ほんでな、ほんでな」と大阪弁と早口。本の名前も人の名前もすぐには出てこなくて「あれが」「それが」の連発。くわえて脱線と大いなる飛躍(苦笑)
よその人が聞いてたら二人の会話は「何言うてんのか、わけわからん」やろなあ、と思いながらも楽しく、そして実のあるおしゃべりだった。お互いにすきなことはだいじに続けていこう、と言い合って。「会えてよかったなあ」「また、しゃべろ」「また、あおな」と別れた。

▲電車の中、ひざの上にのせたパンの袋からいいにおい。その昔、よくお客さんに「パンのにおいはシアワセのにおい」と言うてもろたけど。ほんまにそうやね。
感熱紙の文字がやがて消えてなくなっても、わたしの根っこにはパンにつながる人やものがしっかり残ってることを おもう一日だった。
暑いけど、しんどいけど、たいへんな世の中やけど(そんで、自分ちはやめてしもたけど)町のパン屋「楽童」さんが これからも長く「シアワセのにおい」と「陽気と元気を」届けてくれますように。


*追記*
『パン工房 楽童』HP
〒564-0041
大阪府吹田市泉町5-26-28
TEL&FAX:06-6380-2656
営業時間:9時30分ごろ~6時半ごろ(売り切れしだい)
定休日:日曜、月曜日
■通販あり(詳細はここで)
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by bacuminnote | 2009-08-22 15:23 | 出かける

何はともあれ早いこと。

▲外に出たとたん、わあ~って声をあげたくなるような青い空と陽気で3月がスタートした。2月の末には雨の日が多かったので、今日こそは、と たまった大物洗濯・掃除・布団干しをしているうちに、なんだかむくむく元気がでてきて。
体調がもうひとつやしと、友だちの誘いを断った事をちょっと悔いながらも、ひさしぶりのお陽さん浴びてきもちよさそうな洗濯物やら布団を 飽きずにしばらく眺めてた。
庭のむこう モノレールがその派手な宣伝ボデイを物ともせず(←ちょっとは恥ずかしがってほしい気もする)青空の真ん中をゆっくりスルーしてゆく。

▲いつもの「さっさっと」ではなく、部屋の隅っこまできれいに掃除して(←これがフツー?・・)さあ片付けるか、と延長コードをたぐり寄せたそのときのこと。
ぐにゃり、へなへな、あれ?・・・ひさしぶりのぎっくり腰(号泣)
月曜になるのを待ちかねて いつもの整骨院に行った。鍼と整体をしてもらってかなりの回復にカンドー。背中にテーピング、腰痛ベルトにて帰宅した。
入浴後、腰と背中一面に張り巡らされた テープが濡れて、拭いても乾かず冷たいので、仕方なく相方にドライヤーで乾かしてもらう。なんか、わたし、今すごい格好なんやろなあ~ スパイダーマンとか、絶対 何か言われるやろうなあ~と思ったんだけど。
案の定 満身創痍のツマは「ボンレスハム」と命名された。

▲整骨院には三日通ってOKもろて、金曜日には はげしく雨の降るなか駅に向かった。週一回、一年通ったガッコもこの日が最後のクラス。
学期の終わりは皆でランチが恒例で、ガッコ近くの中華料理屋さんに集まった。
水餃子も海老マヨ・チリソースも、五目あんかけそばも、炒飯も、もやしと豚肉の炒め物も、胡麻団子も、ぜーんぶおいしくて。ランチのあとは合評会だというのに、ビールもちょっと注いでもろて。のんで食べて、しゃべって、食べて、何度も大きな口あけて笑った。
にぎやかに円卓を囲むどの人も、去年の今頃はだれも知らなかったのに。もうこれでお別れかと思うと、しゅんとしてしまう。おわりに一人づつスピーチして、最後の人が途中で泣き出してしまい もらい泣き。いや、じつは「もらう」前からちょっとキテいた気もする。

▲クラスメイトのほとんどは来年度も続けて来はるとか。けど、わたしは予定通りこれでおしまい。
昔っからのガッコ嫌いが、初めて文章でいただいた賞金をおもいきって投入して(ほんまは電動自転車を買おうと思ってた!)入校したんだけど。まちがいなく電動自転車以上のものを得た、とおもう。
何より30代~70代までいろんな人にであい、学生の頃のようにノンストップでブンガクを語り。書いて書いて書いた時間は、しんどくて、たのしくて、エキサイティングで。ほんま ええ時間やったなあ、と 帰途いつものようにあんパンかじりつつ(頭を使うとお腹が減るんよね)暗い道を歩きながら思った。

▲と、ひとつのことが「おわった」充実感とさびしさの中、なんだか今はまだちょっと放心状態だけど。
書きたいことも、やってみたいこともあって。ああ、何はともあれ 早いこと「ボンレスハム」を脱し のびのびと動きたい。
はるよこい、はやくこい。
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by bacuminnote | 2009-03-07 20:55 | 出かける

右に左に、東に西に。

▲わたしと相方の風邪で、二月は大半が過ぎてしまった。閑人生活ながらも寝込んでいる間に用事は結構たまるもので。それをこなしきれない内に、ああ、もう二月も あと四日でお終いとなってしまった。あれもやめ、これもパス・・・と思いながらも、どうしても行きたいとこがひとつだけあって。先週末、朝からきもちよく晴れ渡る空に「よし、京都に行こう」と立ち上がった。

