いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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<   2005年 09月 ( 3 )   > この月の画像一覧

不便のたのしみ。

▲風が冷たくて、いま窓を閉めました。
朝ヤカン一杯にわかして冷やしたお茶が余るようになり、
「おやすみ~」と電灯を消すときはまだ掛け物なしだけど、朝起きるとみな布団やタオルケットにしがみついていて。素足で台所に立つとすーすー。あつい珈琲がしみじみとおいしくて。
そして、
雨戸の隙間からもれる光のやわらかさにああ秋、と思う朝。
もう9月も最後の週になりました。

▲それでもまだ日中は結構暑くて、スーパーに入ってすぐは効き過ぎのエアコンもきもちいい。けど、野菜売り場から肉・魚売り場あたりまで来ると寒くなって、ついつい鍋物風の献立ばかりが浮かんでしまい・・・。
自転車で坂道を駆け上がり汗だくで家に帰っては、去年もたしか今頃こんなことが何回かあったよなあ、と「学習できていない」自分にため息。(開田高原では真夏以外は「鍋」を楽しめたので、つい、つい)

▲そういえば、この間おんな友だち三人寄って(その中の一人の家で)合宿(笑)の夕飯メニュウも「鍋」でした。
この日もそれなりの暑さではあったものの、何より女三人台所でわあわあ言いながら(野菜の切り方から薬味に至るまで、それぞれの家庭の「やり方」が違ってて興味深かった)支度の段階から盛り上がり、家ならではのゆったり時間とたっぷり食材で。
おいしくて、おもしろくて、かしましい夜となりました。

▲大阪に越してからは 友だちと外でお茶をのんだりごはんを食べたり、という機会も増えて、それはそれで「まち」ならではのたのしみですが。
田舎で暮らしていた頃は村にそういう「店」がほとんどなかったので、友だちと「お茶を」というと、それは友人のうちの誰かの家を訪ねることを意味していて。
手みやげはたいてい果物か野菜。それに自家製のお菓子でした。

▲信州のことなのでりんごの季節になると、どこの家でもりんごの頂き物があって、日にちが経つとりんごが「ぼけてくる」(新鮮じゃなくなる事を信州ではこう言う)ので、早く使い切ろうとりんごのケーキやパイを焼いて行ったものです。
そしたら友だちの家でも同じものを用意してくれていて。「みな、この時期考えることは一緒だね」と笑いながらの食べ比べも楽しかった。

▲「不便」というのは便利悪いってことやけど、不便って悪いことばっかりでもないなあ、とこのごろよく思います。
「買う」じゃない「たのしみ」をわたしみたいに根っからの不精者が知ったのも、「不便」がゆえだったし。
けど。
すっかり慣れた気のしている「まち暮らし」ながら、相変わらず「買う」場面になると熟考しすぎてくたびれてパス、という結末を迎えることの多いわたし(笑)・・・なぁんて書いたら「それって単なる小心者とかケチとかってことやないの?」とあちこちから突っ込まれそうな気もするけど(笑)
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by bacuminnote | 2005-09-25 15:05 | たべる

秋かぜ馴寄る。

▲重い。
いつまでもしつこく暑い日や、想像はしていたものの、しかし、想像を越える惨憺たる選挙の結果に物思い「沈む」今日この頃。
けど、そんなこんなの中、姪に赤ちゃん誕生の知らせが届きました。
母子ともにすこぶる元気と聞き、こくこくおっぱいをのんでよく眠る子と聞き、「よかったなあ」と歓声と一安心のあとは、いろんな思いで胸がいっぱいになる。
うれしくて。そして、これからこの子が大きくなっていく間、世の中はどうなっていくのだろう、という不安で。
が、「沈んで」いては「むこう」の思うつぼかも、ね。
元気出そっと。

