いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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『壁を背にして』

▲ワインのおいしい季節になりました。
大阪に越してからは、とにかく暑い時間が長いのですっかりビール党(「党」を「腹」に置き換えてもまた真なり?)のわたしでしたが。
二週間ほど前ビールを切らして、上の子が帰国のたびに持って帰ってくれ溜まってたワインを開けたら、これがうまい!
「水より安かってん」というものも「おかんの誕生日に」と買って来てくれたものも箱の中でごちゃ混ぜに。
気の向くまま順番に開けてるけど、どれもおいしくて。しみじみと、秋やなあと思います。(あとで息子に聞いたら「誕生日に」のワインも「あ、別にフツーのや」そうで。なーんや。きっと誕生日プレゼントやし特別のモンかもなあ、と 思ってたのに)

▲ま、そんなことはともかく。
食べ物もおいしいしワインもうまいし、友だちもあちこちから来てくれて。それに長年やりたかった太極拳のクラスにもこの間やっと入ることができて。意気揚々の秋!・・って
ここに書こうと思ってた月曜の朝。
その日は久し振りの秋晴れで、機嫌よく♪she's a mystery girl~と、U2など口ずさみながら(あ、エイゴで歌えるのはこの部分だけ)中腰で洗濯機からシャツを籠に移していたのですが、途中ゴホゴホと咳き込んだそのときに腰にキョウレツな一撃。
グキッ!!
あわれ、昨年引っ越しのあと以来の「ぎっくり腰」でありました。

▲しかし。
こんな風に日々わあわあ言うてる間にも、えっ?ほんまに?と思うようなことが、次々着実に推し進められて行きます。世の中が変わってゆくときって、こんな風なのかなあ・・と なんだか他人事みたいに諦めや絶望感のようなものが、いつのまにか自分の中でふくらんでる気がして。
いや、そもそもこういう気分こそ「むこう」の思うツボやん、と腰をさすりながらふううとため息です。

▲先日『アンナとロッテ』(De Tweeling/2002/Ben Sombogaart)という映画(DVD)を見ました。
親の死でそれぞれ親戚に引き取られる双子の幼い姉妹が、ナチの台頭する時代に翻弄される、話です。
貧しいドイツの農家に行った姉は働かされ、虐待され、学校にも行かせてもらえず、やがて村の鍛冶屋の若者の言う「我々貧しい者を救ってくれるヒットラー」を信じるようになります。一方オランダの裕福な家庭で愛情も教育もたっぷり受けて育った妹は家族ぐるみでつきあってるユダヤ人家庭の長男と恋をするように。

▲そして長い間離ればなれになっていた姉妹がやっとのことで再会したとき、妹が幸せ一杯の顔で姉に婚約者の写真を見せるのですが、姉の口から出た「ユダヤ人かと思った」という一言がこんどは姉妹の気持ちを離ればなれにしてしまうのでした。やがて姉はナチの将校と結婚しますが夫は戦死、妹の婚約者はアウシュビッツへと送られ死んでしまいます。

▲年をとって再会を遂げた二人は「ドイツ人が夫を殺した」「わたしが殺した訳ではない」「わたしは知らなかった」「知らなかったで許されると思うの?」と、激しく言い合います。重く痛いことばをお互いに吐き出したあと、たぶん納得はできないのだろうけれど、お互いのきもちは理解しあって、二人は昔のように一枚のビスケットを分け合って食べるのですが・・・。

▲映画を観ながらわたしは何年か前に読んだ
『ベルリン1933』
(クラウス・コルドン作・酒寄進一訳・理論社刊)という本を思い出していました。1933年というのはヒットラーが首相に就任した年で、主人公である15 歳の少年とナチ党員になった友人との確執、ユダヤ人の娘との恋、生き方の異なるお姉さんとの対立・・・原題の「壁を背にして」の通り 追いつめられてゆく人々が描かれます。

▲この本が出たとき(調べたら2001年でした)「いまの日本に重なるところがある」とどこかで読んだ書評での一文が衝撃でしたが。
果たして4年たった「いま」は、と思いながら唸る秋の夜長です。
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by bacuminnote | 2005-10-30 20:14 | 本をよむ

『喪失』

▲先日、友人の写真展に相方と二人で大阪は空堀(からほり)という所に出かけました。こういう感じに電車に乗って二人だけで外出は、ものすごーくひさしぶり。けど、どっちかというと「二人だけで」というよりは、子どもが「よろこんで」留守番するような年頃になったことがうれしい(笑)