▲部屋から見ると、外はぽかぽかしてるようだったのに、実際にまちを歩くと風はやっぱりまちがいなく二月で、首をすくめて駅にむかう。京阪電車は学生時代もシンコン(漢字にするのは恥ずかしい)時代も 沿線に暮らしたのでその車体の色も内装もとてもなつかしい。
けど、その日ホームに入ったのは初めて乗る二階建て電車だった。高い窓から見る風景にちょっと遠足気分のわたし。うれしくなって さっそくこれから行く個展の主 うらたじゅんにメールする。

▲ソッコウで返って来たメールはなんと行き先ギャラリー周辺の詳細にしてココロ暖まるトイレ情報。
曰く「ギャラリーに行く途中にコンビニ有り、郵便局を過ぎた所にコンビニ有り」
さすがわが友、とその的を得た心遣いに感謝しつつ 笑いがこみあげる。昔から彼女と出かけるとまずトイレ確認。次にトイレなんよね。

▲終点「出町柳」まではしばし読書。わたしは電車の中で本を読むのも、本を読んでる人を見るのもすきだ。隣に座った若い女の子も何やら熱心に読んでいる。その服装から見ると就活の最中なのだろうか。
紙袋のお菓子をぽりぽり食べながら、試験対策か、難しい本なのか、時々うーんと唸りつつ、ぽりぽり食べつつ、また本を読んでいた。どうやらたのしい読書じゃなさそうだ。
それにしても。いつからあんな制服みたいな「就活スタイル」が定着したのだろう。スーツだけじゃなく、靴だって、バッグだって、皆お揃いみたいで。制服嫌いのわたしはどうも好きになれない。いや、本人も好きであんな格好(すまん)しているわけやないよね。きっと。

▲さて、駅に着いて 予習してきた通り「叡電」方面の出口から出た。が、その先が右だったか左だったか忘れてしまった。
そもそも「右」や「左」などと言うてるから 道に迷うんや、と怒られそうやけど。なんとなく景色に惹かれるように右に曲がると加茂川に出た。川べりの景色に心惹かれるのは川育ちやからか。風はつめたいけど、空は青く、川がひかってる。・・・が、どうもこのあたりじゃなさそうだ。駅に引き返しDMの小さな地図をひっくり返したりしながら、左の方に進むとようやく「予習通り」の建物があって、ほっとする。

▲そのまま行くと、メールで教えてくれた郵便局やコンビニがあって、ギャラリーのあるビルが見えて来た。手前にはオムライスの店が見える。お昼を過ぎたのでお腹が減っていたけど、がまんしてもうちょっと歩いてみる。こまったことに方向音痴のくせに寄り道はすきだ。知らない町をあてもなく歩くのは、何があるのだろう、というどきどきと、ちゃんと元来た道に戻れるか、というどきどきがあって(苦笑)なかなかエキサイティングだ。
結局すこし先のおうどん屋さんに入った。冷えたからだに熱いうどんでぬくもって、久しぶりに京都の「おおきに」を聞いて(大阪のそれとは少しちがう)うれしくなった。

▲ふと横を見ると雑貨屋さんがあって、ポストカードとリバティプリントのハンカチを買って、うきうきとギャラリーに。いい感じの音楽が小さく流れ、いい感じのひとがいて。(あとでそれはオーナーとわかる)たまたま中にはわたし一人。
友人や知った人がいるとしゃべりまくってしまうので(たぶん)こういうときの一人はありがたい。
友の描く漫画や絵を一(いち)artistの作品として観るようになったのは、いつの頃からだろう。すごいなあ。すごいぞ、と思いながら、うらたじゅんの世界にゆっくりもぐって、ただよって、ひたる。

▲そろそろ帰ろうかな、というタイミングでオーナーが話しかけてくれて、じゅんのこと、美術、家族のことからパンや畑の話まで・・・。旅先で思いがけずおもしろい人に出会ったみたいに、たのしいひとときを過ごさせてもらった。「また、いつか」とギャラリーをあとにして、駅にむかう。もう迷わない(←あたりまえか)
ホームで電車を待っていたら、見たことのないぴかぴかブルーの車両が入って来た。へえ、京阪、こんなのも走ってるんや~と思って行き先を見たら新しく開通の「中之島行き」だった。

▲ふっと、この電車でいいのかな?と思ったので、路線図を見る。改めて見ると京阪沿線はやたら「橋」のつく駅が多い。丹波橋、京橋、天満橋、淀屋橋、そこに中之島線のなにわ橋、大江橋、渡辺橋が加わり、それでなくてもちっちゃな字と赤や青の路線図が老眼には 何やごちゃごちゃしてよく見えない。ええい。淀屋橋は大きな駅なんやから停まるに決まってるわい、と判断して乗車。(注・淀屋橋には停車しません・・・)

▲ちょっと京都に行っただけやのに遠足のようなたのしい一日だった。ようやく!淀屋橋までたどり着いて、じゅんにメールしたら「大冒険やったなあ」と返事があった。たしかに。
家に着いて、もしや、とわるい予感がして彼女の ブログを見たら案の定『こういう初歩的な間違いをする人間もたまにいますので、くれぐれもお気をつけてくださいまし』とわたしの失敗例を挙げてあった。ふん。
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by bacuminnote | 2009-02-24 21:21 | 出かける

