いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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カテゴリ:音楽( 60 )

わたしのよしの。

▲ 夕ご飯の後、たいていはその勢いで 食器さっさか洗って拭いてざーっと後片付けをしてしまう(この「さっさか」「ざーっと」ゆえ、かつて息子2が食器拭き係やった頃「おかあ、汚れ落ちてへんで」と戻されたことがよくあった・・)。今は相方と二人やし、食事内容もシンプルやし(苦笑)そんなに時間もかからないし。
で、あとは寝るまでゆっくりする。

▲早い夕飯のあと、少しづつ空の色が濃くなってゆくのを窓越しに眺めつつ、すきな音楽聴きながら本を読む(あるいはDVDを観る)だいじな時間だ。窓を閉めきってた冬には聞こえなかった街の音が、夕方のひんやりした風といっしょに入ってくる。たまたまモノレールが走ってゆくのに気づいたときは、つい立ち上がって窓辺にはりついて。わたしが電車に乗った時そうするように、車窓から誰かこの家の灯りを見てるかなあ~と、手を振りたいような気分になる。

▲ 日曜日、思い立って吉野に行ってきた。
先週くらいから、久しぶりに行こうかな~と思いながら、電話で母のようすをそれとなく伺い、よろこびそうな物をちょっとづつ買いためてみたり。相方の予定を聞いてみたり。そんな「準備」ができたら前夜に「明日行こうかなって思ってるねんけど」と電話してみる。そうして当日朝、電車のホームから「今から乗るし、ね」と伝えて。なんか まどろっこしいけど。あんまり早い約束は時間までに母がくたびれるのがわかってるので、これくらいがちょうどいいように思う。

▲この間『父の生きる』(伊藤比呂美著・光文社刊)を読んでたら~あ、これはカリフォルニアに住む詩人の伊藤比呂美さんが熊本でひとり暮らしのお父さんを、遠くアメリカと日本を何度も行き来し、いろんな人の助けを得ながら介護する三年半の記録なんだけど~こんな一節があって頷く。

《「こんどあんたがこっちに来るときはさ」と父が言った。
「こうやって早いうちにいつ来るって教えないでさ、おれに言わないでおいて、明日行くよって突然言うようにしてもらいたい。そうでないと、いつ来るって知ってから、待ってるのがばかに長くってしょうがない」と。
》(2012.3.27 カリフォルニア)
もう誰かのところに行くことはなくなって、誰かが来るのを待つ時間、というのは長いんやろなあ。

▲さて、 "ハルカス"で湧く日曜日の天王寺周辺のものすごい人の波の中をぬけ、例によってデパ地下であれやこれや買って特急電車に乗り込む。
通路挟んでわたしの横は70歳くらいのご夫婦らしきカップル。まだお昼にはだいぶあるのに、手作り風のお弁当をひろげ、缶酎ハイを開け、盛り上がってはる。
ときどき二人声あげて笑ってほんまに楽しそう。それにしても、あの年頃で途切れることなく話してる夫婦って、ええよなあ~と、聞くともなしに笑い声に耳を傾けてたんだけど。
もしかしたら恋人同士なのかも。いや、それなら尚よし。ええ休日を!と降りるときもなんか話して笑いながら、二人並んで歩く後ろ姿をみながらおもう。

▲ やがて、わたしが降りる駅に着いて。いつものことながら駅に降り立つと、緑のにおいがつめたい山の風にのって、からだの中を通りぬけてくようで。「ああ、帰って来た」と思う。
単線の長閑な駅だけど、むかしは駅前から大台ケ原()行きのバスが出ていて、大きなリュックを背負った登山客も一杯やったんよね。駅前には売店に食堂も何軒か並んで、今からは想像できないくらいに賑わってたのになあ。

▲それでも川べりの道を走ると、色とりどりのテントや車が見え始め、河原でバーベキューしている家族連れがたくさん見えた。「にぎやかですねえ」と言うと、タクシーの運転手さんがぼやく。「せやけどね、あの人ら、ちょこっと、ここのコンビニで物買うくらいで、あとはゴミだけ残して帰らはる。鮎釣りの人も減ったしねえ・・・」
タクシーに乗るたび運転手さんはちがうけど、たいてい同じ話して、「ほな、ごゆっくり」「おおきに」と降りる。

▲ 一昨年、昨年と母は不調つづきで、本人がいちばん辛かっただろうけど、一緒に暮らす姉はもちろん、離れて何もできないでいるわたしらも重たい時間だった。
前述の『父の生きる』とは、父と母の違い、一人っ子と四姉妹のちがいはあるけど、年老いた親のきもち、娘の思いに、「そう、それ。そうやよねえ」と思うところが一杯あって。そのつど、一緒に怒ったり、しんみりしたり、切なさに胸がつまったりした。

▲とりわけ、伊藤さんがカリフォルニアにいるときは毎日お父さんに電話する、その様子に共感するところが多かった。話してても楽しいときばかりじゃないもんね。当たり前だけど、離れていると電話の前にどんな状態だったかわからない。こっちがうれしいことがあってごきげんなときでも、向こうは不調なときもある。会話が続かないときだってあるし、同じことの繰り返しの日も。

▲だから次のこの一節には苦笑い。
せやかてね、結局気になって、あまり日を置かずにこっちから又電話してしまうんやから。
《「今晩はもう電話したくない。明日もしたくない。しばらく電話しなければ父もなつかしくなって話したいと思うだろうか。しかしそこに何の保証もないから困っている。話したいと思わないかもしれない」》(2012.3.8カリフォルニア)

▲いちばんせつなかったのは、この一節。
「今日仕事がおわったからほっとしてるの」と私が言ったら、
「おれは終わんないんだ」と父が言った。
「え?」とつい聞き返したら、
「仕事ないから終わんないんだ。つまんないよ、ほんとに。なーんにもやることない。なんかやればと思うだろうけど、やる気出ないよね。出ないんだよね。なんにもやる気が出ない。いつまでつづくのかなあ。ま、心配ないよ。へんな話だけど、あんたから電話かかってくると、おしっこもれそうになる」
「むかし、おとうさんに算数教えてもらってるとき、すぐトイレに行きたくなって叱られた、あれと同じようなものね。トイレ行った方がいいわよ、また明日ね」
「じゃ明日ね。ありがとう」
》(2010.10.12カリフォルニア)

▲わが母のことに話をもどすと、今年に入って息を吹き返したみたいに元気になった。一昨年の膝の手術や昨年の思いがけない入院、転院などが想像以上のストレスになって、退院後も尾を引いていたのかもしれない。
いまは趣味の手芸や字を書くことにも、意欲が戻ってきたようで。歳相応にあちこち痛いとこも抱えてるものの、ずいぶん若返った。
最近は「オリンピックの年まで・・・」なーんてことばが母の口から出てきたりして。
「ええっ?東京オリンピックのこと?言うとくけど、わたし、それには反対やからな。・・・けど、2020年いうたら、あと5~6年やし。お母さん、まだいけるんちゃうか~」と冗談返せるほどになった。

▲ この日はわたしが着なくなった白い綿レースのブラウスを持って行ったら、喜んでさっそく着替えて、ついでにデイサービスに着てゆく服をコーディネートして、ファッションショーで(笑)もりあがる。
明日何着ていこか~と思う気持ちがもどってきたのは、なにもかも「今日」でおしまいにしたい、などと思ったりした人が、又明日のことを考えられるようになったってことで。

▲これから先のことはわからないけれど。でも、とりあえず、たったいま、の母の笑顔がしみじみとうれしい。《いつか死ぬ。それまで生きる。》と本の帯にあったけど。
母の生きている時間が、ちょっとでも長く愉しいものであってほしい。

▲ ジッカの二階には大きな窓があって、窓いっぱいに庭の古い桜の木が見える。
薄曇りの空をバックに葉っぱの緑が際立って、さわさわ、さわさわ、しずかに揺れて。川のざーざーがずーっと聞こえてる。ああ、これ。これ。この音が「わたしのよしの」と思う。
帰りは姉に車で駅まで送ってもらう。忙しい間のわずかな時間だったけど、姉とも喋って笑って。映画みたく大げさにハグしてわかれる。

▲駅のホームの隅っこ。トンネルに近いところに立って電車を待つ。ここはわたしの一番すきな場所。
思春期以降は息詰まるばかりに緑深いここから逃げ出したくて、トンネルのむこう 点のように小さく見える明かりが希望だった。
ここを抜けたら、抜けさえしたら、と思ってた。そうしたら、何かべつの、もうひとつの世界が待ってる気がしてたんよね。
果たしてトンネルの先にはやっぱり知らなかった広い世界があって、ええことも、おもしろいことも、そしてしんどいことも、いっぱいあって。でも、いまも、ここはわたしにとって とくべつな場所やなと思う。


*追記
その1)
今回もまた書きそびれたことがいっぱいあります。
ドキュメンタリー映画『アイ・ウェイウェイは謝らない』や、梨木香歩さんの新著『海うそ』のこと。これはまた次回にでも、と思っています(つもり)

その2)
『父の生きる』に思いがけずパティ・スミスの「ラジオ・エチオピア」がでてきて、音量あげて聴いたあと、この曲思い出して聴く。
Patti Smith - This Is The Girl 

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by bacuminnote | 2014-06-19 00:12 | 音楽 | Comments(0)

それは たからもの。

▲ ストーブもしまわないまま、あまりの暑さにあわてて扇風機を出してきたのに。
昨日今日の風の冷たいこと。両手でカップをつつみ熱いお茶をゆっくりと飲んだ。
雨あがりの庭はうす暗くて、昼間なのに夕暮れ時のようでもあり、日々繁殖中の濡れた緑たちが妖し気に光ってきれいで。そうやってしばらくぼぉーっと立っていたら、いつか読んだ梨木香歩さんの小説みたいに、庭の木々が ひそひそ話してるような気がしたり。
「どくだみや 真昼の闇に 白十字」(川端 茅舎)

▲ 六月は思い出ふかい月である。
毎年、その日にはカレンダーに赤丸つけて、それとなく?アピールしてるものの、誰も気づかないままで。そのうちわたしもケッコン記念日なんて忘れてしまうかもなあ~とか思ってたんだけど。
二年前。ちっちゃい時からの友だちの夫君が亡くならはって。その日は忘れられない日になった。
昨夜ひさしぶりに友に電話して、また六月が来たなあ。やさしかったなあ。ほんま ええ人やったなあ。かっこよかったよなあ~と彼のことをひとしきり話す。けど、ただひとつ。なんぼなんでも、遠いとこへ早うにいきすぎや、と電話のむこうとこっちでめそめそして。それから、いつものようにあほな話して大きい声でわらって。「ほな、またな~」と切ろうとしたら「ありがとう」と言われて堪えてたものがながれた。