▲そうそう、空堀はわたしたちにとって思い出深い地です。
相方がパンの修業した店というのが、ここの空堀商店街にあったのです。今思えば、初めから数年後にはやめるのがわかっていて、しかもパンの経験は皆無の元カメラマン。加えて、36,7才にもなる相方をよく雇ってくれはったなあ、と思います。給料も見習いにしては多かったのでありがたかった。
それに仕事は朝早いけど上がるのも早く、
相方はわたしがパートに行ってる間に帰宅。暗室だった部屋を台所にして、自家培養した酵母でパン焼きの試作を来る日も来る日も繰り返していました。

▲この空堀にあったパン屋は天然酵母のパン屋ではありませんでしたが、昔ながらの食パン・あんパン・クリームパン・・・とりわけメロンパンは絶品で、相方がパンの入った袋を持って帰ると上の息子と大喜びで開けたものでした。
わたしたちが無事パン屋としてスタートして5、6年たってからだったか、児童文学作家のひこ・田中さんがこの近くに引っ越しされたと、HPに書いてはったので「そや!」とそのパン屋のメロンパンのことをメールに書いたのでした。(わたしは彼のファンなのです)

▲そしたら、ちょっとして返事があって「早速自転車で行ってみたけど、どこ探しても残念ながらその店はありませんでした」とのこと。その後、ひこさんのHPにも『喪失』というタイトルで空堀商店街の写真とその顛末を書いて下さいました。
だから、
「そこにはもうない」ことがわかってたのに。二人で商店街を「探し」ました。

▲昨今『~商店街』というところは、歯抜けのように、あっちにこっちに色あせたシャッターが下りて、開業してはるお店までなんかさびし気に見えます。
昔は活気あったんやろなあ・・・と思いながら、通りを行ったり来たりしたけど、その店はやっぱりありませんでした。
そう言うわたしらもパン屋を たたんだのですが・・・・。
「さ、ほんなら行こか」
やっと、わたしたちはその日一番の目的の友人の写真展の会場に(天然酵母パンのセンパイ・楽童さんのやってはる
カフェ『あーんと』が空堀複合文化施設『萌』にあります)向かうのでありました。

▲『喪失』といえば、先日は京都・河原町の丸善が店を閉じたそうで。
河原町に出たら、まずは京都書院→丸善→やまと民芸(陶器)→六曜社(珈琲)だった学生の頃を思い出します。
そうだ。
我が心の開田村も町村合併で今月いっぱいでその名が消えるのだそうです。
そして 御嶽山に初冠雪!の今日、閉村式があったと「開田村」の友人からメールが来ました。
・・・・さびしいなあ。

*今日書いたことと重なるのですが、この店のことを当時麦麦通信 (その96・・2001/7/10)にも書いています。

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by bacuminnote | 2005-10-23 23:03 | 出かける
▲一昨日は朝からひさしぶりに散歩しました。暑くて長らく中断していた「水曜日(レディースデイ)はtsutayaへ」の散歩だったけど、きもちよく「まだまだ歩ける。もっと歩ける。ずっと歩いていたいくらい」と絶好調。それにtsutayaでは前々から探してた『大阪物語』も見つけたし。
この映画上映当時のコピー『元気でも、泣く。14才。ごっつしんどい夏でした』にも、監督(市川準)脚本(犬童一心)にも惹かれて観たかった'99年公開の映画です。

▲帰りにスーパーに寄ったら、きれいな水菜の前で足が。まだちょっと早いけどこれは「はりはり鍋やなあ」と一抱えほども買い、あ、紅玉やん!(りんご言うたらわたしはこれ)わあ、ええ色のかぼちゃ・・・と、いつもとちがう店はなんか新鮮で(そんな、気がするんですよね)あとで思ったら「別に今日買うこともなかったなあ」な、ものまで調子に乗って籠に入れてしまって。
それでなくても、この散歩コースの帰りはほとんど上り坂なのに。
重い荷物、汗ばむような陽気で泣きそうになりながら
行きは♪どこまでも行こう。道は険しくとも~ 的フットワークだったのにね、と思いつつ家路につくのでありました。