いま ここにある。

▲今夏は開田高原にも「帰らなかった」し、ホントどこにも出かけていないので、よけいに暑くて(いや、暑いから出かける気が失せる、というのもあるのだけど)長い夏に思える。
その昔、滋賀でパン屋をやっていた頃は、夏は窯のジゴクの熱さに、仕事が終わったら夕飯の支度もそこそこに、皆で隣町の公営プールに汗を流しに・・・いや、泳ぎに行った。仕事が終わってからひと泳ぎやなんて、若かったんやなあ(笑)
そんな風だったから、店の夏休みなんて子どもよりも心待ちにして、海に山に、お金かからんとこばっかりだったけど、あちこち出かけて行ったものだ。

▲ただ一回ものすごいぜいたくな夏休みを送ったことがある。
それはカナダを横断した’90年の夏で、このときはなんと一ヶ月半も店を休んでの遠出だった。
その行程は大阪→韓国→NY→ピッツバーグ→トロント→ハンツビル→キングストン→ケベック→ガスペ半島→カルガリー→バンフ→ゴールデン→ジャスパー→カルガリー→バンクーバー→ビクトリア→ナナイモ→バンクーバー→大阪・・・と、いまこれを書き写しながら この移動をも楽しめた若さをしみじみ思うのだった(一日一カ所出かけるだけでひいひい言うてる今のわたしからは まぶしいくらいである・・笑)

▲けど、わたしらフウフはともかくとして、この出たとこ勝負の「低予算」旅行は当時10才(小4)の長男にとっては、楽しいというよりハードな経験だったかもしれない。余分なお金はないわ、親の英語力と言ったら中学1、2年程度やしね(←3年が抜けているところが重要・・苦笑)
まずホテルの予約がその日一番の大仕事で。公衆電話でしどろもどろながら大奮闘のわたし。地図ひろげ場所を確認しつつ、長引く交渉に(笑)近くのコインランドリーに両替に走る相方。電話の近く、緊張の面持ちで荷物番の息子。

▲ほんま謙遜でも冗談でもなく、あるのは相方の度胸とわたしの愛嬌、そして息子の笑顔と忍耐力。来る日も来る日もホットドッグ食べて。
それでも、伊丹空港着陸のアナウンスに、機内の三人はそろって溜め息をついて同時にこう言い合った。「もう帰って来てしもたなあ」「また、行こうな」「ぜったい行こな」

▲開田高原に越したのはその翌年のこと。
そこは気候も自然もカナダみたいだったから。
くわえて、13年ぶりの赤ちゃん誕生や、もういろいろありすぎて。海外どころか国内旅行もまったくしなくなったから、このときの旅はよけいに思い出深い。そうそう、この後しばらくして、長男は地球をぐるぐる何周もするようになる。

▲前に新聞で写真家の 石川直樹さんの「旅とはなにか」という文章を読んだ。(朝日新聞’08.4.12「異見新言」)
どんな場所のことも瞬時にいろいろ調べられるようになった現代において、一般的な観光旅行は、ガイドブックなどに紹介された場所をなぞる行為になっている。そこには実際に見たり触れたりする喜びはあるだろうが、あらかじめ知り得ていた情報を大きく逸脱することはない。
一方、そうした旅行から離れて、旅を続ける人がいることも事実である。ここでいう「旅」とは決められたスケジュール通りに地名から地名へと移動することではなく、精神的な営みをも含んでいる


▲彼はこうも言う。
例えば人を好きになること、新しい仕事を始めること、一つの研究に没頭すること、生まれ育った土地を離れること、結婚したり子育てをしたりすること、そうした営みはすべて旅の一部なのだ》と。
そうかもしれない。
あのちっともスマートじゃなかったかつての長旅も、そして、どこにも行かなかったけれど開田高原で暮らした時間もまた。パスポートの用紙が足りなくなるほど あちこちに行った上の子も、今はまだ本州以外の所に行ったことがない下の子にも。「旅のフィールドは、ここやあそこではなく、目の前に、今ここにあるのだ」から。
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by bacuminnote | 2008-08-18 23:19 | 出かける

さくらのわたし。

▲この風邪が治ったら。肩の痛いのがおさまったら。
足が痛ぅて。温うなったら・・・と、母の「又あんたとこに行きたいねん」の思い叶わぬまま季節がめぐり、春が来た。
相方のお母さんもわたしの母も八十をこえてから「痛い」「しんどい」がとたんに増えた。それでも、ちょっとしゃべって笑ってるうちに 声に張りが戻って来ることも多くて。ほっとしたり「なぁんや。元気やん~」と思ったり。けど、年を重ねることの深さも重さも、けっして遠い「他人事」ではないんよね。

▲いつか、いつかと、母がわが家に来るのを待ってる間に、下の子がわたしの背丈を越したんよ~と話したら、「ええっ~ちょっと見ん間にそんな大きいなったん?顔みたいわあ」と言うので、こっちから会いに行くことにした。
平日だし「吉野(山)の桜」にはまだちょっと早いからか、特急は二両きりだったけど、窓から見る近鉄沿線にはあっちにもこっちにも桜の花が咲いており。茶っぽい山々の中に、ぽっとそこだけ灯りがともったみたいにピンクで、かいらしい。例年より10日は早い開花だそうだ。

▲吉野山の桜のうつくしさは「別格」として。
吉野でなくても、わたしは山の中にぽつんと在る桜がすきだ。時に妖しげ、時に可憐、時に楚々とした桜の木に惹きつけられる。
さて、いつものように川が見え始めると、窓際の空席に移動する。
春の川はきらきらひかって「ほら、ほら。川やで」と、年甲斐もなく はしゃぐハハに「見えてる」と思春期の子のつめたい返事。(しょぼん)
阿部野橋駅から1時間、六田(むだ)駅を過ぎるあたりになると、その景色に「ああ、吉野に帰ってきた」という気持ちになる。相変わらず電車は揺れて騒々しく走る。きぃーきぃー、がたんがたん という音を聞いてると、この小さな田舎まちを出ることばかり考えていた「わたしの思春期」がよみがえってくる。

