いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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<   2005年 08月 ( 3 )   > この月の画像一覧

寒いのにあったかで。

▲先日思い立って下の息子とふたりで開田高原に「帰って」来ました。
引っ越して1年と3ヶ月・・何かというと思い出す彼の地ゆえ、今はまだ あの山見ても あの空見ても泣き出してしまうかも、と(いや、ほんまに)時期尚早の感もあるにはあったのですが、勢いにのって「特急しなの」に。

▲名古屋から1時間半。木曽福島に降りるといきなりエアコン23℃くらいの涼風に思わずブルッ。大急ぎでカーデーガンを羽織ります。
木曽福島から車で20分くらい走ると開田村。
トンネルを抜けると道沿いにずっと秋桜。頼りなげなその細い茎が小雨降る中 涼し気に揺れて・・うつくしい!
少し行くと蕎麦畑の白い小さな花、花、花・・・ああ、開田高原on my mind !です。

▲あいにくの空模様でおやま(御嶽山)が見えなかったからか、駅まで迎えに来てくれた友人と堰を切ったようにしゃべり通しだったからか、道中泣き出すこともなく(笑)
というか、まるで昨日まで住んでたようなそんな感じで車窓から村を眺めてる自分に気づき、顔がゆるみます。

▲ウチでお昼食べてってよ。
もろこし(トウモロコシ)持って行きなよ。いまキャベツにトマト、畑で採って来るからさぁ。あれぇ?もう帰るんかい?もう一晩ウチに泊まって行ってよ。
寒いくらいに冷える開田で、みんなの声は、だからよけいにあったかくて。気分はやっぱり「里帰り」でした。
行く前には「久し振りに逢うからなんか緊張してる」(笑)と言うてた友だちが大阪に着いてすぐにくれたメール。
「逢う前は緊張してたけど、逢ってみたら昨日も逢ってたみたいでほっとした。帰ったばっかりだけど、また逢いたいなぁ」

▲・・・というわけで、まだ開田の余韻に浸りながら首にかけたタオルで滴り落ちる汗をぬぐう大阪の昼下がり。
あ、今日は 息子(その1)の誕生日。猛暑の大阪での出産 ほんまにご苦労さんでした(と、自分に言ってみる)
大阪で3カ所、奈良で2カ所、滋賀と長野。計6回もの引っ越しと3回にわたる親の転職・・・それに伴うヨロコビもしんどいこともたっぷり経験し、そして何よりあっちでも こっちでも すてきなひと、おもしろいひとたちに逢った息子。

▲わたしと相方はたしかに彼の親だけど、親がしてきたことはほんのわずかで。
あとは、出逢ったたくさんの人たちからいろんなもの いっぱいもらって。大きくなったよなぁ・・・と、親ばかお母ちゃんはちょっと誇らしく思う。そうして、今頃は日本にむかう洋上の息子 を思いながら Happy Birthday !
「ひとけなき白昼空深くさらはれむまでブランコをこげ」
(故・干刈あがた氏が息子さんをうたった歌 /『アンモナイトをさがしに行こう』より)
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by bacuminnote | 2005-08-25 14:09 | 開田村のころ
▲この間の夜、TVの天気予報で「きょう日本で一番暑かった所」として、今わたしの住む市が紹介されました。なんと38.4℃!も記録したらしい。
その日は朝から、普段なら風の通る部屋でも熱がこもったように暑かったのですが、大人なら「風邪でうんうん唸ってる状態」みたいなその高温を知って、よけいぐったりしてしまいました。
そして、
一昨年までパン屋だった者としては、この暑さの中、火の玉のような窯のそばでパンを焼いてる方々に、こころから暑中お見舞い申し上げたい! きもちです。

