いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

<   2004年 08月 ( 2 )   > この月の画像一覧

▲相変わらずお昼から夕方までついつい無口になる暑さです。ちょっとはましか、と外に出たらまだまだ熱気のこもる空気で、そんな頃 届く夕刊はまるでスポーツ新聞。派手なカラー写真と大見出しが踊っていて、よけいに暑苦しくて 腹立たしい。
けど、夜寝る頃になると 信じられないくらい冷た目の風が窓からするぅ~と入ってきて。ああ、ええきもち。やっぱり自然の涼風というのは、思い通りに 吹いてはくれんけど エアコンなんかもう問題にならん爽やかさです。暑い大阪でも まあ それなりに八月の終わりやん、と ちょっときもちもやさしくなる夜。

▲この間アメリカの友人から「今月末 日本に行くことになった」とメールが来ました。彼女とはわたしたち一家が北米を旅した夏にお家におじゃまして以来、だから14年目の再会になります。ひゃっほー。「Aが日本に親子3人で来るねんてぇ」と言うと相方も、それに彼女にまだ逢ったことのない息子(その2)もコーフン気味。で、そんなコーフンが一段落して、ふと「あ、せや。英語や」と、かんじんのこと忘れていたのに 気づき青ざめるのでありました。

▲今からやってもあと三日 と思いながらも macの前に座ると、ついつい英会話のサイトをのぞいてしまうわたし。あ、これ使える。そうか。こういうときはこの単語でええんや。へええ・・・って今頃、そんな一文一語に感心してて どないするねん・・・なんですけどね。うう~ん こういう感じ何か前にもあったような気がするなあ。せや、試験前の一夜漬けのあの貴重なひととき。もうあと何時間かでテストやいうのに、今頃このおもしろさに気づくやなんてなあ・・・のあの感じ。いやはや時は流れ、もはやその頃から軽く30年の月日は流れているというのに、変わらない自分につくづく がっかりするのでありました。

▲が、思えば 初めてAと逢ったときも、滋賀県の中学校の英語のアシスタントで来ていた彼女は日本語がほとんど話せず、わたしたちの英語と言ったら中学1年レベルで。それでも(パン)(玄米)(音楽) の共通のキーワードもあって何回となく一緒に呑んだり、ごはんを食べたり、結構離れた隣町のプールまで 自転車4台連ねて はあはあ言いながら走ったり。一度は大阪まで出てブルースを聴きにライブハウスに行ったこともありました。

▲ちょっと話は横にそれますがこのライブ、Suger Blueというシカゴを拠点に活動してるブルースハーピストのもの。このとき小3だった息子(その1)は最初アルコールのあるライブハウスなので入場を断られたのですが「この子もブルースが好きで聴きたくて滋賀から来た」と店の人とかけあって(ほんまのことやったし・・)無事入場したことも忘れられない思い出になっています。・・・とまあ、そんなこんなの17年のつきあいです。

▲相変わらず彼女は日本語が話せないし わたしたちの英語力と言ったら体力同様年々衰える一方やし(って、中一レベルやったら もう落ちるとこないやん、状態)しかし、相方といったら 彼女と初めて逢ったときからそうなんだけど、わたしよりすごいブロークンな英語と大阪弁で政治・国際情勢の話をしようとするんやもん(苦笑)まいります。ま、いつも当然のごとく難航、時に転覆(笑)したりするのですが、それでもこの人は悪政に怒ってるんや、くらいのことは十分通じてるとは思う。そしてこれは相手がAだけでなく、彼女が帰国後何人かうちにやってきた彼女の友だちに対しても同じ。相方曰く「英語しゃべれんからいうて天気の話しててもつまらん」→ごもっとも(けど、もうちょっとは英語の学習もしてね・・)

▲さて。
すてきなパートナーと出逢い、いまは一歳半のこどものお母さんでドクターになった彼女。ああ、逢う日が楽しみです。
いや、その前に掃除と英語やった!(笑)



-
[PR]
by bacuminnote | 2004-08-26 21:32

朝顔の花は群青色で。

▲昨日は義父の初盆でお寺にお参り。
開田村のお寺は冬になると床暖房ですごく暖かでした。それまで 冬のお葬式では震えるような思いをすることが多かったので、初めて村内のお葬式に参列したとき関西でもあれだけ冷えたんやから、と一杯着込んで行ったのですが。本堂は床暖房。広間には何台も大きなファンヒーター・・と どこも暖かくて。もちろんお寺が新しく建つ前は震えて震えて、だったのでしょうけれど。
さて、夏、この暑さの中 大阪のお寺では冷房をしてはるんやろか?
いや、案内状には「どうぞ涼しい格好でお参り下さい」と書いてあったもん。それはないんやろなあ・・・などと思いながら この日も日傘を軽く通す熱気に、途中我慢できずに買ったペットボトルの水を飲み飲み お寺までの道を歩きました。

▲お寺につくと 開け放たれた本堂は扇風機が三台回っていただけですが、 外の熱気がうそのように涼しく、団扇も用意されていて。廊下には蚊取り線香。なんだか田舎の家に里帰りしたような懐かしいきぶん。
若い頃にはお寺に行くことなどありませんでしたが、パン屋を、田舎暮らしを始めてからは、滋賀県でも長野県でもお葬式には隣組のお手伝いで何回となく出かけました。

▲滋賀県のときは公民館に字(あざ)のひとたち(各家から一人)が全員集まってのお通夜でした。そして『正信掲』というお経をみんなで。用事で親が出て来れない家は小学生や中学生の子が来て、大人と同じようにお経をあげていたのには驚きましたが、それだけ浄土真宗が根付いている地 だったのかもしれません。
広間にぎゅうぎゅう詰めの 百人ものひとたちがあげるお経は 信仰を持たないわたしの胸にもせまるものがありました。
このときの途中休憩のお茶やお菓子のお世話は男の人の役目で、人と人のわずかな隙間に足を入れ 頭の上にお茶をこぼさないようにお給仕する ふだんはお茶など自分で入れたことのないようなおっちゃん達の姿がとても微笑ましく いい感じだったのを懐かしく思い出します。

▲長野県・開田では火葬場まで遠いこともあって お葬式の前にたいてい早朝 (6時~7時頃)出棺します。家族と親戚や隣組がお家で最後のお別れ の間 近所の人たちは外で待つのですが、寒いときは零下20度にもなるようなところで、それでも早朝 雪降る中、お家から出て来られるまで、ずっと道ばたに立って待っています。お年寄りは手ぬぐいで頬被りこそしてはるけど、みな外套も着ず 手袋もはめず 喪服ではなく普段の格好で 。あまりの冷え込みに時々足踏みしながらずっとずっと待っています。
そうして出棺のときが来て。
手を合わせ車が出て行くのをいつまでも見送って。
外した頬被りの手ぬぐいで涙を拭いては また深々とお辞儀して合掌してはる姿には何度も泣かされました。
そして人との別れは 決して見栄や形式ではないことをつよく思いました。

▲ 義父の遺品を整理していてみつけた短歌ひとつ。
『越しゆきし 孫の残せる 群青の 朝顔の花 けさも鮮やか』
1987年8月、パン屋を始めるべく大阪のこの家をあとにした夏。
当時小学校一年の息子(その1)が学校の理科の観察で持ち帰った朝顔の鉢をうたったのでしょう。
首にタオルかけて汗をふきふき じょうろで朝顔に水をやる義父の姿を思い出すお盆です。
[PR]
by bacuminnote | 2004-08-14 16:44 | 開田村のころ