▲家に着くと、母が電話で何度も言うてたとおり、庭の桜が咲き始めており、その淡いピンクの花びらも、つぼみの濃い色もとてもきれいだった。樹齢100年を優にこえる貫禄も格好もなかなかええ木だ。
母は会うなり「ほら、ほら、桜。きれいやろ。ほんまええ時に帰って来たわ~」と窓の外を指さす。
まるで「川がきれい」と同意を求めるだれかさん そのまんまなので思わず苦笑。
一年ぶりの孫の姿に「わあ、大きいなってぇ。ほんま大きいなったなぁ」と派手にハグして喜ぶ母が、かいらしい。
はずかし、照れくさいを堪えて、されるがままの思春期の少年(笑)も又。

▲何べんも言うてる気がするけど。
桜の季節はあんまりいい思い出がない。子どものときは、新学期やというのに家業が忙しくて母がかまってくれなくて、拗ねて。思春期の頃は日曜日というと「無理言うて皆にも(臨時雇いのひとたち)来てもろてるのに、家のモンが遊びに行ってどないするねん」と父に怒られ、出かけられなかったし。
ケッコンのことで父と大げんかしたのも桜の季節やったし。

▲そういえば、その頃 ちょうど岩崎宏美が歌ってた歌を友だちが「なんか くみちゃんらみたいやろ」と レコードを持って来てくれて。たしか父親に結婚反対されている恋人たちの歌で、♪桜の花はもう六分咲き~というんだった。
何ていう歌か忘れたけど~ と、何年か前に ひこ・田中さん(なぜか岩崎宏美にくわしい!)へのメールに書いたら、ソッコウ「ロマンチックですなあ。それは『春おぼろ』です」と歌を送ってくれはった。(まさか二十数年ぶりにこの歌聴けるやなんて、ね。びっくりするやら、うれしいやら、気はずかしいやら・・)

▲母や姉ともこのあたりのことが話題にのぼって、ほんま冷や汗モンだ。
『いもうとのままに老いたり桜餅』(平沢陽子「詩歌句」所載)というすきな句があるんだけれど。吉野に帰ると、50すぎのおばちゃんも アマエタの末っ子のくみちゃんのままなのである。
話しても話しても、崩れることのない話の山に 退屈したのか、呆れたのか、いつのまにか息子はテレビで高校野球を見ていた。

▲そうして気がつけば、もう帰る時間になって。
橋を渡ったところまで母が送ってくれる。ここはかつて吉野川の三大渡しのひとつ「桜の渡し」とよばれたところだ。
「また、帰って来てや」という母が、何度ふりかえってもそこに立っているのが、うれしくて、さびしかった。その昔は橋ひとつ渡る時間もなくて「ごめんやけど、ここで」と仕事に戻る働き者やったから。「また、大阪にも来てや」と返事して手を振った。
行きは つんつんしてた息子と帰り道はいっぱい話しながら駅まで二人ならんで歩いた。
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by bacuminnote | 2008-04-02 22:07 | 出かける
▲2004年信州から大阪に戻った最初の夏、まだ荷物が散乱する中 とにもかくにも、と買ったものは、葦簀(よしず)とすだれとエアコンだった。もともとクーラーは相方もわたしもあまり好きじゃなかったけど、外出するときも鍵を閉めない山の暮らしから、夏でも雨戸を閉め切って寝る、という都市型生活(苦笑)に変わったから。嫌いもナンも、そんなん言うてられんくらい大阪の夏は暑かったんよね。

▲滋賀県は琵琶湖の東で四年(ここも大阪に比べたら格段に涼しい所でエアコンなし)それに十数年に及ぶ信州での暮らしで、すっかり身もココロも寒冷地仕様になってしまったのだろう。窓から入る風はつめたい高原のそれ、というイメージが頭から離れず、いっそう大阪の夏を暑くしていたのかもしれない。だから最初の年は家族で暑い、暑いとしつこいくらい言うて、扇風機もエアコンもフル稼働してたなあ。
信州生まれの下の子は、ひどいあせもでお医者さんに行ったり(寒冷地育ちの子がいきなり暑いところに行くと熱出したり、ひどいあせもになったりするらしい)ほんま冗談やなく、ひと夏やっとの思いで過ごした気がする。

▲そんな夏からもう三年。エアコンは最小限に控えて、の日々にも慣れた。(暑いのには相変わらず弱いが・・・)
けど、夏になると彼の地のみどりの風が恋しくなる。
去年は予想外の大雨で、近くまで行きながら泣く泣くスルーして帰って来たので、今年こそは、とこの間 息子(その2)とふたり信州への旅に出た。
反抗期のさなかやし、ハハと子で遠出なんて すでにもうタイムリミット状態で。もう今回が最後かもしれへんね~と息子と話しながら、やっぱりけんかしぃしぃ計画を立てた。