▲というわけで、とりあえずは信州の元・お向かいさんが送ってくれはった箱一杯の真っ赤な完熟トマトを煮てソースに。(ここのおうちのトマトは酸味がほどよくとっても美味)
いらいらしてるときに黙々とこういう台所仕事っていいもんです。
初めはいろいろ、あれやこれやと思うんだけど、そのうち頭もココロも静かになって、やがてからっぽに。そうしてただ手だけが動く。(雪かきもこういう感じだった気がする)

▲翌日には別の友人からとうもろこしがどっさり届き、さっそく次々と蒸しました(わたしは「茹でる」より「蒸す」派です)
で、近くの友だちに招集をかけてお裾分け。
「濃い」「甘い」「おいしい」「とうもろこしって、どこのでも同じかと思ったけどちがうのね」
という感想にわたしは愛娘(って、いないけど・・・笑)を誉めてもらった母の如く顔がゆるむ。

▲台所には湯気と甘いにおいと、ちょっと郷愁なんかも漂っていて。
立ったままかじりつく ほかほか もろこし(開田では「もろこし」と言います)にビールがうまい。
ひろげた新聞紙の上にはもろこしの葉っぱが山と積もり、白く光る細いひげが窓からの少しの風にゆらゆらしている。
いい気分なので何もかもほったらかして、とうとう台所の小さな丸い椅子に(休憩用に置いてあるのです)すわりこんで、読みかけの本を開くのでした。

▲そしたらいちばんに
『この顔に 秋かぜ馴寄る 蜆汁』という句が目にとびこんできて。
「秋かぜ」も「馴寄る(なよる)」も・・・ええなあ。ええなあ。と思いながらビールをもう一杯。
ああ、秋かぜよ早く吹いてください。
(本は詩人天野忠氏の京都下鴨の住所が表題になった『北園町九十三番地/天野忠さんのこと』です。山田稔著・編集工房ノア刊)
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by bacuminnote | 2005-09-14 12:43 | たべる

九月の夕餉に。

▲九月です。
けれど今日もまだまだ酷暑。買い物と図書館に行って帰ってきたら、もうそれだけでぐったり。首にタオルと一緒に「本日営業終了」の札を掛けたいくらい(笑)

▲それでもスーパーでおいしそうな秋刀魚を買ったので、気を取り直して魚を焼いたのですが、これがもうすごい煙と油と火で、即ガスを切ったのに、いつまでもグリルの排気口から出るわ出るわの火と煙。
あまりの勢いに怖くなって相方を呼び、一瞬迷ったものの排気口から水を何度か注ぎようやく落着。ふうう。

▲魚を焼いて食べる人が減ってるって聞くけど、いまのうつくしいシステムキッチンでは
後始末考えたら「買ってチンして食べる」になるのかなあ。
が、そもそも「汚さない」ための家や台所って何なん?(と、美しく新しいキッチンには未だ無縁のわたしは思うのである)

▲さて。
「もうあかんかもしれん」と一旦は諦めた煙の中の秋刀魚が、思いがけずうまく焼けていて。しかもとっても美味で。ああ、手を油でぎとぎとにしながら水浸しになったガス台の下の後始末したかいがあった、一回はパック詰めの安売りを手にしたものの、いややっぱり、と対面販売の活きの良さそうなのを奮発して(値段は倍!だった)買ったかいがあった、と満足しつつ、ああ~まだまだ冷えたビールのうまい、九月の夕餉。

▲こんな脳天気なこと言うてる間にも
アメリカではハリケーンで多くの人々が亡くなり、その後のニュースを見てると、これは自然災害ばかりとはいえないことを知り「自己責任」の名のもとに貧困層が取り残されたと知り、余計に暗く重いきもちです。

▲生まれおちたその瞬間から死に至るまで社会は「階層」別の扱いをするのだろうか。
この国もそのうち そんな社会になってゆくのだろうか。
そして、かの人ならこういうときも「人生いろいろ」とか言って薄ら笑いをするのだろうか。
窓の外、とおく聞こえる選挙カーの相変わらずの連呼がたまらん夕暮れ時です。
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by bacuminnote | 2005-09-04 12:42 | たべる