▲いや暑いのはパン屋だけじゃなく、今日も『蓬莱』(豚まんの店)の前を通ったら、白衣の男の子がふーふー肩で息して真っ赤な顔で蒸し器の前に立ってたし、自転車の前に後ろにちっちゃい子ども乗せて、買い物帰りのママも「アイス!」と泣く子ども怒りつけながら汗だくやったし。
この前久し振りに町なかで見つけたクリーニング屋さんでは、おっちゃんがアイロンかけながら何遍も首のタオルで汗をふいてはったんが、窓越しに見えたし。
「北ホテル 出て炎天に 殴られる」(小沢信男『んの字』より)
いやはや、ほんまに暴力的な暑さの今日この頃です。みなさん、お見舞い申し上げます。

▲けど、ま、暑いのは「しんどいなあ。たまらんなあ」ってぼやいて、エアコンつけたり、扇風機回したら少しは解消されるけど、こわいのはもっともっと深刻な「暴力」です。
こっちは静かに、巧妙に、人の心の隙間に滑り込むように、すこしずつ、一見そうとは見えないカタチで、わたしたちのすぐそばまで近づいてる気がする。
暑いと、ついぼーっとして「考える」ことを放棄しそうになるけど。webでこの絵本を見ながら、改めて「知らない」ことや「知ろうとしないこと」のこわさを思っています。
『戦争のつくりかた』
*↑でweb版絵本を見ることができます。58年前に書かれた伊丹万作氏の『戦争責任者の問題』という一文もここで。

▲何だか気の重いことばかりのこの頃ですが、昨日は図書館でいいことひとつ。
書棚と書棚の間を歩いていたら、一冊の本がわたしを呼んでくれた、から。
その本は小さくて書棚(海外の文学)の中では決して存在感のある本じゃなかったのに。
本屋にしろ、図書館にしろ、古新聞にしろ、活字があるとき突然向こうからやって来る、あの瞬間です。

▲呼びかけに!立ち止まり手にした本は『そしてすぐに日が暮れる』というサルヴァトーレ・クァジーモドの詩集でした。 詩集なんて何年ぶりかな、と思いながらも 本を開いたら、一番最初のページに本の題名にもなってる三行詩があって。わたしはそのまましばらく書棚の前から動けずにいました。

▲なんだかどきどきしながら、家に帰る道、炎天下その詩が頭から離れなかった。あとで調べたらわたしには未知の詩人だったけれど、「イタリア現代詩の巨匠」だそうで。
この日はあこがれの須賀敦子さんのゆかりの地を写真と文章で綴った『須賀敦子のミラノ』文・写真/大竹昭子 も思いがけず見つけたし。ああ、いつかシチリアに、ミラノに、と思う夕べでした。

  そしてすぐに日が暮れる       
 
 人はみなひとりで地心の上に立っている
 太陽のひとすじの光に貫かれ、
 そしてすぐに日が暮れる。         

 (サルヴァトーレ・クァジーモド / 河島英昭訳・平凡社刊) 
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by bacuminnote | 2005-08-12 09:48 | 本をよむ

おいしいモン

▲休みがとれた、とかで上の子が帰省。もう成長は止まってる
はずの年やのに帰って来るたびに大きくなってる気がするのは、その態度のデカさゆえ、かな(苦笑)
それでも。
お茶碗ひとつ、お皿ひとつ、お湯のみひとつ増えるだけで、いつもながらの粗食のテーブルもなんだかにぎやかに見えて。
ああ、この時間こそ「ごちそう」と思う夕餉・・・なぁんて、うっかり口にでもしたら「おかあちゃん『手抜き』を『家族愛』にでっち上げてどうすんの?」って つっこまれそうやから(笑)
こういうシアワセは秘かに一人感じ入っておかんと、ね。

▲今はこんな風に「粗食一本道」(笑)のわたしだけど、若いときは「おいしいモン」を求めて、あっちこっちに。今思えばずいぶん(当時のわたしとって)不相応な店にも行きました。
友だちのJと祇園の某店の暖簾をどきどきしながらくぐったのもその頃のことです。
どんな展開でそういうことになったのか、もうすっかり忘れたけどその日は「わたしのおごり」で「なんかおいしいモンを食べに行こう」という話になって「それなら行きたいお店があるんよ」と京都育ちのJは祇園は花見小路をさっさか歩いて行くのでした。