▲ 一昨日『いとしきエブリディ』(”Everyday”)というイギリス映画(DVD)を観た。物語は朝早く起きて、お母さんのカレンが子ども4人(長女8・長男6・次男4・次女3歳)ぞろぞろ連れて田舎道を歩いて、歩いて。そんでバスに乗って、電車に乗って出かけるところから始まる。
そんな遠いとこにいったい何しに行くのかなあ、と思ったら「塀の中」のお父さん(夫・イアン)に会いに行くんよね。

▲ 監督(『ひかりのまち』のウィンター・ボトム)はこの映画の完成まで5年かけたらしい。父母役は俳優が演じてるけど、子どもたちはほんまの姉妹兄弟の4人やそうで。お家も彼らの暮らす家。だから、彼らの5年間がまるでドキュメンタリーのように流れて、「父不在」の中での子どもらの成長のようす、その間のカレンの奮闘や迷い。小さなよろこび、苦しみが淡々と描かれて胸がつまる。
けど、このお父さんていうのがほんまに子どもや妻が愛おしくてならない、って感じなんよね。なんで、ここに居るん?と思ってみていると(映画では直接言及されてないけど)どうも麻薬密売みたい。

▲ とにかく、カレンは4人の子ども抱えて暮らしてゆくだけでも大変。昼間はスーパー、夜はパブで働く。それでも、休みには子どもを連れてまた遠路、夫に会いに行くんよね。そうして仮出所の日、それはそれはたのしそうな一家。二人もまた久しぶりに恋人に戻って愛しあう。ところがイアンは刑務所に戻るときにハシシを持込んだのが見つかって。次の回の面会はガラス越しに。カレンの落胆と怒りと不安は、一時べつの男性へと傾くことにもなるんだけど。
子どもたちも成長して、父親不在の意味を知り、友だちに父親のことを言われたり。とりわけ上の二人はただ無邪気にお父さんに会いに行ってた頃とは変わってくる。
それでも、カレンも子どもたちもイアンのことが好きなんよね。

▲ お父さんが長いこと刑務所にいる、というのはそうあることではないけど、子どものいる家庭の生活はどこに在ってもよく似たもので。なんてことのないフツーの毎日とお父さんに会いに行く日が交互に描かれる。
ちょっとハラハラする場面もあったけど、それに、これから先どうなるのか心配はあるけど、とりあえず家族6人一緒に暮らせるようになったところで、映画はおわる。

▲劇中 両親が抱き合いながらダンスしてるのを、ちょっと照れたような恥しそうな、でもうれしそうに子どもらが眺めてた場面が今も心に残っている。
というのもね、その昔、家庭を思うことの少なかった若い頃の父が、なぜかクリスマスには家にいてケーキを切り、ワイン(というても下戸だったので赤玉ポートワイン)を皆のグラスに少しづつ注ぎ、応接間で(←こんな呼び方の部屋があった時代・・)レコードをかけると、母とダンスをし始めたんよね。子どもらはそんな二人がうれしくて、恥しくて。下向いたり、チラチラ見たりしてるうちにレコードは終わってしもたんやけど。
わずか数分のそのできごとを、わたしはその後 何度も何度も記憶の箱から宝物を取り出すように思い出していたから。映画の中に入ってあの子どもたちの横にすわってる気分だった。

▲ さて、その次に観た映画も子どものきょうだいの話だった。
ドキュメンタリー『三姉妹 雲南の子』(”Three Sisters”)この映画は中国の雲南省という標高3200mの高地、どこまでも段々畑が広がる小さな貧しい村に10・6・4歳の三姉妹が子どもらだけで暮らしている。お母さんは家出して行方がわからない。お父さんは生活のため出稼ぎに行っている。
10歳の長女インインは母親がわりに妹らの世話をしてるんだけど、食べることは主に近くに住む祖父と伯母の世話になってる。でも伯母さんからは厄介者扱いされてることが画面のあちこちに見えてつらい。

▲そうして子どもに課せられた仕事の多いこと。
豚と羊、鶏の世話。畑仕事。着のみ着のままで、顔も手も真っ黒。ただ黙々と草を刈り、羊を追い、家畜の糞を拾い(燃料か肥料だろうか)、松ぼっくりを大きなカゴ一杯集める。(松ぼっくりは松脂が多いので燃料用に使うらしい)インインの性格もあるかもしれないけど、ほんまに笑う場面がないんよね。

▲ 一回だけ笑顔がみえたのは、おなじように母親が家出して親戚で世話になってる友だちの男の子と糞拾いしてるとき。「あとであんたの家に遊びに行っていい?」とか冗談を言って(じっさい、このことばが冗談にしか聞こえないほど、そういう余裕のない生活なのだから)笑ってて、ちょっとほっとした。
でも、あとは、もうずっと仕事。
唯一学校だけがインインにとって「子ども」でいられる場所かもしれないと思った。でも、家に帰って勉強をしてると、祖父(66歳)は外から大きな声でインインを呼び「勉強なんかして。もし誰かに羊を盗まれたらどうやって暮らす?」とつめたく言い放つ。

▲ やがてお父さん(32歳)が出稼ぎから戻り、まちに子どもらを連れてゆく相談を祖父とするものの、結局下の二人を連れてまちで再婚?という展開に。インインは祖父と二人暮らしとなる。
なんて言ったらいいのか。それでも人の温もりが、とか動物との交流がとか、子どもたちのきれいな瞳が、とか。そんな観てる者がかんたんに救われるようなもの(!)は何もないのである。ただ、働いて食べて寝て起きて、また働く。土間しかない家、湿ったワラの寝台。高地やからね、しょっちゅう風の音がひゅひゅう聞こえる。インインはたびたび咳をしてる。冬になったら、どれほど寒いことだろう。

▲ 2時間33分。ナレーションも音楽もないけど、そんなに長く感じなかったのは、それでも人が生きて暮らしている、という生物としての強い生命力、現実に圧倒されるからか。
あるいは、もうちょっとしたら何か、小さくても、光の感じられる結末になるかもという希望ゆえか。でも結局その願いはかなわず、映画は終わる。
最後のほうで次女のチェンチェンがどこで覚えてきたのか♪私のママが一番ステキ ママの子はなんて幸せ~と歌ってたのが、かなしかった。とうとう着替えられることのなかったインインの泥だらけのパーカーの”Lovely Diary”というバックプリントの文字が忘れられない。

▲ あとになって、この映画を撮るきっかけとなった監督のエピソードを読んだ。
監督がある作家の墓参帰りに長江上流域を通りかかったら、家の前で泥まみれで遊ぶ三姉妹に出会って。話してかけてみると三人だけで暮らしてるという。家に入ると想像をこえる貧しさで、それでもインインが家で唯一の食糧のじゃがいもを煮て出してくれたそうで。
映画の中では妹たちの母親役、子どもとはおもえない働きをして「しなければならない事」に追われるような暮らしのなかで、通りすがりの人にじゃがいもを煮るインインに、胸が詰まる。そんなきもち(余裕)があったことを知って、うれしい驚きだった。








*追記
その1)
いやあ、いろいろ考えることの多い二本の映画でした。どちらもDVDレンタルしているので、ぜひ。
じつはもう一本『マイネームイズハーン』("My Name Is Khan")というインド映画を(”みんぱくワールドシネマ" ~映像に描かれる〈包摂と自律〉ー多文化を生きるー)観てきたことを書くつもりが、例によって書ききれませんでした。日本未公開の映画ですが、DVDは発売されているようです。この作品も162分とけっこう長尺+上映後研究者のレクチャーありで。翌日腰痛なり。でも、ここの映画会ではいつも「考える種」をいっぱいもらって帰ります。

ここを読んでくれはる方はもうお気づきかと思いますが、わたしは外で映画を観ることが少ないです。それは腰痛やら方向オンチや、まあその他にも個人的理由があるのですが。かつての田舎暮らしの経験もあって、なかなか映画館に行けない人にもDVD なら観る機会もできるかも~という思いもあります。

その2)
今回はじめに書いた梨木香歩さんの本とは『家守綺譚』ですが、いま読んでいる新著『海うそ』は人文地理学者が南九州の島に赴いて、の話。最初から梨木香歩の世界にひきこまれます。が、ゆっくり読んでいます。うまいこと言えへんのですが「早う読んだらあかん」的(苦笑)チカラが働く本やから、と思います。

その3)
長くなってしまいました。
最後までおつきあいくださっておおきにです。
きょうはThe Smiths - ASLEEPを聴きながら→
動画の映像にもあるように、これは映画『ウォールフワラー』("The Perks of being a WallFlower")でも流れてたなつかしい曲。
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by bacuminnote | 2014-06-08 10:38 | 音楽 | Comments(0)

空も、すがしき。

▲ もうじき6月やというのに、家の中はひんやりとして、いつまでも冬とあまり変わらない格好ですごしてる。せやからね、出かけるときは必ず上着1枚減らして、レッグウォーマーも外して(←あたりまえ)行くんやけど。ちょっと歩くともう汗ばんで、明日こそ、もうちょっと薄着にしようと思うのであった。
街ゆくひとの夏服の爽やかさに思わず立ち止まり、振り返っては眺めてる。
すゞかけもそらもすがしき更衣』(石田波郷)
そんなわけで、たいてい買いもんの帰り道は ふうふう言うて、さっき通ってきた居酒屋の生ビールのポスターがちらちら浮んで「とりあえず生中(なまちゅう)!」なーんて注文するとこを夢想しながら(←我ながらあほらし・・)坂道をのぼってる。ああ、しんど。

▲この間 とあるインタビュー記事を読んでいたら「優勝劣敗」という熟語がでてきて、はっとする。見慣れぬこの言葉は、しかしその昔わたしが通った小学校校歌に出てきた忘れられない言葉。
壊されて久しいけど、小学校は古い木造のお寺みたいなものすごいりっぱな校舎で、とりわけその広ーい瓦屋根はすばらしくて。放課後ガッコ裏の山に登っては子ども心にもすごいなあと思ったものだったが。
校歌もまた古かったのである。
曲調も軍歌とか寮歌みたいで、歌詞は子どもにはまったく意味不明だった。わたしは入学前から姉3人に教えてもろたり、母と授業参観に着いて行ったりもして、何度も耳にはしてたけど。まるで外国語のように響いていたんだろうなと思う。

▲ いつやったか、姉たちと集まったとき、この歌の話になったものの誰一人正確には覚えてないことが判明(苦笑)
金峯の峰は雲を吐き 吉野の流れ岩をかむ 天地自然の活動は 千秋万古たゆみなし これぞ我等の教訓(おしえ)なる いざや学ばんもろともに
「くもをはく」も「いわをかむ」も、小学生には難しすぎ~「せんしゅうばんこ」なんていうのになると、わたしは「選手の番号」と、なんとなくゼッケンを想像していたんよね。姉たちも然り。みな自分の中のイメージに頼って歌ってたみたいで大笑い。
そういえば『野ばら』の歌詞を長いこと「野中のばら」ではなく「夜中のばら」だと思ってたという向田邦子さんの有名なエッセイがあったっけ。