▲ところが初日から事故の影響で電車が遅れるというアクシデント。いきなり駅で、いつ復旧ともしれない電車を待つことになった。
人身事故とのアナウンスに、うかれた思いが一気にダウンする。全くなんという社会なんやろ!とやりきれない思いと憤り。それなのに、しばらくすると「暑いのにホームで延々待たされる」ことへのいらだちに変わってしまってる自分に気付き、深くため息だ。
あっちこっちから不満の声がもれ聞こえる。
列の中 山行きスタイルの親子は 子どもが待ってる間におやつを食べ尽くしてぐずり始め。横にいた中年の女性は「こんなに暑いところでずっと立ってたら、買ったお弁当が腐っちゃうわよ」とぼやく。

▲やがて、皆から「ほお~」という安堵の声がもれる中、見慣れた姿!の「特急しなの」がやっとやっとホームに入ってきた。1時間半の遅れだった。
この日息子は終点・長野泊。わたしは松本経由でひと足先に開田入り、と、初日は別行動。ところが電車が遅れたため(最終的に2時間の遅れとなった)わたしは予定していた松本での時間が正味1時間ちょっとになってしまうわ、息子は息子で電車が終点まで行かず急遽松本止まりになるわ(つまり別の電車に乗り換えなければならない)で、ああでもない、こうでもないと、さっそくけんかが始まるのであった(やっぱり、ね)

▲それでも、長野行き特急に乗り換えてぶじ息子も出発、わたしは払い戻しで得たお金で(特急が2時間以上遅れると払い戻しされるらしい)タクシーをとばして目的の松本民藝館に。
前にここを訪れたのは学生時代の夏休みだったから、もう30年ほど前になる。その後 思いがけず長野県の住人となって松本にはしょっちゅう来ていたのに、ほとんどが子どもの病院通いで、ここに足をのばすことなど思いもしなかったのだ。開田から出て来て、診てもろて、帰るだけで精一杯やったから。

▲館長の話では何年か前に大規模な改修をしたらしい。入り口が違ってたのはそのせいか。けど、静かな雑木林に囲まれた「なまこ壁」の蔵造りの建物の醸し出す雰囲気は昔と変わることがない。ついでに来館者も少なく(地元でも知らないひとが結構多い。とてもすばらしいところなのになぁ・・・)静かで、この空気を独り占めできるぜいたくも かわらなかった。
開け放たれた中二階の小さな窓からふと外をのぞくと、軒先からおおきな蜘蛛の巣がかかっているのが見えた。光る糸も、その模様のうつくしさも、巣のむこうに見える畑の濃いみどりも、民藝館にとてもよく似合っており。息きらしてタクシーに乗りこんで、何度も時計をのぞき込みながらの入館だったクセに、いつのまにかもう時間を忘れてる。そしてまた来たくなってる。たぶん、ここはそういう場所なのだろな と思う。

▲たのしみにしていた『李朝展』は一室だけの企画展ながら充実していた。館長にていねいな説明をしてもらいながら、白磁の大壺のおおらかな曲線に魅入る。竹張箪笥もきれいだったな。あっという間に1時間。車を呼んでもらって松本駅に。
この日は長野:松商学園の高校野球決勝選だったらしく、その関係の車で渋滞する中、運転手さんの「それは いい試合でねぇ」と、熱の入ったリポートを 時計見ぃ見ぃ半分うわの空で聞きながら(苦笑)すべり込みセーフで駅に到着。
そうして夜には開田の友人宅に。ああ、夜のなんと暗く心地いいこと。目覚めの朝のなんとさわやかで清々しいこと。
風がちがうんよね。
来てよかったなと思う。

▲それだけじゃない。着いたその日も、息子と合流した翌日も翌々日も、あっちでもこっちでも熱烈歓迎してもろて。「よう帰ってきたね」と言うてもろて。「かわらない」山と空と友だちは皆シャイだから。さりげなく、やさしく包んでくれて。
あらためてこの村でわたしたち一家が得たものの大きさをおもうのだった。
若い友だちも、同世代の友だちも、ジンセイの先輩も。それに今回初めて出会ったひとも。笑って、食べて、のんで、しゃべって。気がつけば けんかもせずに親子で笑う。
時をわすれ、また来たいとおもう わたしのすきなところ。
きっとここは そういうところだ。
おおきに。また、帰ってきます。
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by bacuminnote | 2007-08-05 22:39 | 出かける
▲明け方から雷が響き今日は「来そう」やな、と思ったけど、想像以上の大雨が降った。つめたくて激しい雨だったのでレインコートを着て出た。信号までの道はわたしひとりだったから。ちっちゃい子みたいに、ぴちゃぴちゃ音たてて歩く。水しぶきがストッキングにしみを作るけどかまわない。街路樹が突然のシャワーに気持ちよさそうに伸びをして。草も木々も。みどりいろってこんなにいっぱいの色があったんやね。
雨の日にじっとりした家で本を読むのもけっこうすきなんだけど、思い切って出て来てよかった。義母としゃべって、笑って、あつあつのお好み焼きを食べてる間に、窓の外はうすくひかりが差し、やがて青空になった。

▲この間、姪の結婚式が横浜であった。横浜は山下公園前に停泊していた船『氷川丸』に泊まった中学の修学旅行以来だ。もう36年も前のことだけど、このときのことはよく覚えている。ただでさえコーフン気味の田舎の中学生が♪ブルーライトヨコハマ~(←このころ流行ってた いしだあゆみの歌)の船に泊まるやなんて。海のない奈良県の子どもたちは大はしゃぎで乗船したものだった。なんたって、今みたいに家族旅行をする家は ほんまに少なかった頃の話だしね。