▲ぐったりして帰って来たけど、即ビデオ鑑賞。
大阪の売れない夫婦漫才コンビ・はる美&りゅう介(これを沢田研二と田中裕子が演じてる)の娘(池脇千鶴)が見た両親や父親の愛人やその子どもや、周囲のひと、大阪の町。
前半ものすごく乗ってよかったけど、後半(わたしとしては)ちょっと失速した感じがしました。けど、そのつまづきや息苦しさも「ごっつしんどい」あの年頃と重なるのかもなあ、と思ったり。
懐かしい大阪のお笑いの芸人も一杯出て(あ、クレジットには町田康の名前も。あれ?どこに出てたんやろ?)主人公もその家族も関西出身の役者で、安心して大阪弁に浸れる(笑)映画でした。

▲そうそう。
劇中、田中裕子扮する「はる美」が娘に夫「りゅう介」を語る場面で「お父ちゃんとな、初めてのデートで はりはり鍋食べてん」というセリフがあって。
「うちとこも今日の夕ご飯 はりはり鍋やねん」と、ひとり画面に拍手喝采(笑)

▲あ、はりはり鍋というのは『戦後まだ鯨の肉が安くて、手に入りやすい庶民の味覚だった頃の鯨料理の定番の鍋料理。「はりはり」は水菜が歯ごたえがあって、そのシャキシャキした食感から来たもの。関西の料理』(by wikipedia)です。
我が家の「はりはり」は今は鯨なし、で、ちょっとうどんのおつゆより濃い目のだし(昆布と鰹)をたっぷりとって、豚肉の細切りと大きめに刻んだ油揚げと「これでもか」というほどいっぱいの水菜(笑)で食べます。

▲この日はまだまだ「汗だくで」食べる鍋物となりましたが、もう十月も半分すぎました。
早いもので来月は義父の三回忌。
パン屋をやめてからの時間、に思いを馳せる秋です。
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by bacuminnote | 2005-10-14 12:06 | 映画

沈黙療法

▲先週のこと。
夕ご飯のとき、久し振りに作ったおみそ汁(暑い間は飲む気もしなかったので・・・)の味が「濃い」の「うすい」のと相方と
言い合うてる最中 突然声がかすれてだんだんフェイドアウトしてしまったのです。
あ、別に大声出すような はげしい言い合いしてたわけやなくて、ただの?いつもの会話だったのですが。

▲でも、だいたいが 何かについて意見を戦わせるときには 声が小さかったら「負け」みたいな空気のフウフゆえ(苦笑)
この時もわたしの喉にはちょっとは「リキ」が入ってたかもしれないけど(笑)
とにかく。
ん?あれ?おかしいな。こ、声がでないよぉ・・・な状況になったのでした。
こまった。
こまります。

▲結局、翌日も一日声は戻らず、翌々日は耳鼻咽喉科を受診。
まず声を使う仕事かどうか尋ねられ(苦笑)、内視鏡で声帯を診て貰ったり(軽い炎症程度だった)吸入したり、抗生剤処方のあとDr.から言い渡されたのが「沈黙療法」!
数年前にも同じような症状になったことがあって、たしかその時にも「一番有効なのは沈黙です」と言われたのでした(実際、有効でした)

▲しかし。
おしゃべりなわたしには何がツライと言って「しゃべったらあかん」は「食べたらあかん」につぐ難行です。
が、そうも言うてられんので必要最低限の話以外はおとなしく、どこにも電話もせず、かかってきたら相方にかわって話してもらい・・・と、修業のような数日のあと、ようやく先週末くらいから声が少しずつ戻ってきました。
やれやれ。
けど、これからは健康のためにも「しずかなフウフ」を目指します(笑)

▲さて、昨日は義母のリクエストに応えてここから車で10分余りのところにあるシネコンに。
映画館はなんと「50年ぶり」という 80近い義母の観たい映画は かの『四月の雪』です。
「ヨンさま」などという呼び方にも、その過熱ブームにも思うことはいろいろあるけど。
それでも。
かつてはベッドで過ごしてる時間の多かった義母の「元気の素」となり映画館にまで連れ出してくれたペ・ヨンジュン氏(笑)には ほんま、おおきに、と思っています。

▲果たして50年ぶりの映画館は、切符売り場から上映室、トイレ、売店に至るまで、義母にとって何もかもが目新しく、驚きの連続だったようですが。
大きなスクリーンを前に「もう始まるかな?」「まだやろか?」とそわそわして。
「うち、ほんまにうれしいわあ」としみじみ。
この日、義母のそんな姿にわたしは映画よりじんときた、のでした。
おかあさん、また観に来ましょ、ね。
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by bacuminnote | 2005-10-04 15:04