▲さて、前述の「優勝劣敗」がでてくるのは二番目。これはもっと難易度が高くて。
世界の事物何ものか 日進月歩ならざらむ 我等優勝劣敗の 競争場裡にたたんもの いかでおくれを取るべきか いざや きたえん心身を
今これを書きながらも、こんな歌詞を意味もわからないで小学生が歌ってたんやなあ~と複雑な思い。調べてみたら小学校は明治のはじめに開校。この校歌は1917年(大正6年)に制定されたらしい。つまり第一次世界大戦(1914~1918)の間のことと知って、唸る。

▲ちなみに「優勝劣敗」とは「力の強い者が勝ち残り、劣っている者が負けること。特に生存競争で強者・適者が栄え弱者・不適応者が滅びること」(大辞泉)とあって、再び唸る。
記念文集を読むと、この難解な歌詞の校歌がなつかしいと書いてる昔の卒業生が何人もいてはって。わたしの祖父も父も、叔父叔母たちもみな、わたしが子どものときのように、やっぱり(意味もよくわからずに)無邪気に歌ってたんやろなあと思う。

▲ところが、六年のとき学校は統合されて新しい校歌が誕生するんよね。(よかったぁ・・)
こんどの歌は曲調もまったくちがって歌詞もまた 竹中郁さんによる明るい歌だった。それで、統合された三校合同の校歌発表会で六年生が合奏することになって。
わたしは「おはよう、みんな~はげもう、みんな~」というところがすきで、ガッコ帰りに友だちと歌ったり、家でも何度も自分のパート練習したことを思い出す。発表会のあともしばらくピアノで弾いたり歌ったりしてたんやけど。
それでも六年生の一年間だけのことやったからか、いま覚えてるのは「おはよう、みんな~」のとこだけなんよね。ほんま、記憶ってどうなってるんやろなあ。
ユウショウレッパイの方はいっこも忘れてへんのに。




*追記 相変わらず長くてすまんです。

その1)
この間ふとカレンダーみてびっくり。25日で、パン屋やめてここ大阪に越して10年。わあ、もう10年にもなるのか~考えてみたら引っ越してきたとき、わたしはまだ40代だったんよね~(最後の年とはいえ)
「パン屋のおばちゃんから、ただのおばちゃんになります」・・なぁんて書きながら、なんか、ずっとすわりの悪さの中にいて。"Who am I ?" をくりかえしてた。夢中で小説を書いた、書こうとした時間もあった。(←過去形にしてええんか?・・)義母のことにいっしょうけんめいやった時もあった。子離れにあえいだときもあった。そんなこんなの うろうろ落ち着かん10年やったけど。どの時間もなかなかええ時間やったなと思う。何より、どこに在っても
いつも温かい隣人と友にめぐりあえて。そしてこの10年間ネットを通してであった人たち。じっさいに会えた人も、まだ会えないままの人も。世界ひろがりました。おおきにです。
さて、来年は暦がひとまわりの年。おばちゃんは、どんな道歩いてゆくんやろ~。

その2)
例によって書きそびれた本のこと。
絵本
『古くて新しい椅子~ イタリアの家具のしゅうりの話』
(中嶋浩郎 文/ パオラ・ボルドリーニ 絵/ 福音館書店)
イタリア・フィレンツェに住む10さいのマルコは、身長が伸びてきてこれまで使ってた机が小さくなります。
お父さんは、家にマルコにピッタリの机があるよ~とものおきにマルコを連れて行き、こわれた時計やおもちゃや埃をかぶったテーブルの中から、古い机と椅子をみつけ運び出します。椅子にはってあるワラはボロボロ。机の引き出しもひとつ足りないし、足は欠けてるのもあって。もちろん塗装もすっかりはげています。
お父さんは家具修理の職人パオロさんのところをたずねます。

さあ、そこで机は(読者が想像通りに)よみがえるわけですが、こんなだろうなとその過程を想像するのと、見るのとは大違い。もちろんわたしら読者は直接見ることはできないんだけど。
伝えられた、伝えられてゆく技術に、ひとつひとつの行程に目を見張ります。
そうか~椅子のワラはこんな張り方をするんだ~ 引き出しの把手は(これは金具職人のランベルドさんちに持ち込まれるのですが)こんなふうに作られるんだ~と、その「再生」のさまは感動的です。

椅子やないけど、姉にもらった麻のスーツ(20年近く前のもの)の上着が小さくなった(いえ、わたしが大きくなった!)のと、デザインがちょっと古くなったので、この間リフォームやさんに持って行きました。ここでは古いけど大事にまだまだ着たい服をなんども再生してもらっています。いつもながら丁寧な仕事で、ジャケットは生まれ変わり。感嘆。こういう腕をもつひとに、不器用を絵に描いたようなわたしはしんそこ憧れます。すごいなあ。すごいなあ~と思いながら、うれしくて、袋いれてもらうの断って、ちょっと暑かったけど(苦笑)着て帰りました。

その3)
今回書いた校歌のことを考えるきっかけは「蛍の光」の三番以降の歌詞を知ったこと。→wiki 「歌は世につれ世は歌につれ」っていうけれど。
かんたんには、つれられていったらあかん、と思う。

その4)
詩の意味、ということで、前に書いた「朗読」のことを思い出しました。 ↓ブログ最後のほう、辺見庸氏『永遠の不服従のために』の辺りから読んでみてください。

その5)
今日は繰り返しこの歌聴いて、ちょっとセンチメンタルな時間。
Over The Rhine - All My Favorite People
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by bacuminnote | 2014-05-28 20:39 | 音楽 | Comments(0)

五月はえんそく。

▲ その日は朝から薄暗くてひんやり。ごみ出しに行って、ご近所さんに「お昼からは雨降るみたいやよ~」と聞いて「ほな、今から」と思い立って出かけることにした(笑)
閑人なんやから、わざわざ雨の降りそうな日に行かんでも~という声が聞こえてきそうやけど。
予定とか約束とか苦手なほうやから 朝起きて気分がよくてお昼に食べるもんが何かある日(昼の支度せんでもええ日)1人ふらっと出かける~というのが気楽ですき。でも、そんなんやから行き先は近所。つまり、例によって「あそこ」ってことになるんやけどね。

▲ 今回の目的はみんぱく(民族博物館)やなくて 大阪日本民芸館。ちょうど割引券もあったし、折りたたみ傘とクラッカーと白湯(←この日はお茶沸かす時間がなくて!珈琲淹れたのこりのお湯があったのを・・・苦笑)もって、出発。
わたしのイメージでは平日やし、今にも降り出しそうな曇り空、人も少なくてしずかな万博公園~やったんよね。でも、家を出て駅に着いた地点で読みが甘かったことに気づく。そう。5月は「えんそく」の季節であった。

▲ 電車の中でも、駅下りてからも、いくつもの子どもの団体さんに会う。黙ってる子はおらんのか?というくらい皆口々になんかしゃべったり叫んだりしてる。
そんな小学生に囲まれるようにして、ぞろぞろ駅の坂をくだる。その昔はいつも人がいっぱい並んでた遊園地前~閉園の後は農園?になり、いまはそれもなくなり更地になってひっそり閑として。
売店の前を通ると、ソフトクリームの看板に子どもらはお決まりのセリフを大きな声で言う。「センセ。アイス買(こ)うてー」。ここ、帰り通るときには、水筒も空になって「センセー。ジュース買うて~なぁ」に変わるとこでもある(笑)
今にも走りだしそうに、うれしいてたまらん、という子や、つまらんそうに たらたら歩いてる子。うるさい男子におこってる女子。そんな弾けるような若い空気(ちょっと若すぎるけど)を吸うてたい気もしたけど、だんだん耳がきんきんするので、コースからはずれるおばちゃん。

▲ とはいえ、入園するや幼稚園、保育園、小学校、それから中高年各種小団体さんやら結構な人出。それでもそれ以上に公園は広いから、みなさんあちこちに散らばってゆく。
そうそう、この時期はバラ園の季節でもあった。色とりどりの薔薇の間、写真撮ってはる方の間をぬって歩く。パークロイヤル、フラワーガール、マスケラードにペール・ギュント、ゾリナに天津乙女。毎年のことながら、薔薇のなまえはおもしろい。

▲ふと、バラ園の前のモニュメントで足が止まる。何べんも来てるのに、こんなのがあることすら気にもとめてなかったんよね。寄附した団体の名前と「平和を求める人類とその平和の為にこれを捧ぐ」とあって、聖書から一節が(イザヤ書2章4節)引かれ刻まれて。
こうして彼らは そのつるぎを打ちとかし、 すきとし、 国は国にむかって つるぎをあげず 彼らはもはや戦いの ことを学ばない』(英文も別の面に→”And they shall beat their swords, into plowshares, nation shall not lift up swords against nation, neither shall they learn war anymore.”)
兵器を農具に~というこの話をノートにメモしながら、いまやったら剣を打ち溶かしてる間に、だれかがまた新しい兵器作って売りに来るような世界やなあ、と思ってしまう。

▲ さて、ようやく民芸館に。
ここはいつ来てもひっそりしてる。この日もわたし一人だった。係員さんに「どうぞごゆっくり」と言うてもろて、そのとおりゆっくりと鑑賞。
特別展『インドの染織と絵』は3月8日から始まってるので、前から気にはなっていたんだけど、インドの染織というたら「あんな感じ」やろなあ~などと自身の安直なイメージで「まあええか」的に思ってた。
チラシの冒頭に柳宗悦氏のことば「工藝にはそれぞれの故郷があるではないか。異なる種類や変化やその味わいには、異なる故郷が産むのである」(『工藝への道』)が紹介されており。インドいうてもその広い国土には自然環境も宗教も民族も慣習も文化のちがいを持つ人たちが暮らしているわけで。「あんな感じ」などと簡単に括れるものではなく、じつに多様で、その細かな手仕事で描かれる素朴なくらしぶりにじーんとくる。
何より。頭の中で「思うてる」のと、実際足をはこんで「観る」のとではちがうよね。来てよかった。

▲サリーもフルカリ(インド北部の「フル=花」「カリ=仕事、刺繍」の意味を持つ布。女性の被布)もすばらしかったけど、わたしが惹かれたのはカンタと呼ばれる刺し子。日本のそれと同じように使い古した布にべつの布を重ねて、補強のために縫って、身近な動物や花をモチーフに刺繍してるんよね。これが物語のようで、絵本読んでるみたいで、あれこれ想像しつつ長いこと眺めてた。
ワルリ族の描くワルリ画というのも絵のモチーフがたのしかった。絵の具は白一色。あとで学芸員さんに質問したら昔は米粉を溶いたものを使って、祈願をこめて家の中の壁に描いたそうで。生活の中に、いのりと共にある絵画、というのがいいなあと思った。
ゆっくり鑑賞後は、砂漠地帯でミラー刺繍(鏡を縫い込んだ刺繍)をするラバーリーの女性たちのビデオを見て、その細かな手仕事と美しさにうっとりしながらも、女の子たちが早くに結婚する(させられる)ことや、急速なインドの社会変化のことなどいろいろ考えながら、席を立ったら、若いひとがサリーの前でじっと見入ってる。よかった。こんなええとこに、わたし一人きりでは もったいなさすぎます。