▲夜になって、だれから聞いて来たのか「この船は戦争中は病院船やったんやぞー」と言う男子がいて。「うっそぉー」と返しながらも、かたいベッドとカーキ色のごわごわした毛布、それに船内に漂う油のにおいが妙にリアルで、皆一瞬しんとして。そのうち、なんだかこわくなって皆きゃあきゃあ騒いだ。
いま、その日のことを思い出したので、ネットで『氷川丸』を調べたら、あの夜 男の子が言うてたように、戦争中は海軍に徴用され病院船として、戦後は外地からの復員船としても運用されていたらしい。それだけでなく、この船 かつては「北太平洋の女王」と呼ばれた客船でもあり、その人生(船生?)はなかなか波瀾万丈だったようで興味深い。だけど当時はそんな歴史もドラマも知らず、「アールデコ」なんて思いもよらず。センセが夜に酒盛りしてたとか、だれそれがあの子に告白したとか、そんな横浜の一夜だった気がする。

▲さて、結婚式の前日はひとまず東京に。東京には「船」を降りて二年になる息子がいる。「二人だけで会うても仕方ないしなあ」などと、母子で身も蓋もないような会話をしていたのだけれど。息子のガールフレンドが同行してくれることになったあたりから「ハハの東京物語」は急転回。ご飯は何食べる?どこか行きたいとこある?とやっと物語の雰囲気が盛り上がるのであった(ありがとう、○○ちゃん!)

▲青山でリクエストの野菜料理を食べ、ホットケーキとスコーンと珈琲のうまい店に行き。ずっと行ってみたかった青山ブックセンターにも寄って、本の森をかけめぐる。
荷物を持ってもらい、あっちキョロキョロ、こっちキョロキョロの「おのぼりさん」はふたりが歩くちょっとうしろから歩く。肩よせあうふたりの背中がなんだかいとおしい。その昔、義母が「あんたがいるから、まだあの子(わが相方)と話するけど・・・」と言うてはったことをふっと思い出した。

▲夕方に横浜入り。その日は都会の空気に酔ったのか、枕がかわったからか、それとも10332歩 歩いたからか(←いつも皆から「ええなあ」と言われる歩数計つき携帯)なかなか寝付けず、ちょっとうとうとしてはすぐ目が覚めて、気がついたら外が明るくなりはじめた。
海のないところ育ちには夢のような景色が窓の外にひろがっていて、思わずとなりのベッドの母を起こす。停泊している船、ベイブリッジ。しずかに揺らぐ水面のむこう おおきな陽がのぼってゆく。

▲その日は幾組も結婚式があったようで、エレベーターで廊下で花嫁やその家族を見かけた。昨今の演出過多なウエディングプランには思うところがあるものの、若い(若くなくても!)笑顔のふたりはいいものだ。結婚式ではカップルがうつくしくkissをするのにみとれ、だいすきな賛美歌312番をきもちよく歌い、そして花嫁の母(三番目の姉)の涙に胸がつまった。

▲披露宴が始まって、しばらくすると「くじ引きスピーチ」とかいうのがあった。箱の中に出席者の名前のカードが入ってて、新郎新婦が引いたカードのひとがスピーチをする、という趣向らしい。姉(二番目)と「当たったらかなんしトイレにでも行こか」と相談中、司会者の「それでは新婦の叔母さんの○○くみこさん」という声が聞こえ姉と無言で見つめ合う(泣)
あろうことかトップバッターだった。どうでもいいことならいくらでもしゃべるくせに、こういう時には突然無口になってしまう困ったひと(わたし)である。ケッコンはゴールじゃなくスタート・・と、なんかわかったような、わからんようなこと言うて着席。ああ、はずかしい。
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by bacuminnote | 2007-05-30 21:45 | 出かける | Comments(0)

四月、晴れた日曜日に。

▲いつのまにかすっかり葉桜になった桜並木を歩きながら、季節がかわってゆくことへの思いが、だんだんぼんやりしてきてるなあと思った。
洗濯物にかすかに残るお日さんのぬくもり、川の流れ、水の勢い。それに吹く風にも「おっ、来たな」と・・・開田高原で暮らしたときのように「春が来る」そのことだけに、あんなにわくわくすることって もうないのかもしれない。
そう思うとちょっとさびしい 大阪に戻って三度目の春だ。

▲この間 友だちフウフに彼らの友だちの 作品展に連れて行ってもらった。なんで「連れて行ってもらった」かというと、ここでも何回か書いてるけど、わたしが方向オンチ(しかも上級者編)だから。
その個展の案内を知ったときから行ってみたいけど、単独行は(←たいそう なんである)自信ないなあ と唸っていたところに「一緒に行こうか」と話があったので「はい、行きます」とソッコウ挙手したわけだ(笑)

▲金曜の夜から崩れた天気も徐々に回復して、日曜日は朝からきもちのよい青空がひろがった。
だからか、乗り込んだ地下鉄には いかにも行楽客風の中高年グループの姿が多かった。わたしの隣に座った六十代くらいの女性もその一人で、大阪観光案内と書かれたプリントをえらく真剣に読んではるので、ちょっと気になってのぞいたら(・・すまん)『通天閣、なにわのエッフェル塔』と書いてあった!
その後 女性は向かいのシートのお仲間たちと、ひとしきり新世界で串カツを食べる相談に盛り上がり、いろいろ注文して、ちょっとづつ皆でシェアーすることに相談がまとまったようで(笑)動物園前で一斉下車。急に車内がしーんとなった。