▲竹矢来や格子作りの「いかにも」な京都のこういうとこのお店は「いちげんさんおことわり」の小さな札がさらっとかけてあったりして、前を通り過ぎるだけなら何回も行き来してるけど。
「えっ、J!こんなとこ行くん?」
あとをついて歩きながらも、わたしの頭の中は自分の所持金確認。えっと、たしか財布にこれだけと封筒に給料の残り入ってたのもバッグに入れて来たし・・・と、パニくりそうなわたしなどお構いなしにJは鼻歌なんか歌ってる。

▲高校生のときのクラスメイトにお茶屋さんの娘がいた、とかで、Jはいろいろと物知りで 歩きながら
「この店は○○のごひいきで有名なんえー」とか ほんまか嘘かは知らんけど 歌舞伎役者の名前を各所にちりばめては(笑)上機嫌なのです。
わたしは、といえば何度確認しても所持金が増えることなどないわけで、たしか27年くらい前のことですからカードなんて持ってなかったし(今もやけど・・)
ま、足りなかったらJもお金持ってるやろしどうにかなるやろ(いやあ、ほんまに若いというのはこわいもん知らず)と、
思い直してJのあとについてゆくのでした。

▲やがてJの足が止まったお店は思いの外、気楽な雰囲気でほっと一息。
聞けばお昼は観光客も入れるようになってる、とのこと。
「あんたにおごってもらうから言うて そんな高い店へなんか案内よーせんえー」
Jはそう言うとわたしの「そわそわ」がおかしいと、からからと笑うのでしたが。
何故かそのとき一階の客席はわたしたちだけだったので、お料理を運んでくれるたびにお姐さんも、好奇心旺盛の若い女の子相手に気さくにいろいろ話しかけてくれて。
いつしか「そわそわ」も「どきどき」も忘れ
「おいしいなあ。おいしいなあ」と、上品な懐石料理を年相応にがつがつ食べた(苦笑)気がする。
(が、今、どんな料理だったのか全く思い出せない)

▲忘れられないのは、お姐さんの帯のお太鼓の落ち着き方がええ感じやったので、そのことを言ったら、なんと、いきなりその場で帯を解いてレクチャーをしてくれはった!こと。
着付けなどまるでだめなわたしも、着付け自慢のJも一瞬何しはるんやろ とびっくりしたけど、流れるようなその手つきがもうほんまにみごとで、うっとり見入っていたのでした。

▲果たして 懸念の「おあいそ」(お勘定)は竹細工のお皿の上に載った千代紙のその端っこに小さく鉛筆書きでした。
とにかく初めての経験にぼおっとして、いくらだったのか覚えがありませんが、外に出てから財布のぞき込んだら電車賃くらいしか残っていなかった気がします。

▲Jとは何回その日のことを思い出しては大笑いして話したことでしょう。
その後わたしはケッコンしたり、からだこわしたり、子どもが生まれたり、そのうち田舎暮らし、となって、料理屋さんになど行くこともなくなりましたが、ばりばりのビジネスウーマンだったJは お金に糸目をつけず京都の老舗旅館に泊まった、NYのイタリアの・・・と電話がかかると「おいしいモン」の話を聞かせてくれるのでした。

▲「けど、あのときの店はやっぱりサイコーやったな」が いつも話の締めくくり。
雑誌や新聞で京都の料理屋さんの記事見ると、あの日思いっきり背伸びしてJと行った祇園を思い出します。
そして、急いで急いで
おいしいモン食べ尽くしたんか 3年前に手の届かんとこに行ってしまったJを思い
「そや、あのときはほんまサイコーやったなあ」と ぶつぶつ一人言うてるのでした。
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by bacuminnote | 2005-08-04 16:47 | たべる