▲帰リ道、ぽつりぽつり雨が降り始めた。
さすがに(わたしにしたら限度越えの一万歩)足がちょっと痛かったけど、わずらわしいマスク(花粉症)も外して、緑緑緑の道をゆっくり歩く。途中「この木はなんでしょう?」というプレートがあって。前来たときもここで立ち止まって「正解」を見たんやったなあ~と思い出しながら、木や葉っぱをみて「あ、サンシュユ(山茱萸)!」と声だして返答。プレートを開けると「さんしゅゆ」とあって「正解~」と自分で言うとく。(笑・・あほらし。前も書いたようにウチの庭にもあるのです)
あ、そういうたら、この雨で遠足組はどないしてるんやろなあ?と思いながら、わたしの楽しい「えんそく」は空腹と(クラッカー食べそびれて)足ひきずっての帰り道となった。センセ、アイス買うてーな。


*追記  今回は(も?)長いですがぜひ。

その1)
家に帰ってから、例の聖書のことばをネットで調べてみました。
このイザヤ書2章4節は、宗教や文化を超えて世界平和の理想を表す言葉としてよく知られ、NYの国連本部前にもこの句に基いたモニュメントが置かれているのだそうです。
たまたまみつけたキリスト教会(札幌北部教会)のHPの中で「剣を鋤に、槍を鎌に」という題でイザヤ書のことと、憲法制定後文部省がつくった教科書『あたらしい憲法のはなし』の一節を紹介していました。

そういえば、この本の「六 戰爭の放棄」の絵は大きな釜で軍用機を燃やして、そこから電車や船や消防車が出てきて、まさに「剣を打ちとかし 鋤とし」です。
青空文庫やその他のところでも全文読めますので、今こそ、ぜひ。→青空文庫
以下すこし長くなりますが「六 戰爭の放棄」から引用してみます。

(略)そこでこんどの憲法では、日本の國が、けっして二度と戰爭をしないように、二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戰爭をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戰力の放棄といいます。「放棄」とは「すててしまう」ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの國よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。
 
もう一つは、よその國と爭いごとがおこったとき、けっして戰爭によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとおそうとしないということをきめたのです。おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの國をほろぼすようなはめになるからです。また、戰爭とまでゆかずとも、國の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。これを戰爭の放棄というのです。そうしてよその國となかよくして、世界中の國が、よい友だちになってくれるようにすれば、日本の國は、さかえてゆけるのです。
みなさん、あのおそろしい戰爭が、二度とおこらないように、また戰爭を二度とおこさないようにいたしましょう。
】 『あたらしい憲法のはなし 文部省』~六 戰爭の放棄~ より抜粋


その2)
今回紹介しそびれた本 『ヨハネスブルクへの旅』(ビヴァリー・ナイドゥ作 もりうちすみこ訳 橋本礼奈画 さ・え・ら書房008年刊)
作者は1943年イギリス領南アフリカ連邦に生まれます。白人家庭に育って、黒人の召し使いが、子どもをもつ母親でありながら家族と離れて暮らしてることにも 疑問を持たずにすごしてきたそうです。
大学に入って差別の実態に気づき、反アパルトヘイト運動に。1964年に56日独房に監禁されたそうです。

この本が南アフリカで出版禁止になったことに怒った11才の少女が、著者に送ったという手紙が訳者あとがきに紹介されていました。
わたしたち子どもだって、この世界でおこっているほんとうのことを学びたい。どうして、それを制限するのでしょう?わたしたちが早く知れば知るほど、わたしたちは知性的な強い人間になる。それが、この世界を平和にする方法なのに

子どもの本で文字も大きくてすぐに読めるけど、内容は重く深いです。表紙の絵がとてもいいです。こちらもぜひ。


その3)
Sweet Sweet Moon のなが~いタイトル
"I See Things That You Don´t See And That Is Blue, Blue, Black And Dylan"
これ何バージョンかyou tubeにアップされてるのですが、これは彼らの演奏をスカイプでみてる各地のファンの顔が。めちゃ楽しい。皆ええ顔~ていうか、音楽はひとのきもちをつなぐよね~ →
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by bacuminnote | 2014-05-18 16:33 | 音楽 | Comments(0)

あんたのいらんもん。

▲ 今日は朝起きたときからひんやりして、家の中では寒いくらいだったので薄いセーターで出かけたら、暑いナンのって。せやからね、向こうから歩いてくる若い子の白い半袖シャツがなんともまぶしくて、清々しくて。思わず振り返って眺めてしまった。
ビジネスマンも腕に上着をかけて歩いてる。赤ちゃんはぷくぷくの足をベビーカーのバーにどーんと のせて昼寝の国のひと。歩道のほぼ真ん中で日傘さしながら立ち話も長いおばちゃんたち。木陰のベンチで遅いお昼ごはん食べてはる作業服の若い子。隣のベンチは本を読むひと。
空の青も、雲の白も、樹々の緑も、あちこちで咲きほこる花たちも。そして、うっとうしいマスクも(花粉症なり)。ああ、春やね。
「しゃぼん玉 尼僧の列を 乱しけり」(土肥あき子句集『鯨が海を選んだ日』所収)

▲ この間『トラブゾン狂騒曲』というドキュメンタリー映画を(DVD)観た。監督は在ドイツ、トルコ系移民二世のファティン・アキン。このひとの『そして、私たちは愛に帰る』や『ソウル・キッチン』がとてもよかったので、前知識もなく見始める。
副題の「小さな村のゴミ騒動」には、小さな村でのちょっとしたドタバタ騒動~みたいな、なんだかほのぼのした印象があるけど。まちがいなく“怒り”の映画だと思った。(←ほめことばです)

▲ 映画は最初に みどり、みどり、みどりの丘陵地帯を映す。これがほんまにすばらしくて。どこまで続くの~と思うくらいに緑(茶畑)にあふれてる。
このトラブゾン地方の村チャンブルヌはトルコの黒海沿岸にあり、監督の祖父母の故郷なのだそうな。監督は『そして、私たちは愛に帰る』の撮影時にこの美しい村を訪れ、ゴミ処理場建設の話を知って衝撃を受け、2007年~2012年まで5年かけて撮影したという。

▲で、そのゴミ処理場はチャンブルヌの銅鉱山の採掘場跡地に建設されることになり、地域の人は皆猛反対。すごいと思ったのは市長も環境安全基準を満たしていないこの計画には、建設許可を出さなかったこと。いや、それで当然なんだけど。そうでないことの方がわたしたちの国には多いから(苦笑!)毅然として反対の意見を言う市長におどろいた。けど、政府は市長を提訴。結局裁判で負けてしまって、仕方なしに許可を出すことになってしまう。

▲ 条例ではゴミ処理場の建設は住宅地から1km離れなければならない、となっているのに。設定の距離は1kmでも、ここに但し書きがついていて、丘陵・傾斜地その他の地形を含む場合は1kmより短い距離は許容されることになっており。こういうのって、ため息つくほどによくある話だけど、むこう側に都合よく、いくらでも「自由に解釈、操作」されてしまうんよね。まったく・・・。で、結局50mか100m以内にある家が「住宅地」という分類から外れ「柔軟な」法の解釈のおかげ?で建設は「合法的に」始まる。
ところが、この建設というのがものすごく杜撰で。こんなことでいいのか?と疑問を持ち抗議する人もいるんだけど。やがてゴミが捨てられ始めると、案の定ひどい悪臭。住民が臭いというと、芳香剤を噴霧~というその場かぎりの処置しかしなくて・・・こういうの、どっかで聞いたような話やよね。

▲ 現場の係員は抗議をうけて言う。「まあ徐々に収まるだろ」「なんとかなるだろう」
が、そのうち汚水は滲み出し、ある日大雨が降って、水はあふれて海へと流れていく。政府も施設側も「こんな大雨が降ることはこれまでなかった」「ここまでの雨は予測できなかった」という。視察の政府の役人たちはスーツ姿で現場に来て、遠巻きに処理場を見ながら鼻をハンカチで押さえるばかり。
それどころかゴミの山を見て知事は「これで海岸はきれいになったことだろう」「ゴミ廃棄場はどこかに必要なんだから」とうそぶく。
そういえば、昔、行った和歌山の山中にゴミ捨て場みたいになってる場所があり。そこに地域の方が立てはったのであろう立て札があった。その文句がふるっていていつまでも忘れられないでいる。
いわく「あんたのいらんもん、わしもいらん」

▲汚されたのは海だけではない、美しくみごとだった茶畑に、ゴミ処理場に集まるものすごい鳥の群れが糞を落としてゆくんよね。お茶が台無しだと憤る生産者。一方製茶工場では「だいじょうぶ。問題ない」とその茶葉を使う。
そして相変わらずの悪臭。住民は怒る。女たちが知事や役人に詰め寄る。たぶん、これまでのしずかで平和な生活にはなかったかもしれない「抗議する」という行為。

▲そうそう、子どもたちが施設見学に行って二酸化炭素排出のことメタンガスのことなど、質問する場面は拍手したい気分だった。しかし職員はそれに満足に答えられなかったんよね。「学ぶ」「知る」ことで、疑問は次々出てくる。
それに対して大人たちはごまかさず、誠意をもって応えなければ、と改めて。
終始 原発事故その後のことを重ね 唸り 考えながらの映画だった。原題は「Der Mull im Garten Eden」~エデンの園のゴミ。

*追記
その1)
ドイツ版予告編。日本版とちょっとちがいます。→

その2)
「そして、私たちは愛に帰る」予告編→

その3)
ひさしぶりに聴く。Portishead - Roads→
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by bacuminnote | 2014-05-10 00:50 | 音楽 | Comments(0)

のんびり進んでいく。

▲ まだストーブも仕舞ってないし、冬物の洗濯も済んでないのに。カレンダーは「赤い字の続く」頃になった。もう1年の3分の1が過ぎた・・ってどっかに書いてあったけど。ほんまやねえ。早いなあ。
わたしは毎日が日曜日のようで水曜日のようやから(←とくに水曜に意味はない)GWもフツーの日なんだけど。桜が散って、みどりみどりの季節になって(すき)、立橋から見える「笑ふ山」に山育ちは おおいに笑ふ。
そういうたら子どものころ「本ばっかし読んでたら、眼によぅないから。せいだい山でも見ときや~」って(※せいだい→関西弁で ”精一杯”というような意味)おばあちゃんによく言われたけど。
ただ山々をぼぉーっと見るやなんて。子どもにそんな暇はなかったのである(笑)