▲わたしが降りたのは次の天王寺。近鉄の駅の方に上がると、人、人、人で埋まっていて、くらくらする。
吉野に花見 の人出やろか。亡き親父なら「ほら、見てみ、ようけのお客さんが吉野へ来はるでぇ」と、さぞうれしそうに笑っていたことだろう。吉野行きの電車に乗る人は皆「吉野のお客さん」みたいに思うとこあるお父ちゃんやったし。忙しいときは従業員だけやのぅて家族総出が当たり前の商店やから、この季節の日曜 晴れた日に遊びに出るのに この年になって尚 どこか後ろめたい気分になるのは、こういう人のもとで大きくなったからにちがいない(苦笑)

▲友人との待ち合わせは駅を出て、阿倍野筋をちょっと行ったところの本屋さん。ほんま言うと、その待ち合わせ場所に行く自信もなかったわたしではある。けど、あんまり「わからん、よう行かん」ではいくらナンでも恥ずかしい、と 前の晩からネットで地図を何度も見て頭にたたきこんだ甲斐あって(←たいそう なんである)予定よりずいぶん前に到着してしまった。しばらく立ち読みしてたら友人たちが現れて、目的地に向かう。

▲そこは漆器の専門のギャラリーで。広くはないけど、渋くて落ち着いた雰囲気に漆器がいい感じに並ぶ。
しばらく作品をみていたら、HPで紹介されていた中で印象深かった器と目があってどきんとする。しずかに据わっているのに存在感のある器。そのうち、友だちの友だちが来はって紹介してもらう。「どうぞ、どうぞ手にとって見て」という言葉に、さわらせてもろて、じっくり眺めさせてもろて。
ああ、いつか「気に入ったものだけ 少し」の暮らしを とつよく思うのだった。帰り際「あ、せや、これ」と友だちの友だちが 紙箱から出さはった 名刺には「漆工」とあって。この日みた彼の器と重なって いいなあ、と こころにのこっている。

▲ギャラリーを出てから、その古い商店街を歩く。
日曜が定休日のお店が多く、ところどころ灰色のシャッターの下りた通り。友だちが昔っからのおせんべいやに寄るというのでつきあう。角を曲がり、路地をゆくと、すぐ近くに大きな駅があるのが信じられないような「昔っから」のお店がぽつぽつ現れて夢のようだった。
店の前に立つと「おせん」焼くぷーんと甘いホットケーキみたいな いいにおいがそこらじゅうにして、シアワセなきぶん。
店先にはガラスの蓋の木箱が並び、おせんや吹き寄せが入っている。ここは「浪速ことば」が書いてる(焼き印)おせんで有名なのだそうだ。「けったいな」とか「しんきくさい」とか「いとさん」とか、他にも何種類もあるらしい。

▲ガラス戸のむこうには火床があり、ご主人が慣れた手つきでせんべいを次々焼いていかはる。うしろの壁にはええ色になった貫禄ある鋳物の焼き型がずらりとならんで壮観。すばらしい。
友だちが注文のせんべいを包んでもらってる間「そこに座って待ってて」と椅子をすすめてくれたけど、じっと作業に見入る。こういう「仕事」の見える店は動けなくなる。
「おいしそうやなあ」というわたしらの声がガラス戸越しに聞こえたんかどうか「これ、待ってる間食べて」と焼いて冷ましてるところの「おせん」をわたしの掌に三枚ご主人がのせてくれる。美味!その後 再び焼きたて(まだ柔らかいの)をごちそうになって。ほかほかおせんに ほかほか気分で「おおきに、ごちそうさま」と店をあとにする。

▲その後も歩いて、歩いて。おなかが空いた。
どこかでお昼を、と言いながらまた歩く。こんど店みつけたら、どんなとこでも「入ろう」と思うのに、そういうときに限ってないものである。そうしたら、『雑穀がゆ』「当店は化学調味料は使っていません」の張り紙のあるお店に三人の足が止まった。もちろん入店。
「自然食」系のお店によくある押しつけがましいところ(苦笑)もなく、安い(500円位)うまい(友人の注文した「雑穀がゆ(おかず付き)」もわたしの「ちゃんこうどん」もええ味)店の人は感じいいし、の三拍子そろったところで大正解だった。
まだ始めたばかりなのか「休みなしで」がんばってはるらしい。あんな値段でやっていけるのかなと心配になるも、どうか繁盛しますように、と願いながら 身も心もほかほかにぬくもって「おおきに、ごちそうさま」と店を出る。

▲このあと、まだまだ行脚(笑)は続き、夕方家に帰ってケイタイの歩数計見たら10575歩だった。
後ろめたい、とか何とか言いながら 四月、晴れた日曜日、いちにちたっぷり機嫌よぅ遊ばせてもろたわ、お父ちゃん。

* 追記 *
えらい長い話につきあわせてしもて、すみません。
話の長いのがわたしの悪い癖。家族からもよく「ほんで?」「結局?」「ケッカどうなん?」と急かされる。
子どもの頃は遠足の作文書くのに、朝起きて、母の作ってくれるお弁当の話で長引き、学校で集合してバスに、あたりで枚数切れ。途方にくれてたことを今 思い出した。

あ、おいしかった雑穀がゆのお店は阿倍野筋にあって「沢」という名前でした。
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by bacuminnote | 2007-04-17 11:35 | 出かける | Comments(0)
▲窓から眺めた外は みずいろの空を横切るようにゆっくりすべって走ってゆくモノレール四両。庭木に集まる小鳥たち。やわらかな日差しの中 太った猫がのっそり歩いてはじっとしてる。こんな日は遠く聞こえる高速道路を行き交う車の音も、家の前 新築工事の休みなく動く重機の音すらも、なんだかヘイワに聞こえる。