▲ 人混みが苦手なので、今日の買い物は早いうちに、と出かけたら、スーパーもデパートもちょっと拍子抜けするほどガラガラで、さっさと用事すませて帰ってきたんだけど。帰り道、街路樹の下で高齢の女性二人が傍らに「ガラガラ」(←ショッピングカートのことをわたしらおばちゃんはこう呼ぶ)置いて、立ち話してはった。
「今日はもう温い、こえて暑いくらいですなあ」「ほんま。せやのに朝晩は冷えるし。何着てええんか わからしませんねえ」の あとは、何の話か、きゃっきゃ、声あげて若いコみたいに笑うてはる。
落ち葉の始末が大変やからと、ばっさり腕を落とされたかのようなゆりの木の、その短すぎて哀しくなる枝にも新緑は萌え、数少ない葉っぱが ひらひら風に揺れている。
「新緑やうつくしかりしひとの老」(日野草城)

▲ 家の近くのマンションにはまた引越しのトラックが何台か停まってた。新学期前のラッシュ状態が一旦落ち着いて、第二弾はこの連休やろか。
かくいうわたしらも、大阪に戻って今春で10年。引越しの大変さは もうこりごりと思うてるのに、今日みたいにええお天気でみどりの風ふく日は、ちょっとこころ動く。
いつの引越しのときも手伝ってくれた友人たちからは「もう(年取ってしんどいし)あかんで」と言われてるんやけど(苦笑)。それでも、前は時おり相方と「こんど引っ越すとしたらどこがええか?」なんて言うて、お魚のおいしいとこがええなあ。福岡やろか、いや、金沢も函館もええなあ。わたし街のかんじは京都がええわ~とか、勝手きままな話をしてたもんやけど。ここ数年は笑いながらのそんな話は出てこなくなった。
自分で望んだ引越しも。やむをえない引越しも。
みんな、新しい地でもたのしい出会いが待っていますように。

▲ このあいだ、その名も 『お引越し』(ひこ・田中 著 / 福音館書店刊)という本を読んだ。初版のときに読んで、そのうち相米慎二監督の映画『お引越』を観たので(そして、この印象がけっこう強く残っていて)その後再読したときも、いつのまにか脳内イメージが主人公のレンコは子役の田畑智子サンになってしまってた気がする。それでも、この本にはいろいろ楽しいしかけがあり(見開きにレンコの両親の婚姻届のコピーがあって、こういうの見たことのない子どもも大人も、制度としての結婚を考えるきかっけになる気がしたし。その日付がショーワならず元禄49年になってたり、文中に手書きの文字も挟み込まれてたり、というのも新しかったし)何よりわたしにとって、これまでの子どもの本とはちがう~大きなであいの一冊だった。
この福武書店版のあと講談社から文庫がでて、今回は福音館書店から。表紙も奈良美智の大きな眼の少女にかわり、11歳だったレンコと親友二人が35歳になって語る「あと話」というのも加わって、なんか初めての本にであったみたいにどきどきしながら、本を開いた。

▲最初のページには「今度、お家が二つになります。」と一行。
両親が離婚することになって、とうさんが家を出てゆくお引越しの日(そういえば、これもなぜか水曜日なのだった)から物語は始まる。わたしの持ってる本は初版発行の年の3刷だけど、たまたま初版発行のその日は息子1の10歳の誕生日で。主人公のレンコは11歳だったし、親の年齢は5つほど上やったものの、舞台は学生の頃すごした京都のまちでもあり、いろんなこと重ねては頷いて読んだんよね。
だから、今回は自分の24年分の加齢もあるし、物語をお母ちゃん(おばあちゃん?)的に「眺める」感じになるのかなあ~と思いきや、意外にも子どものレンコに一気に入ってしもた。

▲今更ながら、本(小説)というのはふしぎやなあと思う。
読んだときの年齢はもちろん、そのときの心情も相まって、同じ本読んでるのに、しかも時代背景やら言葉使いの流行やらは、確実に古くなってるはずやのに。わたしはいきなり11歳の女のコになって物語に参加してた。
で、本読んでいて、とつぜん思い出したんやけど。むかし、父のあまりの自己チューぶりに姉たちと「せまいアパートでもええから、お父ちゃんなんかほっといて、お母ちゃんと皆で家出しよう」と額よせあって話したことがあったんよね。
田舎のことで、アパートも見たことがなかったし、どんなものかも(とくに末っ子のわたしは)わからなかったはずやけど。旅館という全く「家」らしくないところで育ったから「狭いとこでみんな一緒」というのに何かぐっときて。姉たちの険しい顔をちらちら見上げながらも、わたしは遠足の相談してるみたいにワクワクしてた。

▲ レンコは一人っ子やから、そういう相談をする相手が家にはおらんわけで。
そのぶん親二人のことを一人で受け止めてる。せやからね、そのしっかりぶりが頼もしくもあり、時にちょっと切なくもある。けど、家出(姉妹会議だけに終わったが・・)を遠足みたいにおもってた間抜けな妹(←わたし)も、その後姉たちが進学で家を出て行って「青春を謳歌」してた頃、「二人」のことを小~中学生のわたし一人で受け止めて悶々としたりバクハツしたりすることになるんやけど。まあ、そんなことはともかくとして。
今回さいごにあった「あと話」を読んで、そんな子どもゆえの健気なとこも生真面目さも。自分勝手なとこも呑気なとこも。それから思春期のしんどいトンネルもなんとか通り抜けて、大人になった主人公と友だちのその後に、ほぉーっと長い息をついた。レンコも友だちも、それぞれ自分の道しっかり歩いてる。そういうたら、ウチの10歳やった息子も今夏34に~相変わらずいっこも何も言うてこーへんけど。みんな、ほんまに大きくなりました。

京阪電車は、とうさんのお引越しの日と反対方向に走ってるの。 
あれから私の背はあまりのびてないみたいで、やっぱりまだつり革には手が届かない。
成長期っていうのはのんびり進んでいるの。

(お家が二つになって、レンコが初めてとうさんのお家に行く日に。)


*追記
その1)
本文中に出てくる「とうさんのサンショじゃこ」が気になって、久しぶりに「山椒昆布」炊きました。実山椒は去年のをさっと塩ゆでして冷凍したもの。炊いてる間も、その後もしばらく家中にサンショと昆布のええにおいがして。
おいしかったぁ~(お弁当箱いっぱいこしらえたけど、もうない。おいしいもんは早うなくなるんよね・・)
ひこ・田中さんの本にはおいしいもんがよく出てきます。レストランで、というより台所で拵えるもの。せや、こんど"白葱の豚肉巻き"やってみよう。


その2)
そういえば、この頃映画のことを全然書いてへんなあ~と気づきました。相変わらず映画館には行けずDVDで観ることになるのですが、よく観ています。最近観たもの(レンタルショップでは「最新作」)をちょっと書いてみます。

『危険なプロット』←フランソワ・オゾン監督。なかなかおもしろかった!
『大統領の料理人』←『バベットの晩餐』もそうでしたが、女性の料理人のきびきび立ち働く姿かっこいいです。
『そして、父になる』←是枝監督。親子って何なんやろね。わたしは一緒にすごした「時間」がだいじって思う。

『わたしはロランス』←ロランスと恋人フレッド。30歳の誕生日にロランスは 自分のからだが(性を)間違って生まれてきた~と告白。そもそも性別って何?と思うし、考える(いまもずっと考えてる)。168分と長い作品でしたが、音楽もとてもよく、時間を感じませんでした。このことはゆっくり書きたいです。
どんな映画も予告編はいつも日本版と元のをさがして観るのですが。タイトルも含め「ちがい」がとても興味深いです。
日本版にはなかった場面→ある日、女性の服装で出勤したロランスに同僚が聞く"Is it a revolt?"
ロランスは応える"No, Sire...It's a revolution"

US版(英語字幕)予告編→ 
日本版公式サイト→

その3)
というわけで、今回は『わたしはロランス』で流れていたこれを聴きながら。
craig armstrong - let's go out tonight →
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by bacuminnote | 2014-04-28 17:06 | 音楽 | Comments(0)

道問いて。

▲ 歩道橋で立ち話してはるお年寄りをよく見かけるようになった。
顔あわせて第一声は皆さん「ぬくなりましたなあ」~ちょっと前までこの橋の上は風がほんまに冷たくて。わたしなんか知った顔に会うても「こん・・・ほな・・」(←こんにちわ。今日も寒いねえ。ほなまたこんど~の略・・苦笑)と、おたがい口開けるのも寒い~というように早足で橋をわたってたんやけど。

▲今日みたいな ぽかぽか陽気の日には 長い橋のあちこちに老いも若きも「立ち話組」。
その横をぎこちないスーツ姿の新入社員の若い男女が茶封筒持って、忙しなく通りすぎてゆく。
春やなあ。

▲ もう何度も書いてるけど、わたしは道をたずねられることが多くて。前述のようなニューフェイスさんから年配の方まで。だいたいは家から駅に行く途中に声かけられるから、尋ねられる建物もその間にある会社のビルだったり、駅やその近くのホテルなんだけど。家に帰って相方に「今日も道聞かれてなあ・・」って報告すると「いやあ、その教え方では、その人わからへんかったんと ちゃうか~」とか言われて、がっかりする。(←いや、がっかりしてはるのは、わたしなんかに道聞いた人のほうかもしれんが・・)

▲10年も暮らしてる街とはいえ、なんせ方向おんちの道案内やからね。よくいえば教え方がていねいすぎる。悪くいえば、情報が多すぎて、要領を得ない、かんじんなとこがわかりにくいのかも、と自己分析の後ため息ひとつ。
せやからね、小沢昭一さんのこんな句にあうと、しんそこ救われたようなきもちになる。
道問いてわからぬもよし春一日(ひとひ)」(変哲)

▲ でも、言い訳するわけやないけど。
知らん人と接することのなくなったこんな世の中で、いまや道聞いたり教えたり、教えられてもわからへんかったり(苦笑)って(セールス以外で)数少ないコミュニケーションの場やよなあ、と思う。

▲このまえ読んだ『101年目の孤独』(高橋源一郎著 岩波書店~101は漢数字”一〇一”です))のまえがきに高橋氏が電車の中でみかけたエピソードが綴られていて。臨月に近い大きなお腹をしたお母さんが立ってるのが見えたけど(高橋氏は立ってはったみたい)座ってる乗客はみな、見て見ぬふりなのか、あるいは携帯電話の画面に夢中で気がつかなのか。がまんできんようになってタカハシさんが文句を言おうおしたとき、
その電車の隅っこの方に座っていた(たぶん)フランス人のバックパッカーが、ずっと遠くから走ってきて、そのお母さんに「スワッテクダサイ」といったのでした。

▲ と、まあ、「そんなニッポンという国でのお話」がこの本に収められている。
タカハシさんはいろんな場所を訪ね歩く。
ダウン症の子どもたちのアトリエ、身体障碍者だけの劇団『態変』、非電化工房、テストも宿題もクラスもない小学校。それからタカハシさんの故郷・尾道。そうそう、いわゆる「ラブドール」の製作所なんてとこにも行ってたなあ。番外はイギリスにある子どもホスピス、マーチン・ハウスへ。
あと「長いあとがき」には、原発に反対する運動をもう三十年も続けている山口県祝島のお年寄りたちのこと、福岡市にある「宅老所よりあい」を訪れたことを綴っている。

▲ところで、この本、装幀の感じも内容も氏のこれまでのイメージとちがう気がする。
初のルポルタージュということだけど、そもそも訪ねはったところもちょっと意外な感じがしたんだけど。読んでるうちに、そんなことはどうでもよくなって興味深く読み進めた。何よりそれぞれの場で、彼の視線のやさしいことに「タカハシさんって、けっこうええ人やなあ」と思うのだった。(一体どんなイメージ持ってたん?と言われそうやけど・・苦笑)

▲最後の章で、イギリスの「子どもホスピス」を訪れる前に、タカハシさんは ”わたしが、マーチン・ハウスという「子どもホスピス」行きたいと思った理由 ”という一文を寄せている。ここでくわしく書くのはやめるけど(道案内のごとく説明しずぎはあかんみたいやし・・)息子さんがまだ小さかったときにかかった大きな病気が契機のようだ。「この経験はわたしを変えたように思う」とあって、ああ、そうだったのかと深く頷く。

▲ 自分のだいじな人、ましてやそれが小さい子であれば尚更のこと、重い病気や怪我をしたら、息が詰まるような心配や苦悩。それゆえに「生きている」ことへの思いやよろこびもまた。それはタカハシさんが言わはるように ひとを「変える」と、わたしも思う。
「弱い」といわれる人のこと、いや、そもそも「弱い」って何なんやろ~と本を読んでる間ずっと考えていた。

▲ 今日ネットニュースで「国土交通省の協議会が三月、電車内などでベビーカーを畳まなくてもよいとする共通ルールを決めたことを受け、鉄道各社が対応の検討を始めている。」(東京新聞web)って書いてあったけど。そんなこと、わざわざ共通ルールにしないと、赤ちゃん連れと他の乗客はうまくいかんのか、と暗澹たる気持ちになった。
いや、それくらい都会の人たちはみな仕事と時間に追われて、他人のことを思う余裕をなくしているのかもしれない。

▲そういえば、友人が若いころ暮らしたオーストラリアで、上の子の手を引きながら下の子のベビーカーを押していて、バスや電車や、いろんなところで、自分一人でベビーカーを持ち上げたことがなかった~と話してくれたことがある。
親子を見るなり、何も言わなくても周囲の人たちがごく自然に集まって来て、手を貸してくれたそうで。「それがね、ちっちゃい男の子までさぁーっと走って来てくれるのよ」と友人はうれしそうにわらう。その国の人にも、よその国から来た人にも、困ってる人に差し伸べられる手。わたしも話を聞きながらしあわせなきもちになった。

▲ 「ところが、ね」と彼女の声のトーンが低くなる。「日本に帰ってきたら、みんな知らん顔だった」・・・やっぱり。そういうことやったんか~幼い子どもさえも、だれかの手助けをしているという小さな誇りとよろこびの画面がいっぺんに真っ暗になったようだった。
当たり前に助けあってる姿を見て育つ子どもが大人になって、自然に「行動」できるようになるのだとしたら、大人たちがみな知らん顔の中で育った子どもはどんな大人になるのだろう。

《ゆっくりと坂を下りてゆく社会がある。ほんとうは、わたしたちが生きているこの国全体が、そうやって「下りて」いるのかもしれない。けれども、わたしたちは、その事実を認めようとはせず、いまも、かつての「経済成長」の夢を見ようとしている。まだ「上へ」行けるのだ、と考えようとしている。》

《「弱い人」をその中に包み込むことのできない共同体がいちばん「弱い」のだ。》


(『一◯一年目の孤独』~「長いあとがき」より)



*追記

その1)
本文中『電気の哲学者』として紹介されている「非電化工房」の藤村靖之さんは、かつて企業人として活躍していた頃、取得した特許は七百件くらい会って、重役や取締役並みの高給。世の中も「高度成長」の真っ只中。氏もまた得意の絶頂やったそうな。で、そんな藤村さんの大きな転機のきっかけは息子さんのぜんそく、だったとか。

よし、これでわかった。環境と子どもの安全と、心の豊かさ、この三つを犠牲にして高度成長と物質的な豊かさは成り立ってきたんだ。つまり、こっちを下げて、あっちを上げてきたのか。じゃあ、いままでしてきたことの罪滅ぼしに、こっちを上げることを、環境と子どもの安全と心の豊かさ、それだけをやろうと思った。それで会社に、明日からテーマを変える、と宣言したら、もののみごとに、そんな寝ぼけたことはどうでもいい、いままで通りでいいじゃないか、儲けることをやってくれって、いわれたんです。1983年のことでした。

その2)
水道の民営化のニュースを苦々しい思いで見ながら、以前観た『ザ・ウォーター・ウォー』という映画を思い出しています。欧米企業の水道事業の独占によって、水道代が200%に値上がりした、ボリビアの「コチャバンバ水紛争」(wiki→)を元にした作品。この映画のことは去年ここにも書きました。文中予告編へのリンクもあるので見てみてください。

その3)
なんだかしんどい話がつづきましたが。
赤ちゃんとベビーカーというたら、すきな一句を。(「昼寝」は夏の季語やそうですが)
ちらと笑む赤子の昼寝通り雨』(秋元不死男)


その4)
今日はこれを聴きながら(前にも貼った気がするけど)~
JUNE TABOR - Waiting For The Lark

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by bacuminnote | 2014-04-17 13:09 | 音楽 | Comments(0)

机の前に。

▲ 朝早く携帯のメール着信音で目が覚めた。
寝ぼけ眼で目覚まし時計を見たら、アラームが鳴る4分前。このちょっとが眠いんよね~
けど、差出人は今日退院することになっている友だち。早朝からそわそわしてる姿が目の前に浮かんでくるから。「こんな朝早うに何やねん?」な気持ち(苦笑)が一気に飛んで、頬がゆるむ。

▲ 曰く、昨日はホスピタルパークの最後の散歩したこと。昨日も今朝も6時すぎに病棟の14Fに上がりモーニングコーヒー。それなりにたのしい「別荘生活」やったけど「早く机の前に戻りたい!!」とあって鼻の奥がつーんとする。
「食っちゃ、寝て、散歩~の別荘暮らしみたい」と入院中はさかんに言うてたんやけどね。戻りたい場所は “やっぱり「机の前に」というキミがすき”~なぁんて、まるで告ってる中学生みたいな(笑)はずかしいメールを返してたら、アラームの電子音が鳴ってドキッ。
風はつめたいけれど。昨夜の雨もあがって、お陽ぃさんが差し始めて。うれしいええ朝に、わたしもいま机の前にすわってこれ書いている。

▲ この間『私が学校に行かなかったあの年』(ジゼル・ポター絵と文/おがわえつこ訳/せーら出版2004年刊)という絵本を読んだ。手にするのは何回目だろう。タイトルもさることながら、この人の絵には、いつもなんか呼びとめられる。原題は ”The Year I Didn’t Go to School”
フィレンツェ、スポレート、アッシジ、ローマと、7歳のアメリカの少女がまる1年学校へ行かず、両親と妹の家族4人だけの人形劇団(このなまえが「ミスティック・紙のもうじゅう座」っていうのだった。おもしろい!)でイタリアを巡業した思い出を綴っている。絵本の帯のことば「できごとは 忘れないように ぜーんぶ 日記に つけた」というのは著者のことばかな。

▲ 主人公の「わたし」はアリスとフラー(祖母と祖父のことを名前で呼んでるんよね)と別れることが悲しい。空港でおどけて踊ってみせるフラー(このおじいちゃん、おもしろくてやさしくて。なんか小沢昭一さんみたい)だったけど、「わたしは 下をむいて 自分のくつを みつめたまま、のどにつかえた 大きなかたまりを のみこんだ。だから、わたしが 旅で出るのを、こわがっているなんて、だれも気がつかなかったと思う。」無邪気に手をあげて二人にバイバイする妹とはちがって、後ろを振り返ることのできない「わたし」の姿(絵)が、かわいくて、せつない。

▲ やがて、これまで かいだことのないにおいでいっぱいの外国のまちに着いて。巡業用に買った古いトラックに旅行トランクをつみこんで一家の旅が始まる。ショウをおこなう許可をもらえなくて、やむをえず離れた町や、サーカスの人たちと一緒の宿舎の夜。
そうそう、劇には子どもたちも出演するんだけど、出番なのに寝てしまって泣きべその妹にかわって突然「わたし」が舞台にあがって、とんぼがえりをうってみせたこと。この日、お客さんが「あなたがたは、わたしがこれまでみたなかで、いちばんちいさくて、いちばんゆうかんな女優さんよ!」と褒めてくれたこと。

▲ショウが終わると、姉妹でお金を集める帽子をまわす。”グラーツィエ グラーツィエ”って、小さな姉妹はは小鳥がさえずるように、なんどもくりかえす。
そうやって、集まったコインを数えるとパパが言う「さあ、これで、たっぷり食べられるぞ」ってね。
みんなで出かけたレストランで紙のテーブルクロスに「わたし」は覚えたイタリア語と絵を描くんよね。
「イオ ソーノ ジッゼラ~わたしはジッゼラです」「リ スパゲッティ コン ブッロ~バターであえたスパゲッティ」「ウチェッリ~鳥」それから、ふたりの女の子の絵の横には「ドゥエ バンビーネ」って風に。

▲「わたし」は小さいときから絵を描くのが好きやったんやろね。本文中の絵は大人になった著者が描いてるけど、本の見返しには当時の絵や文字や日記に貼り付けたきれいな包装紙やシールのコピーがあって、そのたのしいことといったら!
どこに行くにもペンや色えんぴつの入った筆箱持って、気に入った包装紙はシワをのばして、きっちり畳んでバッグにしまう女の子が浮かんでくる。
そういえば、その昔はきっとこんな女の子だったんやろなと思う朝のメールの友人が、このあいだ病院からスケッチブックの1ページやぶいて切手貼った ”絵のたより”を送ってきてくれたんよね。

▲ さて、一年がたち一家はまたイタリアにもどってくるんだけど、その前の夜~「わたし」はなかなか寝付けない。毎朝まどの外にちがうけしきがあることや、あたらしいにおいをかぐこと、ジェラートを食べられなくなると思うと、さびしくて。
そして「これからもどっていかねばならない学校は、かぎりなくとおく、たいくつで、しんどく思えた。けれど、アリスとフラーにあうことは、まちきれなかった。
この場面は本のタイトルにもある「学校」ってことばが唯一でてきたところ。もの思うてる「わたし」にはもうしわけないけど笑ってしまった。そっか~せやろね。この子にとってイタリアでの時間は「学校」ですごすより、うんと刺激的で、自分もりっぱに「紙のもうじゅう座」の座員で、いろんな人と、いろんな町と食べ物とにおいに会えて。そして家族がずっと一緒にすごした時間やから、ね。