▲なんでもないこと、ありふれたことの あれやこれやがひかってみえるのは、ここ一ヶ月ほど、ありすぎるくらいにいろんなことがあったからだろか。
うれしいことも哀しいことも。いっぱいいっぱいだったからだろか。
ぽかぽかしてるか、と 窓を開けたら思いのほか 外は風がつめたくて身がすくむ。この前の日曜などは半袖姿も見られた大阪だけど、ほんまもんの春はやっぱり「東大寺のお水取りが終わってから」かな。

▲人と待ち合わせするのに、昨日久しぶりに近鉄 阿部野橋駅まで出かけた。
こどもの頃「でんしゃ」といえば、この近鉄南大阪線であり「ひゃっかてん」といえば近鉄百貨店だった。
そうそう、近鉄特急がこの線に開通するとき、事前に関係者招待の試運転というのがあって、父に連れられて乗ったのを覚えている。東京オリンピックのあと、たしか’65年のことだと思う。エンジ色の地味な電車しか見たことがなかったわたしは、その明るいツートンカラーとゴーカな車内に驚いた。

▲ふるまわれた紙コップのビールに、父は「すごいやろ。ビール飲みながら気ぃついたら大阪やで~」と下戸のくせにうれしそうに話してたっけ。帰りにはCMソングのソノシートをおみやげにもらった。何度も繰り返して聞いた楠トシエさんが歌う
♪きーん、きーん、きんてーつ特急。そら来た「2階の電車」~は 、けどその後もこの線では(フツーの特急電車だけで)走ることがなくてがっかりしたものだった。

▲高校にもこの線を使って通った。ガッコ帰り、たまに家とは反対方向行きの電車に乗って、この駅経由でガッコ周辺には売っていないレコードを探しに行ったりした。初めの頃は心斎橋ヤマハで、そのうち梅田は阪急東通り商店街の「LPコーナー」まで遠征。
当時の小遣いではレコードだけでも大出費なのに、切符の出費は「余分な」お金(苦笑)のように思えてならず。とはいえフセイはいかん、フセイは・・と、通学定期の駅までの切符を毎回買っていたんだけど。
いつだったか、友だちと「どうせ検札もないし一駅向こうの切符買おう」と言うことになり、改札を通ったのであった。

▲さっとすまして通過したはずなのに、駅員さんに「君らどこまで行くの?」とやさしそうだけど鋭い一声で呼び止められた。焦りまくりの二人組は、今しがた券売機で見たうろ覚えの一駅向こうの駅名を告げたのだけど。「ちょっとこっちに来なさい」と駅長室に連れて行かれてしまった(泣)

▲今思えば、わたしらが着ている制服からも、そのおどおどおどした態度からもプロの眼から見たら「きせる」をしようというのが、もう見え見えだったにちがいない。ホームの中、一段上の駅長室で「これからはもうこんなあほなことしたらあかんで」としばし説教され「未遂」ってことで罰金もなかったけど・・・。切符を買い直して、凹んだ二人組「もうせんとこな」と電車に乗ったのだった。

▲そんなことをつらつら思い出しているうちに、電車が着いた。
たくさんの人たちがいくつもある改札口から流れ出て来て、くらくらするも、向こうの方から手を振って歩いてくる背の高い人が見える。身長順ではいつもわたしのすぐ後ろ、最後尾だったMちゃん!人目をはばからず「わあ」「きゃあ」と大きいモン同士ハグ&ハグ。何たって、35年ぶりのカンドーの再会やもんね。
この年になると各種同窓会(笑)がよくあるみたいやけど、わたしは行ったことがないので、かつての同級生とはたいていはそれくらい長いこと 会っていない。

▲ゆっくり話せるように、と選んだ某ホテルのランチバイキングとやらは、開店前から行列ができ、お店の人の案内が始まるやどっと中に入って、早くも料理の前に人だかりができてるのには、まだまだ再会のコーフンの中にいる二人は圧倒される。
長い長いお互いの近況報告のあと、もうすっかり忘れていた過去の自分を友が語る。曰く、△センセが苦手で、○○クンのことすきで、いつも足に青あざいっぱいつくってクラブしてた(らしい)わたし・・・は、自分が思っていたそれとは微妙にずれていて、けっこう明るく元気な中学生で。

▲そうかぁ。そうだったのか。出口の見えないモヤモヤの中にいて、暗かった気もするのに、そんな風に友の目には映っていたのか、と「14歳」をいとおしく思う。そうして彼女もまたわたしの気づかないとこで、悩みを抱えていたことを知って。ほんまにこの年頃の子どもって、自分のことをだれにもうまく話せないでいるんよね。いまもむかしも。たぶんそう。

▲いつしかバイキングの時間(3時間もあると思ったのに)をすぎるも、まだ話は終わらず場所を移動する。(教訓→バイキングは自分で料理を取りに行かないとイカンということを忘れてた。しゃべるのに夢中になってたら、席を立つ時間も惜しいのであるからして、あんまり食べられないモンである)
当たり前のことだけど50年も生きてきたら、いろんなことがあるもので、お互い声からして ほぼ5時間ノンストップ・トーク(苦笑)ながら、話しても、話しても、話しきれないのであった。
仕方なしに「またあおな」とそれぞれの電車に乗った。

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by bacuminnote | 2007-03-09 19:25 | 出かける | Comments(0)