▲飛行場には自分のことを忘れてしまってないかと心配だったフラーとアリスが出迎えてくれた。涙を浮かべながら、またへんてこなダンスを踊ってくれたフラー。アリスは「わたし」を、かたくだきしめてくれる。
いろんな家庭があって、いろんな仕事があって、子どもは小さければ小さいほど親の意向には逆らえず、ただ付いてゆくしかないんだけど。一年間、同じ年の子たちと一緒に学校に行けなかった「わたし」はかわいそうな子どもなんやろか。こたえはこの絵本のなかに、いや『私が学校に行かなかったあの年』という絵本そのものだと思う。

追記

その1)
ジゼル・ポターの絵で『子どもたちに自由を!』という絵本があります。これはトニ・モリソンとその息子スレイド・モリソン作、訳は長田弘~みすず書房の「詩人が贈る絵本シリーズ」の一冊。
表紙絵は原題”The Big Box”のとおり、三人の子どもたちが大きな箱から顔を出しています。この絵本の始まりは、トニ・モリソンの息子のスレイドが、学校で「あなたはじぶんの自由を大事にしていない」と注意されて傷ついたことだったそうです。「じぶんの自由」って何なのでしょう?こちらもぜひ。
あともう一冊『おばあちゃんのちょうちょ』もおすすめ→(バーバラ・M・ヨース文 ジゼル・ポター絵 ふくもとゆきこ訳BL出版)

その2)
学校といえば、昨日『世界の果ての通学路』という映画の予告編を観ました。
タイトル通り延々遠い道のりを歩いて、馬に乗って、毎日学校に通う4つの国の子どもたちのドキュメンタリー。朝、学校に行くとき「象に気をつけて」とお父さんに送られるケニアの兄妹。アトラス山脈の絶壁をゆくモロッコの女の子たち。アルゼンチンの兄妹は馬に乗ってパタゴニアの山々を。インドの男の子は足の不自由な子の車椅子を押しながら・・みなそれぞれ気の遠くなるような時間をかけて登校するんよね。スリリング!そしてみんなたくましく、かわいくて、ほんまにええ顔してる。

ただ、かんじんの本編をまだ観てないからわからないけど、こういう作品を観て、今この国で、通える環境にあるのに「行かない」ことは、わがままだとか贅沢だとか、という結論に単純に結びつける人がいるんじゃないかなと、気掛かりです。なぜちがうのか、どこがちがうのか、子どもにとってのしあわせとは。そもそも「学校」とは?・・たった2分足らずの予告編からでも、いろいろ考えこんでしまいました。
そんな中、公式HPにあるコメント欄に絵本作家の五味太郎さんふが、「らしい」コメントを寄せておられて、笑い、共感!

「通学」に意味がある。時間がかかるところに意義がある。簡単じゃダメだね。僕は800mに一時間かけていた。だから立派な人間になった。通う先の学校にはたいした価値はないものなのさ。あとでわかることだけど。』(五味太郎)

もうひとり『ソトコト』編集長の指出一正さんはこんなふうに語ってはる。
通学路はこんなにも輝いている!あたたかい家族のいる家と、未来へ続く学校のあいだ。僕らも彼らと一緒に歩いてみたい。通学路は直線じゃない。それは人生も一緒だ。子どもたちは家だけでなく、学校だけでもなく、こんなに輝く「学び場」をもっている!

私たちはどんな地球を子供たちに残してやれるだろうかとよく考える。だが、私たちは地球に、どんな子供たちを残していくのだろう』(ピエール・ラビ ~農業従事者であり、作家、思想家) ~映画公式HP より。

※MANMO.TV 多賀谷浩子さんの映画評→
4月12日より公開やそうです。観たいです。

その3)
子どもの声が聞こえる中しずかに始まるピアノ~ええかんじ。
Bill Evans‪-Children's Play Song‬
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by bacuminnote | 2014-04-06 21:18 | 音楽 | Comments(0)

さんしゅゆのきいろ。

▲大きな雨音で目が覚めた。
窓の外が薄ぼんやりと明るいのを確かめて、目を瞑ってみたけど眠れへんかった。きのう読んだ本、姉と電話でしゃべったこと、ホスピタルパーク歩くのが日課っていうあの人はがっかりしてるんやろなあ~とか。とりとめもなくあれやこれや思っていたら、それでもいつのまにか寝入っており。ふたたび雨音で目が覚めて、いちにのさんで起き上がった。

▲今日は洗濯日やのに。(洗濯はキホン二日に一回)「昨日はあんなにええ天気やったのになあ」と溜息つきながら庭の洗濯干し器を家の中に移動。
すっかりはだかんぼうになった梅の木にかわって、いつのまにか山茱萸(サンシュユ←恥しながらこの間まで知らんかった)のひかえめな黄色が雨の中、なんだかいとおしい。
あと一週間で4月やのに、ストーブと膝掛けの朝。外はつめたい雨ふりつづく。

『さようなら、オレンジ』(岩城けい/ 筑摩書房)という本を読んだ。ずいぶん前に図書館に予約してたもののなかなか来なくて、そのうち何故読みたかったのかも忘れてしまってた。だから、図書館のカウンターで手渡されたとき、オレンジ色のその装幀がちょっと好みやなかったので(すみません)なんでリクエストしたんかなあと思いながらバッグに入れた。

▲図書館のあと買い物をして、家に帰って、買ってきたものを冷蔵庫に入れて、洗濯物かたづけて。お米研いで、菜っ葉ゆがく大鍋にお湯沸かしながら、台所の丸い小さい椅子にすわってワインと相方の焼いたグラハム一切れかじり。「せやせや。あれがあった」と件の本を出して読み始めたんだけど。

▲ とまらなくなった。
日本人が書いた本だけど、舞台が外国ということもあって翻訳小説のようでもあり、映画を観ているようでもあり、物語の中に引き込まれる。ぱっぱとご飯つくって(苦笑)かけこむように食べて、大急ぎで片付けて、またつづきを読んだ。

▲『さよなら、オレンジ』は、オーストラリア(と思われる)田舎町が舞台。「追い立てられるようにして」「新しいすみかを吟味しているひまはなく」「生きる、それがなによりも優先され」アフリカから一家でここにやってきた難民のサリマは、いつのまにか帰ってこなくなった夫にかわり女手ひとつ、言葉もわからない国で働き息子ふたりを育てている。

▲ 職場は夫が辞めたスーパーの肉や魚の加工部門。朝の三時前には家を出て、白い作業衣に血を染ませながらひたすら肉や魚を捌く。あるとき、捌き方の教育係が彼女にたずねる。朝三時前に歩いてスーパーにむかうあんたをだれが見送ってくれるんだい?と。
だれもいなかった。息子たちは同じ住宅に住む友だちに連れられて学校に行く。彼女は「お月さま、霧」と答える。そうしたらその人がこう言うんよね。

そうかい。ひとりじゃないんだね。よかった
サリマはだれかに「こんなにやさしい言葉をかけられたのは生まれて初めて」で。
だから、この教育係を喜ばせたい「この女の望み通りに上手にむだなく、すべてを捌いてみせたい」と思うようになる。

▲必要最低限の言葉は習得できたし、職場には同じように国を離れた仲間がいる。けれど、サリマはここの言葉を理解するために、仕事の合間に学校へ行くことを決心する。
難民や移民には無料で英語の勉強ができる、と移民局の人が言ってたのを覚えていたけれど。夫がいるときは「女はバカだ」と言い続けていたし、息子たちの宿題のノートを横目に質問しても「母さんは英語なんて読めないじゃないか」とはねつけられて。

▲でも「いままで知っている苦しみはおそらく、自分がいかに駄目な人間かと思い知ることだったけれど、そんな自分にいつまでも馴染めなかった」から。「この尖った言葉をきれいに捌いてやろう」とサリマは決心するのだった。(尖った言葉というのは、ブロック体で書かれた角張ったアルファベット)

▲初級も中級も上級もなくごちゃ混ぜの教室で、サリマは自分と同じく英語を母語としない人たちに会う。一人は地元の男性と結婚して30年になるイタリア人女性、もう一人は大学で研究をする夫と当地に来た日本人女性。この二人は「お金や時間で解決できないなにかを求めているように」見えたんよね。

▲実はこの本にはもうひとりの主人公がいて、それがこの日本人女性(サユリ)で。
サリマの物語のあいだにこのサユリが恩師ジョーンズ先生に宛てて近況をしらせる手紙が挟まれて、自身のことや、彼女の眼からみたクラスメイトの印象が描かれる。この辺りの小説の仕掛け(というのかな)に、ちょっと戸惑ったけど、ばらばらに見えたピースも集まってくるとその全貌が少しずつ見えてくる。

▲ 教室ではなかなか英語は上達しなかったサリマだったけど、家に持ち帰ってアルファベットの書き取りや単語の穴埋め問題を、息子たちにばかにされながら、夜遅くまでかかって解く。
慣れないことに骨を折りながらも、知らない事への恐怖が知ることの喜びにかわるのを夜の静けさのなかで味わった
そうして、ある日の夕方サリマはスパゲッティを茹でていて、袋に印刷された「調理方法」が目に入る。そう文字がちゃんと読めたのだ!サリマの飛び上がらんばかりに喜ぶ姿がうかぶようで胸がつまる。
この前ここに書いた故アリス・ソマーさんのことばを思い出す。「学んで知るということは、誰にも奪われない財産を蓄えること。

▲ さて、日本では大学も卒業し英語の「読み書き」のできるサユリと、母語は部族語で、アラビア語も習ったことはあるが、学校には満足に通えなかったサリマとは、語学における能力の差は大きく、やがてサユリはその能力ゆえに大学内にある英語クラスを勧められ、二人は会う機会をなくすんだけど。あるアクシデントがあって(これは書かないでおく)思いもかけず彼女がスーパーでサリマの下で働くことになる。

▲そうそう。だいじな人を忘れていた。サユリのアパートの階下に住むトラックの運転手。彼は上半身に刺青の迫力満点の大男なんだけど、サユリがなやまされるべつの部屋のドラマーの騒音に一喝してくれたのがきっかけで、頼まれごとをもちかけられる。階段に新聞紙ひろげて座って、そこで新聞を読んでほしい、って。「音読」はその後も続いて、あるときは別れた妻と暮らす息子が読んでいたという『シャーロットのおくりもの』を。大きなからだのくせに涙もろい彼は「俺の息子はこんないい本をひとりで読めるのか」と言うてチャプターごとに泣くんよね。

▲ ことばって何なんやろ。
この本を読んでる間も、いや、前からこの問いかけはずっとあるんだけど。日頃、あたりまえみたいに母語をつかい、いや日本語しか使えないから余計に、考えてるつもりがいつのまにか忘れてるし、日本で暮らしてるから忘れてたって何の支障もなく日常は過ぎてゆく。でも、自分の母国語や母語(母国語が母語とは限らないのだ・・)を意識せざるを得ない状況や環境にあったとき、その問いかけの意味はとてつもなく大きいし深い。本書最後にサユリが母語を「祖国からたったひとつだけ持ち出すことを許されたもの」と語っていてどきんとした。
この本が第29回太宰治賞受賞作品だと、あとになって知った。著者は「受賞のことば」をこんなふうに書いてはった。

これから先永く異邦人でいなければならないと知ってから、足下のおぼつかなさを庇いながら歩くたび、たえず靴の底に入った小石のように私を苛んだのは、日々、異国語に吸い上げられていく母語、私という人間の軸である日本語が瘦せ細っていくことでした。
 多民族、多文化を背景にさまざまな価値観が息づく国に住み、英語特有の論理的思考を大事にする語順や表現のなかに、実直さや明確さを掘り起こしていく楽しみを見つけつつも、静かな低音のように終始一貫して私を貫く言葉は、やはり日本語でしかありませんでした。そこには深い霧につつまれたような模索の時間があり、迷い、羨み、失望することを繰り返してきました。
」(全文はここで→

▲p160あまりの薄い本で天地の余白も大きくて、あっというまに読んでしまったけど、 書かれてることも問いかけられることも深くて、重層的で。その「構成」に至っては本を閉じてからも考えてて(いまも続行中)容量の小さな頭をなやますことになった。
そして今朝はもう一度読み返し始めたんだけど。いやいや、そんなリクツは横においやって。本を閉じてからもなお登場人物が自分のなかでいきいきと動きまわってる。ほんまええ本読みの時間で。
外国での暮らしの経験のある友だちや知人(現在暮らしてるひとたちも)のことを思いながら、彼女たちの話をあらためて聞きたくなった。


*追記

その1)
■は、母語についてあるいは、母語以外の言語で書かれた本のことを書いた拙ブログです。
ジャミル・シェイクリー
イーユン・リー
母語がちがうカップル『いつもふたりで―Happy Old Two』

その2)
ブログ書いてるあいだじゅう雨。これを聴きながら。今日はどこにも出なかった。
Svante Henryson (cello) - Ketil Björnstad (piano)
Reticence

その3)
文中に書けなかったんだけど、ていうか、書き過ぎたらまだ読んでないひとのたのしみが半減するかも、とやめたのですが。やっぱり、これは引いておきたいので書き加えることにします。
サユリがスーパーの生鮮食品加工の求人をみて店員に尋ねたとき、自分の「言葉遣いとアクセントを耳にして、嫌な笑い方」をされたことについて、ジョーンズ先生への手紙に書かれた一節。

英語がこれほどまでに権力をもった現状において、この巨大な言葉の怪物のまえに、国力も経済力も持たない言語はひれ伏します。しかしながら、二番目の言葉として習得される言語は必ず母語をひきずります。私たちが自分の母語が一番美しい言葉と信じきることができるのは、その表現がその国の文化や土壌から抽出されるからです。第一言語への絶対の信頼なしに、二番目の言葉を養うことはできません。そうして積み上げられた第二言語(私たちESLの学生にとっては英語)に、新しい表現や価値観が生まれてもよいのではないでしょうか。どんなにみっともなく映っても、あのような嫌な笑い方の報いを受けるべきではありません
(p77より抜粋)

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by bacuminnote | 2014-03-26 16:17 | 音楽 | Comments(0)

「そらのみぢんに」

▲ 窓の外、いまにも降り出しそうな薄灰色の空に梅の紅がきれいな朝。
珈琲を飲みながら、相方とウチの梅は白いのと紅いの いつもどっちが先に花咲き始めるか、でモメる。(あほらしくてすみません)お互い自説を曲げないので話がおさまらず「それでは」と、このブログの過去記事を検索してみた。(←便利)

▲あった!2011.2.19の冒頭に「庭の梅も白いのは ほぼ満開で、紅いのは蕾が細い枝いっぱいについて、空の水色をバックにほんまにかいらしい。」と書いてある。
ん?つまり白いのが先(陽当たりがこっちの場所の方がいいらしい)ってことで、相方の説が正解とわかった。「いつも咲き始めたら、すぐに一輪挿しに生けてるからよう覚えてます!」なんてエラソーに言うてたひとは、ちょっとだけ声が小さくなる。

▲ ひょんなことから読み返した自分のブログだったけれど、そこには息子2の入試がぶじ終わったこと、義母のホームをたずねたこと、春を待ちながら日々のあれこれをよろこんだり、ふうとちっちゃなため息をついたり。なんてことのない日常が在って。

▲まさかあの大きな地震と原発事故が一ヶ月もたたない内に起きるなんて、思いもしていなかったし。あたりまえのように思っていたのどかな空気が、遠い日のことのようで、胸がつまるようだった。自然は人間の力の及ばないものだけど、原発はその人間が作ったものやから。再稼働なんて、輸出なんて。とんでもない。

▲ この間『死を想う われらも終には仏なり』(平凡社新書)という石牟礼道子:伊藤比呂美の対談集を読んだ。
2007年刊で、まだ伊藤比呂美さんには入院中で寝たきりのお母さん、自宅でひとり暮らしとなったお父さんがいてはって、カリフォルニア~熊本を行き来していた頃の対談だ。あとがきで伊藤さんはこんなふうに語る。

【親を見ていると、ふたりとも、格別死ぬということを考えているようには見えず、いつか死ぬだろうが、まあ今ではないというふうで、生きているのもつまらないが、死にたいわけではなく、死ぬに死ねず、死に方もわからない。】

【宙にぽっかり浮いているみたいに、日々をほそぼそ生きながらえて、どうもやはり、お迎えを待っているとしか思えないような生き方をしている。】

【自分のときは、ぜひもっと前向きに、死に取り組みたい。楽しく(というわけにはいかないだろうが)いそいそと死ねたらいい。それには、死というものについてもっと知らないといけない。死とはどういうものか。】

それで
【半生をかけて、死者を、病者を、書いてこられた石牟礼さんなら、ご自身の死えを見据えて、あけすけに語ってくださるのではないか】と対談の話をもちかけたらしい。

▲本書のさいしょの頁に対談中のお二人の写真があるんだけど、石牟礼さんのご病気(パーキンソン症候群)もあってか、声が届きやすいようにか、卓を挟んで向かい合うのでなく、すぐ真横に母娘みたいに 並んではるのがええなあと思った。
そしてつぎの頁~石牟礼さんはまえがきで「比呂美ちゃん」のことを

【彼女は家族たちを小脇にひっ抱え、デリケートな陽気さで、変容ただならぬ俗世に詩的なぐりこみをかけ、陣中突破をして来たかに見える】(p9)とあって。その「デリケートな陽気さ」という表現にじんとくる。

▲ 対談は老いと介護。病や家族、親しいひとの死、自死を考えたときのこと、戦時中のこと、『正信偈』(しょうしんげ)から『梁塵秘抄』(りょうじんひしょう)の歌の話へと繋がってゆく。
『梁塵秘抄』はかの「遊びをせんとや生まれけむ・・」がよく知られている平安末期の歌謡集。若いころそのリズムがすきでよく読んだけど、また読みたくなって物置から出してきた。

▲お経の「正信偈」の「偈(げ)」というのは歌(詩)だと石牟礼さん。むかし滋賀県で暮らしたころ、ご近所のお通夜の席にはいつも百軒近い字(あざ)の人等が集まって正信偈を読経したんだけど、そのとき長い詩をみんなで合唱してるような感じがしてたことを思い出した。

▲お経といえば、対談中 伊藤さんが『あやとりの記』(石牟礼道子著 福音館)を持参して、ここにおさめられているという石牟礼さんが創作したお経のような詩の話になるんよね。

【十方無量 じっぽうむーりょ
百千万億 ひゃくせんまんのく
世々塁刧 せーせーるいごう
深甚微妙 じんじんみーみょう
無明闇中 むーみょうあんちゅう

 流々草花 るーるーそーげ
 遠離一輪 おんりーいちりん
 莫明無明 ばくめいむーみょう
 未生億海 みーしょうおくかーいー】
 (『死を想う』p205第四章 いつかは浄土へ参るべき~より)

▲おもわず、くりかえし音読してしまう。「流々草花 」がきれいで哀し。
対談の最後のほうで伊藤さんに請われ 正信偈のようにこの詩を石牟礼さんが詠むところがあって。氏のやわらかな熊本弁まじりの声が聞こえてくるようで、しんとしたきもちになった。

▲二人とも「表現」においては激しく熱いものを持ってはるけど、やりとりは終始穏やかで。かと言うて交わされる話は、ときにどきんとするほど冷徹で深いんよね。お互いを思うしずかなやさしさを感じる。

▲そうして石牟礼さんから話を聞き出す伊藤比呂美(←突然よびすて・・苦笑)の「デリケートな陽気」にしみじみ。以前、講演を聴いたとき()にも思ったけど、「へんこ」のにおいはするものの(←ほめことば)ほんま やさしい人なんやろなあ。
なんかね、お茶碗もって隣に座ってお話を聞かせてもろてる気分で、話題はずっと「死」なんだけど。ふしぎにあかるい光のなか、途中いっしょに声もあげて「 るーるーそーげ」と言うたりしながら読み終えた。


*追記

その1)↑に書けなかったけど、心に残ってる一節。(p147より抜粋)

石牟礼 【生命って草木も含めて、あなたがよくおっしゃるけど、風土に満ち満ちている生命、カニの子供のようなものから、微生物のようなものから、潮が引いていくと遠浅の海岸に立てば、もうそういう小さな者たちの声が、ミシミシミシミシ遍満している気配がするでしょう。そういう生命ですね】

伊藤 【それに対して感じる気持ちは、畏れ?】

石牟礼 【畏れというか、融和しているというか、自分もその小さな生命の中の一つで……。宮沢賢治にありますね、「このからだそらのみぢんにちらばれ」(詩「春と修羅」)というのが。それと「宇宙の微塵となりて無方の空にちらばらう」(「農民芸術概論綱要」)というのにもありましたし。(以下略)】


その2)
この本が出てから、伊藤比呂美さんのお母さんもお父さんも亡くならはったそうで。
新刊『父の生きる』(未読です)帯のことば~

【父の悪いところばかり見えてくる。 しかしそれは父の本質ではなく本質は老いの裏に隠れているのだ。
父の本質は私を可愛がってくれて自分よりも大切に思ってくれて 私がたよりにしてきたおとうさんだ。】

その3)
60年前の今日は(これを書いてる3.1)アメリカがマーシャル諸島のビキニ環礁で水爆実験をした日。
遠洋マグロ漁船 第五福竜丸は多量の放射性降下物(死の灰)を浴びて、無線長の久保山愛吉さんはその半年後に亡くなる。
【「久保山さんのことを わすれない」と人々は いった。
 けれど わすれるのを じっとまっている ひとたちもいる。】

絵本『ここが家だ  ベン・シャーンの第五福竜丸』より(アーサー・ビナード文/ ベン・シャーン絵/集英社2006年刊)

その4)
ピアニスト、アリス・ソマーさん(先日110歳で亡くなられたそうです)のドキュメンタリー の予告編。
インタビューにあった言葉が忘れられません。
【学んで知るということは、誰にも奪われない財産を蓄えること】
Alice Herz Sommer - The Lady In Number 6

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by bacuminnote | 2014-03-02 17:10 | 音楽 | Comments(2)